明けましておめでとうございます

某月某日
不特定多数の皆様、明けましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願い申し上げます。正月時期は苦手である。嫌いなわけではない。街には人が少ないし、静かでもある。ただ、独り住まいの身としては、多少食料獲得に困難を来す。別に特別健康に留意しているわけではないから、元旦からの三が日をしのぐことぐらい、今までのあれこれを考えれば、そう難しいいことではない。しかし内心どうもきにくわない。特別日本の習慣に楯突くつもりはないけれど、忘年会をやり、その年のことは水に流してしまって、新たに新年会などやっている。こういう国柄では、ナチのアイヒマンをイスラエルのモサドが長年彼を追いつめるというような心情は生まれない国なのではないかと思ってしまう。イスラエルに忘年会はあるまい。少なくともモサドのメンバーには。忘年会をやっても去年のツケは廻ってくるのである。いわんや国際情勢においておや。地球環境のことを考えても、その記事を新聞などで読みながらコーヒーなど飲んでいる僕自身も、相当のアチャラカ者である事には変わりないのだが。ええ、話題を変えまして、ウエブのスケジュールの更新ですが、1月第二週には更新しますので、しばらくお待ちください。

某月某日
地球温暖化だのなんだの言いつつも、毎朝けっこう寒い季節となった。僕の家は、けっこう密閉式なので、あまり暖房はいらないのだが、今年の夏の暑さと比べれば、やはり格段の差があるように思う。今、午前五時半で、また眠れなくなってしまった。冷蔵庫の残りの野菜でシチューを作ることとした。午前五時半に野菜を切っている自分が何だか滑稽である。やらなければならぬ仕事も山積しているが、とにかくシチュウーを料理することと決めた。今は、とろ火で煮込んでいる最中である。作り方は簡単、なんの肉でもいいから、塩こしょうをふってしばらく置いておく。その間に、冷蔵庫にある残りの野菜をテキトウに切って、まず肉を炒め、そこに野菜を入れて炒める。そうすると、野菜のうまみが出てくるようだ。特にこのシチューを料理することに関して、よくテレビで紹介されているような達人の技は必要ない。ただ、使う水はミネラルウオーターにした方が良いということだけが、コツといえばコツだ。後はじっくり煮込んで野菜不足を解消するのみである。ボストンに住んでいる頃、よくチャイナタウンに安いフライドライスなどを食べにいっていた。しかし、ある日気付いたのである。このチャイナタウンにあるたくさんのレストランは、どこから材料を仕入れているのかという疑問が浮かんだのだ。当時、僕よりボストンに長く住んでいる日本人の何人かから情報を得ることにした。その情報を総合すると、ボストンのあまり治安のよろしくない地域に、謎のマーケットがあり、そこがどうも、チャイナタウンの材料を一手に引き受けているということが分かった。こうなったら行ってみるしかない。車をもっている友達を誘い、早速その地域をうろうろと運転していたら、あったあった。たくさんの中国人が出入りしている大きな建物が。中に入ってみて驚いた。中華の食材のみならず、タイなどに輸出用の「出前一丁」のようなインスタントラーメンも売っている。値段は一個50セントほどだ。夜食にちょうど良いと買いまくった。肉類も豊富で、ボストンにある通常のマーケットより安かったような気がする。ただ、肉屋のオヤジは英語を話さなかったので、筆談で用を足した。肉売り場の床には、豚の生首が鮮血を流したまま放ってあったりして、少し閉口したが、ごぼう、白菜など、ボストンのマーケットでは手に入らない野菜が、信じられないぐらい安い値段で売られていた。また、調味料の種類の多さは、特筆もので、オイスターソースのみならず、エビのソース、なんだか分からないソース類がたくさん瓶詰めになって売っていた。それらの調味料も安かったので、がんがん買い込んだ。乾燥中華麺も至って安く、大量に買い込んだ。冷凍食品の中には、餃子が五十個ぐらい入ったものもあり、値段も安かったので、それも仕入れる。そうこうしているうちに、僕のアパートの台所のまわりには、中華料理に使う色々なソースや材料があふれかえった。中華料理のレシピの本など、当時は持ち合わせていなかったが、要するに、まず、ニンニクを細切れにして、豚肉やら鶏肉やらをごま油で炒める。そのあと、野菜を炒めてから、片栗粉を混ぜた水を適量たらせば、中華丼、焼きそばなど簡単に調理できた。わけの分からない調味料を使ううち、その味も覚え、料理の種類によって使い分けるところまで上達した。外で変なハンバーガ-や、スライス・オブ・ピザなど食べているより、自然と野菜が接種できる中華料理に比重が移り、毎晩中華料理ばかり食べていた。しかも自己流の。こうなってくると、調理器具も欲しくなり、ヘラや、かき混ぜる道具、色んな種類の中華鍋なども買い込んで、一事、何のためにボストンに留学しているのか分からなくなってしまった時期もあった。夏場はジャージャー?を良くつくった。自己流ながら、それなりの体裁と味をどんどん旨いものにして行くコツものみこめてきた。日本人の友人を招き、中華料理パーティーなども時折催した。今はずぼらになり、料理といえばシチューが定番である。日本では、ボストン時代に買い込んだ調味料や調理器具が、やたらに高いので、中華料理はもう作らない。おっと、シチューが煮えてきたぞ。

某月某日
過日、電話機が、例の気味のい悪い声で、「ファックスヲジュシンシマシタ」と言うのが聞こえたので、電話機の前まで行ってみたら、表示板というのが正しいのか、とにかくデジタルな画面にカタカナで、「ジュシンデータガアリマス/インクリボンヲコウカンシテクダサイ」との表示が出ていた。ああ、やってきた。復活の日ならぬインクリボン交換の日。僕は、インクリボン交換が大の苦手なのである。一回でうまく行ったためしがない。電話機をぱくっと半分に割るようにして中を見ると、なるほど、どうもインクリボンの様子がおかしい。これは僕の天敵である電化製品量販店へ、インクリボンを買いにかなければならないことを意味する。この日記で何度も書いているように、僕はあの量販店が大嫌いなのだ。ビカビカの蛍光灯に騒音に雑音。落ち着いて買い物ができたためしがない。大体、店内の何だかわけの分からない放送で、店員の商品に対する説明が僕にはよく聞こえない。まあしかし、送られてきた内容のファックスは、仕事関係のものかもしれず、このまま無視するわけにもいくまい。ということで、量販店に突撃。とにかく電話機の取扱説明書自体をもっていって、そこいらの店員に、取扱説明書を見せながら、インクリボンはどこですかと聞く。僕のインクリボンの形名は、数字とアルファベットの合体した複雑なものだ。しかも、だいたい、「形名」なんていう日本語自体が何だかおかしい気がするし、どうして、インクリボンごときに、スター・ウオーズに出てくるロボットみたいな型番つけなくちゃならないんだよ。インクリボンA,B,Cで充分違う形と見分けがつくじゃないか。とにかく、インクリボンを下さいと近くにいた店員に声をかけた。案内されたその場所には、たくさんの種類のインクリボンが置いてあった。なぜ形をいっしょにしないんだろう。すぐさま僕の電話機に合うインクリボンを買い求め、料金を払った後、ダッシュで量販店から外に出る。量販店の店内にいた時間約3分。上出来だ。次は2分を切ってやる。家に帰ってインクリボンの入っている箱を開けてみた。いつも不思議に思うのだが、スティック状のもが2本、セロファン紙のようなものが、均一な量で各々のスティックに巻かれた格好になっている。このことからして僕には分からない。なぜ二本のスティック状のものに「均一に」セロファン紙みたいのが巻かれているのか。たとえば、トイレットペーパーだって、使っていくうちに芯にある筒状のボール紙を残して、紙自体がなくなるわけである。だから、インクリボンだって、どちらかにインクリボンが巻いてあり、どちらかがスティックのみでなければおかしいではないか。セロファンのようなものが均一に二本のスティックに巻かれているということは、どちらか半分のセロファンのようなものは使わないということなんじゃないか。いったいどういう仕組みになっているのだろう。きっと電気会社とセロファン会社が結託しているに違いない。またこのインクリボンの交換が、僕の神経をささくれたものにする。一回でうまく行ったためしがない。しかもなんだよ、この19世紀的な交換の仕組みは。これだけ電化製品が発達しているのに、コンピューターのプリンターのようになぜならないのか。まず白色ギアと緑色ギアを新しいインクリボンのスティック状の穴に差し込む。この行程からして、もう既に19世紀的じゃないか。大体このプラスチックのギザギザした、円形状のものが、「ギア」なんて名前で呼ぶほどのシロモノか?とにかく解説書通りに、そのギアなるものを差し込んだ状態のインクリボンのスティックを本体に装着べく試みる。まずここで、必ずぴったりとはまらない。スティックの長さが長すぎて、電話機本体にフィットしない。その何だかギアとかいう物を、もう一度、スティックの穴にぐっと無理矢理押し込もうとしていると、段々セロファンみたいな紙がよれよれになってくる。格闘10分後、やっと二本のスティック状のものが、電話機に収まる。ふと見ると、ぱくっと二つに割れた電話機の裏側にも、インクリボン交換方法という説明が書いてある。二本のスティックを本体にはめ込むところまでは解説書と同じことが書かれている。違いは、緑色のギアを回転させて、インクリボンのたるみをなおしてくださいとある。その通りにして、二つに割れた電話機を閉める。ジーっと何だか原始的な音がして、「キロクシ/リボンカクニン」という表示が出る。いつもこうだ。いつも一回目にはうまく行かない。もう一回電話機をぱっくりと二つに開けて、インクリボンのよれがないか目で確認し、たるんでないことも確認して、緑のギアを回して、多少セロファン紙が突っ張るぐらいの状態にして、電話機を閉じる。「キロクシ/リボンカクニン」の表示が再度表示される。ここでいつも僕は、顔の表情だけ、無念無想の境地にいる者になる。しかし、頭の中は、無念無想どころか、不条理感と怒りでいっぱいになっているのである。こいつはいったいなんだ?なぜいわれた通りやってるのに動かねえんだ?きっとこれには電話機の閉じ方に問題があると考え、まず最初に静かに静かに閉めてみた。結果はダメ。作動しない。頭にきたから、こんどは思いっきり乱暴に電話機を閉めてみた。ガシャン!ジーッという音が長く続く。おいおい、いったいどうしたんだよ、さっきいよりそのジーって音が長いじゃねえかよ、と思っていたら、「シバラクオマチクダサイ」という表示が出た。シバラクッてどのくらいの時間のことを言ってるんだ。すると、またジーッという音がして、止まった。表示には、「ルスセッテイ」と今日の日付が。うまく行ったのかと思って、ファックス受信のボタンを押したら、電話機にファックス用紙が吸い込まれて行く。やっとうまく行ったんだ。しかし腹立たしい。インクリボンを交換するのにある種のコツが必要だということ自体が許せない。ゼロ戦じゃないんだから、誰がやっても、同じく作動するように、なんで設計できないんだ。これだけ電化製品が発達しているのに、何でファックスのインクを変えることだけが、19世紀的なのか。出てきたファックスを見てみたら、○×不動産株式会社 オフィスレンタルの件、六本木の一等地、4DK 賃貸し 月600,000という見出しの下に、部屋の間取りの設計図みたいのが印刷されている紙が出てきた。怒髪天を衝くとはこのことであろう。間違いファックスだったのだ。このオレサマに、月60万の家賃を払えってか。こっちはてっきり、何か仕事のファックスだと思ってたのに。次回から、ファックスのインクの交換時には、お客様相談センターに電話して、しかるべき人間を無料で派遣させ、交換作業を、何度も書くが、無料で作業させると心に誓った。えへ、えへっへへへへ。非常に感情的な文章を書いてしまいました。仕事関係の皆様へ。ということで、インクリボンは最近新しく交換したので、しばらくはファックス受信は問題ありません。何かありましたら、連絡お待ちしております。

某月某日
10月のはじめに風邪をひいてしまった。微熱が続き、本日29日、やっと熱が下がった。こんなに長い間風邪で熱を出した経験がなかったので、血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしたが、要するに体に細菌が入ったということしか分からなかった。まあ、大病でなくてよかったようなものの、これだけの長い間微熱が続くと、体力は消耗し、頭のぼんやり度も増してくる。普通に気分がいいという状態が、いったいどういう気分なのかも忘れてしまうほど、体がだるかった。熱がもっと高く、ベッドに寝たきりだという状態であれば、まわりの人間も、ある程度僕のことを病人として扱ってくれるのだろうが、微熱というのは微妙なもので、気分は悪いのだが、何となく事務の仕事をしてしまったり、じっとテレビを見たりしていたので、他人からは病人扱いされない。微熱なのだからたいしたことはないと、色々と仕事をしていると、日を追って体のだるさが増してきて、とにかく、横になっているか、テレビを見ることしか、できることがなくなってきてしまう。こういう時期に限って、ピットインでGO THEREの演奏、JAZZ TODAYでの演奏などをこなさなければならず、座薬などをぶち込んで、何とかしのいだのであった。特に、JAZZ TODAYの演奏の最中、座薬が効きすぎたのか、血圧までもが下がったような状態になり、ほとほと困った。まあ、評判が良かったので、これはこれで良しとしよう。風邪は万病の元とよくいわれるが、現代に於いて、病気の種類は1万では足らないのじゃないか。風邪は億病の元と言い換えるようにしたらどうか。行きつけの医者のところで採血したり、レントゲンを撮ったりして、最初に書いたとおり、億病の元に、自分がかかっていないことは、はっきりしたのだが、病院の待合室には、なんだかよくわからない病気の名前が羅列されたポスターなどが貼ってある。難病と呼ばれるものばかりだ。病名を何とはなしに読んでみると、その病気の症状よりおぞましい名前がついているような気がしてならない。しかし、よくその張り紙を見ていたら、金欠病という病名はなかった。多分誰にも治せないのだろう。金欠病になれば、病院には行けず、つまり、おぞましい名前の病名さえつけてもらえない。名前は間抜けだが、金欠病ほど恐ろしい病はないのではないか。僕もずいぶん医療費を使った。金欠病の初期症状である。

某月某日
また寝そびれてしまい,今は午前五時。この時間になると,妙に体が,たとえその夜睡眠をとっていなくてもどこかハイパーな気分になってくるのは,DNAの底に埋まった整体時刻のようなものが、まだ活動している証拠なのかもしれない。そう勝手に思い込むことができれば,僕はまだ健康であるということに成りはしまいか、と、今瞬間瞬間,明日の昼間までどういうかたちで寝ることができるか,模索しているところである。前回お知らせしたように,全曲ジャズのスタンダードナンバーで構成されたCDが秋に発売される予定となっている。色々な写真集など、またウエッブにて検索したりしながら,いいジャケット写真を探しているのだが,なかなかピタリとくるものがない。しかし,焦っているわけでもない。今までの経験からすると,最終的には何とかなるものだからだ。ということで,ジャケット写真も楽しみにしていてください。寝られないので,久しぶりにテレビを見たら,「朝までなまテレビ」をやっていたので,何となく最後まで見てしまった。ずいぶん前に,九鬼周造著「いき」の構造という本を読んだことがあるがある。すぐれた本というものは,貴重なものであることは周知のとおりだが,べつにこの本を読まなくたって、「いき」というものが、テレビを見ていてなんだか分かるような気がしてきた。つまり、政治家という職業の人々と対局の発想、観念,言動を心がければそれでよいということが良くわかった。思わず勉強になってしまった。いずれにせよ,日本の未来は暗いですね。ここ数日,仕事もなく,暑さのために,諸処の事務処理能力が通常の10倍ダウンしているので、内心焦ってはいるものの,それを突破する精神的前傾姿勢が、いまだ体の中に芽生えてこなくて,自分自身に辟易としている。まあ、こういう状態も何度か経てきているので,だからといってとてつもない心労をかかえつつあるといった状況でもないのだが。どちらにせよ,社会的に考えれば良い状態ともいえない。長い酷暑の日々を少し抜けてきた昨今ではあるが,食欲はいまだ戻らず,結構人間というものは,あまり食べなくても生きていけるような気がしている。食べるということに関して書いてみて,今思い出したが,またつい最近,あまり見ないテレビを何となく見ていたら,大食い競争やら,ラーメンを一日に何杯も食べてみせる番組などを連続して見てしまった。芸能人は,それを仕事としてやっているのだから,こちらが文句を言う筋合いはないし,見たくもない番組は,視聴者の側で見なければそれでいいだけの話しだが,やはり下品だと思う。このことも,九鬼周造の理論を知らなくても,「いき」ということがどういうことかということを,逆に理解する近道であろう。21世紀は始まったばかりなのに,世も末だ。こんなことを書くと,何だ偉そうにと思われる方もいるだろうから,補足のために書いておくが,日本の食べ物は,世界の食べ物,特にアメリカ,北ヨーロッパのものに比べて,格段に質が高い。これは僕が日本人だから,ということで贔屓しているのではなく,客観的な体験を元に、このことは断言できる。勢い、食に関する番組が多いということも,うなずける部分もなくはないと思う。しかし、カメラの前ででかい口を開けてむしゃむしゃ食い物が食えるという神経には,僕はついて行けない。単に恥ずかしいから。トリオのCDが発売されれば,自然と,これからの活動の指針もたつであろう。この夏を朦朧と過ごしてしまった分,何らかの巻き返しを画策せねばならぬ。と、ここまで考えたところで,その先に特に書くことが思い当たらなくなったので、今晩?今朝というべきか,今回の独り言は終わり。最後に一言。最近の日本人は喰い過ぎだと思う。

