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南 博(HIROSHI MINAMI)ジャズピアニスト、作曲家、エッセイスト

1960年東京生まれ。1986年東京音楽大学器楽科打楽器専攻卒業。

ピアノを宅孝二、Christian Jacob、Steve Kuhnに師事。 1988年 バークリー音楽大学から奨学金を得て渡米。ボストンを拠点に活動する。1991年バークリー音楽大学パフォーマンス課程修了。1990年代からは、スイス、フランス、ドイツ、デンマークなどに活動の範囲を広げ、ヨーロッパのミュージシャンと交流、ツアーを敢行。特にデンマークのトランぺッター、キャスパー・トランバーグとの親交は深く、コペンハーゲンジャズフェスティバルを含むコンサート活動、CDなどにも参加。国内では自己のグループ「GO THERE」をメインに活動、綾戸知恵、菊地成孔、ジム・ブラック、クリス・スピード、そして伝説的ヴォーカリストの与世山澄子との共演、共同製作でも知られる。

また、2008年、オフィシャルサイトに掲載していた日記が小学館より「黒鍵と白鍵の間に」として発売後、福田和也が絶賛したことで注目を浴び、すでに3冊のエッセーを著している。(詳しくはBOOKSの覧を参照して下さい。)

 

一応Profileの欄にプロフィールが当たり前ながら書いてあるから、そのままにしていましたが、他のミュージシャンや知り合いの歯科医、その他私よりも心身共にはるかにまともな方々は随分丁寧なプロフィール、並びに自己紹介文などを、この電脳空間にお書きになっているということが判明致しまして、ではまあオレも書こうかな、と思ってずっとほったらかしていましたが、今書くことに決めました。しかし、更に既成のプロフィールよりも詳しくとなると、いったい何を何処まで掘り下げて書いたら良いものなのだろうか。相手に全く誤解を与えない人間関係などは有り得ないし、反対に相手を十割理解し得たと思いこんでしまう人間関係ほど、甚だしく迷惑千万、更に、ヨメにさえ言えない、墓場まで持っていく話もまあたくさん有るし、私はそこいらへんの常識に鈍いので、何処までこういう所に何を曝して良いものかが分からないのです。墓場まで持ってく話を面白おかしく書いたら、もの凄く読む人は喜ぶんでしょうが、私の信用というものがなくなって、信用はデパートで売っていないし、私小説を書いているわけじゃなくプロフィール書くのですから、ワタシはこのようにして音楽にであいました。ピアノを習い始めてウッフンなんて書いても何だかわざとらしいし、普通の角度とは違った側面を描写する人物評、が辞書によるプロフィールの主な解説で、私は益々混乱してしまっています。まあ、WEBSITEに載っているProfileより、詳しく、オモシロく、なんでワタシのような輩が、世界一精巧な木工細工の粋をいじることを生業にしたかということを、完全に年代順に添えなくても、つらつらとここの電脳空間に書き記すしかないでしょう。墓場まで持ってく話を別にしてね。

 

1960年、昭和35年5月15日、港区虎ノ門病院に生まれました。なんともかんとも十進法のみで構成された私の割り切れ過ぎる生年月日、占い師もビックリでしょう。占いなどまったく信じませんが、こうと決めたらどんな事でもやりきるスパッとした性格や、物事の価値観がはっきりしており、自分がこうだと思うと、その思いを容易にまげない、これは良し悪しなんですが、この割り切れ過ぎの生年月日と関係があるのかも知れません。血液型占いなど、心底まやかしだと思っています。まあ、先を続けましょう。

 

父親が昭和33年の時に両親は結婚。父親36歳、母2×歳、(母親といえどもレディーですから、一応年齢は表記しませんが、父親は当時としてかなり若い女性と結婚したことになる)そして私は二年後のオヤジ38歳、母親2×歳の時に生まれたのです。当時として私は相当「遅い子」だったのです。

 

母の実家は港区慈恵医大病院のすぐ裏で、私のお爺さんが電気屋を営むためにネコの額ほどの土地を戦後新橋の端に買いもとめ、母は三人姉妹の真ん中として育ちました。都営路面電車に乗らずとも新橋駅まで歩いて10分ほどの距離のその電気屋から遠からぬ場所に、巨大な東京タワーが立ったのは私の生まれる前でしたが、お婆ちゃんの家の物干しから仰ぎ見る東京タワーは子供心にも見事なものでした。夏休みだと午後5時頃東京タワーに電気が付くんですよ、キレイだったな。

 

