フリーランス、freelanceっていうんだ、僕の身の上。

辞書で調べると、自由契約で働く作家、写真家などだって。自由契約?自由であれば契約はいらないのではないかな。ちなみにlanceのみを調べると槍の意味らしい。槍なんてボストンでもNYでも使わなかったし買わなかったから、知らない単語でありました。自由な槍、誰が考えたのかなこの言葉。

なんでいきなりフリーランスだ何だいっているかと申しますと、最近朝4時半くらいに目が覚めるのです。歳とると早朝に目が覚める様に成るとは聞いていましたが、五十代後半にして12時半過ぎに眠剤のんで寝た後この時間に目が醒めているようであれば、万が一、億が一七十代まで生きちゃってホンモノのジジイになったら眠剤ボリボリ齧って夜9時くらいに寝て午前一時頃目が覚めて、ヨメが横で寝てるなんて、地獄だろうなあ。どうやって死のうかしか頭に浮かばないでしょう。ふつうは。どっか身体痛くなってるだろうし、良く行く病院の医者は、八十過ぎてバリバリ働く為に運動の仕方を教ましょう、とかいいますが、冗談じゃネエ。だいたい七十歳も過ぎて明るい希望と未来に向かって、なんて考えてるジジイはどこか脳がオカシイか天才かのどっちかですよ。どうやって病院滞在日数、医療費を最小限にし、まわりに迷惑をかけずにくたばるか、そこの最後の哲学的ソフトランディングを考えるのがジジイの努めでしょ。そんな朝一時に目が覚めて横でヨメがグーグー寝てたら、そーっとベッドから這い出してカウチに寝転がって、その時アタマに去来する事柄は、どうくたばるか、しかまともな人であれば考えられないでしょう。さあ、これからいいナオンがんがんナンパしてやりまくるぞ、なんてジジイ危険だよな、逆に。これからがんがん儲けて派手に遊ぶぞう、なんて考えてるジジイは相当な俗物。

ああ、いつまで続くんだろうこの人生、明日死んでも一年後死んでも、まあ、宇宙的な目とまでは言わない。大気圏で充分だ。そのくらいの高さから地上をナガムれば、大した違いなどありはしない。それ以外の存在意義に関する根本的発想がジジイに残ってるのだろうか。とにかく、どうあれくたばるしかもう既に選びようがない状況で、死にたくねえダ、ああじゃラコウじゃら医者とか家族の前で醜態だけはさらしたくない。まあ周りにそういう人がいなければごねることもできないんだろうけどね。医者もそこんとこ分かってもらえないかな。つまり、イイクスリがありますよ、なんて言いつつ、強力なモルヒネを注射してくれるとか。そして、あ、と心臓が止まる。いいねえ。粋な死に方だ。どちらにせよむごたらしくは無い。

人の命は地球より重いと言った昭和のバカな政治家がいたが、これから地球の人口が80億だ90億だ言ってるンだから、何十億京トンをこの地球様が我々クズ人間を支えなければ成らないわけで、所詮無理だし、倫理的に命は重量ではないでしょう。オランダ、ベルギーも含まれたかな、医師に先は長くない、痛みにもだえ苦しむこと必定の病と判断された患者は、眠るように死ねる注射を打ってこの世に自らの意志でおさらばできるシステムを導入したわけで、これが本当に人権というものが分かっている国家、組織、市民、市井の人、一人一人個人が真の意味で尊重される社会だからこそできる技だろうと思います。十代二十代でくたばるのはむごいが、ある程度歳を重ねて、子供孫に借金を残さず、また逆に一文無しになってしまったら、合法的死を選ぶシステムがあってしかるべきだと思うな。これは法的にも自らの意志ならば殺人には当たらないと思う。耶蘇教の人々は反対するんだろうけど、オレが本当に困ったとき、一番冷たいアドヴァイスをしたのは耶蘇教のカタタチだったな。貴方は神様に生かされている。祈りなさい、だって。バカいってんじゃねえ。念仏唱えてメシ喰えるか。オレは神様の携帯番号が知りたい。聞きたいことが沢山あるからね。

ヘヴィースモーカーの牧師をアメリカで見たときは笑った。自殺を禁ずるあっちの坊主が緩慢なる自殺を自ら実行しているんだから。だいたい人命がそこまで「大切」なら、一言で神様があーじゃコーじゃいってる奴がその理由を示してくれないかな。そして世界中の武器、核爆弾、地雷、戦車、戦闘機、機関銃とか戦争、殺人、全部無くなるような教義ひねり出してみなって。現実はそうじゃ無いんだから。そんで酒もタバコもこの世から全部無くして、寿命というものを全うしなければならない根本理由を説明して欲しいです。誰か分かりませんが。そういう彼、カノジョには耳を貸してもいい。あくまでも聞くのみで言われたことは実行しないかも知れないけどね。

 

とにかくニホンもこのシステムを導入すれば良いんじゃないかな。どうあれGDP世界三位で年間三万人以上自殺してるってどうなの。後片付けのこと考えたら、○×総合病院、落命科、絶死科、必死科、どういう命名でもいいんだけど、病院医者も絶命機関を設置すれば良いのに。その人の念書とサイン、後々残された家族が困らない遺書があることが条件で、それがそろえばすっと注射してもらってふっと気がとおくなったら、ハイおしまい。そういう所があれば、そういう科目が病院にあるというだけで逆に救われる人もいるのではないかと思う。病院関係者の方々へ、これ儲かると思うよ。やんなよ、儲けることだけの世の中でしょう?

 

ま、オレはそこらへんの所を、逆縁にだけは成らないように、つまり親孝行してないからこれだけは約束するから惚けるなとオフクロに言い聞かせているのですが、息子として親より先に死なないだけで勘弁してくれという意味です。その後に、ある程度、自らの生き死にをうまくコントロールしたいんだが、やはり運の良い死に方と悪い死に方があるなあ。どんないい人でも悪い人でも、そこのバランスは選べないみたいで、本当に不条理だな。なんで生まれてくるんだろう。

しかもどっかの医者みたいに百歳過ぎて現役とか、そんな大人が増えれば増えるほど若いもんがワリ喰って仕事もそれこさ希望もなく世の中彷徨わなくちゃ成らなくなるんだから、かといってジジイのホームレスも扱いに困るから、ウマいことソフトランディング考えないとなあ、と思っている五十代後半です。無神論者云々も、たとえばヨーロッパのように、社会の礎、人間関係、全てがキリスト教によって出来上がった歴史背景を持った世界に生まれ育つからこそ、それを逆にキッパリと拒否できる、つまり私は神は信じませんとはっきり表明できるわけで、ニホンみたいに、ハローウインは真似るは(アレは何だか悪魔教のマネでしょ)クリスマスにカノジョとテルホ行ってコンドーム一個じゃ足らないとか、正月に、似合いもしない着物着ておめでとうとか言って明治神宮の人混みに揉まれてまで、わざわざ少額ながら身銭投げ込んだり、こんなワケ分からない国で無神論という概念自体が成り立つはずはないし、あとは山本七平氏の「空気の研究」その他の著書を読めば、オレら気付かないうちにニホン教信者なんだからさ、日本語喋っている時点で、この島国の人の脳の機能は他の全世界の人と仕組が違うことも証明されていて(日本人の脳、という本を皆で読もう)もうこれで充分でしょう。

