過日、デンマーク人のジャズギタリスト
のカーステンから突然にメールがあり、今、京都に滞在している、明日から横浜に一日だけ寄ることにしたので、案内をしてくれないかというのがその内容であった。詳しい話を聞いてみると、彼の奥さんであるアニーが社会学者で、京都で開催された何やら大切な会議が終わり、なぜか横浜を夫婦で観光したいというのが大意であった。つまりは、その会議に出席する予算をうまく使って、アニーにくっついて、はるばる日本にやって来たということのようだ。いずれにせよ、旧友との突然の再会が嬉しくない訳がなく、二つ返事で承知した。カーステンは、コペンハーゲンの友人の中では少し年配の、おとなしい人物で、更に、彼のギターの音から、心根の優しさは分かっていたので、ここは一肌脱がざるを得ないという思いも、多忙な週末を割く気になった一因である。雑務の多い週末を無理矢理に調整し、落ち合う場所をランドマークタワー内のカフェに決め、その旨カーステンに伝えた。先方に土地勘がなくとも、ランドマークタワーであれば、嫌でも目に入る筈である。こういう場合、落ち合う先がずれてしまうと、すべてがうまく行かなくなる。さて、その先はどう横浜を案内すればよいかと思案したが、アニーが社会学者という事を考慮し、横浜の様々な側面を見せて歩くのが一番ガイドブックのお決まりのコースから外れていて面白かろうと想像したが、当日の天気にも左右される事でもあり、詳細は決めないことにした。また、突然の連絡であったので、あれこれ考える暇もなかった。
数日後、約束の時間にランドマークタワー内のカフェで落ち合い、カーステンと再会のハグをしてから、奥さんを紹介してもらった。アニーは大学教授であり、他のデンマーク人のミュージシャンのように、ヘーイメン、ではすまされない人品骨柄であることは、その出で立ちから瞬時に推測できた。だが、一旦アイスコーヒーなどを飲みつつ話し始めると、アニーは、カーステンと同年輩ながら、とても親切で、もちろん知的で、しかも美人であり、カーステン、この幸せ者めが、という事が一目で分かった。再会を祝った後、早速タワーの展望台へと二人を案内した。まずは横浜360°を眺望してもらい、二人が興味を示したあたりを散策するのが得策であると大体の筋書きは描いていたのである。しばらくして、私の思いが大体ではあるが、的中したことが分かった。アニーは、さすがに社会学者の目で風景を眺めているようで、港湾地区から山の手、その他の場所を指差し、あそこはどういうあたりなのか、あの建物だけどうして古いのか、などと訊ねてくる。私は浜っ子ではないが、20代の頃から横浜で演奏したり遊んだりしていた事が幸いし、少なくともデンマーク人が二人で観光するよりも、ガイドブックには載っていない横浜の側面を、彼らに説明することができた。同時に、私自身も、横浜観光を楽しむことにした。要するに、パリジャンが、週一回エッフェル塔にのぼるかと考えれば、そうではなかろう。
展望台の外の景色をご夫婦で仲睦まじく、薄曇りの空を互いに眺めながら、なにやらデンマーク語でお喋りを始めたので、邪魔をしないように、二人からそっと離れて、私自身も久しぶりの眺望に、日常の雑多なあれやこれやを頭の中から消し去りつつ、ちょっとした感慨にふけった。思えば、タワーの周りも、昭和の時代には、怪しげな赤提灯の呑み屋や飲食店が雑多に乱立していて、あの頃の横浜の方が、僕にとっては居心地が良かったなあ、とぼんやりとした。私の中の横浜が「横濱」であった頃の記憶をたどりつつ、彼らのお供をしていると、展望台を一周するのに三十分とかからない。さてこれから、彼らをどこに連れて行けば喜んでもらえるのであろうか。アニーとカーステンの顔を見ると、微笑みながら私の目を見つめているのみである。とにかく今できることは、展望台から一階に下りることであり、その後、タクシーをつかまえて、そのとき思いついた地名なり町名なりを言えば何とかなろうと思い、実際その通りにして、気がついたらタクシーの運転手に、かの有名なジャズ喫茶、「ちぐさ」を知っていますか、と訊いている自分がいたのであった。無意識に、この伝統ある喫茶店を思い立ったのだが、他の部分の意識のなかには、少しだけ、こういう思いもあったのも確かだ。つまり、カーステンはジャズギタリストであるから、日本にこのようなすばらしい場所がある事に驚き、音楽も楽しめるであろうし、アニーにとっても、社会学的検知から、日本にしかないジャズ喫茶という文化に、興味を持ってもらえるだろうと、判断していたのである。
