やっと新しいwebsite再構築も終えて、清々しい気分です。後は必要箇所を少しずつ英文に訳していきます。ご愛顧頂いたFBにも連載した「フランスのパリのベロニク」も、聴きを見計らってまた書き続けるつもりです。今回は我が師匠というお題にて。

ああ、オレなんだかくたびれたって言うか、クタぶれちまったというのが正解かな。先月2月の最後にがっくりきた。演奏はバリバリですよ。でも教える方がちょっとね、ピアノ教えて早23年かァ。長持ちしたもんだよなあ。3月一杯ピアノ教えるの休んでるんだよね。まあ、習いに来て下さる方々には、感謝しかない。オレのとこにわざわざピアノを習いに来てくださる。畢竟こちらも本気になるでしょ。知ってることは教えたくなる。でもね、この前ある生徒が「Georgia On My Mind」教えてくれって言うから、まあね、オレも黒人じゃないし、まあそれ言ったら全てのファインアーツの先生の首が飛ぶんだけど、まあそれは置いておいて、知ってることは教えてあげようと色々説明してたら何か話がかみ合わない事に気付いて、「だからレイ・チャールズがさあ」って俺が言ったら、その生徒、「それ誰ですか」って言ったんだよね。オレ一瞬眉毛の上なくなったような感覚になって、ちょっと教えるの休もうと思ったんだ。あんまり上から目線で人を見たくないけどね、溜息吐き過ぎると窒息すると言うことをこの歳で始めて学んだ。

でも、オレもあまり人のことは言えない。バークリーに行って二番目のピアノの先生がChristian Jacobというやたらめったらピアノが上手い人に習う事ができた。ああ、銀座のナイトクラブで苦労してカネ貯めた甲斐があったと心底思ったもん。こういう人にやっと巡り会えた。松尾和子の「再会」「銀恋」も毎晩8回弾かなくて良いし、習えるオレはなんて幸せなんだろうと思った。ボストンの秋の透き通るような青空を見上げながらそう思って涙をこらえたことを今でもぼえてるんだ。やはりボストンに来て良かったんだって。

クリスのピアノの上手さは半端なかった。生徒として全然ついて行けない。まずその場でスタンダードをドンドンリハーモナイズしていって、右手短三度クロマチックで高音部からおりながら、左手はまったく違う音程でやはりクロマチックで引き上げたり、両腕をクロスして右手でベースラインを低音部で弾きながら左手でソロを弾いたり。こう見えてもオレもね、日本の音高のピアノ科行って、東京音大では打楽器科で、随分上手いクラシックのピアニスト見てきたつもりではあった。だがクリスのピアノの上手さは、メンタマが飛び出て、飛び出たメンタマ、メンタマないから何にも見えなくて探せません、くらい上手いんだな。そして音がキレイ、特に高音部、ショパンのエチュードを12KEYで弾かれたときには、顎が外れると言うより、レッスン室の彼の横でゲタゲタ笑い出してしまって、アア、地球は広いな、としか言葉が頭に浮かばなかったもん。なんだこれ?どうしてそんなことができるんですかって聞いたら「Well,メロディーとハーモニーとリズムを違うキーで弾けばイイでしょ」だって。だからそれができないから教わってるんだって。

でもさ、引き下がりたくないから、クリスに追いつくのにどうやって何時間練習すりゃあいいのと思って、クリスに、どうやって練習したら良いか聞いたら、「アイデアを大切にしろ、たとえばこういうフレーズがあるだろうイロシ」彼はフランス人だからオレのことをイロシと呼んでたけど、そのアイデア展開中にウエーダコーとか言って自分の世界にはいっちゃって教えるも何もなくなっちゃう。クリスの独演会になる。まあそれはある意味贅沢な時間ではあったが、オレに何か教えているわけでもない。こういう状態って、当時のオレにはやはり「レッスン」ではなくて、だから、ようし、と思い立ち、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、当時流行っていたSONYの高音質テープレコーダーを高額な値段で買って、レッスンを録音することにしたんだよね。だってクリスは天才だから、なぜ他の人は自分が弾けることが弾けないかが分からないから教えられないということだけは分かったわけだ。そしてとにかくクリスにスタンダードを弾いてもらってオレの方はクリスの弾くフレージングとかをベースラインやハーモニーで何とかカヴァーして、とにかくあまり会話せず、ピアノDUOを、レッスン時間中弾き続けることにした。だって口で説明できない先生なんだから弾きまくらせてそれ録音して後で聞き直してコピーして追いつくしか方法ないと思ったんだもん。それでもクリスとDUOができるなんて夢のような時間だったなあ。あのレッスン室から見えたボストンの街の風景、オレは死ぬまで忘れないだろうな。弾き終わるとクリスは、「イロシ、こういうフレーズ弾いたろ」って、俺の手癖、おっちょこちょいなところ、全部真似て正確に再現して弾いてみせるんだよね。これにもぶったまげた。腰抜かしたよ。クリスはオレが弾いたことも一瞬にして覚えてしまうんだ。

