難しいとは書く事ですよ。このようにして毎回書く事自体が難しい。盗み見ネタはもう使ったし、自分の事を書いてはいけないと言われるし、生徒のことを考えなさいと言われるし。しかし、道の生徒の本当の悩みや困っていること、練習方法などどう書けば良いのだろう。あったこともないのに書けるはずがないではないか。
ここに言える事は私の過程である。今までどんなことに悩み、どんなことに困り、どういう練習をし、どのような教本を使ったかという事を如実に書き表せば良いのではないだろうか。しかしそれに対する答えは以前書いたように拙書「白鍵と黒鍵お間に」「鍵盤上のUSA」「マイフーリッシュハート」を読んでもらうしかない。だがここで言える事は、その課題なりできない事があったらゆっくりと何回も繰り返すしかないのである。天才は見ればすぐに真似ができる。それができない人は出来るまで繰り返すしかないのだが、繰り返すにも方法がある。自分の体を色んなフォームに変えて弾いてみる事だ。きっと自分に合った方が見つかると思うのだが。それでもやはりDELF TAUGHTで何でもできてしまう人以外、第三者の目、つまり自分の身ではわからない客観的な把握の仕方に関する違う感性が必要だと思うのだが。武道でも強い者は強いものと対戦して強くなってゆくのと同じ仕組みである。
どのような教本を使ったかと言えば、アメリカに行く前の昭和の時代には今の右往な豊富な資料もコンピューターもなかったので、只々トランスクライブをしていた。例えその音がなぜそこで使えるのか分からなくとも、実際自分よろしくお願いします。すごい人が使っているのだから何の不都合があるのかと思った。その疑問はアメリカの音楽学校で大方はっきりと答えとして戻ってくるという結果となった。とにかく頭の中で理解しているだけではダメで、第三者の前で弾き、そこでその人の経験から来る一言があるのと無いのでは、やはり大きく違ってくると思う。その後多くの教則本に目を通したが、これは良いと思うのはたった二冊のみで、それもジャズの教則本ではなかった。クラシックの為に書かれたあらゆるスケールが書いてある本があり、とても参考になったが、あれは一生かかっても全部を弾けるようにはならない。まず量が多すぎるからだ。どんなことに困ったかというと、そのことを思った年代にもよるが、自分では良いと思っていても、いざ演奏してみると意外に効果的ではない演奏方に関してであったが、この先は禅問答のようになるかもしれないが、その演奏法は、それほどでもないという効果を出す為に、必要だったのではないかということである。全ての演奏法がものすごく目立っていてはそれが普通になってしまい、お客様どころか、自分自身にも飽きが来ていたかもしれない。
出発の時間です。