夏の夜

夏の夜は何故か短く感じられる。シェークスピアを例に出すまでも無く、またアラビアンナイトもそうだろう。ロシアで産まれるのはドストエフスキーだ。私の知る限り、ドストエフスキーの物語に、花鳥風月としての夏の夜を読んだ記憶が無い。

だがここが曲者で、長く感じるだけであって、時の流れは冬と同じだ。気がついたらもう8時を過ぎている。陽が陰るのが遅いのも理由だろうが、何十回目かの夏の夜も、早々と暮れた。

あまり触れたく無い事だが、私は今回のオリンピックに大反対であり、次いぞテレビもニュースも何もかも観ない内に閉会式を終えた。世界中から来たかけっこ好きの有象無象も、世界にバイ菌を撒き散らしに帰った。私が育った東京もメチャクチャにされた。さあこれからが本番であろう。なにしろ五輪後の後始末はどうせ庶民の税金から搾り取るのであろうから。

できればアスリートとやらが責任を持って経済的後始末もつけてくれはしないだろうか。体力だけはあるのだから。私個人の私感を述べれば、反対し尽くした五輪が開かれ、目も当てられない惨状ばかりが政治経済に表出し、やれメダルがどうのと鬱陶しいニュースの裏でコロナ患者ばかりが増え続け、醜い様が更に醜く、汚い様が更に汚くなっただけで、下手をすれば今期のメダリストから政界入りをするおたんちんが出るやも知れず、いやはや目も当てられない。祝賀資本主義の典型だ。

そんな中、演奏活動を継続できたのも、言ってみれば奇貨であった。これからも演奏を続けられる事を望むばかりだ。これからの世の動きは魂の無い広告代理店がどこに群がるかを見るに限る。次は環境問題だろう。惨事便乗ビジネスの本流を突いて生き残りを図るのは目に見えている。これは経済的暴力である。だから皆早くそれに気付き、全員が働かなくなれば良い。このような世の動きに付き合っていかなければよろしい。そしてイイ加減でも何でも良いから自らをゲージュツカと称し、何でも良いから訳の分からないものを創り続ければ良い。音楽が好きな者は迷わず音楽だけをやれば良い。要するに棺桶に足を突っ込む時点で大した変わりは無かろうからだ。

最後に幸せに成った者が笑うのでは無い。あかんベエをできた者が楽しく世に反抗できた証だ。さて、選ぶのは貴方です。

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