「Your idea,ahh here, ok,,like this」なんて言いながらクリス、オレが弾いたフレーズをまねしながらムチャクチャカッコイイ音をはさんで、なんだか聴いたこともないヒップなフレーズに仕立て上げる。「Look!Iro, this is your idea,you can change like this」ってそう簡単にチェンジできたら習ってねえよもうって感じだった。

まあとにかくレッスン終わったら速攻で家に帰ってテープを何度も聞いてクリスのフレーズやハーモニーをコピーしたんだけど、一番かっこええところがなにやってんだか何度聞いても分からない。それでそのコピーの譜面を次のレッスンの時に持っていって、先生ここどうなってるんですかとたずねると覚えてないって言うから、録音したモノを聴かせると「ウエーダコー」とかフランス語で叫びながら、自分の弾いたフレーズにまた更にカッコイイ対位法的なラインを弾いたりするんだよね。ちょっと待ってクリス、そんなことしてとは頼んでないし、それ録音したいけど今録音機使ってるから、ああ、まあ、いいや、このロセンで対抗しようったって所詮無理ってことかな。でも日本では絶対に習えないことが習えるという確信があったから、オレは食らいついていった。でもクリスには悪気はないんだけど、分からない奴がなぜ分からないのか、弾けない奴がなぜ弾けないのか、本当に本人には悪気はないんだけどクリスには分からないんだよ。天才だから。だってレコード一曲聴いたら、ピアノのソロのみならず、サックスソロも全部覚えちゃうんだなあの人は。そう、ほんとにChristianはマジでピアノが上手かった。下手したらオスカーピーターソンより上手いんじゃないかなあ。クリスを知っている人は否定するかもしれないけど、あの人オスカーのまねが上手で、時々マネしてオレに聴かせてくれた、オスカーより早く弾く、かっこよかった。腰抜かしたよ。ぎっくり腰になるかと思った。まあ、その時もオレは横でゲタゲタ笑ってただけだったけど。これは何か別の作戦練り直さないと、ピアニストなんて成れないなって本能的に感じたもん。同時にもうほんとに色々とやんなった。今までなにをしてきたんだろうって。

彼はパリ音楽院を優秀な成績で卒業し、バークリーに来て学生になったのだが、教える人が4ヶ月ぐらいでいなくなって先生になったという、なんだか良くわかんないくらい上手い人だったけど、俺はこの先生を離すもんかという勢いで、質問攻めにしたり、色々なアプローチを試みて、クリスのエッセンス、楽器に対峙する方法、音楽の理解のしかた、全て吸収してやろうとがつがつ食らいついた。俺は天才じゃないけど、あんたに負けないくらいピアノが好きと言うことはタイマン張れる。そこだけは自信があった。学費払ってんのはこっちだ。とにかく何でも良いから弾いてくれ。良い時代、時間だったな。

もう一人、アメリカにいる頃忘れられない先生はMr Steve Kuhn。アメリカに行く前から、何かこの人のピアノの音は他と違うなあ、好きだな、と思って、コピーとかしていたんだけど、ボストンにMr Kuhnのトリオが演奏に来る事になって、オレ一番前の席取るためにそのクラブの入り口に午後四時くらいに行って並んだもんね。で本番が始まってナマのMr Kuhnの演奏聴いてぶったまげた。レコードじゃあやはりカヴァーしきれない美しい倍音の響きとか、Mr kuhnは背丈が190cmぐらいあるからとにかく楽器が鳴って手もでかいからサウンドも分厚い。コピーなんて何の意味もないなあと聴き惚れている内に、そうだ、ダメ元で教えてくれって聴いてみようと思い始めたんだ。

全てのショーが終わってから、楽屋に行こうとしたら、クラブの従業員にそっちに行ってはだめとか、あーじゃラコーじゃラ文句言われたから、日本語で、「ばかやろう!挨拶に行くだけダよう」って言ってクラブの奴に英語分かんないフリして無理矢理楽屋に押しかけていったら、共演者のドラマーのアル・フォスターがいた。「Mr Kuhnはどこですか」「あー。今バスルーム行ったよ」

