とある理由で、などという他人行儀な書き方はやめて、つまり音楽高校時代から、ジャズを聴き始め、天啓を受けてしまった私は、クラシックピアノに対する興味が全く失せると共に、ジャズにも譜面があるものだとばかり思いこんでいました。楽器屋に行って譜面を探しましたが、当時コピーの本など売っていない。後日、作曲科の友人から、「ミナミ君、あれは即興演奏なんだよ」という言葉を聞いて、更に譜面無しで自由に演奏できるなんて夢のようだと脳みそが反転し、私のやりたいことはこれなんだ。これこそが自分の目指しているものだと、勝手に決め込んでしまったのでした。しかし、ジャズの理論書は、当時の私にとってなんの役にも立たず、バド・パウエルやモンク、キース・ジャレットのようなサウンドを再現するには、まったく役に立たないものであり、クラシックピアノの練習ははかどらず、私は悶々とした日々を送っていました。
そんな時分、高校のあった明大前からシモキタに出て、制服をコインロッカーにあずけ、私服のように見える格好で、当時シモキタに沢山あったジャズ喫茶に入り浸り、様々なピアニストを聴き進める内に、私のジャズへの想いは爆発寸前にまで高まり、自然とレコード鑑賞だけでは飽き足らなくなってきて、高校卒業後、一時プー太郎だった私は、都内のライブハウスに年齢を偽って入り浸るようになっていったのでした。
様々なピアニストを聴いた覚えがありますが、私のハートを射止めたのは、ここで仮にSさんとしておきましょう。Sさんの演奏の音色の素晴らしさ、インスピレーションの塊のような演奏に、私は一発で虜になってしまい、今はなき銀座の「ローク」(だったかな)というクラブでのSさんの演奏後、勇気を出して直接楽屋まで会いに行き、弟子入りを申し出たのでした。何でもやりますから、ピアノを教えて下さい!
「そうねえ、ユーはさ、とにかくボーヤからはじめるんだったら、
使ってやってもいいよ」
ボーヤとはローディー、つまり、付き人兼、楽器運び兼、つまり師匠の身のまわりの世話をする者の業界用語で、私はS師匠のマネージャーにも懇願し、晴れてS師匠のボーヤとして雇われる?事になったのです。
この師匠、ピアノを弾かせれば天下一品なのですが、色々と面倒を見る側には思いも寄らないことが続発するという、正にジャズの一番いい時代を通り越してきたミュージシャンだけが持つ、粋さと破天荒、私生活では優しさと予測不可能な言動と行動に満ちあふれた方で、19歳くらいだった私には、師匠も別の意味で私にとって、存在自体が天啓でした。そして師匠の存在自体が、尊敬という言葉を凌駕する何かであったことも確かです。
師匠のボーヤは、一年弱続けました。その間に起こった出来事を全て書き記すのは不可能ですが、まず、細かいところから説明しますと、楽屋で師匠が指でVサインをするときは、そこにタバコを挟む。典型的な風来坊でもあったので、演奏時間前には、どこかに行かないよう、なにげに行動を監視する。ドラマーのボーヤが手をこまねいていれば、楽器の搬入を手伝う。肉体労働、気使い共に要求される身の上でしたが、私は師匠のそばに居られるだけでも嬉しくて、かといって、二十歳前の身に於いて、右も左も分からぬ大人の世界の、しかも特殊な部類に入る斯界に於いて、私は右往左往していました。まあ当たり前です。音高生あがりがいきなり六本木や銀座のジャズクラブの裏口から楽屋に入り、師匠に張り付いて、業界のあれこれを目の当たりにするのですから。
秋田のディナーショーに同行したときのことです。師匠はことのほかピアノのタッチ、調律などコンディションを気にされるタイプで、幸いその秋田の会場のピアノは気に入ったらしく、演奏前から終始ゴキゲンでした。
「いやーミナミちゃん、アーユーハッピー?今日のピアノさあ、ゴキゲンだね。ユーもちょっと触って見たら。こう来なくっちゃ行けないんだよなあ」Cm7の構成音もろくに知らなかった私にとって、師匠の弾くピアノを演奏前に触るなどということができようはずがありません。なんだかんだ師匠の身の回りの世話をしていると、あっという間に開演時間となり、師匠をステージに送り出す。
舞台袖という所はある意味特等席で、楽屋の入り口からピアニストを真後ろから観察することができます。これは客席では味わえない至福の立ち位置で、絶頂期にあった師匠の演奏はそれはそれは見事なものでした。
その晩の演奏もハプニングに満ちた素晴らしい演奏で、客席は拍手喝采で盛り上がり、ディナーショーは大成功。演奏が終わりに近づくにつれ、更に演奏は盛り上がり、私は膝をがくがくさせながら舞台袖から、その妙技をこの目と耳でしかと体感するという、誰にも許されない贅沢な時間を師匠と共有したのです。
演奏が終わり、楽屋に戻ってきた師匠は上機嫌でした。
