朝六時フリージャズ

某月某日 新藤兼人監督が逝去された。なんと御年100才である。時間的観念とは別に、人間の齢というものがここまで生きられるポテンシャルを持っていることを先ず不思議に思う。我が仕事はピアノを弾くことであるから、まずこの年まで弾き続けることは無理であろう。否、もう、ある意味運良くだが、七十才を超すまで生きたとしても、身体はズタボロに違いなく、養生とか、世界一長生きの国に生きているとかは関係なしに、僕としては早く人生を終わりにしたい気持しきりである。ピアノが弾けなければ、ゾンビ以下の存在の自分としては、新藤監督の為し得たことは、やはり歴史に残るのではないだろうか。こういった日本人が存在し、文化に長年貢献したことは、もう既に好き嫌いを超越しているといっても過言ではなかろう。 その新藤監督の作品「三文役者」にワキのワキで出演したことがある。フリージャズのお好きだったバイプレイヤー、殿山泰司氏の俳優人生を描いたこの作品で、殿山泰司を竹中直人氏が主演の映画だ。事の起こりは今から既にもう幾歳月、何年前だっただろうか。調べてみると、制作年2000年とあるから、それより前のことだろう。とにかく新宿ピットインのSマネージャーから、映画を撮るから、協力してくれないかというオファーを受けた。気軽にOKの返事をしたものの、集合時間は午前六時ということであった。その頃、朝までピットインで飲んで、始発で帰るということは経験済みだったが、六時集合というのは、特にその頃昼夜逆転の生活をしていた僕にとっては青天の霹靂であった。他のメンバーを聞けば、(敬称略)水谷浩章、芳垣安洋、菊地成孔という、当時も今も第一線で日本のジャズを支えているお歴々。何とかピットインに時間どおりに到着したものの、流石の菊地氏も瞳孔が開いたような笑いを浮かべており、水谷氏はピットインに着いた途端気分が悪くなり、「オレ、吐いてくるわ」と、浩章ならぬ白亜紀に成る状態。一番態度が変わらなかったのは芳垣氏で、いつもどおりドラムのセッティングをしていた記憶がある。客席の椅子は全部片付けられていて、何やらカメラのケーブルと、レールのようなものが床に沢山敷かれていた。だいたい脳細胞さえ起きていないのに、演奏する細胞を体内から見つけ出すことさえ困難な時間に、野球帽に乱髪、黒眼鏡にメガホンといった出で立ちの助監督だろうか、その人だけ異常にハイなテンションをまわりに発しながら、撮影準備を進めている。ものすごく強いライティング、 撮影関係者の間で飛び交う罵声の中でぼーっとしていたら、どうも撮影準備ができたような気配がした。思ったとおり、 助監督が、「はーい、ミュージシャンの方。各自ステージへ。 楽器の準備を」言われるままピアノの椅子に座ったが、この時間にピアノの前に座るのは、バークリー時代の朝練以来のこと故、自分が廃人である事が分かる。まず鍵盤の正体がつまめない。何をしろと言われるんだと待っていると、同じ命を受けた、菊地、水谷、芳垣氏一同、一応楽器の前で構えている。「それでは最初のショット行きまーす!まずフリージャズの一番盛り上がったところから演奏を始めて下さい!」これを無体攻めという。朝の六時過ぎからフリージャズの一番盛り上がる瞬間を「再現」すること自体、我々には拷問に近かったが、芳垣氏のスネアロールを聴いた瞬間、身体の奥底にある演奏する細胞が起き出してくるのが我ながら不思議だった。とにかくピアノをひっぱたく。ぐあ〜っとディスコードのスケールを弾いた後、がんがんとサックスの音に合わせコードを弾いていたら、あら不思議。この時間でも、なんとか形になるフリージャズができるじゃないの。しかしそれは、体力的に持続性のないそれであって、助監督の「カーット!」と言う声を聴くまでに、永遠の間があるように感じたのも確かだ。肩痛い、指痛い、これ以上大きな音出せない、 しかもフリージャズの最高峰の次元を突然表出させるなど、音楽的に無理を通り越したご無体な要求であり、一回目の演奏で、我々はヘトヘトになってしまった。しかし、一回目の演奏はカメラテストである旨伝えられ、「ジャー本番ワンテーク目、撮影しますから、今以上にオーヴァアクションで、いいですか。はいっ!スタート!」 ちょっと待っても、水飲みたいも言う暇さえない。皓々と照らされたライトの中で、汗だくになりながら、助監督の言うところの、一番もりあがったフリージャズの再現に四苦八苦した。音は後から入れると言うことで助監督の声が響き渡る。「サックスのひとー!!もっと楽器を上下に振って!そうそうそう!ピアノのひとー!!もっと鍵盤をひっぱたくように手を上下に激しく!そうそうナイス!ドラムもガンガン!そーそーそー もっと盛り上げて!」いつ終わるか分からない喧噪の中で、必死に演奏していると、助監督曰く、全体的なアクションが まだ足りないという。ヤケクソを通り越し、もう何だか分からない自分を通り越して、椅子から立ち上がって思いっきり鍵盤に身体ごと体落としのようなことをやらかしたり、両手を頭の高さから振り下ろしたりして、もう演奏という範疇ではない動作に終始していると、「カーット!!」という助監督の声が聞こえたのは、随分経ってからであった。疲労困憊して汗を拭いていると、「ミュージシャンの方!同じ感じで何テークか録らせて下さい!」とまた多助監督のお言葉。ここまで来ると、身体も、体力的許容範囲を忘れるらしく、何だか身体がふわふわしてきた。何テーク録ったのだろうか。やっと四人で演奏する段は終わった。さあこれで解放されたと思ったのもつかの間、今度は各自の楽器を接近して撮影するという。確かサックスが最初だったような気がするが、菊地氏の演奏を前から横から下からと、色々と指示を出しながら撮影再開。ぼんやりそれを眺めていると、必然的にピアノにお鉢が回ってくる。まずはおピアノに座った状態の僕の右肩側から、カメラマンが鍵盤をアップで写し、メチャクチャに弾いてくれという。今度はアンサンブルでは無いので、やりにくいことこの上なかったが、とにかく、ガチャガチャ音を出し始めると、助監督の声が後ろから響き渡る。「もっと両手を上げてアクションを付けて!」「同時に鍵盤を低音部から高音部までズザッと行き来して!」大体に於いてというか大局的に、両手を頭の高さまで上げながら瞬時に鍵盤の低音部らから高音部までサッと両手を移動すること自体無理なのである。 しかし、もう既に僕の頭の中は、早朝からのご無体な要求で無感覚になっており、助監督の要求を満たすべく、ナニが何だか分からずとも、これでもか!と低音部から両手を頭の上から振り下ろしつつ高音部へ瞬時に駆け上がるように鍵盤を乱打したら、肩、腕、背中に鈍痛が走り、指先の痛みも相まって、ピアノに突っ伏してしまった。だが、助監督は大喜びで、「それそれそれ!もう一回録るからもっと早く同じ事をやって下さい!!」 ピアノのみならず、各自の楽器がナニやら通常では考えられない動きを収録し、終わったのは昼頃であった。 後日、どこが映像になっているかという興味のみで、「三文役者」のDVDを観たが、そこには四人で演奏しているところしか使われて居らず、しかも長さにして三十秒も無かったような気がする。あの僕のメチャメチャピアノのフィルムは一体どこにいてしまったのだろう。多分、却下となってこの世にはもうあるまい。 >>>

コペンハーゲンにて

コペンハーゲンにて。 今年の夏もコペンハーゲンジャズフェスティバルに参加した。レコーディングと演奏の仕事を終え、残り数日の滞在は自分へのご褒美として、パスポートの上で正真正銘ツーリストとなって、コペンハーゲンの街をほっつき歩いた。様々な国籍のミュージシャンの、様々なジャンルに触れることは、大変に面白い。小国とはいえ、一国の首都で十日間、ジャズクラブでない小さなカフェからコンサートホールまで、歩いていれば何かの音楽に行き当たるこの様は、日本では想像できまい。プログラムの細かい字を覗きこみつつ、良さそうな演目を探しながら、夜遅くまで、友人の演奏を午前様まで楽しんだりして、東京では許されぬ夜を過ごした。ある晩、深夜の演奏が終わり、さて帰りの足が無いと気づいた。とにかく、クラブにタクシーを呼んでもらうことにした。こうしたことは、毎晩慣れていたので、クラブの前でタバコを吸ってタクシーの来るのを待っていると、五分もしないうちにピカピカの新車のオペルが、ものすごい勢いでクラブの前に停車した。その偉容はタクシーにしておくにはもったいないと思わせる威圧感があった。運転手は、一目でエジプト系と分かった。案の定、最新型カーラジオでエジプトの音楽をかけている。手帳に記した、滞在している友人の住所を見せながら、「I want go to  STAKKENSUND5」と運転手に行き先を告げた。ここで少しデンマーク語について書くが、まずは発音が恐ろしく難しい。そして通り名も地名もカタカナ表記ではとても現せない発音が多い。カタカナ表記では、「スタッケンスンド」となるのだが、運転手は、手帳をのぞき込みながら、何かぶつぶつ言っている。彼の容貌にはあまりふさわしくない、ものすごくハイテクなナビゲーションに、行き先のアルファベットを打ち込んでゆく。「シュタッケインズイィーンンド、、、、、、、、、、シュタッケン、シュタッケン、、、、、、、、、オオ、シュタウッケンズイーンド!」一体全体何が「スタッケズンド」と違うのか、僕の耳では相変わらず関知できなかったが、「オーケー、サー」とエンジン全開で動き出したから、一安心して、ぼんやりと外の景色を眺めていたら、どうも途中から見覚えのない街並みが目の前を通り過ぎるようになった。思わず運転手に、「Are you sure are you heading to STAKKENSUND?」と聞いてみたところ「イルエス、イエス、サー」としか言わない。英語があまりしゃべれないであろうことは、その返答でも見当がついた。土地勘がないから文句は言えない。しかしどうも同じところをグルグルと走っているような気がしてしょうがない。友人のアパートの近くにある教会の名前を言って、そこの近くだと説明すると、「ィルヤー、アイノー」としか言わない。無意識に料金表を見ると、明らかに今までより多い額が表示されている。どこか見覚えのある通りや店がないかと、僕は深夜のコペンハーゲンの街に目を凝らし始めた。しかし深夜ということもあり、店は全部閉まっており、また、見覚えのある建物なども、夜にはその様相を異にする。ただそのエジプト人の運転手は、確固とした目的意識を持って運転していることを感じさせる、なにやら誠実さのようなものが、そのハンドルさばきににじみ出ていて、トラブルを起こすのもいやだから、黙って乗っていることにした。しかし、東京と違い、深夜のコペンハーゲンはセンターを離れると、人っ子一人歩いていない。身近にいる人はこのエジプト人の運転手であり、彼とは碌に英語で意思疎通が図れないので、成り行きにまかせることにした。だいたい、東京でさえ、遠回りをする悪辣なドライヴァーもいるのである。エジプト音楽が急に大きく響きだした。彼がヴォリュームを上げたのだ。外の景色とは全く別種の文化から生まれ出た音楽が車内に鳴り響く。ラヴソングかと聞くとそうだという。そのドライヴァー、ナヴィゲーターに首っ引きになりながら歌をハミングしだした。こちらはなんだか気が気ではない。うがった考え方をすれば、この運転手、正確な位置に僕を下ろさなくてもいいという選択も無きにしもあらずだ。適当なところで車を止め、ここだと言われれば、タクシーを降りざるを得ない。そう、ええい、めんどうくさい、場所が分からないから、ここらへんで、この変なアジア人に、「ここがシュタッケンズイーンドだ」と言って下ろしてしまってもいいわけだ。しかしその疑いは、だんだん晴れることとなる。しばらくすると、友人の住むアパートのそばの見覚えのある通りが見えて来た。なぜか彼はいつもの運転手と違い、全く反対方向から我が友のアパートに向かっていることが分かった。だが、反対側からアプローチされたのと、周りが暗いので、どれが友人のアパートだかは分からない。彼はいかにも夜目が利く漆黒の目の玉で、「ナンバリュアフアィブ、ナンバリュアファィブ」と言いつつ、車をUターンしたりバックで走ったり、NUMBER5を探すのに必死になっている。その段になって、なんだか僕はこのエジプト人を疑ったことが恥ずかしくなっていた。多分移民に違いない。自分の国に居られなくなったのか、稼ぐためにやってきたのだか。だがそのときの彼はナンバリュア5を探し出すのを諦めなかった。車を、コペンハーゲン中心部から二十分ほどの、労働者階級のために建てられた同じような造りの建物から、シュタッケンスンド5を探すのに必死である。終いには、わざわざタクシーを降りて、建物の入口の番地を確かめだした。僕もタクシーを降り、彼と一緒に薄暗い中、何本かの通りを探して歩いた。 しばらくして、見覚えのある植え込みが見えてきたので、ここで間違いないとドライヴァーに告げると、「ユールルアーウエルカム」と微笑んだ。その微笑は、あまり日本ではお目にかかれない晴れ晴れとしたもので、彼の心根の優しさを垣間見たような気がした。 僕はお礼を言って無言でチップをはずみ車の外に出た。「ミスタルア−,this is to much chip sir」「It’s ok .keep it thanks」運転手に再度礼を言い、車から降りると、件の運転手、「ゴルナット」(おやすみなさい)と言うやいなや、フルヴォリュームのエジプト音楽とともに去っていた。 後で友人にそのタクシードライヴァーの事を話すと、今コペンハーゲンではそこら中で道路工事をしており、遠回りしないと目的地に着けないことも多々あるという。あのエジプト人ドライヴァー、多分彼なりに一番近いルートを選択したのではないかと思った。エジプト人の運転手のことを疑ったことを再度恥じた。 コペンハーゲンにも色々な人種が居て、NYと同じく、アラブ系はタクシー運転手が多い。きっとその晩はアラーの神に導かれたのだろう。 >>>

霊園

某月某日 過日、墓参りに行った。場所は富士山の近く。母方の祖父母が眠る場所である。祖父母共、静岡出身であり、特に祖父の、富士山が見えるところにお墓を建てたいとの希望からこの場所になったのであるが、祖父が生前このような希望を親族に語った時、年齢の数字の間にコンマが間に入る僕は、「お爺ちゃん、死んだら富士山なんか見えやしないよ。あんな遠いところにお墓を建てたって、墓参りの回数が減るだけだよ」と減らず口をたたいたら、母が怒り狂ったので黙った記憶がある。しかし、その減らず口のとおり、親戚一同集まって墓参りに行くには、日程の調整を含め、富士山近くの霊園に行くには、やはり難儀度を増し、なかなか日程が決まらなかった。 別段祖父母が嫌いであったわけでは無いし、むしろ、生前は、いいお爺ちゃん、お婆ちゃんおばあちゃんであったが、母の日程調整のやり方に、ツアーを組むことに慣れている僕は、その段取りの悪さに辟易とし、毎年なんだかんだ理由をつけて参加しなかった。曰く、バチはもう十分あたっている。イスラムに改宗した。お墓に行ってもお年玉もらえない。永代供養だなんていったって、何十億年先には地球は太陽の膨張で飲み込まれてしまう。坊主の御経の意味が分からない、云々。しかし今回の墓参りに対する母の執着は、何やら人知を越えた迫力があり、あれよあれよという間に日程が決まってしまった。 また、墓参りという行いに、なぜ気が乗らないかといえば、久しぶりに会う親戚との会話が面倒だというのも一つの理由で、まだ僕のやっていることを根本的に理解していないトンチンカンな質問をする者もおり、道中の過ごし方が異常に面倒だということも理由の一つであった。そのことも相まって、墓参りという行事自体避けたかったのだが、今回は僕が折れた。母も高齢であり、親孝行など微塵もしていない、できない身なので、少なくとも親より後に死ぬことが親孝行だと思えと宣言しただけでは、あまりにも母がかわいそうだ。ということで、朝十時半に新宿駅に集合。今回は幸い親戚筋の参加者が少なく、叔母と二人の従兄弟のみであった。 何年ぶりかで会った母の妹にあたる叔母の息子、つまり片一方の従兄弟は区役所に勤めており、仕事が福祉関係なので、最近世を騒がせている生活保護の事に話題が及び、貴重な知識を得ることができた。墓参りの主題から話しは逸れるが、つまりあの問題は氷山の一角であり、全てをきちんとすることは、役所の係の人数では不可能であるらしい。また、保護を受けながら、親戚その他から現金の援助の有るなしなど、二十四時間体制で見張っているわけにはいかないので、ともかくあのような事例は氷山の一角らしい。 話しが逸れたが、今回、親戚一同こちらを禁治産者扱いする発言はなく、察するにこれはどうも小学館から本を出版したことが効を奏しているように思われた。 まあ、そんなモンだろう、世の中は。更に加えて天気もよく、御殿場に着く頃には、霊峰富士がその偉容を静かに我々下々の者を眺めているのがよく見えて、親戚一同何やらピクニック気分であったのも、こちらに妙な質問が飛んでこない一つの理由であったかと思う。 さて、霊園に到着し、墓前にて花と線香を供え、各自手を合わせる。無信心ながら僕もこの場に至っては、下らぬジョークなど飛ばせない雰囲気なので、静かに墓前にて手を合わせた。お爺ちゃん、お婆ちゃん、 おかげさまかなんだか分からないけど、元気で何とかやっております。心の中でそう唱え、墓前を離れて振り向けば、どかんと霊峰富士が、雲一つ無い空に、駅で見たその偉容を更に増してこちらに覆い被さるように鎮座していた。お爺ちゃんの思い通りになったのだな。良かったね、お爺ちゃん。しかし、良く考えれば、死者に対して何かつぶやくというのも不思議な 気分である。合理的に考えれば、その声は届いている筈はないし、相手に聞こえている筈もないのである。だが、そこはそれ、何やら墓前まで来ると、僕の声が届いているような気分になるから不思議なものだ。お爺ちゃん、お婆ちゃん、今の日本は尭舜の世のごとくであります。役人のことなどトンと忘れてしまうほど世は太平です、と言いたかったが、これは嘘になる。次の墓参りがいつになるかは分からないが、その時にはそう報告できればなあと思い空を見上げた。一体全体、戦後の我が国は何をしてきたのだろうか。全て砂上の楼閣ではないか。父親の年代の、数多くの人達が馬車馬のように働いて、この繁栄をもたらしたのはいいが、何でこんなに国に借金があるのだろうか。皆でデタラメをやってきたならいざ知らず、少なくとも僕の廻りの親戚一同は、祖父母も含め、満点とは行かないまでも、善人で、微力ながら我が国の戦後の成り立ちに貢献してきた人ばかりである。僕を除いてだけど。それが一発の地震でご破算になってしまった。こんな事を墓前で考えること自体、不謹慎に思われたので、何も考えることを止め、ゆっくりと墓石に水をかけてもう一度無言で一礼し、他の親戚が手を合わせている間、何となく墓所をぶらぶらと歩くことにした。しかしまあ、日本人の苗字の多さを再確認するには、墓所が一番手っ取り早いな、などと思いながら、なにげに墓碑を見て回っていたら、妙な漢字に出くわした。草書体で墓碑に彫られたその文字は一字で、遠くからでは読めないので近づいてみたら、なんと清水寺で坊さんが偉そうにぶっとい筆で書いたあの一文字であった。一瞬にして今までの安らかな気持が消え失せ、言葉にできない怒りがこみ上げてきた。他人様の思想、考え方は様々で良い。否、僕の知ったこっちゃない。しかし、己の先祖を奉る墓標に、アノ腐れ標語を彫り込むとは、、、、、 まあ、この墓石のご家族がこれで満足なんだから、僕がとやかく言う筋合いは無いのは分かっているが、やはりなぜか怒りが収まらない。清水寺で坊さんが、さも意味ありげに書いたあの一文字。僕としては、その一文字のあまりの分かりやすさと仏教的奥行きの無さに腰が抜けたものだが、それを墓石に彫っている御仁がいる。坊さんも坊さんだ。難しい仏教用語なんて沢山あるんだから、思いっきり誰にも分からない、そして今のご時世の正鵠を得た一文字を書けば良かったのだ。その後誰もが分かるように説明すればいいだけのことじゃないか。今のこの混乱した世相にこそ坊主の出番があるだろうに。その一文字が悪いわけではない。只、今更あえて大仰にでかい筆で書かなければならない字なのであろうか。 後ろで母の呼ぶ声がしたので振り向くと、霊園の巡回バスがもうすぐ来るというので、その場を立ち去った。 あ〜あ、他人様のお墓に、心の中ではあるけれども、怒りをぶつけてしまった僕には、またバチがあたるんだろうな。当然だ。だから墓参りは嫌なんだよ。 帰途、新宿駅で乗り換える時も、あの一文字が頭から離れなかった。目に付くのは、政治、官界に於いて、お互いあの一文字があろうが無かろうが、天下りをし、お互いのなれ合いで事実を隠蔽しあって、、、、、勝手にしろってんだ、まったく。世も末である。今こそ仏法の出番であると思うのだが、此といって目立った仏教界からの活動が目に入らない。メディアが取り上げないだけなのかも知れないが、何とかカウンセラーなどより、被災地には真の坊さんの話法が必要な気がするのだが。まあ、父親が京都の出身で、祇園で毎晩遊んでいるのはボンさんやでえ、と聞かされて育った僕は、どうもそちら方面の不信感がぬぐいきれない。そんなことを考えながら山手線に乗っていたら、若いネイチャンが車内で携帯を使い喋っている。良い意味での風紀の乱れは新しい文化を生み出す土壌となるが、嫌でも聞こえてくるその会話の内容は、ある意味厳粛なる墓参りの後に聞く内容ではなく、一日かけて行った行事の興をそぐに十分な内容であった。あんたもいずれはお墓に入るんでしょ、と言いたくなる始末で、とぼとぼと家に帰った。 >>>