バスルームって英語でトイレのことだから、トイレに走って行ったんだ。そしたらMr kuhnがジョーってションベンしていた。そしてカーぺって痰切ったりして。あんな紳士で幻惑的なサウンドで聴いてる客を思いっきり酔わせたあのMr Kuhnもただのオヤジじゃんとおもいながら、なぜかオレはションベンもせずずっとトイレの入り口からMr kuhnを見つめていたんだ。用を済ませたMr kuhnは振り返りざま、変な東洋人が用を足しているところをじっと見てることに気が付いて、なんだこいつはという目でオレを見た。あたりまえだよね。トイレの中に二人きりで、片一方は眼鏡かけたチビなんだから。まあとにかく、長年尊敬し、ずっと会いたかった人を前にすると、日本語でもワケ分からなくなるのに、英語で話さなければならなかったから、もうジャパニーズターザンみたいな英語になっちゃって「あー、アイアムピアニスト、ユーグレート、
アイリスペクト、アイハヴユアレコード、エヴリシーング」Mr Kuhnはじっとぼくを見つめながら動かないしなにも言わない。こいつはいったいどこのどいつなんだ、このバカはいったいここでナニやってんだって目つきでオレの方を見ていた。状況を変えたくとも身体が固まって上手く行かない。段々焦ってもくる。「あー、アイワンツーテークレッスン、アイフロムトーキョー、ファーラウエイ、プリーズプリーズティーチミー、テレフォンナンバー、アイワンツーノー」

でもさ、気持とか、本当にその人を尊敬していたら通じるモノなんだよね。
Mr kuhnは黙ってネームカードをオレに渡して「Call me」とだけ言ってトイレを出て行った。かっちょいいでしょ。この人ハーヴァード大学卒業してるんだよなあ。あったまいいんだよ。まあ最初にMr Kuhnと話をしたのがトイレの中って信じられないけど、まあそんなこんなで2~3日経ってから電話してみたら留守電で、また2〜3日経ってからかけても留守電で、しょうがないから留守電にボストンで名刺もらった日本人覚えていますか。レッスン受けたいです。こちらの番号はこれこれです。メッセージを残して下さい。思いつくこと全て留守電に喋りまくって、その後六ヶ月の間に何十回も電話し続けたの。電話に出ないんだもん。

オレはどうでも良いことにはサッパリした性格だけど、これだと決めたら執念深いの。そののちSteve Kuhn Trio がまたボストンに来る事を知って、最後のチャンスだと思って手ぐすね引いて待つことにした。前回と同じクラブで演奏するってんで、すっ飛んでった。一番前の席にまたすわって、演奏を聴いたんだ。またこれがすごい演奏で、もう体中がトロけるようなサウンドの波に翻弄されながら、ああ、やっぱりアメリカ来て良かったあ、と思った。

前回と同じく「サー、ユーキャンノットゴーツードレッシングルーム」とかいってくる従業員を無視して楽屋をノックしたら「カムイン」という声が聞こえたので中に入ったら、誰だったか忘れちゃったけど、共演者のドラマーが、おまえ誰だって聞くから「Mr Kuhnに会いに来た」と言ったら「彼はバスルームだよ」とそのドラマーが言うから、なんだか不思議な既視感とともにまたトイレに行ってみたら、今度は大の方のドアが閉まってて、これはいくら何でもトイレの中で待つのはまずいと思って、入り口の外で待っていたら、Mr kuhnが出てきた。挨拶したけど、全然オレの事なんてかけらも覚えてないって顔して何だ?っていう表情になったので「リメンバーミー?アイメットユーラストタイムヒア、トイレット、アイムヒロシ、ピアニスト。アイワンツーテークアレッスン、アイコールドユーメニータイムス、リーブアメッセージフォーユア、えっと、アンサリングマシンえーっと、とにかく教えて下さい。教えて。教えて。お願いします、お願い、お願い!オレあんたのピアノ惚れ込んでるんだよ!」なんだか最後は日本語になっちゃったけどとにかく相手がうんて言うまでオレはMr Kuhnから離れないって決めてたから、今から考えればストーカーだな。Mr kuhnは穏やかで、そして素晴らしく知的な眼差しでしばらくオレを眺めてから「ああ、おまえか、ワケの分からないメッセージ、アンサリングマシンに残したのは」ていうから、「イエスイエス、テクアレッスンテークアレッスン」てずんずんMr kuhnの方にせまっていった。

その後の経緯はあまり覚えてないんだけど、レッスンの日を決めることができて、友人の車頼んで乗せてもらって、当時ロングアイランドに住んでいたMr kuhnの家までボストンから行ったんだ。準備もなにもしていない。五線紙と筆記用具のみ持参。

