はてなDIARYに禁煙日記を書いています。直接音楽に関係ないのでこちらに記していますが、どっちが主であるかは、自分でも分かっていません。また、禁煙することそのこと自体、実は音楽活動に多大な影響を与えているのですが、双方、WEBSITEのBLOG,はてなDIARYと有るべく更新していきますので、読んでみて下さい。 追記 どうもはてなDIARYに繋がらないようです。 はてなDIARY HIROSHI MINAMIで検索してください。 >>>
はてなDIARYに禁煙日記を書いています。直接音楽に関係ないのでこちらに記していますが、どっちが主であるかは、自分でも分かっていません。また、禁煙することそのこと自体、実は音楽活動に多大な影響を与えているのですが、双方、WEBSITEのBLOG,はてなDIARYと有るべく更新していきますので、読んでみて下さい。 追記 どうもはてなDIARYに繋がらないようです。 はてなDIARY HIROSHI MINAMIで検索してください。 >>>
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何とかこのWEBSITEの検索上位を上げるべく、日記だかブログだかどうでも呼び名はいいですが、なるべく文章を載せることにします。 写真のWEBへの掲載の仕方が分かったので今度は、動画、VIDEOなど好きなページとその場所に配置できるようにする。あとはこういう電脳空間に文章を書く秘訣を知る。ということで、ブログの書き方等検索していたら、以下のようなものが見つかりました。 ブログ初心者が最低限覚えておくべきブログの書き方10ヶ条 SITEを作ったあとも大変だし、もういろいろと何もかもが大変で、そりゃあ人生朝目が覚めてから大変なことばかりですから、でも私がいま一番大変なのはこの時代機械オンチでいるという、その存在自体なんです。とにかく機械操作は私にとって難儀なもので、懐中電灯の電池反対に入れて電気つかないと大騒ぎするのが私の本性なんです。ですから少なくとも文章であるこれからブログの書き方10箇条を習得し、我がピアノ教室の検索率を上げ、カネ稼いで南仏に別荘を買い、シモーヌ・シニョレのような女中何人かと、ドヌーヴ、サガン、バルドー風のフランス女を愛人にして、モナコの近くの海岸を粋なサングラスと白のスーツで歩くのだ。さあやるぞ、、、、、でもなあ、ピアノ10時間練習しろと言われたら今でもしますよ、いまでもね、できる体力残っているけど、それやると他のことが全部できなくなる。雑用家事セックス排便買い物メガネ拭き部屋の片付けピアノ教える電話かける出る粗大ゴミ捨てる妻の主張をニコニコしながら聞くふりするソレこさブログ書くパンツ履き替える風呂に入る突然の訪問者の対応ライブに行く前の準備作曲曲選び一定のオシャレひげ剃り睡眠電気つける消す鍋の底洗う、メシ喰う暇もない。でも、これら犠牲にして凄い演奏できるのなら、本当の変人変わり者になり果てて、MACなんかへし折って、何か音楽で凄いことができるならこれらの日常性を捨てることはやぶさかではない。 しかし、機械操作は、こちらが、たとえばMAC BOOK AIRとか、WORDSEXPRESSに向かって、ほれ、世捨て人になったぞ!ゴッホみたいに精神病院で画を描く覚悟までしたぞ! と自分のwebsite内の改造及び検索するところに叫び恫喝し、ひっぱたいたらまた壊れるし、何も変わらないんですよね。こいつら。当たり前ながら。更に機械語がいまだアタマに入らず、アフィリエートなどの専門用語、アルファベットで書いてくれないかな。Affiliation, 政治組織などへの加入を意味する言葉でしょう。厳しい言葉ですよ、JOINではない。フリーメーソンとかに加入するんです。フリーメーソンにJOINはできない。 まあ屁理屈こねてないでこの10箇条に従うぞ。 ○もっと読まれるブログにするための書き方 記事タイトルにはキーワードを入れる ブログの入り口は検索サイトの結果やSNS、ランキングサイトなど様々ですが、共通しているのはそこに「記事タイトルが表示される」ということ。まずここで興味を持ってもらわないと、誰もブログを読んでくれません。 安定したアクセス数を求めるなら、検索サイトからの流入を増やすことを考えましょう。目指すは検索第1位ですが、そのためには記事タイトルにキーワードを含めることが大切です。 もしかして『今日のご飯』なんていうタイトルをつけていませんか? すでにファンがついているなら何人かは読んでくれるかもしれませんが、新規の訪問者は誰も読んでくれないでしょう。「みんなどんな言葉で検索するんだろう」「どんなことが知りたいんだろう」を考えてタイトルをつけなければなりません。 おかずが肉じゃがだったなら、まず「肉じゃが」というキーワードは必須です。でも『肉じゃが作ったよ』だけだと、ちょっと弱いですね。内容がある程度推測できて読むメリットも含めるのがベストです。 「銀座でヤーさんにピストルの正しい打ち方教わりました」 これじゃ検索ひっかからないのかな。 えっと、どうでもいいけど何だ肉じゃがって。みんながどんなことを知りたいんだろう?みんなとは誰だ?どういう一定の「みんな」なんだ?共産党の唄に出てくる「みんな」で肉じゃが喰うのか?一般のニホン人のことか?だったらとりあえず金儲けの事しか考えてないのが80%以上で、オレだって人の悪口は言えない。こうやってWEBSITE作って公開しているということは集客や音源を買ってもらいたいからであり、また、ブログだか日記だかを好き勝手に書かせていただいて、読む人が笑ってくれて、他の記事も見る気になればしめたものである、と思っていると言うことは、カネが絡んでないとは言えないです。話題は少しそれましたが、記事タイトルにキーワードを含めるなら、ジャズピアノ、グルーヴ、黒人、カタギじゃない、ピアノ教室、優しく初心者から教えます、JAZZ,麻薬ドラッグ、マイルス・デーヴィス、あとなんだ、とにかく名前売らなきゃ。 南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博南博、肉じゃがの料理は教えませんがピアノを教える私の名前をこれだけ書けば検索率あがるのかしらタレ軟骨塩二本ください。 とになくオレの名前を拾えー!しかし私の名前、連続して印字するとゲシュタルト崩壊を起こすことに今初めて気付きました。機械操作もこういうところはまた楽し。何か中国の奥地にこんなところありそうですね。 