天麩羅蕎麦とタンメン

某月某日 ここまで一人暮らしが長くなると、不器用な僕でも、掃除、洗濯、炊事、おかたづけ、その他、それなりに自分独自の方法でこれらの雑事をこなす段取りが自然に形作られるものです。しかも、どこの店のトイレットペーパーが一番安いかということまで把握しているので、もう既に死語でしょうが、僕は主婦でもあるわけです。 ですが、やはり本業が立て込んでくると、いかんせん主婦業は疎かとなり、枕カヴァーのヨダレが現代アートに見えて久しいという時期もあります。こういう時に一番困るのは、パンツの枚数ではなく、喰いモンです。つまり上品に言えば、お食事。こう考えてきてみると、お食事などというものを食べたのは、何年前だろうかという虚しさがスッと心をよぎりますが、仕方ありません。僕が食べているものはメシであり、お食事なんてもんじゃない。話しが逸れましたが、掃除機を片手に持ってジャガイモは剥けません。喰いモンに埃も入ってしまう。畢竟出前というシステムに頼らざるを得なくなる。ピザ、最近は寿司までもチェーン店ができて、ドアの前までお食事を運んで来てくれますが、値段、味、待ち時間を考慮すると、近くの蕎麦屋と、ちょっと遠くにある中華料理屋の二件の使い勝手がよい。 ここで面白いのが、この二件の出前持ちの出で立ちと振る舞いの違いです。否、電話で注文する時点から両者はなにげに変で、そして既に滑稽なのです。先ず蕎麦屋の方ですが、出前の電話をかける段からどこか可笑しい。蕎麦屋というものは、粋で鯔背でなければならないという、僕の先入観を、根底からぶっ壊してくれるようなおばさんらしき女性が、やる気の無さそ〜な、しかも甚だしく脱力した声で対応するのです。 しかも小声で。 「ハイ、、、、○×庵です、、、、、、天ぷら蕎麦一つ、、、、、、、、ありがとうございました」 おいおい、ツユがあったけえうちに持ってきてくれよな、といつも心配になってしまう声のトーンであります。しかしこの蕎麦屋の出前持ちの方は、小柄な男ながら、スーパーカブの天才的運転技術の持ち主です。近所を歩いているときもよく見かけるのですが、左折右折で減速などしません。車体は九十度に曲がり、人混みをかき分けて突っ走るその小気味よさは、ある種一興です。いつも車体に体を沈めさせて走るその姿は、ただツユが冷めないように、という思いよりも、何かしら彼にとって、大切な何かを追いかけているように見えると言っても過言ではありません。とにかく、彼は僕のマンションのドアのそばで急ブレーキをかけて止まるので、ドアをノックする前に出前が届いたことが分かります。まあ、ドアを開けて待っているようなことはしませんが、彼の運転同様、ノックのリズムもものすごく早い。ココココンコン!ドアを開けると、いつものスタイルでどんぶりを持って立っている。白いヘルメットに白い割烹着。そしてなぜか夏でも長靴。そして、咽をすぼめたような声で、「おーまちどーさまでしタッ!九百円です!」と独特な抑揚でいつものフレーズを早口で言う。千円札を渡すと、腰から吊り下げた大きな財布をジャラっと言わせてつりを出し、疾風のように去って行く。 話し変わって中華料理屋の方は、この蕎麦屋と対照的と言うより、異質な感じの対応をします。 この中華料理屋、まだ行ったことが無いのですが、場所は知っていて、バイクでも結構時間がかかる場所にあるにもかかわらず、ランチタイムを少し外した時間に注文の電話をかけると、早いときには十分ほどでやってくる。そして先ず電話の対応ですが、いつも野太い低い声の中年男が電話を取る。この人に脅されたら怖いだろうなあと思わせる声です。 「ハイ、○×亭です。タンメン一つ、、、、いつもーありがとーございます!」 そこからものの十分で出前が来るのですから、ものすごい勢いで調理しているに違いありません。しかもバイクも、蕎麦屋に負けず劣らず猛スピードで飛ばしてくるのでしょう。さてこの中華料理屋の出前持ちのおじさんが、また一癖ありそうな人物。白い割烹着は汚れ放題で、どんぶりを差し出す手はなぜかいつもテラテラと濡れている。長身で痩躯、顔形も端正ですが、架けている銀色の眼鏡レンズが、いつも油で曇りに曇っている。よくもまあバイクを運転できるなあと思うような汚れ方をしている。この人のバイクのブレーキ音は聞こえないので、ドアがノックされた後、鍵を開けるのですが、ドアを開けた瞬間、いつもぬっとどんぶりをドアと壁の間から突き入れるように差し出すのが彼の流儀です。この人は何も言いません。値段も、おまちどおさま、も言わない。ドアの前に立って右手に持ったどんぶりをにゅっと差し出すのみ。千円札を渡すと、既につりを左手に握りしめている。この小銭もヌルヌルです。とにかく、千円札で支払うことをいつも予測しているのでしょう。こちらがどんぶりとつりを受け取ると、一言「まいど」といって立ち去る。ところが、割烹着は汚いが、ここのタンメンはなかなかの味で、野菜が山盛り入っている。まずその炒めた野菜を半分食べないと、麺にたどり着けないぐらいの量です。特に風邪をひいているときなど、胡椒を大量にぶっかけて、一気にすすり上げると抜群に旨い。蕎麦屋の方は、蕎麦好きの僕にとっては、まあこんなモンかという程度。只メニューがやたらと多く、セットメニューの組み合わせは、まだ全部僕が食べてないくらい沢山ある。まあ、そこが重宝なところですが。あれ、オレ何を書いてたんだっけ。 >>>

狂人日記

某月某日 何か書いていないと、気が変になりそうな時があって、まさに今はそういう心持ちです。気が変になりそうな「時」と書きましたが、これは何も何時何分という時間を意味するものではなく、永遠に自分を客観視できない自分という存在に、脳と体のどこかから発せられる信号のようなものが気を変にさせます。普通の意味で使う信号という物は、機械でできていますが、生身の体が機械でできあがっている筈がなく、アラもうこんな時間?なんて言うおばさんの社交辞令とも違った、時間と隔絶した己のどこかが悲鳴を上げているのです。その悲鳴という言葉も、ギャー!とかワー!とかいうものを想像されては困る代物で、一体全体この世はどうなっているのだという、重力の有るところと無いところが内面を支配しているようで、逆説的に言って、悲鳴ではない悲鳴だからこそ、気が変に成りそうなのです。またそれが身の回りに沢山あるので、気が変に成る予感に包まれるのです。 気が付いたら生まれていたというのも、よく考えたら残酷な仕打ちで、ようし、この環境でがんばってみるか、何て考えて生まれてくる人間は一人もおりません。ただ死に方は自らが選べるということがただ一つの救いのような気もします。しかし、無人島で餓死するのとは違い、この世間で死ぬということは、頼むからほっといてくれと懇願しても、まわりの同類がほっといてくれないから、救いでもあり厄介でもあります。加えて、自殺はいけませんと言っているキリスト教者などが戦争をしているのだから、何が何だかさっぱり解らない。 自由を得るが為の不自由。不条理に怒りを感ずる自分の中にある不条理。正直でいようとすればするほど不正直なことを無理強いされる社会。 何を中学生みたいなこと言ってんだと言われればそれまでですが、これらのことこそが、僕の内なる悲鳴をかき鳴らす元凶であるのです。 とここまで読まれた方、特に精神科医や、その関係のことをよく知っている人はお気づきでしょうが、僕の思考は支離滅裂で、それは精神病者の最たる特徴であります。外が明るくなったり暗くなったりしています。あ、キリストが今、あなたの横に立っています。でも自分が神様の筈なのに、なぜキリストがそこにいるのでしょう、否、私は東条英機の筈だから、神様である私は東条英機ではない、、、、本格的に隔離されている人の話は、このような調子で、気が変に成りそうなのではなくて、実際に成っているのだから仕方ありませんが、僕の場合もその境界線が時々ゆがみます。一応、電車に乗るのに切符を買うことができ、他人との対応に於いて、一応、社会性のある言動を今のところ保っていられるので、僕は隔離されていないだけです。半フロイト派でさえ無意識の領域は認めているのですから、その領域が表に噴出していないという只その一点に於いて、僕は娑婆で生きていられるだけであって、内面から噴出する静かなる悲鳴は、実は切符を買う際にも僕を苛んでいるのです。40代後半から、僕の中には人間である事のものすごい悲しみが根を下ろし始め、今もそれが止むことはありません。見ること聞くこと、社会の現象、的の外れた他人の言動などは、僕にとって全てロールシャッハテスト的で、言葉というものが持つ意味合いさえも、ゆがませてしまうことが日常生活で多々起こります。苦笑を自らに義務づけていますが、時々その「苦笑」という言葉から「笑」の字が消えることがあります。これは小学校高学年からこの方ずっとそうで、人々の職業についても言えることです。特に教師と医者、政治家と芸能人には、ものすごく辟易とすることが有り、そういうときに苦笑という言葉から「笑」の一字が欠損します。浮世が生き辛いのは当たり前のことですが、苦笑さえできぬ事象には、僕自身もう耐えられません。和算において、不可思議、無量大数などという気の遠くなるような数の概念を想像できる頭を人間は持っているのに、一方で、とてもくだらないことで四苦八苦したりするのは一体なぜなのでしょうか。要するに皆、隔離されている人を除いて、気が変になり損ねであり、ただかろうじて世の無意味に鈍感でいられるということのみが、皮肉なことに我々を救っているとしか思えません。 でもこれってやはり、どこか狂ってますよね。ナニ?狂ってるのはお前だけだ?多分そうでしょう。 >>>

ジャクソン・ポロックが解らない

某月某日 過日、忙しい間を縫って、しとしとと降る雨の中、ジャクソン・ポロック展に行った。午後の用事がなかなか終わらず、一度カウチにへたり込んだが、その日の夜しか空いていなかったので、無理に起き上がって竹橋の駅に向かう。焦ると碌なことはない。地下鉄の出口を間違えてしまい、近代美術館とはずいぶん離れた出口から外に出てしまった。皇居をグルリと十分の一回転し、やっと美術館の前に着いたときには十九時半を過ぎていた。入り口の係員に泣きついて何とか中に入れてもらい、さあやっと観賞というスタート地点にたどり着く。俗世を忘れるため、自分の自我を真空状態にするべく、立ったまま数秒自身を仮死状態とする。しかし、心頭滅却すれば放射能もまたラドン温泉とはならず、日々の雑事が頭をよぎる。しかし、うかうかしていたら、閉館は二十時である。やむを得ず、俗世間の見えない糸を断ち切れぬまま、作品と対峙した。う〜ん、何じゃこりゃ。よく観れば均整の果てに統合性がきちっと波打ってはいるが、画家はここまでの表現方法を選ばねばならぬのかと、先ずそこに注目した。ジャクソン・ポロックに限らず、画家は孤独だろう。音楽は、例えばソロピアノなどの演奏形態はあるが、やはりアンサンブルが主であり、対人間と音楽を、ある意味興行という名目の瞬間に創造することができる。しかし画家はひとりで絵を描く。しかも製作過程自体は興行ではない。類似点はある。音楽家が一人練習することは、絵画の世界と比べれば、作品を世に問うための営みとはかけ離れていることも、往々にしてある。雑音に近い指の練習など、製作とは言えない。そう考えてみると、展覧会というものは、既に画家自身が果たした興行の後を壁に架けているのであり、そこからのインパクトは、製作過程よりも若干おとなしくなってしまうのは仕方ないことなのだろう。特にボッティチェリのような画家と比べれば、ジャクソン・ポロックのような画風は、製作過程で興行していると、僕としては感じざるを得ない。 画家がうらやましい部分もある。絵筆、絵の具、タブローという制限はあれども、ピアノという合理性の塊のような楽器と比べれば、その表現は、もっと形而上的無限大に近づくことができる気がする。いずれにせよ、ジャクソン・ポロックの描いたものは、製作過程が一番面白く、完成した時点でその彼の絵自体は、興行が終わった後の寂しさが漂っているように感じた。すなわち何か食い足りない寂寥感のようなものを醸し出していたのだ。外が雨だったせいもあろうかと思うが、要するに、僕には彼の絵が解らなかった。アメリカのハイウエイを想起させるその線の多い画風は、僕には何かしらの地図に見えてしょうがなかった。要するに僕の審美眼が欠落しているのであろう。地図上のハイウエイのような線と、自動車事故で若くして死んだ彼の人生の終わり方に、何か共通するものを感じたのは僕だけだろうか。 雨がしとしと降る中、疲れきって家に帰った。 >>>