父親は京都先斗町、四条河原町、母親は新橋銀座虎ノ門、登山と言ったら愛宕山、という環境で共に育ったので、関東、関西の味付け、文化の違いを乗り越え、気も合ったのでしょう。仲の良い夫婦でした。私が生まれたのは2人が結婚してから二年目の上記の日で、父は私をあぐらかいた足の上に乗せ、おい、チビ、ガキ、ワシと一緒にはよう飲めるように、大きくなれ、と言いながらステテコ姿で私の顔の表情を肴に日本酒を飲んでいたそうです。私の要求には真摯に答えてくれる良き父親でしたが、年いってからできた長男は甘やかされますね。ですが財布の紐は固かった。そこら辺が関西人の関西人たる所以で、しっかりしていました。私がアレ欲しいこれ欲しいと外出時に騒ぐと、私が指さした、たとえばおもちゃ類を手に取り、「ナンボや?」と父親はメガネの奥のおっかない目で店員を睨むのです。店員が怪訝な顔で値段を言うと、「タカイ!なんやそれ!ぼったくりやないか。ヒロシ、よう見とけ、あんなんいつでもこうたるから、今日はがまんせい。べつんとこでもっといいのあるはずや、分かったな」それで全てが終いでしたが、食べるものだけはけちらずにお金をかけてくれました。それも父親の好きな飲み屋に子どもの頃から連れて行かれて、「エエか、食べもんはな、小さい頃からエエもん食うとかな、アジ覚えられヘンねん」といいつつ、本人はひれ酒をうまそうに飲んでいました。私は酒のアテ、西京焼き、卵焼きや酒盗など、ノンベエのために有るつまみをおかずにそういう所で夜ご飯を食べていたので、必然的に十八歳くらいから、その手の店に入り浸り酒を飲むようになったのです。

 

結婚当時両親ともに出自が街ッ子でしたから、人形町の方にアパートでも探そそうとしていたようですが、なぜか公団住宅に応募したら一発で当たり、家賃が安いこともあり、京王線芦花公園駅そばにある芦花団地に引っ越しました。ですから私は団地っ子です。芦花幼稚園から芦花小学校に入学し、当時の給食はまだ脱脂粉乳を飲まされていた記憶があります。昭和42年の頃だと思います。

 

しかし、元々父親は京都にいる時分から演劇及び歌舞伎キチガイでしたから、家庭を持ったがために銀座歌舞伎座から足は遠のいたものの、風呂に入ると何やら、色々な歌舞伎の名場面を唸りながらチトシャンシャン、など自分で合いの手を入れつつ「おそれ〜ながら、それがしの、、、」などと一杯引っかけたあとの風呂ですから気分がよかったのでしょう。あれだけのセリフと清元、鳴り物を知っていれば、さぞかし歌舞伎鑑賞も本人にとって面白かったろうと思います。

 

それでなぜ私がピアノを始めたかと申しますと、5歳のころだったか、母親が団地の集会所で親しくなったNさんの息子、つまりN君がピアノを習うことになったのです。或る日N君の家に「あーそぼ」って訊ねてみると、N君のおかあさんが、今日は息子が初めてのピアノのレッスンの日で、遊べないのよ、ごめんなさいねとか何とか団地の狭い入り口でやりとりしている内に、私も一緒に遊びにいけば良いじゃないという事になりまして、芦花団地から遠路はるばる小田急線生田にある、丘の上のS先生宅までN君とそのお母さんに付いていきました。

 

N君の初回レッスンをぼーっと見ていた私は、グランドピアノなど当時見た事も無かったし、家にはステレオセットもありませんでしたから、ピアノのナマ音を聴くのも生まれて初めてで、まんじりともせず、S先生のレッスンを眺めていた記憶がかすかにあります。

 

N君のレッスンが一段落してから、S先生が、貴方も習ったらどう?なんて聞いてきたもんだから、まあ、世の中どう転ぶか分かりません。私も生まれて初めてピアノの前に座り、バイエルなど弾いたのでした。その後、S先生は私に簡単な聴音のテストのようなことをして、この子は音程感があるから教えるということに話がどんどん進んでしまいました。つまり、N君と一緒にS先生に習うこととなったのです。

 

しかし高度成長期とは言えよくやったものです。公団住宅にはアップライトピアノさえ置けず、YAMAHAかどこか忘れましたが小型のアップライト型電子鍵盤で私は練習をしていたのです。最初父親は私がピアノを始めることに反対で、男は剣道や空手を習って根性付けたらエエねん派でしたが、楽器習得には大変な忍耐が必要という母親の言葉を信じ、許したそうです。しかし最後まで、アメリカ人に富樫ができるわけないやろ、とぼやいていました。ワシにはクラシックは分からん。アンナもんドイツ語やらがペラペラ喋る人間がすることや、ベートーベンの音楽はロウソクの明かりで皆聴いてたんか、そやったら今よりテンポ遅い筈や、とか、今から考えれば、まったくそのとおり、恐ろしいほど芸事の核心を突いた言葉をよく口にしていました。芸事が好きな人でした。

 