そんで四時半に起きてションベンしたあとやる事無いから仕事のメールとか、いろいろアイデアメモったり、TO DOリストなんてワケ分かんないもんは使わないけど、やらなきゃ成らないことノートに書き込んでいるので、そこに目を通して、その事柄が一歩先にすすんだら、たとえば、HAVE TO MAIL →MAILED→GOT ANSWERなんて書かないと同時にたくさんの事やってるから、忘れちゃうんだなあ細かいことを。だからメモをいちいち書いているんだけど、ヨケイな、つまりいずれくたばるとか、生老病死とか、或る意味クソの役にも立たないのに生きているという事実自体を忘れるコトができるんだよなあ。やること、があると。人間はそれ以外、ちょっと猿より変に自意識の強い哺乳類ってだけな気がしてしょうがない。すばらしい芸術も、人類の歴史に散見されるけれど、90%以上は戦争、殺戮、人種差別、肉体的精神的痛み、苦しみとの戦いのみで我々の歴史はできていて、そこに気付かずスゴく明るい人って感性がナニも無いんじゃないかなあ。

 

あ、天才とキチガイは別ね。

 

仏教も欲を捨てろっていうけど、仏陀は自分の悟りを他人に教えたいという欲があるわけだから、何だかよく分からない。

 

まあね、音楽をなんでやってるいるのかと深く自己の内面を問い続ければ、究極的に答えに窮するけれど、たとえば、絶頂期のマイルス・デイヴィスに10兆円あげるから演奏するの止めて、って言える奴がいたとして、マイルスに言ったら、奴はどうしたろうか。止めるかな。10兆円あれば、宝くじ当選者の七割が人生ボロカスになるというけど、南仏に別荘買って、本当に作りたい音楽をじっくり作るというのもありかなあとも思うし。別にもうお客が来る来ないとか、ツアー中、ガス代が意外にかかるナこのばかレンタカーとかそういう発想は少なくとも無くなるわけだ。要するに音楽やってたって、或る時代に凄く受けた音楽も百年後には誰も覚えてなかったり、リヴァイバルもなし、全ての人が忘れ去るというものと、その音楽家が死んで50年後100年後にもの凄く再評価され脚光を浴びる場合もあるし、そのどちらにもひっかからずに、タダそこらでバンドマンとして、まあ好きなことやって死ねて良かったね、で終わる人が大半なんだから、まあそういう意味で、究極的な答えに窮するわけです。それで、ここで芸術に関わっているくせに10兆が云々、やはりカネのことしかオマエはアタマに無いのかあ、とかいう方は、進んでオレのスポンサー、パトローネスになって下さいね。逆に芸術に出費する喜びを教えて差し上げます。

 

また、無名より有名の方が得な時もあるけれど、有名だからってイイ音楽やってるかというとそうで無い場合も多々あるし、無名でも、あ、という感動的音を出す音楽家も極わずかながら私は聴いたことがあります。

 

で、なんでこんな文章を書いているかというと、これら脳内に浮き出る言葉をコウして外に書き出してないと本当に狂いそうになってくるからで、既にもう狂っていることは分かっていますが、あれだけ好きだった酒煙草を止めて脳が50時代後半にして中坊と同じ状態に逆戻りしてしまったのです。この状態を私は自ら、Natural High schoolと呼んでいて、Junior highから、こんどNatural High Schoolに自ら入学入脳するのでやんす。そして次には、学費のかからぬ,Natural Highversity に入学し、卒業と同時にコロっと死ねたら本望です。人様にこの様な文章をさらす意味を問われれば、貴方はなぜ生きているのかという実存内容証明書を私に送付後、訊ねて下さいね。

 

さて、ジャズやってるからって狂ってるというのは偏見です。もう時効だしウイキに出てたからコピーして載せます。こいつクラシックのくせにパーカーよりデタラメだ。

 

ニコラ=シャルル・ボクサ

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ボクサ、1842年

ポータル クラシック音楽

ロベール・ニコラ=シャルル・ボクサ(Robert Nicolas-Charles Bochsa, 1789年8月9日1856年1月6日)は、19世紀フランス作曲家ハープ奏者。波瀾万丈の生涯を送り、世界各地を転々とした。

生涯[編集]

1789年にモンメディで生まれる。神童ハープ奏者として活躍した後、1813年ナポレオン1世の宮廷楽団のハープ奏者に任命され、オペラの作曲に着手する。しかしながら1817年通貨偽造結婚詐欺(または重婚)、文書偽造への連坐により、告訴を免れるためにイングランドに逃亡。欠席裁判によって懲役刑が課された。

フランス法から無事に逃れてロンドンに上陸、1821年王立音楽アカデミー開設に協力して学長を務めるが、1826年に前歴が発覚したため、辞職せざるを得なくなる。その後はロンドン王立劇場の音楽監督に就任している。

1839年に再びスキャンダルに関与、今度はオペラ作曲家ヘンリー・ビショップの夫人でオペラ歌手アンナ・リヴィエラと駆け落ちして、海外に逃亡したのである。ふたりは(フランス以外の)ヨーロッパアメリカ合衆国で演奏活動を行い、1855年12月にゴールドラッシュに沸くシドニーに上陸した。しかし、オーストラリアでは1回しか演奏旅行を行うことができなかった。シドニーでボクサが急死したからである。アンナ・ビショップはシドニーのキャンパーダウン墓地に、彫刻をあしらったボクサの墓碑銘を贈っている。

 

 

ガイキチですな。

 

10/21 2017

 

 

 