愛電話が愛機になるまでは

某月某日 ――愛電話が愛機になるまでは、もう少し時間がかかりそうだ。なにしろこれはもう既に電話の域を超えている。テクノロジー恐ろしや。あと一年も経てば、もっとすごい、愛電話五番などでるのかもしれない。 それは既にもう、文字盤もなく、全て音声で処理されるものになるのではないか。そしてあと二年も経てば、頭の中に埋め込むようになるのではないか。独り言を言っている人がいるなあと思ったら、電話中だった、などという異様な風景が、巷に展開するのではないか。恐ろしや。渋谷センター街に行くと、全員あらぬ方向に目をやりながら、それぞれその場に全然関係ないことをぺちゃくちゃ喋っているのである。下手をすれば、真横にいる恋人に、純愛電話五番で話しかける世となるかもしれぬ。 こっちの方が雑音をカットできて、音声がいいんだもの、などと言いながら。ああ恐ろしや恐ろしや。―― 某月某日 ――と言っても今日は12日。明日13日、中目黒のクラブ楽屋にて、新しく起動したグループ、「MMS」で演奏します。タイトルの由来は、Thelonious Monk(P), Charles Mingus(B), Billy Strayhorn(P)の頭文字から。このお三方、時代劇で言えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に匹敵するジャズの作曲家であり、演奏家なのです。美術で言えば、モンクはゴッホ、ミンガスはバスキア、ストレイホーンはロートレック?かな。とにかくこの人達には足を向けて寝られない。だが、今こそ彼らの曲をやる機が熟したとも感じている。今触れておかなければ、この先一生素通りしてしまうような気もする。モンクの曲とそのピアノ奏法について、ここで述べるまでもあるまい。ミンガス然りである。ストレイホーンは動画が少ないが、各自U-TUBEで見られます。特にストレイホーンは、デューク・エリントンの片腕として活躍した人です。有名な「Take the A Train」も、実はストレイホーンの曲なのです。ああ、どこまで簡単に書いていいのか、どこまで専門的なことを言っていいのか分からない。とにかく、彼らの曲をやるという事は、王と長島とイチローが、同時にバッターボックスに入るようなものです。あれっ、僕スポーツ嫌いだったよね。皆さん聴きにきて下さい。――PS、メンバーは、津上研太(SAX)水谷浩章 (B)本田珠也(DS)。すげえメンバーだな。―― 某月某日 ―調べてみたら、松の内とは、一般的に1月6日までをいうのだそうだ。門松を立てておく時間のことを指すものだが、なぜ門松と称するのに青竹が真ん中にあるのであろうか。しかも斜め切りの状態で。ぜひとも、この門松の由来を知りたいものだ。正月は、多分昔でも気の緩む時期で、それを狙った何者かが闖入してきた際に、正月飾りに見せかけた青竹が一瞬にして竹槍と化し、狼藉者と戦う為にあのような組み合わせになったのではなかろうか。残念ながら、こちとらマンションに住んでいるので、ドアの前に門松などを置いたら、近所から苦情が来ること必須である。消え行く日本の伝統は、住まいの形状からの影響も大きいのかと、今更ながら寂しく思う。まあこのことは閑話休題として、年末、携帯電話が壊れてしまった。泡を食って「軟銀行支店」に行ってみると、31日だというのに開いている。店員に我が携帯電話を見せると、こりゃもうダメです、ダンナ、新しい機種に変えた方がいいですぜ。というお答え。いやいや、新しい機種と言っても、触り版とやらを、あたしゃ使う気はないよ。あんなものに慣れる前に、あたしゃ死んでいる、文字なんざあ書けるわけがない。と返したところ、ダンナ、いずれは全ての携帯電話が触り版となるんですぜ。お早めに慣れておくことをお勧めしますよ。てえんで、どれか良さげなものを見繕ってくれい、と裾をまくると、ジャジャーン、これですよダンナ。この愛電話、こりゃあすごい代物でしてね。要するにこれはすでに携帯じゃあない!じゃあなんなんだって聞いたら、これはダンナ、電算機がそのまま小型になったものと理解してくだせい、とこうきたもんだ。ナニナニ?いやダンナ、今あっしが説明しやすから、つまりこれがこうなって、そしてこれがああなってるってんで、今チマタでは大騒ぎですよダンナ。なんですって、シャミのおっしょさん?それだったらこの愛電話にするしかねえ。正真正銘この軟銀の留吉がお勧めするんですから、間違いはねえ。とにかく使ってみてくだせえと、何のかんのとねばるので、わかった、俺も男だってえんで、その愛電話を握りしめ、そそくさと家に帰った。ためつすがめつ眺めてみれば、この愛電話、なにがなんだかさっぱり分からない。とにかく、壊れた携帯電話のお目録をお宅の林檎から導きだしておくんなさいと留さんに言われていたので、林檎と愛公をめでたくメオトにさせた。そうしたら、驚いたのなんのって、同期しますってんだ。そのメオトが。メオトが同衾するのは分かるんだが、同期とはこれいかに、なんてどうでもいい事を考えているスキに、あらあら、本当に同期しやがった。愛公を覗いてみれば、ほとんどのお目録は消えていなかった。こいつはよかったてえんで、まず我がトモダチに、明けましておめでとうかなんか目得留を出してみようってんで、初めて触り版に触れてみた。あ・け・ま・し、、、あれ?目得留が勝手に飛んじまった。こいつはいけねえと思って、またやってみたのだが、うーん、なかなかうまくいかない。その内に、大晦日の大騒ぎの会に御呼ばれしていることに気がついた。ああ、いけねえ、時間がないってえんで、三味線もって新宿の、人力車の溜り場へエンタク乗って行きました。ああ、めでたやめでたや。あっしのオペンペンも調子よく鳴って、こいつは春から縁起がいいや。あほれペペンがペン。ペンペンペ~ン。愛~チャンの~こ~いぶみ~は、かくの~がた~いへん、あほれぺぺんがぺ~ンのペンペンペ~ン。四角四面の愛~チャン~は、ツンデ~レおんな~の、見本の~よ~だよ、み~りょ~く~てきだ~が、ちょい~と気むずかし~。あほれペペンがペ~ンのペンペンペ~ンときたもんだ。愛公、今年からよろしくな。―― 某月某日 ――明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。と言いつつ、正月明けから腹立たしい。何かを誹謗中傷、または特定の人物の悪口を書くのは、いけないことと承知の上で言いたい。テレビをつければスポーツばかり。なんだこれ、日本人全員バカなんじゃないか(ということで僕も含まれているわけです)。今年もどうかよろしくお願い致します。 某月某日 ――御多分に洩れず、大掃除を、と思い立ったが、完璧にやろうとするとイライラするし、下手をすると精神を病むので、まずは商売道具のピアノの置いてある部屋からと思い立った。――――今ピアノの部屋を見て帰ってきた。見ただけで精神を病みそうな状況だった。 ここは一念発起、水垢離をして身体を清め、出雲大社にお参り行き、高野山にて山ごもりし、空海のごとく、太陽を口の中に飲み込み、天狗のごとく山々を駆け巡り、俗欲を祓うため、自らを獄卒の攻めに身をゆだね、餓鬼となってあの世とこの世の間をさまよい、いざ、さてと 掃除にかかるとすれば、多分来年に今頃になってしまうであろう。――― ――といっても本日、27日、二子玉川のライラというバーで、オルガンを弾くこととなった。詳しくは http://lialeh.net/news.html/オルガンを弾くのは、何年ぶりか。―― 某月某日 ――クリスマス。語源は、Christ’s mas、つまりキリストのミサを行うという意味らしい。今、皆川達夫著「中世・ルネサンスの音楽」(講談社学術文庫)を読んでいて、すこぶる面白い。特段クリスマスの語源の意味を調べようと思ったのではなく、本を買って読み出したらクリスマス時期になってしまっただけだが、このミサという行いについても、この本には詳しく書いてある。 興味のある方は是非読んで下さい。僕がこの本で一番面白いと思ったことは、まずキリストに対するお祈りの言葉が、歌となり、メロディーを持ち始めたということだ。 はじめに言葉ありき。聖書の言う通りだ。―― 某月某日 ――新宿ピットインで、シェイラ・ジョーダンの歌を聴いた。ピットインの天井に星空が瞬くような歌声であった。その星空がプラネタリュウムのそれのように、ゆっくりと回転するがごとく、彼女の歌声に合わせ、曲が進んでゆく。きっとこの星空は、彼女の過ごしてきた音楽とともにあった人生そのものだと思った。御歳八十を超すその彼女の歌声の粒子には、アメリカの、戦前の大不況、第二次世界大戦、50年代の繁栄、またそれらに沿ったジャズの歴史がいっぱい詰まっているようだった。これらの時間の流れが天体の動きのように、ゆっくりと回転する。そのシステムを操っているのはシェイラの音楽の本質そのものだ。そう思って聴いていると、彼女の歌は既に、メロディーを持ったポエット・リーディングの様相を呈してきて、歌詞そのものがリリックとなり、僕の感性の深いところを刺激した。こういう瞬間が、一年に一回あれば僕は生きていける、と思わせる本当のサウンド。 終演後、たくさんのファンに囲まれたシェイラ。サインをしたり写真を撮られたりと忙しそう。ちらりと様子をうかがうと、サインするLPやCDに、必ず何か一言書き込んでいる。二回のステージを終えた後の疲れというものがどういうものか、僕は知っている。しかし彼女は終始笑顔で、心からファンを歓待している。見習うべきことだ。音楽以外のこういうミュージシャンシップにも、 感動してしまった。しかし、疲れているんだろうなあと思いつつも、競演の原朋直氏に、紹介してと頼んでしまった。挨拶をし、少し喋った。僕がピアニストだと知り、スティーヴ・キューンに教わったことがあると分かると、彼女はとても嬉しそうで、音楽的にものすごく重要なことを僕にささやいてくれた。何と!何と心の深い、すばらしい人格だろうか。彼女のきれいなブルーの瞳は、まだ人類が発見していない、地下の奥底に眠る、温情深い鉱石のようだった。勿論それは、数多の人々、ミュージシャン、歴史をしかと眺めてきた鉱石であることは言うまでもない。 帰りは贅沢にもタクシーに乗った。地下鉄のあの蛍光灯に照らされるのが嫌だったのだ。タクシーの後部座席の、薄暗い中で、流れ行く深夜の東京の表情を薄目でぼんやり見つめながら、今晩起きたこと、またその余韻を家まで持ち帰りたかったからだ。そう、こういう一日が一年に一回あれば僕は生きていける。―― 某月某日 ――どこに行っても、どこかでクリスマスソングが鳴っている時期となった。毎年のことなれど、やはり既にこの音の洪水に食傷気味である。僕の記憶によれば、アメリカでもヨーロッパでも、あまりこういう現象はない。などと書くと、また外国かぶれと揶揄されるのかな。いずれにせよ、25日誕生日のご本人が、この騒ぎを見聞きしたらどう思うのだろうか。是非ひとこと感想を聞きたいものだ。まあ、この時期のおかげで、稼がせて頂いた時期もあった。拙書、「白鍵と黒鍵の間に」に書いたとおり、バブル時期、銀座のナイトクラブに於けるクリスマスシーズンときた日にゃあもう、毎晩ジングルベ~ルを何回弾いたかしれないが、チップががっぽがっぽフトコロに入り、なにがなんだか訳が分からなかった。ナイトクラブの仕事を終えた後、深夜のパーティーでまた演奏したりして、今から考えれば、夢のような日々であった。にもかかわらず、あぶく銭とはよく言ったもので、そういう形で稼いだカネは、仕事をした分遊んでしまうので、気がついたら一銭も残っていないということが多々あった。世の中そんなものである。さて、今晩は新宿ピットインにて、シェラ・ジョーダンが、本物の音楽を我が耳に届けてくれる筈だ。何とすばらしい夜。行ってきます。―― 某月某日 ――サントリー美術館に、「歌麿・写楽の仕掛人、その名は蔦屋重三郎」を見に行った。可憐な、という言葉は今もう既に死語なのだろうか。まずこの言葉を想起させるに充分な内容であった。展示された浮世絵が粋なのは勿論だが、当時ある材料と技でこれだけの描写が可能であったということに、まず目を見張った。スタイリッシュの極致とはこのことではないか。当時の江戸人がどういう言葉で会話していたかは知る由もないが、僕の先祖が、直系ではなくとも、このような文化の所為が我が国にあったことに、心を動かされた。江戸の街並自体、虚飾を排し、しかも豪奢だったであろう。また特に印象に残ったのは、風刺画であることを前提としつつ、浮世絵の日本人の顔が、とて「もまと」に感じられたことだった。文化にくるまり生活している人々の表情は、何とも言えぬ洒脱さにあふれていた。現代と違い、乳幼児の死亡率、疫病、特に労咳などの病は桁外れに多かった筈だが、我々がほとんど失ってしまった感性によって「労咳?それがどうしたい?」と言わんばかりの創作欲に満ちていた。 それにしても、美術館内、迷路のような六本木ミドッタウン内は、何処もかしこも、おばさん、オバサン、OBASANの群れでごった返していた。二人組のオバサン、集団のオバサン、歩きにくいったらありゃしない。皆横に列をなし、徘徊している。まわりの者への気配りはなし。まっすぐ歩けたもんじゃない。まあ、平日の午後に美術館に行くような自分も、最高なる禁治産者であるので、あまり人のことは言えないが、それにしてもである。このオバサン集団、こわいもの知らずである。聞くとはなしに、彼女らの会話が耳に入ってきたが、誰も会話というものをしていない。各自がただ言いたいことを言っているだけで、会話というものが成り立っていない。皆集団で好き勝手にああだこうだ言っているのみである。せっかく江戸文化の余韻に浸ろうとしていた僕の気分はズタズタになってしまった。この人達、いったい蔦屋重三郎の業績をどう思ったのだろう。食べ物の話しかしていない。ということで、館内を一歩外に出た後、興ざめしたことは言うまでもない。歌麿がこの場に居合わせたら、さぞかし皮肉のきいた一筆書きなどモノにしただろうに。―― 某月某日 ――冷たい雨の寒い日は寂しい。心の中がシーンとなる。雨空を見つめながら濃いコーヒーを飲んでいたら、子供の頃のことを思い出した。この気分で作曲すれば、良いメロディーが浮かびそうだという山っ気が顔を出したので、ピアノの前に座るが、そう簡単に物事は運ばない。メローディーの断片を譜面に書いたのみとなる。 午後、予約していた時間に歯医者に行くと、なぜか一人でいた僕の部屋よりも寂しげだった。歯医者さんとの対峙の仕方は、よく考えれば妙なものである。眼前に、マスクをした他人の顔が逆さに迫っている。何やら細かい機械を巧みに操作し、この腕の良い歯医者の治療時間はいつも十分程度だ。ここで突然また妄想が始まる。この地球上にあふれている物、物、物。自動車、建物、道のアスファルト、自動販売機の中に入っているカンコーヒーのアルミ、パン屋の窓ガラス、ガードレール、セブンイレブンのおでん、全てこの地球の何処かから放り出した物で出来上がっているわけだ。いわんや僕の歯自体においてをや。それが少し削られた。――― 某月某日 ――宇宙の底まで透けて見えるような青空の日。 新宿をうろついていたら、若き日のジョン・レノンを描いた「ノーホエアーボーイ」の看板が目に入った。ちょうど上演時間直前だったので、青空とはオサラバして暗い館内へ。僕の中学時代を救ったビートルズへの思いはことのほか強い。その頃からこのかた、ビートルズに関係する本はたくさん読んできたので、あまり目新しい筋書きはないのではと分かってはいた。特に、彼の母と叔母との葛藤は、もう衆知のことである。ただ、僕の最たる興味は、リヴァプールなまりの英語を聴きたかったことにある。確かに少し聴き辛い英語ではあったが、出ている俳優が全てリヴァプール出身とは限るまい。だが、ロンドン出身の俳優が、リヴァプールなまりで喋っているかどうかということまで、聴き取る能力がない為、判断しかねた。まあ、あれはリヴァプールなまりだったのだろう。もう廃刊になってしまったと思うが、「ビートルズ派手にやれ」という本が、関係書籍の中でも、僕にとっては一番面白かった。ビートルズの下積み時代を克明に書き著した本で、あのビートルズでさえ、こんな時代があったのかと思わせるに充分な内容だ。映画でもその部分に少し触れて欲しかった。―― 某月某日 ――おかげさまで、ピットイン、3DAYS、三日とも満場のお客様と共に終えることができました。いろいろな方から、お体は大丈夫ですか、と問われ、恐縮してしまいました。退院したのが9月30日で、それからというもの、病院ぼけを何とか目の焦点を合わせて、遅れた分を取り戻すのに手一杯で、あっという間に12月なってしまったのです。いずれにせよ、声をかけて頂いた方々に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。未知の方々まで心配をかけてしまったのだなと、改めて気付くとは、僕も飛んだお調子者です。まあ、あんなインチキ歌舞伎のMCをしたのだから、お調子者には変わりないと言われればそれまでですが。大晦日は、再度ピットインにて、多分カウントダウンを務める大役になることと思います。正月はどうも苦手で―実は僕もそうなのですが―という方、よろしければピットインにお越し下さい。 詳細はウエブなどを参考にしてください。――― 某月某日 ―――――3DAYSの二回目が終わった。二日ともほとんど満席で、嬉しい限り。これならピットインも納得してくれるだろう。まあ、明日の種明かしも良いかなと思ったが、マジックショーと同じ、種明かしは明日の夜に。――――――――――――――――――――― 某月某日 ――本日、といって、ももう昨日だが、久しぶりに充実した日を過ごした。朝早く起きてピアノを練習。 後、生徒を四五人教え、いま来日している盟友である キャスパー•トランバーグと渋谷で落ち合う。彼は今、… >>>

僕はミュージシャンであるゆえ

某月某日 僕はミュージシャンであるゆえ,年度末という社会的概念には無縁と思っていたが,ピアノの生徒の 移り変わりは,4月に起きるという事をいまさら学んだ次第である。という事で,若干名生徒を募集しています。僕の教える場所は,学校ではないので,決まったメソッドはあるものの,その生徒の要望に応えるというスタンスをずっと取ってきました。生徒の内訳を少し公表すると,勿論趣味で習っている方,ヤマハの教室で先生としてのグレードをあげたい方,プロ志望,音大生ながらコードネームを理解したいという方,ロックのバンドのキーボードをやっていて,特にジャズピアノ志望ではないが,もう少し,かっこいい音が出したい方,様々です。いずれにせよ,まず体験レッスンを受けて頂く事にしています。興味のある方は,連絡だけでもしてみてください。このウエブにメールドレスがあります。サブジェクトに生徒希望と書いてくだされば,必ず返事を致します。質問,もっと詳しい話,内容などのことでのメール歓迎です。まずはお知らせまで。 某月某日 まあ、某月,某日と書いても,明日からは五月。過去も未来も存在せぬとはいえ,僕の脳内ではやはり,記憶と予想という機能が働いており,いわんやそれが想念だけの存在だとしても,それに準じて行動せざるを得ないのは人間の性と言えようか。我がピアノの師匠スティーブ・キューンは、ヒロシ、存在するのは今しかないのだ、という、ある意味アドリブの極意を僕に教えてくれたが,若輩者の僕としては,まだその境地には至らぬ。過去未来の間で右往左往するので精一杯である。我がGO THERE!のCDが,AIRPLANE LABELから実に七年ぶりにリリースされる事となった。僥倖です。http://www.airplanelabel.com/news/index.html 発売は7月6日。詳しい事は,また日が迫ったらお知らせします。この不況時,年に二枚もCDが出せるというのも,何かの思し召しであろうか。否,こういう時代こそ,文化芸術が人心を慰め、精神的ビタミンを人々に提供できると思って活動しているのですが,思い違いですかね。話がバラバラで申し訳ありませんが,5月9日(日)、代官山、「晴れたら空に豆まいて」に於いて,トリオの新譜「THE GIRL NEXT DOOR」の発売記念ライブをやります。http://www.mameromantic.com/ 見物ですよ。天気の変化がガタガタだった4月中に比べ,今日はお天気で,少しほっとしている。まずはお知らせまで。 某月某日 PS の内容を,主文の上に書くのはおかしいが、4月14日午後一時から,NHKスタジオパークからこんにちは,という番組で,菊地氏がメインゲストで登場するのですが,何曲か,僕が伴奏を努める模様です。動くミナミヒロシを見たい方は,番組をチェックしてみてください。ちなみに番組は生放送です。 某月某日 この頃の事など 朝まだき,ふと目が覚めた。小さな庭の緑が濃く見える。雨のせいか。寝床で近々起きた事など、なにげに思い出す。おかげさまで,メラニーとのショートツアーは盛況に終わり,彼女も東京を満喫しドイツへ帰っていった。古里は,遠きにありて思うもの、とよく言われるが,この言葉は,友人にも当てはまるのではないか。朋あり,遠方より来る、また楽しからずや。これも今回彼女と一緒に演奏したり,東京見物をしたりした僕の素な感想である。特にお互いミュージシャンとして,言葉を超えたコミュニケーションが成り立つからこそ,それこそ朋の来日に,久しぶりに僕の心も晴れ渡った。しかし前出の言葉どおり,朋は遠方に居る方がよろしいようだ。ちょっと寂しいけれど、メラニーとの演奏は,ドイツ、ニホンに関わらず、今後も続けていこうと思っている。メラニーの面倒を見ている内に,3月24日発売の新譜「The Girl Next Door」が発売された。いずれライナーノートには無い、それぞれの曲への僕の思い入れなど、いずれ書くかもしれぬ。話は前後するが、メラニーがドイツに帰ったと思ったら,今度は,カヒミカリイさんと鈴木正人(B)で、スタンダード曲にフランス語の歌詞をつけての演奏があった。会場は満員御礼,落語で言う一束の人々が我々の音楽に聴き入ってくれた。嬉しいかぎりえある。朝起きると、インターネットの新聞を読むのが習慣になっていたが,あまりの政局の無惨さに、最近は新聞さえ読みたくない。いわんや、なにも僕には関係のないポーランドの大統領にお悔やみ申し上げたい気持ちで一杯だ。鳩は墜落しないんだろうが。政治がどうなれ,世の動きがどうあれ,僕の想念は自由である。何を想像しようが,現実離れした事々を思い浮かべようが,この事に関してだけ,政治も税金も,常識も人種も、僕を縛ることはできない。それらを文章に託し,音楽に託し,表現したところで,なにも問題は無い。それが万人に理解できるかできないかは別にして。否,多分、万人,この場合ニホン人だけを指すが,一億二千万だかそこらの人心をつかんだら,それはファシズムであり,かといって、逆に,極端な話,自分の想像した事が誰一人分からないという事になれば,下手をすれば、どこか郊外の病院の檻の中に入らざるを得まい。珍しく朝早く文章を書いているので,自分でも何がなんだかワケが分からなくなってきた。とにかく新譜「The Girl Next Door」EWE HIROSHIMINAMI TRIO 鈴木正人(B)芳垣安洋(DS)をチェックしてみてください。うむ,段々脳味噌がよみがえってきたぞ。この不況時,CDを出せる事自体僥倖であるのに,7月6日には、AIRPLANE LABEL ,http://www.airplanelabel.com/news/index.htmlより、『GO THERE』の新譜が発売される事となった。実に七年ぶり。バンドを組んで十余年、チャンスというものは,いつ巡ってくるか分からないのがチャンスなのでであって,予定調和のチャンスなどあり得ない。まあ、長年あ~でも無い,こ~でもないと続けていなければ得られなかったものではあるにせよ。再度この不況下,僥倖です。毎日は書けませんが,ウエブのnewsの欄と日記をたまにチェックしてみてください。「独立を成し遂げられぬ歯痒さよ」 某月某日 ドイツ在住のジプシーの血を引く女性ヴォーカリスト,MELANIE BONG 来日!我がウエッブのニュースの欄にも宣伝を出したが,メラニー・ボングとまた共演することとなった。彼女の略歴を紹介しよう。ミュンヘンに生まれ,母親は,バルティックペルージアンの画家,父親はジプシーシンガーという家系に育つ。子供の頃から作詞作曲を始め,オーストリア在住時、子供のコンテストにて6歳で優勝。そのあとも作詞作曲を続け,15歳にして,「Melanie Bong Crew」を結成。オリジナルソングのみでCDを制作。その後,オーストリアのグラーツの音楽大学にて音楽とパフォーミングを学ぶ。後、ヨーロッパ全土、イスラエル,日本に,その活躍の場を広めていった。ヴォーカルを,シエラ・ジョーダン、マーク・マーフィ等に師事。簡単に書けばこうなるが、やはり習ったものではない,彼女の血の中にあるジプシーの魂が、正規の音楽教育をへて,更に脚光を浴びることとなった。参考になるウエッブのアドレスはこちら。http://www.myspace.com/melaniebong今回のトリオでの共演者は,松山修(DS)土井孝幸(B).。演奏場所は,スケジュールにものっていますが, 3月25(木)横濱MOTION BLUE 26 (金)代官山晴れたら空に豆まいて(この日はダブルコンサートで,INFORMAL 8との共演あり) 27(土)渋谷公演通りクラシックス 4月3(土)鎌倉ダフネ まあ、ショートツアーですが,彼女は紹介した通り,ただのドイツ人ジャズ歌手ではなく、ジプシー音楽とジャズが微妙に融合したオリジナルを歌うことになっています。また、余談ですが,我が新しいトリオのCD,「The Girl Next Door」の発売日が3月24日に決まりました。メラニーさんとのツアーでも手売りします。 早くお求めになられたい方を含め,ご来場待ちしております。 某月某日 CDのことやら前作の我がトリオのCD「LIKE SOMEONE IN LOVE」EWCD0120-から二年強の歳月が過ぎ,今回二枚目のスタンダードアルバム,「THE GIRL NEXT… >>>

