ブログ

不定期でも書かなければならないのだろう。なアンダくだらん。大方のブログは絵文字とか段を大幅に明けてとか、また極端に真逆のものは、ミュージシャンに関係するブログで、小難しい音楽理論を譜面と共に開陳し、さあ、このフレーズを弾けるようになれば、君もジョン・スコフィールド等々、笑かすな。 少し古い言葉で言えば畳の上の水練に同じ。つまり空手の本を百冊読んでも、空手黒帯には決してならない。ある意味罪作りな「ぶろぐ」がめだつ。こう書いてしまえば私は何を書けば良いのか。そういう私も誰かピアノを習いに来てくれれば嬉しい。やはりブログと実際面と向かって何事かを教授する事との違いに、教わる側は大きなズレがあることを実感してもらうしかなかろう。理論書だって今流行りのAIが書いたものではない。どこかに書き損ね、漏れがあってしかるべきで、更にその理論書に書いてある教わったことをそのままステージで演奏すると思ったほど効果が無いばかりか、共演者からコバカにされるものも散見される。油断してはならない。 また、皮肉なことにすばらしい演奏家が100%が教え上手ではないことも事実で、怒りの沸騰点がやたら低い御仁もいる事をお忘れ無く。別段私のことを良く書こうとしているのではないが、クラシックピアノに先生にその手の御仁が多く、私も若い頃大変に嫌な思いをした。だから私がピアノを教えることを決めたときに決心した事はただ二つのみ。すぐにイライラしてキーキーど怒鳴らない。赤鉛筆で「ここはForteといったでしょ!」とか、とにかく音楽とはまったく関係ないことで生徒に嫌な思いをさせない。この二項目のみである。 だいたいジャズも含めて、クラシックもeducational musicになって随分経つが、いまだ、オマエ、フランス人かよ!オマエ、ドイツ人かよ!だいたいモーツアルトやベーさんはドイツ人ではない。ドイツ語は話していたと思うが、ジャズも含めそれを日本語で教える齟齬を感じつつ、巨匠がアーダラコーダライってったことは参考で沢山だ。歌舞伎も江戸時代、百眼ロウソクで演じていたそうな。だから今の歌舞伎は円日の動きが速い。これも電気のおかげだが、モーツアルトの時代だってロウソクの灯りでで譜面見てたろう。テンポが今より遅かったのではないか。 彼が生まれたのは、現在のオーストリア、ザルツブルグ、当時は神聖ローマ帝国の一部だったという。国名に「神聖」とついく土地柄とはどんなところだったんでしょう。ベートーベンも、神聖ローマ帝国ケルン大司教領に生まれたとある。この二人、少なくともGermanではない。神聖東京都領小池百合子世田谷区なんて想像さえつかないし、耶蘇教を信じない日本人がそんな名前を役所に行くときの記名が面倒だで終わりだろう。 それでもアメリカで教わってきたことには少なからず天にも通づる真実があって、それ教えると言うより分かち合いたいというのが私の願はあります。だけど生徒さんには強制はしません。赤鉛筆も持ってないよ。 だいたい「南」なんて苗字さえ怪しいぞ。中国に演奏で行ったとき、少数ながら同じ苗字を有する人が居ることを聞いた。韓国人からも「ナム」という苗字が存在することを聞いた。DNAをたどれば大して変わらないんじゃないの?私は東京生まれ育ちですが父親が関西でしたから、奈良とか、帰化人、ニホンに文明をもたらした中国人と遠い親戚で無いと誰が言えましょうか。 まあ、どうでも良いんだけどね。なまえなんて。南 博、二文字で区役所等名前書くとき面倒でなく良いですよ。そんなもんです。良く演奏しているベーシスト金森君は高校時代をアメリカで過ごしたそうで、日本に帰ってきてから色々苦労したそうです。先輩後輩、上下関係、その他諸々。頭の良い奴ですから斯界をうまく泳いでいるようで心配はしていませんが、たまにこのニホン特有の上下関係の話になります。だって我々儒教を骨の髄から学んでいないのに、小学校の頃から先輩後輩の上下関係がなぜか存在し、最近はパイセンと呼ぶらしいですね。パイセン、そこには尊敬憧憬が本当に含まれているか疑問です。あ、眠剤効いてきたからねます。 >>>

7月のブログ 続き

しかし今日も暑すぎる。カタギの方々が道路や道でせっせと働いているのを見るに付け、本当に頭の下がるおもいである。しかも中には、笑顔で額の汗をぬぐいながら働いていらっしゃる方もおられる。笑顔が幸運を呼ぶとよく言われるが、まあそのせいで私には難儀なことしか降りかからないのであろうが、とにかく、7,8月はこのニホンもアジアなんだから全て休みにしたらどうなのか。病院の救急病棟も休みでよろしい。「主人がねえ、真夏に急に吐血して病院にも行けずそのまま、、」「まあ、お気の毒」なんて全然ありで、警察も適当に仕事したいときだけしていれば良いのではないか。公園でわら人形を的に拳銃の腕を磨いたり、「え、泥棒、あのねえ、夏は捕まえるの二万、有罪まで三万、先ず即金で払って」なんていう社会でも良いのではないだろうか。どうせ警察も悪の巣窟である。それが表に出るだけだ。 働くことの意義は、世のため人のためになる、ということが表の意義だが、利潤追求、今年より来年儲けるゾ、というのがキャピタリズムである。また働かないとカネが無くなり、喰えなくなってしまう。しかし、私はなるべく早く死にたいのである。もう大方のことは充分見聞きしたから,後はあの世の仕組みでも早いとこ見聞させて欲しい。しかし飢え死ぬというのも大変らしく、太平洋戦争中、二週飲まず食わずだった兵隊に食事を与えたところ、腸管から出血してもだえ苦しみ死んだという。二週間も喰わないと、腸管が弱り、堅いものを喰うと破れやすくなるとのこと。とにかくうまく、衰弱死できぬモノか。 または、年間三万人も自殺者が出ているのだから、安楽死の法制を改定し、それこさ儲けたくてしょうがないクスリ会社に、スグシネール、アンラクーシ、スッコロリ、ホトケサーマ、クスリの名前なんて死ぬほど思いつく。飲んだらすぐ死ねる薬の販売を許可すべし。2万ぐらいで売ればよろしい。稼げるぞ〜〜。私ならすぐに買いに行って一瓶全部飲み下す。哲学的、人道的な説教をしたい奇特な方も中にもいらっしゃるのだろうが、畢竟早いか遅いかの違いしか無いともう答えは出ている。 生まれるのは我が意志ではないが、くたばり方ぐらい、選ばしてもらえないだろうか。後は、各駅前に簡易葬儀場をつくる。死にたいひとは、サラ金を借りるがごとくブースに入る。すると一瞬にして骨も残らぬ高熱で焼いてもらえる。費用は一万くらい。遺骨は残らない仕組みで、まあ充分でしょう。 新しい落語のネタが出来て良いんじゃないですかね。「おお、ちょっくら死んでくら」「ばかやろー、しくじるなよ」なんて会話で浮世にさよならも悪くない。 >>>