S先生には子供さんがおらず、たくさんの生徒を自分の子供のようにかわいがってくれる、大変にステキな先生でした。敬虔なキリスト教徒であり、芸大の学理を卒業後、カソリック系私立高校で音楽を教えつつ、自宅でもレッスンをされていました。

 

それでまあ始めてみたんですが、私は恐ろしいほど不器用で、N君がバイエルからチェルニーへとすいすい上達するのを横目で見ながら、今現在の私も当時ほどひどくないにせよそうなのですが、自分で納得し、感じ、理解し、腑に落ちないことは理屈抜きで、アタマが動かないし分からない。筋が通らない、何かどこかが矛盾した出来ごと、こんなことはこの世に満ちあふれていますが、それを長時間強要され、またそれに付随した言動に拒否反応を示してしまいます。それやこれやで、私にはこういう楽器演奏そのものが向いてないんじゃないかと、子供心にも思うようになる程、私は譜面を読むこと、指を適切に動かすことに異常なまでの時間がかかりました。そんな私の状態にもかかわらず、S先生の指導は恒に丁寧で、私の進度に合わせて教えてくれる愛情あふれるものでした。このウエブサイトにて、耶蘇教ナンか云々かんぬんと罵声を浴びせてきた私ですが、S先生は常時私に愛情深い理知と、いつも優しい笑顔で接し、怒鳴るとか、クラシックをナンだと思ってんだとか、音高や音大でヒステリーをおこしたバカセンコー供と違い、こちらが譜面通り弾かなかったときに、はい、指使い、もう一度やってみましょうね。私は南という苗字だからか、自然とS先生からミー君と呼ばれるようになり、少し曲が弾けるように成ると、「あら、ミー君弾けたじゃない。さあ、もう一回やってみましょう」こんなに優しく親以外の人から言葉をかけてくれる「先生」はショーガッコーにもチューガッコーにも、皆無、絶無、ありえない、でしたので、私はS先生を人間としてお慕いするようになりました。ピアノを途中で止めてしまう方の大半は、先生がヒステリーを起こし、もうイヤになってしまう人が圧倒的に多いです。しかしS先生のあの教え方は宗教的愛情だったと思います。S先生は真のキリスト教者と私は思います。

 

私も今、ジャンルは違えどジャズ・ポピュラーピアノを教えていますが、音高や音大でのイヤな先生からされてことは絶対に生徒に対してしない、怒鳴らない、と心に決めています。ヒステリーを起こすのは自分がその教えるネタをよく理解していない証拠でもあります。私はS先生ほどの忍耐はありませんが、今までのバンド活動で心身共に鍛えられたので、生徒が突然発狂し、私のピアノをぶち壊し始めない限り、どなたにでも、筋の通った話の内容を丁重に説明するようにしています。

 

まあ、そんな先生のおかげでピアノを続けることができるようになった私ですが、毎年S先生が企画する発表会で、先生を一番冷や冷やさせる不肖の弟子でした。どうも子どもの頃から瞬間アタマに思いついたことを譜面通りではなく弾いてしまう脳の仕組みと言いますか、傾向があったようです。

 

そして光陰矢のごとし、私はS先生の元で基礎的楽典を含め、高校入学直前までピアノを教わっていました。クラシックを教わっていたにもかかわらず、家では既に私は相当なブリッツのロックを聴いておりました。USA版ロック、たとえば、ヒューイ・ルーイ・ルイス、ブルース・スプリングスティーンなどは凄く苦手で、ビートルズを筆頭に、The who, KinksRolling Stones,Yardbirds,ombies,などが主なお気に入りで、 クラシックなどあまり聴いて居なかったにもかかわらず、S先生のレッスンではモーツアルトを弾いていてもあまり違和感を感じませんでした。いずれにせよ、あの時私が音楽と関わっていなかったら、どうなっていたんでしょうね。高校時代、日大鶴ヶ丘高校芸術課程音楽科に入学し、学友の中に生涯の心の友を得たり、東京音大に入って様々な現代音楽に触れる機会を得たり、早稲田大学モダンジャズ研究会、通称ダンモで知り合いになれた数々の友人とも出会えなかったし、キャバレー、ナイトクラブの裏側を見聞きし、体感した上での社会勉強、そこで稼いだカネでアメリカに飛んでいって出会ったすばらしい世界中の仲間達、これらのことが我が人生に起こらなかったと仮定すると怖気が走ります。それはたぶん、今とは比べものにならない、人生寂寥とした、侘しく、寂しい、光の当たらない、どす黒い何だか変にいびつな暗闇になってしまっていたと思うのです。なぜかといえば、私の心の中には、何かどす黒く冷たい情念のようなものが、生まれつき備わってしまっているからです。人間関係も或る一線出、あ、こりゃダメだ、と我慢できなくなると、怒るとか叫ぶではなく、スッとその場を立ち去って、二度とそこには関係しない、という傾向が今でもあるからです。