「花と水」ツアー

某月某日 いつまでもダラダラとしているわけにはいくまい。関係省庁、と書けばウソになるが、省庁でなくとも、仕事関係の各事務所、及びEWEを含めて諸官庁、と書けばまたウソにになるが、僕にとっての関係諸官庁が動き出したことは事実である。メールのやりとり、その他諸々のルーティーンがまた始まったということで、フリーランスの身である場合、これらは避けれれない事実である。たまにテレビを垣間見ても、政治の動向はどうも、なにも信用できない丁々発止に終始しているし、まあ、生まれた国を間違ったという観点から、己の行動を進めるしかなさそうだ。いつものことだし。自動車会社を筆頭に、エコだエコだと騒いでいるが、まずF1レースをやめることから始めれば良いのではないか。ほかのスポーツも全てデイゲームにし、つまりエコロジーがビジネスになっていないことを、各企業は、証明する必要があるのではないか。そういう意味で言えば、カーレースなどもってのほかである。これは何の統計的結果や、専門家の意見を聞いたわけではないが、いまさらエコだと息巻いても、とうに遅い気がする。だいたい、精油産業が勃発してきた時点で、今の状態は創造し得た筈だから、なにかしら、地球というものに直接インパクトを与えうる国々が、先手を打たなかったから、今の状態を招いているだけで、一言でいって、人類はいびつである。オプティミストがいう人類の未来は、光り輝いているが、光あるところに影があり、その割を食うのは一般庶民でることは、歴史が証明している。電気自動車が隆盛になれば、いままでのガソリンで動く車は少しずつ廃車になって行き、それら皆上手く、ある一定の法律基準で廃車になればよいが、今までのこの国の動向を見ていると、またどこかの田舎の国道の一角が、ガソリン車の墓場となって、よくわからない有害物質を垂れ流すこととなるのだろう。国土の狭いこの国の、いったいどこがガソリン車の墓場となるのか。各大手の自動車会社の車の売り上げが伸び悩んでいるという。エコという観点から見たら、これほど良いことはないではないか。なぜエコロジストはこのことを喜ばないのか。輸送業者、食料輸送、エネルギー輸送、救急車、その他どうしても車を使わなければ成り立たないものをのぞけば、この狭い国の中でそんなに車の台数はいらないのである。ちょっと極論かな。僕はエコロジーというものを信じていない。地球の動態から考えて、五千年、一万年で起きる周期に、我々は何をもって刃向かえるのか。ここまで石油を掘り尽くし、ここまでエネルギーを地球から搾取してきた我々は、次の方策を、ビジネス抜きで本気で考える時期が来たんだろうと思う。また、それがクリアーすれば、年金問題も、100年一度の不況も、何をか言わんやである。住環境そのものが犯されているのだから。エコロジーをビジネスにするのはもうやめだ。 某月某日 皆様、明けましておめでとうございます。 某月某日 と書いても、今は、一月六日午前六時です。ピットインの年明けライブに出演した以後、夜形の生活がまた更に夜形になり、もう少しで正常な一般の我が同胞の暮らしに追いつくのではないかという転換期にあるようなありさまです。なにしろ年明けライブが終わったのが、元旦の午前二時。その後飯を喰ったり酒をの飲んだりして、就寝は雀チュンチュンの時間。起床したのは、とうに日が暮れたあとで、脳内に太陽の光を届けることもままならなかった。起床した時、既に夕方であるというのは、何やら地獄での堂々巡りとはこのような状態なのではないかという感がある。やむおえず、テレビを見ていたら、去年使った体と脳味噌が弛緩してきて、もういけない。そのまま寝正月状態に突入。寝正月といえども、就寝の無い状態の寝正月、つまり体を横たえ、画面に写るあれこれを、見ているような見ていないような状態で、動いているのは眼球だけといった体の状態。次に入眠したのは、もう時間も曜日も分からないいつか。次に気がついた時は三日になっており、少しお天道様は拝めたが、なにしろ寝正月であるから、引きこもりのごとく、部屋でダラダラしていたら、だんだん頭がおかしくなってきそうになったので、六本木シネマに映画を見に行く。「K-20 怪人二十面相」をなぜか観てしまった。イマイチであった。帰宅後また眠れず、そのまま今に続くわけだが、近所の喰いもの屋、マーケットなど軒並み閉っており、ウエッブにて24時間営業のマーケットが神泉にあることが分かり、深夜そこに買い出しに行き、今カレーをつくっている最中だ。このカレーで何日かしのげば、徐々に近所の食べ物屋もオープンするだろう。三が日の夜中につくるカレーは、また、そこはかとない寂びしみと、独り身の充足感を同時に味わえる味となるだろう。正月の定義ということを考えてみる。日本中がほっとする次期には変わりないだろうが、それも自分の年代と、家族の状況にもよるだろう。僕が子供の頃は、新橋に有ったおばあちゃんの家に集まって、親戚、従兄弟、勿論、お爺ちゃんおばあちゃん、両親を含め、手作りの御節を食べつつ、かるた、おとしだま、羽根つき、その他諸々、新春にふさわしい盛り上がりが有ったが、今現在、両親も年老いて、お爺ちゃんはとっくになくなり、おばあちゃんは5年ほど前、105才(!)で鬼籍に入った。思い出が無いよりはマシだとは思うが、あの頃のお正月の雰囲気を今再現するのは非常に難しいこととは知ってはいながら、親戚一同が集まるといいった行いが近年行われなくなって久しくなると、やむおえず、僕も夜中にカレーを調理しなければならなくなる。味気ないと言えば味気ないが、逆の意味で一人で居られるという得点も有るのである。忘年会、新年会は誘われることに喜び半分、めんどくさ半分で、呑んでしまえば、年末もへったくれも無くなる。年越し蕎麦は、近所の蕎麦屋にテンプラ蕎麦を出前してもらったが、この近所の蕎麦屋、旨くもないが不味くもない蕎麦を提供する店で、出前だった為、出前された時点で、天ぷらが皆ツユを吸いべちゃべちゃになっており、まあ、納得して喰うしか無いかなといったような状態が、器の中に展開していた。まあ、これは日記を書く上でいえば逆順の大晦日の出来事であり、正月を迎える前の出来事ではあるが。今、僕の腕時計は既に六日の午前五時。不健康な深夜放送の映画も、特別番組も終わってしかるべき曜日に行き着いた。そろそろ、精神身体共に本当の意味で、起きなければなるまい日が近づいている。充分休んだから、明日から本格的に音楽活動を始めるつもり。まだタイトルが決まっていないが、拙書「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)の続編が、今年四月には出版予定。音楽活動に於いても、菊地成孔氏とのデュオのCDが3月中に発売される予定。まあ今年も、例年のごとく、一寸先は闇ならぬ、一ミクロン先は漆黒でしかないミュージシャンとして、生き残って行くつもり。皆様。応援お願いします。 某月某日 しつこいようだが、僕の新連載が、扶桑社刊、EN-TAXI、12月26日発売の号から掲載される。タイトルは、「六本線の五線紙」。責任編集に、福田和也、坪内祐三、リリー・フランキーとあり、駄文を載せるわけにはいくまい。これから八回程度の連載になる模様。一冊本を書いて、このような雑誌に連載を許される事自体、自分ながら不思議なり。ジャズの世界より、文章の世界の方が、風通しは良いとみた。喜ばしいのか哀しいのか。興味のある方は読んでみてください。 某月某日 拙書「白鍵と黒鍵の間に」の続編を書き終えた。次回は留学先ボストンで起きたあれやこれやを面白おかしく書いた本である。少しながらアメリカ文明批評のような事も書いている。発売は来年三月の予定。請うご期待。 某月某日 師走である。多分昔から、えらい先生でも、走りまわざるをえないような時期だったので、このような言葉が生まれたのだろう。師ではない僕も、何やら身辺がさごそと忙しく、また日記を書く暇がなかった。ウエッブのトッピックスの欄にも宣伝を書いたが、扶桑社刊、EN-TAXI、次期26日発売から、何回かに分けて、連載を持つ事となった。タイトルは、「六本線の五線紙ーあるジャズピアニストの心的探訪」。興味のある方は是比この雑誌をチェックしてみてください。師走と言えど、僕の生活態度はいまだ変わらず、明け方まで起きていたり、夜11時に床に入ったり、まったくもって、自らの整体リズムを破壊しているような日々を過ごしているが、これもいたしかたない。ピアノを教えたあとは疲れるし、自らの練習の時間、または文章を書く時間は深夜二時から四時が一番適しているので、人生自体のリズムがこのような仕儀とならざるをえない。なぜかと言えば、この時間帯は、電話もかかってこず、何やら世の中も、東京の真ん中にすんでいるにも関わらず妙に静かで、集中できるからに他ならない。そういう日が続くと、ある日寝る時間が一回転して、午後11頃床にはいる日もあるのだが、毎日そうだというわけではないので、不規則には変わりあるまい。中学生の頃、健康という事について習った憶えがある。曰く、社会的、肉体的、精神的に健康でないと健康でないという、何やらパラドキシカルなことを体育の先生が言っていた憶えがある。しかし、この三つの要素を充分に享受している人というのは、いったいどんな人物であろうか。この不況時、明るく元気にいつも公平な判断を下す精神と、規則正しい、早寝早起きを毎日くり返し、本当の意味で正しく税金を払い、社会から、人間関係からのストレスはまったく感じなく、何らかの意味で社会の中に於いて人の為に鋭意毎日働いている。しかしなあ、こんな人本当に居るんだろうか。もし居たとしたら、多分そいつはヒットラーユーゲントの一員みたいな奴だと僕は思う。人間はそう単純にはできていないのではないだろうか。全体主義、ファシズムでない限り、こういう人材は多数ではない。というか、多数でない事を望む。こういう人が多数だと、世の中変になるに決まっている。まあ、僕の例は、あまりにも極端だけれども。ここで宣伝です。12月20日、横浜DOLPY http://www.dolphy-jazzspot.com/index.htmlに、あの与世山澄子様(VO)が降臨します。天使の羽根を、背中の一部にそっと隠して。幸運にも、僕がピアノで伴奏担当。他の共演者は、鈴木正人(B)津上研太(sax)という布陣。天使の声を聞きたくば、是非聴きにきてください。健康、不健康を通り越した何かが、彼女の歌声から聴き取れる筈です。うっ、突然眠くなってきた。僥倖だ。また何とか近いうちに日記を更新するつもり。 某月某日 本日、携帯電話を買い替えた。今までのもので何ら支障はなかったのだが、充電の差し込みの部分がぐらぐらしており、更に、長年使ったゆえ見た目もみすぼらしくなってきたので、心機一転ということである。と簡単に書いたが、新種に買い替える際に、僕の持っている携帯電話の機種のサーヴィスセンター(これで名称はあっているのか。あれらの店は、要するに電話屋か。)に行き、機器を買い替えるということは、相当大変なことだということがわかった。まず、サーヴィスセンターの女子職員が、新しいらしい携帯電話の機能などを説明してくれるのだが、全然理解できない。前回の機種を買ってから二年、何やら便利なんだか余計なんだか良くわからない機能が、新種の機種にはこれでもかと備え付けてある。ワンセグが付いておりますと言われ、ワンセグって何ですかと問うと、テレビが映った。ワンセグというのはどういう意味かと問うと、先方答えに窮す。ワンセグ、はい、テレビのことね、ほかにこの機種にはどういう新しい機能があるんでしょうとまた問うと、何やら棒読みのように色々と説明を始めるが、先方の言っていることの20%ぐらいしか分からなかった。とにかくメールと電話のかけ方のみを正確に問いただし、あとは説明書を家で読めばいいやと思ってサーヴィスセンターを後にした。道すがら、ワンセグとはどういう意味かということが気になりつつ家路を辿っていたら、ああ、SEGMENTのことかと腑に落ちた。この断片や部分というこの単語には、テレビ放送の番組という意味もあるらしい。話しはそれるが、つい最近まで僕は、アラフォーという言葉を理解できないでいた。何やら新種の深海魚の名前のように思えて、それがいたって珍味であることが分かり、皆でそれをきそって食べているのかと思っていたくらいだ。最近何かのきっかけで「Around Forty」の略だと知った。黒人のラップミュージックも、著しく英語というものを、小気味よく破壊しているのだが、この日本的な言葉の凝縮のしかたは、また別種の破壊力を持って、英語を杜撰な日本語にしている。まあ、元々、日本語も、外来語の寄り固まりといえばそれまでだが。しかし、何か昔とは違った語彙の扱い方であると思う。要するに雑だ。どうあれ、アラフォーの女がケイタイワンセグ見てた、なんて言葉も生まれてくるのだろう。言葉はその時代時代に合った様相を呈するもので、別に僕が文句を言う筋合いではないけれども、少なくとも、外国語を日本語に導入する部分で、なんだか粋でない気がするのは僕だけだろうか。アラフィーは携帯操作が分かりませんなどと使われるようになるのであろうか。話しを新しい携帯電話に戻す。帰宅後、箱を開けてみれば、思ったように説明書の束だ。「着デコ」「おサイフケータイ」などの文字が、僕の目の前を通り過ぎたが、読む気など全然起らない。金田一春彦でなくとも、このような日本語に、理由無き拒否感と、或る一種の哀しみが伴うのは、僕の年齢のせいだけではないと信じたい。基本的な取扱説明書も、以前と比べ、イラストなどを配し、工夫のあることは認めるが、やはり、最終的に何を説明しているのか良くわからない。説明書を読まずとも、テレビが映り、辞書も付いていることはわかる。いわゆる満艦飾である。イージス艦の戦艦大和みたいだ。しかし大和は沈んだ。携帯電話は沈まぬとも、利用者の方が、心理的に、ゴムボートに乗って漂流している感があるのではないか。僕の新しい携帯電話は、海外仕様OK、説明書を見ずとも、送信、着信は何とかできる。メールも同様。ただ、急に、会話の内容が外付けのスピーカーから鳴り出すことあり。相手の声が聞こえても、こちらの声が聞き手に聞こえないこと多々あり。一つの提案。少なくとも、ある程度まで、大人の使える携帯電話を開発してくれぬか。老人の持つシンプルだけが売り物の携帯電話だけでなく、世界の文豪の恋愛小説にでてくる、いわゆる殺し文句がボタン一つで表出するような携帯電話を作れば、老若男女売れること間違いなしだと思うのだが。そのフレーズが、どの小説の孫引きかを言い当てる女人は、相当の優れ者と、また逆に判断できるではないか。サマーセット・モームの箴言などを、簡単に取り出せるボタンを一つ装着すれば、日本における携帯電話の存在価値自体が変わるのではないか。なんてね、これも全て、真夏の世の夢か。 某月某日 PIT INN、3DAYSが終わっても、何かと忙しく、また日記をおろそかにしてしまった。書くという仕事が増えたことは前にも触れたとおりだが、ただ書けばいいってもんじゃないとうことを思い知らされる日々が続いた。まあ、これが日記の延滞の理由になるかどうかは分からぬが。どうあれ、大げさに言えば、人生というたこつぼの中で、色々なところに触手を伸ばし、その先が、さきイカにされたり、おでん種になったり、たまにはその触手で、何かしら今行っている音楽活動に有益なアイデアを掴んだりしているのである。一進一退、八勝六敗、これらの体勢を少なくとも維持していられれば、自分自身の未来はあるということか。今回の日記は、PIT INN 3DAYS後の、僕の活動に関わることを書き表すわけだが、これといって進退窮まる事柄も起きなければ、眼球が一メートル先に飛び出すような僥倖もなかった。今晩は、日記を書きたい気分なので、身辺雑記を書こうかなと思う。本当はエッセイというもの、モンテーニュの言うとおり、「試論」でなければならず、別に日々特別なことが起らなくとも、人間が何か考えている限り、書けることはたくさんある。ただその書いたことが、特徴的かどうか否かということだけが重要な視点のような気がする。だが今晩は、そのことを忘れ、日本で言うところのエッセイ、身辺雑記に徹してみようかと思う。過日、吉祥寺で演奏も為、井の頭線に乗る。帰宅者あふれる午後6時過ぎの電車の中は非常に込んでいる。なるべく電車の中側へと移動していたら、優先席という座席の真ん前に立つ仕儀となった。僕は電車に乗る際、必ず本を持参するのだが、その日は適当な本が見つからず、珍しくも、電車内の辺りの景色を見渡していた。そこで優先席に座る条件が書いてある活字に素早く目がいった。優先席に座る条件は、老人であること、妊婦であること、体が不自由な方であること、などが主な理由として書いてあった。まあ、ニホン人が考えそうなことだなと思いつつ、ふと電車の窓を見ると黄色いシールが貼ってある。そこには、ものすごく間抜けな字体と字の大きさで、「おもいやりぞーん」と、この字のごとく、全て平仮名で表記してあった。井の頭線は、度々お世話になっている電車だから、あまり文句は言えなと思うけれども、この標語、語感が悪い。読み方によっては、「おもいやり損」という語感が頭に浮かぶ。しかも、英語で言う所のZONEとは、地域、区域といった、もう少し広大な場所をさす語感が僕の中にあって、たかだか左右八名ほどの人間をある意味保護することには向いていない言葉に思えた。老人にも色々な人がいる。かくしゃくとした老人に優先席に於いて席をゆずろうとしたら、「ワシはまだそんなトシではない!」と拒否されることもあるかも知れぬ。これこそ「おもいやり損」である。全ての席が、「おもいやりぞーん」になることを望む次第だ。PIT INN 3DAYSが終わってあたふたしていたら、もう11月末である。歳をとると時間の流れが速くなるというが、さもありなん、僕の中での時間は、相当ゆっくりすぎている。これは毎日やることが多いというフリーランスの定めから来るものなのか、はたまた、自分の脳がそういうふうなデキなのか。大きいイヴェントを終わらすのも、大変な労力を必要としたが、言い換えれば、毎日がイヴェントのようであり、関係各位に連絡を取り、何とか世の中に存在すべく格闘しているというのが、正しい見解に思えてならぬ。時間は無限だが、僕の持っている時間は無限ではない。かといって、せこせこしても、物事は上手く前に進まぬ。どうしたらいいんだろうなあ。さて、久しぶりの日記を書き終えた。練習でもしよう。 某月某日 やわな身辺雑記を書いている暇もなくなった。書くことの悪い面ばかりを喧伝していてもはじまらぬ。音楽活動も忙しいのです。来る11月1日(土)2日(日)3(月)、新宿ピットインにて3DAYSを行うことになりました。僥倖です。くわしくプログラムの内容を述べますと、1日、REUNION、菊地成孔(SAX),水谷浩章(B)、芳垣安洋(DS)という布陣。2日(日)TRIO、吉野弘志(B)、芳垣安洋(DS)という豪華さ。3日(月、休日)GO THERE! 竹野昌邦(SAX)、水谷浩章(B)、芳垣安洋(DS)という信じられなさで、三日間、新宿ピットインにて演奏します。タイトルは「Pianoholic Nights 2008」。何事かにAddictiveなのはなにも、酒やタバコと活字だけではないと、僕の本業をまさしく定めるため、このタイトルを付けたんであります。なんて大仰なものではなくて、やはり僕はピアノを弾くことが好きなのです。そう、このタイトルで、もう既に何回か、3DAYSをやってきました。最初は、Pianoholic Nightsのあとに、VOL,1、VOL2とナンバリングしていましたが、さすがこのミナミヒロシ、今現在何回3DAYSをやったか忘れてしまったので、2008とした次第です。こういう風に書くと、あんたはそんなに3DAYSをやってるのか、と言われそうですが、たいした回数はやっていません。ただ、たいした回数さえ忘れてしまうというところが、さすがこのミナミヒロシなのです。自分のイメージの中に残っているもの意外は、記憶になくなってしまう,こういう発言をすると、過去の3DAYSの演奏が、あまりよくなかったような印象を持たれる方もありましょうが、そこが違うのです。演奏のことはよく覚えている。特に音楽的に素晴らしい瞬間のことは忘れません。ただ、その瞬間を味わったのが、VOL何回目か思い出せないのです。まあ、これでも二つのバンドのリーダーなのですから、サイドマンの苦労を思うと申し訳なくてしょうがないのですが。ということで、とにかく僕はメモ魔で、手帳に全部、仕事の必要事項は書き込むようにしています。話しがそれました。3DAYSの宣伝の文章を書かなくては。1日(土)を「REUNION」と名付けたのは、理由があって、アメリカ帰国後、最初に選んだHIROSHI MINAMI QUARTETのメンバーは、実はこのメンバーだったのだ。だが、どういういきさつか忘れたが、フロントが竹野氏に変わった。これは、誤解を招かぬように書いておくが、僕が菊地氏とケンカしたとかそういうことではなくて、何かの加減でそうなったということです。あの当時から菊地氏は超多忙だったということも理由かもしれない。仲が悪くなったのではないことは、帰国後の菊地氏との演奏活動など考えくれればお分かりだと思う。