7月ブログ 続き

暑い。websiteのスケジュールやブログなんてまともに書く気ににもなれない。私が普通の勤め人だったら、ジャズライブ?音楽?芸術?何だそれ?そんなことの前に寝かせてくれ。くたびれた。疲れた、でしょう。これもまともに職のある方々の発想で、生きて行くのに精一杯のおしんのような少女がエラとアニタ・オデイの違いを真剣に論じる暇などありはしないだろうし、あれば有ったでソレはそれでどこか異常です。まあ、或る意味自分で決めた道ではあるのですが。というのも、子供なんか欲しくもないからつくらなかったのでガキの面倒を見る必要も無いし、とにかく私は小学生の頃から何もしたくは無かったのです。ちょっとした夢や希望を持った時期もありますが、海外に行き、その道の達人を肌身で感じた後、どこかしらけてしまい、まあいいや、ジャズっぽいこと、皆がしなさそうなことを演奏して、飢え死ぬ前にくたばることができれば、しめたモノです。 酒煙草を辞めると、仕事の無い夜は家に居てもしょうがないのですが、巷の飲み屋の選別に困る。まず居酒屋は、BGMを含め客の喋りというか怒鳴り声がうるさくて行く気にならない。少し気の利いたバーは必ずサッカーや野球を大きなテレビで映していて、スポーツオンチの私は廻りから変にみられる。見られても良いのですが、「入ったー!同点!」なんてアナウンサーが騒いでいるとやはりうるさくてしょうがない。だいたいどのチームが勝とうが負けようが私の精神的充足、なぜ人間に生まれたのか,とか、後死ぬまでに何をしたら良いのかという思考の、徹底的な邪魔になる。どこが勝とうが負けようが私の生活、精神的在り方にはまったく感知しないものであり、一芸にものすごく秀でている者がテレビに映っているのでしょうが、いくらカネもらってやってるの?庶民はそこで、もらいすぎだ!とか、あんなに儲けやがってとか考えず、唯々無邪気に喜怒哀楽を顔に出しているのが私には不思議でしょうがない。 どうしてヨーロッパのカフェやバーのような、こんなご時世だからこそ、政治、経済、芸術を論じる場が無いのであろうか。そしてそういう場において討論で無く、議論をするという術を身に付けることが今の我々ニホンジンの急務ではないのですかね。サッカーで点が入ったとか、盗塁に失敗したとか、そうでは無くもっと形而上的な事柄を論じられる場があまりにも少ない。悲しいですね。 時々不思議に思うのですが、ニホンジンの自我の在り方は一体どういう成り立ちをしているのでしょうか。個人主義や、一人のニホンジンという括りの前にある人間であるという自覚、誇りと同時に存在する諦観、それらのものがない交ぜになった自我というものの在り方。そういうことを夜の星でも眺めながら、スポーツや芸能ネタを抜いてゆっくりと語り合えるバーやカフェ、場所、仲間が欲しいですね。それが本当の豊かさではないのでしょうか。おまけに私は不眠症です。精神的に苦しむだけのみに生まれてきたのでしょう。何たることだ。 逆に考えて、私が野球選手だったら、最初の打席にたつチャンスがめぐってきたら、ゴロでも何でも撃って絶対三塁の方にダッシュするね。完全なバカだけど、野球史には永遠に残るし、誰も私のことを長い間忘れないだろう。三塁に走るのは少しの勇気のみで血のにじむような訓練はいらないはずである。引退後三塁ゴロのナンチャンなんて解説者の道も拓けるかも知れない。何で皆一塁に走るんだろう。アイデアねえなあ。 >>>

7月のブログ 書き直し 1

やはり手抜きはいけませんね。書きますよ、ブログを。しかし何でミュージシャンが文章を書かなければならないんでしょうね。身辺雑記と言ったって大してあっと驚くようなことは起きていません。テレビやFACE BOOKにのっている事件、ニュースが身の回りで起きているだけです。まあ、今日という日に限定すれば、菊地雅章氏が亡くなった日であるということでしょう。天才ピアニストでした。誰にもきこえていない芸術的なサウンドを現実に演奏していたのですが、これがミュージシャンの何の難しい理論もいらない、真のやるべき姿なのですが、意外とこれを実践している人が本当に居ない。きこえてきた音を音楽的に演奏するという当たり前の行いをしているミュージシャンが多すぎて、菊地さんはアタマにきてたでしょう。 ニホンは、特に近年、世界をひっくりかえすような何かを成し遂げる天才の出現しにくい国だということは、歴史が証明していますが、ピアニストで言えば、菊地雅章氏と菅野邦彦氏が真の天才でしたね。でしたねって、菅野さんはまだご存命です。 クラシックの分野は或る意味気取りとそれぞれの国を背負った政治的駆け引きの場でもありますが、ジャズはそういう所からも自由なので、何人がナニをやろうと、それが真実の音であれば,国籍を抜かして賞賛が集まりやすいスバらしいコンセプトなのですが、流行っていませんね。一般の人は多分一日馬車馬のように働いた後、真実の音をじっくり聴くより、ビール飲みながら適当に過ごす方が楽だもんね。でもそれを続けていると、なぜ生きているのか、とか、人間とは何かという根源的課題から距離ができ、言葉にならない虚無感に襲われることになります。正に現代が抱える病理が時を経るごとに何らかのかたちで心身を蝕むわけです。(続く) >>>