某月某日
また長らく日記を書くのを休んでしまった。あまりにも考えることが多くて,それを文章に書くという、いわゆる脳の中でのそれら事象をまとめる時間,それを内的言語にする咀嚼の時間が、この期間あまりにも長すきたことに起因すると思われる。ここで宣伝です。秋頃,ピアノトリオのCDを出すことに決まりました。演奏したのは全てジャズのスタンダードです。メンバーは,鈴木正人(B),芳垣安洋(DS)。なるべく意識的に,曲にアレンジをほどこすことを控え,これはある意味ヒジョウに冒険なのですが,あえてその方針でつくってよかったと思える内容となりました。鈴木,芳垣両氏も,すばらしい演奏をしています。秋頃発売予定なので,またこのウエッブにてお知らせします。8月の頭、小用あってヨーロッパに行っていました。帰ってきたのが,ちょうど東京各地で熱さ地獄が始まる直前で,体がまいりました。向こうは25°ぐらいだったのですが,成田に着き,JR鴬谷駅で外に出たとたん,サウナに入った時のような感覚に襲われ,これを逃れるには、四次元に開いたどこかの扉を探すしかあるまいと覚悟した次第です。外気がサウナなのだから,もう四次元にその出口をもとめねば、この環境からの脱出は無理だと,客観的に感じたのですが。これは、何の理論的根拠も科学的正当性もない意見ですが、一方、僕の心の中では,「皮肉」という一言が思い浮かんでは消えしています。この灼熱地獄によって,死んでしまった方もあるようで,これはどうも尋常な暑さとは思えません。宗教には,どの宗派にせよ,地獄,天国という概念があるようですが,もうすでに、この世自体が地獄なのに,いったい死んだらどこに行けというのでしょうか。宗教家は,地獄はもっと苦しいという理論で来るのでしょうが。この文章を読んでいる皆様も,お体ご自愛ください。

某月某日
前回の二回の日記、ろくなことは書いていない。自分のなかで堂々巡りをしているのみであるから,自らが何かの行動を起こし,精神的に全てなにもかも解決とはいかないまでも,なにかしらの気分転換が必要なのは衆目のとおりである。僕はいわゆるグルマンではないが,何かうまいものを食べて,少し気分転換をするということに決めた。これとて,僕にとっては非常に飛躍的な行動なのだが。とある筋から,あまり有名ではないが,うまいイタリアンレストランのことを聞き及び,それを教わった晩に出かけてみたのである。別段イタリア料理に詳しいわけではないが、その店は,とある世田谷区の一角にあって,メインの通りからも遠い。隠れ家的店である。まず席に着き,メニューをひろげる。日本語とイタリア語が併記してあるメニューに、料理の種類が並んでいたが、読むのが面倒であったので、店員を呼んで,とにかく前菜、メインの料理の二種類のおすすめを教えてもらい,後は全てまかすことにした。酒は辛口の白ワインをたのんだ。それが店員おすすめの料理のコンビネーションと多少合わなくてもおかまいなしである。何度も書くが,僕はグルマンではない。しかも,内臓が,紫色に変色するのが,そのときなぜか嫌だったから白ワインを頼んだ、という理由からだけである。白ワインをがんがんあおっていると,色々なキノコの炒め物が出てきた。メニューに書いてある料理の名前はすでに忘れている。オリーブオイルと何かしらの塩気によって絶妙な味をなしているキノコ類をわざとナイフとフォークで小さく切りなが食す。よく炒めてあるのに,キノコの繊維質がしっかりと歯ごたえがあり,しかも量も多く,先ず第一段階はとても味覚的に楽しめた。中華と同じく,やはり強い火力の調理ができるからこそこの味はたもてるのだろう。キノコの味というものは不思議千万で,味というより,繊維質とキノコ自体の土の香りを少し残した風味を味わうものだということを再認識したような気がした。キノコを食べていたら次の料理が来た。パンに様々なチーズを溶かしたものがかかっているなんとかというメニューで、これも少しずつ切って食べてみた。食べているうちにチーズソースがさめてきたのに,固まらないのに少し驚いた。ところどころ青っぽいところがそのソースの中に見受けられるということは,ブルーチーズも入っているのだろう。ヨーロッパに演奏しに行った時,彼の地において,相当えぐいチーズを食べたことがあるから,この一品は,もしかしたら,日本人用にアレンジされているのかもしれない。なぜなら,食べやすかったからだ。白ワインとともに,パンにチーズをぬってもぐもぐとやっていたら,メインディッシュがきた。ズワイガニのスパゲティ-である。まずカニの腕だか足だかを素手でつまみあげ,食べにくい中身をしゃぶり始めた。どう考えても,カニの中身とパスタ自身をいっしょに食べることが無理だなあと思ったからである。思ったとおり,カニの中身は食べにくく,最初は,丁重にナイフでもってして,中身を掻きだしていたが,途中から面倒になり、甲羅の部分から噛み砕いて全部食ってしまった。ざまあみろである。いずれにせよ,パスタには,カニの滋味が混じっているはずで,こういう食べ方をしても,特に問題はあるまい。思ったとおり,カニを征服した後のトマトソースのパスタには,カニの風味が移っており,しかも、絶妙な割合で唐辛子の辛さが風味を引き立てていた。ジューサーで細かくしてトマトソースに和えたというよりも,細心の注意を払って,唐辛子を細かく刻んだという辛さのなかに、スーパーマーケットで売っているトマトの缶詰にはない、トマトの新鮮な風味が、絶妙にパスタと絡み合っていた。一口食べてみると,その唐辛子の辛さとトマトの風味、カニというよりもいわゆる海鮮のある意味重ったるい食感が、口中に広がった。これは美味であった。この味覚によって,脳内のセロトニンが増えないかなあと一瞬想いつつ,このカニパスタ,一気に食ってしまった。次なるディッシュは,子羊の何とか香味風味焼きとかゆうもので,二十代の頃、フィレンチュエで食べたことのある,Tボーンステーキを想起させるものであった。辛口ワインも相当飲んでいるので,もうフォークもナイフも使うのが面倒くさくなり,子羊の肉にくっついてきた骨をつかんでそのまましゃぶるように食べてしまった。勿論この一皿にも,焼き加減,塩の量,焦げ目のつけ方,色々技があるのであろうが,こちらはそんなこと,食べる方法に関してはおかまいなしだ。ただただしゃぶりついた。脂身の部分と,肉質な部分が絶妙のバランスでり、一口一口が楽しめるように調理されているところに、家庭料理では再現できない何かしらの技を感じた。一口噛むと,肉の繊維質,しかしそこにはほろほろと,肉の脂肪がまとわりついてくる。二口目にも同じ満足感が得られるということは,なにかしら途方もない工夫がなされている証拠であろう。味全体に関しては,塩味が強すぎる感があるのに,その塩味を感じたとたん,肉汁がそれを中和するという繰り返しには,少し恐れ入った。後,骨までしゃぶって,椅子にのけぞり,天井を見上げた。たまにうまいものを食うと,少し頭がぼーっとする。この湿気の強い嫌な気候の中で,このような味覚を維持すること自体,大変なんだろうなあと想いつつ店を出た。たまにはこういう晩が有ってもいいではないか。明日からまた,豆腐に醤油をかけてそのままスプーンですくって食べる日がはじまるのであるから。二番目に食したのは,

某月某日
前回の日記の続き。こういう湿気の時期にまた夜も眠れなくなるという悪循環が襲ってきた。ただいま午前6時30分。前回の日記で書いたいわゆる余計なことを考える気力もなくなっており。こんどはあらぬ妄想が,何の合理性もなく、浮かんでは消え,浮かんでは消え,という状態になっている。眠れなくなるという状態にはなれているはずなのに,今度は複数の,わけの分からぬ妄想が、瞬時にして頭をかすめたり,なかには、その妄想と他の妄想とのあいだに、何らかの関係のあるものまで含まれている時がある。いずれにせよ,前回書いた日記を書いた状態よりも手に負えない。ただ妄想といっても,それは必ずどこかに悪夢的な要素を含んでいるからである。つまり、前回のように,何やら根本的に脈絡のないことを書き散らしていた時よりも、さらに自分自身の思考を押さえつけるのは難儀な状態になってきてしまっている。何しろ相手は妄想なのだから,突然に前夜に見た夢の断片が頭の中に去来したかと思うと,とにかく有りもしないようなことが、何故だか冴えきったイメージの中に滑り出してきたりする。個別の妄想自体は,そんなに頭を悩ます原因ではないのだが,しかし,それらいろいろな妄想そのものが,ものすごい勢いで、同時に脳内を通り過ぎてゆき,これには全くお手上げの状態で,禅の言葉で,妄想は出流にまかせる去るにまかせるしという方法があるそうだが,世俗にまみれた僕の心境では,到底このような言葉は,知識として認識されるだけである。酒を飲むと一時収まることもあるが,それによって酒に依存するのも厄介の種となりそうだ。新しいトリオのMIXINGの日程がなかなか決まらず,新しい演奏場所を探し出さなければならないという強い想いが,不眠症、ならびに、複雑な人間関係など、これらのことが要因になって、自分勝手に妄想しているに元凶かもしおれない。チュンチュンの時間となってきたようだ。ムダとは知りつつ,これからベッドに横になってみることとする。

某月某日
梅雨である。きわめて体調が悪い。僕の天敵は湿気なのである。ピアノと同じように。昨今ポッコリと演奏の仕事の谷間ができて,気分もすぐれないのに,余計なことを考えてばかりいる。余計なことは余計なこととして,考えねばいいと言われればそれまでなのだが,その余計なことの中にも、大切なことが混じっているかもしれず,大切なことの中に余計なことが混じっているかもしれず、こういう文章を書いていること自体,余計なことかもしれず,最後にはため息が出る。総じて言えば,日本という国は、かわいそうな国である。世界史の中で初めて原爆を落とされ,信用していた政府には裏切られ,国家としての理念もなく,普段食っているものは何がなんだか分からなくなっていて、それなのに、諸外国からは先進国として扱われ,根本的には国家自体貧乏なクセして背伸びして,生き残ろうとしているけなげな日本。こういう国に文化が根付くことは、遠い先の未来だろうと思うと,暗澹たる気持ちになる。いわんや,遠い先の未来に,文化国家として確たる姿を呈することができれば,まだいい方かもしれない。なにを一人のミュージシャンごときがほざいているのか,と思われる方もあろうが,逆に言えば,たかがミュージシャンごときの存在をも、こういう気分にさせる土壌というのは、いったいなんだろう。僕の気鬱のせいだけなら読み捨ててもらってもかまわないけれど。僕は自分の審美眼と美感を,信じるのみである。

某月某日
前回のごとく書いてはみたが,ウエッブの管理人の適切なる指導によって書き変えることができた。なんだか,キャッシュを空にするという項目をいじらなければならなかったようだ。また一つコンピューターについて新しいことを学んだような気もしているが,時が経てば忘れるであろう。そういう頭にできあがっているのだからしかたがない。せいぜいウエッブの管理人に愛想を尽かされない程度にうまく渡り合うすべだけは忘れぬようにしないと。そういえば,久しぶりに日記を更新している。むしかえすようだが,我が尊敬する哲学者、池田晶子氏が亡くなってから,何となく,文章を書くことに対しておっくうになっていただけなのだが。言葉はロゴスであるという真実を突きつけられてしまえば,おいおいと、よけいな文章は書きたくなくなるし,今はやりのブログというものも,なんだか善し悪しの基準が曖昧に思えて,不特定多数の人々に対して,ここで文章を書くこと自体,すこし憚られた思いであったのだ。前回の日記を見てみると,トリオの録音のことが書いてあるが,これは三月に終えたことであり,優に3ヶ月間沈黙していたことになる。この間,個人的にも社会的にも色々なことが起きたのだが,どうも世の中,時が経つにつれて,ミュージシャンのみならず,生きにくくなっていく度合いが増えていっているように思えてしかたない。宮崎駿氏の創造した「風の谷のナウシカ」では、腐海に広がる粘菌が、ある意味人類の未来を象徴していたが,西暦2007年現代の粘菌も,増殖してるんだか,どこにあるんだか分からない仕組みとなっているようで,どうもお先真っ暗だ。日本人はなぜもっと怒らないのか。僕としては音楽を通じて暴れるつもりである。アバレルといっても、なにもデモをするとか,わけの分からない行動に出るつもりはない。べつに激しいフリージャズ的手法をもって,何かを表現するつもりもない。いずれにせよ、大勢の人々が,本当の音楽によって或る種のカタルシスや,日々のどうにもならない気分が一瞬でもいいから解放されることを望むばかりだ。別に僕の音楽以外でもそういう体験をして頂いてもいいのだが。笑ってしまうのは,,学校の先生や,その他、ごめんなさいではすまない職業の人達が,妙な痴漢行為で捕まっていることだ。バンドマンだったら,あいつはスケベでどうしようもないな,ですむところ、むろん,被害者の女性をこれ以上増やすことは良いことではないが,復職できるということを考えれば,我々の方にアドバンテージがある。いったいどうなっているのだろうか。つまり、あまり一寸先は闇ではない人や職業の人が,自ら一寸先は闇の世界を創出しているということであって,ある意味,我々ミュージシャンを上回る気性の持ち主が増えているということであろう。こうなってくると,我々が,いい意味で音楽的に暴れても,あまり意味がなくなってくるのではないかと不安に思ってしまう。何しろそういう人達は,我々を精神的に凌駕しているのだから。さてこの日記本来の役目をこれから書き記すとすれば,トリオのCDの発売は秋以降となりそうである。予定ではそうだということで,後は実務をこなすEWEの手腕に、宣伝なども含めてまかせるしかない。

某月某日
機械の都合で,新しいライブスケジュールの更新ができません。なぜだろう。

某月某日
本日は,目の奥底のホコリがふりはらわれるような晴天である。少し風が強いが,それもまた,目やにをからりと乾かしてくれるような春風であり,気分がすこぶるいい。一週間ほど前,銀座のスタジオにてトリオの録音をした。メンバーは,鈴木正人(B),芳垣安洋(DS)。今回は,前回の「ELEGY」のようにストリングスが入っていない掛け値なしのピアノトリオの録音だ。発売は今年秋頃を予定している。詳しい情報は,追って,このウエッブにおいてお知らせしたいと思っている。スタジオにて,久しぶりにスタインウエイを弾いた。ピアニストであるのに,なかなかこの楽器にめぐりあえない。普段,場末のキャバレーのズベ公と、日夜の区別なくものすごく淫蕩な日々をすごすダメ男が,いきなり原節子から愛を告白されたような、そんな段差がある楽器で,鍵盤のタッチ、サウンド,音色,アクセント,等など,申し分なく自分のイメージしたとおりの音を出してくれる楽器だ。ピアノという楽器は,名前のとおり,ピアノフォルテを十分表現できるもので,その醍醐味を久しぶりに味わったと思うのは,喜ばしいことなのか,悲しいことなのか。確実にいえることは,また新たにピアノという楽器に対するイメージを録音を通じて学ばせてもらったという気分いっぱいである。と、言いつつ,レコーディングのために家にこもってピアノばっかり弾いていたので,いざ本番が終わってみると,燃え尽き症候群のような精神状態になってきて,最初に書いたように,ああ、太陽が明るくなってきたな。風が強いなといった自然現象しか感知しなくなってしまった今日この頃である。ちょっとニュース等を真剣に見ると,ロクなことは起っておらず、詳しく書かないけれども,まあ嫌になってくるだけだ。日本の政治は何でこうゴミなんだろう。いや、春だ。ゴミなことを忘れさせてくれる春の力を信じようと思う。コンピューターで桜の開花予測をし,それがはずれるなど,愉快でたまらない。咲いた時が咲いた時じゃないか。日本の都市景観は類を見ないほど最悪だが,そこに桜が咲いていると,何ともけなげに見えてくるから不思議である。今住んでいるところから一番近い花見の場所は,M川沿いの桜並木だが,毎年夜桜を見に行っている。川沿いの店などが,屋外に椅子を置き,花見客を立ち止まらせようとしているのだが,僕はあまりそういうところには座らずに,川沿いに桜を見ながらうろうろする方が好きだ。そのあと酒が呑みたくなれば,川沿いからはなれた店で静かに杯をかさねるのがよろしい。家に帰ってねそべりながら、坂口安吾の「桜の森の満開の下」など読み返すと,またこれ格別である。お金もかからない。さあ,今年の春、夏,秋、冬は何がおこるのであろうか。池田晶子さんも死んでしまった。どうあれ、次回のCDが出るまで,考えの及ぶ限り,自分の音楽のことを大切にしなければいけない。最も簡単な答えが,最も難しい。