特に、EWEから出したTRIOプラスSTRINGSの二枚のアルバム、「Touches&Velvets」「Elegy」は、菊地氏のプロデュースによるもので、菊地氏のプロデューサー能力を遺憾なく発揮した音楽です。また話しがそれました。つまりREUNIONとはそういう経緯で付けた名で、勿論メンバー全てが、僕の帰国当時、1994年頃から比べれば、活動範囲、音楽性、その他諸々比べようもないくらい有名になっていますが、今ここで、この四人が集まることは、ある意味大きな祝祭性があると思い、3DAYSの最初の日に、このメンバーで演奏することにした。さて2日目のトリオ、普段から憧れていたベーシスト、吉野弘志氏と演奏することとした。前回の日記に書いたとおり、先日松風鉱一氏のライブレコーディングで一緒に演奏したばかりだ。サロンコンサート形式だったので、録音は全て生音で行われた。僕のすぐ右後に、吉野氏が演奏しているという状況だった。モニターなどを通さずに聴くそのベースサウンドは、非常に手堅く、柔軟で、しかもソフトにピアノのサウンドを包むような度量が感じられた。このベースサウンドと芳垣氏のドラミングで、EWEから発売中の「Like Someone In Love」のレギュラーメンバーとはまた違う、ステキなトリオサウンドが出来上がること請け合いである。そして、3日目のGO THERE!、もう既に、このメンバーになって10年近く演奏している。ジャズの弱点であるバンドサウンドというものに固執したくて、上記のメンバーを集めた。メンバーが集まらない時は演奏の機会があってもやらなかった。その繰り返しがもう10年近く経ってしまった。お互いが、音楽的にも、人間的にも、カッテ知ったる仲となって久しいが、まだまだ演奏の内容は煮詰まらない。思うに、竹野氏、水谷氏、芳垣氏が、ほかのバンドで演奏して得たエッセンスを、充分僕のバンドに注ぎ込んでくれているからだろうと、感謝の念は絶えない。ある意味、3日目も、普段はお客さんにお目にかけられないようなメンバーと内容とで、何か演奏しようかと目論んだが、もう既に、僕にとっては、1日、2日がそういう内容なので、あえてど真ん中の人選とした。GO THERE!というバンドそのものが、既に僕の肉体の血肉に近い部分まで浸透していて、3日目は、その血肉に近いメンバーと演奏することが、よきフィナーレとなるとも思った。よく考えれば、出世したものだ。アメリカに行く前、新宿ピットインの朝の部で、ああでもないこうでもないと演奏していた時期が懐かしい。あの頃から幾歳月、素晴らしい仲間を得て嬉しいかぎりだ。いずれにせよ、また3DAYSのことに関しては、続報を書くつもり。皆様是比聴きにきてください。 某月某日 最近、書く仕事が増え、昼夜逆転気味だということは、前の文章にも書いたとおりだが、これを正常なサイクルに戻そうと思っても、夜中になると筆が進むので、戻せないでいる。いわんや、昼夜逆転の先の境地もあるということに最近気付き、愕然とするとともに、自分自身が不気味な存在に思えてきた。昼夜逆転のその先は、深夜明け方昼間逆転という、もはや、この地球に住んでいる実存は、重力のみにしか感じない、という恐ろしいもので、つまり、地球の自転とは、とうにオサラバしてしまっているということだ。ここまでの状態になると、しっしんもびっくりしたのだろうか、はたまたしっしんを感じる神経まで麻痺したのか、痒くても痒くない、という、なんだか良くわからない体感さえあって、この体に対する借金のぶり返しがどう来るのか、気味が悪くてしょうがない。いずれにせよ、この状態を、朝日が上がる時間に起床するという、いわゆる人類が何万年も実行してきた、地球との良いお友達関係に戻すには、まず今の状態から、昼夜逆転まで生活態度を戻し、後、正常に朝起きるという二段構えのプロセスを経なければならなくなった。困ったものだ。または、いまひらめいたのだが、このまま、深夜明け方昼間逆転を突っ走り、突き抜けてしまえば、ガラガラポンの一回りで、カタギの方々と歩調を合わせる状態になりはしないかと、あらぬ期待が無いではないが。いずれにせよ、こうまで正常な時間感覚とずれてしまうと、多分正常に齢をとることもかなわず、時間という概念も飛び越して、一種、不健康な不老長寿のような状態になるのではないかと、ぼんやり妄想したりする。まあ、妄想癖が無くては、文章など書ける筈もなく、話し自体がここでまた自己矛盾を来すのだが。ですが、仕事関係の皆様、前回に書いたような遅刻は、いままでほとんどしたことがないのです。演奏の仕事などには遅れぬよう、様々な手配はしてありますので、誤解のなきよう。 某月某日 最近、夜中に文章を書く仕事をしていることが多く、ことにこのごろは昼夜逆転気味だ。そんな日々の中、既に昨日の出来事となってしまったが、松風鉱一氏(SAX ,Flute)吉野弘志氏(BASE)と、津田沼にある個人所有のステキな小コンサートスペースにて演奏した。演奏そのものは、ピアノの状態が非常に良く、とても満足のできる出来だったが、この仕事の出だしがまずいけなかった。JR津田沼駅午後12時集合という約束を両氏と交わしていたのだが、なんと僕が津田沼駅に到着したのは、午後2時半すぎ。冒頭に書いた通り、ある意味昼夜逆転の生活をしているので、集合時間が決まった後、これは、ベッドの横にあるおんぼろ目覚まし時計では絶対遅刻すると悟った僕は、数人の女友達、はたまた僕の妹まで利用して、各々、朝の9時、9時15分、9時半と微妙に時間を分けてモーニンングコールを頼んだのであった。これならさすがの僕でも起きるわいとタカをくくっていたら、仕事の前夜、強烈なる不眠に陥り、少しウトウトしたのが朝の7時。後、計画どおり、数人の天使達からのラブコールならぬモーニングコールで目が覚めた。さあ、シャワーでも浴びて、と思った瞬間の後の記憶がまったく無し。これがなぜだか分からない。とにかく、ふと気がつくと、ベッドに上半身を乗せ、下半身はかしこまっているという状態の自分自身が目を覚ましたのは、なんと午後1時半であった。さすがの僕も戦慄に近いショックを受けた。こう見えても僕は、滅多に時間には遅れないタチなのだが。ああ、やってしまったという後悔の念とともに、とにかく家を飛び出す準備をしつつ、松風氏に携帯で電話をかける。当然のことながら、松風氏の着信は6回を超え、僕の携帯にその痕跡がある。「松風さん、すいません、寝坊しました」「まだ家なんだろ」「そのとおりです」「じゃあねえ、津田沼についたら、また電話して」なぜ僕が、半眠状態でアラーの神に祈るポーズをとっていたか、自分でも分かりかねる。とにかく、3分で外出の準備をし、電車に飛び乗った。新宿駅で総武線に乗り換え、電車の運転手が、津田沼駅まで暴走運転してくれることを妄想していたら、再度また、不覚にも車内で眠りこけ、気がついたら船橋駅をすぎた辺りであった。危ないところだった。もう少し居眠りが長く、津田沼駅をとおりこしていたら、タクシーハイジャックを敢行していたことは間違いない。津田沼駅をでて、松風氏に再度携帯で電話をしたら、タクシーで、○○小学校バス停まで来いと言われたので、急いでタクシーを拾い、バス停まで行ってみたら、今回のコンサートを企画した方が僕を待っていてくれた。オソレオオイ。そうだ、今日は、演奏を録音するのだということを思い出しつつ、やっと演奏会場に到着。なにしろ松風氏、吉野氏とも年上で、先輩に当たり、今回僕のやらかした遅刻という概念を大きく通り越したこの体たらくは、許されるものではないと思い、最大限のお詫びを両氏にしようとしたのだが、お二人とも、僕に向かって、笑顔をもってして、「やあ、今日はよろしく」などと言ってくださる。怒られるものだとハナから覚悟していた僕は、両氏の度量の広さと、本物の大人がもつ優しさにすくわれたということだ。録音の前に、スッタモンダしてもしょうがないと思われたのかもしれないが、とにかく、僕がその場ですました顔をしていられる雰囲気を、ご両人は無意識に演出されていたのだろう。何が一番大切かを見極める大人の目がなければ、こうはモノゴトは運ばぬもの。両氏に頭が下がるのみ。いずれにせよ、僕がその一軒家で行われるホームパーティー形式の録音をかねた演奏場所に到着したのは、午後3時であり、演奏開始は午後3時半からであった。我ながら、悪運強いものよのうなどと、独り言つを内心で唱えている暇もなく、演奏曲の打ち合わせとなる。演奏まで時間は30分もない。見たことも演奏したこともない曲がずらりと並んでいる。松風氏のはしょった説明でだいたいの道筋を見極るよう努めた。僕が定刻にこの場に参上していれば、もっときっちりとしたリハーサルができた筈である。両氏に再度、申し訳ないという思いがつのるばかり。しかし、それだけでは良い演奏はできないから、この場合、ぶっつけ本番で演奏したが為に良い結果がでるような、そんなプレーを披露しなくては、僕の存在意義が無くなる、と思いつつ、ちらちらと譜面に目を通していたら、すぐ演奏時間となってしまった。起きてからなにも食べてないゆえ、頭の動きが少しニブい感じがしていたが、ホームパーティー形式の小コンサートならではの、演奏後食べるのであろう旨そうなものが散見される。しかし、僕には、この大遅刻の後、二人の大先輩を差し置いて、つまみ食いをする度胸は無し。気がついたらピアノの前に座っていた。広いスペースではないので、ピアノ、サックス、ベース共々生音で、林立するマイク類は、録音用のものだけである。畢竟、ダイナミクスに神経を配らねばならぬ。ともかくも、一曲目の第一音を鍵盤で押さえた瞬間、これはいけると思った。なぜなら、そのピアノが、あまりにもコンディションが良かったからだ。調律、タッチ、アクション、そして最も大切なこと、それは、そのピアノが鳴る楽器であったということだ。大遅刻のポカを巻き返すには、別段遅刻しなくても同じ事ではあるが、演奏にて、そのマイナスをなんとか巻き返すしかない。松風氏のシブいフレーズの間に間に、スコーンと刺激的なコードを挟み、奥深く、手堅いプレーをする吉野氏のベースの音色にマッチした、繊細で、刺激的なコードを、吉野氏のソロ中で、またスコーンと弾く快感を味わいつつ、見も知らぬ新しい曲をどんどんこなして行く。一曲終わるごとに、松風氏の奥さんが曲の注釈や、ジャズという音楽の成り立ちについて、集まったお客さん方に、易しい説明を加えるという趣向もあった。特に、セカンドセットの始まりには、自著、「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)の宣伝までして頂き、頭の下がる思い。演奏曲は、全て松風氏のオリジナルであり、曲ごとに、こちらの演奏のアプローチを変え、時にはパーカッシヴに、時にはメロディアスに、時には充分サックス、ベース共々ソロの間に弾く音数を増やしたり減らしたりして、しかもこれらのことを、無意識的に工夫を凝らすことに、この3人で演奏する妙味ありと、勝手に決めてピアノを弾いた。アンコールが終わり、僕の遅刻という事態が、人々の頭から消え去ったと自分自身で思い込み、供された美味しい食べ物に食らいついて酒を呑んだ。松風氏も吉野氏も、とても嬉しそうだったから、演奏はうまく行ったのだと、自分自身でそう思い込みつつ、くつろいでいたら、持参したCDや本が思いのほか売れて、嬉しいかぎり。久しぶりに、色々な種類の総菜というものを一度に食べてしまい、僕にとっては奇跡的なことながら、眠くなったので、午後9時半頃、その場をおいとました。今回の録音は、上手くすれば、Studio Weeというレーベルから発売予定だそうである。まずは、今回の演奏のミックスを聴くことから始めなくてはならないだろう。大遅刻の後の帰途は、ある意味気軽なものであり、その意識がてつだってか、津田沼駅から乗車した総武線の中で、また居眠りをコイてしまった。ふと目が覚めたら荻窪駅だった。僕の帰る駅は恵比寿駅であり、新宿を通り越してしまったということである。この禁治産者以前の行いを、自らがどう判断すれば良いのだろうか。這々の体で家に帰ったのが午前12時近く。津田沼駅をでた時刻は確か午後9時半過ぎである。イッタイ何をやってるんだか。いずれにせよ、今回の録音状況が、良くなかった場合、僕の、人間としての存在価値はほとんどゼロになってしまう。早く今回の録音の結果が聴きたいし、知りたいと思うのは、つまりは、こういった理由からであるが、近い将来、発売という段階までいけば、またこのウエッブにて宣伝しますので、これらの我が禁治産者ぶりを思い浮かべながら聴いて頂ければと思います。だってその方が、聴いてて面白いでしょ。ということで、今はまたお得意の時間。つまり午前5時。できれば、読者の皆様も、明け方にこの一文を探し当てたという気分で読んでみてください。きっと次回のCD発売が、待ちきれないものになりますよ。 某月某日 前の日記で、試しにしっしんの窮状を訴えかけたところ、何人かの方々から、とても優しく丁寧なお返事がありまして、良い皮膚科について貴重な情報を寄せて頂きました。皆様、本当に感謝しています。その情報を元に、医者を変えてみたら、一時よりは快方に向かっております。皆様、どうもありがとうございました。体調も何とか持ち直してきたと思ったら、演奏するという僕の人生の主題に、文章を書くということが新しく別の意味での主題となってきて、ここでしっしんなどにかまけているわけにはいかず、まあ、先に進むしかないということです。その一例が、演奏のブッキングに関して、もう既に、来年の三月のスケジュールを聞かれるような、もう鬼の笑う暇もないような状況になっていて、と言っても一本きりですが、何となくせわしないことには変わりない。手帳には今年末のカレンダーのページしかなかったので、文房具屋で、2009年のカレンダーのページを購入。パラパラと、買ってきたばかりのカレンダーのページをめくると、勿論のこと、なにも書き込まれてはいない。これらのページが、来年はどういうスケジュール、もしくは仕事で埋まるのか、言い方を変えれば、埋めていかなければならないのかと、しばしある種の感慨にふけってしまいました。多分また、波風の多い、多難な日々となるのでしょう。カレンダーに設けられている日々の升目は、真っ黒になるのか、はたまた空欄の多いものとなるのか。まあ今までよくぞここまで一人でやってきたと、たまには自分を認めておかないと、先が思いやられるのみだ。今までもそうですが、慎重に、そして無軌道にハチャメチャに、やり続けて行くしかないのでしょう。そうしかやり方を知らないし、特に僕のような身分のものは、一寸先は闇ならぬ、一ミクロン先は漆黒という状況で、間々々自分自身の舵取りをしていかなければならないのだから。こういう状況で長年善し悪しは別にして生きてきたので、気鬱になることもありますが、気鬱になっても状況は変わらないので、何とか発想の転換をしつつ、シノイで行くしかありません。まったくなんてえ人生だ。ちなみに、3月の仕事というのは、津上研太(SAX)ひきいるBOZO の新譜発売記念ライブをピットインで行います。また詳しい情報は、追ってこのウエッブにてお知らせしますのでどうかよろしくお願いします。 某月某日 ひと月前ぐらいから、体中にしっしんが出て、往生している。減感作療法など、いくつかの治療法があるようだが、ネットで調べても、あまりにも情報がお多く、どこの医者に行けばいいか分からない状態である。そこで読者の皆様にお願いがるのですが、どなたか良い皮膚科を知っていたら紹介してもらえませんか。実は近所の皮膚科には既に通っているのですが、投薬、塗り薬等、あまり効力を発揮しません。どなたかよい病院、医者などご存知でしたら教えてください。尚、仕事が忙しいため、通院しやすい恵比寿、渋谷近辺がいいのですか。どなたか心当たりはありませんか。 某月某日 一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに土砂降りという天気が最近続いて、なにやら台風の来なくなった我が国土に、異変ありきと思う時、どれもこれもつまるところ、人間の所行に他ならないという思いがかすめる。もし未来というものが存在するならば、今のこの時代を、100年後の人はどういうふうに歴史に刻むのか。戦争もないのに、自殺者は年間三万人を超えるという。衣食中足りても、我々人間はどうも御せない生き物の様で、思想も宗教も、我が国では上っ面のもののようだ。島国であるが故に他国が困難に直面している移民問題や国境紛争など、何とか我が国は避けることができる問題であるようだが、これも時間の問題で、いずれ同種の問題は起ってくるのであろう。おかしな気候も、おかしな政治も、どうも僕には必然とは思えず、わざわざ人間自らが、最初から分かっていながら起している災害の様に思えてならない。巷では、ポシティブシンキンング、前向きにモノゴトを考えるなど、無責任なことを言う人が多いようだが、全ての国民が前向きにモノゴトを考える国家は異常だ。不気味でさえある。まあ僕がいる限り全ての日本人がそうなるとは限らないことは保証するが。気候の合間に挟まると、妙なことを考えてしまってどうもいけない。 某月某日 ラジオの収録に行ってきた。文化放送、「浜美枝といつかあなたと」というラジオ番組だ。放送は、9月28日の午前10:30~11:00。なんだか、わけの分からないことをべらべらしゃべってきたが、内容を知りたい方は、以上の時間にどうぞ聴いてください。浜さんは、さすがもとボンドガールであり、とてもエレガントな方であった。話しの内容は、だいたい僕の著書「黒鍵と白鍵の間に」(小学館)の内容からのことが多かったが、浜さんの巧みな質問に翻弄されて、何やらいらぬことまでしゃべってしまったような気がしているが、もはや、何をしゃべったかは記憶にない。ここのとに関わらず、僕はどうも、過去のことはすぐ忘れる傾向にあり、そういう部分が女性には不評である。何故過去のことをすぐ忘れるのに本なんか書けるのかといわれれば、これはこれでまた違う理屈が成り立つ。つまり、物事をイメージとしてとらえられることは、何故だか忘れない。そのときの会話内容を含めて。イメージとは理路整然としているものではないが、その事象にまつわることがイメージ化しやすい場合、その事象の中での会話も覚えていられる。ではどういうことをイメージとして頭の中に保っていられるかといえば、これはもう雰囲気と言うほかない。イメージしやすい事象を取り巻く雰囲気が、僕の何かしらの感性にひっかかれば、それはもう既にイメージ化されているということである。特に、音楽そのもの、または音楽に関する周りの事象がイメージ化しやすく、その他のことは記憶に残らない。まあ、こういう極端な僕の欠点を考慮しつつラジオ出演をしたので、放送禁止用語とか、誰それを中傷したりする発言はしていないつもりだが、まあ、楽しい番組になっていようことは推察できる。お時間のあるい方は、ラジオを聴いてみてください。 某月某日 また長らく、日記の更新を怠ってしまった。諸事雑用、ピアニストも、クリーニング屋に己のスーツを自らの手で持って行き、ゲリラ豪雨を縫って、洗濯をしなければならぬということである。あまり私生活のことをあからさまにすると、少数の人が幻滅するやも知れぬが、事実なのでしょうがない。今晩テレビを見ていたら、福田首相辞任の報。この日記はあまり政治問題に触れるつもりなく書いているが、つまりグウタラでノンポリの僕の日記だからというスタンスで書いているということだが、やはりどうも解せぬ。福田首相(前首相と書くべきか)は、首相を辞めるというが、政治家という家業自体はヤメナイんだろう。首相を辞めるということ即ち、政治家を辞めるということなのか。いずれにせよ死ぬまで喰っていける人である。ヨイヨイになっても家族に負担かけることなく、メシが喰える御仁であろう。僕がピアニスト廃業宣言をしても、ああそうですかと言われるだけだろうが。体の続く限りピアノを弾くしか生き延びる手段なし。福田首相もキツい仕事を担っていたんだろうが、ヤメることができて、しかもメシが喰えるというのは、何とも恵まれた御仁である。父親の資産もあるだろうし、別にヤメてもメシが喰えるんだからヤメられるんだろう。色々と複雑な問題があるのだろうが、途中で首相の座を投げた奴は全財産没収という法を制定してはどうか。まあ、そうなったって、福田首相には痛くも痒くもない話なんだろうが。どうあれ、飯を喰える奴は強いなと思った。バンドマンは気楽な部分もあるが、メシ喰うのに精一杯である。ヤーメタと言った時点で、少しかすっていた世の中との接点もなくなる。しかも、福田首相の収入は税金である。僕の収入はライブのお客さんの数である。元々比べることがナンセンスだが、今度からは、喰えないでオッツコッツの政治家を皆で選んだらどうか。そう簡単に仕事を手放すようなことはしないと思うが。組閣するという行為にイッタイいくらかかってんだろう。福田首相は、別に個人的怨恨はないけれど、ヤメたことで無収入になるのでしょうか。良くわかんないな。日本の政治は。まあ、一介のバンドマンがノタレ死のうが生き残ろうが、日本政府には知ったこっちゃ無いことなんだろうけど。人生に余裕があるということは、役得ですな。まあ、言ってみれば、当分、僕はピアニストヤメませんから。ご安心を。 某月某日… >>>