これで言われたとおりでいいのでしょうか。機械の奥にある機械を操作している機械がこれらの言葉を拾ってくれるのだろうか。 読んでる人はどんなことを知りたいんだろう?だからもう一度説明しますね。 私は23年以上、渋谷区代官山に住んでいます。当時からそこでピノ教室を開催しています。東横線代官山駅から一分、駐車場のスペースもあります。生徒さんはYAMAHAのグランドピアノ、私はKORG SV1というキーボードで伴奏を付けながら生徒さんに、ハーモニー、テーマの弾きかた、アメリカで教わった様々なこと、バークリー音楽大学で教わった合理的な肉じゃがの作り方、あら、なんだかわからなくなってきた、とにかく知っておくとあらゆるスタンダード曲に応用可能なCHORD SYMBOLS,コードネームは和製英語ですから、アメリカとかでは通じませんよ。ON BEAT OFF BEATとニホン人はよく言いますが、OFF BEATではなく、UP BEATです。OFFだったら、BEATもなに消えうせます。とにかく合理的にコード進行の仕組みをご教授致します。 動画も掲載できるように今準備中です。 ○たとえば、『めんつゆで作るカロリーを抑えた肉じゃが簡単レシピ』というタイトルはどうでしょう。キーワードが含まれていますし内容もひとめでわかります。 誰に向けて書いているか、を含めて『義母にも好評!めんつゆで作るカロリーを抑えた肉じゃが簡単レシピ』とすればさらにわかりやすくなります。 キーワードというよりは、「誰に何を伝えたいか」をまず考えてみてください。 なるほどな、こういうアドバイスがあるんだな、ヨシ分かった。こういううタイトルにしよう。 「音楽やジャズピアノにまったく興味が無い方でも、その無気力をドラッグなしで増大させる簡単ジャズピアノ習得レシピ」というタイトルを付けよう。 ブログ記事タイトルのつけ方に悩むあなたへ贈る4つのアドバイス それから、数字を入れるなどの細かいテクニックを学んでいきましょう。『義母も絶賛!10分で作れるめんつゆを使った低カロリー肉じゃがレシピ』とすると、読むメリットも伝わりますね。 過去記事のタイトルを手直しするだけでも検索順位が上がりますから、少しでも多くの方に読んでもらえるよう改善してみてください。 う、この記事を書いた御仁はIQ300くらいあるアタマ良すぎるガイキチか、義母とレズってしまった若妻か何かなのか。… >>>
ATNEK BOBM 津上研太AS 南博P 岩見継吾B 江頭良人DS フランス料理の隠し味に醤油を使われていることは既に有名な話で、その醤油の一滴が、ホンモノの西洋流理であるフランス料理の味を引き立たせてしまう。逆に言えば、最初にその一滴の醤油を「ほんもの」のフランス料理に垂らした料理人は凄く逡巡したと思う。でも垂らしたことに間違いは無かった。より芳醇で新しい何かが出来上がった。私もそんな醤油の一滴になってみたい。否、このバンドメンバーが全員そのことを企んでいることだろう。顔を見ればお分かりだろう。それぞれがそれぞれの壁に直面し突破してきた「生醤油」の面々。黒人の音楽上等。手も身体もヤツらの方が大きくて上等。でも俺達はホンモノの生醤油だから舐めてください。舐めた態度なんて取らないように。両側にいるお兄さんはどう見ても鉄砲玉ですよ。でも本当は優しいお兄さん、江頭氏は全国引っ張りだこのおいらはドラマー、生醤油はまずビートでこねくり廻そう。津上氏のサックス、最近良い感じにほぐれてきてますよ。一体どういう麹を使ったのか。貴重なる世界人口70億の1人。こんな力の抜けたサックス聴いたら、あ〜あ、とくにコンピューターの画面睨めっこの女性にお勧めです。さて、皆様聴きにきて下さい。 >>>
Mac book Airが、命名のごとく空気の様に突然破滅。慌てふためいて近隣の渋谷BIC CAMERAの Mac 製品を売っているところへと駆けつける。私は究極の機械オンチであり、なぜ壊れたのかが文章化できない。ただ様子が普段と違うというただそれだけの理由で、直感的に専門家の所へ持っていったのであった。そうしたら、修理に10万近くかかるという。今月の出費を更に逼迫させるこの数字、今月の出費はどうだったか、とアタマをめぐらすと、いきなりカラダが悲鳴をあげ、はあはあはあ、あ、息ができない、苦しい。でもしょうがない。しかし心底この機械は家電ではないな、ふざけた野郎だ。というのが正直な気持ちで、しかしこれがないと仕事、つまりピアノの椅子に座るところまでたどり着けないし、生徒さんの質問にもメールでお答えが書けない。やはりこの板を考え出したSteve Jobsは苗字からして同時にいくつかの仕事をこなすほど働いたんだろうけど、意外とシリア系アダプテッドキッドなんだなあ。苦労したのだろう。禅の影響を受けているというが、こんなもん世界中に波及させてカネ儲けて、でもなあ、若くして病に倒れた。 まあそんなことは良いとして、ああじゃらこーじゃらやってる内に新しいものを買い求めた方が早いのではないかという運びとなり、店員が言うには、幸いぶっ壊れたAirの中の情報を新品に移すことが3〜4日でできるということなのでこの空気野郎をBIC CAMERAに預けて家に帰った。 ああ、機械製品の「無い」生活の、なんたる新鮮で清々しく、自由で精神的束縛が無い、中学生の頃始めて見たアメリカ版PLAYBOYのヌード写真を見たときの、あの脳がぱっと開いたような、ああ、このまま青空の先に飛んで居なくなりたいという開放感を、随分の間忘れていたことに気付いた。機械がないって本当にいい。あんなもの、て言うか今正にその「あんなもの」と悪態つきながら、その張本人になんだか、NANDAKA,などと、元々サンスクリットの影響も受けているこのアルファベットというユーラシアの果ての記号を、日本古来からの言語に移し変えてるこの虚無感と民族の固有さを否定された感はどこから来るのか。勘違いしないでもらいたいのですが、私は右でも左でも無い垂直アナキスト的です。 「色はにほへど 散りぬるを 我が世たれぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず 」ああ、イカスなあ、日本語は。だからとにかく、こんなアルファベットなんていう味も素っ気も無い字体で書く言語ではない。決して。かといってひらがな変換を試したことがありますがなぜか更に気が狂いそうになった。まあ得したと思いうしかないですけどね。もの凄く悲しいことがあって世を儚んだら、ひらがな変換で詩でも書けば、いずれ発狂できる。