某月某日
我が尊敬する哲学者,池田晶子さんが死んでしまった。ものすごくショックである。彼女は僕と同じ1960年生まれで、年齢も46才と同い年だ。僕の好きな作家は、すべて鬼籍にはいっており、彼女の書く文章は彼女より若い人、または同年代、池田さんより歳をとったひとが、まじめに思索するに十分な内容である。まだまだすごいことを書いてくれるという期待が僕の中にあった。そういう意味で,池田さんの新刊が出るのを楽しみにしていたのに,癌によって池田さんは他界された。悲しいのは,これより先,新刊は望めないということである。いずれにせよ、同い年の池田さんのことは、他人事とは思われない。今まで既刊の彼女の書いた文章には全て目を通している。これまでの池田さんの文章を読んで感じたことは,僕には明晰に考えられない大切なことを,池田さんの文章によって知らされたということだ。このことは,僕に対して,大きな財産となり得ることだった。池田さんは,死に対して,この世の不条理に対して,明確な理論的文章を展開されている。この世の不純を書き表し、それらの一字一句が,少なくとも僕の魂を動揺させるのに充分だった。だがしかし、もう新刊は,書き残ししか期待できないだろう。何という悲劇であろうか。彼女のような人こそ,これからの日本人を、内面的にリードし得る人だったと確信していたのに。これは僕の勝手な思い込みかもしれないが、我々日本人は,真のオピニオンリーダーを亡くしてしまったと思う。インターネットで知った情報だが,池田さんは、死ぬ間際まで文章を書いていたということが多く語られている。僕が最近読んだ池田晶子氏の本は,情報センター出版局の「残酷人生論」であった。未来を予見したようなタイトルではないか。この本でも,死ということが,実に明晰に記されていた。同い年の僕よりも先に、その「死」を超えてしまった池田さんの胸中はいかばかりであったろうか。哲学的解釈をぬきに考えても,池田さんの安寧を望むまでだ。彼女自身,著作の中で,死は存在しないと,何度も書いているけれど。しかし、一方では,池田さんの安寧を望む反面,死ぬ直前まで書いていた文章を読みたいというある意味下品な欲望も抑えきれない。こういうことを願うこと自体、残酷人生論かもしれない。でもしかし読みたい。文筆家はこういう人生をたどらなければならない宿命があるのかもしれない。などと、自分勝手な理由をつけて,だけど読んでみたいのだ。たとえその行いが下品であろうとも。池田さんは、本当に最後まで死を恐れなかったのだろうか。ここが、文筆家と読者の残酷な関係の露出するところである。客観的に見れば,文筆業というのは因果な商売といえよう。書いた本人が追いつめられたところを,追いつめられていない頃の文章と照らし合わせたいという、それこさ、残酷な読者の興味を倍増することであるから。不謹慎は百も承知で,池田晶子さんの新刊を楽しみにしている僕は,はたして、サディストなのか。ええい、どうでもいい。池田晶子さんがこの世に残した文章は,一字一句にいたるまで、熟読するつもりだ。勝手な考え方かもしれないが、,それが彼女に対しての最大の供養となるであろうと望みたい。

某月某日
またずっと日記を書かなかった。正月新年は深夜はピットインで演奏し,そのまま家に帰って寝たら,元日の夕暮れになっていた。年越しそばも,日本的新年のお正月の行事をすべて放棄した静かな夕暮れ。そば屋も開いていまい。元日の太陽も拝めなかった。しかしながら、いい気分である。気分はいいが,脳の気分は悪い。正月という時期を無視したという浮遊感をもってして,寝床から起き上がるも,これといってやることはない。腹が減ったが,僕は腹が減らないつもりになるのがうまいので,そのまま連続して煙草を吸ったりしていると,夜になった。初詣でも行こうかと思ったが,人ごみの中にいくのがいやでやめた。ということで何にもすることがない。実家に帰る約束をしたのが3日だから、後一日寝て過ごすことにした。池田晶子著「残酷人生論」を読んでいるとまた午前四時ぐらいになった。どこも開いてないから散歩に行く気もせず,部屋の換気を定期的にする意外なにもしなかった。さて3日の午後に,実家に新年の挨拶にいくことになっていたが,行くこと自体もめんどくさくなってきた。なんだかんだ理由をつけて3日の日も実家にいかなかった。実家にいけばそれ相応の食い物があるだろうに,親戚が集まって,おめでとうございますなんて,なんだかアホ臭くて,寝床に横になりながら,中島義道著「たまたま地上に僕は生まれた」を通読。この手の本を読んでいる方が落ち着く。悪癖はすぐ身に付くもので,一月中深夜まで本を読み,起きるのが午後4時頃と、太陽の光を見ぬ一ヶ月が過ぎていった。不健康きわまりないが,慣れるとそうでもない。なにもはつらつとして明るいばかりが人生ではない。食生活も滅茶苦茶。後でツケが回ってくるのだろうがかまやしない。今までずいぶんとツケを払わされてきたから,次はなあに、てなもんだ。なんでこんなことができるのかと言えば,これといった仕事が無いせいであって,ここまでくると,自分がピアニストなんだかなんだか,もうそんなことはどうでもよくなる。読書に飽きると,サングラスをかけ,新宿紀伊国屋書店に落語のCDを買いに行く。僕の贔屓は春風亭柳朝だが、いかんせん記録が少ない。残念なことである。もちろん古今亭志ん生、桂三木助,円生、金馬などなみいる名人も僕のお気に入りで,ジャズなんてこれっぱかりも聞いていない。うまい落語家は音楽と同じに,やはりグルーブしている。面白いな。しかし2月となるとこんな生活をしているわけにはいかなくなる。さすがに、なにか起さねばと,板のようになった背中をさすりながら,仕事をとり,3月のレコーディングの準備も始めなくてはならない。ということで、最近名実共に,おそまきながら、起き上がった所である。

某月某日
東京フォーラムに於いて,ジョアン・ジルベルトのコンサートを聴きにいった。あの音量で,大勢の客をテンションをキープするということは至難の技である。ボサノバという音楽は実に不思議だ。この太陽系に地球という惑星があって、今まで人類が歴史上どんな蛮行を繰り返してきても,その蛮行を大きく音楽で包み込む奥深さが,ボサノバ,強いていえばジョアン・ジルベルトの音の中に散りばめられていた。そう,極端にいいえば,いずれ太陽の膨張で消え去る運命にあるこの地球で,地球の人類が作り出した,何をも包括する音楽、それがボサノバなのではないだろうか,いわんや,超未来の人類が、太陽に地球が呑み込まれる瞬間にトリステなんか聴いているなんていうのも、不思議にマッチしてしてしまう音楽、これはボサノバ以外無いであろう。卑近のボサノバであっても,例えばイラクでの戦闘シーンに、現場の音をかき消してボサノバを流したら,逆にものすごくインパクトのある映像が撮れるのではないか。満員電車の風景にデサフィナードなど流せば,シニカルをとおりこした,何らかの残酷さとともに,どこか客観的でシラケた効果が出ることは必須である。例えば,爆弾テロがあった場所に映像とともにボサノバを流せば、人類の,意識そのものが,大きく展開するのではないだろうか。人類がちょこまかと己の利益や思惑で行ったり来たりしている。僕を含めて。だが,21世紀の映像にこそ,ボサノバは必要なサウンドであると思う。御大75才、来年は来てくれるのだろうか。

某月某日
昨日,携帯の会社を改め,新しく某社の機種を手に入れた。機種変更に関しては,今まで使っていた携帯電話にいろいろと問題があったから応じたのだが、それを変更するまでの行程は詳しく書かないのがよかろう。一言そえれば,機種変更に於いて、多大なすったもんだがあったとだけ記しておこう。今頭にきていることは,機種変更、その間のすったもんだ,店員の対応等の問題よりも,新しく手にした携帯の機種の内容にある。僕が一番げっそりきたのは,その携帯電話自身の内容の幼稚さである。とにかく、誰かが日本人を愚民化,もしくは文化度ゼロに追いやろうとしているとしか思えないような機能がたくさんついている。色もデザインもひどいという言葉をとおりこしたメールの背景画や、メールの文字に付随するチーハク的絵文字。漫画やゲームなど、携帯一機には多すぎだろうと思われる下衆なサービス。無知なガキから、通信料、通話料をむさぼり取ろうという見え見えな多くの仕掛け。仕事に関連しなければ絶対もたないこのような機械。ガキの仕掛けにはつばくろのように,一方向に目を背けるばかりだが,やはり中には大切な情報を集積したアプリケーションがあり,いやでもガキ専用の項目を無視できない状態となるときがある。。機械に弱い私は,意に反してそのガキ地域をまちがってボタンを押してしまう時があり,非常にイライラする。着信音にしても、こちらの神経をイライラさせる電子音のものが多い。こういう音でないと,渋谷の騒音の中では聞こえないのであろうが,このこと自体,もう悲劇的なことである。あのチャカチャカした音を二重に聞き慣れた耳は,一体その先どういう音を求めるのだろうか。または,こういうことにこだわる僕が,神経質すぎるのか。どこに基準を置いていいか分からなくなってくる。ちなみに僕は,絵文字というものが大嫌いである。メールと言っても,これは手紙の一種なのだから,すべて文章で表せばいいじゃないか。こんなことを言う僕はもうジジイなのか。誰か、頼むから,大人用の携帯を作ってください。

某月某日
一時間前に,EWEの主催するJAZZ TODAYにおいて,BOZOで演奏して帰ってきたのだが,演奏があまりにも刺激的で,脳のシナプスが飛び交っているようで,全然眠くならない。逆に,すぐ寝られるようだったら、演奏は無難にやり過ごしたという、ある意味内容がよくなかったことを示唆しているのかもしれない。ある種の職業病だともいえるが,ドラムの音、ベース,サックスのフレーズを,一音ももらず聞いて反応し,脳内も,普通の状態ではあるまい。面白いことに,わざと周りの音とは関係ないプレイをすることがある。そういう時,ドラムやベースが音楽の流れの一点に置いて,瞬間的にピタリとあう瞬間がある。これはプレイヤーに於ける最大の喜びである。と、脳を酷使して指先じゃんじゃん使った後,温かいミルクを呑んで行儀よく就寝とはとてもじゃないが,無理である。悪いことに家事などなにも手につかない。家の中を行ったり来たりしているのみである。大勢のお客様の前にいた数時間前とは、当然ながら違う人間になっている。雑念だらけの,その雑念さえ答えを導くことなく堂々巡りしているような,そんな状態だ。そしてあるとき瞬間的に眠気が襲う。昨夜は午前4時過ぎで,朝-9時に目覚めてしまったが,脳内はあまり快調とはいえない。まあ,毎度のことだが。

某月某日
いつまでも家にこもってネガティブなことを考えていてもしょうがないので,今日は無理して外出することにした。だいたい,東京自体が騒音の渦なのだが,そんなことをいっていてはいる場所がなくなってしまうので、まず土地勘のある新宿へ行った。やはり騒音の渦だが,高校時代から来ている場所なので,どこがうるさいかだいたい見当がつき,そのスジの通りは歩かないことにして,名目ともにふらついた。途中で,パンツ(ズボンだよ)と靴を買って、気分転換をはかることにする。外見が違えば,脳の状態もそれなりに変化すると思ったからだ。まあ,今日買ったものいだし、これからそれらを着たり掃いたりしないと気分の変化が分からないので、まず買い物をしたという充実感をもつことにした。消費によって快楽を得るのはキャピタリズムの基本だが,難しいことは考えずに,僕もその上に乗っかって、楽しい思いをしようとしたまでだ。だが、やはり、買い物とは際限ないものであり,いい演奏ができた直後の快感には,当たり前だが劣る所がある。まあ、同じ快感を買い物で得ようというのが根本的な間違えだと思うが。とりあえず、家にこもって悶々としているのでないということでよいと思うしかない。家に帰ってジョアン・ジルベルトのCDを聞いている。どんな状況でも,どんな精神状態でも,ボサノバは最高だ。

某月某日
下記に書いたとおり,明け方目が覚めてからいまだ眠れない。体は疲れ,寝たいという欲求があるのも確かだが,いかんせん眠くはならない。ただ頭が重いのみ。こういうときはうつ状態になると相場は決まっている。頭の中で響く声は,俺はすかたん,バカ,アホ、能無し,生きてる資格もない動物。あかんたれ、愚民、と言ったようなことばかりである。自然,なにもする気がなく,頭を抱えて寝ているだけ。その姿勢までも,僕のうつ状態を悪化させる。世の中に必要でない人はいない,という言葉もよく聞くが,その言っている人は,世の中に必要とされている場合が多い。そんな御託真っ正面から受け取るものか。ふん、あほらしい。無能の人の僕は,世の中にコミットせず,死ぬまで生きるしかないんだろうなあと思う。ああ不条理だ。

某月某日
最近明け方に目が覚めてしまうので往生している。早起きは三文の徳らしいが,今の時代三文もらってもエビアンも買えまい。三文探して午前4時にうろついたりすれば,おまわりさんに誰何されるに決まってる。徳をつむと言っても,明け方僕が家の前の道にほうきをかけていたりすれば,ああ、M氏も狂ったなと思われるのが関の山であろう。と言って,これが一番困ることだが,練習したり,家事をやるというモードでもない。ああ,また目が覚めちゃった,という冴えた頭での煩悶がはじまるだけである。こういう時間帯はよけいなことばかり考えてしまうもので,その考えていることはすべてドンズマリだ。再度寝ようと思ってもこれも何故かできない。かといってこのような日記を書いていることが正しいとも思えない。別に正しいことを探しているわけではないけれど。これ以上何か書くことが何の意味も持たぬことに気づきだしたので,今日はここまで。

某月某日
最近,また悪い浪費癖が顔を出し,腕時計を買ってしまった。今まで愛用してきたBAUME&MERCIERに不満があるわけではないのだが,ふと立ち寄った新宿の時計店で目移りがしてしまった。ドイツのTUTIMAというところが作っている腕時計に一発でまいってしまった。この時計は軍用として開発されたもので、近代ではNATO軍も使っていたという優れものだ。しかし,腕につけてみるとやたらと重い。ふと隣のショーケースを見ると,また別のかっこよさの時計があるので腕につけてみたら,ピタリときた。同じくドイツ製のSINNというところが作っているもので,時計というより,見た目がコックピットの計測器に近く,TUTIMAを買うのをやめにして,SINN MODEL103を購入。フランク・ミューラーのような遊びはないが,黒革バンドの端正な文字盤が気に入った。これなら選ぶ服にも困るまい。ベゼルのないタイプなので,一見クロノグラフにも見えない。また僕の浮気性が出てしまった。時間とは妙なものであって,哲学者から天文学者まで,その概念をああでもないこうでもないいと議論して、この21世紀があるわけだが,大げさにいえば,腕時計とは,一瞬一瞬オダブツになる僕の肉体を、逆に計測している機械である。そして機械といっても自動巻なので,限りなくマニュアルに近い。オダブツになるその時までの計測は,気に入った腕時計とともに、ありたいものだ。クオーツなどで数字で示されると,何か味気ない。自動巻であるから,もちろん定期的に正しい時間に合わせる必要があるが,正確な時刻から少しずれてたってしょうがないじゃないか。人間は千分の一秒単位では生きてはいまい。同時に,ちょっとした散財も、少し心の刺激となりうる。悪い浪費癖が再び鎌首をあげてこない前に、また現実にもどってコツコツと自分の音楽を作るのみである。また、上記の二種類の時計に詳しい方で、情報をもっている方は,ご一報されたし。僕はただ感覚と気分によって時計を寄り好んでいるのみ。なぜかROLEXなどにはいささかの興味もなし。

某月某日
今晩はほろ酔い気分で,なぜか日記を書くことにする。ずっと雨模様だったお天気がだんだんと太陽が顔を出すようになり,ひじょうに喜ばしい。僕は,日本的いじめと湿気の関係を、どなたか教育者がデータを取るべきであると思う。古来から、台風,低気圧に見舞われてきたこのエビ反りの島国には,独特な習慣ができてしかるべきであろう。それが我々の祖先の作り出した絵や建築,気質までもを決定してきたのではないか。しかし,「陰湿」と言う単語を,英語になおせと言われても,僕の中には「GLOOMY」という単語しか浮かんでこない。「GLOOMY」という単語で,我々の国の陰湿さを表現するのは,不可能なのではないか。僕は透明感あふれる音楽がやりたいのだ。日本の陰湿さを吹き飛ばすような,きれいな音,それもある意味で最も日本的な。やはり,生まれる場所と国を間違えたかな。