Mr Kuhnの家に付いて、ドアベル押したら、あたりまえだけど本人が出てきて感動した。Mr kuhnはワケ分かんないオレみたいな東洋人をもの凄く紳士的に扱ってくれた。私のレコードをジャパンで買ってくれてありがとう。いえいえもうすり切れるまで聞きました。あなたのピアノの音は確実に他のピアニストと違う。その秘密を一端で良いから知りたい。今まで誰に習ってどういう練習をしてきたかを知りたい。なんでこんな難しいことが英語で言えたのだかオレにもよく分かんなかったけど通じたからいいやと思っていたら、「Play your tune」っていきなり言われたんで、あのう、Mr Kuhn、ピアノ触っていいんですか、って聞いたら「レッスンを受けに来たんじゃないのか」と言われて仰るとおりだと思ってオレのオリジナルとスタンダードを、まあ今より若かったから思いっきりMr Kuhn の前で弾いたんだ。今から考えると、本当に無謀なことしたとおもうけど、とにかくおもっきり必死だったし、アメリカに留学したというモトはとってやるという気持もあったんだと思う。しかしMr kuhnしかいない空間でオリジナルの曲を弾いた日本男児はオレだけだろうな多分。

「You are on a right way」色々弾き終わったオレにMr Kuhnが言った最初の一言がこれだった。この瞬間も死ぬまで忘れないだろうな。とにかくオレは正しい道を歩んでいると言っていると理解して良いのかなと思った。なんだかとてもほっとして嬉しかった。本物からお墨付きを頂いた感じ。
「ミスターキューン、プリーズプレイユアサウンド、アイトランスクライブド、  あーライクジス」Mr kuhnのオリジナル曲とコピーしたフレーズを少し弾いてみたら、巨漢の彼が静かにピアノに近づいてきたので、忍者より素早くオレはピアノのイスから降りてMr kuhnの真後ろに立った。彼が弾き始めた。やっぱりピアノのタッチとか、サウンドのリッチさ加減とかぜーんぜん違うんだなあ。そしてクリスと同じところは、とにかくピアノの音が1音1音本当にキレイ。

「Hiroshi, just imagine, your every fingertips breezes air and send your
breeze for piano strings」(breathとは言わなかった。ここに秘密があると思った。)と言いつつもの凄くカッコイイハーモニーを弾くんだなあ。 でも後ろで見てて分かるの。Mr kuhnは手が大きいからオレにはとどかない音程弾いてるんだな。でもそのことを言ったら、「Forget about it, just play as you feel,,」そんでまたグアーンって決して大きな音ではないけれどピアノという楽器が鳴りきってる演奏をするんだなあ。不思議とそういう時はフォトグラフィックアイが頭の中に出現してきて、Mr Kuhnがどういうハーモニーを押さえたか、映像と耳で全部覚えちゃうんだなあ。やっぱり好きなことやった方が身につくね。まあ、1時間強経ったから、おいとまかなと思って、良い経験させてもろうた。そういえばレッスン代いくらって決めてなかったけど、いいや、こちとら東京から来てるんでえ、帰りのガソリン代以外は財布の中のカネ全部ここに置いて、Mr Kuhnを拝んで、感謝感激ですって言ってから帰ろうとか思っていたら、何と「Let’s take a break」なんてMr Kuhnが言い出して、Mr kuhnが煎れてくれた珈琲が出てきた。オレはもうすっかり感激しちゃって変なところで涙もろいから、すこしぐっすんてなったら「Hiroshi, are you ok?」ってMr Kuhnも優しいんだな。そこから色々音楽の哲学的な話やら、奏法の話、彼の隠された練習方法なんかべらべら喋ってくれて、またぶったまげたんだ。そしてMr Kuhnがコルトレーンと一緒に演奏していた頃の話をじっくりと聞くことができた。Mr Kuhnはコルトレーンの事をアメリカ人ぽくジョンとは呼ばなかった。Mr Coltraneとしか呼ばなかった。あんなジェントルマンでインティレクチャルでカインドなヒューマンに会ったのはアレが最初で最後だとも言っていた。それで私のことをMr kuhnと呼ぶのはもう今日で終わりにしようHiroshi, call me Steve, Mr Kuhn is just my father,なんて言うから、やっぱかっこいいなあ、粋っていうかさあ、この人。オレがメエつけただけのことあるなと思った。でも同時にこのうち溶けた良い雰囲気を逃したらダメだと思って、「またレッスン受けに来て良いですか」って聞いたら「オフコース」ってあの独特な深い良く通る声で言ってから始めて微笑んでくれた。嬉しかったなあ。本当に嬉しかった。ああ、良かった。何度も電話して良かったって思った。