発狂するということは自我が崩壊するということだろうから、自分という自己が破壊されるわけで、そうなれば、生きていながら我という概念のない何かしら今より更に妙なHUMANKINDに変身するわけで、世の中全てランらランらラン、ってぶっ飛べるだろうコトを発見したと自分を慰撫する。この機械も使い方によって我が身を守るだろう。話を戻しますが、元来日本語は当たり前ですが美しい言葉なのです。金子光晴とか、、、北原正秋、伊藤整、中原中也、萩原朔太郎なんか「ああ私の探偵は 玻璃の衣装をきて こひびとの窓から忍びこむ 床は晶玉 ゆびとゆびとのあひだから まつさおの血がながれている」とか、こんなキレイな文体を、ローマ字なんかで書きたくない。イヤだ。やっぱり機械は嫌いだ。 (或る大学の有名な国語学者の先生が、生徒の「やっぱり」は正しい日本語ですかという質問に答え「やっぱり、やはり、がやっぱりより正しい日本語です」と答えたらしい) で、機械が治ったとBIC CAMERAから連絡があったから、渋々取りに行き、どうせまた新しいMac Book Air だかオエーだかよく知らんが、電源つないで色々とやっていると、不具合が出るにキマッテルと思っていたら案の定、どうも上手く動かぬ箇所が散見される。アウトルックのメールが受信しない。今まで二度クリックすれば開いた写真が開かない。BIC CAMERAでは「お客様、良かったです。データ移行、完全に上手く行きました。新しいエアーですね、今までどおりなんの心配も無くお使い頂けます」ナンか言っといて、結局マックお客様センターやらY MOBILE、ルーター、なんだよ「ルーター」って。ターザンのエテコウのダチかなにかか?とにかく、なんだかそういう、またオレの大嫌いなあの受付チーハクできそこないアンドロイドバカタレ女の「いつもごりよーありがとーございます ただいまでんわがたいへんこみあっております のちほどおかけいただくか このまましばらくおまちください Cha〜〜RARARA~~~~(聴いてられない変なストリングス)」「きかいそーさに もんだいがあるばーいは こめじるしのあとにいちを 」なんで電話機に「米」という食料に関するもんが付随しているのかが全く理解出来ない。なんで♯を使ってるのだから、たとえば♭にすれば良いだろうが。 まあいずれにせよ、そこから先の電話の指令は私の聴覚から脳に意味づけされるには既に何かしらの意味を成さない音節と噪音になっていって、繰り返し聞いているのも堪えがたい、、、、 云々かんぬん云々かんぬん云々かんぬん云々かんぬん、、、、、としか私の脳は認識できなくなる。そして、しかもやたら多方面に電話をカケルはめになっていって、思ったとおり、データ移行なんて完全に終わってない。そんで待たされる待たされる。「おでんわが たいへんこみあております」チャイニーズかオマエはバカアンドロイドネエチャン。ちゃんとした日本語ぐらい機械でこしらえろ。加えて更にそのあいだ、聞きたくもないくだらない音楽のなんだか、ちゃ〜ちゃ〜ちゃっ、みたいな音がずっとバカアンドロイドねえちゃん声の後ろで流れていて、なにがスーパーコンピューターだAIだ?サッパリ分からん。人間もいつか死ぬように、機械だっていつかは壊れる。それは理解出来る。いずれくたばる不完全な人間がつくったこれが機械なんだから。しかし、ミシン作ってた会社のプリンターや、エテコウルーターや、マックの電話回線があんなに毎回混んでいるということは、どこかに人間として解決できるのにしようとしない決定的齟齬と不具合が多いというコトなんじゃないの?機械の無い生活も不便なんだろうが、私の年代的にはですねえ、テレビ、洗濯機、ステレオセットで充分ですよ。I TUNESってアレなんですか?マイルス・デイヴィスとオレの演奏の値段が一緒って、自己卑下抜きでナンかおかしくないですか。レコードは確かに同じ値段でしたよ。ちょっと古いけど、ガロの「学生街の喫茶店」も「四重人格」THE WHOも同じ値段だったですが、泳げ鯛焼き君もソニー・ロリンズも、一曲がカネという基準で同額というのが、なんか腑に落ちないわけです。また古いこと書きますが、ドリフの荒井注じゃないけど、なんだバカヤロー、と言いたい。 CT スキャンなんてヨーロッパの病院にそんなに備わってませんよ。病院も、コンヴィニエンスも、銀行も機械だらけ。ATMってなンの略ですか?ANTA TENDE MONEYZEROの略だったりして。ニホンだけみんなで原発作りまくってそれが破裂して、更に放射能でガン探したりして、何が何だかサッパリ分からない。私は至極真っ当なことを言っているだけでしょうが。で、この文章は頭に浮かんだことを何もオクすること無くどうまとまりが無かろうが書くことにしているので、今朝新宿の映画館で見たブレードランナーのⅡ作目、なんだあれ?日本刀で銀幕切り裂いてヤロウかと思うくらいつまらなかった。悪口を書いてはいけないのは知っているけど、オレチケット買ってみたからね。身銭切った。私はブレードランナーオタクで、ヴァージョンの違うDVD三つ持っていて、それぞれ何十回も見ているし、ブレードランナー関連の本もたくさん読んだし、だいたい私はP・k・DICKの死ぬほどの大ファンです。ヴァリスなど、全部読んでいますよ。その原作者の意図をどこか頭に置いて続編作らなきゃ、天才DICKも泣きますよ。草葉の陰で。アメリカに草場があればの話ですが。だからあのⅡ作目はまずいってんだよ。物語に伏線も無ければSFなのにあっと思う瞬間も無い。ハリソン・フォードがもう、なんかいたたまれない。そんで主演の奴が刑事に見えない。あんな細いのがアメリカで刑事なんてできるわけない。 何の話をしていたのだったか。要するに、もうRO^MAJIDE.KONNA FUUNI MOJIWO UTUNONI 疲れてきたので今日は、ピアノ教室の宣伝をしようと思ったけどまた今度。今日は閉店。ああ、新しいマックの金属の手触りが本当に肌に合わない。歯が浮く。 10/30/2017 >>>