某月某日
9月16日発売のCD,「ELEGY」EWCD0107,定価2500円でいまプロモーション中です。ご購入された方の感想など聞きたいものです。ライナーノートに書きそびれましたが,これは今まである日本のジャズへのアンティテーゼでもあります。アジア人は,日本を含めお祭り騒ぎが好きなようです。そして,そのことを満足させる為の音楽が,あまりにも多すぎます。僕はこの作品で,盛り上がらないことをまず念頭において制作しました。盛り上がるという言葉の正反対の抑うつ状態である自分の本性を音に託したつもりです。アジア人は、日本人を含め,お祭りが好きです。居酒屋などで一緒に呑んでいる相手の言葉が聞き取れないぐらいの周りの騒音に対して,僕はいつもめげていました。これでCDのライナーで書けなかったことを披露しましたが,これは僕にとって,本心です。

某月某日
毎日びしょびしょした雨模様で,やっと夏の湿気が抜けたかと思ったら,また寒いのか暑いのか分からない季節が来て,往生している。こういう季節には,なぜヨーロッパ人に生まれなかったのだと,心の中でじたんだを踏む。こういう、低気圧だか高気圧だか,秋雨前線がだあたらこうたらの天気予報も,僕の心を暗くし,抑うつ状態に陥るようになる。。作曲も練習もあったものではない。ただひたすら乾燥した空気を望むのみだ。こういうときには,意外と食事が大切なことは本能的に知っているので,今晩は、インチキンスープを作ることにする。少しレシピを紹介すると,まず、鳥の手羽,胸肉、カネのゆるす限り大量に買う。あとは、セロリ,タマネギ、人参、ジャガイモ、ブーケガルニ,ニンニク。まず鳥の肉をパックからだして、鳥の手羽を,包丁とトンカチでばんばんくだき、何等分かにする。胸肉はお好きな大きさに適当に分ける。後,鶏肉どもを器に入れて,一回洗浄。これで無駄なアクや,血の気をとる。水をきったら、コショウと塩で下ごしらえ。その間に,タマネギ一個とセロリ一本ををみじん切り。鍋にバターを投入。焦げないうちにニンニク一個をスライスしたものをいためる。きつね色になる前に,肉を投入。皮の部分を少し焦がすように強火で焼く。後,タマネギとパセリを投入し炒める。タマネギが透明になってきたら、水を注ぐ。これは、作りたい分の水をそそぐが良い。ただ、水道水ではなく,ミネラルウオーターを使う。この部分に少し贅沢しないと,味がテキメンに変わることは,筆者経験ずみ。水をひたすぐらいい入れ,決して茹でることなく,コトコトと弱火にて二時間煮る。間合いを見てアクをとる。その後,人参とジャガイモを一口大に切って,サラダ油で炒める。ここに塩と砂糖。いい香りがたったら、それらをスープの鍋に投入。後,マギーブイヨン一個と、鶏ガラスープを大きめなスプーン二杯。ここがインチキンスープの真骨頂である。本当は,鶏ガラから作るのが道理だけれども、それをやっていると半日かかる。最後に塩コショウを入れ味付け。手羽先がグダグダとなり,二時間煮込めば骨も柔らかい。あえて他になにも用意せず,スープのみをひたすら喰う。その内に,この湿気た世界をはね返すような,じっとりとした汗をかいてくる。僕などは,バスタオルで全身を拭きながら喰う。この季節がしのぎにくい方々、お試しあれ。

某月某日
なんだか今晩は寝そびれたようになって、自分で不眠症だということを自覚すると、なんだかいけない気がして午前5時頃まで起きていたのであるが、天変地異の響き空は曇ったピンク色となって、雷まで鳴っている。ああこれが地球終末の絵柄かと思っていたら、雷も雷雨も一時的ものだった。なにがなんだかおっかなくてしゃあしない。天よ、我々を罰すするには、まだまだ早すぎます。9月16発売の新譜、「ELEGY」の発売まで待ってください。

某月某日
やっとこの歳になって、スタンダードを、アレンジもせず演奏したいと感じられるようになってきた。どうした風の吹き回しなのだろう。特別アレンジもせず、その場でイントロ、エンディングを決めてゆくという簡単な方法だ。もちろん、演奏する前には、コード進行を少しいじったりするが、アレンジという領域まではいかない。前会、中目黒の楽屋もこの方式で演奏した。メンバーにも満足しているという事は、言わずもがなだが、何か本当の意味でのジャズ的ハプンイングを起こそうと思えば、あらかじめ前もって決めごとを作らない方がいいのではないかと考えるようになってきた。また、考え方は変わっていくことはあるであろうが、次の横浜でのトリオの仕事は、このセンで演奏しようと思っている。どうなることやら。

某月某日
と書きながら、9/4、中目黒、楽屋に於いて、トリオで演奏します。当日宣伝してるバカさ加減は承知の上ですが、食べ物もおいしいので、ぜひおいで下さい。

某月某日
暑くて何も書けない。特に湿気に弱いので、夏休みというより、体が強制終了してしまう。9月から大切な演奏が目白押しなのに、なかなかその練習にも着手できない。セロトニンとノルアドレナリンが脳内で不足しているのであろう。明日は代官山UNITに於いて菊地と演奏である。このUNITという場所、地下に向かう階段が、意外に深く、楽屋は地下三階ぐらいの所にあり、まだまだ下に階段は進んでいる。下手をすれば、東横線代官山から中目黒の路線より深いかもしれない。畢竟おっかなくって僕は楽屋にあまりいない。なんらかの逼迫感があるからだ。もしかしたら、閉所恐怖症なのかもしれない。お客さんはステージまでの深さだから、どうか聴きにきてください。

某月某日
今日は暑くて何もかけない。

某月某日
大阪に仕事で行った。「情熱大陸 SPECIAL LIVE SUMMER TIMEBONANZA’06」というイベントで、与世山澄子さんと共演するためだ。ベーシストはビューティフルなミュージシャン、水谷浩章。誘ってくれた事務所からの詳しい内容も読まないまま、只々新幹線朝6時50分発に乗り遅れないようにすると心に留め置くことで精いっぱいの、帰国後の生活だった。こういう仕事は、事務所の人などが、まわりの世話をしてくれるので、守るのは時間だけだとも言い換えられる。新幹線、変わりましたね。僕の子供のころは、ビュッフェという車両が真ん中に挟まっていて、父親と、そこでぬるいカレーライスを食べながら、過ぎ行く風景に、速いなあという思いと、学校で新幹線に乗ったことをどう自慢するかということを考えていたことをふと思い出した。このように、新幹線に乗ること自体がイベントだったのに、時代が過ぎれば、イベントに行くために新幹線に乗っている。新幹線のデザインも大きく変わり、のぞみ号などは、靴べらをくわえた鴨のような流線型であり、電車という言葉からかけ離れた居住いだ。大阪着、毎日放送が主催するこのイベント、関係者がもう駅に車で迎えに来ており、準尾万端で楽屋入り。ここから、僕らがどういう条件でどういう仕事をするかということが、おぼろげに分かってきた。重複するが、与世山澄子さんと一緒にレコーディングしたCD,「INTERLUDE」を製作したTUFF BEATからのオファーで、今回の仕事を得たわけだが、TUFFBEATから送られてきた時間表なり、ぜんぜん目を通していなかった。忙しいのと暑さのためのぼけで、心の中で、6時50分東京駅、6時50分東京駅と唱えているだけで精一杯だったのだ。楽屋入りするや否や、これは大規模なイベントだなと、遅まきながら気付いた次第である。TARO HAKASE ,ANGELA AKI,ORENGE PEKOE,GOSPE★RATS ,CHITOSEHAJIME etc,(敬称略のためローマ字表記、実際出演者にわたされたうちわにもローマ字表記)。出演者を記すだけでも規模が想像できる。そしてなんと、楽屋になっている建物の部屋から、ぼくの尊敬する芸術家、岡本太郎氏の太陽の塔がよく見える。そう、ここは万国博覧会記念公園だったのだ。10時半からのサウンドチェックを終えて、楽屋に戻る。演奏は4時半から。長い時間楽屋で待たされることとなる。楽屋には、横におなれるソファーなどあいにくないので、昼寝する気にもならない。こうなったら眼前にすっくと建つ、太陽の塔を凝視するしかないではないか。見つめるうちに、両側に生えている腕のような部分、見方を変えれば、三日月を縦に、胴体にずぶっと刺したと視ることもできる。太陽の塔の写真は、本などで多数見たが、やはり現物の迫力は、万博以来失われていない。胴体にあるだんご鼻の顔、天辺にそびえる金色の、ある種鳥獣的な爛漫さ。彫刻自体の高さを、メートルで示すことがばかばかしくなる存在感。などと窓の外を見ていたら雨が降ってきた。今日は野外公演、これからどうなるのか。と思っていたら、我々が出演する一時間程前に雨がやんだ。3時45分、舞台裏にあるテントでできた楽屋に移る。先ほど降った雨が、太陽の熱気で地面からゆらゆらと立ちのぼりはじめて、歩くと足下がビヨンビヨンしているような錯覚にとらわれる。地面は別に泥濘ではないにも拘らず、体内の循環をつかさどるどこかの神経が麻痺してゆくような感覚。後、ホテルの部屋でテレビの天気予想を見たら、大阪方面38℃とあった。畢竟テント張りのステージ裏の楽屋は、40℃くらいあったのではないか。与世山さんは、上品な布地でできた濃い紫色の衣装を凛として着こなし、この状況で出番を待っておられる。ぼくもステージ衣装用に、スーツを持って行ったのだが、これは与世山さんがこの姿である以上、着ざるをえない。演奏開始。観客1万5千人強。この暑さに加えスポットライトが当った。与世山さんはどういう条件でも与世山さんであり、真夏の炎天下、ぼくがCD、「INTERLUDE」に書いた如く、エンジェルとなって、何かに取り憑かれたように、聴衆の時間軸をねじ曲げるような熱唱をする。ぼくも汗にぬれながら、一心不乱に付いて行く。そのうち、憑いて行く、と書き表わした方が良いような状態となる。ステキで楽しいそのサウンド。また、あの暑さの中で、演奏を聞いてくれたお客さんにも感謝したい。演奏終了後、舞台裏のテントの楽屋に戻り、スーツの上着を脱いだら、シャツが汗で肥大していた。しかし,与世山さんと演奏することは、どんな条件下であろうと、ぼくにとっては幸せの限りであり、このチャンスを創ってくれた多くの人たちにお礼が述べたかった。大阪中心部にあるホテルに帰り、ひと休みした後、ビッグタイマーらと打ち上げに参加。CDで共演して以来、与世山さんとゆっくり話す機会がなかったので、彼女に、いろんな音楽や、演奏のことでゆっくりしゃべる時間があった。それもまた至福のモーメントで、バークリーでは教えてくれない、しかし、ミュージシャンとしてもっとも重要な核心の部分を、チャーミングな会話から教わった。教わったと書いたが、学校で授業中教わったという意味での教わるではなく、ぼくの歳までミュージシャンをしているものには的確な、そしてシャープな物語の数々。あまり敬服してしまっては、共演時にリラックスできないとは知りつつも、やはり背筋を伸ばして聞くべき内容であったのだ。打ち上げ後、水谷君と、大阪の夜のパトロールへ出かける。何回か、思いもよらぬ事故に遭遇し、土地カンのないところをうろうろしてホテルに帰る。翌朝、大阪駅から帰途。窓の外をじっと眺める。街、街、住宅地、住宅地、郊外のマンション、すぽっといきなり廻りの家々から飛び出すように建てられたマンション、工場、工場、田んぼ、田んぼ、畑、畑、川、川、山、山。工場、工場、何となく良く分からない場所、という我が国の構成のされ方。それらの建物に重なるようにある山々、これはまるで、箱庭的だな、とふと思った。まあ、大阪→東京のあいだの眺めだけだけれども。峻厳な山々も無く、かといって他民族間で争いが起こるような雰囲気も無い。砂漠も無く荒野も無く、しかし個性に欠けた、暗黙の批准という言葉が空気を支配しているような、きわめて盆栽的なわが国。善し悪しは別として、現実的な眺めがそうあるわけなのだが、このままで本当にいいのだろうか。東京駅着。大阪より涼しい。帰宅して午後就寝。疲れていたのだ。一週間ほど前,銀座のスタジオにてトリオの録音をした。メンバーは,鈴木正人(B),芳垣安洋(DS)。今回は,前回の「ELEGY」のようにストリングスが入っていない掛け値なしのピアノトリオの録音だ。発売は今年秋頃を予定している。詳しい情報は,追って,このウエッブにおいてお知らせしたいと思っている。スタジオにて,久しぶりにスタインウエイを弾いた。ピアニストであるのに,なかなかこの楽器にめぐりあえない。普段,場末のキャバレーのズベ公と、日夜の区別なくものすごく淫蕩な日々をすごすダメ男が,いきなり原節子から愛を告白されたような、そんな段差がある楽器で,鍵盤のタッチ、サウンド,音色,アクセント,等など,申し分なく自分のイメージしたとおりの音を出してくれる楽器だ。ピアノという楽器は,名前のとおり,ピアノフォルテを十分表現できるもので,その醍醐味を久しぶりに味わったと思うのは,喜ばしいことなのか,悲しいことなのか。確実にいえることは,また新たにピアノという楽器に対するイメージを録音を通じて学ばせてもらったという気分いっぱいである。と、言いつつ,レコーディングのために家にこもってピアノばっかり弾いていたので,いざ本番が終わってみると,燃え尽き症候群のような精神状態になってきて,最初に書いたように,ああ、太陽が明るくなってきたな。風が強いなといった自然現象しか感知しなくなってしまった今日この頃である。ちょっとニュース等を真剣に見ると,ロクなことは起っておらず、詳しく書かないけれども,まあ嫌になってくるだけだ。日本の政治は何でこうゴミなんだろう。いや、春だ。ゴミなことを忘れさせてくれる春の力を信じようと思う。コンピューターで桜の開花予測をし,それがはずれるなど,愉快でたまらない。咲いた時が咲いた時じゃないか。日本の都市景観は類を見ないほど最悪だが,そこに桜が咲いていると,何ともけなげに見えてくるから不思議である。今住んでいるところから一番近い花見の場所は,M川沿いの桜並木だが,毎年夜桜を見に行っている。川沿いの店などが,屋外に椅子を置き,花見客を立ち止まらせようとしているのだが,僕はあまりそういうところには座らずに,川沿いに桜を見ながらうろうろする方が好きだ。そのあと酒が呑みたくなれば,川沿いからはなれた店で静かに杯をかさねるのがよろしい。家に帰ってねそべりながら、坂口安吾の「桜の森の満開の下」など読み返すと,またこれ格別である。お金もかからない。さあ,今年の春、夏,秋、冬は何がおこるのであろうか。池田晶子さんも死んでしまった。どうあれ、次回のCDが出るまで,考えの及ぶ限り,自分の音楽のことを大切にしなければいけない。最も簡単な答えが,最も難しい。

某月某日
我が尊敬する哲学者,池田晶子さんが死んでしまった。ものすごくショックである。彼女は僕と同じ1960年生まれで、年齢も46才と同い年だ。僕の好きな作家は、すべて鬼籍にはいっており、彼女の書く文章は彼女より若い人、または同年代、池田さんより歳をとったひとが、まじめに思索するに十分な内容である。まだまだすごいことを書いてくれるという期待が僕の中にあった。そういう意味で,池田さんの新刊が出るのを楽しみにしていたのに,癌によって池田さんは他界された。悲しいのは,これより先,新刊は望めないということである。いずれにせよ、同い年の池田さんのことは、他人事とは思われない。今まで既刊の彼女の書いた文章には全て目を通している。これまでの池田さんの文章を読んで感じたことは,僕には明晰に考えられない大切なことを,池田さんの文章によって知らされたということだ。このことは,僕に対して,大きな財産となり得ることだった。池田さんは,死に対して,この世の不条理に対して,明確な理論的文章を展開されている。この世の不純を書き表し、それらの一字一句が,少なくとも僕の魂を動揺させるのに充分だった。だがしかし、もう新刊は,書き残ししか期待できないだろう。何という悲劇であろうか。彼女のような人こそ,これからの日本人を、内面的にリードし得る人だったと確信していたのに。これは僕の勝手な思い込みかもしれないが、我々日本人は,真のオピニオンリーダーを亡くしてしまったと思う。インターネットで知った情報だが,池田さんは、死ぬ間際まで文章を書いていたということが多く語られている。僕が最近読んだ池田晶子氏の本は,情報センター出版局の「残酷人生論」であった。未来を予見したようなタイトルではないか。この本でも,死ということが,実に明晰に記されていた。同い年の僕よりも先に、その「死」を超えてしまった池田さんの胸中はいかばかりであったろうか。哲学的解釈をぬきに考えても,池田さんの安寧を望むまでだ。彼女自身,著作の中で,死は存在しないと,何度も書いているけれど。しかし、一方では,池田さんの安寧を望む反面,死ぬ直前まで書いていた文章を読みたいというある意味下品な欲望も抑えきれない。こういうことを願うこと自体、残酷人生論かもしれない。でもしかし読みたい。文筆家はこういう人生をたどらなければならない宿命があるのかもしれない。などと、自分勝手な理由をつけて,だけど読んでみたいのだ。たとえその行いが下品であろうとも。池田さんは、本当に最後まで死を恐れなかったのだろうか。ここが、文筆家と読者の残酷な関係の露出するところである。客観的に見れば,文筆業というのは因果な商売といえよう。書いた本人が追いつめられたところを,追いつめられていない頃の文章と照らし合わせたいという、それこさ、残酷な読者の興味を倍増することであるから。不謹慎は百も承知で,池田晶子さんの新刊を楽しみにしている僕は,はたして、サディストなのか。ええい、どうでもいい。池田晶子さんがこの世に残した文章は,一字一句にいたるまで、熟読するつもりだ。勝手な考え方かもしれないが、,それが彼女に対しての最大の供養となるであろうと望みたい。