「いや〜ノッチャッテさあ、ミナミちゃんタバコある、うん、こう来なくっちゃいけないんだよなあ。ピアニストっていうのは、楽器に左右されるから、今晩は最高だなあ」そっと汗を拭くためのタオルを手渡すと、師匠は独特の茶目っ気たっぷりな笑顔で一言「センキュウ」といって受け取り、ソファーに深々と体を沈めて、ご満悦な様子。ああ、今日は万事上手く行きそうだと、ボーヤである私でさえも胸を撫で下ろしていると、アンコールの拍手が止まらない。すかさず師匠のマネージャーが「Sさん、ここは一つ、もう一曲お願いしますよ。盛り上がっていることだし」
「ええ〜、ここまで演奏して、まだやれっていうの?ったくもう、誰もオレの音楽を分かっていないんだから、やんなっちゃうよ。ここでアンコールはないでしょ。イキフン(雰囲気)がメチャメチャになっちゃうでしょ」
「そこを一つどうかよろしくお願いします。マネージャーとしてのお願いです。もう一曲だけやってもらえませんか」
「しょうがないなあ、まあいいけどさ、誰もオレの音楽を分かってないんだよなあ。まいっちゃうんだよなあ」
そばに付いている私はといえば、絶好調に機嫌のよかった師匠の態度の変化に冷や冷やしながらも様子を伺うしかありませんでした。
師匠はゆっくりと立ち上がり、何となくだらだらとした雰囲気でステージに戻っていきました。そしてピアノの前に座り、アゴの辺りを少し撫でてから、きらびやかなフレーズをサッと弾いて、またアゴを撫でる、ということの繰り返しを二三度したあと、演奏をはじめました。曲は「TAKE THE A TRAIN」。後にも先にも、そして今でも、あんなにステキな「A TRAIN」を私は聴いたことがない。
演奏も段々とノってきて、自然とリズムがバイテン(倍速くなること)となり、なんとその時はバイテンのバイテンまで師匠は弾ききり、開場は拍手喝采を通り越した狂乱の嵐のような状態となったのでした。アンコールが終わり、師匠が楽屋に戻ってきます。「イヤー、ノッチャッテさあ、まいっちゃったよ、速くなっチャってさあ、ああミナミちゃんタバコ、うん、ああ飲み物もなんか持ってきてくれる〜、あ、センキュー、ユーもハッピー?」
「もちろんでございます」
「よかったよかった。ジャズはみんながハッピーにならなきゃねえ、あ、今晩どこかで打ち上げ?あははは、また弾いちゃおうかしらオレ」
このような日々を師匠と共に過ごすことができたことは最高の最高の部類の出来事でありますが、一向にピアノを教えてくれる気配はない。否、そのことを頼み込む雰囲気でもない。こんなすごい人に「教わる」ということを申し出てよいかも当時プー太郎だった自分には分からない。そんな想いも私の中に交錯していたのも確かです。しかし、手をこまねいているのも何やら悔しく、間接的に師匠のマネージャーに何度もレッスンを懇願することにしてみました。答えは、「またこんどな」の繰り返し。
しかし、私の熱意が伝わったのか、師匠の気分がそういう状態だったのか分かりませんが、或る日、マネージャーから電話があり、六本木の某喫茶店に、5時頃行けばSさんはいるから、いってみればという内容の電話がかかってきました。私がそこへすっ飛んでいったのは言うまでもありません。
はたして、喫茶店のドアを開けてみると、師匠はコーヒーを飲みながら、腕を頭の後ろに組み、おしゃれな靴がピカピカと光っていて、私の顔を見るやいなや、いつもの独特のあの笑顔で私を迎えいれてくれたのでした。
「あのねえ、簡単に教えるからよく聞いててねえ。紙と鉛筆持ってる」
「五線紙を持ってきました」
師匠はそこに大きな丸を三つ書き込みました。その三つの丸は真ん中が重なり合ったもので、てっきりハーモニーのことなどが教えてもらえると思っていた私は、一瞬度肝を抜かれました。
「あのねえ、ここに三つの丸があるでしょう。一つがハーモニー、一つがリズム、一つがメロディ、そしてこの三つの丸が重なってるところ、ここが音楽なんだよねえ。そしてこの三つの丸が有機体のように膨らんだり縮んだり、ユーわかってる?たとえばさあ、メロディーの丸が大きくなったり、リズムの丸が重なっているところの大部分を占めたりと、これがねえ、大切なわけ。ユーわかってる?」
正直言って、その当時初心者以下であった私には、何がなんだかさっぱり分からない、というのが正確な答えでしたが、どう答えてよいか分からなかったので「わかりました」と答えました。
「ああ、それはよかった、ここさえ押さえておけば音楽はできるんだよ。ユーはさあ、気が利くしおとなしいし、いいボーヤよ。いつもハッピーでいてね。わかった?」
あれから幾歳月、キャバレーや銀座のナイトクラブで揉まれながら学んだこと、バークリーで学んだ体系だった音楽理論、様々な知識が私の中に蓄積されていきましたが、今この歳になって、やっと師匠の教えてくれたあの三つの丸印が一番大切であったと気付いた次第です。
リズム、メロディー、ハーモニーが重なり合い、有機体のようにそのの丸の重なったところが広がったり縮んだり、要するにこの丸三つをコントロールできさえすれば、後は不要といっても過言ではない気がします。
「ユーはさあ、ジャズ屋になりたいんでしょう、じゃあもっとハッピーにならなきゃ。そのことが一番大切よ」
師匠の言葉を噛みしめながら、毎日私なりにハッピーに四苦八苦しております。