バカも休み休み言え,と自分自身を鼓舞し、バカなことだけを記す

Blogは毎日更新していないと意味がないのかも知れませんが、まずは主語をどうするかということから、自分なりの疑問を自分に投げかけ、逡巡している隙に月日が経ってしまいます。英語のみならず他の言語でも「わたし」すなわち「I」は日本語のように多様ではありません。IchとかJu、Jeg(デンマーク語)とか、一個なんだな、我を表す言葉は。 だから話が飛ぶようで飛ばないのですが、漱石がI love Youを「月がとても綺麗ですね」と訳したのは有名な話で、つまり日本語は、特殊な言語なのです。「日本人の脳」角田忠信著、コレは全ニホン人が読むべき本ですが、つまり日本語話者である我々の右脳左脳とオノマトペについて書いてあります。 とにかくIamのIである、私、(ワタシ、ワタクシ)僕、俺、アッシ、麻呂、あたい、オれっち、あっし、 あちき、挙げていけばきりがありません。明鏡止水という言葉がありますが、その時々、状況により、相手に不快な思いをさせずにこちらの意志をさらりと伝えることが、日本語のみならず、言語、口頭による情報交換の根幹な筈なのです。そのための丁寧語、敬語なのではないでしょうか。また敬語といっても、本当にちゃんと使えている人はごくまれです。更にいえば、何%のニホン人が本当の儒教を真剣に学んだことがあるのか。 この話は置いておいて、日本語の場合、主語を入れ替えるだけでとんでもねえコトになる一例を挙げましょう。 「拝啓、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。つきましては、以前オレがそちらに提出致しました、オれっちの資料の内容はキサマにとってはいかがだったでしょうか」 草々(ハッパハッパ) などという仕事の文章を書いたら、あ、こいつキチガイだな、とすぐ思われること必定でしょう。日本語は全てをムチャクチャにしようと思ったら主語を入れ替えるだけで、丁寧語、敬語もぶっ飛んでしまうのです。 また、お疲れ様でした、これを英語に訳すのもとにかく不可能ではないかと思っています。僕は、You must be tired 、have a nice dayでもう良いのではないかと常々感じていますが、だいたい日本語というのは奇妙な言語で、たとえば極端な話ですが、小塚礼という名前の方がいらっしゃると仮定すると、話がややこしくシュールレアリスティックになってきます。 「課長、今の方はどなただったのですか」 「ああ君、小塚礼様です」 何かアタマの中でネジがピンピン飛ぶ感じですよね。 まあ、blogというのは、ですから、だから、だっからよう、オレのようなミュージシャンの場合、普段喋っているように書きゃあいいんでい、てんでこの文体で仕事のメールを書く勇気はねえんだなコレが。しかし、漱石が候文を口語体で書いたから現代の文学の礎になったわけで、だからよう、オれっちのblogは好き勝手に書かせてもらいてえってコトなんだよう。こういうblogよくあるじゃん? や〜ん、たくさんのお客さんに聴きにきていただいて、ヒロシうれし−、とくにTさんからは花束なんかもらったりして、ヒロシ感激、、、あ、お店の人もとっても親切で、ヒロシの音楽をふか〜く理解してくれる優しい方、、、ウフフ、です。それでさらについついオイシイワインを頂いたりして、飲みすぎたり(汗、、、、、) こういう、ド白痴な、軽薄で下卑た、どアホウ文章よりましなんじゃないかと勝手に思っています。普段アタマの中に浮かぶ言葉、思いをそのまま書いちまった方が、もっとMUSICの内容もぶっ飛べるんじゃないだろうか。少なくともチーハクよりはマシなんじゃないか。このblogという、一億総エセ評論家の時代に、新しい、何かの論評、新しいエッセイの表現形態など、もう現れてもビジネスとして機能しないでしょう。別に書いた文章が売れなくたって、なんとかブログサイトの上位に行けばスポンサー付くんですから。(あ、あ、汗、、、)とか書いてるのでも良いんだから。 世も末ですよ。しかもこのSNS の世界、日本語の分かる方ならば、世界中に私、またはオレの文章が回覧されるワケで、追々、我々の分野では、演奏後記などという以前のたおやかなる文章表現は姿を既に消しています。残ってんのは、残酷熾烈な、人目を気にした、どっかで手もみをして、えへへ、マイドありの、奴隷根性むき出しの文体ばかりがネットのいわゆるblogの中に目に付きはびこり、オレはそういうのを読むことに辟易としている。いずれにせよblogなのだから、オレの他人には語りたくも書きたくもない私生活を織り交ぜ、オれっちの音楽活動をオホホザーマス文体で書くのが妥当なのでしょうが、一文にもならないこの文章、ブログかブサイクか誰が名付けたのかよく分かりませんが、オレはオレの書きたい言葉で、その瞬間思い浮かんだ感情を、この場でだけは好き勝手に書かせてもらいたいのです。自分のサイトなんだし、読みたくない奴は読まなきゃ良いだけの話で、だから好き勝手に書こうっと。 私生活云々言っておきながら、昨日の「私生活」を開陳しますると、妻が出張のため朝5時に目覚ましが鳴りたたき起こされ、その勢いで外に飛び出し強歩一時間半、汗だくになったのでシャワーを浴びて、パンツ一丁にて作曲、指の練習をピアノに向かって一心不乱でこなし、しかしそういうときに限って無視できない電話などかかってきて、またその内容が、不本意なる反故、土壇場の、それはねえだろうキャンセル、あんたがそこまで言うんだったら、オレだってケツまくっちゃうよサイン出し、とにかく曲作りに集中させてくれ、と云いたくなるような内容ばかりで、昨日の生徒さんは話が分かる方であったので良かったのですが、やはり生徒にもピンぼけはいて、「では右手で弾いて頂けますか」とオレが丁寧語で言っているのに、左手で弾き始めたり、こういう方は私より良い大学を出てちゃんとお勤めをしている方なのですが、こっちが汗だくで一番面倒くさい基礎のことなどを懸命に教えた後、帰りぎわに月謝を下さいといったら、そうですよね、こういう事ってお金のかかることナンですよね、次回のレッスンに持ってくるのはダメですか、、、、、こんな生徒本当はその場でおもっクソ蹴り倒して、舐めてんじゃねえよう、テメーのやってることは無銭飲食万引きとかわらねえんだぞこの野郎(あとアウトレイジ語)という言う常識をなぜオレが教えなければいけないのかというオレンジレンマ色の不条理に身を浸すのはもうオレはイヤなんだ。 あのね、オレはちゃんと教えるんだよ。スケールから。その成り立ち、TRIAD の大切さから教えますよ。それでだ、CHORD NAMEは和製英語なんだよ、正確にはCHORD SYMBOLSで、ON BEAT,OFF BEATじゃなくてUP BEAT,,,,,フォービートなんて誰が言いだしたんだよバカタレが。SWINGだろうが。 いちいち正確に教えるの大変なのに教えてるんだよ、本当の基礎を。だから話が戻るけど、教えることにエネルギーをたくさん使っているので、ああ、では次回レッスン代を持ってきてくださいね、と溜息交じりにカネのことを言うしかないとき、オレは心底疲弊するんだよ。 もしワタクシが習いごとを始めるのであれば、習う場所の10分前には到着し、5分前に師匠、先生に電話をかけ、行って良いか確認の上、玄関にてご挨拶のち、封筒に入れた規定の額のピン札を、「よろしくおねがします」という言葉とともに頭を下げながら両手で先生に渡しますが、別段オレの生徒全てにそれを求めているわけではないし、ヘンな道徳の先生みたいになりたくもない。オレはその人を観察してるんだ。あ、こいつは人にカネ払わないで、なんか習って平気なんだ、普段どんな生活してるのかなあとか。不思議なもので気に障らない人は触らないし、気に触る奴は気に触る。これはオレの修行が足らないからなのか。 否、そういう奴は、趣味で習う、プロ志向を問わず、音楽を舐めてる奴が多い、ということが長年教えてきて分かったことだ。そういう奴はどうなろうが知ったこっちゃないから、そういう音楽を舐めてる奴に、音楽を舐めんなとは言わない。 音楽を舐めてる奴はこんなものいずれすぐ簡単にお手軽に弾けるようになるとたかをくくってる奴だ。あとはただの常識のないカーバ。 で夕方の打ち合わせがいきなりキャンセルになり、もう全てがイヤになったので、蔦谷に映画を借りに行きました。酒もタバコもやめちゃうと行くところ無いんですよ。というかいままで遊びすぎましたね。女遊びもね、なんかかんか有って、、、、 それで借りようと思ったのが、もちろんいままで見たことない映画、ネットフリックスにはない映画、これからの男のファッションを磨ける、つまり衣装が良さそうな映画と的を搾り、、、 1ある殺し屋 市川雷蔵 主演 1967年 2大いなる眠り Robert Mitchum 主演 1978年 3 帰らざる川 Marilyn Monroe Robert Mitchum 1954年 市川雷蔵は眠狂四郎のイメージが強いが、あの中性的なのに声の野太い、あまりにも優男なのに決して笑わない、雷蔵の現代劇が見たかった。彼の立ち振る舞い、服装、昭和の風景も見たかった。成田三樹夫がでてた。いいジャンこの映画。 ミッチャムは言わずと知れたタッパのある、彼ほどトレンチコートの似合うオトコはいなかろう的背丈と胸厚な、静かなる威を振るう、眠そうな目のおっかないオトコで、またハットが似あうんだなあコレが。連続してみましたが、雷蔵負けてない。ということはオレにもちょっとはチャンスはあるってワケか、、、、 意外とミッチャムより雷蔵の方がかっこよかった。タバコ止めちゃったけど、たばこすうとこかっこいいーー、かっけーー!!雷蔵。「色の道を仕事にダブらせる奴は、、信用しないんでね」 かっっけーーセリフ、いつかオレも言ってみたい。もうsmapやら小栗ナンタラみたいなユデ卵みたいな男はダメだな。雷蔵は影があるが暗くはない。本物のスターだ。ミッチャムの方、帰らざる川、いきなり斧で木をスカンスカンと切り倒してから颯爽と馬に乗るシーンから映画が始まるんだけど、カッケー!ワチキだったら木を切った時点で休憩入れなきゃ先すすまないと思う。西部男は強い。 やはり狙うは雷蔵ロセンかな、眠くなってきた。おしまい。… >>>

