My Favorite Pianist

My favorite pianist と言えば、菅野邦彦大師匠、そしてスタイルは全く違うけれど菊地雅章氏だ。ニホンというこの場に奇跡的に生まれたこのお二人のテンサイは、他の追随を許さないだろう。音楽の三要素は、リズム、ハーモニー、メロディだが、それに加えて大切なのは、雰囲気、音色、アプローチだろう。海外のピアニストにも好きなプレイやーはいるが、同じ国で、そう遠く無い環境に生まれ育ち、人種も同一という事を考え合わせれば、テンサイというどうしようもない格差を除けば、親近感というものが持てると同時に、このニホンという環境に於いても、このお二人は、私にとって、やればできると思わせてくれる現実味が伴う。

だが別格の一人が存在する。この方はFaviriteという言葉では表せない領域の御仁で、雰囲気、音色、アプローチという意味で、新しい古い関係無く、いつもそのピアノの音に圧倒されるのが、Lenny Tristanoだ。別格の風格と、白人黒人のくだらない分け隔てを超えて、ダントツに音色が良い。ピアノの音が鋼鉄のようだ。と書けば硬い音を連想されるかも知れないが、つまり鍵盤の芯を突いた音とでも書けばお分かり頂けるだろうか。つまり私にとってトリスターのはfavoriteではもはや無くSpecialなのである。

音楽はその人を表現すると言うが、生まれた時から全盲だったトリスターの精神世界は、一体どうなっていたのだろうか。現に、トリスターノは鍵盤さえ見た事が無い筈で、女の人も、ドラムもベースも視覚的に捉えたことも無い筈だ。いわんや光というものも何か知らなかったのだから、どのような喜怒哀楽、集中力を有していたのだろうか。だが余計なものを見なかったからこそ、彼の音楽にはウソが無い。無碧を通り越したところから音楽をすんなりと引っ張り出していると印象と書けば良いだろうか。一音一音にウソが無いってすごい事だ。

読書も限られていただろうから、彼の知性、知識、何事かを認知する力は私の想像を遥かに超える。そして重複するがピアノの音が素晴らしく美的であり、彼独特の揺らぎから来るスイング感は、時代を超え私にいつも何かを突き付ける。エンディングは短ければ短いほど良い事を指し示してくれたのもトリスターノだ。

特にMid Slow Swing時における左手のベースラインはベーシストのそれではない。対位法的ではあるが対位法そのものでも無い。つまり両手のメロディーが同時にメロディアスであり、更にその2本のラインが絶妙に絡み合う。

ブロックコードのハーモニーも50’年代という演奏された時代を考えれば、相当にイカした代物で、総じて言えば、ピアノの上手い演奏者全てに言える事だが、バランスが良い。つまり二本の利き手を持っていると思わざるを得ないプレイだ。そしてそのプレイに漂うのは、哀愁とか、黒っぽいとか、悲劇的、離れ業などという言葉では表せない、さながら無意識の奥底から噴出するトリスターノの相反する情念、つまり冷徹なる狂気が聴くものをいつも呑み込む。

さて、書いていたらトリスターノが聴きなくなってきた。彼はいつ聴いても新しい。

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