銀座と映画

雑用というものは、時に必要事項をかたづける上でとても実用的なことだが、雑用が雑用を作り出してしまうと、それは害虫と等しく、湧いて出てくることが多い。これには殺虫剤を用いることもできず、たとえ雑用リストにそれを噴霧したとしても、その文字が滲むだけで、有効ではもちろんない。このような時には、気分転換に有効な趣味などが身に付いていれば、何らかの心情の変化が見込まれるのであろうが、読書意外に私の気分転換は、今のところ見つかってい
ない。ジムに行くのもいいのだろうが、家事をしていると、自然に体を動かすので、無駄なようでもあり、わざわざ腹を減らすというのも、ジムの費用と相まって、何かしら解せないものを感じてしまう。
読書の他にも気分転換が必要であることは痛感していたので、しばらく離れていた映画鑑賞をすることにした。映画鑑賞から離れてしまっていたのにも理由がある。アメリカ映画に限らず、最近のスクリーンには、拳銃をぶっ放したり、カーチェイス、流血、拷問、暴力、死体などが大写しになることが多い。私は真っ暗なところで夢が観たいだけなのだ。これらのことは、この浮き世のみで沢山なのである。それを大画面でこれでもかと観せられたら、たまったものではない。ということで、お金を払ってまで観るのが嫌になってしまっていたのであった。しかし、ここは音楽と同じく目利きになればよろしい。

ただ、目利きというのは、よいものを探す審美眼と、時間が必要となってくる。趣味に淫する、とまで時間を割けない私は、そこで躊躇してしまっていたのであるが、今回、映画に詳しい友人が特別なものを選んでくれた。タイトルは、「GIGOLO IN NEW YORK 」。ジョン・タトウーロ(すみません、ウの小さい方の文字が出てきません。ウを小文字のつもりで読んでください)、ウッディー・アレン、シャロン・ストーン、きらびやかなキャストに粋な会話とストーリー。宗教とヒューマニティー、これ以上書くと、まだご覧になっていない方に迷惑がかかるので書かないが、特筆すべ
きは、音楽の良さであった。ジーン・アモンズの「CLOSE YOUR EYES」が何とも効果的に使われていた。最近の映画館は、サウンドシステムが秀逸で、この点だけは映画の内容はともあれ、嬉しい側面である。映画を観ていて、何度も笑い、何度も吐息をもらした。人間とは、やはり生活する上での人間関係の中に、さまざまな齟齬、いきづまり、言葉で言い表せない複雑な感情が生じる。そこをなんとかうまくやって行くには、ユーモアとペーソスがやはり必要なのだということを、お説教抜きのストーリーに仕立て上げたこのタツーロという人は、やはりただ者ではない。長尺な台詞まわしもなく、只々NYの、あっ、これ以上、書くのは止そう。

映画館を出て、やはり映画を見るのは銀座かな、とふと思った。上映館はTOHOシネマズ。有楽町の裏にある映画館であったが、JRの高架線を渡ってからが銀座なのか、帝国ホテルがある辺りが有楽町なのか、地図とは違った観点での私の意識は曖昧だ。しかし、件の映画館は、私の意識の中では銀座に位置していたのであった。とにかく、時々行く渋谷の映画館で、久々によい映画を見たなあ、と外に出てみると、街の風景自体が豚骨スープに見えてきてしまうことが多々あり、これも映画鑑賞から私を遠ざけていた一因である。映画の詩情も、美しい画面の印象もだいなしになってしまう。これは映画館の責任ではないのだが。ウイーンのオぺラハウスを出た後に散策する小径のようなものは望めないことは分かっている。しかしである。やはりいただけないものはいただけない。その点、銀座は、過去の私の記憶と相まって、映画館の扉を開けた後、心地よく深呼吸ができる雰囲気がまだ残っているような気がする。このような感慨を持つのは私だけなのであろうか。やはり、ピストルバンバンしなくても、映画は創れるではないか。ここは、池波正太郎の代表作の一つである、梅安シ
リーズに共通点を見出せる。たとえ殺しの場面でも、それは一瞬であり、後味がよい。ジョン・フォードの西部劇も、決してインディアンをなぶり殺しにしたり、体中弓矢だらけで悶絶している者などは写さなかった。世の中がささくれ立っているからこその芸術ではないのだろうか。人の機微、人情をべたべたせずに描写することが、Coolなのではないのでしょうか。タトウーロ、アレンも、この映画自体で、静かなる反抗を試みているのかもしれない。地球に隕石が落ちてきて、NYがまっぷたつになる映画を撮れば、客の入りはよいのでしょう。私は観たくありません。そういう手のも
のは苦手です。そのようなことは、重複しますが、この浮き世で起きている現実が、隕石落下を上回る哀しいことだらけなので、わざわざ、その哀しみに油をそそぐ必要は、少なくとも私にはないのです。ドキュメンタリー映画の中の現実や、悲劇が悲劇のまま終わる映画があってもいいと思うのですが、そこにはやはり、人種を超えた人間の心根が、灰汁ぬけて表現されていないと、どうしても私は拒絶反応を起こしてしまうのです。お前は映画評論家か?という声が聞こえてきそうなので、もう書くのを止めますが、これはオススの一本です。

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