トーマス と ツアー (演奏旅行のこと)がおわりました

あ〜少しくたびれたかな ええっと、わかりやすいブログは漢字を少なくして 行間を空けて、キーワードをいれて、だれでも斜め読みできる文章が 良いんだよねえ (^_^)v(^_^)v  ぼくねえ、かおもじ大っ嫌いなんだけど、みんなが分かりやすいように沢山使うから 読んでね (^_^)v  (*^_^*)  (*^_^*) ヨーロッパという外国に、ポーランドという国があって 、そこで 音楽を録音して レコードをつくりました。こんな表紙です。 どんな音楽をやっているのかなあ、ってすこしはきょうみをもってくれる人には Z przyjemnością donosimy, że nasz najnowszy album Tomasz Dąbrowski Ad Hoc „NINJAZZ” dostępny jest w serwisach streamingowych! Pobierajcie, słuchajcie, a jeśli ktoś pragnie mieć w swoich zbiorach winyl, zapraszamy na http://store.for-tune.pl 😉 http://soundline.biz/TomaszDabrowskiAdHocNinjazz Hiroshi Minami, Tsuboi Hiroshi, Hiroki Chiba 私たちの最新アルバムは, 私たちの最新のアルバムを”ninjazz”がサービスで利用できることを非難することができます! ダウンロード, 聞いて, 誰かのコレクションにビニールを持っている人がいるなら, http://store.for-tune.plをご覧ください😉 http://soundline.biz/TomaszDabrowskiAdHocNinjazz… >>>

「パリス」駒草出版 サイン会 5月28日(月)明日だ!

明日28日は、拙書「パリス」のサイン会です。 駒草出版 http://www.komakusa-pub.jp 詳い時間等はチラシをご覧頂くとして、サインは演奏後にCDなどにしたことは何度もありますが、あ、手持ちのCDとチラシも持参します。元い、サインする事を主にした会というのは多分生まれて初めてで、私の父親がどういう理由か我が名を南博などという2文字にしてくれたことをこんなに感謝する事も初めてです。なにせ、もしも私の名前が例えば、南剛三郎だったら、拙書を購入頂いた方には感謝の気持ちしかありませんが、一冊々々に漢字四文字、しかも自覚が角張っており画数も格段に多い文字を、普段使い慣れていない太いペンで書かざるを得ず、お客様にサーヴィスするのはやぶさかではありませんが、サインが本の枠からはみ出してしまったり、字を間違えたり、文字の綺麗さ、筆跡の良し悪しが丸分かりとなること必須でしょう。本当に二文字で良かったです。オヤジ、ありがとう。博、なんて博士、博学なガキになれという父親の夢は木っ端微塵にしてしまったバンドマンの私ですが、ですからサインの欲しい方は明日お集まりください。ローマ字でも漢字でも平仮名でもサンスクリットは書けませんが、何でも書きます、サインします。話します。質問にも覚えている限り答えます。しかも一時間ほどですが一流どころのミュージシャンをそろえた演奏まであるのですから、 少なくとも部屋で鼻くそほじっているよりは楽しいですよ。ぜひいらして下さい。演奏は午後7:30頃に終わり、他のメンバーは夜別の場所に演奏に行く人も居ますが、私はピアノなどという重たい楽器をやっていなければ、楽器担いで、出奔、放浪、彷徨、行き当たりばったり、全て運任せ、何れ死ぬのだから早いも遅いもあまり関係ないと思っている輩でありますので、逆に言えば明日出奔するわけにはいかず、午後8時を過ぎてもタブローズの半地下でいつも通り挙動不審にて無意味に遅くまで徘徊しておりますので、お声がけ頂ければ、勿論サイン、本の話、内緒話、下世話な話、嘘だろそれっていう話、ペラペラと喋ります。あ、そう言えばよく訊かれるのですが、拙書の内容がどこまでフィクションでどこのあたりが創作かという質問を良くされるのですが、正直申しまして自分でもよく分からないのです。唯々面白い話を実体験に基づいて書いただけでして、しかも舞台は1991年当時のParisです。ユーロなんかありませんでしたし、フランス人は英語がきこえてくるだけで耳をふさぐような人達でした。あ、これ以上書くとネタバレかな。 これから拙書をお求めになる貴重な方、もう既に日本銀行券と交換した方、どなたでも本さえご呈示頂ければサインコサイン、何でもします。どうか聴きにサインを貰いに?なんか変な日本語だな、まあ良しとしよう。お集まり下さいませ。よろしくお願い申し上げます。 タブローズ/ Tableaux 〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町11−6 サンローゼ代官山B1 https://lounge.global-dining.info 公共交通機関でのアクセス ■東急東横線 代官山駅 … 徒歩3分 ■JR恵比寿駅西口より駒沢通りを中目黒方面に行って鎗ヶ崎交差点を右折、 次の猿楽町交差点も右折、直進し代官山駅入り口を超えた代官山アドレスの正面となります。 官山 B1F 電話: 03-5489-2201 >>>

