夢の楽器

私の防音室に有るピアノはYAMAHAだが、久しくSTEINWAY&SONSには触れておらず、時々無性にSTEINWAYが触りたくなる時がある。私はニホン全国、ヨーロッパ、アメリカのボストンとNYで数々のピアノ、アップライトも含めて弾いてきた。どれほどの種類のピアノを弾いてきたことかと思うと、呆然とするしかないが、今まで一番印象に残っている、つまり、音色、鍵盤へのタッチ、見た目の風格、和音の鳴り具合、スケールを弾いた時の白鍵と黒鍵の指への絡まり具合、その他全ての条件を満たし、私を陶然とさせたピアノが一台だけある。そのピアノは今迄弾いてきたピアノのある位置から一番遠い所にある楽器だ。1992年だったと思う。アイスランドの首都で行われたレイキャヴィック・ジャズフェスティバルに参加した際、ジャズクラブというよりも、小さなサロン風の場所で、私のピアノトリオのコンサートが行われた。
そこに置いてあったSTEINWAY&SONが、私が弾く前から、つまり眼前に現れた途端、この楽器はただものでは無い、という風格と威厳を漂わせており、思った通り鍵盤に触れると、まるで指がその象牙の感触に吸い込まれる様であり、少し音を出してみただけで、その音質は上品という形容を通り越した典雅な響きを有し、私はリハーサルの段階からそのピアノに夢中になってしまった。
そのサロンの様な場所の女性主人にピアノのことを詳しく訊いてみると、実は私より年上なのよという返事が返ってきた。私の知る限り、ピアノの寿命は90年ほどで、弾き手や扱い方にもよるが、アタリの楽器であれば、製造から30年ほどで良い音が鳴り出し、50年から60年経ったあたりが円熟のピークであり、またこれも楽器によるが、名機になればその後90年ほど経った後、先ほど述べたように、演奏する者を天上人に押し上げる魔力を持つ楽器となる。
そのレイキャヴィックに鎮座していたフルコンサートピアノは、まさにその円熟味を超えてもまだその楽器が持つ魔力を充分保持する何かしらを内に秘めた、名器中の名器であった。
今でもごくたまに、あの楽器を演奏している夢を見る。つまりあのピアノから出た音質が、まだ私の体内で鳴っている証左だ。あの音質を忘れてくはないし、忘れてはならない。

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