ジャズは「難しい」のでしょうか。

本日は「素」の休日とでも呼びたいほどの、朝から妙にしんと静かな一日で、世間は相変わらず騒がしいけれど、しなければいけないことが一段落した先の、後は各方面から答えを待つのみという頭の回転と様々な進行状況が膠着するという日であり、自分が「素」に戻れる貴重な一日であった。 幸いにも本日は晴れ渡り、四月中旬より何故か肌寒くはあるけれど、身軽な私にはその空気がとても心地よく、散歩する街々の表情もひじょうに澄み渡って見える。こんな日には新しいスケールの練習でもとも思うが、本日は楽器の演習も休むことにし、Sound cloudなる新しいメディアにも、何やらちょっかいを出しているのだが、今ひとつ使い方と用途が分からない。更に最近始めたInstagramも,何をどう宣伝で使って良いものやら、まずは使いあぐねているというのが現状だろう。FBやtwitterのみでは追いつかぬ世になってきたようだ。 朝、規定の散歩から帰り、部屋を掃除し、軽く瞑想をしてから自分の時間をゆっくりと過ごすこととする。明日は下北沢Apolloにて斉藤#社長#良一Gトリオでの演奏である。明日(もう今日になってしまった)のみならず作曲ももっと頻繁に毎日続けなければいけないのだが、ある意味神は人間を自らに対する完全なる奴隷としておつくりにはならなかったのではないかと最近思う。つまり、観点を変えて言えばどんな奴隷にも余暇は有ったはずで、そうでなければブルーズも育たなかったろうし、イソップ童話に出てくる人物達も、あのような物語を創造するヒマさえなかったであろう。 さて話は飛ぶが、ジャズは難しいといわれて久しい。では簡単な芸事とは何でどのような形態のものを指すのだろうか。例として、歌舞伎観劇こそ芝居にかよってかよってかよいとおした者しか分からぬ面白みと、他の演者との差異を楽しめる最も粋な道楽の一つと言えよう。落語も映画もまたしかりである。しかるに音楽は、クラシック、ジャズ、ロックとジャンル分けが過ぎるきらいがあるが、同じ事が言える部分と、私の祖母さえ感動させうる何かしらの力を音楽自体は有している。一歩思考を深めると、音楽の場合は、その演奏に対して何の先入観、予備知識がなくとも、直接サウンドとして人間の胸中に響くからこそ、そこに大いなる神秘を聞き手は直感できる。 「ジャズ」が難しい、のであれば、それは聴く体勢がすでにナマ音として胸中に響く空気の振動を拒否している、または、難しいから聴かないという先入観が邪魔をしている時もあるのでしょう。芝居等はその物語、時代背景、作者の生きた時代等知ることにより更に解釈は広がり、より観劇の醍醐味を味わうことの助けになる。音楽にもジャンルを超えて同じことが言えるが、歌曲、歌詞を伴うものを抜かして、音楽そのものがサウンドで出来ている以上、芝居、歌舞伎、落語等ほど観賞に際して要求される基礎知識を必要とせず楽しめる要素は音楽の方が他に勝ると思う。何しろ私が始めてジャズという音楽を聴いたとき、何の予備知識もその歴史さえ知らなかった。多くの人に良い音楽を聴くきっかけさえめぐって来る回数がもっと増えればと願う。 音楽の理論さえ、天才の掟破りによって構築されたものの集大成であるし、一言でジャズと言っても、斯界の中でさえ、コレはジャズではない、コレこそジャズだと、謎の喧々諤々が繰り広げられているのであるから、なにも「難しそう」だからと言って恐れることもない。音楽に限らず芸事は最終的に好き嫌いに行き着くと私は思っているが、まずはあらゆる芸術形態に触れる時と同じく、ジャズってこうだという先入観をもみほぐしてから生演奏を聴く機会を持ってもらえればと思う。 人は社会的動物と充分分かりつつ、本日は誰とも口をきかなかった。唯々以上のようなことをつらつら考えながら歩き通した。 >>>