今日は本当に天気がよく、朝から晩まで楽器に向かう時間をひねり出せない予定ばかりの日であったが、外に出るには絶好のお天気で、本日のメインはポーランド大使館に赴き、来年ポーランド人のミュージシャンを呼ぶための打ち合わせをすることが主な事項という、お日様と青空とヨーロッパの混交にて、気分うきうき。清々しい都下の、空気の澄んだ本当に良い秋の一日。これは文章で表すより映像の方が、このサイトを見ている方々、皆楽しんで頂けると思い、映像を載せます。 まずは午前中、ポーランド大使館文化担当者に会うにあたっての情報収集、その情報によってアタマの中に絵図を描く。文化担当者のポーランド人、アタマがポーッとするほど日本語が上手く、メールの文章も断トツに上品な敬語を使っており、しかも外国語を学んだ人独特の嫌らしさがない ここで担当者と渡り合うには何らかの作戦を練らねばならない。詳細は秘密にするが、外に出てみ ると、紺碧の空。この季節の代官山、恵比寿はとても気持ちが良い。24年ほど前に引っ越した当時はただ単なる渋谷の外れで、渋谷の次の駅で栄えていたのは品川駅であったが、光陰矢のごとし、すっかり景色が変わってしまった。いまの恵比寿駅前はガチャガチャしてひどすぎる。変な雑誌が、大人のオシャレスポット、恵比寿中目黒とか、ちょっと雑誌のページをめくると、絶対オレは行かない店ばかりがのっていて、まあ良いんだけど、騒がしくしないでね。住んでる人もたくさんいますから。 しかし変わってしまったなあ。このあたり。だが今日は台風で余計な汚れが吹き飛ばされた東京の空が中々ステキであり、これから赴くポーランド大使館での私なりにアタマでこさえた絵図も、更にはっきりとしたかたちを作ってゆくようで不思議である。この高層ビル、代官山アドレスも元は同潤会アパートのような文化住宅であり、それがいつだったか取り壊されて、私の住環境ががらりと変わってしまった。 とにかく恵比寿駅方面に歩く。東京の土地の上に軽井沢の空がのったがごとくの快晴で、恐ろしいほど美しい雲が散見された。 恵比寿駅からポーランド大使館に向かう道すがら、太陽が直に私を照らす。オレはカミュだ。 じりじりとした太陽光線が私のアタマの中の絵図が縮小してしまうような感覚が心地よかった。しかしその絵図自体が本当に上の写真のような太陽光線でなくなってしまえば、ただの子供の使いになってしまう。 心してかからねば、来年の音楽活動の希望でもある。少なくとも来年までは生きようと思えることは逃したくはない。 恵比寿駅に行く途中、友人のアメリカ人トーマスと久しぶりに出会う。もうビールなどを若い日本人女性をナンパしながら昼飲みしている。まあ、基本的に、風来坊の似たもの同士だ。 恵比寿アメリカ橋を真っ直ぐ行った辺りのビルが取り壊されてい、また風景が変わるのであろう。だがおかげで空の青さを堪能できた。ポーランド大使館に差しかかったところで大煙突と太陽が妙な皆既日蝕状態であったので写真に収める。空の青さが南カリフォルニアのようであった。 。 ポーランド語でこんにちはを、Dzień dobry(ジェンドブリ)という。ポーランド人はポーランド語で挨拶されるととても喜ぶということを、まあ、どこの国でもそうだろうけれど、情報を得ていたので、大使館に約束の時間20分前に到着、早速インターフォンを押し、ジェンドブリと挨拶すると、ビーといって扉が開いた。玄関の番人が満面の笑顔で迎えてくれた。アメリカ大使館に行くと、こういう入り口に海兵隊が立っていて、入り口で訪問者を睨んでる。そしてナニやら紙に名前と書けとかうるさい。こことはなんたる違いであろうか。 、 そしてこれが、入り口内部の客間である。大使館とは、その土地内は、たとえばこの上の三枚の写真の空間はポーランド国である。ヨーロッパ、センス良いなあ。ボクは灰汁抜けないものがイヤなので、ここはひじょうに心地イイ。文化担当者とは流石に写真は撮れなかったが、私の描いた絵図と、話した内容、得た情報やベネフィットは八勝六敗、まあ、色川武大氏的に言うと上出来の、しかも私が、日本語堪能ポーランド人と楽しく会話をしすぎて、かなりの長居をしてしまった。マンガとかあいう子供向けのもののみならず、歴史的のポーランドは親日国であることを様々な話から察することができた。なんでニホン政府は芸術の分野にヨーロッパの国々のようにお金出さないのだろうか。GDP世界三位ってなんだ? まあ、掃除夫で大使館に雇ってもらって、ここ住めないかな。ホールにはスゴいグランドピアノもある。 アメリカ橋方面から恵比寿経由で家の近くまで歩いて帰る。こういうのセルフィーって言うのですか。SELF FEEオレの値段はイクラだ? 自動販売機で水を買い、代官山駅前でそこらに適当に腰をかけ一休み。秋が身体に染み渡る。なんて言ってるとすぐ冬支度だ。スマとフォーンを少し見たがニュースは見ない。どうせ選挙結果などゴミクズだろう。 文化担当者に名刺を渡した時点で、ちょうど名刺がなくなる。文具買い換えなければならず、、スニーカーぶっ壊れて、世話になった人にメシを奢らざるを得ないという経済危機中に、こういう事は連続して起きてしまう。ケセラ〜セラ まあ、駅前で一休みした後 渋谷に名刺を刷りに行く。今回は前回とデザインを変えることとす。名刺なんて興味を持たない人は見ないし使わないし、オレにホントに興味がある人は名刺など必要なく仕事仲間になったり、何かの集まりの時の、ワケ分かんない役職確認するときだけ有効なカードなんだけど、自由な槍でもカードは作れる。ないより有った方が良いし。 最近とみに、これが渋谷かよ、と思うこと多し。雑居ビルにまだスナックなど残ってるが、こういう建物も、いずれはぶちこわし、未来型の、おきまりの、ガラス張りの味も素っ気も無い、国民みんな健康で〜すみたいなビルが建つ事となろう。池袋とどこが違うのか。双方違いがあって、東京という都市としての面白みが出るのではないのだろうか。どんなに街をキレイにし、整備したって吹きだまりはできる。全員優等生のクラスなんて有り得ない。同じ事で、全員が卒業後に変な同じスーツ着て会社員になるわけではないし、街に中にいても行き場のない奴は出てくる。うろうろしてると、ちょっと坊や、なんて最初は優しい感じの小父さんに声をかけられ、気が付いたらその人の運転手なんかしてて、対暴法なんて法律作っても地下に潜るだけだ。そうじゃなきゃ、ホントの平壌みたいに、というか平壌なんてアンダーグラウンドだらけだと思うけどね。悪いが渋谷はもう見限った。用事がない限りもうさよならだ。 渋谷から我が町方面に戻り、酒はもう飲まないから、駅出口すぐのBAL HARAでジンジャーエール飲んで、外を眺める。もう日は暮れている。なぜ億ション買える奴が灯りに蛍光灯使ってんだろう。間接照明とか、キャンドルとか、工夫せいよ。私がご幼少の頃お過ごし遊ばした公団団地と変わらないじゃないの。 何考えてんだ。では皆様ごきげんよう。 >>>