 

あ、話それてますね。えーっと、とにかく小学校五年の二学期から、父親の建てた一戸建ての住まいに、世田谷の団地から、今の小田急線、新百合ヶ丘から歩いて20分ほどの所に越しました。父親を迎えに行くのが楽しみだった新宿菊正などは生活圏外となり、なんだか多摩丘陵の一番奥の、夜になると真剣にまわりが真っ暗になるところに引っ越した私は、両親に対して、ここは俺達のような人種が住むところではないと強く主張し続けました。家は庭付きでしたが、やたら虫が出て気持ちが悪くて庭なんか出られない。空があっけにとられるほど広く、現在の新百合ヶ丘駅辺りは映画館、デパートまで擁する巨大な郊外住宅地ですが、私達家族が越した当時は、廻りは多摩丘陵地で、家の前の林には小川が流れていました。

 

そんな環境になじめぬまま近くの小学校に転校。そしてあっという間に中学生となり、よみうりランドの裏山にあったナアンチャラ中学校という、通称、今から考えると笑ってしまうのですが、川崎の学習院と言われるほど勉強のできる子供が集まる市立ガッコーに、ダッサイ学ラン着せられて、一時間ほど歩きで通っていましたが、中二辺りから、ブリッツやエディット・ピアフのシャンソンを聴き始め、もう真剣にガッコーに行くことがイヤになり、特に体育の体操着を着るのがイヤで、今で言う不登校状態となり、一日中寝床の中でエドガー・ライス・バローズのスペースオペラ、精神分析関係の本、岸田秀、フロイト、ユング、巌窟王、アラン・ポー、ヘンリー・ミラー、あとはオヤジのもっていたワケの分からない木阿弥全集、家には父親の蔵書も沢山あり、旧仮名遣いの漱石全集から日本文学大全とかワケ分かんない本ばかりで、私は乱読に乱読をくり返し、教科書の日本語はまったくアタマに入らず、母親が私のことを心配して、どうしてガッコーに行かないのという問いに対し、「ニホンという国自体が真剣にクソすぎるから」としか答えず、父親にも同じ返答しかしませんでしたが、なぜかS先生のピアノレッスンだけは続けることができ、音楽史やそれに付随するヨーロッパの様々な本を読みあさる内に近眼となりました。真っ昼間から布団かぶって本読んでいたからです。同時に聴いている音楽は、「Quadrophenia

My GenerationThe Who常時爆音。

 

それでピアノのレッスンではモーツアルトを弾いているという完全にイカレタガキだったんです。あの頃は受験戦争という言葉がはやりまして、とにかく、中学時代を忘れられるなら認知症になってもいいと想うほどイヤな思いを、その時代に味わいました。学校の饐えた匂いが嫌い。学校の蛍光灯に照らされた、味も素っ気もない灰色の壁が嫌い、体育の先生の暴力が嫌い、理科の先生の竹刀で叩かれるのが嫌い、受験ばかりの授業で、良い大学に入り、良い会社に行くことのみが勝ちであるという心情の元に授業を追行してるガッコーの先生のどこか嘘くせえとこが嫌い、イヤが高ずると自律神経失調症になり、体調もずっと悪く、ブリッツ、エディット・ピアフの歌声と、ピアノを弾くという行いをしていなければ、自殺していたと思います。

 

まあ、この世の中など嘘のクソダメであることは或る意味事実であり、それは嘘を糊塗しなければミンシュシュギとキャピタリズムに齟齬が生じ、そこに正面から取り組むのが市民であり政治ですが、何処までを市民、citizenと世寝るのか良く和からナこの国は、或る意味度しがたい。まあそこに反抗した理想論は歴史的にアナキズムを生み、アナキストが多くなれば社会は不安定化しますが、既に不安定も甚だしいですね。それでもなおかつ、ものを増やし、それを売って儲け、利潤を増やすために、このちっこい島国には本来必要でない核エネルギーを無理に導入し、原爆落とされているのに、ニホン人自らが自分の国土を汚染し、それでも懲りずにまだ馬車馬のように働くのみで誰も幸せの概念が分からない。受験戦争で勝ち続けた私達の年代の中の者達も、今となっては昭和スゴロクに乗り遅れているのではないでしょうか。やれ熟年離婚だ、年金が足らない、円満退社後も働き続けなければならない等々、私自身がそこまで勘が良かったとは思いませんが、どこかのチューガッコーが私に強要してきた様々な嘘を、私は感じ取っていたのかも知れません。その嘘っぽさは、我々人間の存在意義に関わることを軽視していたことも、私が許せない事の一つだったのです。我々は何の情緒も許されない労働力のための予備群養成所にいたように思えてなりません。