某月某日
またずっと日記を書かなかった。正月新年は深夜はピットインで演奏し,そのまま家に帰って寝たら,元日の夕暮れになっていた。年越しそばも,日本的新年のお正月の行事をすべて放棄した静かな夕暮れ。そば屋も開いていまい。元日の太陽も拝めなかった。しかしながら、いい気分である。気分はいいが,脳の気分は悪い。正月という時期を無視したという浮遊感をもってして,寝床から起き上がるも,これといってやることはない。腹が減ったが,僕は腹が減らないつもりになるのがうまいので,そのまま連続して煙草を吸ったりしていると,夜になった。初詣でも行こうかと思ったが,人ごみの中にいくのがいやでやめた。ということで何にもすることがない。実家に帰る約束をしたのが3日だから、後一日寝て過ごすことにした。池田晶子著「残酷人生論」を読んでいるとまた午前四時ぐらいになった。どこも開いてないから散歩に行く気もせず,部屋の換気を定期的にする意外なにもしなかった。さて3日の午後に,実家に新年の挨拶にいくことになっていたが,行くこと自体もめんどくさくなってきた。なんだかんだ理由をつけて3日の日も実家にいかなかった。実家にいけばそれ相応の食い物があるだろうに,親戚が集まって,おめでとうございますなんて,なんだかアホ臭くて,寝床に横になりながら,中島義道著「たまたま地上に僕は生まれた」を通読。この手の本を読んでいる方が落ち着く。悪癖はすぐ身に付くもので,一月中深夜まで本を読み,起きるのが午後4時頃と、太陽の光を見ぬ一ヶ月が過ぎていった。不健康きわまりないが,慣れるとそうでもない。なにもはつらつとして明るいばかりが人生ではない。食生活も滅茶苦茶。後でツケが回ってくるのだろうがかまやしない。今までずいぶんとツケを払わされてきたから,次はなあに、てなもんだ。なんでこんなことができるのかと言えば,これといった仕事が無いせいであって,ここまでくると,自分がピアニストなんだかなんだか,もうそんなことはどうでもよくなる。読書に飽きると,サングラスをかけ,新宿紀伊国屋書店に落語のCDを買いに行く。僕の贔屓は春風亭柳朝だが、いかんせん記録が少ない。残念なことである。もちろん古今亭志ん生、桂三木助,円生、金馬などなみいる名人も僕のお気に入りで,ジャズなんてこれっぱかりも聞いていない。うまい落語家は音楽と同じに,やはりグルーブしている。面白いな。しかし2月となるとこんな生活をしているわけにはいかなくなる。さすがに、なにか起さねばと,板のようになった背中をさすりながら,仕事をとり,3月のレコーディングの準備も始めなくてはならない。ということで、最近名実共に,おそまきながら、起き上がった所である。

某月某日
東京フォーラムに於いて,ジョアン・ジルベルトのコンサートを聴きにいった。あの音量で,大勢の客をテンションをキープするということは至難の技である。ボサノバという音楽は実に不思議だ。この太陽系に地球という惑星があって、今まで人類が歴史上どんな蛮行を繰り返してきても,その蛮行を大きく音楽で包み込む奥深さが,ボサノバ,強いていえばジョアン・ジルベルトの音の中に散りばめられていた。そう,極端にいいえば,いずれ太陽の膨張で消え去る運命にあるこの地球で,地球の人類が作り出した,何をも包括する音楽、それがボサノバなのではないだろうか,いわんや,超未来の人類が、太陽に地球が呑み込まれる瞬間にトリステなんか聴いているなんていうのも、不思議にマッチしてしてしまう音楽、これはボサノバ以外無いであろう。卑近のボサノバであっても,例えばイラクでの戦闘シーンに、現場の音をかき消してボサノバを流したら,逆にものすごくインパクトのある映像が撮れるのではないか。満員電車の風景にデサフィナードなど流せば,シニカルをとおりこした,何らかの残酷さとともに,どこか客観的でシラケた効果が出ることは必須である。例えば,爆弾テロがあった場所に映像とともにボサノバを流せば、人類の,意識そのものが,大きく展開するのではないだろうか。人類がちょこまかと己の利益や思惑で行ったり来たりしている。僕を含めて。だが,21世紀の映像にこそ,ボサノバは必要なサウンドであると思う。御大75才、来年は来てくれるのだろうか。

某月某日
昨日,携帯の会社を改め,新しく某社の機種を手に入れた。機種変更に関しては,今まで使っていた携帯電話にいろいろと問題があったから応じたのだが、それを変更するまでの行程は詳しく書かないのがよかろう。一言そえれば,機種変更に於いて、多大なすったもんだがあったとだけ記しておこう。今頭にきていることは,機種変更、その間のすったもんだ,店員の対応等の問題よりも,新しく手にした携帯の機種の内容にある。僕が一番げっそりきたのは,その携帯電話自身の内容の幼稚さである。とにかく、誰かが日本人を愚民化,もしくは文化度ゼロに追いやろうとしているとしか思えないような機能がたくさんついている。色もデザインもひどいという言葉をとおりこしたメールの背景画や、メールの文字に付随するチーハク的絵文字。漫画やゲームなど、携帯一機には多すぎだろうと思われる下衆なサービス。無知なガキから、通信料、通話料をむさぼり取ろうという見え見えな多くの仕掛け。仕事に関連しなければ絶対もたないこのような機械。ガキの仕掛けにはつばくろのように,一方向に目を背けるばかりだが,やはり中には大切な情報を集積したアプリケーションがあり,いやでもガキ専用の項目を無視できない状態となるときがある。。機械に弱い私は,意に反してそのガキ地域をまちがってボタンを押してしまう時があり,非常にイライラする。着信音にしても、こちらの神経をイライラさせる電子音のものが多い。こういう音でないと,渋谷の騒音の中では聞こえないのであろうが,このこと自体,もう悲劇的なことである。あのチャカチャカした音を二重に聞き慣れた耳は,一体その先どういう音を求めるのだろうか。または,こういうことにこだわる僕が,神経質すぎるのか。どこに基準を置いていいか分からなくなってくる。ちなみに僕は,絵文字というものが大嫌いである。メールと言っても,これは手紙の一種なのだから,すべて文章で表せばいいじゃないか。こんなことを言う僕はもうジジイなのか。誰か、頼むから,大人用の携帯を作ってください。

某月某日
一時間前に,EWEの主催するJAZZ TODAYにおいて,BOZOで演奏して帰ってきたのだが,演奏があまりにも刺激的で,脳のシナプスが飛び交っているようで,全然眠くならない。逆に,すぐ寝られるようだったら、演奏は無難にやり過ごしたという、ある意味内容がよくなかったことを示唆しているのかもしれない。ある種の職業病だともいえるが,ドラムの音、ベース,サックスのフレーズを,一音ももらず聞いて反応し,脳内も,普通の状態ではあるまい。面白いことに,わざと周りの音とは関係ないプレイをすることがある。そういう時,ドラムやベースが音楽の流れの一点に置いて,瞬間的にピタリとあう瞬間がある。これはプレイヤーに於ける最大の喜びである。と、脳を酷使して指先じゃんじゃん使った後,温かいミルクを呑んで行儀よく就寝とはとてもじゃないが,無理である。悪いことに家事などなにも手につかない。家の中を行ったり来たりしているのみである。大勢のお客様の前にいた数時間前とは、当然ながら違う人間になっている。雑念だらけの,その雑念さえ答えを導くことなく堂々巡りしているような,そんな状態だ。そしてあるとき瞬間的に眠気が襲う。昨夜は午前4時過ぎで,朝-9時に目覚めてしまったが,脳内はあまり快調とはいえない。まあ,毎度のことだが。

某月某日
いつまでも家にこもってネガティブなことを考えていてもしょうがないので,今日は無理して外出することにした。だいたい,東京自体が騒音の渦なのだが,そんなことをいっていてはいる場所がなくなってしまうので、まず土地勘のある新宿へ行った。やはり騒音の渦だが,高校時代から来ている場所なので,どこがうるさいかだいたい見当がつき,そのスジの通りは歩かないことにして,名目ともにふらついた。途中で,パンツ(ズボンだよ)と靴を買って、気分転換をはかることにする。外見が違えば,脳の状態もそれなりに変化すると思ったからだ。まあ,今日買ったものいだし、これからそれらを着たり掃いたりしないと気分の変化が分からないので、まず買い物をしたという充実感をもつことにした。消費によって快楽を得るのはキャピタリズムの基本だが,難しいことは考えずに,僕もその上に乗っかって、楽しい思いをしようとしたまでだ。だが、やはり、買い物とは際限ないものであり,いい演奏ができた直後の快感には,当たり前だが劣る所がある。まあ、同じ快感を買い物で得ようというのが根本的な間違えだと思うが。とりあえず、家にこもって悶々としているのでないということでよいと思うしかない。家に帰ってジョアン・ジルベルトのCDを聞いている。どんな状況でも,どんな精神状態でも,ボサノバは最高だ。

某月某日
下記に書いたとおり,明け方目が覚めてからいまだ眠れない。体は疲れ,寝たいという欲求があるのも確かだが,いかんせん眠くはならない。ただ頭が重いのみ。こういうときはうつ状態になると相場は決まっている。頭の中で響く声は,俺はすかたん,バカ,アホ、能無し,生きてる資格もない動物。あかんたれ、愚民、と言ったようなことばかりである。自然,なにもする気がなく,頭を抱えて寝ているだけ。その姿勢までも,僕のうつ状態を悪化させる。世の中に必要でない人はいない,という言葉もよく聞くが,その言っている人は,世の中に必要とされている場合が多い。そんな御託真っ正面から受け取るものか。ふん、あほらしい。無能の人の僕は,世の中にコミットせず,死ぬまで生きるしかないんだろうなあと思う。ああ不条理だ。

某月某日
最近明け方に目が覚めてしまうので往生している。早起きは三文の徳らしいが,今の時代三文もらってもエビアンも買えまい。三文探して午前4時にうろついたりすれば,おまわりさんに誰何されるに決まってる。徳をつむと言っても,明け方僕が家の前の道にほうきをかけていたりすれば,ああ、M氏も狂ったなと思われるのが関の山であろう。と言って,これが一番困ることだが,練習したり,家事をやるというモードでもない。ああ,また目が覚めちゃった,という冴えた頭での煩悶がはじまるだけである。こういう時間帯はよけいなことばかり考えてしまうもので,その考えていることはすべてドンズマリだ。再度寝ようと思ってもこれも何故かできない。かといってこのような日記を書いていることが正しいとも思えない。別に正しいことを探しているわけではないけれど。これ以上何か書くことが何の意味も持たぬことに気づきだしたので,今日はここまで。

某月某日
最近,また悪い浪費癖が顔を出し,腕時計を買ってしまった。今まで愛用してきたBAUME&MERCIERに不満があるわけではないのだが,ふと立ち寄った新宿の時計店で目移りがしてしまった。ドイツのTUTIMAというところが作っている腕時計に一発でまいってしまった。この時計は軍用として開発されたもので、近代ではNATO軍も使っていたという優れものだ。しかし,腕につけてみるとやたらと重い。ふと隣のショーケースを見ると,また別のかっこよさの時計があるので腕につけてみたら,ピタリときた。同じくドイツ製のSINNというところが作っているもので,時計というより,見た目がコックピットの計測器に近く,TUTIMAを買うのをやめにして,SINN MODEL103を購入。フランク・ミューラーのような遊びはないが,黒革バンドの端正な文字盤が気に入った。これなら選ぶ服にも困るまい。ベゼルのないタイプなので,一見クロノグラフにも見えない。また僕の浮気性が出てしまった。時間とは妙なものであって,哲学者から天文学者まで,その概念をああでもないこうでもないいと議論して、この21世紀があるわけだが,大げさにいえば,腕時計とは,一瞬一瞬オダブツになる僕の肉体を、逆に計測している機械である。そして機械といっても自動巻なので,限りなくマニュアルに近い。オダブツになるその時までの計測は,気に入った腕時計とともに、ありたいものだ。クオーツなどで数字で示されると,何か味気ない。自動巻であるから,もちろん定期的に正しい時間に合わせる必要があるが,正確な時刻から少しずれてたってしょうがないじゃないか。人間は千分の一秒単位では生きてはいまい。同時に,ちょっとした散財も、少し心の刺激となりうる。悪い浪費癖が再び鎌首をあげてこない前に、また現実にもどってコツコツと自分の音楽を作るのみである。また、上記の二種類の時計に詳しい方で、情報をもっている方は,ご一報されたし。僕はただ感覚と気分によって時計を寄り好んでいるのみ。なぜかROLEXなどにはいささかの興味もなし。

某月某日
今晩はほろ酔い気分で,なぜか日記を書くことにする。ずっと雨模様だったお天気がだんだんと太陽が顔を出すようになり,ひじょうに喜ばしい。僕は,日本的いじめと湿気の関係を、どなたか教育者がデータを取るべきであると思う。古来から、台風,低気圧に見舞われてきたこのエビ反りの島国には,独特な習慣ができてしかるべきであろう。それが我々の祖先の作り出した絵や建築,気質までもを決定してきたのではないか。しかし,「陰湿」と言う単語を,英語になおせと言われても,僕の中には「GLOOMY」という単語しか浮かんでこない。「GLOOMY」という単語で,我々の国の陰湿さを表現するのは,不可能なのではないか。僕は透明感あふれる音楽がやりたいのだ。日本の陰湿さを吹き飛ばすような,きれいな音,それもある意味で最も日本的な。やはり,生まれる場所と国を間違えたかな。

某月某日
9月16日発売のCD,「ELEGY」EWCD0107,定価2500円でいまプロモーション中です。ご購入された方の感想など聞きたいものです。ライナーノートに書きそびれましたが,これは今まである日本のジャズへのアンティテーゼでもあります。アジア人は,日本を含めお祭り騒ぎが好きなようです。そして,そのことを満足させる為の音楽が,あまりにも多すぎます。僕はこの作品で,盛り上がらないことをまず念頭において制作しました。盛り上がるという言葉の正反対の抑うつ状態である自分の本性を音に託したつもりです。アジア人は、日本人を含め,お祭りが好きです。居酒屋などで一緒に呑んでいる相手の言葉が聞き取れないぐらいの周りの騒音に対して,僕はいつもめげていました。これでCDのライナーで書けなかったことを披露しましたが,これは僕にとって,本心です。