辞書で調べると、自由契約で働く作家、写真家などだって。自由契約?自由であれば契約はいらないのではないかな。ちなみにlanceのみを調べると槍の意味らしい。槍なんてボストンでもNYでも使わなかったし買わなかったから、知らない単語でありました。自由な槍、誰が考えたのかなこの言葉。 なんでいきなりフリーランスだ何だいっているかと申しますと、最近朝4時半くらいに目が覚めるのです。歳とると早朝に目が覚める様に成るとは聞いていましたが、五十代後半にして12時半過ぎに眠剤のんで寝た後この時間に目が醒めているようであれば、万が一、億が一七十代まで生きちゃってホンモノのジジイになったら眠剤ボリボリ齧って夜9時くらいに寝て午前一時頃目が覚めて、ヨメが横で寝てるなんて、地獄だろうなあ。どうやって死のうかしか頭に浮かばないでしょう。ふつうは。どっか身体痛くなってるだろうし、良く行く病院の医者は、八十過ぎてバリバリ働く為に運動の仕方を教ましょう、とかいいますが、冗談じゃネエ。だいたい七十歳も過ぎて明るい希望と未来に向かって、なんて考えてるジジイはどこか脳がオカシイか天才かのどっちかですよ。どうやって病院滞在日数、医療費を最小限にし、まわりに迷惑をかけずにくたばるか、そこの最後の哲学的ソフトランディングを考えるのがジジイの努めでしょ。そんな朝一時に目が覚めて横でヨメがグーグー寝てたら、そーっとベッドから這い出してカウチに寝転がって、その時アタマに去来する事柄は、どうくたばるか、しかまともな人であれば考えられないでしょう。さあ、これからいいナオンがんがんナンパしてやりまくるぞ、なんてジジイ危険だよな、逆に。これからがんがん儲けて派手に遊ぶぞう、なんて考えてるジジイは相当な俗物。 ああ、いつまで続くんだろうこの人生、明日死んでも一年後死んでも、まあ、宇宙的な目とまでは言わない。大気圏で充分だ。そのくらいの高さから地上をナガムれば、大した違いなどありはしない。それ以外の存在意義に関する根本的発想がジジイに残ってるのだろうか。とにかく、どうあれくたばるしかもう既に選びようがない状況で、死にたくねえダ、ああじゃラコウじゃら医者とか家族の前で醜態だけはさらしたくない。まあ周りにそういう人がいなければごねることもできないんだろうけどね。医者もそこんとこ分かってもらえないかな。つまり、イイクスリがありますよ、なんて言いつつ、強力なモルヒネを注射してくれるとか。そして、あ、と心臓が止まる。いいねえ。粋な死に方だ。どちらにせよむごたらしくは無い。 人の命は地球より重いと言った昭和のバカな政治家がいたが、これから地球の人口が80億だ90億だ言ってるンだから、何十億京トンをこの地球様が我々クズ人間を支えなければ成らないわけで、所詮無理だし、倫理的に命は重量ではないでしょう。オランダ、ベルギーも含まれたかな、医師に先は長くない、痛みにもだえ苦しむこと必定の病と判断された患者は、眠るように死ねる注射を打ってこの世に自らの意志でおさらばできるシステムを導入したわけで、これが本当に人権というものが分かっている国家、組織、市民、市井の人、一人一人個人が真の意味で尊重される社会だからこそできる技だろうと思います。十代二十代でくたばるのはむごいが、ある程度歳を重ねて、子供孫に借金を残さず、また逆に一文無しになってしまったら、合法的死を選ぶシステムがあってしかるべきだと思うな。これは法的にも自らの意志ならば殺人には当たらないと思う。耶蘇教の人々は反対するんだろうけど、オレが本当に困ったとき、一番冷たいアドヴァイスをしたのは耶蘇教のカタタチだったな。貴方は神様に生かされている。祈りなさい、だって。バカいってんじゃねえ。念仏唱えてメシ喰えるか。オレは神様の携帯番号が知りたい。聞きたいことが沢山あるからね。 ヘヴィースモーカーの牧師をアメリカで見たときは笑った。自殺を禁ずるあっちの坊主が緩慢なる自殺を自ら実行しているんだから。だいたい人命がそこまで「大切」なら、一言で神様があーじゃコーじゃいってる奴がその理由を示してくれないかな。そして世界中の武器、核爆弾、地雷、戦車、戦闘機、機関銃とか戦争、殺人、全部無くなるような教義ひねり出してみなって。現実はそうじゃ無いんだから。そんで酒もタバコもこの世から全部無くして、寿命というものを全うしなければならない根本理由を説明して欲しいです。誰か分かりませんが。そういう彼、カノジョには耳を貸してもいい。あくまでも聞くのみで言われたことは実行しないかも知れないけどね。 とにかくニホンもこのシステムを導入すれば良いんじゃないかな。どうあれGDP世界三位で年間三万人以上自殺してるってどうなの。後片付けのこと考えたら、○×総合病院、落命科、絶死科、必死科、どういう命名でもいいんだけど、病院医者も絶命機関を設置すれば良いのに。その人の念書とサイン、後々残された家族が困らない遺書があることが条件で、それがそろえばすっと注射してもらってふっと気がとおくなったら、ハイおしまい。そういう所があれば、そういう科目が病院にあるというだけで逆に救われる人もいるのではないかと思う。病院関係者の方々へ、これ儲かると思うよ。やんなよ、儲けることだけの世の中でしょう? ま、オレはそこらへんの所を、逆縁にだけは成らないように、つまり親孝行してないからこれだけは約束するから惚けるなとオフクロに言い聞かせているのですが、息子として親より先に死なないだけで勘弁してくれという意味です。その後に、ある程度、自らの生き死にをうまくコントロールしたいんだが、やはり運の良い死に方と悪い死に方があるなあ。どんないい人でも悪い人でも、そこのバランスは選べないみたいで、本当に不条理だな。なんで生まれてくるんだろう。 しかもどっかの医者みたいに百歳過ぎて現役とか、そんな大人が増えれば増えるほど若いもんがワリ喰って仕事もそれこさ希望もなく世の中彷徨わなくちゃ成らなくなるんだから、かといってジジイのホームレスも扱いに困るから、ウマいことソフトランディング考えないとなあ、と思っている五十代後半です。無神論者云々も、たとえばヨーロッパのように、社会の礎、人間関係、全てがキリスト教によって出来上がった歴史背景を持った世界に生まれ育つからこそ、それを逆にキッパリと拒否できる、つまり私は神は信じませんとはっきり表明できるわけで、ニホンみたいに、ハローウインは真似るは(アレは何だか悪魔教のマネでしょ)クリスマスにカノジョとテルホ行ってコンドーム一個じゃ足らないとか、正月に、似合いもしない着物着ておめでとうとか言って明治神宮の人混みに揉まれてまで、わざわざ少額ながら身銭投げ込んだり、こんなワケ分からない国で無神論という概念自体が成り立つはずはないし、あとは山本七平氏の「空気の研究」その他の著書を読めば、オレら気付かないうちにニホン教信者なんだからさ、日本語喋っている時点で、この島国の人の脳の機能は他の全世界の人と仕組が違うことも証明されていて(日本人の脳、という本を皆で読もう)もうこれで充分でしょう。 