まあ、二人の天才に習えたオレはラッキーだったな。とにかく俺は天才ではないから自分なりに工夫して練習したり、こういうすごい人達と交わって得たモノを自分なりに身につけてきたんだな。それで、4月からレッスン再開するからさ、また一から教えさせて頂きますから、レイチャールズ知らなくてもおしえるからさ、よろしければ習いに来て下さい。場所は代官山です。

PARIS 35

第2章ーコブラー その晩アランの車で再びサンドニへ。控え室にて、演奏開前にコブラ以外のメンバーが揃った。ハンパリは修理の終わった楽器をためつすがめつ眺めてニヤニヤしている。ハンパリに何を言ってもだめだと思い直し、まずピエールと話し始めた。「アランは何であんなに英語がわからないの?」「彼はもともとシャイで口数が少ないんだ。でも彼は英語も分かるんだ。」こんなことを話しだしたのも、彼らがコブラとどういう関係で、ギャラのことに関してどう思っているのか、それを聞く切り口として話しかけたまでだった。コブラはいずれギャラを渡すと言っている。君らの意見が聞きたい云々、ピエールに聞いてみた。「いったいギャラはいくらなんだい」「一週間ここで演奏して、4200フランだと聞いた」「それはバンド全員のギャラということ?」「いや、一人一人の額だ」 とにかく、僕は何て迂闊だったのだろう。外国だからこそ、こういうことを大切に話し合っていなかった僕がいけなかったのだ。パリに来て、どこか浮かれてしまっていたのだろう、最初はただただ仕事がもらえるだけで嬉かった。とにかく今晩も、コブラの状態がどうあれ、スタンバイしてコブラを待つことにしようと意志は決まっていた。だが、待てど暮らせどコブラは姿を現さない。「ムッシュ!」近くのバーテンダーから声がかかった。ボーッと座ってないで何かやれということだろう。実際アランがベースを弾き始めたので、適当にスタンダードを弾くことになった。リーダーのいないバンドはどこか締まらない。いくらハンパリが超絶技巧を繰り出しても、客の方も我々の演奏をさほど気にしている様子は無かった。それどころか、客のお喋りや雄叫びなどで、共演者の音が聴こえない状況が続く羽目となってしまった。これでは銀座のナイトクラブと同じではないか。 コブラはセカンドセットの後半にふらっと姿を見せた。皆がコブラを見つめる中、彼は我々の真ん前でゆっくりとサックスを組み立て、おもむろに吹き始めた。その音は、たちまち客の注目を浴びるに充分なサウンドが含まれていた。二日目にして、初めて客のアテンションを引きつけることができたのである。嬉しさと共に、真面目にやっているこっちが更にバカみたいに思えた。しかし、コブラは制御不能の黒い音楽の化身となっていた。マイナーでもメージャーでもない独特な彼のオリジナル曲は、時にはクラブの地をはうようなサウンドから、天井に突き抜けるような飛翔を僕らにも見せつけながら、演奏は進んでいった。しかし、エンディングは昨夜と同じ状態でまた終わってしまった。コブラが急にふらふらになってきて、曲の途中であるにも関わらず、すっと姿を消してしまった。僕らは何となく演奏を終え、コブラの後を追った。どうせあの楽屋にいるに決まっている。皆で階段を上がり、楽屋の扉を開けてみると、薄暗い電灯の下で、ジャンがまたゲンナマを勘定していた。「ヘイ、ジャン、コブラはどこだ?」僕が英語で話しかけると「エイ、イロ、またトワレットでドゥラカムしてるぜ」と僕の顔を見ずに言った。「そのテーブルの上にあるワイン、飲んでいいかな」「シルヴープレ」 アラン、ピエールとハンパリ四人でワインを飲みながら、コブラが現れるのを待った。だが、いつまでたってもコブラが楽屋に現れないので、ピエールにささやた。「いくらなんでも楽器を置いて帰るようなことはしないだろう。コブラの楽器はまだステージの上だ。あっちに行ってみようか」四人でまたぞろぞろとステージの方に階段を下りて行くと、いつのまにかコブラがカウンターで酒を飲んでいた。いつもの薄笑いはその顔に浮かんでいない。全ての顔の筋肉が弛緩したような、そんなコブラを見るのは初めてだった。ただその眼球だけは血走り、爛々と輝いている。ピエールがコブラに口火を切った。アランもそれに混ざる。