ちぐさ、に入る前に、ここは伝統あるジャズの聖地であり、大きな声で喋ってはいけない事を二人に言い含めてから、店内にすべりこんだ。さすがに民度の高い国から来たお二人、その場の雰囲気を察知し、偶然かかっていたマイルズ・デーヴィスに、まるで別の会議に出席しているかのように聴き入り始めた。二人の顔を見ると、まんざら嫌そうでもない。カーステンは、レコードの多さに驚いているようであった。私自身もずいぶん長い間ご無沙汰していた場所であり、良い音で聴くジャズは、やはり格別で、また一人の世界に入りそうになりかけたが、やはりアニーは社会学者であり、何かの記録の為だろうか、そっとカメラをあらぬ方向に向けようとしているのが目の端に入った。これは店長にお断りしなければと、カウンターに身をひるがえし、小声で許可を求めたところ、要するに撮影は駄目です、という思いどおりのお答が帰ってきたので、再度身をひるがえして、できる限りの小声で、写真撮影禁止の旨アニーに伝えると、ステキな微笑みを浮かべつつ、そっとカメラをポーチにしまってくれた。やれありがたや、と私も音楽に集中し始めた矢先に、今度はカーステンが、小声ではあったが、キース・ジャレットをリクエストできるかと、眼鏡の奥の青い目で私を直視しながら訊いてくるので、私は答えに窮してしまった。ちぐさ、とキースのサウンドは、ジャズに詳しい方ならお分かりの通り、どこかかけはなれたものを感じたからである。いずれにせよ、小一時間ほど静かにしていたのであるが、やはり、ささやきを一言も発しない事は無理であり、キースの一件もあり、ここが潮時と、彼ら二人に目配せを送りつつ、店長さんにそっとお礼を述べてから、そそくさと店外にすべりでた。
外に出た瞬間から、アニーの薄いグリーンの目は、その周りの店の軒先などを観察し始めているようで、ランドマークタワーの周りと、日ノ出町、黄金町界隈の雰囲気の違いに、興味津々の様子であった。私の好きな横浜は、実はこのあたりの方だと彼女に伝えると、案内して欲しいという。カーステンは我関せずと、ちぐさ、の看板などを写真で撮影した後、棒立ちしているので、アニーのリクエストに従うことにした。奥さんを喜ばせれば、旦那も文句なしということは、世界共通であろう。特段、黄金町などのあたりは、残念ながら、普段行く理由も無いので、土地勘共に詳しい訳ではなかったが、デンマーク人観光客が、案内なしにこの界隈に足を踏み入れる事も通常はおこりえないことであろうと思い、京急、日ノ出町駅の方角に、二人を連れて行くことにした。
焼き肉屋、ラーメン屋、中華料理屋、時計修理の店、昭和40年代に建てられたであろうアパートとスナック等が合体したコンクリートの壁むきだしの建物などを、アニーの鋭い視線が逐一観察していることが、素人の私にも一発で伝わってくる。もしかして、私は最上の横浜ガイドなのでは、と一瞬思い上がってしまうほど、その界隈は、アニーにとって、すばらしく魅力的なようであり、私にとっても、横浜とはこういうあたりの雰囲気が、やはり落ちつくのであった。
川沿いに黄金町界隈から日ノ出町へと、何とはなしに歩きつつ、次は、港の見える丘公園辺りに連れて行き、私の知る横浜を見せてあげようと思っていたら、カーステンがじっと川を覗きこんでから、私にジョークを飛ばした。「Can you drink this water?」「Nej Tak」と、少しキザだったが、デンマーク語でノーサンキューの一言をかえしたら、二人とも大笑いをし始めた。やはりこの界隈に連れてきたことは正解だったとのだろうかと、少しだけ安堵した。