そんで四時半に起きてションベンしたあとやる事無いから仕事のメールとか、いろいろアイデアメモったり、TO DOリストなんてワケ分かんないもんは使わないけど、やらなきゃ成らないことノートに書き込んでいるので、そこに目を通して、その事柄が一歩先にすすんだら、たとえば、HAVE TO MAIL →MAILED→GOT ANSWERなんて書かないと同時にたくさんの事やってるから、忘れちゃうんだなあ細かいことを。だからメモをいちいち書いているんだけど、ヨケイな、つまりいずれくたばるとか、生老病死とか、或る意味クソの役にも立たないのに生きているという事実自体を忘れるコトができるんだよなあ。やること、があると。人間はそれ以外、ちょっと猿より変に自意識の強い哺乳類ってだけな気がしてしょうがない。すばらしい芸術も、人類の歴史に散見されるけれど、90%以上は戦争、殺戮、人種差別、肉体的精神的痛み、苦しみとの戦いのみで我々の歴史はできていて、そこに気付かずスゴく明るい人って感性がナニも無いんじゃないかなあ。 あ、天才とキチガイは別ね。 仏教も欲を捨てろっていうけど、仏陀は自分の悟りを他人に教えたいという欲があるわけだから、何だかよく分からない。 まあね、音楽をなんでやってるいるのかと深く自己の内面を問い続ければ、究極的に答えに窮するけれど、たとえば、絶頂期のマイルス・デイヴィスに10兆円あげるから演奏するの止めて、って言える奴がいたとして、マイルスに言ったら、奴はどうしたろうか。止めるかな。10兆円あれば、宝くじ当選者の七割が人生ボロカスになるというけど、南仏に別荘買って、本当に作りたい音楽をじっくり作るというのもありかなあとも思うし。別にもうお客が来る来ないとか、ツアー中、ガス代が意外にかかるナこのばかレンタカーとかそういう発想は少なくとも無くなるわけだ。要するに音楽やってたって、或る時代に凄く受けた音楽も百年後には誰も覚えてなかったり、リヴァイバルもなし、全ての人が忘れ去るというものと、その音楽家が死んで50年後100年後にもの凄く再評価され脚光を浴びる場合もあるし、そのどちらにもひっかからずに、タダそこらでバンドマンとして、まあ好きなことやって死ねて良かったね、で終わる人が大半なんだから、まあそういう意味で、究極的な答えに窮するわけです。それで、ここで芸術に関わっているくせに10兆が云々、やはりカネのことしかオマエはアタマに無いのかあ、とかいう方は、進んでオレのスポンサー、パトローネスになって下さいね。逆に芸術に出費する喜びを教えて差し上げます。 また、無名より有名の方が得な時もあるけれど、有名だからってイイ音楽やってるかというとそうで無い場合も多々あるし、無名でも、あ、という感動的音を出す音楽家も極わずかながら私は聴いたことがあります。 で、なんでこんな文章を書いているかというと、これら脳内に浮き出る言葉をコウして外に書き出してないと本当に狂いそうになってくるからで、既にもう狂っていることは分かっていますが、あれだけ好きだった酒煙草を止めて脳が50時代後半にして中坊と同じ状態に逆戻りしてしまったのです。この状態を私は自ら、Natural High schoolと呼んでいて、Junior highから、こんどNatural High Schoolに自ら入学入脳するのでやんす。そして次には、学費のかからぬ,Natural Highversity に入学し、卒業と同時にコロっと死ねたら本望です。人様にこの様な文章をさらす意味を問われれば、貴方はなぜ生きているのかという実存内容証明書を私に送付後、訊ねて下さいね。 さて、ジャズやってるからって狂ってるというのは偏見です。もう時効だしウイキに出てたからコピーして載せます。こいつクラシックのくせにパーカーよりデタラメだ。 ニコラ=シャルル・ボクサ 移動先: 案内、 検索 ボクサ、1842年 ポータル クラシック音楽 ロベール・ニコラ=シャルル・ボクサ(Robert Nicolas-Charles Bochsa, 1789年8月9日 – 1856年1月6日)は、19世紀フランスの作曲家・ハープ奏者。波瀾万丈の生涯を送り、世界各地を転々とした。 生涯[編集] 1789年にモンメディで生まれる。神童ハープ奏者として活躍した後、1813年にナポレオン1世の宮廷楽団のハープ奏者に任命され、オペラの作曲に着手する。しかしながら1817年、通貨偽造や結婚詐欺(または重婚)、文書偽造への連坐により、告訴を免れるためにイングランドに逃亡。欠席裁判によって懲役刑が課された。 フランス法から無事に逃れてロンドンに上陸、1821年に王立音楽アカデミー開設に協力して学長を務めるが、1826年に前歴が発覚したため、辞職せざるを得なくなる。その後はロンドン王立劇場の音楽監督に就任している。 1839年に再びスキャンダルに関与、今度はオペラ作曲家ヘンリー・ビショップの夫人でオペラ歌手アンナ・リヴィエラと駆け落ちして、海外に逃亡したのである。ふたりは(フランス以外の)ヨーロッパやアメリカ合衆国で演奏活動を行い、1855年12月にゴールドラッシュに沸くシドニーに上陸した。しかし、オーストラリアでは1回しか演奏旅行を行うことができなかった。シドニーでボクサが急死したからである。アンナ・ビショップはシドニーのキャンパーダウン墓地に、彫刻をあしらったボクサの墓碑銘を贈っている。 … >>>