フランス語で三人が何か言い争っているようだったが、僕には意味が分からない。みそっかすになりたくなかったので、彼ら三人の間に体を割り込ませた。「ヘイ、何の話しをしてるんだ?コブラ、ギャラはいつ支払われる?」僕の英語をかき消すように、また彼ら三人は怒鳴ったり長々と演説のようなお喋りを繰り返したりしている。ここでお手上げはいやだなと思っていたら、カウンターの奥から、これまたジャン・ギャヴァンの親戚のようなバーテンダーが僕に目配せした。いまは黙っていろという合図にそれは見えた。カウンターの上にトンとウイスキーのダブルを置き、また目配せで、こっちに来いと合図した。僕は三人から少し離れた場所に腰掛け、そのウイスキーをぐっと一息で飲み干した。バーテンダーがにやっとして、また同じものをカウンターの上に置く。「ジャポネ?」「ウイ」「ケスクヴ・パルレ・フランセ?(フランス語喋れるのか?)」「ノン、パルレ・イングレーゼ」(いや、英語だけだ)バーテンダーは両手を開いてお手上げだというジェスチャーをしてから、いまは何も喋るな、という意味だったのだろう、口元に人差し指をそっと触れるような仕草をし、僕をじっと見つめた。その目には、慈愛と優しさに加え、同時に、こういう商売の長い人が持つ独特な威厳が一緒になって光っていた。僕はなぜか男気を見せようというバカな気を起こし、三杯目のダブルを注文した。件のバーテンダーは「プフッ」と言いつつ三杯目をまたトンとカウンターに置く。人生の師匠はどこにいるか分からない。そう思いながらちびちび飲んでいたら、ピエールがやっと状況を説明しだした。「エイ、ヒロ、コブラは最終日に必ずギャラを払うと言ってるぜ。一人、4200フランだ。これはコブラを抜かした額だ」「コブラと話せるか?」「奴はぶっ飛んでるぜ」「かまわない」 「ヘイ、コブラ。話しはついたようだな。最初からこのことははっきりさせるべきだった」コブラは、ものすごくフラフラだった。話しかけたことを後悔した。「エイ、イロ、俺のことが信用できないみたいだな。いいか!オマエはアメリカの音楽学校のスチューデントだ。オレはオマエのサウンドが気に入ってバンドに入れてやったにすぎない。だがオマエは基本的に学生だ。それがいやなら学校をヤメろ!音楽なんて学校で学ぶもんじゃない。オマエの心は揺れている。パリに残るかアメリカに帰るか。そんな中途半端な奴にギャラの話しで文句を言われる筋合いはない。そういう半端な所もサウンドにでるんだよ!オマエは良くやっている。だが学生ということは、オマエはプロじゃない。そんな奴にギャラに関して文句を言われるのは頭に来る。俺がパリでどういう存在かも知らないクセしてこのジャポネ野郎が!」 悔しいが、言われた通りだった。僕の中途半端な立場を思いっきり指摘し、翻弄させるに充分な意見だった。僕は二の句が継げなかった。だがこれも、コブラの一つの作戦にも思われた。いずれにせよ、これは自分自身の問題だ。しかもギャラは仕事が終われば払うと言っている。一旦ここでコブラを信用するしかあるまい。コブラは、僕の返事など聞くつもりもないといった感じで楽器を片付け、僕らに何も言わずクラブを出て行ってしまった。「ピエール、奴の言うことは信用できるのか。前に彼と演奏したことはあるのか」「ああ、あるよ、、、まあ今夜はお開きとしよう」ピエールが口を濁した。アランはいつも通りのポーカーフェースでワインを飲んでいる。「アラン、スタション、ミッシェル・ビゾ、OK?」「ウエー、ダコーッ」ジャン・ギャバンの叔父バーテンダーが、目配せで、もう一杯飲んでいけよというそぶりを見せた。ノルことにした。 その晩、どうやってアパルトメントまで戻ったか憶えていない。久々に相当酔ったなと思いつつベロニクの部屋へと続く階段を一つ一つ踏みしめるように上がっていった。ミシッ、ミシッと木造の階段がしなう。その音を聞きつけてか、ベロニクがドアを開けて飛び出してきた。「イロ!ずっと待っていたのよ!」マイルス・デイヴィスのセヴン・ステップ・トゥ・ヘヴンがいきなり頭の中で鳴りだした。チャッチャッチャッチャッチャーチャーチャ!その後僕は、前後不覚に陥り、あとは何も憶えていない。 (続く) >>>

