今日発見したのは、ピアノ教室大人編で、うたい文句が、なぜ私は初心者でも30日で名曲をスラスラ弾けたのか、というタイトルに目がいき、ある意味度肝を抜かれた。どの教室とはもちろん書きませんが、なぜ私は30日間でフランス語の哲学書をスラスラ読める様になったか。なぜ私はたった30日間で黒帯五段の空手の選手をボコボコにできる様になったか。しかしここが「行列のできるピアノ教室」なのであった。ラーメン屋みたい。ああ、全てにやる気をなくす。嫌気が差す。況やその名曲を一曲弾ける様になったからと言って何になるのだろう。生徒さんはもっといろいろな曲が弾きたいのでは無いのか。仮に30日で一曲何か弾ける様になって、次の曲にまた30日と考えてゆくと、一年休まず通ったとしても12曲である。私は虚しい。断っておくがこの大人のピアノ教室の悪口や、習っている人への悪様な言い様は避けたい。しかし、大人って50すぎですよ。もう既に酸いも甘いも噛み分けた大人が、何か時間がかかっても、その後一生身につく何かを習得しようとは思わないのでしょうか。30日を手始めに音楽の奥深さ、不思議さを学ぶことの大変さ、本当に芯のある音を一音でも出せたら、別に名曲一曲弾けなくても、感動するばかりか、この音を他の動作にも応用してピアノを弾こう、そう感じた方が、音楽自体があなたに近寄ってくる。時間はかかってもいい。
自分しか出せない一音と、手先のみで弾くのでは無い、肩と背中を使って鍵盤を操るには、とても30日じゃ、どんな天才でも足りません。でもまあ、そういうインスタントラーメンみたいな事が全てにおいて好まれるのが現代なんでしょうね。手先だけでちょろっと弾ければそれで聴いている人はわーっとなっておしまい。悲しいです。音楽の不思議さ、神秘性、演奏する人毎に音が変わる加減、音楽と西洋史の関係、現代ヨーロッパにおいて、その名曲と呼ばれる、多分ベートーベンやモーツアルトがどの様な扱いを受けているか。
ピアノ、音楽を習う事はある程度時間がかかり、その過程で面白い事、音楽と全く関係なかった事などが実は関係していた事実など、とにかく30日より時間をとった方が有意義であり、楽しくもあり、本当の教養となるのです。なんか30日で名曲がスラスラ弾けると謳ったWebsiteから訴えられそうですが、その先生も事実を知った上で謳い文句を考えたのでは無いでしょうか。さあ、私も謳い文句を考えなければなりませんが、事実を書けば書くほど誰も集まってこない様な気がするな。まあそんなもんか。