Blogは毎日更新していないと意味がないのかも知れませんが、まずは主語をどうするかということから、自分なりの疑問を自分に投げかけ、逡巡している隙に月日が経ってしまいます。英語のみならず他の言語でも「わたし」すなわち「I」は日本語のように多様ではありません。IchとかJu、Jeg(デンマーク語)とか、一個なんだな、我を表す言葉は。 だから話が飛ぶようで飛ばないのですが、漱石がI love Youを「月がとても綺麗ですね」と訳したのは有名な話で、つまり日本語は、特殊な言語なのです。「日本人の脳」角田忠信著、コレは全ニホン人が読むべき本ですが、つまり日本語話者である我々の右脳左脳とオノマトペについて書いてあります。 とにかくIamのIである、私、(ワタシ、ワタクシ)僕、俺、アッシ、麻呂、あたい、オれっち、あっし、 あちき、挙げていけばきりがありません。明鏡止水という言葉がありますが、その時々、状況により、相手に不快な思いをさせずにこちらの意志をさらりと伝えることが、日本語のみならず、言語、口頭による情報交換の根幹な筈なのです。そのための丁寧語、敬語なのではないでしょうか。また敬語といっても、本当にちゃんと使えている人はごくまれです。更にいえば、何%のニホン人が本当の儒教を真剣に学んだことがあるのか。 この話は置いておいて、日本語の場合、主語を入れ替えるだけでとんでもねえコトになる一例を挙げましょう。 「拝啓、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。つきましては、以前オレがそちらに提出致しました、オれっちの資料の内容はキサマにとってはいかがだったでしょうか」 草々(ハッパハッパ) などという仕事の文章を書いたら、あ、こいつキチガイだな、とすぐ思われること必定でしょう。日本語は全てをムチャクチャにしようと思ったら主語を入れ替えるだけで、丁寧語、敬語もぶっ飛んでしまうのです。 また、お疲れ様でした、これを英語に訳すのもとにかく不可能ではないかと思っています。僕は、You must be tired 、have a nice dayでもう良いのではないかと常々感じていますが、だいたい日本語というのは奇妙な言語で、たとえば極端な話ですが、小塚礼という名前の方がいらっしゃると仮定すると、話がややこしくシュールレアリスティックになってきます。 「課長、今の方はどなただったのですか」 「ああ君、小塚礼様です」 何かアタマの中でネジがピンピン飛ぶ感じですよね。 まあ、blogというのは、ですから、だから、だっからよう、オレのようなミュージシャンの場合、普段喋っているように書きゃあいいんでい、てんでこの文体で仕事のメールを書く勇気はねえんだなコレが。しかし、漱石が候文を口語体で書いたから現代の文学の礎になったわけで、だからよう、オれっちのblogは好き勝手に書かせてもらいてえってコトなんだよう。こういうblogよくあるじゃん? や〜ん、たくさんのお客さんに聴きにきていただいて、ヒロシうれし−、とくにTさんからは花束なんかもらったりして、ヒロシ感激、、、あ、お店の人もとっても親切で、ヒロシの音楽をふか〜く理解してくれる優しい方、、、ウフフ、です。それでさらについついオイシイワインを頂いたりして、飲みすぎたり(汗、、、、、) こういう、ド白痴な、軽薄で下卑た、どアホウ文章よりましなんじゃないかと勝手に思っています。普段アタマの中に浮かぶ言葉、思いをそのまま書いちまった方が、もっとMUSICの内容もぶっ飛べるんじゃないだろうか。少なくともチーハクよりはマシなんじゃないか。このblogという、一億総エセ評論家の時代に、新しい、何かの論評、新しいエッセイの表現形態など、もう現れてもビジネスとして機能しないでしょう。別に書いた文章が売れなくたって、なんとかブログサイトの上位に行けばスポンサー付くんですから。(あ、あ、汗、、、)とか書いてるのでも良いんだから。 世も末ですよ。しかもこのSNS の世界、日本語の分かる方ならば、世界中に私、またはオレの文章が回覧されるワケで、追々、我々の分野では、演奏後記などという以前のたおやかなる文章表現は姿を既に消しています。残ってんのは、残酷熾烈な、人目を気にした、どっかで手もみをして、えへへ、マイドありの、奴隷根性むき出しの文体ばかりがネットのいわゆるblogの中に目に付きはびこり、オレはそういうのを読むことに辟易としている。いずれにせよblogなのだから、オレの他人には語りたくも書きたくもない私生活を織り交ぜ、オれっちの音楽活動をオホホザーマス文体で書くのが妥当なのでしょうが、一文にもならないこの文章、ブログかブサイクか誰が名付けたのかよく分かりませんが、オレはオレの書きたい言葉で、その瞬間思い浮かんだ感情を、この場でだけは好き勝手に書かせてもらいたいのです。自分のサイトなんだし、読みたくない奴は読まなきゃ良いだけの話で、だから好き勝手に書こうっと。 私生活云々言っておきながら、昨日の「私生活」を開陳しますると、妻が出張のため朝5時に目覚ましが鳴りたたき起こされ、その勢いで外に飛び出し強歩一時間半、汗だくになったのでシャワーを浴びて、パンツ一丁にて作曲、指の練習をピアノに向かって一心不乱でこなし、しかしそういうときに限って無視できない電話などかかってきて、またその内容が、不本意なる反故、土壇場の、それはねえだろうキャンセル、あんたがそこまで言うんだったら、オレだってケツまくっちゃうよサイン出し、とにかく曲作りに集中させてくれ、と云いたくなるような内容ばかりで、昨日の生徒さんは話が分かる方であったので良かったのですが、やはり生徒にもピンぼけはいて、「では右手で弾いて頂けますか」とオレが丁寧語で言っているのに、左手で弾き始めたり、こういう方は私より良い大学を出てちゃんとお勤めをしている方なのですが、こっちが汗だくで一番面倒くさい基礎のことなどを懸命に教えた後、帰りぎわに月謝を下さいといったら、そうですよね、こういう事ってお金のかかることナンですよね、次回のレッスンに持ってくるのはダメですか、、、、、こんな生徒本当はその場でおもっクソ蹴り倒して、舐めてんじゃねえよう、テメーのやってることは無銭飲食万引きとかわらねえんだぞこの野郎(あとアウトレイジ語)という言う常識をなぜオレが教えなければいけないのかというオレンジレンマ色の不条理に身を浸すのはもうオレはイヤなんだ。 あのね、オレはちゃんと教えるんだよ。スケールから。その成り立ち、TRIAD の大切さから教えますよ。それでだ、CHORD NAMEは和製英語なんだよ、正確にはCHORD SYMBOLSで、ON BEAT,OFF BEATじゃなくてUP BEAT,,,,,フォービートなんて誰が言いだしたんだよバカタレが。SWINGだろうが。 いちいち正確に教えるの大変なのに教えてるんだよ、本当の基礎を。だから話が戻るけど、教えることにエネルギーをたくさん使っているので、ああ、では次回レッスン代を持ってきてくださいね、と溜息交じりにカネのことを言うしかないとき、オレは心底疲弊するんだよ。 もしワタクシが習いごとを始めるのであれば、習う場所の10分前には到着し、5分前に師匠、先生に電話をかけ、行って良いか確認の上、玄関にてご挨拶のち、封筒に入れた規定の額のピン札を、「よろしくおねがします」という言葉とともに頭を下げながら両手で先生に渡しますが、別段オレの生徒全てにそれを求めているわけではないし、ヘンな道徳の先生みたいになりたくもない。