やっと新しいwebsite再構築も終えて、清々しい気分です。後は必要箇所を少しずつ英文に訳していきます。ご愛顧頂いたFBにも連載した「フランスのパリのベロニク」も、聴きを見計らってまた書き続けるつもりです。今回は我が師匠というお題にて。 ああ、オレなんだかくたびれたって言うか、クタぶれちまったというのが正解かな。先月2月の最後にがっくりきた。演奏はバリバリですよ。でも教える方がちょっとね、ピアノ教えて早23年かァ。長持ちしたもんだよなあ。3月一杯ピアノ教えるの休んでるんだよね。まあ、習いに来て下さる方々には、感謝しかない。オレのとこにわざわざピアノを習いに来てくださる。畢竟こちらも本気になるでしょ。知ってることは教えたくなる。でもね、この前ある生徒が「Georgia On My Mind」教えてくれって言うから、まあね、オレも黒人じゃないし、まあそれ言ったら全てのファインアーツの先生の首が飛ぶんだけど、まあそれは置いておいて、知ってることは教えてあげようと色々説明してたら何か話がかみ合わない事に気付いて、「だからレイ・チャールズがさあ」って俺が言ったら、その生徒、「それ誰ですか」って言ったんだよね。オレ一瞬眉毛の上なくなったような感覚になって、ちょっと教えるの休もうと思ったんだ。あんまり上から目線で人を見たくないけどね、溜息吐き過ぎると窒息すると言うことをこの歳で始めて学んだ。 でも、オレもあまり人のことは言えない。バークリーに行って二番目のピアノの先生がChristian Jacobというやたらめったらピアノが上手い人に習う事ができた。ああ、銀座のナイトクラブで苦労してカネ貯めた甲斐があったと心底思ったもん。こういう人にやっと巡り会えた。松尾和子の「再会」「銀恋」も毎晩8回弾かなくて良いし、習えるオレはなんて幸せなんだろうと思った。ボストンの秋の透き通るような青空を見上げながらそう思って涙をこらえたことを今でもぼえてるんだ。やはりボストンに来て良かったんだって。 クリスのピアノの上手さは半端なかった。生徒として全然ついて行けない。まずその場でスタンダードをドンドンリハーモナイズしていって、右手短三度クロマチックで高音部からおりながら、左手はまったく違う音程でやはりクロマチックで引き上げたり、両腕をクロスして右手でベースラインを低音部で弾きながら左手でソロを弾いたり。こう見えてもオレもね、日本の音高のピアノ科行って、東京音大では打楽器科で、随分上手いクラシックのピアニスト見てきたつもりではあった。だがクリスのピアノの上手さは、メンタマが飛び出て、飛び出たメンタマ、メンタマないから何にも見えなくて探せません、くらい上手いんだな。そして音がキレイ、特に高音部、ショパンのエチュードを12KEYで弾かれたときには、顎が外れると言うより、レッスン室の彼の横でゲタゲタ笑い出してしまって、アア、地球は広いな、としか言葉が頭に浮かばなかったもん。なんだこれ?どうしてそんなことができるんですかって聞いたら「Well,メロディーとハーモニーとリズムを違うキーで弾けばイイでしょ」だって。だからそれができないから教わってるんだって。 でもさ、引き下がりたくないから、クリスに追いつくのにどうやって何時間練習すりゃあいいのと思って、クリスに、どうやって練習したら良いか聞いたら、「アイデアを大切にしろ、たとえばこういうフレーズがあるだろうイロシ」彼はフランス人だからオレのことをイロシと呼んでたけど、そのアイデア展開中にウエーダコーとか言って自分の世界にはいっちゃって教えるも何もなくなっちゃう。クリスの独演会になる。まあそれはある意味贅沢な時間ではあったが、オレに何か教えているわけでもない。こういう状態って、当時のオレにはやはり「レッスン」ではなくて、だから、ようし、と思い立ち、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、当時流行っていたSONYの高音質テープレコーダーを高額な値段で買って、レッスンを録音することにしたんだよね。だってクリスは天才だから、なぜ他の人は自分が弾けることが弾けないかが分からないから教えられないということだけは分かったわけだ。そしてとにかくクリスにスタンダードを弾いてもらってオレの方はクリスの弾くフレージングとかをベースラインやハーモニーで何とかカヴァーして、とにかくあまり会話せず、ピアノDUOを、レッスン時間中弾き続けることにした。だって口で説明できない先生なんだから弾きまくらせてそれ録音して後で聞き直してコピーして追いつくしか方法ないと思ったんだもん。