ポーランド人トランペッターとツアー続報

新しいCD,ポーランドのレーベル、For Tuneから6月15日以降発売。ワルシャワ録音です。 http://store.for-tune.pl/home 人間は存在自体が何処か間が抜けており、産業革命時、いたいけな子供に極悪な労働環境を強い、一部の金持ちが儲かっていたのですが、現代とて、着ているもの、見た目の小ぎれいさを抜かせば、大して経済の本質は変わっていないでしょう。おカネを持っている人がその富を増やせる仕組みは一向に変わらず、世襲議員が幅をきかせ、一党独裁。世の中、特に日本がこんな惨状、つまり空襲もないのに、自らの国体の根幹を揺るがすことを平気の平左でバレルと知ってもやっていて、また報道もその国政を正しく報じず、しかもそれをやっている連中が税金でメシを食っている自覚があるのかないのか。 こんなんじゃ一日100人以上自殺したくなりますよね。声高に間違ったことを指定すれば、世間お上に睨まれるのですから。パレスチナ、シリアを援助している場合なんでしょうか。此も一つの属国根性の腐れ果てた末の静かなる内戦ではないでしょうか。普通の生活が実は異常であるほど怖いことはありません。 私に配られる一票と,電車で口を開けながら化粧してるネエチャンの一票が同じ価値を持つなんざ、ソクラテスが言うように、民主主義なんか辞めてしまえと思います。畢竟、まわりの方々との摩擦を避けるために、特のワガクニでは政治経済の話は御法度という妙なG7の仲間入りを果たした極東の経済大国だということですが、ナニが大国だ。ニホンの売りはもはや無理な労働環境維持しかないじゃん。 こんなことをくり返していると今にもっと国家が没落するでしょう。意見闊達に皆で政治経済を討論でなく議論し合い、我々が少なくとも住みやすい環境、行政を求めて行くのが先進国?の努めではないでしょうか。 私のような世間知らずのミュージシャンがバカだなあと思う世の中こそ世の末なのでしょう。世の末に醸し出されるデカダンスが新しい芸術の一端を担うことは歴史が証明していますが、今の世にデカダンスがあれば、それは自分の頭で考えない無知と、慢性的貧困だけで、過去に、エドガー・アラン・ポー、アポリネール、オイゲン・ルドン、ボードレールなどを生んだ先鋭的退廃は望むべくもなく、明治期に胃に穴が空く程逡巡した夏目漱石の足下にも及ばない。なにをか言わんやです。 さて、そんな世情の中でさえ、我々、少なくとも私は東欧、ポーランドからすばらしいトランペッターを招聘し、日本各地で演奏する計画を立てております。まあ、涙ぐましいと言えば涙ぐましい。この世情で新しいナニかをやろうとしているのですから。いかんせんどんな世情でさえ我々表現者はナニか現状の淀んだ場所に、バスンと釘を打ちたくなるもので、あ、それは私の習性だけかも知れません。 以下はファウンディングであるTWIN MUSICに書いた一文です。 https://twinmusic.co.jp/ja/detail-project.php?p_no=51 特別寄稿 トーマス・ダブロウスキー(トランペット)来日に寄せて。 トーマス・ダブロウスキーのみならず、現在あらゆる国籍のミュージシャンがデンマーク、コペンハーゲンに集まり、日本ではあまり知られていない素晴らしい音楽家がスエーデン、ノルウエイ、ドイツ、ポーランド、バルト三国などからやってきて、入り乱れ、新鮮で新しい音楽を創造する場所となっています。それはさながら1920年代のNYローリング20th(注釈1)を彷彿するものがあります。我が盟友、デンマーク人トランペッター、キャスパー・トランバーグの一番弟子にして、本国ポーランドで数々の賞を受賞しているトーマスを引き合わせたのもキャスパーでした。彼が日本にソロトランペットでやってくると言うことで、レコーディングセッションと都内3カ所で演奏をしたのが馴れ初めです。その後今年3月に彼の故郷ポーランドに招聘され、ワルシャワで二枚目のCDを製作し、ツアーも慣行、各地で絶賛を浴びました。トーマスが非常に日本びいき、ポーランドという国も親日国ですが、返す刀で日本ツアーを計画した次第です。ドラムの坪井 洋はスエーデンにてまったく新しいジャズのアプローチを身に付け、国際派ドラマーとして活躍しているので最初の録音であるAD HOC「STRINGS」に参加してもらいました。ベーシストの千葉広樹はあらゆるジャンルの音楽をこなす才能に加え、エレクトロニクスサウンド製作にも長けており、トーマスのトランペットと絡み合うと、コペンハーゲンでの彼の演奏形態とはまた違った別次元のサウンドが表出する、と私が読んだからです。ジャズの伝統、大元はアメリカの黒人が発祥の地ですが、21世紀の現在、既にヨーロッパを含め、インターナショナルミュージックとして世界中に広く受け入れられています。どうか皆様方が日本ではであまり聴くことのできない斬新なコペンハーゲン発ヨーロピアン・ジャズサウンドを心から楽しまれることを願ってやみません。 今後とも何卒どうかよろしくお願い申し上げます。 南 博 また有り難いことに、PIT INN MUSICのサイトが檄文を書いて下さいました。長年お世話になっているスキなところから誉められると嬉しいです。 http://www.pit-inn.com/music/jp/whatsnew/post-18.php Tomasz Dabrowski AD HOC with 南 博(Hiroshi Minami)Unit NINJAZZ 発売記念(Second CD release)JAPAN TOUR 2018 ジャズピアニスト南 博のデンマーク在住の朋友の一人であるポーランド国籍の気鋭トランペッターのトーマス・ダブロウスキーの新作アルバムの制作において、自らのユニットを率いてその収録に参加、この度、その新作Tomasz Dabrowski AD HOC「NINJAZZ」発売記念の国内ツーを行うことになりました。今回のこのプロジェクトは日本とポーランドの国交樹立100周年記念に相応しいジャズミュージシャンによる文化交流の証しでもあります。 南 博の取り組むジャズはヨーロッパスタイルのフリージャズ形式を取り込んだモダンな響きのするフリーフォームなスタイルであり、彼独自の現代的なジャズへの取り組みでもあります。一見とても難解そうでありながら、そのサウンドが抵抗なく体に染みこんでいくのは、それは彼のピアノのタッチが一つ一つ華やかであり、美しい鳴りを持つクラシカルなトーンによってとても美しくモダンな世界を創り上げているからに他なりません。アメリカの良きレジェントとして著名なセロニアス・モンクやデューク・エリントンのエッセンスをとても大事に、上述のごとき南 博(Pf)というフィルターを通して完成させた世界観も持ち合わせたとても希有なピアニストです。 そのピアニストとしての南 博には文筆業としての知名度もあり、少なからずともその方面のファンからも熱狂的な支持も得ております。その彼が2018年に新刊「パリス ジャポネ・ピアニスト、パリを彷徨く」(駒草出版)を出版しました。菊地成孔のキャッチコピー『これは小説ではない』を地でいく、彼ならではしか語れぬ、ジャズマンとしての粋な生き様が語られております。 昨今、話題事欠かないジャズピアニスト南 博の2018年の最大プロジェクトとして、ヨーロッパ・ジャズシーンの中においても注目度ナンバーワンのトーマス・ダブロウスキーとのワールドワイドな共演は特記すべきものでございます。 トーマス・ダブロウスキーと南 博の織りなす、この斬新なサウンドメッセージはきっと皆さまに気に入って貰えるものと期待しております。 是非とも、ご来場くださいますよう、公演各地にてお待ちしております。 制作協力 株式会社ピットインミュージック PIT INN MUSIC http://www.pit-inn.com/music/jp/whatsnew/post-18.php そしてどうか皆さん、どうあれナニか新しいモノを生み出そうとするエネルギーを感じたくはないでしょうか。そういう方こそぜひ今回の演奏を聴いて頂きたく思います。その機会を得たい方は以下をご覧下さい。 ご覧のように、新宿を出発点に、群馬県、高崎、富山県、高岡、福井、山梨県、甲府、名古屋と参上つかまつります。 https://twinmusic.co.jp/ja/detail-project.php?p_no=51 ファウンディングという仕組みにてチケットを販売しております。私に背負えるリスクも次期オリンピックの比ではない。加えて、もう少しいらっしゃいませの文章を書ければ良いのでしょうが、あ、拙書共々もよろしくお願い致します。… >>>