 

私は意識して子供を作りませんでした。何となく今のこの浮世を中学時代から想像できたからです。確かにこうなるという核心ではありませんが、ン以下しら決定的な齟齬が生じているという事だけは、毎朝登校するときに見かける小田急線の異常な混み合い方は、勉強ができてもできなくてもあそに送られるということを直感的に感じていました。あの非人間的満員電車のみだけでも、大変な問題です。毎日乗っている人は思考力をを奪われますね。

 

様々なことを考えるに、哲学の本も随分読み、今齢五十七ですが、もし私に子供がいたとして、人間はなぜ生きなければならないのかという問いに、まだ私は一言では答えられない。それでは親になる資格はないと思うのです。一番大切な子供に対する教育でしょうに。その答えは各人各様に意味づけしてよいものだとおもいますが、それが許されるのは真の意味で「豊か」な国だけである場合が多く、アメリカ留学中様々な国の人と出会い知りましたが、逆に言えば喰うのに精一杯。平均寿命40代が一番幸せかも知れません。まあ、世は世界は理不尽です。

 

また話しが逸れましたね。読み返してみると、これはもう既にプロフィールではない我が率宣言です。ピアノの教え方、初心者から丁寧に教える旨、レッスン欄を参照ください。今回も書きたいように書くしかありません。いつも通りだ。私の好きな作曲家はリリー・ブーランジェとグスタフ・マーラーであり、ピアニストでは、アルツール・ミケランジェリ、アルフレッド・コルト−、ディヌ・リパッティー、ジャズピアニストではビル・エヴァンス、ポール・ブレイ、スティーヴ・キューン、菅野邦彦大師匠、菊地雅章氏がお好みです。あと何書けばいいんだろう。この先のプロフィールっぽいコトは、手前味噌ですが、拙書をお買い求めの上お読み頂ければと思います。最後の一言をどう書けば良いか分かりかねますが、まあいずれ遅かれ早かれみんなくたばります。そこだけが本当に平等なのがこの浮世なのでしょう。

 


経歴

1960年

5月15日東京に生まれる。牡牛座 A型

1979年

日本大学鶴ケ丘高校芸術課程音楽科ピアノ専攻卒業

1986年

東京音楽大学器楽科打楽器専攻卒業

1988年

アメリカ、ボストンにあるバークリー音楽大学から奨学金を得て渡米

1991年

バークリー音楽大学作曲パフォーマンス課程卒業

 

師事歴

打楽器を菅原淳、有賀誠門に師事

ピアノを宅孝二、Christian Jacob、Steve Kuhn、大口純一郎に師事

作曲をAlex Uranovskyに師事

 

活動歴

1984年-

Jazz Club〈Pit Inn〉にて演奏開始、現在まで続く

その間自己のバンドの他、様々なミュージシャンと活動。

同時に大学ではクセナキス、ミヨーなど現代音楽及び打楽器を学ぶ

1985-88年

ジャズロックグループ〝フィズ 〟のメンバーとして活躍、アルバム2枚制作、大坂のラジオに出演し、日本各地をツアー

1988年

12月よりボストンを拠点に活躍

1990年

スイスに自己のトリオでツアー、

同時期にパリに渡りヨーロッパのミュージシャンと交流

ブランフォード・マルサリス(サックス)と共演

同年ファンハウスより「Now’s the Time Workshop」発売

1990-93年

ボストン、コロネードホテル〈ザッカリーズ・バー〉にレギュラー出演

ジャズからポップスまで幅広く演奏

1992年

オーストリアのレーベル、Extraplatteよりリーダーアルバム

「Message For Parlienna」リリース(録音はNY、現在ヨーロッパにて発売中)