その内、ソープランドが林立する通りに入った。慌てて二人に断りを入れる。カーステンは良いがアニーはレディーなので、ここから先はこういう辺りで云々と説明すると、アニーの方がぜひ見学したいと言い始めた。
アニーはソープの看板をまじまじと眺めつつ、60分3万円、90分3万5千円の意味を私に問うてくる。私の英語力にも限界があるので手短に説明した。売春は日本では違法であること。ここは、公式には女性が男性の体を洗う場所であること。そして突然二人は恋に落ちること。恋愛感情は法律では取り締まれないこと。これがソープランドのシステムですと、締め括るしかなかった。アニーはじっと私の説明を聞いて後、「70分の恋愛と90分の恋愛、この20分の違いは何かしらね。いずれにせよ、お店をでたとたんに失恋するわけね。」とぼそっとつぶやいた。何やら格言めいていた。
この辺りで場所の雰囲気を変えた方が良いと判断し、かねがね計画していた通り、再度タクシーで港の見える丘公園に河岸を変えた。
少し曇った横浜港を、二人のデンマーク人は茫洋と眺めながら、なにやら再びお喋りを始めたので、私は少し離れたベンチで一服することにした。思えば、この公園に、何度足を運んだことだろうか。車を持っていた時代、夜中にここに乗り付けて、一人暗闇の横浜港を眺めながら、粋がってヨウモクなどをくゆらせていた若造の時代から、この公園は、とてもステキな場所なのである。
公園を出て外人墓地の方に歩を進めた。この辺りはお金持ちの家が多く、インターナショナルスクールもあって、などという私の説明は百も承知といった面持ちで、アニーはあのステキな微笑みを私に返した後、まったく違う観点の何かを、
先ほどまで居た界隈と比較しているようであった。私はカーステンとデンマークの音楽事情等の情報交換をすることにした。その話しの内容を要約すれば、新しい芸術基金団体がふえたこと、ミュージシャンの為に、半官半民が経営するビッグバンドができた事、等々、我が国と書きたいところではあるが、やはりこの国の現状とはあまりにもかけ離れた彼の国の真の意味での豊かさに、溜め息を隠すのに精一杯であった。
アニーの顔が少し疲れて見えてきたので、咽が渇いているか聞いてみると、公園の前に自動販売機が設置されており、これ幸いと、皆で飲み物をがちゃんと買い求めて、缶コーヒーを歩き飲みしつつ、外人墓地の方に向かった。
カーステンがぽろっと喋りだす。「ヒロシ、京都でも東京でも自動販売機の横には必ず空き缶用ゴミ箱が設置してある。それもプラスティックボトルとカンを別々に捨てるようになっている。最初はグレートだと思っていたが、よく見たら、場所によって、ゴミ箱の中で両方とも一緒になってしまうことに気がついた。どうして二つを分けて捨てなければいけないか、意味が分からないよ」とこぼすので、「ああ、ボクにも日本で分からないことは沢山あるんだ。でもそれは、まるでジャパニーズ・ガヴァメントの仕組みにそっくりだ」くだらないジョークを言ったつもりであったにもかかわらず、これを横で聞いていたアニーが腹を抱えて破顔一笑。社会学者なのだから、私よりいろいろな事をもっと知っているのであろう。
外人墓地から元町への坂をゆるゆると下りながら、カーステンが、イタリア、フランスに行った時の話等を聞く。こういった情報は、インターネットやテレビのそれとは違い、値千金なのである。友人、特に外国の朋友が体験した様々な事柄は、新聞などに載るネタではないが、良い意味で生々しく、そしてなぜか美しい。
一見すれば分かる事であろうかと思ったが、ここ元町は、お金持ちがショッピングするあたりです、などと余計な説明をしていたら、私のお気に入りの喫茶店がこの通りにある事を思い出した。あそこに二人を連れて行けば喜ぶのではないかと思い立ち、更に歩を進めた。
本物のコーヒーを注文し、一息ついた後、雑談を始めた。まずアニーが、さすが大学教授だと思わせる的確な質問を私にぶつけた。
「ヒロシは何度もデンマークに来たわよね。カーステンから聞いているわ。日本とデンマークの違いを一言で言うと何かしら?思い当たる?」私は思わず、
