海で

波打ち際に来ないと、最近頓に安らげないことに気づきました。海を見て、波音を聴いていると、真の意味で頭の思考が止まってくれる。こんな簡単なことに、どうして今まで気づかなかったのでしょうか。思考を止めるとは、禅のマスターが悟ることで、一般人にはできないと思い込んでいました。考えることは大切ですが、いつもその結果、私の納得する哲理が表出するわけではありません。そこに生まれる不条理が私のみならず、人間を悩ます根源でしょう。それにともなって、心理学の本も沢山読みました。フロイトは古く、ラカンが新しくてどうしたこうした、云々の論争に文章の中だけで巻き込まれ、ヴィクトール・フルランクルだけが唯一、少し共感できる部分がありましたが、収容所体験なくしては、本を読んだからといって、少なくとも私には実践できるものではないです。
散歩と読書が唯一の趣味でした。古本屋で三百円ほどの古典を買えば、いろいろなことを知ることができます。つまり人間はいかに科学が発達しようが、昔の人と同じような悩みを持ち、同じようなことで友と喜びあい、同じようなことでずる賢く、人をだまして、別の事例でしっぺ返しを食らう。鴨長明、シェークスピア、挙げればきりがありません。昔も今もそれは変わらず、我々人間がやってきたことは畢竟同じであることが、古典を読むと分かるのです。それは確かに事実であり、そう思い込むにふさわしく、人間は哀れな側面を持っています。古典文学と現代の共通点があまりにも似通っているので、人間はそういうものだという時点で、私の思考はそこで停止していました。ですが、その私の心境に変化がおこりました。
タフビーツというレーヴェルのイヴェントにて、最も敬愛するジャズヴォーカリスト、与世山澄子さんの伴奏をさせて頂いた後のことです。演奏場所は横須賀先の穏やかな海岸にある海の家でのことでした。勿論のこと、与世山さんの歌は、いつもの通り、なにかしらの天啓を伝えんが為、ジャズなどという言葉の持つ虚しさを蹴っ飛ばすがごとくの、ものすごいサウンドを紡ぎだすものでしたが、オオトリでそのイヴェントを締め括ったのは、沖縄民謡の大家、大工哲弘氏でした。都内のライブハウスでは一度拝聴したことがあったのですが、波音と共に聴く大工氏の蛇皮線の倍音と、その上を揺蕩う歌そのものが、波音と同期して、私は思わず砂浜にひっくり返ってしまいました。数々の古典文学が表現したことも事実です。しかし、この大地と空の間になぜか生きている人間という生物の、「生」そのものの喜びを讃歌することが音楽なのだと、氏の歌声によって悟った瞬間でもありました。希望、夢、など頭で考えた概念では、人間はどうにも方向を失うのだということが、大工氏の音楽から伝わってきました。我々は素朴に生きようとすれば、過不足無く生きていける。感謝に値する恵みがこの空と地面の間に沢山の自然が用意してくれている。陽が登り沈むというサイクルの中で、唯々生きていることを満喫できる。そのことを私に指し示して下さったのが、大工氏の音楽なのでした。それからというもの、私は少なくとも週一回、海辺に行って、波音をじっと聴いている時間が必要となったのです。波音のリズムは、極端な例ですが、月の重力、もっと飛躍して、この太陽系の惑星の動きにも直結している筈です。
波音だけを聴く為に、先日、小遣銭を切り崩して、下田まで行きました。近くのホテルで、私がもっとも敬愛するピアニストが演奏していることも一因でしたが、そのピアニストの演奏の中にさえ、波音を感じていたことも事実です。下田の海で波音のシャワーを浴びました。再度思考が飛躍しますが、この海はリオデジャネイロにつながっていて、そこでボサノバが生まれたのが解ったような気にもなりました。ボサノバは、決して山奥で出来上がった音楽ではないと思います。波のリズムなのではないでしょうか。そして、沖縄民謡ともどこか繋がりがあるはずなのでは、などと妄想を膨らませることができるのが下田の海でした。生物学者でなくとも、誰もが知っていることですが、我々の命は海から生まれてきたのです。羊水も海水に近いと聞きます。仄聞するところによれば、海水を飲めばあらゆる病気が治るということです。