明けましておめでとうございます

某月某日 不特定多数の皆様、明けましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願い申し上げます。正月時期は苦手である。嫌いなわけではない。街には人が少ないし、静かでもある。ただ、独り住まいの身としては、多少食料獲得に困難を来す。別に特別健康に留意しているわけではないから、元旦からの三が日をしのぐことぐらい、今までのあれこれを考えれば、そう難しいいことではない。しかし内心どうもきにくわない。特別日本の習慣に楯突くつもりはないけれど、忘年会をやり、その年のことは水に流してしまって、新たに新年会などやっている。こういう国柄では、ナチのアイヒマンをイスラエルのモサドが長年彼を追いつめるというような心情は生まれない国なのではないかと思ってしまう。イスラエルに忘年会はあるまい。少なくともモサドのメンバーには。忘年会をやっても去年のツケは廻ってくるのである。いわんや国際情勢においておや。地球環境のことを考えても、その記事を新聞などで読みながらコーヒーなど飲んでいる僕自身も、相当のアチャラカ者である事には変わりないのだが。ええ、話題を変えまして、ウエブのスケジュールの更新ですが、1月第二週には更新しますので、しばらくお待ちください。 某月某日 地球温暖化だのなんだの言いつつも、毎朝けっこう寒い季節となった。僕の家は、けっこう密閉式なので、あまり暖房はいらないのだが、今年の夏の暑さと比べれば、やはり格段の差があるように思う。今、午前五時半で、また眠れなくなってしまった。冷蔵庫の残りの野菜でシチューを作ることとした。午前五時半に野菜を切っている自分が何だか滑稽である。やらなければならぬ仕事も山積しているが、とにかくシチュウーを料理することと決めた。今は、とろ火で煮込んでいる最中である。作り方は簡単、なんの肉でもいいから、塩こしょうをふってしばらく置いておく。その間に、冷蔵庫にある残りの野菜をテキトウに切って、まず肉を炒め、そこに野菜を入れて炒める。そうすると、野菜のうまみが出てくるようだ。特にこのシチューを料理することに関して、よくテレビで紹介されているような達人の技は必要ない。ただ、使う水はミネラルウオーターにした方が良いということだけが、コツといえばコツだ。後はじっくり煮込んで野菜不足を解消するのみである。ボストンに住んでいる頃、よくチャイナタウンに安いフライドライスなどを食べにいっていた。しかし、ある日気付いたのである。このチャイナタウンにあるたくさんのレストランは、どこから材料を仕入れているのかという疑問が浮かんだのだ。当時、僕よりボストンに長く住んでいる日本人の何人かから情報を得ることにした。その情報を総合すると、ボストンのあまり治安のよろしくない地域に、謎のマーケットがあり、そこがどうも、チャイナタウンの材料を一手に引き受けているということが分かった。こうなったら行ってみるしかない。車をもっている友達を誘い、早速その地域をうろうろと運転していたら、あったあった。たくさんの中国人が出入りしている大きな建物が。中に入ってみて驚いた。中華の食材のみならず、タイなどに輸出用の「出前一丁」のようなインスタントラーメンも売っている。値段は一個50セントほどだ。夜食にちょうど良いと買いまくった。肉類も豊富で、ボストンにある通常のマーケットより安かったような気がする。ただ、肉屋のオヤジは英語を話さなかったので、筆談で用を足した。肉売り場の床には、豚の生首が鮮血を流したまま放ってあったりして、少し閉口したが、ごぼう、白菜など、ボストンのマーケットでは手に入らない野菜が、信じられないぐらい安い値段で売られていた。また、調味料の種類の多さは、特筆もので、オイスターソースのみならず、エビのソース、なんだか分からないソース類がたくさん瓶詰めになって売っていた。それらの調味料も安かったので、がんがん買い込んだ。乾燥中華麺も至って安く、大量に買い込んだ。冷凍食品の中には、餃子が五十個ぐらい入ったものもあり、値段も安かったので、それも仕入れる。そうこうしているうちに、僕のアパートの台所のまわりには、中華料理に使う色々なソースや材料があふれかえった。中華料理のレシピの本など、当時は持ち合わせていなかったが、要するに、まず、ニンニクを細切れにして、豚肉やら鶏肉やらをごま油で炒める。そのあと、野菜を炒めてから、片栗粉を混ぜた水を適量たらせば、中華丼、焼きそばなど簡単に調理できた。わけの分からない調味料を使ううち、その味も覚え、料理の種類によって使い分けるところまで上達した。外で変なハンバーガ-や、スライス・オブ・ピザなど食べているより、自然と野菜が接種できる中華料理に比重が移り、毎晩中華料理ばかり食べていた。しかも自己流の。こうなってくると、調理器具も欲しくなり、ヘラや、かき混ぜる道具、色んな種類の中華鍋なども買い込んで、一事、何のためにボストンに留学しているのか分からなくなってしまった時期もあった。夏場はジャージャー?を良くつくった。自己流ながら、それなりの体裁と味をどんどん旨いものにして行くコツものみこめてきた。日本人の友人を招き、中華料理パーティーなども時折催した。今はずぼらになり、料理といえばシチューが定番である。日本では、ボストン時代に買い込んだ調味料や調理器具が、やたらに高いので、中華料理はもう作らない。おっと、シチューが煮えてきたぞ。 某月某日 過日、電話機が、例の気味のい悪い声で、「ファックスヲジュシンシマシタ」と言うのが聞こえたので、電話機の前まで行ってみたら、表示板というのが正しいのか、とにかくデジタルな画面にカタカナで、「ジュシンデータガアリマス/インクリボンヲコウカンシテクダサイ」との表示が出ていた。ああ、やってきた。復活の日ならぬインクリボン交換の日。僕は、インクリボン交換が大の苦手なのである。一回でうまく行ったためしがない。電話機をぱくっと半分に割るようにして中を見ると、なるほど、どうもインクリボンの様子がおかしい。これは僕の天敵である電化製品量販店へ、インクリボンを買いにかなければならないことを意味する。この日記で何度も書いているように、僕はあの量販店が大嫌いなのだ。ビカビカの蛍光灯に騒音に雑音。落ち着いて買い物ができたためしがない。大体、店内の何だかわけの分からない放送で、店員の商品に対する説明が僕にはよく聞こえない。まあしかし、送られてきた内容のファックスは、仕事関係のものかもしれず、このまま無視するわけにもいくまい。ということで、量販店に突撃。とにかく電話機の取扱説明書自体をもっていって、そこいらの店員に、取扱説明書を見せながら、インクリボンはどこですかと聞く。僕のインクリボンの形名は、数字とアルファベットの合体した複雑なものだ。しかも、だいたい、「形名」なんていう日本語自体が何だかおかしい気がするし、どうして、インクリボンごときに、スター・ウオーズに出てくるロボットみたいな型番つけなくちゃならないんだよ。インクリボンA,B,Cで充分違う形と見分けがつくじゃないか。とにかく、インクリボンを下さいと近くにいた店員に声をかけた。案内されたその場所には、たくさんの種類のインクリボンが置いてあった。なぜ形をいっしょにしないんだろう。すぐさま僕の電話機に合うインクリボンを買い求め、料金を払った後、ダッシュで量販店から外に出る。量販店の店内にいた時間約3分。上出来だ。次は2分を切ってやる。家に帰ってインクリボンの入っている箱を開けてみた。いつも不思議に思うのだが、スティック状のもが2本、セロファン紙のようなものが、均一な量で各々のスティックに巻かれた格好になっている。このことからして僕には分からない。なぜ二本のスティック状のものに「均一に」セロファン紙みたいのが巻かれているのか。たとえば、トイレットペーパーだって、使っていくうちに芯にある筒状のボール紙を残して、紙自体がなくなるわけである。だから、インクリボンだって、どちらかにインクリボンが巻いてあり、どちらかがスティックのみでなければおかしいではないか。セロファンのようなものが均一に二本のスティックに巻かれているということは、どちらか半分のセロファンのようなものは使わないということなんじゃないか。いったいどういう仕組みになっているのだろう。きっと電気会社とセロファン会社が結託しているに違いない。またこのインクリボンの交換が、僕の神経をささくれたものにする。一回でうまく行ったためしがない。しかもなんだよ、この19世紀的な交換の仕組みは。これだけ電化製品が発達しているのに、コンピューターのプリンターのようになぜならないのか。まず白色ギアと緑色ギアを新しいインクリボンのスティック状の穴に差し込む。この行程からして、もう既に19世紀的じゃないか。大体このプラスチックのギザギザした、円形状のものが、「ギア」なんて名前で呼ぶほどのシロモノか?とにかく解説書通りに、そのギアなるものを差し込んだ状態のインクリボンのスティックを本体に装着べく試みる。まずここで、必ずぴったりとはまらない。スティックの長さが長すぎて、電話機本体にフィットしない。その何だかギアとかいう物を、もう一度、スティックの穴にぐっと無理矢理押し込もうとしていると、段々セロファンみたいな紙がよれよれになってくる。格闘10分後、やっと二本のスティック状のものが、電話機に収まる。ふと見ると、ぱくっと二つに割れた電話機の裏側にも、インクリボン交換方法という説明が書いてある。二本のスティックを本体にはめ込むところまでは解説書と同じことが書かれている。違いは、緑色のギアを回転させて、インクリボンのたるみをなおしてくださいとある。その通りにして、二つに割れた電話機を閉める。ジーっと何だか原始的な音がして、「キロクシ/リボンカクニン」という表示が出る。いつもこうだ。いつも一回目にはうまく行かない。もう一回電話機をぱっくりと二つに開けて、インクリボンのよれがないか目で確認し、たるんでないことも確認して、緑のギアを回して、多少セロファン紙が突っ張るぐらいの状態にして、電話機を閉じる。「キロクシ/リボンカクニン」の表示が再度表示される。ここでいつも僕は、顔の表情だけ、無念無想の境地にいる者になる。しかし、頭の中は、無念無想どころか、不条理感と怒りでいっぱいになっているのである。こいつはいったいなんだ?なぜいわれた通りやってるのに動かねえんだ?きっとこれには電話機の閉じ方に問題があると考え、まず最初に静かに静かに閉めてみた。結果はダメ。作動しない。頭にきたから、こんどは思いっきり乱暴に電話機を閉めてみた。ガシャン!ジーッという音が長く続く。おいおい、いったいどうしたんだよ、さっきいよりそのジーって音が長いじゃねえかよ、と思っていたら、「シバラクオマチクダサイ」という表示が出た。シバラクッてどのくらいの時間のことを言ってるんだ。すると、またジーッという音がして、止まった。表示には、「ルスセッテイ」と今日の日付が。うまく行ったのかと思って、ファックス受信のボタンを押したら、電話機にファックス用紙が吸い込まれて行く。やっとうまく行ったんだ。しかし腹立たしい。インクリボンを交換するのにある種のコツが必要だということ自体が許せない。ゼロ戦じゃないんだから、誰がやっても、同じく作動するように、なんで設計できないんだ。これだけ電化製品が発達しているのに、何でファックスのインクを変えることだけが、19世紀的なのか。出てきたファックスを見てみたら、○×不動産株式会社 オフィスレンタルの件、六本木の一等地、4DK 賃貸し 月600,000という見出しの下に、部屋の間取りの設計図みたいのが印刷されている紙が出てきた。怒髪天を衝くとはこのことであろう。間違いファックスだったのだ。このオレサマに、月60万の家賃を払えってか。こっちはてっきり、何か仕事のファックスだと思ってたのに。次回から、ファックスのインクの交換時には、お客様相談センターに電話して、しかるべき人間を無料で派遣させ、交換作業を、何度も書くが、無料で作業させると心に誓った。えへ、えへっへへへへ。非常に感情的な文章を書いてしまいました。仕事関係の皆様へ。ということで、インクリボンは最近新しく交換したので、しばらくはファックス受信は問題ありません。何かありましたら、連絡お待ちしております。 某月某日 10月のはじめに風邪をひいてしまった。微熱が続き、本日29日、やっと熱が下がった。こんなに長い間風邪で熱を出した経験がなかったので、血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしたが、要するに体に細菌が入ったということしか分からなかった。まあ、大病でなくてよかったようなものの、これだけの長い間微熱が続くと、体力は消耗し、頭のぼんやり度も増してくる。普通に気分がいいという状態が、いったいどういう気分なのかも忘れてしまうほど、体がだるかった。熱がもっと高く、ベッドに寝たきりだという状態であれば、まわりの人間も、ある程度僕のことを病人として扱ってくれるのだろうが、微熱というのは微妙なもので、気分は悪いのだが、何となく事務の仕事をしてしまったり、じっとテレビを見たりしていたので、他人からは病人扱いされない。微熱なのだからたいしたことはないと、色々と仕事をしていると、日を追って体のだるさが増してきて、とにかく、横になっているか、テレビを見ることしか、できることがなくなってきてしまう。こういう時期に限って、ピットインでGO THEREの演奏、JAZZ TODAYでの演奏などをこなさなければならず、座薬などをぶち込んで、何とかしのいだのであった。特に、JAZZ TODAYの演奏の最中、座薬が効きすぎたのか、血圧までもが下がったような状態になり、ほとほと困った。まあ、評判が良かったので、これはこれで良しとしよう。風邪は万病の元とよくいわれるが、現代に於いて、病気の種類は1万では足らないのじゃないか。風邪は億病の元と言い換えるようにしたらどうか。行きつけの医者のところで採血したり、レントゲンを撮ったりして、最初に書いたとおり、億病の元に、自分がかかっていないことは、はっきりしたのだが、病院の待合室には、なんだかよくわからない病気の名前が羅列されたポスターなどが貼ってある。難病と呼ばれるものばかりだ。病名を何とはなしに読んでみると、その病気の症状よりおぞましい名前がついているような気がしてならない。しかし、よくその張り紙を見ていたら、金欠病という病名はなかった。多分誰にも治せないのだろう。金欠病になれば、病院には行けず、つまり、おぞましい名前の病名さえつけてもらえない。名前は間抜けだが、金欠病ほど恐ろしい病はないのではないか。僕もずいぶん医療費を使った。金欠病の初期症状である。 某月某日 また寝そびれてしまい,今は午前五時。この時間になると,妙に体が,たとえその夜睡眠をとっていなくてもどこかハイパーな気分になってくるのは,DNAの底に埋まった整体時刻のようなものが、まだ活動している証拠なのかもしれない。そう勝手に思い込むことができれば,僕はまだ健康であるということに成りはしまいか、と、今瞬間瞬間,明日の昼間までどういうかたちで寝ることができるか,模索しているところである。前回お知らせしたように,全曲ジャズのスタンダードナンバーで構成されたCDが秋に発売される予定となっている。色々な写真集など、またウエッブにて検索したりしながら,いいジャケット写真を探しているのだが,なかなかピタリとくるものがない。しかし,焦っているわけでもない。今までの経験からすると,最終的には何とかなるものだからだ。ということで,ジャケット写真も楽しみにしていてください。寝られないので,久しぶりにテレビを見たら,「朝までなまテレビ」をやっていたので,何となく最後まで見てしまった。ずいぶん前に,九鬼周造著「いき」の構造という本を読んだことがあるがある。すぐれた本というものは,貴重なものであることは周知のとおりだが,べつにこの本を読まなくたって、「いき」というものが、テレビを見ていてなんだか分かるような気がしてきた。つまり、政治家という職業の人々と対局の発想、観念,言動を心がければそれでよいということが良くわかった。思わず勉強になってしまった。いずれにせよ,日本の未来は暗いですね。ここ数日,仕事もなく,暑さのために,諸処の事務処理能力が通常の10倍ダウンしているので、内心焦ってはいるものの,それを突破する精神的前傾姿勢が、いまだ体の中に芽生えてこなくて,自分自身に辟易としている。まあ、こういう状態も何度か経てきているので,だからといってとてつもない心労をかかえつつあるといった状況でもないのだが。どちらにせよ,社会的に考えれば良い状態ともいえない。長い酷暑の日々を少し抜けてきた昨今ではあるが,食欲はいまだ戻らず,結構人間というものは,あまり食べなくても生きていけるような気がしている。食べるということに関して書いてみて,今思い出したが,またつい最近,あまり見ないテレビを何となく見ていたら,大食い競争やら,ラーメンを一日に何杯も食べてみせる番組などを連続して見てしまった。芸能人は,それを仕事としてやっているのだから,こちらが文句を言う筋合いはないし,見たくもない番組は,視聴者の側で見なければそれでいいだけの話しだが,やはり下品だと思う。このことも,九鬼周造の理論を知らなくても,「いき」ということがどういうことかということを,逆に理解する近道であろう。21世紀は始まったばかりなのに,世も末だ。こんなことを書くと,何だ偉そうにと思われる方もいるだろうから,補足のために書いておくが,日本の食べ物は,世界の食べ物,特にアメリカ,北ヨーロッパのものに比べて,格段に質が高い。これは僕が日本人だから,ということで贔屓しているのではなく,客観的な体験を元に、このことは断言できる。勢い、食に関する番組が多いということも,うなずける部分もなくはないと思う。しかし、カメラの前ででかい口を開けてむしゃむしゃ食い物が食えるという神経には,僕はついて行けない。単に恥ずかしいから。トリオのCDが発売されれば,自然と,これからの活動の指針もたつであろう。この夏を朦朧と過ごしてしまった分,何らかの巻き返しを画策せねばならぬ。と、ここまで考えたところで,その先に特に書くことが思い当たらなくなったので、今晩?今朝というべきか,今回の独り言は終わり。最後に一言。最近の日本人は喰い過ぎだと思う。 某月某日 また長らく日記を書くのを休んでしまった。