6月東京に 於いてプロモーションツアー

11月ドイツ12ヶ所を同じくプロモーションツアー

1993年

アイスランド、レイキャビクにてルレック・ジャズ・フェスティバルに出演

1994年

ヴォーカリスト綾戸智絵トリオのメンバーとして

「A SONG FOR YOU」をリリース、都内数カ所をツアー

1995年

〝綾戸智絵トリオ〟にて、横浜本牧ジャズ・フェスティバルに出演

自己の日米混成カルテット〝E-SPOT〟と横濱ジャズ・プロムナードに出演

ラジオ番組『JAZZ FESTIVAL NO.1』

にパーソナリティとして出演、北海道・仙台にて放送

尚美音楽大学『環境と芸術』クラスに、レクチュアラーとして講義を行う

社団法人日本外国特派員協会のメンバーズクラブに定期出演

1996年

南博QUARTET にて、八ヶ岳 THE PARTY PARTY に出演

横濱ジャズプロムナードに日米混成バンド〝FULL SPACE〟と共に出演

1997年

デンマークのレーベルSTORYVILLEより

キャスパー・トランバーグ(TP) QUINTETのメンバーとして

「YAKUZA ZHUFFLE」をリリース

ニッティング・ファクトリー主催 NYジャズ・フェスティバルに

「Hiroshi Minami Quartet」出演

コペンハーゲン・ジャズ・フェスティバルに

キャスパー・トランバーグQUINTETのメンバーとして出演

1998年

キャスパー・トランバーグ(TP) クアルテットのメンバーとして

横濱ジャズプロムナードに出演

HIROSHI MINAMI QUARTET にて北京国際ジャズフェステイバルに出演

MEDIA RINGSよりHIROSHI MINAMI QUARTET「BIRD IN BERLIN」をリリース

西日本を中心にツアー

1999年

East Works EntertainmentよりPIANO TRIO「Three times One」をリリース

ヴォーカリスト、斉田佳子の「THIS SIDE OF PARADISE」レコーディングに参加

デンマークのレーベル、BUGPOWDERよりキャスパー・トランバーグ(TP)

クインテットのメンバーとして「PANORAMA」をリリース

横濱ジャズプロムナードを中心に北海道などをプロモーションツアー

2000年

East Works EntertainmentよりPIANO TRIO「SONGS」をリリース

キャスパー・トランバーグ(COR)のメンバーとしてコペンハーゲンのクラブ

〈ジャズ・ハウス〉を中心にデンマーク各地をツアー

その他、クアルテットと共に日本国内をツアー

2001年

横濱ジャズプロムナードを中心に文化交流の一環として、

キャスパー・トランバーグ・クインテットなど

デンマークから2つのグループを呼び各地で演奏

2002年

East Works Entertainmentより自己のクアルテットにて「GO THERE !」をリリース

同バンドにてデンマーク各地をツアー

キャスパー・トランバーグ(TP) セプテットメンバーとして

「MORTIMER HOUSE」をリリース

津上研太 (SAX) BOZO のメンバーとしてEWEより「1st」をリリース

2003年

アルバム「CELESTIAL INSIDE」EWE-0005をEWEからリリース。

プロデューサーとして、菊地成孔氏をむかえる。日本各地をツアー。

同時に発売された「MINIMA」MINIMA-GO THERE! remix artist : v.a (南博) EWBE-0004

南博の1stアルバム「GO THERE!」を、内海イズル、タツヤオオエ、菊地成孔、

Outer limits inc (DJ KENSEI+DJ IRAGURI etc)、Combo Piano、GOTH-TRADの豪華な顔ぶれがリミックス。今、急激な変化を遂げているJazzの新たな側面を浮き彫りにする。

キャスパー・トランバーグ・セプテットメンバーとしてデンマークと日本をツアー

2004年

Hiroshi Minami Piano trio with strings「Touches & Velvets」(ewe)をリリース。

プロデューサーとして、菊地成孔氏をむかえる。

コペンハーゲンジャズフェスティバルに、キャスパー・トランバーグ(TP)グループの一員として出演。

2005年

沖縄のVOCALIST,与世山澄子と共に「INTERLUDE」(TUFF BEATS)をリリース。

津上研太BOZO「DUENDE」(ewe)をリリース。

コペンハーゲンジャズフェスティバルに、キャスパー・トランバーグ(TP)グループの一員として出演。

2006年

アルバム「Elegy」EDCD0107、ストリングスとの共演版、EWEからリリース

2007年

EWE主宰のコンサート、Elegies, Touches, Songs of JazzToday: 出演

BOZO / 南博 Trio with 弦楽四重奏にて演奏

アルバム「Red Context」EWECD0139をリリース。

2008年

アルバム HIROSHI MINAMI TRIO 「Like Someone In Love」EWCD0120リリース。

小学館より自己のエッセイ「白鍵と黒鍵の間に」刊行

2009年

アルバム 「DEAMS AND BLUES FOR TORU TAKEMITSU」EWCD0124

コペンハーゲンで録音、リリース。

「花と水」EWCD0159 菊地成孔氏とのDUO,リリース。

小学館よりエッセイ「鍵盤上のU・S・A」刊行

2010年

アルバム HIROSHI MINAMI TRIO 「The Girl Next Door」EWCD0174 リリース。

アルバム HIROSHI MINAMI/ GO THERE 「From me to me」PA1040 AIRPLANE LABEL からリリース。

2011年

アルバム 「Like Someone In Love」(廉価版) リリース。

アルバム  HIROSHI MINAMI TRIO 「live at ARISTOHALL」リリース。

e-onkyo music 【http://music.e-onkyo.com/】のみで限定発売。

HIROHI MIAMI TRIO 「Body&Soul」EWCD 0183 リリース。

扶桑社よりエッセイ「マイ・フーリッシュハート」刊行

2013年

アルバム HIROSHI MINAMI MODERN TRIO”BEHIND THE INSIDE”AIRPLANE LABELよりリリース http://airplanelabel.shop-pro.jp/?pid=61089947