我々人間は、ずっと海を汚してきて、核物質まで垂れ流してしまいました。それは私自身のせいではないと、心の中で整理をつけても、毎日の生活の中で使っている、洗剤や、トイレ掃除のサンポールみたいなもの、あれらの化学物質は、皿を洗い、トイレを流した後、宇宙の果てに消えるものではありません。よく考えれば、掃除すること自体、つまりは海を汚しているのです。自然は、とんでもない浄化作用を持っていると、何となく信じたいのですが、これだけ人間が豊か?になるために海に我々が今までにしでかしてきたことを思うと、海を含めた自然が怒るのも当たり前だと思わざるを得ません。それが津波や台風となるのではないでしょうか。自然のフトコロは大きいですが、限度もある筈です。我々人間は、すでに自然に対する限度を超えた存在に成り果てていると思います。実際、この定理も思い上がりなのでしょうが。
話がそれるようですが、私の父は、京都の先斗町、四条河原町近辺の生まれ育ちであり、母は新橋で育ちました。私は子供の頃、母方のおばあちゃんの家に行くと、二階の物干し場から東京タワーの夕暮れを見て、その後夕ご飯を食べてから、銀ブラなどをするのが、私にとっての「自然」でした。ネオンの灯りが大好きでした。父が里帰りの折りには、先斗町にある叔母の家で、迷路のようなあの辺りを駆け巡るのが、私にとってやはり「自然」でした。高瀬川に映る、ゆらゆらと見える提灯の灯り、祇園の大人びた雰囲気が大好きでした。
私が「夜」というものは、真にこの世が真っ暗になることを知ったのが、高校二年の時、福岡から上京していた友人と行った、久留米の外れにあるお寺でのことです。暗闇で、よく地面が見えないので、歩こうにも一歩足を踏み出せないでいる高校生の私を見て、そのお寺の住職さんは大声で笑っていました。あんなにたくさんお星様が空にあることを知ったのも、その時が初めてで、蛍などという生物がこの世に存在するということを知ったのも、お恥ずかしながらその時が初めてでした。それから幾歳月、私は東京に住み、全国いろいろなところにツアーに行きましたが、結局演奏場所というものはどの街に行っても繁華街の中にあり、大工氏が謳いあげる、「自然」からはほど遠い生活をずっと送ってきたのです。そしてまったくお恥ずかしい限りですが、今更ながらにして、私は海が好きになりました。
海辺に行くと、砂浜に座りこんで、長い間海を見つめることにしています。そういう時は眼鏡も外します。景色がぼやけてもいいのです。私の自然な視力で見るべき景色なのです。眼鏡も便利なものですが、見えないものを矯正しているガラスであることも事実です。
近隣国と関係が悪いと聞きます。皆海沿いに近い国々です。そして海域で国境を分けていますが、そんな馬鹿げた権利が、この地球という惑星に対して、人間に許される事なのでしょうか。全国民が大工氏の歌を聴くべきです。近隣国の海辺の民にも必ず沖縄民謡に匹敵する音楽がある筈なのです。隣同士の国が沖合に船を出し、お互いに唄い合えばいいではないですか。「俺はこの海を愛しているぞ」「俺だって愛しているぞ。では一緒に大切にしよう。今度はどんな歌を歌うんだ?そっちがそういう唄ならこっちはこうだ。あれ、その節回しはオレ達のものと似ているぞ。なんだ、オレ達仲間じゃないか」
こんないとも簡単な意思疎通が、どうして出来ないのでしょうか。基本的な争いそのものを馬鹿げたものにしてしまう何かを音楽はもっているはずです。隣国と争うなどまったく下らない。海上でのど自慢をすれば良いのではないか、と波音を聴きながら海にそっと謝りました。
音楽にはジャンルは関係ないし、良い音楽とそうでない音楽があるだけだ、と喝破したのは、巨匠、デューク・エリントンです。海に関することは、また次回書くことにしましょう。

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