やっと新しいwebsite再構築も終えて、清々しい気分です。後は必要箇所を少しずつ英文に訳していきます。ご愛顧頂いたFBにも連載した「フランスのパリのベロニク」も、聴きを見計らってまた書き続けるつもりです。今回は我が師匠というお題にて。 ああ、オレなんだかくたびれたって言うか、クタぶれちまったというのが正解かな。先月2月の最後にがっくりきた。演奏はバリバリですよ。でも教える方がちょっとね、ピアノ教えて早23年かァ。長持ちしたもんだよなあ。3月一杯ピアノ教えるの休んでるんだよね。まあ、習いに来て下さる方々には、感謝しかない。オレのとこにわざわざピアノを習いに来てくださる。畢竟こちらも本気になるでしょ。知ってることは教えたくなる。でもね、この前ある生徒が「Georgia On My Mind」教えてくれって言うから、まあね、オレも黒人じゃないし、まあそれ言ったら全てのファインアーツの先生の首が飛ぶんだけど、まあそれは置いておいて、知ってることは教えてあげようと色々説明してたら何か話がかみ合わない事に気付いて、「だからレイ・チャールズがさあ」って俺が言ったら、その生徒、「それ誰ですか」って言ったんだよね。オレ一瞬眉毛の上なくなったような感覚になって、ちょっと教えるの休もうと思ったんだ。あんまり上から目線で人を見たくないけどね、溜息吐き過ぎると窒息すると言うことをこの歳で始めて学んだ。 でも、オレもあまり人のことは言えない。バークリーに行って二番目のピアノの先生がChristian Jacobというやたらめったらピアノが上手い人に習う事ができた。ああ、銀座のナイトクラブで苦労してカネ貯めた甲斐があったと心底思ったもん。こういう人にやっと巡り会えた。松尾和子の「再会」「銀恋」も毎晩8回弾かなくて良いし、習えるオレはなんて幸せなんだろうと思った。ボストンの秋の透き通るような青空を見上げながらそう思って涙をこらえたことを今でもぼえてるんだ。やはりボストンに来て良かったんだって。 クリスのピアノの上手さは半端なかった。生徒として全然ついて行けない。まずその場でスタンダードをドンドンリハーモナイズしていって、右手短三度クロマチックで高音部からおりながら、左手はまったく違う音程でやはりクロマチックで引き上げたり、両腕をクロスして右手でベースラインを低音部で弾きながら左手でソロを弾いたり。こう見えてもオレもね、日本の音高のピアノ科行って、東京音大では打楽器科で、随分上手いクラシックのピアニスト見てきたつもりではあった。だがクリスのピアノの上手さは、メンタマが飛び出て、飛び出たメンタマ、メンタマないから何にも見えなくて探せません、くらい上手いんだな。そして音がキレイ、特に高音部、ショパンのエチュードを12KEYで弾かれたときには、顎が外れると言うより、レッスン室の彼の横でゲタゲタ笑い出してしまって、アア、地球は広いな、としか言葉が頭に浮かばなかったもん。なんだこれ?どうしてそんなことができるんですかって聞いたら「Well,メロディーとハーモニーとリズムを違うキーで弾けばイイでしょ」だって。だからそれができないから教わってるんだって。 でもさ、引き下がりたくないから、クリスに追いつくのにどうやって何時間練習すりゃあいいのと思って、クリスに、どうやって練習したら良いか聞いたら、「アイデアを大切にしろ、たとえばこういうフレーズがあるだろうイロシ」彼はフランス人だからオレのことをイロシと呼んでたけど、そのアイデア展開中にウエーダコーとか言って自分の世界にはいっちゃって教えるも何もなくなっちゃう。クリスの独演会になる。まあそれはある意味贅沢な時間ではあったが、オレに何か教えているわけでもない。こういう状態って、当時のオレにはやはり「レッスン」ではなくて、だから、ようし、と思い立ち、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、当時流行っていたSONYの高音質テープレコーダーを高額な値段で買って、レッスンを録音することにしたんだよね。だってクリスは天才だから、なぜ他の人は自分が弾けることが弾けないかが分からないから教えられないということだけは分かったわけだ。そしてとにかくクリスにスタンダードを弾いてもらってオレの方はクリスの弾くフレージングとかをベースラインやハーモニーで何とかカヴァーして、とにかくあまり会話せず、ピアノDUOを、レッスン時間中弾き続けることにした。だって口で説明できない先生なんだから弾きまくらせてそれ録音して後で聞き直してコピーして追いつくしか方法ないと思ったんだもん。それでもクリスとDUOができるなんて夢のような時間だったなあ。あのレッスン室から見えたボストンの街の風景、オレは死ぬまで忘れないだろうな。弾き終わるとクリスは、「イロシ、こういうフレーズ弾いたろ」って、俺の手癖、おっちょこちょいなところ、全部真似て正確に再現して弾いてみせるんだよね。これにもぶったまげた。腰抜かしたよ。クリスはオレが弾いたことも一瞬にして覚えてしまうんだ。 「Your idea,ahh here, ok,,like this」なんて言いながらクリス、オレが弾いたフレーズをまねしながらムチャクチャカッコイイ音をはさんで、なんだか聴いたこともないヒップなフレーズに仕立て上げる。「Look!Iro, this is your idea,you can change like this」ってそう簡単にチェンジできたら習ってねえよもうって感じだった。 まあとにかくレッスン終わったら速攻で家に帰ってテープを何度も聞いてクリスのフレーズやハーモニーをコピーしたんだけど、一番かっこええところがなにやってんだか何度聞いても分からない。それでそのコピーの譜面を次のレッスンの時に持っていって、先生ここどうなってるんですかとたずねると覚えてないって言うから、録音したモノを聴かせると「ウエーダコー」とかフランス語で叫びながら、自分の弾いたフレーズにまた更にカッコイイ対位法的なラインを弾いたりするんだよね。ちょっと待ってクリス、そんなことしてとは頼んでないし、それ録音したいけど今録音機使ってるから、ああ、まあ、いいや、このロセンで対抗しようったって所詮無理ってことかな。でも日本では絶対に習えないことが習えるという確信があったから、オレは食らいついていった。でもクリスには悪気はないんだけど、分からない奴がなぜ分からないのか、弾けない奴がなぜ弾けないのか、本当に本人には悪気はないんだけどクリスには分からないんだよ。天才だから。だってレコード一曲聴いたら、ピアノのソロのみならず、サックスソロも全部覚えちゃうんだなあの人は。そう、ほんとにChristianはマジでピアノが上手かった。下手したらオスカーピーターソンより上手いんじゃないかなあ。