PARIS 34

第2章—コブラー 次の日の午後、ひどい二日酔いで目が覚めた。ベロニクはいなかった。学校にでも教えにいったのだろう。季節は段々春になってきているというのに、外はまだ薄ら寒かった。ベロニクの部屋にも隙間風が入る。まあ、隣りの物置に寝ていた時よりは天と地の差ではあったのだが。しばらく部屋でぼーっとしていたら、急に電話が鳴った。瞬間的にコブラだなと思った。僕の直感は当たっていた。「エイ、イロ、ボンジュール」。その声には、あのいつものニカニカ顔からは想像を絶する、深く低い声が受話器から伝わってきた。と同時に、こちらに何らかの恐れを感じさせる威圧感さえあった。「ボンジュール、コブラ、今日はブラザーとは言わないんだな」きっと機嫌が悪いのだろう。この直感も当たっていた。「イロ、おまえジャンからカネをくすねたってほんとうか」「盗んでなんかいないよ。ジャンにギャラをくれと言ったんだ。そうしたら、いくらか払ってくれた」「いくらよこした」「電車賃程度だ」大した金額では無かったが、僕は本能的に金額をはっきりと言わなかった。「エニウエイ、いずれにせよだ、このコブラを通さないで金銭のやり取りはするな。分かったな」「なぜですか」「このコブラがリーダーだからだ。ギャラは後日払うと言っただろう」「何日にいくら払うか決めてもらえますか」「イロ、詳しいことは今晩演奏の時に説明する。同じ場所で同じ時間に集合だ。分かったな」これ以上、電話で、しかも第二外国語同士がする話しではないと思ったので、ただ一言OKと言って電話を切ろうとした。「ウエイト!イロ、場所が遠いからアランに迎えに行かせる。もう奴にはそう伝えてある。あのオールド・プジョーでな」電話は向こうから切られた。なぜコブラは僕に気を使うのだろう。まあいい、今晩はまたあのすったもんだの延長であることは確かだ。 また電話が鳴った。今度はハンパリだと思って受話器に飛びついた。「ヘイ、ハンパリ!?」「ヘイ、ハンパリでなくて悪かったな。オレだ。コブラだ。お前らデキてるんじゃないのか。まあいい。今晩の集合時間は分かっているだろうな」「分かっているよ、なあ、コブラ」「おまえは、アメリークの音楽学校のスチューデントだとかなんだとか、言っていたな、、」その後、受話器からノイズが聞こえてきたので、ちょっと話したいことを思い出し、相手が受話器を切らないように、大声で怒鳴りつけるように彼の名は呼んだが返事は無かった。「コブラ!ヘイ、アーユーゼア?」コブラは受話器を切らずに、どこかに置いたのだろう。妙なノイズが聞こえてきたが、僕は受話器のその奥の音を、自らの鼓膜を張りつめてるようにして、聴き集めようとしていた。コブラがサックスを吹き出した。「あっ、パーカーだ、あっソニー・スティット、あっ、この音は?ロリンズ、コルトレーンだ、、」コブラの吹くフレーズやサウンドには、全てのジャズを自らのものにした自信と、俺はこんな状態じゃ、絶対満足しないぞ、という小気味良い反抗的な音が、音の端々から、受話器を通して洩れ聞えた。コブラ、お前はわざと僕にこれを聴かせたくて電話を二度もかけてきたのか。とにかく、大袈裟に言えば、ジャムセッンででかい顔をして、パリに住む黒人アルトサックス奏者の仲では傑出した存在であるコブラは、やはり化け物だった。全てのサックス奏者のコピーの中から、彼は自分のサウンドを追求している。コブラは彼なりのやり方で、僕にある種の解答を示したことになる。そういうことか。お前は立派なリーダーだよ。僕はそっと受話器を置いた。 僕は物事を、もの凄く客観的に分析するという癖がある。だがその僕の癖さえも、突然消し去るようなサウンドの持ち主と、僕はパリで出会ってしまったのだ。コブラにきちっとしたステージを与えれば、もの凄く音楽的なハプニングが待っているのじゃないか。しかし僕の能力では、コブラをパリでプロデュースすることなど、その時点では不可能であった。まずフランス語が喋れない。だが、このままでいいとも思えなかった。 (続く) >>>

PARIS 33

第2章ーコブラー コブラと一緒に楽屋のドアを開ける。リノ・ヴェンチュラもどきは、どこかに電話をかけていた。アランがどこからかワインのボトルをくすねてきた。コブラ、ピエールと共に僕も含めてそのワインのボトルをラッパ飲みしながら人心地つける。気がついたら外は獄寒なのに汗だくだった。 >>>

