シブヤ

某月某日

所用ありやむなくシブヤに赴く。やむなくとは文字通り行きたくないという意思の表れである。いかに常世の常世の国じみた夏が過ぎ去ろうとしていようとも、最近のシブヤはやはり魔界じみている。誰かの箴言に、変化に順応するという者だけが生き残る、という意味のもの」があったが、あの魔界に身を置くことのできる順応性とは、一体どのような種類のものであろうか。多分、爬虫類に先祖返りする「進化」が必要なのかも知れぬと思われるほど、こちらには変化のめどが立たない。

とは言え、シブヤには行かなくてはならない所用が多いことも確かで、自然にハチ公の辺りを歩いてい
る自分がいる。渋谷の待ちに、なんだかんだ言っても身を置いていられるということは、その時だけ、
その時だけ、こちらも爬虫類となっているのかも知れない。さて、その所用の一つに、短パンを買うという時季外れの用事が含まれていて、某デパートにて手頃なものを見つけたので、これ幸いと購入後すぐに着替えてしまった。残暑という言葉自体、もうそろそろ消え去るのではないかと思わせる湿気が辺りに充満しており、所用が終わればすぐにでもシブヤを退散するつもりであったが、一つ物を買うと、また必要な者が頭をめぐり、気が付いたら方々へうろうろする仕儀となる。その道すがら考えた。街にはガス抜きが必要不可欠であり、その意味でもシブヤという街にも悪所があってしかるべきである。だが、僕の目に映るシブヤは、見るだけで食欲を無くすような、ラーメンの拡大写真を看板にした飲食店や、迷路と化した東横線の地下道などと相まって、街全体が準世紀末的に見えてしょうがない。しかしここがこの街の魅力とも言い換えることはできよう。僕にしたところで、魔界だ世紀末だと騒いではいるものの、人里離れた山小屋に一人でいる事を考え合わせれば、やはりシブヤを闊歩していることの方が性に合っているようだ。しかし、このままシブヤの爬虫類かが進めば、いずれはこちらが爬虫類から魚類への逆進化を強いられること必須であろう。

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