トーマス・ダブロウスキー(TR)の来日に寄せて

ヨーロッパのジャズの層の厚さはコペンハーゲンに度々訪れる事で知ってはいましたが、近日富みにその様相が良い意味で混沌としてきています。クラウドファウンディングの欄(https://twinmusic.co.jp/ja/detail-project.php?p_no=51チケット購入可)にも書きましたが、ヨーロッパは彼の地で更なる音楽的混血が静かに進んでいます。今回、ポーランド人のトーマス・ダブロウスキーとの邂逅はやはり偶然と言うより、コペンハーゲン界隈を90年代後半から彷徨っていた私には出会うべきして出会う人物だったのでしょう。近年ポーランドにおけるジャズの発展もデンマークとはまた違ったかたちで目を見張るものがあります。今日本で注目を集めているポーリッシュジャズの先鋭達のみならず、知られていない優れた音楽家がヨーロッパを股にかけて、ツアー、作曲活動をしているのを見るに付け、歴史の悲劇を招いた彼の国が地続きで他国と接し、そのことの運命とメリットに着目した彼らの創作する音楽に瞠目せざるを得ません。 トーマスとワルシャワで、千葉広樹氏B,坪井洋氏DSとトーマスとのCDの二枚目を録音した際に感じたこと、それは、ショパンを生んだ国だからという安易な郷愁、懐古主義ではなく、ポーランド人達が自らの国を30年ほど前に共産圏から脱し、独自の発展を遂げている逞しさと、いまだ残る共産圏であったがため、のぬぐいきれない国政の痛々しさ、と同時に,ニホン人の持っていない粘りと逞しさでした。 今回録音した音源はForTune というポーランドのLabel(http://store.for-tune.pl/magenta)から来る6月15日より発売予定です。現地において録音できたことは、少なくとも私に深い感慨と共に、今までに感じたことの無い感慨を新たにこの身のうちに植え付けました。一言で言えば時間が静かに流れているのです。3月上旬だというのに−2°から4°の気温の中、重く垂れ込めた厚い雲、何処か霧深く遠目にかすんで見える共産時代のビル群、フランス語やドイツ語の知識では判読不能なスラヴィックの文字、夕方曇っていたにも関わらず何の奇跡かさっと顔を出す宇宙の遠くまでを映し出すような濃い青空の夕暮れ、それらの気候的条件が私の心情に新しい神経を生み育てたような感覚を呼び覚ましました。また、あの夕暮れの青空を見ずしてショパンのノクターンは弾けないのではないかという気にもなったものです。更にワルシャワの夜は、漆黒の空の元、或る意味理路整然とした街並みを静かに浮かび上がらせているという表現が一番適切ではありますが、またその街並みの中に、得も言われぬ哀しみを突き抜けたようなはかない情緒が静かに鎮座していました。そしてその街並みを見下ろす夜空の漆黒。黒いという色表示ではもはや言い表せない透明なおかつどっしりとしたその美しさは、不思議なことにピアノの黒鍵の何たるかを理論抜きの意味合いで私に示唆するに充分の色合いをしていました。 トーマスのトランペット、彼の曲の動画を一部私のwebsiteで観ることができますが、やはり音楽は実際その場で聴くことが醍醐味です。ジャズの生まれたアメリカ、その中核を成すブルーズは否めようがありませんが、既にジャズのフォーマット自体は国際的に広がっており、ジャズに対して保守的な御仁にアメリカのものこそホンモノと言われても、その増殖は誰にもとめられません。しかもその創作に対するヨーロッパの聴衆の懐の深さは、文化の中に生きる人々の心意気と息吹を感じさせるに充分です。そのことが従来の「ジャズ」には無かった不思議な発展を遂げている原動力にもなっています。その中心となる都市はコペンハーゲン、ベルリン、その他のヨーロッパの主要都市であり、トーマスもポーランド人としてコペンハーゲンのシーンにその居場所を確保し、軽々と国境を跨ぎ演奏活動をしています。 そこに我々ニホン人のピアノ、ベース、ドラムが入り交じり、新譜を製作し、ポーランドから発売となります。正に此こそ21世紀的音楽の在り方と思うのは私だけでしょうか。 ワルシャワのスタジオにあったピアノはPETROFというチェコ製のものでしたが、始めて弾くそのピアノの音色は得も言われぬ落ち着きと、高音部にさしかかっても耳障りな音のしないすばらしい楽器でした。私がクラシックのピアニストであれば、シューマン、ブラームス、スメタナなどを演奏したくなること必須な、さながら非常に教養の高い貴婦人のような楽器でした。 総括してそのような国からやってくるトランペッターの音色、オリジナル曲を聴く機会はそう無いと思います。トーマスは普段,快活な青年ですが、一旦トランペットの演奏を始めると、上記のような私の拙い文章以上のサウンドと倍音が辺りの色を瞬時に詩的空間に変えてしまうミュージシャンでありマジシャンです。皆様どうかこの機会に、東欧、北欧といった括りでは無い、世界に散らばり、かたちを成している過程であるもう一つの側面のジャズを体感して欲しく心から願います。どうかよろしくお願い致します。 >>>