メンバー、ニルス・デヴィッドセン B /アナス・モーンセン DS

コペンハーゲン・ジャズフェスティバルにHIROSHI MINAMI MODERN TRIO出演

2015年

デンマーク、オーデンセにてMODERN TRIOのメンバーにてアルバム”FOX WEDDING”録音。

Apollo Sounds http://junabe1011.wixsite.com/apollosounds2013 より発売。

 

指導歴

1986-1988ピアノ講師

1994-現在 ピアノ講師

1995 尚美音楽大学『環境と芸術』クラスにて講義

 


 

 

Hiroshi Minami — Jazz pianist, Writer, Essayist

Hiroshi Minami was born in Tokyo, Japan in 1960. He graduated from Tokyo College of Music, with a Bachelor of Music in Percussion in 1986.

Minami studied piano under Koji Taku, Christian Jacob, and Steve Kuhn. In 1988, he moved to the United States on a scholarship from the Berklee College of Music in Boston, Massachusetts. The city became the new base of his musical activities. In 1991, he received a diploma in performance.

From 1990, the scope of his performance was widened to Switzerland, France, Germany, and Denmark. He collaborated with European musicians, and went ahead with a live tour. Minami built a strong relationship in particular with Danish trumpeter, Kasper Tranberg. They performed concerts including Copenhagen Jazz Festival, and recorded a CD together. In Japan, Minami performs mainly as a leader of a group “GO THERE”. He is also known for the collaboration with Chie Ayado and Naruyoshi Kikuchi, Jim Black, Chris Speed, and the legendary Japanese vocalist Sumiko Yoseyama.

In 2008, his diary on the official website was published as “Between The White Key and The Black Key” from Shogakukan. The book has attracted public attention after being highly praised by Kazuya Fukuda. Minami has published three books of essays until now. (For more information, please visit the “BOOKS” section).

Hiroshi Minami (b 1960) piano : Performed and recorded with Jim Black, Chris Speed, Naruyoshi Kikuchi and the legendary Japanese vocalist Sumiko Yoseyama a.m.o. Minami released several albums as a leader. He is also famous in Japan for his autobiographical books “U.S.A On A keyboard” and “In Between White Key & Black Key”.”My Foolish Heart”


CHRONOLOGY

1960

Born on May 15th, Taurean, type A blood

1979

Graduated from Nihon University Tsurugaoka High School, Tokyo, Japan

Performance Department, Piano Major

1986

Tokyo College of Music, Tokyo, Japan

Bachelor of Music in Percussion

1988

Moves to the United States on a scholarship from the Berklee College of Music, Boston, Massachusetts

1991

Graduated from Berklee College of Music, Boston, Massachusetts

Professional Diploma in Performance and Composition

 

MAJOR TEACHERS

Percussion: Atsushi Sugahara and Makoto Aruga

Piano: Koji Taku, Christian Jacob、Steve Kuhn, Junichiro Oguchi

Composition: Alex Uranovsky

 

PERFORMANCES, RECORDINGS, BOOKS

1984-Present

House Pianist for jazz club “Pit Inn” Tokyo, Japan

Various music activities with established musicians

At a time, studied contemporary music such as Xenakis and Milhaud, and percussion in the college

1985-1988

Played keyboard for jazz rock group “Fizzz”

Released two albums, appeared in Osaka radio program, and toured Japan

1988

Moved to Boston, the new base of musical activities

1990

“NOW’S THE TIME WORKSHOP”
Fun House Inc., Tokyo, Japan
Various artists playing three numbers in the album

Performance With Branford Marsalis (sax)

Toured Switzerland with the Swiss Drummer’s Trio

After the tour, stayed in Paris for six months and played with numerous French musicians

1990-1993

Played wide variety of music from jazz to pop, mainly played at “Zachary’s Bar” at Colonnade Hotel in Boston

1992

“MESSAGE FOR PARLIENNA”
Extraplatte label, Vienna Austria
Hiroshi Minami Trio

Performed at Tokyo and 12 cities in Germany for “Hiroshi Minami Trio CD Promotion Tour”

1993

Performed at “Rurek Jazz Festival” Reykjavik, Iceland

1994

“A SONG FOR YOU”
Chie Ayado (vo) trio

1995

Performed at “Yokohama Honmoku Jazz Festival” Chie Ayado Trio

Performed at “Yokohama Jazz Promenade” Japanese and American quartet “E-SPOT” as a leader

Hosted jazz program radio show “Jazz Festival No.1” aired in Sendai and Hokkaido, Japan

Lectured on “Environment and Art” at Shobi University

House pianist at “Foreign Correspondent Club Of Japan”