PARIS 32

第2章ーコブラー そのうち、アランとピエールも姿を現し、いつでも演奏できる体勢となったが、突然コブラの姿が見当たらなくなった。「アラン?」「ウイ、、」「あー、レイトニュイ、ノーメトロ、ミッシェル・ビゾ、OK?」「アーウエウエ、ダコー、、、、」「オレに訳させろよ」ピエールが割って入った。「英語ならまかせてくれ。ヒロの言いたい事はオレがそばにいる限り、不自由はさせないから」「サンクス、ピエール。でも今夜はもう帰りの足は確保できたようだ。だけどコブラはどこに消えちまったんだ」「奴ならトワレットにいるよ」「何してるんだ。ピピ(小便)だったら長すぎる」「ピピなんかしてるもんか。 >>>

PARIS 31

2章 —コブラー だいたい最初から、コブラが探してくる仕事に何も華やかなものは期待していなかったが、案の定、コブラのとってくる仕事は、パリ郊外の仕事が多く、最初の演奏場所は、サンドニという場所で、地下鉄の地図を広げてみれば、ミシェル・ビゾの正反対で、いったいどのくらい時間がかかるか分からなかったが、ベロニクに地図を書かせて、おおよその時間を聞いて出発した。 >>>

PARIS 30

ずぶぬれで帰ってきた僕をベロニクは起きて待っていてくれた。ドアベルを押す前にベロニクが飛び出してきて、僕に抱きついた。「イロ、イロ、寂しかったわ。待ってたのよ。リハーサルが終わったら電話ぐらいするものよ」「その公衆電話のかけ方がよくまだ分からないんだ」「さあ、中に入ってちょうだい」ベロニクはバスローブ姿で、裸足だった。きっと寝ていたんだろう。「眠いんだろうベロニク、寒いから、早くベッドに入った方が、、、、、、」と言いかけたら、おもいっきりベロニクに胸ぐらを掴まれて、狭い居間を引きずられ、ベッドに押し倒されてしまった。「ベロニク、待ってよ。僕はまだコートも脱いでいない、、、、」そんな発音の悪い英語などどこ吹く風と、ベロニクは僕の着ているものを剥ぎ取って、何だかフランス語でぶつぶつ言いながら、僕をパンツ一丁にしてしまった。「ジュディテステジャポネ!ジュディテステジャポネ!」(私は日本人なんか大嫌い、大嫌い!)日本人を嫌いだと言っているくせに、バスローブの下は素っ裸で、いつもと違う香水の匂いがした。「ベロニク、香水を変えた?」と言う間もなく唇をふさがれ、日仏戦争が始まった。我が軍の得意技は昔から突撃である。突撃では負けると分かりつつ、フランス映画の数々の名場面も無視しつつ、ベッドの中を波打たせた。くんずほぐれつ、キャンドルライトの中、首筋の線を何本も立てて、頭を激しく左右に振るベロニクのロウソクのような肌の色を何故か凝視していた。それから、二人とも眠りこけてしまった。 (続く) >>>

PARIS 29

「フランスの、パリのベロニク」 アランの車は、どことも知れぬ大通りにものすごい勢いで飛び出した。後ろに積んであるソフトケースに入ったウッドベースがヴァンピングしている。アランはそんなことにおかまいなしであった。「イローッ」「ケス?」「アダレス?」「スタション、ミッシェル・ビゾ」の近くだと言う閑を与えず、アランは3速ベタブミで、あっという間に首都高のようなハイウエイに彼のプジョーを走らせていた。後から知ったことだが、このパリ市外を一巡するハイウエイはペリフと呼ばれており、地上を走る首都高のようなものである。 >>>

PARIS 28

突然、「テイクア、ブレーク!」と言うコブラのかけ声と共に、リハーサルはストップした。コーヒーも水もその場所にはなかったから、僕はアランとピエールと煙草を吸った。「ヘイ、アラン、サウンドナイス!」彼は僕の顔を見てニコッとしただけで、無表情になってしまった。「ピエール、アランは英語を喋るのが嫌いなのかな?」「どうかな、無口な奴だっていうことだけは知っているよ」そんな会話をしていたら、そこに凍え死にそうな顔色をしたハンパリがやってきた。 >>>

PARIS 27

クリシーに行く為、ミシェル・ビゾー駅に向かう。8号線に乗って行けば、サン・ラザール駅まで一本で、3号線に乗り換え、ラ・フーシェ駅に降り立つ。ここまでは地図を何とか解読できたが、そこからの行き方は、あのベロニクの杜撰な性格をそのまま書き写したロールシャッハテストのような文字で、皆目見当がつかなかった。だが行き先の住所だけは判読できた。またそれが読めずとも、そこら辺の人にその住所をみせて、右と左に指を動かせば良い。笑顔も忘れずに。 >>>

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