某月某日
新藤兼人監督が逝去された。なんと御年100才である。時間的観念とは別に、人間の齢というものがここまで生きられるポテンシャルを持っていることを先ず不思議に思う。我が仕事はピアノを弾くことであるから、まずこの年まで弾き続けることは無理であろう。否、もう、ある意味運良くだが、七十才を超すまで生きたとしても、身体はズタボロに違いなく、養生とか、世界一長生きの国に生きているとかは関係なしに、僕としては早く人生を終わりにしたい気持しきりである。ピアノが弾けなければ、ゾンビ以下の存在の自分としては、新藤監督の為し得たことは、やはり歴史に残るのではないだろうか。こういった日本人が存在し、文化に長年貢献したことは、もう既に好き嫌いを超越しているといっても過言ではなかろう。
その新藤監督の作品「三文役者」にワキのワキで出演したことがある。フリージャズのお好きだったバイプレイヤー、殿山泰司氏の俳優人生を描いたこの作品で、殿山泰司を竹中直人氏が主演の映画だ。事の起こりは今から既にもう幾歳月、何年前だっただろうか。調べてみると、制作年2000年とあるから、それより前のことだろう。とにかく新宿ピットインのSマネージャーから、映画を撮るから、協力してくれないかというオファーを受けた。気軽にOKの返事をしたものの、集合時間は午前六時ということであった。その頃、朝までピットインで飲んで、始発で帰るということは経験済みだったが、六時集合というのは、特にその頃昼夜逆転の生活をしていた僕にとっては青天の霹靂であった。他のメンバーを聞けば、(敬称略)水谷浩章、芳垣安洋、菊地成孔という、当時も今も第一線で日本のジャズを支えているお歴々。何とかピットインに時間どおりに到着したものの、流石の菊地氏も瞳孔が開いたような笑いを浮かべており、水谷氏はピットインに着いた途端気分が悪くなり、「オレ、吐いてくるわ」と、浩章ならぬ白亜紀に成る状態。一番態度が変わらなかったのは芳垣氏で、いつもどおりドラムのセッティングをしていた記憶がある。客席の椅子は全部片付けられていて、何やらカメラのケーブルと、レールのようなものが床に沢山敷かれていた。だいたい脳細胞さえ起きていないのに、演奏する細胞を体内から見つけ出すことさえ困難な時間に、野球帽に乱髪、黒眼鏡にメガホンといった出で立ちの助監督だろうか、その人だけ異常にハイなテンションをまわりに発しながら、撮影準備を進めている。ものすごく強いライティング、
撮影関係者の間で飛び交う罵声の中でぼーっとしていたら、どうも撮影準備ができたような気配がした。思ったとおり、
助監督が、「はーい、ミュージシャンの方。各自ステージへ。
楽器の準備を」言われるままピアノの椅子に座ったが、この時間にピアノの前に座るのは、バークリー時代の朝練以来のこと故、自分が廃人である事が分かる。まず鍵盤の正体がつまめない。何をしろと言われるんだと待っていると、同じ命を受けた、菊地、水谷、芳垣氏一同、一応楽器の前で構えている。「それでは最初のショット行きまーす!まずフリージャズの一番盛り上がったところから演奏を始めて下さい!」これを無体攻めという。朝の六時過ぎからフリージャズの一番盛り上がる瞬間を「再現」すること自体、我々には拷問に近かったが、芳垣氏のスネアロールを聴いた瞬間、身体の奥底にある演奏する細胞が起き出してくるのが我ながら不思議だった。とにかくピアノをひっぱたく。ぐあ〜っとディスコードのスケールを弾いた後、がんがんとサックスの音に合わせコードを弾いていたら、あら不思議。この時間でも、なんとか形になるフリージャズができるじゃないの。しかしそれは、体力的に持続性のないそれであって、助監督の「カーット!」と言う声を聴くまでに、永遠の間があるように感じたのも確かだ。肩痛い、指痛い、これ以上大きな音出せない、
しかもフリージャズの最高峰の次元を突然表出させるなど、音楽的に無理を通り越したご無体な要求であり、一回目の演奏で、我々はヘトヘトになってしまった。しかし、一回目の演奏はカメラテストである旨伝えられ、「ジャー本番ワンテーク目、撮影しますから、今以上にオーヴァアクションで、いいですか。はいっ!スタート!」 ちょっと待っても、水飲みたいも言う暇さえない。皓々と照らされたライトの中で、汗だくになりながら、助監督の言うところの、一番もりあがったフリージャズの再現に四苦八苦した。音は後から入れると言うことで助監督の声が響き渡る。「サックスのひとー!!もっと楽器を上下に振って!そうそうそう!ピアノのひとー!!もっと鍵盤をひっぱたくように手を上下に激しく!そうそうナイス!ドラムもガンガン!そーそーそー
もっと盛り上げて!」いつ終わるか分からない喧噪の中で、必死に演奏していると、助監督曰く、全体的なアクションが
まだ足りないという。ヤケクソを通り越し、もう何だか分からない自分を通り越して、椅子から立ち上がって思いっきり鍵盤に身体ごと体落としのようなことをやらかしたり、両手を頭の高さから振り下ろしたりして、もう演奏という範疇ではない動作に終始していると、「カーット!!」という助監督の声が聞こえたのは、随分経ってからであった。疲労困憊して汗を拭いていると、「ミュージシャンの方!同じ感じで何テークか録らせて下さい!」とまた多助監督のお言葉。ここまで来ると、身体も、体力的許容範囲を忘れるらしく、何だか身体がふわふわしてきた。何テーク録ったのだろうか。やっと四人で演奏する段は終わった。さあこれで解放されたと思ったのもつかの間、今度は各自の楽器を接近して撮影するという。確かサックスが最初だったような気がするが、菊地氏の演奏を前から横から下からと、色々と指示を出しながら撮影再開。ぼんやりそれを眺めていると、必然的にピアノにお鉢が回ってくる。まずはおピアノに座った状態の僕の右肩側から、カメラマンが鍵盤をアップで写し、メチャクチャに弾いてくれという。今度はアンサンブルでは無いので、やりにくいことこの上なかったが、とにかく、ガチャガチャ音を出し始めると、助監督の声が後ろから響き渡る。「もっと両手を上げてアクションを付けて!」「同時に鍵盤を低音部から高音部までズザッと行き来して!」大体に於いてというか大局的に、両手を頭の高さまで上げながら瞬時に鍵盤の低音部らから高音部までサッと両手を移動すること自体無理なのである。
しかし、もう既に僕の頭の中は、早朝からのご無体な要求で無感覚になっており、助監督の要求を満たすべく、ナニが何だか分からずとも、これでもか!と低音部から両手を頭の上から振り下ろしつつ高音部へ瞬時に駆け上がるように鍵盤を乱打したら、肩、腕、背中に鈍痛が走り、指先の痛みも相まって、ピアノに突っ伏してしまった。だが、助監督は大喜びで、「それそれそれ!もう一回録るからもっと早く同じ事をやって下さい!!」
ピアノのみならず、各自の楽器がナニやら通常では考えられない動きを収録し、終わったのは昼頃であった。
後日、どこが映像になっているかという興味のみで、「三文役者」のDVDを観たが、そこには四人で演奏しているところしか使われて居らず、しかも長さにして三十秒も無かったような気がする。あの僕のメチャメチャピアノのフィルムは一体どこにいてしまったのだろう。多分、却下となってこの世にはもうあるまい。