朝6時半起床。早起きなのではなく暑いから目が覚めてしまう。よくこんな環境でピアノなどというヨーロッパ由来の楽器を弾いているなと、自分でも感心してしまう。ピアノを教えたり練習する防音室にはエア・ジョンディショナーがあるので、ある程度の湿度は抑えられるが、乾いた感じの音ってどんなだっけというのが今の朝の正直な気持ちだ。乾いた軽快な音って大切なのです。皆さんもクラシックをお聞きになる事があると思いますが、ロマン派の後期までは特に、例えばシューマンの「子供の情景」は軽快には弾けない。またはベートーべんのソナタをナット・キング・コールみたいには弾けない。軽音楽という言葉は誰が考えたのかは知らないけれど、これ程的をついた言い方はなく、クラシック以外、軽快に音が乾いていなければ、まずそれがジャズでろうがポップスであろうが形をなさない。ここで今の日本の気候が話題の中心になってくるわけで、つまり軽音楽を演奏するにはずいぶん難儀な天候であるという事だ。本当に乾いた音、アメリカや北欧など、実際その地でピアノを弾き会得しないと、乾き切っているあの音は、なかなか教えるのが難しい。だが昨今ピアノを練習する人が電子ピアノを使っている事は決して悪い事ばかりではない。あれはあれで妙なアコウスティック・ピアノより乾いた音がするので、あとは「軽快に」弾くという感覚を身につければ、初心者、中級者関係なくかなりのパーセンテージで演奏する事自体が楽しくなってくる。勿論、軽音楽にも重々しく、わざとお音を引きずるように弾いた方が効果がある場合もある。しかしそれは軽快との対比ができるから楽しいのである。軽快という言葉に語弊があるとすれば、例えば羽のように軽く、鍵盤を意識して押し込んでいないのに太い音が出ていて、しかもリズミカルである事。我々のやっている音楽は要するにドラムとの共演が多く、クラシックはソロで弾く場合が多い。ここで難しく考えずに想像するに、誰も重々しいドラムなど聴きたくはない。ビートは重くとも、どこかに必ず軽快さがないと、我々は何もできない。まずそこが基礎であるので、軽快に弾くための乾いた音が要求される。最近若手で非常に乾いたサウンドを出している者がいたが、あれは逸材だろう。乾いて軽快なサウンドは中々教えづらいが、私がベースラインを弾き、生徒であるあなたがその上で何か弾いてみてば、多分多少音が湿っていてもその違いはわかるはずだ。
軽いという言葉には、軽薄、軽微、軽々などのあまり良からぬ場合に使う言葉が多く、誤解を招いている節があると思うが、元々この国には軽いもので良いものは少なかったのだろう。軽薄、軽はずみ、軽視、軽挙妄動、もう散々である。本当に良い軽やかさは、本当に良い上品さとグルーヴに通じ、周りの物事までうまく運ばせてしまう力を持っている。それを知っていたから、軽音楽も発達したのではないだろうか。
さあ、しょうがないから体の水分を少し抜いた気分になって今日も一日過ごすしかない。