1996

Performed at “Yatsugatake The Party Party” Hiroshi Minami Quartet

Performed at “Yokohama Jazz Promenade” with the band “FULL SPACE”

1997

“YAKUZA ZHUFFLE”
Storyville Records, Copenhagen Denmark
Kasper Tranberg (tp) Quintet

Performed at “NY Jazz Festival” produced by Knitting factory

Hiroshi Minami Quartet

Performed at “Copenhagen jazz festival” in Denmark

Kasper Tranberg Quintet

1998

Kasper Tranberg Quartet “Yakuza Zhuffle” performed at “Yokohama Jazz Promenade” 

The band also toured in Western Japan

Performed at “Beijing International Jazz Festival” Hiroshi Minami Quartet

“BIRD IN BERLIN”
Media Rings, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Quartet

1999

“THREE TIMES ONE”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Trio

“THIS SIDE OF PARADISE”
Flat Fish Records, Tokyo, Japan
With Yoshiko Saita (vo)

“PANORAMA”
Bugpowder, Copenhagen, Denmark
Kasper Tranberg Quintet

Performed at “Yokohama Jazz Promenade” Kasper Tranberg Quintet

Also toured Japan for CD promotion

2000

“SONGS”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Piano Trio

Kasper Tranberg Quintet Denmark tour including the club ”Jazz House” in Copenhagen

Hiroshi Minami Quartet Japan tour

2001

Performed at “Yokohama Jazz Promenade” Kasper Tranberg Quintet, also toured Japan for Denmark and Japan cultural exchange with two Danish bands

2002

“GO THERE!”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Quartet

“MORTIMER HOUSE”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Kasper Tranberg Septet

“1st”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Kenta Tsugami (sax) Quartet “BOZO”

Hiroshi Minami Quartet Denmark tour

2003

“CELESTIAL INSIDE”
East Works Entertainment, produced by Naruyoshi Kikuchi

Japan tour with the same band

“MINIMA” the remix of the album “Go There”

The famous Japanese DJ “Izuru Utsumi” “Tatsuya Oe” “Naruyoshi Kikuchi” “Outer Limits Inc. (DJ Kensei+ DJ Iraguri etc)” “Combo Piano” and “Goth-Trad” showing a new phase of Jazz on a rapid change

Denmark and Japan tour, Kasper Tranberg Septet

2004

“TOUCHES & VELVETS” produced by Naruyoshi Kikuchi
East Works Entertainment, Tokyo Japan
Hiroshi Minami Piano Trio with Strings

Performed at “Copenhagen Jazz Festival” Kasper Tranberg Septet

2005

“DUENDE”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
with BOZO Kenta Tsugami (sax)

“INTERLUDE”
Tuff Beats, Tokyo, Japan with Legendary vocalist, Sumiko Yoseyama

“Yokohama Jazz Promenade” Toshihiko Inoue (sax) Quartet

“Copenhagen Jazz Festival” Kasper Tranberg Septet

2006

“ELEGY”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Trio with Strings

2007

Performed at “Elegies, Touches, Songs of JazzToday” Hiroshi Minami Trio / BOZO with a string quartet, hosted by East Works Entertainment

“RED CONTEXT”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
BOZO Kenta Tsugami(SAX)quartet

2008

“LIKE SOMEONE IN LOVE”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Trio

Published a book of essays ”Between The White Key and The Black Key”

2009

“DREAMS AND BLUES FOR TORU TAKEMITSU”
East Works Entertainment, Denmark, Copenhagen
Kasper Tranberg big band

“FLOWER & WATER”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Duo with Naruyoshi Kikuchi (sax)

Published a book of essays ”My New World Through Eighty Eight”

2010

“THE GIRL NEXT DOOR”
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Trio

“FROM ME TO ME”
Airplane Label, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Quartet Go There

2011

“LIKE SOMEONE IN LOVE” low-priced edition
East Works Entertainment, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Trio

“LIVE AT ARISTHALL”
Limited distribution from e-onkyo music (http://music.e-onkyo.com/)
Hiroshi Minami Trio

“BODY & SOUL”
East Works Entertainment, Tokyo Japan
Hiroshi Minami Trio

Published an Essay ”My Foolish Heart”

2013

”BEHIND THE INSIDE”
Airplane Label, Tokyo, Japan
Hiroshi Minami Modern Trio: Nils Davidsen (b), Anders Mogensen (ds)

Performed at “Copenhagen Jazz Festival” Hiroshi Minami Modern Trio

2015

”FOX WEDDING”
Self produced CD, recorded in Odense, Denmark
Hiroshi Minami Modern Trio

 

TEACHING EXPERIENCE

1986-1988 Private piano instructor

1994-Present Private piano instructor

1995 Lectured on Environment and Art at Shoubi University

CONTACT

info@minamihiroshi.com

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