クリスを知っている人は否定するかもしれないけど、あの人オスカーのまねが上手で、時々マネしてオレに聴かせてくれた、オスカーより早く弾く、かっこよかった。腰抜かしたよ。ぎっくり腰になるかと思った。まあ、その時もオレは横でゲタゲタ笑ってただけだったけど。これは何か別の作戦練り直さないと、ピアニストなんて成れないなって本能的に感じたもん。同時にもうほんとに色々とやんなった。今までなにをしてきたんだろうって。 彼はパリ音楽院を優秀な成績で卒業し、バークリーに来て学生になったのだが、教える人が4ヶ月ぐらいでいなくなって先生になったという、なんだか良くわかんないくらい上手い人だったけど、俺はこの先生を離すもんかという勢いで、質問攻めにしたり、色々なアプローチを試みて、クリスのエッセンス、楽器に対峙する方法、音楽の理解のしかた、全て吸収してやろうとがつがつ食らいついた。俺は天才じゃないけど、あんたに負けないくらいピアノが好きと言うことはタイマン張れる。そこだけは自信があった。学費払ってんのはこっちだ。とにかく何でも良いから弾いてくれ。良い時代、時間だったな。 もう一人、アメリカにいる頃忘れられない先生はMr Steve Kuhn。アメリカに行く前から、何かこの人のピアノの音は他と違うなあ、好きだな、と思って、コピーとかしていたんだけど、ボストンにMr Kuhnのトリオが演奏に来る事になって、オレ一番前の席取るためにそのクラブの入り口に午後四時くらいに行って並んだもんね。で本番が始まってナマのMr Kuhnの演奏聴いてぶったまげた。レコードじゃあやはりカヴァーしきれない美しい倍音の響きとか、Mr kuhnは背丈が190cmぐらいあるからとにかく楽器が鳴って手もでかいからサウンドも分厚い。コピーなんて何の意味もないなあと聴き惚れている内に、そうだ、ダメ元で教えてくれって聴いてみようと思い始めたんだ。 全てのショーが終わってから、楽屋に行こうとしたら、クラブの従業員にそっちに行ってはだめとか、あーじゃラコーじゃラ文句言われたから、日本語で、「ばかやろう!挨拶に行くだけダよう」って言ってクラブの奴に英語分かんないフリして無理矢理楽屋に押しかけていったら、共演者のドラマーのアル・フォスターがいた。「Mr Kuhnはどこですか」「あー。今バスルーム行ったよ」 バスルームって英語でトイレのことだから、トイレに走って行ったんだ。そしたらMr kuhnがジョーってションベンしていた。そしてカーぺって痰切ったりして。あんな紳士で幻惑的なサウンドで聴いてる客を思いっきり酔わせたあのMr Kuhnもただのオヤジじゃんとおもいながら、なぜかオレはションベンもせずずっとトイレの入り口からMr kuhnを見つめていたんだ。用を済ませたMr kuhnは振り返りざま、変な東洋人が用を足しているところをじっと見てることに気が付いて、なんだこいつはという目でオレを見た。あたりまえだよね。トイレの中に二人きりで、片一方は眼鏡かけたチビなんだから。まあとにかく、長年尊敬し、ずっと会いたかった人を前にすると、日本語でもワケ分からなくなるのに、英語で話さなければならなかったから、もうジャパニーズターザンみたいな英語になっちゃって「あー、アイアムピアニスト、ユーグレート、 アイリスペクト、アイハヴユアレコード、エヴリシーング」Mr Kuhnはじっとぼくを見つめながら動かないしなにも言わない。こいつはいったいどこのどいつなんだ、このバカはいったいここでナニやってんだって目つきでオレの方を見ていた。状況を変えたくとも身体が固まって上手く行かない。段々焦ってもくる。「あー、アイワンツーテークレッスン、アイフロムトーキョー、ファーラウエイ、プリーズプリーズティーチミー、テレフォンナンバー、アイワンツーノー」 でもさ、気持とか、本当にその人を尊敬していたら通じるモノなんだよね。 Mr kuhnは黙ってネームカードをオレに渡して「Call me」とだけ言ってトイレを出て行った。かっちょいいでしょ。この人ハーヴァード大学卒業してるんだよなあ。あったまいいんだよ。まあ最初にMr Kuhnと話をしたのがトイレの中って信じられないけど、まあそんなこんなで2~3日経ってから電話してみたら留守電で、また2〜3日経ってからかけても留守電で、しょうがないから留守電にボストンで名刺もらった日本人覚えていますか。レッスン受けたいです。こちらの番号はこれこれです。メッセージを残して下さい。思いつくこと全て留守電に喋りまくって、その後六ヶ月の間に何十回も電話し続けたの。電話に出ないんだもん。 オレはどうでも良いことにはサッパリした性格だけど、これだと決めたら執念深いの。そののちSteve Kuhn Trio がまたボストンに来る事を知って、最後のチャンスだと思って手ぐすね引いて待つことにした。前回と同じクラブで演奏するってんで、すっ飛んでった。一番前の席にまたすわって、演奏を聴いたんだ。またこれがすごい演奏で、もう体中がトロけるようなサウンドの波に翻弄されながら、ああ、やっぱりアメリカ来て良かったあ、と思った。 前回と同じく「サー、ユーキャンノットゴーツードレッシングルーム」とかいってくる従業員を無視して楽屋をノックしたら「カムイン」という声が聞こえたので中に入ったら、誰だったか忘れちゃったけど、共演者のドラマーが、おまえ誰だって聞くから「Mr Kuhnに会いに来た」と言ったら「彼はバスルームだよ」とそのドラマーが言うから、なんだか不思議な既視感とともにまたトイレに行ってみたら、今度は大の方のドアが閉まってて、これはいくら何でもトイレの中で待つのはまずいと思って、入り口の外で待っていたら、Mr kuhnが出てきた。挨拶したけど、全然オレの事なんてかけらも覚えてないって顔して何だ?っていう表情になったので「リメンバーミー?アイメットユーラストタイムヒア、トイレット、アイムヒロシ、ピアニスト。アイワンツーテークアレッスン、アイコールドユーメニータイムス、リーブアメッセージフォーユア、えっと、アンサリングマシンえーっと、とにかく教えて下さい。教えて。教えて。お願いします、お願い、お願い!オレあんたのピアノ惚れ込んでるんだよ!」なんだか最後は日本語になっちゃったけどとにかく相手がうんて言うまでオレはMr Kuhnから離れないって決めてたから、今から考えればストーカーだな。Mr kuhnは穏やかで、そして素晴らしく知的な眼差しでしばらくオレを眺めてから「ああ、おまえか、ワケの分からないメッセージ、アンサリングマシンに残したのは」ていうから、「イエスイエス、テクアレッスンテークアレッスン」てずんずんMr kuhnの方にせまっていった。 その後の経緯はあまり覚えてないんだけど、レッスンの日を決めることができて、友人の車頼んで乗せてもらって、当時ロングアイランドに住んでいたMr… >>>

