ミュージシャンに日曜日とはこれ如何に

昨晩は不眠症を再度発症し、午前4時になっても眠れないので、そのまま起きていることにした。5時前後にコーヒー三杯とコンヴィニエンスで買い求めた、何やら怪しいエナジードリンクを一気飲みして、そうだ、私は昨晩熟睡したのだと自分に暗示をかけ、ピアノの前に座る。指の練習その他決まったメニューの他に、最近導入した新しい練習方法も試す。

気がつけば既に正午に近く、一日のエネルギー分配を誤った感じとなる。しかし午後の時間も無駄にはできない。

こういう徹夜明けの何やら脳が別の東西南北をぐるぐる行き来しているような時に限って曲想が浮かび、素早く五線紙に書き留める。これで午後の時間も有意義に過ごせそうだ。私は究極の機械オンチであり、フィナーレやらで楽譜制作をラップトップで書き留める事が出来ない。ずっと消しゴムと鉛筆で譜面を書いている。

あのような楽譜制作機械は便利なのだろうが、ある種の恐れが私にはある。今この様にローマ字にて文字を書き始めて既に10年以上経ってしまった。おかげさまを持ちまして漢字を猛烈な勢いで忘れる。それと同じ事が楽譜を書くにあたり起こることをなるべく避けたい。私の譜面は妙な言い方かも知れないが癖字ではない。自己のグループでオリジナルを演奏するにあたり、手書きで十分他の奏者に読んでもらう事ができる。

更に、以前本を執筆中、四十ページ分くらいの文章が突然ラップトップの画面から消えてしまい、危なく締切に間に合わない事態となる事があった。私の機械操作の不始末なのだろうが、やはり楽譜は綺麗に手書きで書きたい。

余計な事を書く様だが、DTMも和製英語である。あれは正しくはコンピューターミュージックと言う。

さて、曲も書けたし、これを一晩寝かす事にする。間を開けて新しい観点でもう一度作曲したものを精査するのは大変重要な行いで、五線紙にそれが残っていれば、余計な心配は無用だ。私の曲は01の羅列で出来ている訳では無いし、現代社会の問題の大方が、人間がコンピューター化した事に起因している。人間の脳がコンピューターに近付けば近付くほど、自然界に起こる事象、好例は死というどうしようもない現実をさえ受け入れられなくなってくるだろう。

と言うわけで、私は用がない限り、ラップトップの電源は切っている。電源さえ抜けば距離を置ける代物なので、人間関係に比べれば楽なものだ。

さて、明日私のオリジナルは、私の目にどう写るのであろうか。イメージ通りかな。

 

 

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