コペンハーゲンにて

コペンハーゲンにて。

今年の夏もコペンハーゲンジャズフェスティバルに参加した。レコーディングと演奏の仕事を終え、残り数日の滞在は自分へのご褒美として、パスポートの上で正真正銘ツーリストとなって、コペンハーゲンの街をほっつき歩いた。様々な国籍のミュージシャンの、様々なジャンルに触れることは、大変に面白い。小国とはいえ、一国の首都で十日間、ジャズクラブでない小さなカフェからコンサートホールまで、歩いていれば何かの音楽に行き当たるこの様は、日本では想像できまい。プログラムの細かい字を覗きこみつつ、良さそうな演目を探しながら、夜遅くまで、友人の演奏を午前様まで楽しんだりして、東京では許されぬ夜を過ごした。ある晩、深夜の演奏が終わり、さて帰りの足が無いと気づいた。とにかく、クラブにタクシーを呼んでもらうことにした。こうしたことは、毎晩慣れていたので、クラブの前でタバコを吸ってタクシーの来るのを待っていると、五分もしないうちにピカピカの新車のオペルが、ものすごい勢いでクラブの前に停車した。その偉容はタクシーにしておくにはもったいないと思わせる威圧感があった。運転手は、一目でエジプト系と分かった。案の定、最新型カーラジオでエジプトの音楽をかけている。手帳に記した、滞在している友人の住所を見せながら、「I want go to  STAKKENSUND5」と運転手に行き先を告げた。ここで少しデンマーク語について書くが、まずは発音が恐ろしく難しい。そして通り名も地名もカタカナ表記ではとても現せない発音が多い。カタカナ表記では、「スタッケンスンド」となるのだが、運転手は、手帳をのぞき込みながら、何かぶつぶつ言っている。彼の容貌にはあまりふさわしくない、ものすごくハイテクなナビゲーションに、行き先のアルファベットを打ち込んでゆく。「シュタッケインズイィーンンド、、、、、、、、、、シュタッケン、シュタッケン、、、、、、、、、オオ、シュタウッケンズイーンド!」一体全体何が「スタッケズンド」と違うのか、僕の耳では相変わらず関知できなかったが、「オーケー、サー」とエンジン全開で動き出したから、一安心して、ぼんやりと外の景色を眺めていたら、どうも途中から見覚えのない街並みが目の前を通り過ぎるようになった。思わず運転手に、「Are you sure are you
heading to STAKKENSUND?」と聞いてみたところ「イルエス、イエス、サー」としか言わない。英語があまりしゃべれないであろうことは、その返答でも見当がついた。土地勘がないから文句は言えない。しかしどうも同じところをグルグルと走っているような気がしてしょうがない。友人のアパートの近くにある教会の名前を言って、そこの近くだと説明すると、「ィルヤー、アイノー」としか言わない。無意識に料金表を見ると、明らかに今までより多い額が表示されている。どこか見覚えのある通りや店がないかと、僕は深夜のコペンハーゲンの街に目を凝らし始めた。しかし深夜ということもあり、店は全部閉まっており、また、見覚えのある建物なども、夜にはその様相を異にする。ただそのエジプト人の運転手は、確固とした目的意識を持って運転していることを感じさせる、なにやら誠実さのようなものが、そのハンドルさばきににじみ出ていて、トラブルを起こすのもいやだから、黙って乗っていることにした。しかし、東京と違い、深夜のコペンハーゲンはセンターを離れると、人っ子一人歩いていない。身近にいる人はこのエジプト人の運転手であり、彼とは碌に英語で意思疎通が図れないので、成り行きにまかせることにした。だいたい、東京でさえ、遠回りをする悪辣なドライヴァーもいるのである。エジプト音楽が急に大きく響きだした。彼がヴォリュームを上げたのだ。外の景色とは全く別種の文化から生まれ出た音楽が車内に鳴り響く。ラヴソングかと聞くとそうだという。そのドライヴァー、ナヴィゲーターに首っ引きになりながら歌をハミングしだした。こちらはなんだか気が気ではない。うがった考え方をすれば、この運転手、正確な位置に僕を下ろさなくてもいいという選択も無きにしもあらずだ。適当なところで車を止め、ここだと言われれば、タクシーを降りざるを得ない。そう、ええい、めんどうくさい、場所が分からないから、ここらへんで、この変なアジア人に、「ここがシュタッケンズイーンドだ」と言って下ろしてしまってもいいわけだ。しかしその疑いは、だんだん晴れることとなる。しばらくすると、友人の住むアパートのそばの見覚えのある通りが見えて来た。なぜか彼はいつもの運転手と違い、全く反対方向から我が友のアパートに向かっていることが分かった。だが、反対側からアプローチされたのと、周りが暗いので、どれが友人のアパートだかは分からない。彼はいかにも夜目が利く漆黒の目の玉で、「ナンバリュアフアィブ、ナンバリュアファィブ」と言いつつ、車をUターンしたりバックで走ったり、NUMBER5を探すのに必死になっている。その段になって、なんだか僕はこのエジプト人を疑ったことが恥ずかしくなっていた。多分移民に違いない。自分の国に居られなくなったのか、稼ぐためにやってきたのだか。だがそのときの彼はナンバリュア5を探し出すのを諦めなかった。車を、コペンハーゲン中心部から二十分ほどの、労働者階級のために建てられた同じような造りの建物から、シュタッケンスンド5を探すのに必死である。終いには、わざわざタクシーを降りて、建物の入口の番地を確かめだした。僕もタクシーを降り、彼と一緒に薄暗い中、何本かの通りを探して歩いた。

しばらくして、見覚えのある植え込みが見えてきたので、ここで間違いないとドライヴァーに告げると、「ユールルアーウエルカム」と微笑んだ。その微笑は、あまり日本ではお目にかかれない晴れ晴れとしたもので、彼の心根の優しさを垣間見たような気がした。

僕はお礼を言って無言でチップをはずみ車の外に出た。「ミスタルア−,this is to much chip sir」「It’s ok .keep it thanks」運転手に再度礼を言い、車から降りると、件の運転手、「ゴルナット」(おやすみなさい)と言うやいなや、フルヴォリュームのエジプト音楽とともに去っていた。

後で友人にそのタクシードライヴァーの事を話すと、今コペンハーゲンではそこら中で道路工事をしており、遠回りしないと目的地に着けないことも多々あるという。あのエジプト人ドライヴァー、多分彼なりに一番近いルートを選択したのではないかと思った。エジプト人の運転手のことを疑ったことを再度恥じた。

コペンハーゲンにも色々な人種が居て、NYと同じく、アラブ系はタクシー運転手が多い。きっとその晩はアラーの神に導かれたのだろう。

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