「デモクラシー」という言葉が、無意識に口をついて出そうになったが飲みこんだ。民主主義にもいろいろな種類があるであろうし、野暮ったい側面も否めない。何か答えなければいけなかったので、
言葉をそえるように、一言で答えた。
「男と女が人間として平等であるという点が、大きな違いではないでしょうか。それぞれの国の歴史も違うと思いますが」私の答えに覆い被さるように、アニーが「その他は?」と更に訊くので、「すべてのメディアが透明であること。それと、ボクがコペンハーゲンに行った時に滞在した地区の区長が30代ということは、日本ではありえないかもしれない」と答えた。私の知る限り、これは事実である。アニーは興味深げに私の顔を好奇心いっぱいの目つきで眺めながら、最近上梓した自著について語り始めた。それはなんと、江戸時代中期から明治に至るまでの、日本人の契約と信用に関するもので、私の与り知らぬ商人の口約束や手形がどうのとこうのといった、正に専門的な内容であり、江戸期の日本の歴史に対する造詣の深さにも、舌を巻いた。会った時からインテリジェンス溢れる女性であることは分かっていたが、まさかここまでとは思いもよらず、私はこのような女性を、何の計画性も無いまま、引き連れていたということになる。何とはなしに引け目を感じていると、それを察知してか、カーステンが私に微笑んでくれた。そして同じ微笑みをアニーに向け、そっとうなずいた。アニーもカーステンに微笑みを返し、二人そろって私に対し、今日は本当に楽しかった、と最後に一言お礼を言ってくれたのであった。
私も横浜のごく一部ではあるが、案内できた事を嬉しく思う旨彼らに伝えたが、急なことであったとはいえ、もう少し計画的に彼らにもっと効率よく横浜を案内できたのでは、という思いでいっぱいに成り、目の前のコーヒーに視線を落とした。そういえば、港の見える丘公園の掲示板に、偶然にもその夜、山下公園で花火大会のお知らせを目にしていたので、何気なく誘ってみることにした。二人はちょっと顔を見合わせてから、私に対してとても丁重に、半日歩いて少し疲れている、ホテルに帰ってパッキングしなければならない旨私に説明した。ここでおひらきということである。本物の大人に久しぶりに出会った気がした。
こういう邂逅の別れ際は、あっさりしている方が良い。元町駅から地下鉄に乗り、私は次の駅で降りると釈明してから、再会の握手をし、手を振って別れた。そこはかとない寂しさが尾を引いたが、お別れはお別れである。
次の駅で降りた理由は、人ごみがあまりひどくなければ、花火を見るのもたまには良いかな、と思ったからである。花火を見るなど何年ぶりだろう。本当は二人も連れて行きたかったが、無理強いは迷惑というものだ。一人、日本大通りを横浜港の方に歩く。大桟橋の端にたどり着いたら、すでに花火はあがっていた。「ドーン、パチパチ」人もまばらである。しめた。
大音響の倍音が空気に直接伝わり、爆発音が耳に心地よい。レンガのベンチに腰掛けて、まずは一服。眼前は、色とりどりの、うたかたの夢である。にもかかわらず、あらぬ嫌な妄想が頭をかすめた。火薬の爆発音は、花火大会だけにしてほしいな。
帰りの地下鉄の車内では、お決まりの浴衣を着た若い男女が楽しそうにお喋りをしていた。私は思った。大袈裟ではあるが、遠い国から来たあの二人は、いったいどのような感慨をもってして、横浜という大都市を眺めていたのか。特に、アニーの日本に対するあの豊富な歴史観が、ちぐさ、又はその他の場所をどう捉え、どのようにあれらの事象を把握していたのだろうか。そして、私の思いつきツアーガイドもどきが、彼らに、本当のところはどう受け止められていたのか。思いに耽っていたら、降りる駅に着いてしまった。
家に帰り、カウチにねそべって、今日起きた様々なことを反芻していたら、アニーからのメッセージが届いた。
「ディア、ヒロシ。今日は本当に楽しかったわ。もっと現代の日本の政治や文化の話しをしたかったけれど、明日の早朝、成田に行かなければならなかったのよ。
またお会いましょう。ありがとう」
そのメッセージには、三人で、ちぐさ、の前で撮影した写真がそえられていた。