今回のブログ

本を書きましたが、ブログも書かなければいけないんですね。なんてエ世の中だ。筆が立って始終機嫌が良く、人と会うときはいつも笑顔で、ピアノもどんなジャンルでも弾けて、世のため人のため頑張りなさい。なんて二宮金次郎以上の事を現代人、私?は要求されている。こういう事を何度も人にやると嫌われる。そのこういう事がその人の個性で面白いと思える時代も終わったんでしょうか。何をみんな気取っているのかな。戦後75年、経済成長のため全てを犠牲にしてきたこの島国で最後に地震が来たとは言え原発までいわしてもうた。科学的に詳しい事は調べても碌に頭に入らないし、いわんや入ったとしても、トリチウムだなんだは消えんワケです。しかもこのままで行けば日本の少子化に歯止めがかからず100年後には三分の一になるとか。何をやってるんだか一体全体。 私が、この人はホンモノだ!と思う人は世にそっぽを向かれ、くだらねえ、楽器が上手いだけじゃあネエかという人が売れていたりする。反骨精神がジャズの殻だと信てきたのに。 世の中には、いつの世にもアブレ者が出ます。けっ、あぶれもの、の正しい漢字さえこのコンピューターでは変換出来ない。本人は一生懸命その時の社会に参加しよう、何とか自分のいる場所を見つけようと七転八倒するのですが、なぜかどこの集団に入っても浮いてしまう。変に目立ったり嫌われたり、本人に悪意は無いのに悪く思われてしまったりする。そういう奴の発言の方が変な新聞記事より世の正鵠を射ているものですが、誰も耳を貸さない。アブレ者だから。嫌われているから。黙って座っているだけで、お前はどこか変だという烙印を押される。それが若いウチならぐれるな、と言う方が難しい。じゃあ、オレはオレでやらせてもらおうか、と居直るか、メソメソ泣いて退散するかのどちらかでしょう。はっきりと言います。私はオレはオレでやらせてもらうことにしました。こんな島国で、ちょろちょろ気を使って右往左往するのは止めた。自分のことを悲観して鬱になるのももう止めた。死ぬまで生きるしかやることは無いんです。集団に溶け込み、皆から好かれている人物でさえ、死ぬまで生きるしか無い。それでその人が死んだ後、惜しい人を亡くしたと泣く人が何人も居るという方は,相当徳の高い方でしょう。でも二〜三ヶ月経ったらその人のことを大方忘れちゃう。みんな自分のことで忙しいから。私は自分がくたばった時に葬式はしないよう遺書に書いたので泣く暇も与えないというか、先ず泣く人はおるまい。あっ、そういえばミナミってやついたなあ、で終わりで良いです。痛みさえある程度とってくれれば高度な医療もいらないです。普通の方々から見て,本当にデタラメなムチャクチャを己が身体に強いてきて、もうすぐ還暦の私の身体は、どこも悪くないのです。糖尿、血圧、血糖値皆正常。今は酒もタバコも止めたからかも知れませんが、医者と言えば歯医者に通うくらい。我ながら、おぬしもアクよのうと思っております。 まあいずれはガタガタと悪くなるんでしょうが、そうしたら誰か一丁拳銃を僕にくださらんか。アタマぶち抜いて死にます。死ぬまで働いて現行政府に税金?やなこった。 人間は本能的に生きたいと思い、子孫を残したいと思うみたいですが、私はいつも本能的にいつ死ぬのだろうという思いが抜けず、自分にそっくりなガキが私のまわりをうろちょろしているなんて、絶対にイヤだったので子供など作りませんでした。更に言えば、この地球に,人間さえいなかったら、さぞかし清浄な惑星がこの無限大の宇宙に存在したことでしょう。ゲロみたいな公害、ゴミ、核爆弾、原発、書いたらきりがありません。この宇宙に必要なし。ギリギリで、ギリシャ時代までで分明とか文化も止まっていれば良かったと心から思います。奴隷制度は好きではありませんが、あの豊穣な想像力でもう人類という種族がどのようなものであったか、どれだけの狂気にまみれた存在であるか、もう宇宙人が見ても分かります。 ニホン人は古来から「平家物語」「方丈記」などでこの世のもののあわれを知っていたはずでしょう。それを隠しに隠してきた経済という名の麻薬が、元々狂気をはらんだ人類をおかしくしてしまった。Art ,Arteryがその狂気のはけ口であったはずなのに、その狂気にさえ付帯価値を付け金銭で取引するようになった。バカですよ。不条理は人生の友ですが、一人で良いなあ。何人もいらない。その一人の友人のおかげでこちとら右往左往させられてきた。今年で58歳になりますが、二十代の頃、この歳の人を見ると、お、余裕の有る大人だなあ、早く我もああなりたいと思ったものですが、いかんせん、私が58歳という年代を生きるのは、生まれて初めてで、十代の頃の手探りと何も変わらない。ただ少し違うのは、結果がどう出ても、ああ、これが答えなんだあ、と受け止める度量なんてもんじゃない、諦観を少し心の隅に住まわせる隙間ができただけ。 後はオトコなんて本当にどうしようも無い。バカでスケベで意地汚い。女の人の方がよっぽど大人です。生きる,ということが身体の芯、行動の主眼になっている。だいたい放浪とか、彷徨い、世を儚んで自死とか、男がすることの方が多い。私が子どもの頃ですが、新宿を親と歩いていて、野垂れ死にだ〜!えっどこどこ?ということはよくありました。恐る恐る見てみると、ヒゲ面の汚いオヤジが倒れてる。女の人はあまり見なかったです。空襲とか戦中は分かりませんが、だいたいそういうことをおっぱじめるのもオトコでしょう。ろくなもんじゃない。ろくでなし、ってあまり女性に向かって言いませんね。 顔で笑って心で泣いて、って昭和の一時代流行った言葉ですが、泣くのもエネルギーが必要だし、私はアキンドじゃないんですよ。そりゃあお客様が居なければ成り立たないことをしているかも知れませんが、いつも笑顔で手もみして、いらっしゃいませってできるの、これも才能の一つですからね。私には週に一回誰とも会わず、ひとりぼっちで自分独自の考えをじっくり考証したい時期があり、その時、はい、いらっしゃいませーってできません。その時の私は相当怖い顔をしてますよ。自分でも鏡を見て怖いと思ったから知っているのですが。先ず鏡を見て、微笑むところから人生が拓ける、なんて美輪明宏が言っていたから鏡を見てみたら怖いのなんの、それで無理に笑ったら、なんだこのヤローみたいな顔になってしまって、まあ、色々な人に出会い、修羅場くぐったかなあ、なんて自分を慰めるしか方法が無い。 これブログっていうんでしょうか。あははは。勝手に解釈したらどうですか。 >>>