それでもクリスとDUOができるなんて夢のような時間だったなあ。あのレッスン室から見えたボストンの街の風景、オレは死ぬまで忘れないだろうな。弾き終わるとクリスは、「イロシ、こういうフレーズ弾いたろ」って、俺の手癖、おっちょこちょいなところ、全部真似て正確に再現して弾いてみせるんだよね。これにもぶったまげた。腰抜かしたよ。クリスはオレが弾いたことも一瞬にして覚えてしまうんだ。 「Your idea,ahh here, ok,,like this」なんて言いながらクリス、オレが弾いたフレーズをまねしながらムチャクチャカッコイイ音をはさんで、なんだか聴いたこともないヒップなフレーズに仕立て上げる。「Look!Iro, this is your idea,you can change like this」ってそう簡単にチェンジできたら習ってねえよもうって感じだった。 まあとにかくレッスン終わったら速攻で家に帰ってテープを何度も聞いてクリスのフレーズやハーモニーをコピーしたんだけど、一番かっこええところがなにやってんだか何度聞いても分からない。それでそのコピーの譜面を次のレッスンの時に持っていって、先生ここどうなってるんですかとたずねると覚えてないって言うから、録音したモノを聴かせると「ウエーダコー」とかフランス語で叫びながら、自分の弾いたフレーズにまた更にカッコイイ対位法的なラインを弾いたりするんだよね。ちょっと待ってクリス、そんなことしてとは頼んでないし、それ録音したいけど今録音機使ってるから、ああ、まあ、いいや、このロセンで対抗しようったって所詮無理ってことかな。でも日本では絶対に習えないことが習えるという確信があったから、オレは食らいついていった。でもクリスには悪気はないんだけど、分からない奴がなぜ分からないのか、弾けない奴がなぜ弾けないのか、本当に本人には悪気はないんだけどクリスには分からないんだよ。天才だから。だってレコード一曲聴いたら、ピアノのソロのみならず、サックスソロも全部覚えちゃうんだなあの人は。そう、ほんとにChristianはマジでピアノが上手かった。下手したらオスカーピーターソンより上手いんじゃないかなあ。クリスを知っている人は否定するかもしれないけど、あの人オスカーのまねが上手で、時々マネしてオレに聴かせてくれた、オスカーより早く弾く、かっこよかった。腰抜かしたよ。ぎっくり腰になるかと思った。まあ、その時もオレは横でゲタゲタ笑ってただけだったけど。これは何か別の作戦練り直さないと、ピアニストなんて成れないなって本能的に感じたもん。同時にもうほんとに色々とやんなった。今までなにをしてきたんだろうって。 彼はパリ音楽院を優秀な成績で卒業し、バークリーに来て学生になったのだが、教える人が4ヶ月ぐらいでいなくなって先生になったという、なんだか良くわかんないくらい上手い人だったけど、俺はこの先生を離すもんかという勢いで、質問攻めにしたり、色々なアプローチを試みて、クリスのエッセンス、楽器に対峙する方法、音楽の理解のしかた、全て吸収してやろうとがつがつ食らいついた。俺は天才じゃないけど、あんたに負けないくらいピアノが好きと言うことはタイマン張れる。そこだけは自信があった。学費払ってんのはこっちだ。とにかく何でも良いから弾いてくれ。良い時代、時間だったな。 もう一人、アメリカにいる頃忘れられない先生はMr Steve Kuhn。アメリカに行く前から、何かこの人のピアノの音は他と違うなあ、好きだな、と思って、コピーとかしていたんだけど、ボストンにMr Kuhnのトリオが演奏に来る事になって、オレ一番前の席取るためにそのクラブの入り口に午後四時くらいに行って並んだもんね。で本番が始まってナマのMr Kuhnの演奏聴いてぶったまげた。レコードじゃあやはりカヴァーしきれない美しい倍音の響きとか、Mr kuhnは背丈が190cmぐらいあるからとにかく楽器が鳴って手もでかいからサウンドも分厚い。コピーなんて何の意味もないなあと聴き惚れている内に、そうだ、ダメ元で教えてくれって聴いてみようと思い始めたんだ。 全てのショーが終わってから、楽屋に行こうとしたら、クラブの従業員にそっちに行ってはだめとか、あーじゃラコーじゃラ文句言われたから、日本語で、「ばかやろう!挨拶に行くだけダよう」って言ってクラブの奴に英語分かんないフリして無理矢理楽屋に押しかけていったら、共演者のドラマーのアル・フォスターがいた。「Mr Kuhnはどこですか」「あー。