江ノ島へ。あるピアニストへのオマージュ

過日、ある素晴らしい音楽を聴き、その中に波の音、海の静けさを聴いた。その素晴らしき音楽を何度か聴いた後、この音楽は、分析、又は、ピアノで真似る前に、まず久しぶりに海を見に行くことが、より大切なことのなのではないのかと瞬時に察知した。その音楽が大きく、そして静かにうねっていたからだ。海と言えばなぜだか江ノ島のみが頭に浮かび、気がついたら、大船駅に降り立っていた。次に江ノ島に行く為に乗った電車は、否、電車ではなくモノレールであったが、なにやら中学生の作った夏休みの美術の宿題でこしらえたような、窓枠やら手すりやらが幾何学的でない、なんとも味のある乗り物であった。低い山々の木々の中に点在する、日本独特のバラバラなデザインの家々を眺めていたら、いつのまにか本江ノ島という駅に着いた。
改札を出ると、駅前の情景は、丸ごと昭和であり、ボブマーリーのTシャツ千円吊るし売り的洋品屋等が軒を並べていた。それを横目に、長い距離の橋を渡りつつ、江ノ島を目指した。橋の両側に見える海は、天気予報を確かめず突発的に家を後にしたことがたたり、靄が地平線を隠し、湿気が多かったが、その波の満ち引きと、打ち寄せるかすかな波音に、広々とした自然音が、私をここに連れてきた音楽と重なりあった。橋を渡りきると、鳥居が見えてきた。坂道と階段を上がり、頂上の展望台を目指した。高い所から海を見渡せば、また、あの素晴らしき音楽に対し、違うイメージが喚起されると思ったからである。しかし、江ノ島のてっぺんまで行き当たるには、あまりにも石段が多く、途中から、音楽のイメージを得る為というよりも、普段の運動不足を解消する仕儀となって行き、やっとのところで、展望台の上まで自らの身体を漕ぎ着けて、遠望遥か東京タワーや鷹尾山などを、霞を通して眺め入った。貴重な時間をこのように使うのも、なかなかオツな気分であった。更に、藤沢、町田などの一角も眺めることができた。思えば日本という国は、何とも小柄な呈を成している。このような、所謂首都圏と言われるあたりとその周りにあるこれらの区々で、人々は、毎日、ああでもない、こうでもないと右往左往していのである。かく言う私もその一人であるが、一般の堅気の方々からすれば、私の右往左往など、遊んでいるに等しいものなのかもしれない。
しばらくしてから展望台を降り、長い石段を下る。いつまでも江ノ島のてっぺんでぼんやりしているわけにもゆくまい。石段の経路の軒並みは、どこの名所旧跡でも同じであり、休憩の為の喫茶店、お土産屋などが軒を並べ、なぜだかブロマイド屋のようなものまであり、渥美清さんの笑顔がショウウインドウから微笑んでいた。
駅前のみならず、江ノ島の商店街も、昭和なのであった。更に下ってみると、その途中に、児玉源太郎神社なるものがあり、その鳥居の前を、中国人とおぼしき団体客が、声高に通り過ぎて行く。彼ら団体客は、この神社がどういうものなのか、理解しているのかとふと思った。私は思想的なことを訊かれると、右でも左でもありません。垂直です、と答えることにしているが、どうにも、心の中に何かがひっかかる光景ではあった。
石段を下りつつ、周りを眺めながら、先ほど駅から渡ってきた橋の袂に辿りついた。さすがに咽が渇いたので、何軒かある喫茶店兼土産屋の、一番昭和な雰囲気の一件を選び、一隅に腰掛け、煙草に火を点けてから、メニューを見てどきりとした。珈琲風情が、なんと750円。ぼったくりと言ってしまえば、逆に乱暴な値段だが、かといって、やはり安くはない。その店の軒先では、オッチャンが鉢巻きをして、焼き鳥などを焼いており、その煙が店内にも流れ込んでくる。珈琲の味と焼き鳥の匂い、何とも磯辺の一角らしい組み合わせだと思わざるを得ない。まあ、風情があっていいではないか。
いずれにせよ、江ノ島に来た目的である、海や波の大きな循環を体感できたのだから。あの素晴らしい音楽の大きなうねりを少しは体感できたかなと、珈琲を口にふくむと、ほろ苦さを通り越した妙な液体であることが分かった。どちらにせよ、その珈琲がとても美味しかったとしても、焼き鳥の匂いがそれを帳消しにしてしまったであろうことは確かだ。
焼き鳥珈琲を味わいつつ、再度海を眺望した。この大きなうねりを感じるがために、なぜか江ノ島にい
る。ふと突然に、大学時代、ものすごく晴れた夏のある日、江ノ島に遊びにきた時の記憶がよみがえっ
た。あの時は、確か水平線の遥か遠くのヨットまでくっきりと見えるような晴天で、空気もさわやかであった。既に三十年以上前のことを、なぜいま思い出すのかと、自分でも不思議であったが、予想もしなかった自分の中にしまわれていた別の情緒を感じることができたのも、ここまで足を運んだ甲斐があるということだ。
人間は不思議な生き物である。
焼き鳥の匂いを後にして、再び駅まで続く長い橋を渡りながら、再度、海を眺めた。
海は、私に何の問いかけも回答も示さないように見えた。否、実はものすごく大きな何かを私に語りかけており、それを私が感知することができないだけなのかも知れないとも思った。
帰りの足は江の電を利用した。車中から眺める海の表情も、なぜだか我関せず、といった風情であった。しかし、そこにはやはり、私が感じたかった、素晴らしい音楽の大きなうねりが、やはりその表面の奥に息づいていることに変わりはなかった。

実は、あるピアニストの音を聴いて、私は海を見たくなった。その人は、最初の私のピアノの師匠であ
り、師匠でありながら何も教えてはくれなかったという、通り一遍では語り尽くせないような御仁であるが、ジャズピアノを弾かせたら、右に出るものはいない。今でもいない。言い切れる。
タッチの切れ味の良さ、バラードのステキさ。こんな凡庸な言葉でしか表現できないくらいに、その人のプレーはハンサムなのである。つまり音楽が批評の枠を超えているとしか言いようが無い。
なぜだか私は、この最初の師匠のことをずっと忘れていたのである。そして最近、老境に入った師匠のピアノを聴く機会があり、私は涙した。師匠は師匠のピアノを弾いていた。ただそれだけのことだが、そこに海のうねりを感じたからこそ、私はぼそっと江ノ島に赴いたのである。師匠のピアノは、やはり海のようであった。
鎌倉駅で途中下車し、ハムサンドを食べて家路についた。

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