心機一転、新しいサイトを製作しました。元々ブログの語源は[Web Log」であり、航海に必要な日誌から今の呼び方になったようです。私は今まで日記という概念で文章を書いていましたが、巷にあふれるブログと称するものをいくつか読んでみると、日記というよりそれはやはり[ブログ]であり、どこか日記と様相を異にする。ライブの宣伝に使われているものが多いというのが主な理由でしょうが、少し考えれば当たり前です。本心を綴った日記を公開する御仁などいるわけがない。
過去の私の日記も、紀行文的なもの、日々の雑感などが多いのですが、日記のひとつの機能である、今日はあの人に嫌な思いをさせられた。許せない、などという事は公にするものではありません。しかしブログというものはそこの辺りが日記と違っているような気がします。さて、いずれにせよサイトを一新の後、私は日記寄り、ブログ寄り、どちらの文章、文体で文字を綴れば良いのでしょうか。いずれにせよ演奏活動の宣伝だけでは味気ない。日々の雑感や書く人の物事に関する感受性が文章に著されていないと無味乾燥な気がしてしょうがない。しかし、活動の宣伝、日々の雑感を巧みに織り交ぜるなどの条件を満たすには、これはトルストイでも四苦八苦するのが必至でしょう。相当な文才と機転を持ち合わせていないとチラシと大して変わらなくなってしまうことまちがいなしです。日々の出来事を謙虚に、そして効果的に書き表し、その合間を縫って宣伝を印象づけるようにに書くことは、よほどの技術を要する新しい形の文体が必要となってくる筈です。しかも、SNSの世界は、全世界の日本語を解する人々も読むことができるわけであり、重複しますが、日々の雑感、考えを書き表し、それを謙虚に文章化し、しかも効果的に集客に結びつけるなんざ、ある意味不可能なのではないでしょうか。
文豪は人間の理不尽を登場人物のやりとりから、その枯れ果てた人間関係を浮き彫りにすれば良いわけですが、そこには何月何日聴きに来て下さいという文章を挟み込む余地はない。かといって、南博、ピアニストです。これこれこの日時に演奏します。聴きに来てね、という一文をそこに挟み込む余地もないし、あまりにも味気ない。いっそのこと、ピアノの鍵盤をサイトに掲載し、こんな細いデコボコした水平な木製の棒の上で、両手の五指があらゆる可能性を駆使して、新しいサウンドを生み出しているので、ご興味のある方は、聴きにいらして下さい、この一文で全てを包括し、後はほっておくという手も無きにしも非ずです。しかしそれでは、「ブログ」という可能性を狭めてしまうと同意に、日記の面白みも半減してしまいます。両者の良い面を捉え、それをどう表現するのか、何が面白いのかを聴いて頂く側に伝えなければなりません。しかしこの両者をうろうろしていたら、情報は届きにくくなるはずです。いずれにせよ、効果的に宣伝をしなければならない。そこに日記としての香りを残しつつ、ブログという機能を織り交ぜて行くには相当の筆力が必要です。畢竟、日々の雑感とエッセイと宣伝を、織り交ぜて文章にするなど、以上をもってして私には非常に難儀ではあるのですが、不可能に近いながら、世の中をある程度横目に見ながらこれからも文章を書いて行くことにします。上記の三つの要素が素晴らしくバランスの取れたブログ、私は依然として日記と称したいのですが、まあ、そのことを目指して続けるしか無いのでしょう。しかし、本当に謙虚な人が、人前である意味パンツを脱いで踊っているに等しいような楽器演奏、その他表現に関わる某かを人前で文章化するでしょうか。これもまたブログのような日記を綴る課題の一つです。まったく本文からかけ離れますが、バスの運転手さん等、定時に職業を全うしている方々は本当に偉いなあと思う今日この頃です。かしこ