今バスルーム行ったよ」 バスルームって英語でトイレのことだから、トイレに走って行ったんだ。そしたらMr kuhnがジョーってションベンしていた。そしてカーぺって痰切ったりして。あんな紳士で幻惑的なサウンドで聴いてる客を思いっきり酔わせたあのMr Kuhnもただのオヤジじゃんとおもいながら、なぜかオレはションベンもせずずっとトイレの入り口からMr kuhnを見つめていたんだ。用を済ませたMr kuhnは振り返りざま、変な東洋人が用を足しているところをじっと見てることに気が付いて、なんだこいつはという目でオレを見た。あたりまえだよね。トイレの中に二人きりで、片一方は眼鏡かけたチビなんだから。まあとにかく、長年尊敬し、ずっと会いたかった人を前にすると、日本語でもワケ分からなくなるのに、英語で話さなければならなかったから、もうジャパニーズターザンみたいな英語になっちゃって「あー、アイアムピアニスト、ユーグレート、 アイリスペクト、アイハヴユアレコード、エヴリシーング」Mr Kuhnはじっとぼくを見つめながら動かないしなにも言わない。こいつはいったいどこのどいつなんだ、このバカはいったいここでナニやってんだって目つきでオレの方を見ていた。状況を変えたくとも身体が固まって上手く行かない。段々焦ってもくる。「あー、アイワンツーテークレッスン、アイフロムトーキョー、ファーラウエイ、プリーズプリーズティーチミー、テレフォンナンバー、アイワンツーノー」 でもさ、気持とか、本当にその人を尊敬していたら通じるモノなんだよね。 Mr kuhnは黙ってネームカードをオレに渡して「Call me」とだけ言ってトイレを出て行った。かっちょいいでしょ。この人ハーヴァード大学卒業してるんだよなあ。あったまいいんだよ。まあ最初にMr Kuhnと話をしたのがトイレの中って信じられないけど、まあそんなこんなで2~3日経ってから電話してみたら留守電で、また2〜3日経ってからかけても留守電で、しょうがないから留守電にボストンで名刺もらった日本人覚えていますか。レッスン受けたいです。こちらの番号はこれこれです。メッセージを残して下さい。思いつくこと全て留守電に喋りまくって、その後六ヶ月の間に何十回も電話し続けたの。電話に出ないんだもん。 オレはどうでも良いことにはサッパリした性格だけど、これだと決めたら執念深いの。そののちSteve Kuhn Trio がまたボストンに来る事を知って、最後のチャンスだと思って手ぐすね引いて待つことにした。前回と同じクラブで演奏するってんで、すっ飛んでった。一番前の席にまたすわって、演奏を聴いたんだ。またこれがすごい演奏で、もう体中がトロけるようなサウンドの波に翻弄されながら、ああ、やっぱりアメリカ来て良かったあ、と思った。 前回と同じく「サー、ユーキャンノットゴーツードレッシングルーム」とかいってくる従業員を無視して楽屋をノックしたら「カムイン」という声が聞こえたので中に入ったら、誰だったか忘れちゃったけど、共演者のドラマーが、おまえ誰だって聞くから「Mr Kuhnに会いに来た」と言ったら「彼はバスルームだよ」とそのドラマーが言うから、なんだか不思議な既視感とともにまたトイレに行ってみたら、今度は大の方のドアが閉まってて、これはいくら何でもトイレの中で待つのはまずいと思って、入り口の外で待っていたら、Mr kuhnが出てきた。挨拶したけど、全然オレの事なんてかけらも覚えてないって顔して何だ?っていう表情になったので「リメンバーミー?アイメットユーラストタイムヒア、トイレット、アイムヒロシ、ピアニスト。アイワンツーテークアレッスン、アイコールドユーメニータイムス、リーブアメッセージフォーユア、えっと、アンサリングマシンえーっと、とにかく教えて下さい。教えて。教えて。お願いします、お願い、お願い!オレあんたのピアノ惚れ込んでるんだよ!」なんだか最後は日本語になっちゃったけどとにかく相手がうんて言うまでオレはMr Kuhnから離れないって決めてたから、今から考えればストーカーだな。Mr kuhnは穏やかで、そして素晴らしく知的な眼差しでしばらくオレを眺めてから「ああ、おまえか、ワケの分からないメッセージ、アンサリングマシンに残したのは」ていうから、「イエスイエス、テクアレッスンテークアレッスン」てずんずんMr kuhnの方にせまっていった。 その後の経緯はあまり覚えてないんだけど、レッスンの日を決めることができて、友人の車頼んで乗せてもらって、当時ロングアイランドに住んでいたMr… >>>