明日ですヨガです明日ですヨガです。

飲酒を止めて八年強、煙草を止めて一年と四ヶ月。朝は六時時過ぎにサッと目が覚め、最近始めたクラシック和声の勉強をするウチに午前八時ころ、特に腹は減らないので珈琲を三杯ほど飲みピアノの練習、防音室に閉じ籠もるのみで太陽光線を浴びたい気分になると、外へ散歩に出る。最近は冬晴れの日が多いが、小雨くらいであれば帽子のみで傘などささず、ずんずんと進み歩く。のち家に帰ってからヨガを20分ほど。酒煙草を止めたあと、禁煙外来の医者に、禁煙をこころみる者は逆に身体に良い習慣を身に付けようとすると聞いた覚えがある。そのほとんどがランナーになったりジョギング、水泳を始めるとも聞いた。私も色々と試してみたが長く続かず、一年とちょっとしてヨガと出会った。私がやっている流派?はアイアンガーというらしいが、詳しくは意識的に調べない。唯々先生の言うことを聞いて身体を動かすのみである。ヨガの利点は場所をとらない、雨の日でも屋内でできる、マット一枚あればかなり過激なポーズまで許容する。YOU TUBEなど見れば画像は腐るほどあり、流派にかかわらずポーズを真似ていればそれ相応の効果、即効性を伴った血流が全身を流れわたるのが分かる。これは禁煙しないと得られない感覚だろうと察知できる。つまりヨガ教室に教わりに行くポイント制のティーチング・フィーを抜かせばいつでもどこでも全部がタダ、いつどこでどのくらいの時間妙なポーズをとっていようが全部タダ。ヨガの良さはこの即効性と臨機応変性、海パン買う必要無しの、時を選ばぬという所にある。重複するがYOU TUBEなどのヨガ画像を見てかなり過激なポーズをゆっくりとやっているが、これは本当に即効性がある。こうでもしていなければインド人も暑くてやりきれなかったのだろう。禅とはまた違う心と体への自らの、自らに対する「攻撃」である。犬のポーズ、ウサギのポーズ、ヨガスタジオでぶっ通し二時間ヒモなどを使ってゆっくり動いているつもりであっても、土砂降りに遭ったような汗が体から吹き出し、筋肉、骨、その両者の間や隙間を通る筋の具合が、つまり体の内面、体幹がヨガをやっていると手に取るように分かる。そしてこのヨガの最大のヤバイところ、二時間ブっ通しスタジオでやったあとなど特に、酒煙草を止めたせいもあるのか、真の意味で本当に脳みそがブううううゥうっっっっっっ飛ぶのである。コレはグラヴィティボングで何やら怪しい煙を吸うのとは比較にならない。私が言うのだから保証しよう。桜田門の方々のコトを気にしてこそこそせずにブううううゥうっっっっっっ飛びたいあなた、ヨガです。飛びます跳びますトビマス。鶴太郎氏が家族捨てても五時間ぶっ通しでヨガをやる意味がなにげに分かる。彼は分かっちゃったんだな。ああ、これトベるって。某野球選手はヨガに出会う前にヤバイものに出会ってハマッちゃったのだろう。順番が悪いと言うことは運が悪い。払わなければいけないカネと、払ってもしょうがないカネの見分け方は相当難しい。   一昔前の私なら、ヨガ?何だそれは。オレはレインボーマンじゃネエしインドの乞食じゃネエ!でお終いだっただろう。こんな世の中長生きしてどうする。酒をガンガン気を失うまで飲みまくり、タバコは一日何本吸われますか?なんて医者に訊かれていた頃は、「吸えるだけ吸うし本数は数えないし、一日という単位もわかんないし、、」なんて医者にうそぶいていました。煙草を止めてから確実に肺活量が増え、歩くことがとにかく楽になり、ヨガを始めてすぐ、更に胸を反らさずとも肩を落としたまま自然に胸が開くようになり、更に更に、息を吐くとき、肺の中の空気のみならず内臓、腸の奥からゆっくりねじり出す呼吸法が自然と身につき、歩くことが更に快適になり、散歩、太陽、空気、深呼吸、ヨガと全部がタダで、しかも気分が良くなることばかり。脳という器官も、胃や腸と同じく人体の一つの機能、内臓と捉えられる様に成り、意識無意識、サブコンシャスがどうたらとか、要するに腸内細菌が億単位であることと同じく、生きている、という状態自体が医学で証明されていないのだから、無理したら休む。休めなかったら寝る。それが許されないほど忙しい、ということは、私という身体を過剰なまでの貨幣価値に曝しているという事に等しい、と、つまり食い過ぎによる腸の不快感と下痢、資本主義社会で生き残ることばかり考えすぎて抑鬱状態になる脳。要するに使いすぎなのだから、休むに越したことは無い。生き残るために病気の元を作ってもしょうがない。早死に長生き双方せずに、うまくこの世からおさらばする方法を、音楽理論より深く考えているのだが、その考えが行き詰まると、ヨガだヨガだヨガだ。身体を伸ばし拗り畳み込んでギリギリやれば脳に血流がおびただしく流れゆき、ブうううっっっトベルのでその勢いで、目の前の問題をかたづけていれば、そのうちおむかえもくるってことさ。あはははは。