意地悪

還暦過ぎまで生きるとは思わなんだ。これが正直な気持ちです。40代の頃は、50歳あたりで死んでやろうとデタラメな生活をしていました。それがなんと、還暦を過ぎ、のうのうと酸素を呼吸している。おかしなものです。こういう事を言ったり書いたりすると、すぐ怒る世間というパズルのピースにばっちり鋳型がハマった人に怒られると相場は決まっている。ヒトの命を何だと思ってんの?ヒトの命ほど尊いものはないのよ。じゃあさ、世の中見渡してみなよと言いたい。ヒト、人間をどれだけ大切にする仕組みがある社会なのかと問いたい。自殺率は、特にニホンの場合若者の自殺率が世界ダントツで、カロウシという言葉も英語に成った。そんな社会が本当に人命を第一義として大切にしているとは到底思えない。国教さえ無い。笑かすなと言いたい。

そして私を含めですが、ニホン人は根本的に意地悪なんですよ。還暦過ぎて気付きました。親戚友人知り合いには自分の社会的立場の上という条件の元で大方のヒトがいい人を演じますが、アカの他人、知らないヒト、関係無いヒトにはものすごく冷たいのがこの島国の特徴です。あ、自分を含めてと書き添えておきましょうか。また外国かぶれが、とお叱りを受けるかもしれないけれど、キリスト教国では、つまりヨーロッパ、アメリカなど、知らないヒトにも気軽に声をかけ、困っているヒトを見れば無条件で何かしらの手を差し伸べる。この事は、ニホンに養子縁組制度、本当の意味のチャリティー、寄付というものが根付かない証拠だと思います。そしてニホンの年寄りは意地が悪い。これはどうしてか。年相応に大切にされない以前に、生産性のみでヒトの存在を計る社会に於いて、老人など邪魔な存在でしかない。邪魔者扱いされれば歳をとってもどこかひねくれる。人間第一主義では無く生産性第一主義だから老人はホッとかれる。いやいやイギリスに孤独省が誕生したでしょうという反論もありましょうが、ではニホンに孤独省が生まれる兆しはあるでしょうか。マイナス100%無いでしょうね。まあ、かと言って私は耶蘇教も大嫌いなんですが。

言い方を変えましょう。意地悪では無く、我々は底意地が悪いんですよ。他人の成功を心から喜んだ事って何回あるかと聞かれたらドギマギしますね。そんな感じです。底意地の悪さが最大限増長すると人種差別となり、戦争の火種になります。ニホン的イジメもこの底意地の悪さに起因している事がほとんどでしょう。みんなでニコニコ意地悪をする。怖い国なんですよ本当は。

何でそう成ったのか。私が思うにニホンという国は壮大なる近親相姦で組織された社会だなあと、これが私の答えです。先祖を辿れば皆親戚って気持ち悪い国ですね。その気持ちの悪さを無意識に払拭しようとしているのが我々ニホン人という、世界にも稀有な言語を持った島国なのでしょう。嗚呼、自分自身が気持ち悪い。そんなところで音楽やってたって大して新しいものなんか出てきやしない。みんな遠い親戚縁者で実際はアカの他人同士がキョロキョロ周りを見回しながら生きてるってスゴイよね。だから革命もデモンストレーションも、無駄な平和もどきが続けば続くほど起こらなくなって行く。遠い親戚縁者でアカの他人ほど付き合い難い存在は無いでしょう。だからいっそ顔立ちは似てるけれどほんまモンの赤の他人であるアジアの他国を悪様に言う、差別するのも、そういうことをしても安心していられるからでは無いでしょうか。本当は古代から結びついている朝鮮、中国をどうも好きになれないのは、底意地の悪さの裏返しで、遠い親戚の悪口を言ったり聞いたりしてほくそ笑んでるようなものです。底意地が悪いですね。私を含めて。

Kindnessと親切は全く別の概念ですよ。直訳するのはどうかと思う。親切って親を切ると書くんですね。怖いです。Kindnessには様々な意味合いと概念が包括されています。敵対が多い社会の中だからこそのKindnessなんです。親切はなんとなく、なのです。なんとなくこうしとけば親切になるか、と言うのが親切で、私財を投じて孤児院を建てるとか、ニホンの資産家、主だった大企業はしませんね。親切は遠い親戚縁者ではなく、半径20メートルくらいの内に居る友人知人にすればそれで終いです。国を挙げてとか、我が企業の理念を持って親切にするなんてみた事ない。社長室の額縁に書いてあるだけ。こう考えて行くと hypocrisyの有様まで目が行く。偽善などと言う言葉、江戸時代前に有ったのでしょうか。卑怯者めが、と言う言葉はサムライ界隈に有ったでしょうが、偽善者めが、なんて明治以前のヒトが使っていたかは疑わしい。底意地の悪さはこの偽善と表裏一体の関係です。心底の親切では無い親切だと言うことを看破られないようにする、これって思いっきり偽善ですよね。でもこれがニホン人の心性に根を下ろしている。良い例が空気を読んだり、以心伝心と称される現象で、このニホン人テレパシーの裏側には、こっちも底意地が悪いけどあんたも同じでしょ、それを私にぶつけないでと言う暗黙の了解がある。その上で無いとESPには成れないし、その能力を失ったらどうしようという恐れが隠れている。ホンネトタテマエ、ワカリマセンネエ、なんて言う、いわゆる外人(この言葉もすごいですね。外の人、つまり偽善的底意地の悪さという暗黙知を共有していない者を指す良い例です)が、言霊だとか、ニホン語を学んでニホンという国がやっと分かったと言い出すのも、そこら辺の、ニホン人はおとなしく勤勉で、教育が高いという何の根拠もないステレオタイプの裏に気付いた時に漏らす息切れみたいなものでしょう。

しかしながら、私が子供の頃はまだ居ましたよ。竹を割ったような性格のお爺さんとか。だいたいが江戸っ子でしたが。オレは朝飯はダイコおろしとおまんましか食わねえんだあ、みたいなヒト。おじいさんだったけど子供ながらに付き合いやすいと思った。つまり言葉を変え逆を考えれば、一億総カッペ化したという事でしょう。おお怖い。オレもこれからどんどんジジイいに成るだけだから、気をつけようっと。

 

 

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