あまりにも考えることが多くて,それを文章に書くという、いわゆる脳の中でのそれら事象をまとめる時間,それを内的言語にする咀嚼の時間が、この期間あまりにも長すきたことに起因すると思われる。ここで宣伝です。秋頃,ピアノトリオのCDを出すことに決まりました。演奏したのは全てジャズのスタンダードです。メンバーは,鈴木正人(B),芳垣安洋(DS)。なるべく意識的に,曲にアレンジをほどこすことを控え,これはある意味ヒジョウに冒険なのですが,あえてその方針でつくってよかったと思える内容となりました。鈴木,芳垣両氏も,すばらしい演奏をしています。秋頃発売予定なので,またこのウエッブにてお知らせします。8月の頭、小用あってヨーロッパに行っていました。帰ってきたのが,ちょうど東京各地で熱さ地獄が始まる直前で,体がまいりました。向こうは25°ぐらいだったのですが,成田に着き,JR鴬谷駅で外に出たとたん,サウナに入った時のような感覚に襲われ,これを逃れるには、四次元に開いたどこかの扉を探すしかあるまいと覚悟した次第です。外気がサウナなのだから,もう四次元にその出口をもとめねば、この環境からの脱出は無理だと,客観的に感じたのですが。これは、何の理論的根拠も科学的正当性もない意見ですが、一方、僕の心の中では,「皮肉」という一言が思い浮かんでは消えしています。この灼熱地獄によって,死んでしまった方もあるようで,これはどうも尋常な暑さとは思えません。宗教には,どの宗派にせよ,地獄,天国という概念があるようですが,もうすでに、この世自体が地獄なのに,いったい死んだらどこに行けというのでしょうか。宗教家は,地獄はもっと苦しいという理論で来るのでしょうが。この文章を読んでいる皆様も,お体ご自愛ください。 某月某日 前回の二回の日記、ろくなことは書いていない。自分のなかで堂々巡りをしているのみであるから,自らが何かの行動を起こし,精神的に全てなにもかも解決とはいかないまでも,なにかしらの気分転換が必要なのは衆目のとおりである。僕はいわゆるグルマンではないが,何かうまいものを食べて,少し気分転換をするということに決めた。これとて,僕にとっては非常に飛躍的な行動なのだが。とある筋から,あまり有名ではないが,うまいイタリアンレストランのことを聞き及び,それを教わった晩に出かけてみたのである。別段イタリア料理に詳しいわけではないが、その店は,とある世田谷区の一角にあって,メインの通りからも遠い。隠れ家的店である。まず席に着き,メニューをひろげる。日本語とイタリア語が併記してあるメニューに、料理の種類が並んでいたが、読むのが面倒であったので、店員を呼んで,とにかく前菜、メインの料理の二種類のおすすめを教えてもらい,後は全てまかすことにした。酒は辛口の白ワインをたのんだ。それが店員おすすめの料理のコンビネーションと多少合わなくてもおかまいなしである。何度も書くが,僕はグルマンではない。しかも,内臓が,紫色に変色するのが,そのときなぜか嫌だったから白ワインを頼んだ、という理由からだけである。白ワインをがんがんあおっていると,色々なキノコの炒め物が出てきた。メニューに書いてある料理の名前はすでに忘れている。オリーブオイルと何かしらの塩気によって絶妙な味をなしているキノコ類をわざとナイフとフォークで小さく切りなが食す。よく炒めてあるのに,キノコの繊維質がしっかりと歯ごたえがあり,しかも量も多く,先ず第一段階はとても味覚的に楽しめた。中華と同じく,やはり強い火力の調理ができるからこそこの味はたもてるのだろう。キノコの味というものは不思議千万で,味というより,繊維質とキノコ自体の土の香りを少し残した風味を味わうものだということを再認識したような気がした。キノコを食べていたら次の料理が来た。パンに様々なチーズを溶かしたものがかかっているなんとかというメニューで、これも少しずつ切って食べてみた。食べているうちにチーズソースがさめてきたのに,固まらないのに少し驚いた。ところどころ青っぽいところがそのソースの中に見受けられるということは,ブルーチーズも入っているのだろう。ヨーロッパに演奏しに行った時,彼の地において,相当えぐいチーズを食べたことがあるから,この一品は,もしかしたら,日本人用にアレンジされているのかもしれない。なぜなら,食べやすかったからだ。白ワインとともに,パンにチーズをぬってもぐもぐとやっていたら,メインディッシュがきた。ズワイガニのスパゲティ-である。まずカニの腕だか足だかを素手でつまみあげ,食べにくい中身をしゃぶり始めた。どう考えても,カニの中身とパスタ自身をいっしょに食べることが無理だなあと思ったからである。思ったとおり,カニの中身は食べにくく,最初は,丁重にナイフでもってして,中身を掻きだしていたが,途中から面倒になり、甲羅の部分から噛み砕いて全部食ってしまった。ざまあみろである。いずれにせよ,パスタには,カニの滋味が混じっているはずで,こういう食べ方をしても,特に問題はあるまい。思ったとおり,カニを征服した後のトマトソースのパスタには,カニの風味が移っており,しかも、絶妙な割合で唐辛子の辛さが風味を引き立てていた。ジューサーで細かくしてトマトソースに和えたというよりも,細心の注意を払って,唐辛子を細かく刻んだという辛さのなかに、スーパーマーケットで売っているトマトの缶詰にはない、トマトの新鮮な風味が、絶妙にパスタと絡み合っていた。一口食べてみると,その唐辛子の辛さとトマトの風味、カニというよりもいわゆる海鮮のある意味重ったるい食感が、口中に広がった。これは美味であった。この味覚によって,脳内のセロトニンが増えないかなあと一瞬想いつつ,このカニパスタ,一気に食ってしまった。次なるディッシュは,子羊の何とか香味風味焼きとかゆうもので,二十代の頃、フィレンチュエで食べたことのある,Tボーンステーキを想起させるものであった。辛口ワインも相当飲んでいるので,もうフォークもナイフも使うのが面倒くさくなり,子羊の肉にくっついてきた骨をつかんでそのまましゃぶるように食べてしまった。勿論この一皿にも,焼き加減,塩の量,焦げ目のつけ方,色々技があるのであろうが,こちらはそんなこと,食べる方法に関してはおかまいなしだ。ただただしゃぶりついた。脂身の部分と,肉質な部分が絶妙のバランスでり、一口一口が楽しめるように調理されているところに、家庭料理では再現できない何かしらの技を感じた。一口噛むと,肉の繊維質,しかしそこにはほろほろと,肉の脂肪がまとわりついてくる。二口目にも同じ満足感が得られるということは,なにかしら途方もない工夫がなされている証拠であろう。味全体に関しては,塩味が強すぎる感があるのに,その塩味を感じたとたん,肉汁がそれを中和するという繰り返しには,少し恐れ入った。後,骨までしゃぶって,椅子にのけぞり,天井を見上げた。たまにうまいものを食うと,少し頭がぼーっとする。この湿気の強い嫌な気候の中で,このような味覚を維持すること自体,大変なんだろうなあと想いつつ店を出た。たまにはこういう晩が有ってもいいではないか。明日からまた,豆腐に醤油をかけてそのままスプーンですくって食べる日がはじまるのであるから。二番目に食したのは, 某月某日 前回の日記の続き。こういう湿気の時期にまた夜も眠れなくなるという悪循環が襲ってきた。ただいま午前6時30分。前回の日記で書いたいわゆる余計なことを考える気力もなくなっており。こんどはあらぬ妄想が,何の合理性もなく、浮かんでは消え,浮かんでは消え,という状態になっている。眠れなくなるという状態にはなれているはずなのに,今度は複数の,わけの分からぬ妄想が、瞬時にして頭をかすめたり,なかには、その妄想と他の妄想とのあいだに、何らかの関係のあるものまで含まれている時がある。いずれにせよ,前回書いた日記を書いた状態よりも手に負えない。ただ妄想といっても,それは必ずどこかに悪夢的な要素を含んでいるからである。つまり、前回のように,何やら根本的に脈絡のないことを書き散らしていた時よりも、さらに自分自身の思考を押さえつけるのは難儀な状態になってきてしまっている。何しろ相手は妄想なのだから,突然に前夜に見た夢の断片が頭の中に去来したかと思うと,とにかく有りもしないようなことが、何故だか冴えきったイメージの中に滑り出してきたりする。個別の妄想自体は,そんなに頭を悩ます原因ではないのだが,しかし,それらいろいろな妄想そのものが,ものすごい勢いで、同時に脳内を通り過ぎてゆき,これには全くお手上げの状態で,禅の言葉で,妄想は出流にまかせる去るにまかせるしという方法があるそうだが,世俗にまみれた僕の心境では,到底このような言葉は,知識として認識されるだけである。酒を飲むと一時収まることもあるが,それによって酒に依存するのも厄介の種となりそうだ。新しいトリオのMIXINGの日程がなかなか決まらず,新しい演奏場所を探し出さなければならないという強い想いが,不眠症、ならびに、複雑な人間関係など、これらのことが要因になって、自分勝手に妄想しているに元凶かもしおれない。チュンチュンの時間となってきたようだ。ムダとは知りつつ,これからベッドに横になってみることとする。 某月某日 梅雨である。きわめて体調が悪い。僕の天敵は湿気なのである。ピアノと同じように。昨今ポッコリと演奏の仕事の谷間ができて,気分もすぐれないのに,余計なことを考えてばかりいる。余計なことは余計なこととして,考えねばいいと言われればそれまでなのだが,その余計なことの中にも、大切なことが混じっているかもしれず,大切なことの中に余計なことが混じっているかもしれず、こういう文章を書いていること自体,余計なことかもしれず,最後にはため息が出る。総じて言えば,日本という国は、かわいそうな国である。世界史の中で初めて原爆を落とされ,信用していた政府には裏切られ,国家としての理念もなく,普段食っているものは何がなんだか分からなくなっていて、それなのに、諸外国からは先進国として扱われ,根本的には国家自体貧乏なクセして背伸びして,生き残ろうとしているけなげな日本。こういう国に文化が根付くことは、遠い先の未来だろうと思うと,暗澹たる気持ちになる。いわんや,遠い先の未来に,文化国家として確たる姿を呈することができれば,まだいい方かもしれない。なにを一人のミュージシャンごときがほざいているのか,と思われる方もあろうが,逆に言えば,たかがミュージシャンごときの存在をも、こういう気分にさせる土壌というのは、いったいなんだろう。僕の気鬱のせいだけなら読み捨ててもらってもかまわないけれど。僕は自分の審美眼と美感を,信じるのみである。 某月某日 前回のごとく書いてはみたが,ウエッブの管理人の適切なる指導によって書き変えることができた。なんだか,キャッシュを空にするという項目をいじらなければならなかったようだ。また一つコンピューターについて新しいことを学んだような気もしているが,時が経てば忘れるであろう。そういう頭にできあがっているのだからしかたがない。せいぜいウエッブの管理人に愛想を尽かされない程度にうまく渡り合うすべだけは忘れぬようにしないと。そういえば,久しぶりに日記を更新している。むしかえすようだが,我が尊敬する哲学者、池田晶子氏が亡くなってから,何となく,文章を書くことに対しておっくうになっていただけなのだが。言葉はロゴスであるという真実を突きつけられてしまえば,おいおいと、よけいな文章は書きたくなくなるし,今はやりのブログというものも,なんだか善し悪しの基準が曖昧に思えて,不特定多数の人々に対して,ここで文章を書くこと自体,すこし憚られた思いであったのだ。前回の日記を見てみると,トリオの録音のことが書いてあるが,これは三月に終えたことであり,優に3ヶ月間沈黙していたことになる。この間,個人的にも社会的にも色々なことが起きたのだが,どうも世の中,時が経つにつれて,ミュージシャンのみならず,生きにくくなっていく度合いが増えていっているように思えてしかたない。宮崎駿氏の創造した「風の谷のナウシカ」では、腐海に広がる粘菌が、ある意味人類の未来を象徴していたが,西暦2007年現代の粘菌も,増殖してるんだか,どこにあるんだか分からない仕組みとなっているようで,どうもお先真っ暗だ。日本人はなぜもっと怒らないのか。僕としては音楽を通じて暴れるつもりである。アバレルといっても、なにもデモをするとか,わけの分からない行動に出るつもりはない。べつに激しいフリージャズ的手法をもって,何かを表現するつもりもない。いずれにせよ、大勢の人々が,本当の音楽によって或る種のカタルシスや,日々のどうにもならない気分が一瞬でもいいから解放されることを望むばかりだ。別に僕の音楽以外でもそういう体験をして頂いてもいいのだが。笑ってしまうのは,,学校の先生や,その他、ごめんなさいではすまない職業の人達が,妙な痴漢行為で捕まっていることだ。バンドマンだったら,あいつはスケベでどうしようもないな,ですむところ、むろん,被害者の女性をこれ以上増やすことは良いことではないが,復職できるということを考えれば,我々の方にアドバンテージがある。いったいどうなっているのだろうか。つまり、あまり一寸先は闇ではない人や職業の人が,自ら一寸先は闇の世界を創出しているということであって,ある意味,我々ミュージシャンを上回る気性の持ち主が増えているということであろう。こうなってくると,我々が,いい意味で音楽的に暴れても,あまり意味がなくなってくるのではないかと不安に思ってしまう。何しろそういう人達は,我々を精神的に凌駕しているのだから。さてこの日記本来の役目をこれから書き記すとすれば,トリオのCDの発売は秋以降となりそうである。予定ではそうだということで,後は実務をこなすEWEの手腕に、宣伝なども含めてまかせるしかない。 某月某日 機械の都合で,新しいライブスケジュールの更新ができません。なぜだろう。 某月某日 本日は,目の奥底のホコリがふりはらわれるような晴天である。少し風が強いが,それもまた,目やにをからりと乾かしてくれるような春風であり,気分がすこぶるいい。一週間ほど前,銀座のスタジオにてトリオの録音をした。メンバーは,鈴木正人(B),芳垣安洋(DS)。今回は,前回の「ELEGY」のようにストリングスが入っていない掛け値なしのピアノトリオの録音だ。発売は今年秋頃を予定している。詳しい情報は,追って,このウエッブにおいてお知らせしたいと思っている。スタジオにて,久しぶりにスタインウエイを弾いた。ピアニストであるのに,なかなかこの楽器にめぐりあえない。普段,場末のキャバレーのズベ公と、日夜の区別なくものすごく淫蕩な日々をすごすダメ男が,いきなり原節子から愛を告白されたような、そんな段差がある楽器で,鍵盤のタッチ、サウンド,音色,アクセント,等など,申し分なく自分のイメージしたとおりの音を出してくれる楽器だ。ピアノという楽器は,名前のとおり,ピアノフォルテを十分表現できるもので,その醍醐味を久しぶりに味わったと思うのは,喜ばしいことなのか,悲しいことなのか。確実にいえることは,また新たにピアノという楽器に対するイメージを録音を通じて学ばせてもらったという気分いっぱいである。と、言いつつ,レコーディングのために家にこもってピアノばっかり弾いていたので,いざ本番が終わってみると,燃え尽き症候群のような精神状態になってきて,最初に書いたように,ああ、太陽が明るくなってきたな。風が強いなといった自然現象しか感知しなくなってしまった今日この頃である。ちょっとニュース等を真剣に見ると,ロクなことは起っておらず、詳しく書かないけれども,まあ嫌になってくるだけだ。日本の政治は何でこうゴミなんだろう。いや、春だ。ゴミなことを忘れさせてくれる春の力を信じようと思う。コンピューターで桜の開花予測をし,それがはずれるなど,愉快でたまらない。咲いた時が咲いた時じゃないか。日本の都市景観は類を見ないほど最悪だが,そこに桜が咲いていると,何ともけなげに見えてくるから不思議である。今住んでいるところから一番近い花見の場所は,M川沿いの桜並木だが,毎年夜桜を見に行っている。川沿いの店などが,屋外に椅子を置き,花見客を立ち止まらせようとしているのだが,僕はあまりそういうところには座らずに,川沿いに桜を見ながらうろうろする方が好きだ。そのあと酒が呑みたくなれば,川沿いからはなれた店で静かに杯をかさねるのがよろしい。家に帰ってねそべりながら、坂口安吾の「桜の森の満開の下」など読み返すと,またこれ格別である。お金もかからない。さあ,今年の春、夏,秋、冬は何がおこるのであろうか。池田晶子さんも死んでしまった。どうあれ、次回のCDが出るまで,考えの及ぶ限り,自分の音楽のことを大切にしなければいけない。最も簡単な答えが,最も難しい。 某月某日 我が尊敬する哲学者,池田晶子さんが死んでしまった。ものすごくショックである。彼女は僕と同じ1960年生まれで、年齢も46才と同い年だ。僕の好きな作家は、すべて鬼籍にはいっており、彼女の書く文章は彼女より若い人、または同年代、池田さんより歳をとったひとが、まじめに思索するに十分な内容である。まだまだすごいことを書いてくれるという期待が僕の中にあった。そういう意味で,池田さんの新刊が出るのを楽しみにしていたのに,癌によって池田さんは他界された。悲しいのは,これより先,新刊は望めないということである。いずれにせよ、同い年の池田さんのことは、他人事とは思われない。今まで既刊の彼女の書いた文章には全て目を通している。これまでの池田さんの文章を読んで感じたことは,僕には明晰に考えられない大切なことを,池田さんの文章によって知らされたということだ。このことは,僕に対して,大きな財産となり得ることだった。池田さんは,死に対して,この世の不条理に対して,明確な理論的文章を展開されている。この世の不純を書き表し、それらの一字一句が,少なくとも僕の魂を動揺させるのに充分だった。だがしかし、もう新刊は,書き残ししか期待できないだろう。何という悲劇であろうか。彼女のような人こそ,これからの日本人を、内面的にリードし得る人だったと確信していたのに。これは僕の勝手な思い込みかもしれないが、我々日本人は,真のオピニオンリーダーを亡くしてしまったと思う。インターネットで知った情報だが,池田さんは、死ぬ間際まで文章を書いていたということが多く語られている。僕が最近読んだ池田晶子氏の本は,情報センター出版局の「残酷人生論」であった。