PARIS 35

第2章ーコブラー その晩アランの車で再びサンドニへ。控え室にて、演奏開前にコブラ以外のメンバーが揃った。ハンパリは修理の終わった楽器をためつすがめつ眺めてニヤニヤしている。ハンパリに何を言ってもだめだと思い直し、まずピエールと話し始めた。「アランは何であんなに英語がわからないの?」「彼はもともとシャイで口数が少ないんだ。でも彼は英語も分かるんだ。」こんなことを話しだしたのも、彼らがコブラとどういう関係で、ギャラのことに関してどう思っているのか、それを聞く切り口として話しかけたまでだった。コブラはいずれギャラを渡すと言っている。君らの意見が聞きたい云々、ピエールに聞いてみた。「いったいギャラはいくらなんだい」「一週間ここで演奏して、4200フランだと聞いた」「それはバンド全員のギャラということ?」「いや、一人一人の額だ」 とにかく、僕は何て迂闊だったのだろう。外国だからこそ、こういうことを大切に話し合っていなかった僕がいけなかったのだ。パリに来て、どこか浮かれてしまっていたのだろう、最初はただただ仕事がもらえるだけで嬉かった。とにかく今晩も、コブラの状態がどうあれ、スタンバイしてコブラを待つことにしようと意志は決まっていた。だが、待てど暮らせどコブラは姿を現さない。「ムッシュ!」近くのバーテンダーから声がかかった。ボーッと座ってないで何かやれということだろう。実際アランがベースを弾き始めたので、適当にスタンダードを弾くことになった。リーダーのいないバンドはどこか締まらない。いくらハンパリが超絶技巧を繰り出しても、客の方も我々の演奏をさほど気にしている様子は無かった。それどころか、客のお喋りや雄叫びなどで、共演者の音が聴こえない状況が続く羽目となってしまった。これでは銀座のナイトクラブと同じではないか。 コブラはセカンドセットの後半にふらっと姿を見せた。皆がコブラを見つめる中、彼は我々の真ん前でゆっくりとサックスを組み立て、おもむろに吹き始めた。その音は、たちまち客の注目を浴びるに充分なサウンドが含まれていた。二日目にして、初めて客のアテンションを引きつけることができたのである。嬉しさと共に、真面目にやっているこっちが更にバカみたいに思えた。しかし、コブラは制御不能の黒い音楽の化身となっていた。マイナーでもメージャーでもない独特な彼のオリジナル曲は、時にはクラブの地をはうようなサウンドから、天井に突き抜けるような飛翔を僕らにも見せつけながら、演奏は進んでいった。しかし、エンディングは昨夜と同じ状態でまた終わってしまった。コブラが急にふらふらになってきて、曲の途中であるにも関わらず、すっと姿を消してしまった。僕らは何となく演奏を終え、コブラの後を追った。どうせあの楽屋にいるに決まっている。皆で階段を上がり、楽屋の扉を開けてみると、薄暗い電灯の下で、ジャンがまたゲンナマを勘定していた。「ヘイ、ジャン、コブラはどこだ?」僕が英語で話しかけると「エイ、イロ、またトワレットでドゥラカムしてるぜ」と僕の顔を見ずに言った。「そのテーブルの上にあるワイン、飲んでいいかな」「シルヴープレ」 アラン、ピエールとハンパリ四人でワインを飲みながら、コブラが現れるのを待った。だが、いつまでたってもコブラが楽屋に現れないので、ピエールにささやた。「いくらなんでも楽器を置いて帰るようなことはしないだろう。コブラの楽器はまだステージの上だ。あっちに行ってみようか」四人でまたぞろぞろとステージの方に階段を下りて行くと、いつのまにかコブラがカウンターで酒を飲んでいた。いつもの薄笑いはその顔に浮かんでいない。全ての顔の筋肉が弛緩したような、そんなコブラを見るのは初めてだった。ただその眼球だけは血走り、爛々と輝いている。ピエールがコブラに口火を切った。アランもそれに混ざる。フランス語で三人が何か言い争っているようだったが、僕には意味が分からない。みそっかすになりたくなかったので、彼ら三人の間に体を割り込ませた。「ヘイ、何の話しをしてるんだ?コブラ、ギャラはいつ支払われる?」僕の英語をかき消すように、また彼ら三人は怒鳴ったり長々と演説のようなお喋りを繰り返したりしている。ここでお手上げはいやだなと思っていたら、カウンターの奥から、これまたジャン・ギャヴァンの親戚のようなバーテンダーが僕に目配せした。いまは黙っていろという合図にそれは見えた。カウンターの上にトンとウイスキーのダブルを置き、また目配せで、こっちに来いと合図した。僕は三人から少し離れた場所に腰掛け、そのウイスキーをぐっと一息で飲み干した。バーテンダーがにやっとして、また同じものをカウンターの上に置く。「ジャポネ?」「ウイ」「ケスクヴ・パルレ・フランセ?(フランス語喋れるのか?)」「ノン、パルレ・イングレーゼ」(いや、英語だけだ)バーテンダーは両手を開いてお手上げだというジェスチャーをしてから、いまは何も喋るな、という意味だったのだろう、口元に人差し指をそっと触れるような仕草をし、僕をじっと見つめた。その目には、慈愛と優しさに加え、同時に、こういう商売の長い人が持つ独特な威厳が一緒になって光っていた。僕はなぜか男気を見せようというバカな気を起こし、三杯目のダブルを注文した。件のバーテンダーは「プフッ」と言いつつ三杯目をまたトンとカウンターに置く。人生の師匠はどこにいるか分からない。そう思いながらちびちび飲んでいたら、ピエールがやっと状況を説明しだした。「エイ、ヒロ、コブラは最終日に必ずギャラを払うと言ってるぜ。一人、4200フランだ。これはコブラを抜かした額だ」「コブラと話せるか?」「奴はぶっ飛んでるぜ」「かまわない」 「ヘイ、コブラ。話しはついたようだな。最初からこのことははっきりさせるべきだった」コブラは、ものすごくフラフラだった。話しかけたことを後悔した。「エイ、イロ、俺のことが信用できないみたいだな。いいか!オマエはアメリカの音楽学校のスチューデントだ。オレはオマエのサウンドが気に入ってバンドに入れてやったにすぎない。だがオマエは基本的に学生だ。それがいやなら学校をヤメろ!音楽なんて学校で学ぶもんじゃない。オマエの心は揺れている。パリに残るかアメリカに帰るか。そんな中途半端な奴にギャラの話しで文句を言われる筋合いはない。そういう半端な所もサウンドにでるんだよ!オマエは良くやっている。だが学生ということは、オマエはプロじゃない。そんな奴にギャラに関して文句を言われるのは頭に来る。俺がパリでどういう存在かも知らないクセしてこのジャポネ野郎が!」 悔しいが、言われた通りだった。僕の中途半端な立場を思いっきり指摘し、翻弄させるに充分な意見だった。僕は二の句が継げなかった。だがこれも、コブラの一つの作戦にも思われた。いずれにせよ、これは自分自身の問題だ。しかもギャラは仕事が終われば払うと言っている。一旦ここでコブラを信用するしかあるまい。コブラは、僕の返事など聞くつもりもないといった感じで楽器を片付け、僕らに何も言わずクラブを出て行ってしまった。「ピエール、奴の言うことは信用できるのか。前に彼と演奏したことはあるのか」「ああ、あるよ、、、まあ今夜はお開きとしよう」ピエールが口を濁した。アランはいつも通りのポーカーフェースでワインを飲んでいる。「アラン、スタション、ミッシェル・ビゾ、OK?」「ウエー、ダコーッ」ジャン・ギャバンの叔父バーテンダーが、目配せで、もう一杯飲んでいけよというそぶりを見せた。ノルことにした。 その晩、どうやってアパルトメントまで戻ったか憶えていない。久々に相当酔ったなと思いつつベロニクの部屋へと続く階段を一つ一つ踏みしめるように上がっていった。ミシッ、ミシッと木造の階段がしなう。その音を聞きつけてか、ベロニクがドアを開けて飛び出してきた。「イロ!ずっと待っていたのよ!」マイルス・デイヴィスのセヴン・ステップ・トゥ・ヘヴンがいきなり頭の中で鳴りだした。チャッチャッチャッチャッチャーチャーチャ!その後僕は、前後不覚に陥り、あとは何も憶えていない。 (続く) >>>