オレはその人を観察してるんだ。あ、こいつは人にカネ払わないで、なんか習って平気なんだ、普段どんな生活してるのかなあとか。不思議なもので気に障らない人は触らないし、気に触る奴は気に触る。これはオレの修行が足らないからなのか。 否、そういう奴は、趣味で習う、プロ志向を問わず、音楽を舐めてる奴が多い、ということが長年教えてきて分かったことだ。そういう奴はどうなろうが知ったこっちゃないから、そういう音楽を舐めてる奴に、音楽を舐めんなとは言わない。 音楽を舐めてる奴はこんなものいずれすぐ簡単にお手軽に弾けるようになるとたかをくくってる奴だ。あとはただの常識のないカーバ。 で夕方の打ち合わせがいきなりキャンセルになり、もう全てがイヤになったので、蔦谷に映画を借りに行きました。酒もタバコもやめちゃうと行くところ無いんですよ。というかいままで遊びすぎましたね。女遊びもね、なんかかんか有って、、、、 それで借りようと思ったのが、もちろんいままで見たことない映画、ネットフリックスにはない映画、これからの男のファッションを磨ける、つまり衣装が良さそうな映画と的を搾り、、、 1ある殺し屋 市川雷蔵 主演 1967年 2大いなる眠り Robert Mitchum 主演 1978年 3 帰らざる川 Marilyn Monroe Robert Mitchum 1954年 市川雷蔵は眠狂四郎のイメージが強いが、あの中性的なのに声の野太い、あまりにも優男なのに決して笑わない、雷蔵の現代劇が見たかった。彼の立ち振る舞い、服装、昭和の風景も見たかった。成田三樹夫がでてた。いいジャンこの映画。 ミッチャムは言わずと知れたタッパのある、彼ほどトレンチコートの似合うオトコはいなかろう的背丈と胸厚な、静かなる威を振るう、眠そうな目のおっかないオトコで、またハットが似あうんだなあコレが。連続してみましたが、雷蔵負けてない。ということはオレにもちょっとはチャンスはあるってワケか、、、、 意外とミッチャムより雷蔵の方がかっこよかった。タバコ止めちゃったけど、たばこすうとこかっこいいーー、かっけーー!!雷蔵。「色の道を仕事にダブらせる奴は、、信用しないんでね」 かっっけーーセリフ、いつかオレも言ってみたい。もうsmapやら小栗ナンタラみたいなユデ卵みたいな男はダメだな。雷蔵は影があるが暗くはない。本物のスターだ。ミッチャムの方、帰らざる川、いきなり斧で木をスカンスカンと切り倒してから颯爽と馬に乗るシーンから映画が始まるんだけど、カッケー!ワチキだったら木を切った時点で休憩入れなきゃ先すすまないと思う。西部男は強い。 やはり狙うは雷蔵ロセンかな、眠くなってきた。おしまい。… >>>
本日は「素」の休日とでも呼びたいほどの、朝から妙にしんと静かな一日で、世間は相変わらず騒がしいけれど、しなければいけないことが一段落した先の、後は各方面から答えを待つのみという頭の回転と様々な進行状況が膠着するという日であり、自分が「素」に戻れる貴重な一日であった。 幸いにも本日は晴れ渡り、四月中旬より何故か肌寒くはあるけれど、身軽な私にはその空気がとても心地よく、散歩する街々の表情もひじょうに澄み渡って見える。こんな日には新しいスケールの練習でもとも思うが、本日は楽器の演習も休むことにし、Sound cloudなる新しいメディアにも、何やらちょっかいを出しているのだが、今ひとつ使い方と用途が分からない。更に最近始めたInstagramも,何をどう宣伝で使って良いものやら、まずは使いあぐねているというのが現状だろう。FBやtwitterのみでは追いつかぬ世になってきたようだ。 朝、規定の散歩から帰り、部屋を掃除し、軽く瞑想をしてから自分の時間をゆっくりと過ごすこととする。明日は下北沢Apolloにて斉藤#社長#良一Gトリオでの演奏である。明日(もう今日になってしまった)のみならず作曲ももっと頻繁に毎日続けなければいけないのだが、ある意味神は人間を自らに対する完全なる奴隷としておつくりにはならなかったのではないかと最近思う。つまり、観点を変えて言えばどんな奴隷にも余暇は有ったはずで、そうでなければブルーズも育たなかったろうし、イソップ童話に出てくる人物達も、あのような物語を創造するヒマさえなかったであろう。 さて話は飛ぶが、ジャズは難しいといわれて久しい。では簡単な芸事とは何でどのような形態のものを指すのだろうか。例として、歌舞伎観劇こそ芝居にかよってかよってかよいとおした者しか分からぬ面白みと、他の演者との差異を楽しめる最も粋な道楽の一つと言えよう。落語も映画もまたしかりである。しかるに音楽は、クラシック、ジャズ、ロックとジャンル分けが過ぎるきらいがあるが、同じ事が言える部分と、私の祖母さえ感動させうる何かしらの力を音楽自体は有している。一歩思考を深めると、音楽の場合は、その演奏に対して何の先入観、予備知識がなくとも、直接サウンドとして人間の胸中に響くからこそ、そこに大いなる神秘を聞き手は直感できる。 「ジャズ」が難しい、のであれば、それは聴く体勢がすでにナマ音として胸中に響く空気の振動を拒否している、または、難しいから聴かないという先入観が邪魔をしている時もあるのでしょう。芝居等はその物語、時代背景、作者の生きた時代等知ることにより更に解釈は広がり、より観劇の醍醐味を味わうことの助けになる。音楽にもジャンルを超えて同じことが言えるが、歌曲、歌詞を伴うものを抜かして、音楽そのものがサウンドで出来ている以上、芝居、歌舞伎、落語等ほど観賞に際して要求される基礎知識を必要とせず楽しめる要素は音楽の方が他に勝ると思う。何しろ私が始めてジャズという音楽を聴いたとき、何の予備知識もその歴史さえ知らなかった。多くの人に良い音楽を聴くきっかけさえめぐって来る回数がもっと増えればと願う。 音楽の理論さえ、天才の掟破りによって構築されたものの集大成であるし、一言でジャズと言っても、斯界の中でさえ、コレはジャズではない、コレこそジャズだと、謎の喧々諤々が繰り広げられているのであるから、なにも「難しそう」だからと言って恐れることもない。音楽に限らず芸事は最終的に好き嫌いに行き着くと私は思っているが、まずはあらゆる芸術形態に触れる時と同じく、ジャズってこうだという先入観をもみほぐしてから生演奏を聴く機会を持ってもらえればと思う。 人は社会的動物と充分分かりつつ、本日は誰とも口をきかなかった。唯々以上のようなことをつらつら考えながら歩き通した。 >>>