某月某日
毎日びしょびしょした雨模様で,やっと夏の湿気が抜けたかと思ったら,また寒いのか暑いのか分からない季節が来て,往生している。こういう季節には,なぜヨーロッパ人に生まれなかったのだと,心の中でじたんだを踏む。こういう、低気圧だか高気圧だか,秋雨前線がだあたらこうたらの天気予報も,僕の心を暗くし,抑うつ状態に陥るようになる。。作曲も練習もあったものではない。ただひたすら乾燥した空気を望むのみだ。こういうときには,意外と食事が大切なことは本能的に知っているので,今晩は、インチキンスープを作ることにする。少しレシピを紹介すると,まず、鳥の手羽,胸肉、カネのゆるす限り大量に買う。あとは、セロリ,タマネギ、人参、ジャガイモ、ブーケガルニ,ニンニク。まず鳥の肉をパックからだして、鳥の手羽を,包丁とトンカチでばんばんくだき、何等分かにする。胸肉はお好きな大きさに適当に分ける。後,鶏肉どもを器に入れて,一回洗浄。これで無駄なアクや,血の気をとる。水をきったら、コショウと塩で下ごしらえ。その間に,タマネギ一個とセロリ一本ををみじん切り。鍋にバターを投入。焦げないうちにニンニク一個をスライスしたものをいためる。きつね色になる前に,肉を投入。皮の部分を少し焦がすように強火で焼く。後,タマネギとパセリを投入し炒める。タマネギが透明になってきたら、水を注ぐ。これは、作りたい分の水をそそぐが良い。ただ、水道水ではなく,ミネラルウオーターを使う。この部分に少し贅沢しないと,味がテキメンに変わることは,筆者経験ずみ。水をひたすぐらいい入れ,決して茹でることなく,コトコトと弱火にて二時間煮る。間合いを見てアクをとる。その後,人参とジャガイモを一口大に切って,サラダ油で炒める。ここに塩と砂糖。いい香りがたったら、それらをスープの鍋に投入。後,マギーブイヨン一個と、鶏ガラスープを大きめなスプーン二杯。ここがインチキンスープの真骨頂である。本当は,鶏ガラから作るのが道理だけれども、それをやっていると半日かかる。最後に塩コショウを入れ味付け。手羽先がグダグダとなり,二時間煮込めば骨も柔らかい。あえて他になにも用意せず,スープのみをひたすら喰う。その内に,この湿気た世界をはね返すような,じっとりとした汗をかいてくる。僕などは,バスタオルで全身を拭きながら喰う。この季節がしのぎにくい方々、お試しあれ。

某月某日
なんだか今晩は寝そびれたようになって、自分で不眠症だということを自覚すると、なんだかいけない気がして午前5時頃まで起きていたのであるが、天変地異の響き空は曇ったピンク色となって、雷まで鳴っている。ああこれが地球終末の絵柄かと思っていたら、雷も雷雨も一時的ものだった。なにがなんだかおっかなくてしゃあしない。天よ、我々を罰すするには、まだまだ早すぎます。9月16発売の新譜、「ELEGY」の発売まで待ってください。

某月某日
やっとこの歳になって、スタンダードを、アレンジもせず演奏したいと感じられるようになってきた。どうした風の吹き回しなのだろう。特別アレンジもせず、その場でイントロ、エンディングを決めてゆくという簡単な方法だ。もちろん、演奏する前には、コード進行を少しいじったりするが、アレンジという領域まではいかない。前会、中目黒の楽屋もこの方式で演奏した。メンバーにも満足しているという事は、言わずもがなだが、何か本当の意味でのジャズ的ハプンイングを起こそうと思えば、あらかじめ前もって決めごとを作らない方がいいのではないかと考えるようになってきた。また、考え方は変わっていくことはあるであろうが、次の横浜でのトリオの仕事は、このセンで演奏しようと思っている。どうなることやら。

某月某日
と書きながら、9/4、中目黒、楽屋に於いて、トリオで演奏します。当日宣伝してるバカさ加減は承知の上ですが、食べ物もおいしいので、ぜひおいで下さい。

某月某日
暑くて何も書けない。特に湿気に弱いので、夏休みというより、体が強制終了してしまう。9月から大切な演奏が目白押しなのに、なかなかその練習にも着手できない。セロトニンとノルアドレナリンが脳内で不足しているのであろう。明日は代官山UNITに於いて菊地と演奏である。このUNITという場所、地下に向かう階段が、意外に深く、楽屋は地下三階ぐらいの所にあり、まだまだ下に階段は進んでいる。下手をすれば、東横線代官山から中目黒の路線より深いかもしれない。畢竟おっかなくって僕は楽屋にあまりいない。なんらかの逼迫感があるからだ。もしかしたら、閉所恐怖症なのかもしれない。お客さんはステージまでの深さだから、どうか聴きにきてください。

某月某日
今日は暑くて何もかけない。

某月某日
大阪に仕事で行った。「情熱大陸 SPECIAL LIVE SUMMER TIMEBONANZA’06」というイベントで、与世山澄子さんと共演するためだ。ベーシストはビューティフルなミュージシャン、水谷浩章。誘ってくれた事務所からの詳しい内容も読まないまま、只々新幹線朝6時50分発に乗り遅れないようにすると心に留め置くことで精いっぱいの、帰国後の生活だった。こういう仕事は、事務所の人などが、まわりの世話をしてくれるので、守るのは時間だけだとも言い換えられる。新幹線、変わりましたね。僕の子供のころは、ビュッフェという車両が真ん中に挟まっていて、父親と、そこでぬるいカレーライスを食べながら、過ぎ行く風景に、速いなあという思いと、学校で新幹線に乗ったことをどう自慢するかということを考えていたことをふと思い出した。このように、新幹線に乗ること自体がイベントだったのに、時代が過ぎれば、イベントに行くために新幹線に乗っている。新幹線のデザインも大きく変わり、のぞみ号などは、靴べらをくわえた鴨のような流線型であり、電車という言葉からかけ離れた居住いだ。大阪着、毎日放送が主催するこのイベント、関係者がもう駅に車で迎えに来ており、準尾万端で楽屋入り。ここから、僕らがどういう条件でどういう仕事をするかということが、おぼろげに分かってきた。重複するが、与世山澄子さんと一緒にレコーディングしたCD,「INTERLUDE」を製作したTUFF BEATからのオファーで、今回の仕事を得たわけだが、TUFFBEATから送られてきた時間表なり、ぜんぜん目を通していなかった。忙しいのと暑さのためのぼけで、心の中で、6時50分東京駅、6時50分東京駅と唱えているだけで精一杯だったのだ。楽屋入りするや否や、これは大規模なイベントだなと、遅まきながら気付いた次第である。TARO HAKASE ,ANGELA AKI,ORENGE PEKOE,GOSPE★RATS ,CHITOSEHAJIME etc,(敬称略のためローマ字表記、実際出演者にわたされたうちわにもローマ字表記)。出演者を記すだけでも規模が想像できる。そしてなんと、楽屋になっている建物の部屋から、ぼくの尊敬する芸術家、岡本太郎氏の太陽の塔がよく見える。そう、ここは万国博覧会記念公園だったのだ。10時半からのサウンドチェックを終えて、楽屋に戻る。演奏は4時半から。長い時間楽屋で待たされることとなる。楽屋には、横におなれるソファーなどあいにくないので、昼寝する気にもならない。こうなったら眼前にすっくと建つ、太陽の塔を凝視するしかないではないか。見つめるうちに、両側に生えている腕のような部分、見方を変えれば、三日月を縦に、胴体にずぶっと刺したと視ることもできる。太陽の塔の写真は、本などで多数見たが、やはり現物の迫力は、万博以来失われていない。胴体にあるだんご鼻の顔、天辺にそびえる金色の、ある種鳥獣的な爛漫さ。彫刻自体の高さを、メートルで示すことがばかばかしくなる存在感。などと窓の外を見ていたら雨が降ってきた。今日は野外公演、これからどうなるのか。と思っていたら、我々が出演する一時間程前に雨がやんだ。3時45分、舞台裏にあるテントでできた楽屋に移る。先ほど降った雨が、太陽の熱気で地面からゆらゆらと立ちのぼりはじめて、歩くと足下がビヨンビヨンしているような錯覚にとらわれる。地面は別に泥濘ではないにも拘らず、体内の循環をつかさどるどこかの神経が麻痺してゆくような感覚。後、ホテルの部屋でテレビの天気予想を見たら、大阪方面38℃とあった。畢竟テント張りのステージ裏の楽屋は、40℃くらいあったのではないか。与世山さんは、上品な布地でできた濃い紫色の衣装を凛として着こなし、この状況で出番を待っておられる。ぼくもステージ衣装用に、スーツを持って行ったのだが、これは与世山さんがこの姿である以上、着ざるをえない。演奏開始。観客1万5千人強。この暑さに加えスポットライトが当った。与世山さんはどういう条件でも与世山さんであり、真夏の炎天下、ぼくがCD、「INTERLUDE」に書いた如く、エンジェルとなって、何かに取り憑かれたように、聴衆の時間軸をねじ曲げるような熱唱をする。ぼくも汗にぬれながら、一心不乱に付いて行く。そのうち、憑いて行く、と書き表わした方が良いような状態となる。ステキで楽しいそのサウンド。また、あの暑さの中で、演奏を聞いてくれたお客さんにも感謝したい。演奏終了後、舞台裏のテントの楽屋に戻り、スーツの上着を脱いだら、シャツが汗で肥大していた。しかし,与世山さんと演奏することは、どんな条件下であろうと、ぼくにとっては幸せの限りであり、このチャンスを創ってくれた多くの人たちにお礼が述べたかった。大阪中心部にあるホテルに帰り、ひと休みした後、ビッグタイマーらと打ち上げに参加。CDで共演して以来、与世山さんとゆっくり話す機会がなかったので、彼女に、いろんな音楽や、演奏のことでゆっくりしゃべる時間があった。それもまた至福のモーメントで、バークリーでは教えてくれない、しかし、ミュージシャンとしてもっとも重要な核心の部分を、チャーミングな会話から教わった。教わったと書いたが、学校で授業中教わったという意味での教わるではなく、ぼくの歳までミュージシャンをしているものには的確な、そしてシャープな物語の数々。あまり敬服してしまっては、共演時にリラックスできないとは知りつつも、やはり背筋を伸ばして聞くべき内容であったのだ。打ち上げ後、水谷君と、大阪の夜のパトロールへ出かける。何回か、思いもよらぬ事故に遭遇し、土地カンのないところをうろうろしてホテルに帰る。翌朝、大阪駅から帰途。窓の外をじっと眺める。街、街、住宅地、住宅地、郊外のマンション、すぽっといきなり廻りの家々から飛び出すように建てられたマンション、工場、工場、田んぼ、田んぼ、畑、畑、川、川、山、山。工場、工場、何となく良く分からない場所、という我が国の構成のされ方。それらの建物に重なるようにある山々、これはまるで、箱庭的だな、とふと思った。まあ、大阪→東京のあいだの眺めだけだけれども。峻厳な山々も無く、かといって他民族間で争いが起こるような雰囲気も無い。砂漠も無く荒野も無く、しかし個性に欠けた、暗黙の批准という言葉が空気を支配しているような、きわめて盆栽的なわが国。善し悪しは別として、現実的な眺めがそうあるわけなのだが、このままで本当にいいのだろうか。東京駅着。大阪より涼しい。帰宅して午後就寝。疲れていたのだ。

某月某日
不特定多数の皆様、明けましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願い申し上げます。正月時期は苦手である。嫌いなわけではない。街には人が少ないし、静かでもある。ただ、独り住まいの身としては、多少食料獲得に困難を来す。別に特別健康に留意しているわけではないから、元旦からの三が日をしのぐことぐらい、今までのあれこれを考えれば、そう難しいいことではない。しかし内心どうもきにくわない。特別日本の習慣に楯突くつもりはないけれど、忘年会をやり、その年のことは水に流してしまって、新たに新年会などやっている。こういう国柄では、ナチのアイヒマンをイスラエルのモサドが長年彼を追いつめるというような心情は生まれない国なのではないかと思ってしまう。イスラエルに忘年会はあるまい。少なくともモサドのメンバーには。忘年会をやっても去年のツケは廻ってくるのである。いわんや国際情勢においておや。地球環境のことを考えても、その記事を新聞などで読みながらコーヒーなど飲んでいる僕自身も、相当のアチャラカ者である事には変わりないのだが。ええ、話題を変えまして、ウエブのスケジュールの更新ですが、1月第二週には更新しますので、しばらくお待ちください。

某月某日
地球温暖化だのなんだの言いつつも、毎朝けっこう寒い季節となった。僕の家は、けっこう密閉式なので、あまり暖房はいらないのだが、今年の夏の暑さと比べれば、やはり格段の差があるように思う。今、午前五時半で、また眠れなくなってしまった。冷蔵庫の残りの野菜でシチューを作ることとした。午前五時半に野菜を切っている自分が何だか滑稽である。やらなければならぬ仕事も山積しているが、とにかくシチュウーを料理することと決めた。今は、とろ火で煮込んでいる最中である。作り方は簡単、なんの肉でもいいから、塩こしょうをふってしばらく置いておく。その間に、冷蔵庫にある残りの野菜をテキトウに切って、まず肉を炒め、そこに野菜を入れて炒める。そうすると、野菜のうまみが出てくるようだ。特にこのシチューを料理することに関して、よくテレビで紹介されているような達人の技は必要ない。ただ、使う水はミネラルウオーターにした方が良いということだけが、コツといえばコツだ。後はじっくり煮込んで野菜不足を解消するのみである。ボストンに住んでいる頃、よくチャイナタウンに安いフライドライスなどを食べにいっていた。しかし、ある日気付いたのである。このチャイナタウンにあるたくさんのレストランは、どこから材料を仕入れているのかという疑問が浮かんだのだ。当時、僕よりボストンに長く住んでいる日本人の何人かから情報を得ることにした。その情報を総合すると、ボストンのあまり治安のよろしくない地域に、謎のマーケットがあり、そこがどうも、チャイナタウンの材料を一手に引き受けているということが分かった。こうなったら行ってみるしかない。車をもっている友達を誘い、早速その地域をうろうろと運転していたら、あったあった。たくさんの中国人が出入りしている大きな建物が。中に入ってみて驚いた。中華の食材のみならず、タイなどに輸出用の「出前一丁」のようなインスタントラーメンも売っている。値段は一個50セントほどだ。夜食にちょうど良いと買いまくった。肉類も豊富で、ボストンにある通常のマーケットより安かったような気がする。ただ、肉屋のオヤジは英語を話さなかったので、筆談で用を足した。肉売り場の床には、豚の生首が鮮血を流したまま放ってあったりして、少し閉口したが、ごぼう、白菜など、ボストンのマーケットでは手に入らない野菜が、信じられないぐらい安い値段で売られていた。また、調味料の種類の多さは、特筆もので、オイスターソースのみならず、エビのソース、なんだか分からないソース類がたくさん瓶詰めになって売っていた。それらの調味料も安かったので、がんがん買い込んだ。乾燥中華麺も至って安く、大量に買い込んだ。冷凍食品の中には、餃子が五十個ぐらい入ったものもあり、値段も安かったので、それも仕入れる。そうこうしているうちに、僕のアパートの台所のまわりには、中華料理に使う色々なソースや材料があふれかえった。中華料理のレシピの本など、当時は持ち合わせていなかったが、要するに、まず、ニンニクを細切れにして、豚肉やら鶏肉やらをごま油で炒める。そのあと、野菜を炒めてから、片栗粉を混ぜた水を適量たらせば、中華丼、焼きそばなど簡単に調理できた。わけの分からない調味料を使ううち、その味も覚え、料理の種類によって使い分けるところまで上達した。外で変なハンバーガ-や、スライス・オブ・ピザなど食べているより、自然と野菜が接種できる中華料理に比重が移り、毎晩中華料理ばかり食べていた。しかも自己流の。こうなってくると、調理器具も欲しくなり、ヘラや、かき混ぜる道具、色んな種類の中華鍋なども買い込んで、一事、何のためにボストンに留学しているのか分からなくなってしまった時期もあった。夏場はジャージャー?を良くつくった。自己流ながら、それなりの体裁と味をどんどん旨いものにして行くコツものみこめてきた。日本人の友人を招き、中華料理パーティーなども時折催した。今はずぼらになり、料理といえばシチューが定番である。日本では、ボストン時代に買い込んだ調味料や調理器具が、やたらに高いので、中華料理はもう作らない。おっと、シチューが煮えてきたぞ。