幸い私自身がこの浮世で何かやっても、テレビなどに出ているなんだか有象無象よりも貨幣価値はそんなに高くも無いようだし、貨幣価値を上げるために無理して調子悪くなって医療費がかかったらナニやっているんだかよく分からない。どうして生きているのかさえまだ人間は哲学的に答えを出しているとは言いがたいのだから、これ以上生に対する話を複雑にしなくても、もう良かろう。 ダブルに幸いな事に、私はフリーランスのミュージシャンであり、借金が無いのではなく、借金ができない。子供がいない。自動車も、株も、社会的地位?も、まとまったカネも、何も持っていない。妻はカタギであり、育ち盛りではないので最近は一日一食半程度食べれば眠れる。音楽なんかやったって喰えない、ジャズなんてやったって喰える筈ないと、何度も、様々な人から何回聞かされてきたことだろうか。それが、禁煙一年後に体重が十キロ増え、その後の四ヶ月で五キロほど落とした。どういうイヤミな理不尽、不条理なんだ?この禁煙による体重増減は。少なくとも何か喰ってなきゃ体重は増えないだろう。だがそんな大食いしているわけでもない。少なくとも何か喰えているという、不条理な証である もう一度書く。飲酒を止めて八年強、煙草を止めて一年と四ヶ月。加えてテレビを見るのを止めて六年、ニュースを見なくなって二年強、一人で散歩をしているだけでも、だいたいの世の出来ごとは耳に入ることを知った。細かく知ってもどうせ忘れる。政治も、時勢も、人心も、経済社会世の中も、これから光り輝く希望に満ちた未来に向かうはずはなく、我々は減衰破滅の時代を生きている。残念ながら、希望という概念はもろいが、絶望は現実的で、皆その絶望の中に希望を見いだそうとしているが、そんな行いこそ笑い飛ばしてしまう、虚無的、デカダンな明るさ、つまりいずれ死ぬまでをどう無理に面白く生きるかを覚悟するしか、今のこの時を一瞬々々やり過ごすことはできまい。ある意味の居直り、ケツまくり、あっかんべーである。こんなにカネが無くても禁煙すると太る世とは、稀に見る飽和社会であるに違いなく、それと同時に貧困がはびこり、この前蕎麦屋に行って、たぬき蕎麦喰いながら久しぶりにテレビを見ていたら、誰かが貧困の末餓死したとのニュースの後に、ダイエット食品のコマーシャルをやっているので、喰っていた蕎麦を吐き出しそうになった。絶対的不条理、理不尽は、突然妙なスラップスティック的ユーモアと共に眼前に突然現れ出る。こんな罰当たりなことを、ちっこい島国の中だけでやっていたら、今に絶対、天変地異、経済崩壊、社会秩序の乱れによりガラガラポンが起こるなと、そのニュースとはまったく関係ない妄想を、現実と結びつけて想像してしまう。まったくワタシを含め人間は本当に御しがたい。嫌になるほど欲深く愚かでもある。それを諫めるのは津波や地震、自然の力で、つい最近それで痛い目にあっているのに、我々は忘れやすいんだろう。最近は原発の事なんて微塵もニュースになっていないはずだ。政治も国際情勢も、全て罰当たりなことだらけだ。あ〜あ。 本来こういう「ジャズピアニスト」のブログにおいては、どういう練習をすればアドリブが上手くなる、ペンタトニック云々、ハーモニーのこと、グルーヴがナンチャラ、などもっと書くべきなのだろうけれど、誰かこの文中に五線を挿入する術をご伝授ください。そうしたら面白いこといっぱい書きますよ。面白い演奏話しと共に。さて、もう師走か。私も一応教えているからジョギングでもするか。あ、アレは続かなかったんだ。ヨガだヨガヨガ。ガ〜〜〜〜〜。あ、明日はこれだから皆様よろしく願いします。 晴れたら空に豆まいて http://mameromantic.com/?p=54888 2017.12.7.木. 『インタリュード』 与世山澄子 with南博 / 安ヵ川大樹 / 菊地成孔   ビリー・ホリデイの伴奏者だったピアニスト、マル・ウォルドロンが愛した、沖縄が生んだ伝説のジャズシンガー与世山澄子。 彼女が30年以上に渡り守り続けてきた自身のお店『インタリュード』の歴史を残すべく、東京から南 博、安ヵ川大樹、菊地成孔、またZAK、パードン木村などそうそうたるメンバーが集まって2005年に録音されたアルバム、その名も『インタリュード』。(発売:タフビーツ) 2005年に発売されてから、根強いファンも多いこの作品。 その当時録音のために集まったミュージシャン、南 博、安ヵ川大樹、菊地成孔が12年の時を経て再びここに集結。 インタリュードの収録曲を中心に、感動の瞬間がここに蘇る。   – 与世山澄子 (vocal)   南博 (piano) 安ヵ川大樹 (bass) 菊地成孔 (sax)   – 開 18:30 演 19:30 ・ 前 4,500 当 5,000 +1D 600   – 整理番号順入場 (店予約、イープラスの並列入場) 協力:タフビーツ —————————————————————– 南 博 安ヵ川大樹 菊地成孔  … >>>

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