PARIS 34

第2章—コブラー 次の日の午後、ひどい二日酔いで目が覚めた。ベロニクはいなかった。学校にでも教えにいったのだろう。季節は段々春になってきているというのに、外はまだ薄ら寒かった。ベロニクの部屋にも隙間風が入る。まあ、隣りの物置に寝ていた時よりは天と地の差ではあったのだが。しばらく部屋でぼーっとしていたら、急に電話が鳴った。瞬間的にコブラだなと思った。僕の直感は当たっていた。「エイ、イロ、ボンジュール」。その声には、あのいつものニカニカ顔からは想像を絶する、深く低い声が受話器から伝わってきた。と同時に、こちらに何らかの恐れを感じさせる威圧感さえあった。「ボンジュール、コブラ、今日はブラザーとは言わないんだな」きっと機嫌が悪いのだろう。この直感も当たっていた。「イロ、おまえジャンからカネをくすねたってほんとうか」「盗んでなんかいないよ。ジャンにギャラをくれと言ったんだ。そうしたら、いくらか払ってくれた」「いくらよこした」「電車賃程度だ」大した金額では無かったが、僕は本能的に金額をはっきりと言わなかった。「エニウエイ、いずれにせよだ、このコブラを通さないで金銭のやり取りはするな。分かったな」「なぜですか」「このコブラがリーダーだからだ。ギャラは後日払うと言っただろう」「何日にいくら払うか決めてもらえますか」「イロ、詳しいことは今晩演奏の時に説明する。同じ場所で同じ時間に集合だ。分かったな」これ以上、電話で、しかも第二外国語同士がする話しではないと思ったので、ただ一言OKと言って電話を切ろうとした。「ウエイト!イロ、場所が遠いからアランに迎えに行かせる。もう奴にはそう伝えてある。あのオールド・プジョーでな」電話は向こうから切られた。なぜコブラは僕に気を使うのだろう。まあいい、今晩はまたあのすったもんだの延長であることは確かだ。 また電話が鳴った。今度はハンパリだと思って受話器に飛びついた。「ヘイ、ハンパリ!?」「ヘイ、ハンパリでなくて悪かったな。オレだ。コブラだ。お前らデキてるんじゃないのか。まあいい。今晩の集合時間は分かっているだろうな」「分かっているよ、なあ、コブラ」「おまえは、アメリークの音楽学校のスチューデントだとかなんだとか、言っていたな、、」その後、受話器からノイズが聞こえてきたので、ちょっと話したいことを思い出し、相手が受話器を切らないように、大声で怒鳴りつけるように彼の名は呼んだが返事は無かった。「コブラ!ヘイ、アーユーゼア?」コブラは受話器を切らずに、どこかに置いたのだろう。妙なノイズが聞こえてきたが、僕は受話器のその奥の音を、自らの鼓膜を張りつめてるようにして、聴き集めようとしていた。コブラがサックスを吹き出した。「あっ、パーカーだ、あっソニー・スティット、あっ、この音は?ロリンズ、コルトレーンだ、、」コブラの吹くフレーズやサウンドには、全てのジャズを自らのものにした自信と、俺はこんな状態じゃ、絶対満足しないぞ、という小気味良い反抗的な音が、音の端々から、受話器を通して洩れ聞えた。コブラ、お前はわざと僕にこれを聴かせたくて電話を二度もかけてきたのか。とにかく、大袈裟に言えば、ジャムセッンででかい顔をして、パリに住む黒人アルトサックス奏者の仲では傑出した存在であるコブラは、やはり化け物だった。全てのサックス奏者のコピーの中から、彼は自分のサウンドを追求している。コブラは彼なりのやり方で、僕にある種の解答を示したことになる。そういうことか。お前は立派なリーダーだよ。僕はそっと受話器を置いた。 僕は物事を、もの凄く客観的に分析するという癖がある。だがその僕の癖さえも、突然消し去るようなサウンドの持ち主と、僕はパリで出会ってしまったのだ。コブラにきちっとしたステージを与えれば、もの凄く音楽的なハプニングが待っているのじゃないか。しかし僕の能力では、コブラをパリでプロデュースすることなど、その時点では不可能であった。まずフランス語が喋れない。だが、このままでいいとも思えなかった。 (続く) >>>

PARIS 33

第2章ーコブラー コブラと一緒に楽屋のドアを開ける。リノ・ヴェンチュラもどきは、どこかに電話をかけていた。アランがどこからかワインのボトルをくすねてきた。コブラ、ピエールと共に僕も含めてそのワインのボトルをラッパ飲みしながら人心地つける。気がついたら外は獄寒なのに汗だくだった。 >>>

PARIS 32

第2章ーコブラー そのうち、アランとピエールも姿を現し、いつでも演奏できる体勢となったが、突然コブラの姿が見当たらなくなった。「アラン?」「ウイ、、」「あー、レイトニュイ、ノーメトロ、ミッシェル・ビゾ、OK?」「アーウエウエ、ダコー、、、、」「オレに訳させろよ」ピエールが割って入った。「英語ならまかせてくれ。ヒロの言いたい事はオレがそばにいる限り、不自由はさせないから」「サンクス、ピエール。でも今夜はもう帰りの足は確保できたようだ。だけどコブラはどこに消えちまったんだ」「奴ならトワレットにいるよ」「何してるんだ。ピピ(小便)だったら長すぎる」「ピピなんかしてるもんか。 >>>

PARIS 31

2章 —コブラー だいたい最初から、コブラが探してくる仕事に何も華やかなものは期待していなかったが、案の定、コブラのとってくる仕事は、パリ郊外の仕事が多く、最初の演奏場所は、サンドニという場所で、地下鉄の地図を広げてみれば、ミシェル・ビゾの正反対で、いったいどのくらい時間がかかるか分からなかったが、ベロニクに地図を書かせて、おおよその時間を聞いて出発した。 >>>

PARIS 30

ずぶぬれで帰ってきた僕をベロニクは起きて待っていてくれた。ドアベルを押す前にベロニクが飛び出してきて、僕に抱きついた。「イロ、イロ、寂しかったわ。待ってたのよ。リハーサルが終わったら電話ぐらいするものよ」「その公衆電話のかけ方がよくまだ分からないんだ」「さあ、中に入ってちょうだい」ベロニクはバスローブ姿で、裸足だった。きっと寝ていたんだろう。「眠いんだろうベロニク、寒いから、早くベッドに入った方が、、、、、、」と言いかけたら、おもいっきりベロニクに胸ぐらを掴まれて、狭い居間を引きずられ、ベッドに押し倒されてしまった。「ベロニク、待ってよ。僕はまだコートも脱いでいない、、、、」そんな発音の悪い英語などどこ吹く風と、ベロニクは僕の着ているものを剥ぎ取って、何だかフランス語でぶつぶつ言いながら、僕をパンツ一丁にしてしまった。「ジュディテステジャポネ!ジュディテステジャポネ!」(私は日本人なんか大嫌い、大嫌い!)日本人を嫌いだと言っているくせに、バスローブの下は素っ裸で、いつもと違う香水の匂いがした。「ベロニク、香水を変えた?」と言う間もなく唇をふさがれ、日仏戦争が始まった。我が軍の得意技は昔から突撃である。突撃では負けると分かりつつ、フランス映画の数々の名場面も無視しつつ、ベッドの中を波打たせた。くんずほぐれつ、キャンドルライトの中、首筋の線を何本も立てて、頭を激しく左右に振るベロニクのロウソクのような肌の色を何故か凝視していた。それから、二人とも眠りこけてしまった。 (続く) >>>

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