某月某日
過日、電話機が、例の気味のい悪い声で、「ファックスヲジュシンシマシタ」と言うのが聞こえたので、電話機の前まで行ってみたら、表示板というのが正しいのか、とにかくデジタルな画面にカタカナで、「ジュシンデータガアリマス/インクリボンヲコウカンシテクダサイ」との表示が出ていた。ああ、やってきた。復活の日ならぬインクリボン交換の日。僕は、インクリボン交換が大の苦手なのである。一回でうまく行ったためしがない。電話機をぱくっと半分に割るようにして中を見ると、なるほど、どうもインクリボンの様子がおかしい。これは僕の天敵である電化製品量販店へ、インクリボンを買いにかなければならないことを意味する。この日記で何度も書いているように、僕はあの量販店が大嫌いなのだ。ビカビカの蛍光灯に騒音に雑音。落ち着いて買い物ができたためしがない。大体、店内の何だかわけの分からない放送で、店員の商品に対する説明が僕にはよく聞こえない。まあしかし、送られてきた内容のファックスは、仕事関係のものかもしれず、このまま無視するわけにもいくまい。ということで、量販店に突撃。とにかく電話機の取扱説明書自体をもっていって、そこいらの店員に、取扱説明書を見せながら、インクリボンはどこですかと聞く。僕のインクリボンの形名は、数字とアルファベットの合体した複雑なものだ。しかも、だいたい、「形名」なんていう日本語自体が何だかおかしい気がするし、どうして、インクリボンごときに、スター・ウオーズに出てくるロボットみたいな型番つけなくちゃならないんだよ。インクリボンA,B,Cで充分違う形と見分けがつくじゃないか。とにかく、インクリボンを下さいと近くにいた店員に声をかけた。案内されたその場所には、たくさんの種類のインクリボンが置いてあった。なぜ形をいっしょにしないんだろう。すぐさま僕の電話機に合うインクリボンを買い求め、料金を払った後、ダッシュで量販店から外に出る。量販店の店内にいた時間約3分。上出来だ。次は2分を切ってやる。家に帰ってインクリボンの入っている箱を開けてみた。いつも不思議に思うのだが、スティック状のもが2本、セロファン紙のようなものが、均一な量で各々のスティックに巻かれた格好になっている。このことからして僕には分からない。なぜ二本のスティック状のものに「均一に」セロファン紙みたいのが巻かれているのか。たとえば、トイレットペーパーだって、使っていくうちに芯にある筒状のボール紙を残して、紙自体がなくなるわけである。だから、インクリボンだって、どちらかにインクリボンが巻いてあり、どちらかがスティックのみでなければおかしいではないか。セロファンのようなものが均一に二本のスティックに巻かれているということは、どちらか半分のセロファンのようなものは使わないということなんじゃないか。いったいどういう仕組みになっているのだろう。きっと電気会社とセロファン会社が結託しているに違いない。またこのインクリボンの交換が、僕の神経をささくれたものにする。一回でうまく行ったためしがない。しかもなんだよ、この19世紀的な交換の仕組みは。これだけ電化製品が発達しているのに、コンピューターのプリンターのようになぜならないのか。まず白色ギアと緑色ギアを新しいインクリボンのスティック状の穴に差し込む。この行程からして、もう既に19世紀的じゃないか。大体このプラスチックのギザギザした、円形状のものが、「ギア」なんて名前で呼ぶほどのシロモノか?とにかく解説書通りに、そのギアなるものを差し込んだ状態のインクリボンのスティックを本体に装着べく試みる。まずここで、必ずぴったりとはまらない。スティックの長さが長すぎて、電話機本体にフィットしない。その何だかギアとかいう物を、もう一度、スティックの穴にぐっと無理矢理押し込もうとしていると、段々セロファンみたいな紙がよれよれになってくる。格闘10分後、やっと二本のスティック状のものが、電話機に収まる。ふと見ると、ぱくっと二つに割れた電話機の裏側にも、インクリボン交換方法という説明が書いてある。二本のスティックを本体にはめ込むところまでは解説書と同じことが書かれている。違いは、緑色のギアを回転させて、インクリボンのたるみをなおしてくださいとある。その通りにして、二つに割れた電話機を閉める。ジーっと何だか原始的な音がして、「キロクシ/リボンカクニン」という表示が出る。いつもこうだ。いつも一回目にはうまく行かない。もう一回電話機をぱっくりと二つに開けて、インクリボンのよれがないか目で確認し、たるんでないことも確認して、緑のギアを回して、多少セロファン紙が突っ張るぐらいの状態にして、電話機を閉じる。「キロクシ/リボンカクニン」の表示が再度表示される。ここでいつも僕は、顔の表情だけ、無念無想の境地にいる者になる。しかし、頭の中は、無念無想どころか、不条理感と怒りでいっぱいになっているのである。こいつはいったいなんだ?なぜいわれた通りやってるのに動かねえんだ?きっとこれには電話機の閉じ方に問題があると考え、まず最初に静かに静かに閉めてみた。結果はダメ。作動しない。頭にきたから、こんどは思いっきり乱暴に電話機を閉めてみた。ガシャン!ジーッという音が長く続く。おいおい、いったいどうしたんだよ、さっきいよりそのジーって音が長いじゃねえかよ、と思っていたら、「シバラクオマチクダサイ」という表示が出た。シバラクッてどのくらいの時間のことを言ってるんだ。すると、またジーッという音がして、止まった。表示には、「ルスセッテイ」と今日の日付が。うまく行ったのかと思って、ファックス受信のボタンを押したら、電話機にファックス用紙が吸い込まれて行く。やっとうまく行ったんだ。しかし腹立たしい。インクリボンを交換するのにある種のコツが必要だということ自体が許せない。ゼロ戦じゃないんだから、誰がやっても、同じく作動するように、なんで設計できないんだ。これだけ電化製品が発達しているのに、何でファックスのインクを変えることだけが、19世紀的なのか。出てきたファックスを見てみたら、○×不動産株式会社 オフィスレンタルの件、六本木の一等地、4DK 賃貸し 月600,000という見出しの下に、部屋の間取りの設計図みたいのが印刷されている紙が出てきた。怒髪天を衝くとはこのことであろう。間違いファックスだったのだ。このオレサマに、月60万の家賃を払えってか。こっちはてっきり、何か仕事のファックスだと思ってたのに。次回から、ファックスのインクの交換時には、お客様相談センターに電話して、しかるべき人間を無料で派遣させ、交換作業を、何度も書くが、無料で作業させると心に誓った。えへ、えへっへへへへ。非常に感情的な文章を書いてしまいました。仕事関係の皆様へ。ということで、インクリボンは最近新しく交換したので、しばらくはファックス受信は問題ありません。何かありましたら、連絡お待ちしております。

某月某日
10月のはじめに風邪をひいてしまった。微熱が続き、本日29日、やっと熱が下がった。こんなに長い間風邪で熱を出した経験がなかったので、血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしたが、要するに体に細菌が入ったということしか分からなかった。まあ、大病でなくてよかったようなものの、これだけの長い間微熱が続くと、体力は消耗し、頭のぼんやり度も増してくる。普通に気分がいいという状態が、いったいどういう気分なのかも忘れてしまうほど、体がだるかった。熱がもっと高く、ベッドに寝たきりだという状態であれば、まわりの人間も、ある程度僕のことを病人として扱ってくれるのだろうが、微熱というのは微妙なもので、気分は悪いのだが、何となく事務の仕事をしてしまったり、じっとテレビを見たりしていたので、他人からは病人扱いされない。微熱なのだからたいしたことはないと、色々と仕事をしていると、日を追って体のだるさが増してきて、とにかく、横になっているか、テレビを見ることしか、できることがなくなってきてしまう。こういう時期に限って、ピットインでGO THEREの演奏、JAZZ TODAYでの演奏などをこなさなければならず、座薬などをぶち込んで、何とかしのいだのであった。特に、JAZZ TODAYの演奏の最中、座薬が効きすぎたのか、血圧までもが下がったような状態になり、ほとほと困った。まあ、評判が良かったので、これはこれで良しとしよう。風邪は万病の元とよくいわれるが、現代に於いて、病気の種類は1万では足らないのじゃないか。風邪は億病の元と言い換えるようにしたらどうか。行きつけの医者のところで採血したり、レントゲンを撮ったりして、最初に書いたとおり、億病の元に、自分がかかっていないことは、はっきりしたのだが、病院の待合室には、なんだかよくわからない病気の名前が羅列されたポスターなどが貼ってある。難病と呼ばれるものばかりだ。病名を何とはなしに読んでみると、その病気の症状よりおぞましい名前がついているような気がしてならない。しかし、よくその張り紙を見ていたら、金欠病という病名はなかった。多分誰にも治せないのだろう。金欠病になれば、病院には行けず、つまり、おぞましい名前の病名さえつけてもらえない。名前は間抜けだが、金欠病ほど恐ろしい病はないのではないか。僕もずいぶん医療費を使った。金欠病の初期症状である。

某月某日
また寝そびれてしまい,今は午前五時。この時間になると,妙に体が,たとえその夜睡眠をとっていなくてもどこかハイパーな気分になってくるのは,DNAの底に埋まった整体時刻のようなものが、まだ活動している証拠なのかもしれない。そう勝手に思い込むことができれば,僕はまだ健康であるということに成りはしまいか、と、今瞬間瞬間,明日の昼間までどういうかたちで寝ることができるか,模索しているところである。前回お知らせしたように,全曲ジャズのスタンダードナンバーで構成されたCDが秋に発売される予定となっている。色々な写真集など、またウエッブにて検索したりしながら,いいジャケット写真を探しているのだが,なかなかピタリとくるものがない。しかし,焦っているわけでもない。今までの経験からすると,最終的には何とかなるものだからだ。ということで,ジャケット写真も楽しみにしていてください。寝られないので,久しぶりにテレビを見たら,「朝までなまテレビ」をやっていたので,何となく最後まで見てしまった。ずいぶん前に,九鬼周造著「いき」の構造という本を読んだことがあるがある。すぐれた本というものは,貴重なものであることは周知のとおりだが,べつにこの本を読まなくたって、「いき」というものが、テレビを見ていてなんだか分かるような気がしてきた。つまり、政治家という職業の人々と対局の発想、観念,言動を心がければそれでよいということが良くわかった。思わず勉強になってしまった。いずれにせよ,日本の未来は暗いですね。ここ数日,仕事もなく,暑さのために,諸処の事務処理能力が通常の10倍ダウンしているので、内心焦ってはいるものの,それを突破する精神的前傾姿勢が、いまだ体の中に芽生えてこなくて,自分自身に辟易としている。まあ、こういう状態も何度か経てきているので,だからといってとてつもない心労をかかえつつあるといった状況でもないのだが。どちらにせよ,社会的に考えれば良い状態ともいえない。長い酷暑の日々を少し抜けてきた昨今ではあるが,食欲はいまだ戻らず,結構人間というものは,あまり食べなくても生きていけるような気がしている。食べるということに関して書いてみて,今思い出したが,またつい最近,あまり見ないテレビを何となく見ていたら,大食い競争やら,ラーメンを一日に何杯も食べてみせる番組などを連続して見てしまった。芸能人は,それを仕事としてやっているのだから,こちらが文句を言う筋合いはないし,見たくもない番組は,視聴者の側で見なければそれでいいだけの話しだが,やはり下品だと思う。このことも,九鬼周造の理論を知らなくても,「いき」ということがどういうことかということを,逆に理解する近道であろう。21世紀は始まったばかりなのに,世も末だ。こんなことを書くと,何だ偉そうにと思われる方もいるだろうから,補足のために書いておくが,日本の食べ物は,世界の食べ物,特にアメリカ,北ヨーロッパのものに比べて,格段に質が高い。これは僕が日本人だから,ということで贔屓しているのではなく,客観的な体験を元に、このことは断言できる。勢い、食に関する番組が多いということも,うなずける部分もなくはないと思う。しかし、カメラの前ででかい口を開けてむしゃむしゃ食い物が食えるという神経には,僕はついて行けない。単に恥ずかしいから。トリオのCDが発売されれば,自然と,これからの活動の指針もたつであろう。この夏を朦朧と過ごしてしまった分,何らかの巻き返しを画策せねばならぬ。と、ここまで考えたところで,その先に特に書くことが思い当たらなくなったので、今晩?今朝というべきか,今回の独り言は終わり。最後に一言。最近の日本人は喰い過ぎだと思う。

某月某日
また長らく日記を書くのを休んでしまった。あまりにも考えることが多くて,それを文章に書くという、いわゆる脳の中でのそれら事象をまとめる時間,それを内的言語にする咀嚼の時間が、この期間あまりにも長すきたことに起因すると思われる。ここで宣伝です。秋頃,ピアノトリオのCDを出すことに決まりました。演奏したのは全てジャズのスタンダードです。メンバーは,鈴木正人(B),芳垣安洋(DS)。なるべく意識的に,曲にアレンジをほどこすことを控え,これはある意味ヒジョウに冒険なのですが,あえてその方針でつくってよかったと思える内容となりました。鈴木,芳垣両氏も,すばらしい演奏をしています。秋頃発売予定なので,またこのウエッブにてお知らせします。8月の頭、小用あってヨーロッパに行っていました。帰ってきたのが,ちょうど東京各地で熱さ地獄が始まる直前で,体がまいりました。向こうは25°ぐらいだったのですが,成田に着き,JR鴬谷駅で外に出たとたん,サウナに入った時のような感覚に襲われ,これを逃れるには、四次元に開いたどこかの扉を探すしかあるまいと覚悟した次第です。外気がサウナなのだから,もう四次元にその出口をもとめねば、この環境からの脱出は無理だと,客観的に感じたのですが。これは、何の理論的根拠も科学的正当性もない意見ですが、一方、僕の心の中では,「皮肉」という一言が思い浮かんでは消えしています。この灼熱地獄によって,死んでしまった方もあるようで,これはどうも尋常な暑さとは思えません。宗教には,どの宗派にせよ,地獄,天国という概念があるようですが,もうすでに、この世自体が地獄なのに,いったい死んだらどこに行けというのでしょうか。宗教家は,地獄はもっと苦しいという理論で来るのでしょうが。この文章を読んでいる皆様も,お体ご自愛ください。

某月某日
前回の二回の日記、ろくなことは書いていない。自分のなかで堂々巡りをしているのみであるから,自らが何かの行動を起こし,精神的に全てなにもかも解決とはいかないまでも,なにかしらの気分転換が必要なのは衆目のとおりである。僕はいわゆるグルマンではないが,何かうまいものを食べて,少し気分転換をするということに決めた。これとて,僕にとっては非常に飛躍的な行動なのだが。とある筋から,あまり有名ではないが,うまいイタリアンレストランのことを聞き及び,それを教わった晩に出かけてみたのである。別段イタリア料理に詳しいわけではないが、その店は,とある世田谷区の一角にあって,メインの通りからも遠い。隠れ家的店である。まず席に着き,メニューをひろげる。日本語とイタリア語が併記してあるメニューに、料理の種類が並んでいたが、読むのが面倒であったので、店員を呼んで,とにかく前菜、メインの料理の二種類のおすすめを教えてもらい,後は全てまかすことにした。酒は辛口の白ワインをたのんだ。それが店員おすすめの料理のコンビネーションと多少合わなくてもおかまいなしである。何度も書くが,僕はグルマンではない。しかも,内臓が,紫色に変色するのが,そのときなぜか嫌だったから白ワインを頼んだ、という理由からだけである。白ワインをがんがんあおっていると,色々なキノコの炒め物が出てきた。メニューに書いてある料理の名前はすでに忘れている。オリーブオイルと何かしらの塩気によって絶妙な味をなしているキノコ類をわざとナイフとフォークで小さく切りなが食す。よく炒めてあるのに,キノコの繊維質がしっかりと歯ごたえがあり,しかも量も多く,先ず第一段階はとても味覚的に楽しめた。中華と同じく,やはり強い火力の調理ができるからこそこの味はたもてるのだろう。キノコの味というものは不思議千万で,味というより,繊維質とキノコ自体の土の香りを少し残した風味を味わうものだということを再認識したような気がした。キノコを食べていたら次の料理が来た。パンに様々なチーズを溶かしたものがかかっているなんとかというメニューで、これも少しずつ切って食べてみた。食べているうちにチーズソースがさめてきたのに,固まらないのに少し驚いた。ところどころ青っぽいところがそのソースの中に見受けられるということは,ブルーチーズも入っているのだろう。ヨーロッパに演奏しに行った時,彼の地において,相当えぐいチーズを食べたことがあるから,この一品は,もしかしたら,日本人用にアレンジされているのかもしれない。なぜなら,食べやすかったからだ。白ワインとともに,パンにチーズをぬってもぐもぐとやっていたら,メインディッシュがきた。ズワイガニのスパゲティ-である。まずカニの腕だか足だかを素手でつまみあげ,食べにくい中身をしゃぶり始めた。どう考えても,カニの中身とパスタ自身をいっしょに食べることが無理だなあと思ったからである。思ったとおり,カニの中身は食べにくく,最初は,丁重にナイフでもってして,中身を掻きだしていたが,途中から面倒になり、甲羅の部分から噛み砕いて全部食ってしまった。ざまあみろである。いずれにせよ,パスタには,カニの滋味が混じっているはずで,こういう食べ方をしても,特に問題はあるまい。思ったとおり,カニを征服した後のトマトソースのパスタには,カニの風味が移っており,しかも、絶妙な割合で唐辛子の辛さが風味を引き立てていた。ジューサーで細かくしてトマトソースに和えたというよりも,細心の注意を払って,唐辛子を細かく刻んだという辛さのなかに、スーパーマーケットで売っているトマトの缶詰にはない、トマトの新鮮な風味が、絶妙にパスタと絡み合っていた。一口食べてみると,その唐辛子の辛さとトマトの風味、カニというよりもいわゆる海鮮のある意味重ったるい食感が、口中に広がった。これは美味であった。この味覚によって,脳内のセロトニンが増えないかなあと一瞬想いつつ,このカニパスタ,一気に食ってしまった。次なるディッシュは,子羊の何とか香味風味焼きとかゆうもので,二十代の頃、フィレンチュエで食べたことのある,Tボーンステーキを想起させるものであった。辛口ワインも相当飲んでいるので,もうフォークもナイフも使うのが面倒くさくなり,子羊の肉にくっついてきた骨をつかんでそのまましゃぶるように食べてしまった。勿論この一皿にも,焼き加減,塩の量,焦げ目のつけ方,色々技があるのであろうが,こちらはそんなこと,食べる方法に関してはおかまいなしだ。ただただしゃぶりついた。脂身の部分と,肉質な部分が絶妙のバランスでり、一口一口が楽しめるように調理されているところに、家庭料理では再現できない何かしらの技を感じた。一口噛むと,肉の繊維質,しかしそこにはほろほろと,肉の脂肪がまとわりついてくる。二口目にも同じ満足感が得られるということは,なにかしら途方もない工夫がなされている証拠であろう。味全体に関しては,塩味が強すぎる感があるのに,その塩味を感じたとたん,肉汁がそれを中和するという繰り返しには,少し恐れ入った。後,骨までしゃぶって,椅子にのけぞり,天井を見上げた。たまにうまいものを食うと,少し頭がぼーっとする。この湿気の強い嫌な気候の中で,このような味覚を維持すること自体,大変なんだろうなあと想いつつ店を出た。たまにはこういう晩が有ってもいいではないか。明日からまた,豆腐に醤油をかけてそのままスプーンですくって食べる日がはじまるのであるから。二番目に食したのは,