未来を予見したようなタイトルではないか。この本でも,死ということが,実に明晰に記されていた。同い年の僕よりも先に、その「死」を超えてしまった池田さんの胸中はいかばかりであったろうか。哲学的解釈をぬきに考えても,池田さんの安寧を望むまでだ。彼女自身,著作の中で,死は存在しないと,何度も書いているけれど。しかし、一方では,池田さんの安寧を望む反面,死ぬ直前まで書いていた文章を読みたいというある意味下品な欲望も抑えきれない。こういうことを願うこと自体、残酷人生論かもしれない。でもしかし読みたい。文筆家はこういう人生をたどらなければならない宿命があるのかもしれない。などと、自分勝手な理由をつけて,だけど読んでみたいのだ。たとえその行いが下品であろうとも。池田さんは、本当に最後まで死を恐れなかったのだろうか。ここが、文筆家と読者の残酷な関係の露出するところである。客観的に見れば,文筆業というのは因果な商売といえよう。書いた本人が追いつめられたところを,追いつめられていない頃の文章と照らし合わせたいという、それこさ、残酷な読者の興味を倍増することであるから。不謹慎は百も承知で,池田晶子さんの新刊を楽しみにしている僕は,はたして、サディストなのか。ええい、どうでもいい。池田晶子さんがこの世に残した文章は,一字一句にいたるまで、熟読するつもりだ。勝手な考え方かもしれないが、,それが彼女に対しての最大の供養となるであろうと望みたい。 某月某日 またずっと日記を書かなかった。正月新年は深夜はピットインで演奏し,そのまま家に帰って寝たら,元日の夕暮れになっていた。年越しそばも,日本的新年のお正月の行事をすべて放棄した静かな夕暮れ。そば屋も開いていまい。元日の太陽も拝めなかった。しかしながら、いい気分である。気分はいいが,脳の気分は悪い。正月という時期を無視したという浮遊感をもってして,寝床から起き上がるも,これといってやることはない。腹が減ったが,僕は腹が減らないつもりになるのがうまいので,そのまま連続して煙草を吸ったりしていると,夜になった。初詣でも行こうかと思ったが,人ごみの中にいくのがいやでやめた。ということで何にもすることがない。実家に帰る約束をしたのが3日だから、後一日寝て過ごすことにした。池田晶子著「残酷人生論」を読んでいるとまた午前四時ぐらいになった。どこも開いてないから散歩に行く気もせず,部屋の換気を定期的にする意外なにもしなかった。さて3日の午後に,実家に新年の挨拶にいくことになっていたが,行くこと自体もめんどくさくなってきた。なんだかんだ理由をつけて3日の日も実家にいかなかった。実家にいけばそれ相応の食い物があるだろうに,親戚が集まって,おめでとうございますなんて,なんだかアホ臭くて,寝床に横になりながら,中島義道著「たまたま地上に僕は生まれた」を通読。この手の本を読んでいる方が落ち着く。悪癖はすぐ身に付くもので,一月中深夜まで本を読み,起きるのが午後4時頃と、太陽の光を見ぬ一ヶ月が過ぎていった。不健康きわまりないが,慣れるとそうでもない。なにもはつらつとして明るいばかりが人生ではない。食生活も滅茶苦茶。後でツケが回ってくるのだろうがかまやしない。今までずいぶんとツケを払わされてきたから,次はなあに、てなもんだ。なんでこんなことができるのかと言えば,これといった仕事が無いせいであって,ここまでくると,自分がピアニストなんだかなんだか,もうそんなことはどうでもよくなる。読書に飽きると,サングラスをかけ,新宿紀伊国屋書店に落語のCDを買いに行く。僕の贔屓は春風亭柳朝だが、いかんせん記録が少ない。残念なことである。もちろん古今亭志ん生、桂三木助,円生、金馬などなみいる名人も僕のお気に入りで,ジャズなんてこれっぱかりも聞いていない。うまい落語家は音楽と同じに,やはりグルーブしている。面白いな。しかし2月となるとこんな生活をしているわけにはいかなくなる。さすがに、なにか起さねばと,板のようになった背中をさすりながら,仕事をとり,3月のレコーディングの準備も始めなくてはならない。ということで、最近名実共に,おそまきながら、起き上がった所である。 某月某日 東京フォーラムに於いて,ジョアン・ジルベルトのコンサートを聴きにいった。あの音量で,大勢の客をテンションをキープするということは至難の技である。ボサノバという音楽は実に不思議だ。この太陽系に地球という惑星があって、今まで人類が歴史上どんな蛮行を繰り返してきても,その蛮行を大きく音楽で包み込む奥深さが,ボサノバ,強いていえばジョアン・ジルベルトの音の中に散りばめられていた。そう,極端にいいえば,いずれ太陽の膨張で消え去る運命にあるこの地球で,地球の人類が作り出した,何をも包括する音楽、それがボサノバなのではないだろうか,いわんや,超未来の人類が、太陽に地球が呑み込まれる瞬間にトリステなんか聴いているなんていうのも、不思議にマッチしてしてしまう音楽、これはボサノバ以外無いであろう。卑近のボサノバであっても,例えばイラクでの戦闘シーンに、現場の音をかき消してボサノバを流したら,逆にものすごくインパクトのある映像が撮れるのではないか。満員電車の風景にデサフィナードなど流せば,シニカルをとおりこした,何らかの残酷さとともに,どこか客観的でシラケた効果が出ることは必須である。例えば,爆弾テロがあった場所に映像とともにボサノバを流せば、人類の,意識そのものが,大きく展開するのではないだろうか。人類がちょこまかと己の利益や思惑で行ったり来たりしている。僕を含めて。だが,21世紀の映像にこそ,ボサノバは必要なサウンドであると思う。御大75才、来年は来てくれるのだろうか。 某月某日 昨日,携帯の会社を改め,新しく某社の機種を手に入れた。機種変更に関しては,今まで使っていた携帯電話にいろいろと問題があったから応じたのだが、それを変更するまでの行程は詳しく書かないのがよかろう。一言そえれば,機種変更に於いて、多大なすったもんだがあったとだけ記しておこう。今頭にきていることは,機種変更、その間のすったもんだ,店員の対応等の問題よりも,新しく手にした携帯の機種の内容にある。僕が一番げっそりきたのは,その携帯電話自身の内容の幼稚さである。とにかく、誰かが日本人を愚民化,もしくは文化度ゼロに追いやろうとしているとしか思えないような機能がたくさんついている。色もデザインもひどいという言葉をとおりこしたメールの背景画や、メールの文字に付随するチーハク的絵文字。漫画やゲームなど、携帯一機には多すぎだろうと思われる下衆なサービス。無知なガキから、通信料、通話料をむさぼり取ろうという見え見えな多くの仕掛け。仕事に関連しなければ絶対もたないこのような機械。ガキの仕掛けにはつばくろのように,一方向に目を背けるばかりだが,やはり中には大切な情報を集積したアプリケーションがあり,いやでもガキ専用の項目を無視できない状態となるときがある。。機械に弱い私は,意に反してそのガキ地域をまちがってボタンを押してしまう時があり,非常にイライラする。着信音にしても、こちらの神経をイライラさせる電子音のものが多い。こういう音でないと,渋谷の騒音の中では聞こえないのであろうが,このこと自体,もう悲劇的なことである。あのチャカチャカした音を二重に聞き慣れた耳は,一体その先どういう音を求めるのだろうか。または,こういうことにこだわる僕が,神経質すぎるのか。どこに基準を置いていいか分からなくなってくる。ちなみに僕は,絵文字というものが大嫌いである。メールと言っても,これは手紙の一種なのだから,すべて文章で表せばいいじゃないか。こんなことを言う僕はもうジジイなのか。誰か、頼むから,大人用の携帯を作ってください。 某月某日 一時間前に,EWEの主催するJAZZ TODAYにおいて,BOZOで演奏して帰ってきたのだが,演奏があまりにも刺激的で,脳のシナプスが飛び交っているようで,全然眠くならない。逆に,すぐ寝られるようだったら、演奏は無難にやり過ごしたという、ある意味内容がよくなかったことを示唆しているのかもしれない。ある種の職業病だともいえるが,ドラムの音、ベース,サックスのフレーズを,一音ももらず聞いて反応し,脳内も,普通の状態ではあるまい。面白いことに,わざと周りの音とは関係ないプレイをすることがある。そういう時,ドラムやベースが音楽の流れの一点に置いて,瞬間的にピタリとあう瞬間がある。これはプレイヤーに於ける最大の喜びである。と、脳を酷使して指先じゃんじゃん使った後,温かいミルクを呑んで行儀よく就寝とはとてもじゃないが,無理である。悪いことに家事などなにも手につかない。家の中を行ったり来たりしているのみである。大勢のお客様の前にいた数時間前とは、当然ながら違う人間になっている。雑念だらけの,その雑念さえ答えを導くことなく堂々巡りしているような,そんな状態だ。そしてあるとき瞬間的に眠気が襲う。昨夜は午前4時過ぎで,朝-9時に目覚めてしまったが,脳内はあまり快調とはいえない。まあ,毎度のことだが。 某月某日 いつまでも家にこもってネガティブなことを考えていてもしょうがないので,今日は無理して外出することにした。だいたい,東京自体が騒音の渦なのだが,そんなことをいっていてはいる場所がなくなってしまうので、まず土地勘のある新宿へ行った。やはり騒音の渦だが,高校時代から来ている場所なので,どこがうるさいかだいたい見当がつき,そのスジの通りは歩かないことにして,名目ともにふらついた。途中で,パンツ(ズボンだよ)と靴を買って、気分転換をはかることにする。外見が違えば,脳の状態もそれなりに変化すると思ったからだ。まあ,今日買ったものいだし、これからそれらを着たり掃いたりしないと気分の変化が分からないので、まず買い物をしたという充実感をもつことにした。消費によって快楽を得るのはキャピタリズムの基本だが,難しいことは考えずに,僕もその上に乗っかって、楽しい思いをしようとしたまでだ。だが、やはり、買い物とは際限ないものであり,いい演奏ができた直後の快感には,当たり前だが劣る所がある。まあ、同じ快感を買い物で得ようというのが根本的な間違えだと思うが。とりあえず、家にこもって悶々としているのでないということでよいと思うしかない。家に帰ってジョアン・ジルベルトのCDを聞いている。どんな状況でも,どんな精神状態でも,ボサノバは最高だ。 某月某日 下記に書いたとおり,明け方目が覚めてからいまだ眠れない。体は疲れ,寝たいという欲求があるのも確かだが,いかんせん眠くはならない。ただ頭が重いのみ。こういうときはうつ状態になると相場は決まっている。頭の中で響く声は,俺はすかたん,バカ,アホ、能無し,生きてる資格もない動物。あかんたれ、愚民、と言ったようなことばかりである。自然,なにもする気がなく,頭を抱えて寝ているだけ。その姿勢までも,僕のうつ状態を悪化させる。世の中に必要でない人はいない,という言葉もよく聞くが,その言っている人は,世の中に必要とされている場合が多い。そんな御託真っ正面から受け取るものか。ふん、あほらしい。無能の人の僕は,世の中にコミットせず,死ぬまで生きるしかないんだろうなあと思う。ああ不条理だ。 某月某日 最近明け方に目が覚めてしまうので往生している。早起きは三文の徳らしいが,今の時代三文もらってもエビアンも買えまい。三文探して午前4時にうろついたりすれば,おまわりさんに誰何されるに決まってる。徳をつむと言っても,明け方僕が家の前の道にほうきをかけていたりすれば,ああ、M氏も狂ったなと思われるのが関の山であろう。と言って,これが一番困ることだが,練習したり,家事をやるというモードでもない。ああ,また目が覚めちゃった,という冴えた頭での煩悶がはじまるだけである。こういう時間帯はよけいなことばかり考えてしまうもので,その考えていることはすべてドンズマリだ。再度寝ようと思ってもこれも何故かできない。かといってこのような日記を書いていることが正しいとも思えない。別に正しいことを探しているわけではないけれど。これ以上何か書くことが何の意味も持たぬことに気づきだしたので,今日はここまで。 某月某日 最近,また悪い浪費癖が顔を出し,腕時計を買ってしまった。今まで愛用してきたBAUME&MERCIERに不満があるわけではないのだが,ふと立ち寄った新宿の時計店で目移りがしてしまった。ドイツのTUTIMAというところが作っている腕時計に一発でまいってしまった。この時計は軍用として開発されたもので、近代ではNATO軍も使っていたという優れものだ。しかし,腕につけてみるとやたらと重い。ふと隣のショーケースを見ると,また別のかっこよさの時計があるので腕につけてみたら,ピタリときた。同じくドイツ製のSINNというところが作っているもので,時計というより,見た目がコックピットの計測器に近く,TUTIMAを買うのをやめにして,SINN MODEL103を購入。フランク・ミューラーのような遊びはないが,黒革バンドの端正な文字盤が気に入った。これなら選ぶ服にも困るまい。ベゼルのないタイプなので,一見クロノグラフにも見えない。また僕の浮気性が出てしまった。時間とは妙なものであって,哲学者から天文学者まで,その概念をああでもないこうでもないいと議論して、この21世紀があるわけだが,大げさにいえば,腕時計とは,一瞬一瞬オダブツになる僕の肉体を、逆に計測している機械である。そして機械といっても自動巻なので,限りなくマニュアルに近い。オダブツになるその時までの計測は,気に入った腕時計とともに、ありたいものだ。クオーツなどで数字で示されると,何か味気ない。自動巻であるから,もちろん定期的に正しい時間に合わせる必要があるが,正確な時刻から少しずれてたってしょうがないじゃないか。人間は千分の一秒単位では生きてはいまい。同時に,ちょっとした散財も、少し心の刺激となりうる。悪い浪費癖が再び鎌首をあげてこない前に、また現実にもどってコツコツと自分の音楽を作るのみである。また、上記の二種類の時計に詳しい方で、情報をもっている方は,ご一報されたし。僕はただ感覚と気分によって時計を寄り好んでいるのみ。なぜかROLEXなどにはいささかの興味もなし。 某月某日 今晩はほろ酔い気分で,なぜか日記を書くことにする。ずっと雨模様だったお天気がだんだんと太陽が顔を出すようになり,ひじょうに喜ばしい。僕は,日本的いじめと湿気の関係を、どなたか教育者がデータを取るべきであると思う。古来から、台風,低気圧に見舞われてきたこのエビ反りの島国には,独特な習慣ができてしかるべきであろう。それが我々の祖先の作り出した絵や建築,気質までもを決定してきたのではないか。しかし,「陰湿」と言う単語を,英語になおせと言われても,僕の中には「GLOOMY」という単語しか浮かんでこない。「GLOOMY」という単語で,我々の国の陰湿さを表現するのは,不可能なのではないか。僕は透明感あふれる音楽がやりたいのだ。日本の陰湿さを吹き飛ばすような,きれいな音,それもある意味で最も日本的な。やはり,生まれる場所と国を間違えたかな。 某月某日 9月16日発売のCD,「ELEGY」EWCD0107,定価2500円でいまプロモーション中です。ご購入された方の感想など聞きたいものです。ライナーノートに書きそびれましたが,これは今まである日本のジャズへのアンティテーゼでもあります。アジア人は,日本を含めお祭り騒ぎが好きなようです。そして,そのことを満足させる為の音楽が,あまりにも多すぎます。僕はこの作品で,盛り上がらないことをまず念頭において制作しました。盛り上がるという言葉の正反対の抑うつ状態である自分の本性を音に託したつもりです。アジア人は、日本人を含め,お祭りが好きです。居酒屋などで一緒に呑んでいる相手の言葉が聞き取れないぐらいの周りの騒音に対して,僕はいつもめげていました。これでCDのライナーで書けなかったことを披露しましたが,これは僕にとって,本心です。 某月某日 毎日びしょびしょした雨模様で,やっと夏の湿気が抜けたかと思ったら,また寒いのか暑いのか分からない季節が来て,往生している。こういう季節には,なぜヨーロッパ人に生まれなかったのだと,心の中でじたんだを踏む。こういう、低気圧だか高気圧だか,秋雨前線がだあたらこうたらの天気予報も,僕の心を暗くし,抑うつ状態に陥るようになる。。作曲も練習もあったものではない。ただひたすら乾燥した空気を望むのみだ。こういうときには,意外と食事が大切なことは本能的に知っているので,今晩は、インチキンスープを作ることにする。少しレシピを紹介すると,まず、鳥の手羽,胸肉、カネのゆるす限り大量に買う。あとは、セロリ,タマネギ、人参、ジャガイモ、ブーケガルニ,ニンニク。まず鳥の肉をパックからだして、鳥の手羽を,包丁とトンカチでばんばんくだき、何等分かにする。胸肉はお好きな大きさに適当に分ける。後,鶏肉どもを器に入れて,一回洗浄。これで無駄なアクや,血の気をとる。水をきったら、コショウと塩で下ごしらえ。その間に,タマネギ一個とセロリ一本ををみじん切り。鍋にバターを投入。焦げないうちにニンニク一個をスライスしたものをいためる。きつね色になる前に,肉を投入。皮の部分を少し焦がすように強火で焼く。後,タマネギとパセリを投入し炒める。タマネギが透明になってきたら、水を注ぐ。これは、作りたい分の水をそそぐが良い。ただ、水道水ではなく,ミネラルウオーターを使う。この部分に少し贅沢しないと,味がテキメンに変わることは,筆者経験ずみ。水をひたすぐらいい入れ,決して茹でることなく,コトコトと弱火にて二時間煮る。間合いを見てアクをとる。その後,人参とジャガイモを一口大に切って,サラダ油で炒める。ここに塩と砂糖。いい香りがたったら、それらをスープの鍋に投入。後,マギーブイヨン一個と、鶏ガラスープを大きめなスプーン二杯。ここがインチキンスープの真骨頂である。本当は,鶏ガラから作るのが道理だけれども、それをやっていると半日かかる。最後に塩コショウを入れ味付け。手羽先がグダグダとなり,二時間煮込めば骨も柔らかい。あえて他になにも用意せず,スープのみをひたすら喰う。その内に,この湿気た世界をはね返すような,じっとりとした汗をかいてくる。僕などは,バスタオルで全身を拭きながら喰う。この季節がしのぎにくい方々、お試しあれ。 某月某日… 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