某月某日
前回の日記の続き。こういう湿気の時期にまた夜も眠れなくなるという悪循環が襲ってきた。ただいま午前6時30分。前回の日記で書いたいわゆる余計なことを考える気力もなくなっており。こんどはあらぬ妄想が,何の合理性もなく、浮かんでは消え,浮かんでは消え,という状態になっている。眠れなくなるという状態にはなれているはずなのに,今度は複数の,わけの分からぬ妄想が、瞬時にして頭をかすめたり,なかには、その妄想と他の妄想とのあいだに、何らかの関係のあるものまで含まれている時がある。いずれにせよ,前回書いた日記を書いた状態よりも手に負えない。ただ妄想といっても,それは必ずどこかに悪夢的な要素を含んでいるからである。つまり、前回のように,何やら根本的に脈絡のないことを書き散らしていた時よりも、さらに自分自身の思考を押さえつけるのは難儀な状態になってきてしまっている。何しろ相手は妄想なのだから,突然に前夜に見た夢の断片が頭の中に去来したかと思うと,とにかく有りもしないようなことが、何故だか冴えきったイメージの中に滑り出してきたりする。個別の妄想自体は,そんなに頭を悩ます原因ではないのだが,しかし,それらいろいろな妄想そのものが,ものすごい勢いで、同時に脳内を通り過ぎてゆき,これには全くお手上げの状態で,禅の言葉で,妄想は出流にまかせる去るにまかせるしという方法があるそうだが,世俗にまみれた僕の心境では,到底このような言葉は,知識として認識されるだけである。酒を飲むと一時収まることもあるが,それによって酒に依存するのも厄介の種となりそうだ。新しいトリオのMIXINGの日程がなかなか決まらず,新しい演奏場所を探し出さなければならないという強い想いが,不眠症、ならびに、複雑な人間関係など、これらのことが要因になって、自分勝手に妄想しているに元凶かもしおれない。チュンチュンの時間となってきたようだ。ムダとは知りつつ,これからベッドに横になってみることとする。

某月某日
梅雨である。きわめて体調が悪い。僕の天敵は湿気なのである。ピアノと同じように。昨今ポッコリと演奏の仕事の谷間ができて,気分もすぐれないのに,余計なことを考えてばかりいる。余計なことは余計なこととして,考えねばいいと言われればそれまでなのだが,その余計なことの中にも、大切なことが混じっているかもしれず,大切なことの中に余計なことが混じっているかもしれず、こういう文章を書いていること自体,余計なことかもしれず,最後にはため息が出る。総じて言えば,日本という国は、かわいそうな国である。世界史の中で初めて原爆を落とされ,信用していた政府には裏切られ,国家としての理念もなく,普段食っているものは何がなんだか分からなくなっていて、それなのに、諸外国からは先進国として扱われ,根本的には国家自体貧乏なクセして背伸びして,生き残ろうとしているけなげな日本。こういう国に文化が根付くことは、遠い先の未来だろうと思うと,暗澹たる気持ちになる。いわんや,遠い先の未来に,文化国家として確たる姿を呈することができれば,まだいい方かもしれない。なにを一人のミュージシャンごときがほざいているのか,と思われる方もあろうが,逆に言えば,たかがミュージシャンごときの存在をも、こういう気分にさせる土壌というのは、いったいなんだろう。僕の気鬱のせいだけなら読み捨ててもらってもかまわないけれど。僕は自分の審美眼と美感を,信じるのみである。

某月某日
前回のごとく書いてはみたが,ウエッブの管理人の適切なる指導によって書き変えることができた。なんだか,キャッシュを空にするという項目をいじらなければならなかったようだ。また一つコンピューターについて新しいことを学んだような気もしているが,時が経てば忘れるであろう。そういう頭にできあがっているのだからしかたがない。せいぜいウエッブの管理人に愛想を尽かされない程度にうまく渡り合うすべだけは忘れぬようにしないと。そういえば,久しぶりに日記を更新している。むしかえすようだが,我が尊敬する哲学者、池田晶子氏が亡くなってから,何となく,文章を書くことに対しておっくうになっていただけなのだが。言葉はロゴスであるという真実を突きつけられてしまえば,おいおいと、よけいな文章は書きたくなくなるし,今はやりのブログというものも,なんだか善し悪しの基準が曖昧に思えて,不特定多数の人々に対して,ここで文章を書くこと自体,すこし憚られた思いであったのだ。前回の日記を見てみると,トリオの録音のことが書いてあるが,これは三月に終えたことであり,優に3ヶ月間沈黙していたことになる。この間,個人的にも社会的にも色々なことが起きたのだが,どうも世の中,時が経つにつれて,ミュージシャンのみならず,生きにくくなっていく度合いが増えていっているように思えてしかたない。宮崎駿氏の創造した「風の谷のナウシカ」では、腐海に広がる粘菌が、ある意味人類の未来を象徴していたが,西暦2007年現代の粘菌も,増殖してるんだか,どこにあるんだか分からない仕組みとなっているようで,どうもお先真っ暗だ。日本人はなぜもっと怒らないのか。僕としては音楽を通じて暴れるつもりである。アバレルといっても、なにもデモをするとか,わけの分からない行動に出るつもりはない。べつに激しいフリージャズ的手法をもって,何かを表現するつもりもない。いずれにせよ、大勢の人々が,本当の音楽によって或る種のカタルシスや,日々のどうにもならない気分が一瞬でもいいから解放されることを望むばかりだ。別に僕の音楽以外でもそういう体験をして頂いてもいいのだが。笑ってしまうのは,,学校の先生や,その他、ごめんなさいではすまない職業の人達が,妙な痴漢行為で捕まっていることだ。バンドマンだったら,あいつはスケベでどうしようもないな,ですむところ、むろん,被害者の女性をこれ以上増やすことは良いことではないが,復職できるということを考えれば,我々の方にアドバンテージがある。いったいどうなっているのだろうか。つまり、あまり一寸先は闇ではない人や職業の人が,自ら一寸先は闇の世界を創出しているということであって,ある意味,我々ミュージシャンを上回る気性の持ち主が増えているということであろう。こうなってくると,我々が,いい意味で音楽的に暴れても,あまり意味がなくなってくるのではないかと不安に思ってしまう。何しろそういう人達は,我々を精神的に凌駕しているのだから。さてこの日記本来の役目をこれから書き記すとすれば,トリオのCDの発売は秋以降となりそうである。予定ではそうだということで,後は実務をこなすEWEの手腕に、宣伝なども含めてまかせるしかない。

某月某日
機械の都合で,新しいライブスケジュールの更新ができません。なぜだろう。

某月某日
本日は,目の奥底のホコリがふりはらわれるような晴天である。少し風が強いが,それもまた,目やにをからりと乾かしてくれるような春風であり,気分がすこぶるいい。一週間ほど前,銀座のスタジオにてトリオの録音をした。メンバーは,鈴木正人(B),芳垣安洋(DS)。今回は,前回の「ELEGY」のようにストリングスが入っていない掛け値なしのピアノトリオの録音だ。発売は今年秋頃を予定している。詳しい情報は,追って,このウエッブにおいてお知らせしたいと思っている。スタジオにて,久しぶりにスタインウエイを弾いた。ピアニストであるのに,なかなかこの楽器にめぐりあえない。普段,場末のキャバレーのズベ公と、日夜の区別なくものすごく淫蕩な日々をすごすダメ男が,いきなり原節子から愛を告白されたような、そんな段差がある楽器で,鍵盤のタッチ、サウンド,音色,アクセント,等など,申し分なく自分のイメージしたとおりの音を出してくれる楽器だ。ピアノという楽器は,名前のとおり,ピアノフォルテを十分表現できるもので,その醍醐味を久しぶりに味わったと思うのは,喜ばしいことなのか,悲しいことなのか。確実にいえることは,また新たにピアノという楽器に対するイメージを録音を通じて学ばせてもらったという気分いっぱいである。と、言いつつ,レコーディングのために家にこもってピアノばっかり弾いていたので,いざ本番が終わってみると,燃え尽き症候群のような精神状態になってきて,最初に書いたように,ああ、太陽が明るくなってきたな。風が強いなといった自然現象しか感知しなくなってしまった今日この頃である。ちょっとニュース等を真剣に見ると,ロクなことは起っておらず、詳しく書かないけれども,まあ嫌になってくるだけだ。日本の政治は何でこうゴミなんだろう。いや、春だ。ゴミなことを忘れさせてくれる春の力を信じようと思う。コンピューターで桜の開花予測をし,それがはずれるなど,愉快でたまらない。咲いた時が咲いた時じゃないか。日本の都市景観は類を見ないほど最悪だが,そこに桜が咲いていると,何ともけなげに見えてくるから不思議である。今住んでいるところから一番近い花見の場所は,M川沿いの桜並木だが,毎年夜桜を見に行っている。川沿いの店などが,屋外に椅子を置き,花見客を立ち止まらせようとしているのだが,僕はあまりそういうところには座らずに,川沿いに桜を見ながらうろうろする方が好きだ。そのあと酒が呑みたくなれば,川沿いからはなれた店で静かに杯をかさねるのがよろしい。家に帰ってねそべりながら、坂口安吾の「桜の森の満開の下」など読み返すと,またこれ格別である。お金もかからない。さあ,今年の春、夏,秋、冬は何がおこるのであろうか。池田晶子さんも死んでしまった。どうあれ、次回のCDが出るまで,考えの及ぶ限り,自分の音楽のことを大切にしなければいけない。最も簡単な答えが,最も難しい。

某月某日
我が尊敬する哲学者,池田晶子さんが死んでしまった。ものすごくショックである。彼女は僕と同じ1960年生まれで、年齢も46才と同い年だ。僕の好きな作家は、すべて鬼籍にはいっており、彼女の書く文章は彼女より若い人、または同年代、池田さんより歳をとったひとが、まじめに思索するに十分な内容である。まだまだすごいことを書いてくれるという期待が僕の中にあった。そういう意味で,池田さんの新刊が出るのを楽しみにしていたのに,癌によって池田さんは他界された。悲しいのは,これより先,新刊は望めないということである。いずれにせよ、同い年の池田さんのことは、他人事とは思われない。今まで既刊の彼女の書いた文章には全て目を通している。これまでの池田さんの文章を読んで感じたことは,僕には明晰に考えられない大切なことを,池田さんの文章によって知らされたということだ。このことは,僕に対して,大きな財産となり得ることだった。池田さんは,死に対して,この世の不条理に対して,明確な理論的文章を展開されている。この世の不純を書き表し、それらの一字一句が,少なくとも僕の魂を動揺させるのに充分だった。だがしかし、もう新刊は,書き残ししか期待できないだろう。何という悲劇であろうか。彼女のような人こそ,これからの日本人を、内面的にリードし得る人だったと確信していたのに。これは僕の勝手な思い込みかもしれないが、我々日本人は,真のオピニオンリーダーを亡くしてしまったと思う。インターネットで知った情報だが,池田さんは、死ぬ間際まで文章を書いていたということが多く語られている。僕が最近読んだ池田晶子氏の本は,情報センター出版局の「残酷人生論」であった。未来を予見したようなタイトルではないか。この本でも,死ということが,実に明晰に記されていた。同い年の僕よりも先に、その「死」を超えてしまった池田さんの胸中はいかばかりであったろうか。哲学的解釈をぬきに考えても,池田さんの安寧を望むまでだ。彼女自身,著作の中で,死は存在しないと,何度も書いているけれど。しかし、一方では,池田さんの安寧を望む反面,死ぬ直前まで書いていた文章を読みたいというある意味下品な欲望も抑えきれない。こういうことを願うこと自体、残酷人生論かもしれない。でもしかし読みたい。文筆家はこういう人生をたどらなければならない宿命があるのかもしれない。などと、自分勝手な理由をつけて,だけど読んでみたいのだ。たとえその行いが下品であろうとも。池田さんは、本当に最後まで死を恐れなかったのだろうか。ここが、文筆家と読者の残酷な関係の露出するところである。客観的に見れば,文筆業というのは因果な商売といえよう。書いた本人が追いつめられたところを,追いつめられていない頃の文章と照らし合わせたいという、それこさ、残酷な読者の興味を倍増することであるから。不謹慎は百も承知で,池田晶子さんの新刊を楽しみにしている僕は,はたして、サディストなのか。ええい、どうでもいい。池田晶子さんがこの世に残した文章は,一字一句にいたるまで、熟読するつもりだ。勝手な考え方かもしれないが、,それが彼女に対しての最大の供養となるであろうと望みたい。

某月某日
またずっと日記を書かなかった。正月新年は深夜はピットインで演奏し,そのまま家に帰って寝たら,元日の夕暮れになっていた。年越しそばも,日本的新年のお正月の行事をすべて放棄した静かな夕暮れ。そば屋も開いていまい。元日の太陽も拝めなかった。しかしながら、いい気分である。気分はいいが,脳の気分は悪い。正月という時期を無視したという浮遊感をもってして,寝床から起き上がるも,これといってやることはない。腹が減ったが,僕は腹が減らないつもりになるのがうまいので,そのまま連続して煙草を吸ったりしていると,夜になった。初詣でも行こうかと思ったが,人ごみの中にいくのがいやでやめた。ということで何にもすることがない。実家に帰る約束をしたのが3日だから、後一日寝て過ごすことにした。池田晶子著「残酷人生論」を読んでいるとまた午前四時ぐらいになった。どこも開いてないから散歩に行く気もせず,部屋の換気を定期的にする意外なにもしなかった。さて3日の午後に,実家に新年の挨拶にいくことになっていたが,行くこと自体もめんどくさくなってきた。なんだかんだ理由をつけて3日の日も実家にいかなかった。実家にいけばそれ相応の食い物があるだろうに,親戚が集まって,おめでとうございますなんて,なんだかアホ臭くて,寝床に横になりながら,中島義道著「たまたま地上に僕は生まれた」を通読。この手の本を読んでいる方が落ち着く。悪癖はすぐ身に付くもので,一月中深夜まで本を読み,起きるのが午後4時頃と、太陽の光を見ぬ一ヶ月が過ぎていった。不健康きわまりないが,慣れるとそうでもない。なにもはつらつとして明るいばかりが人生ではない。食生活も滅茶苦茶。後でツケが回ってくるのだろうがかまやしない。今までずいぶんとツケを払わされてきたから,次はなあに、てなもんだ。なんでこんなことができるのかと言えば,これといった仕事が無いせいであって,ここまでくると,自分がピアニストなんだかなんだか,もうそんなことはどうでもよくなる。読書に飽きると,サングラスをかけ,新宿紀伊国屋書店に落語のCDを買いに行く。僕の贔屓は春風亭柳朝だが、いかんせん記録が少ない。残念なことである。もちろん古今亭志ん生、桂三木助,円生、金馬などなみいる名人も僕のお気に入りで,ジャズなんてこれっぱかりも聞いていない。うまい落語家は音楽と同じに,やはりグルーブしている。面白いな。しかし2月となるとこんな生活をしているわけにはいかなくなる。さすがに、なにか起さねばと,板のようになった背中をさすりながら,仕事をとり,3月のレコーディングの準備も始めなくてはならない。ということで、最近名実共に,おそまきながら、起き上がった所である。

某月某日
東京フォーラムに於いて,ジョアン・ジルベルトのコンサートを聴きにいった。あの音量で,大勢の客をテンションをキープするということは至難の技である。ボサノバという音楽は実に不思議だ。この太陽系に地球という惑星があって、今まで人類が歴史上どんな蛮行を繰り返してきても,その蛮行を大きく音楽で包み込む奥深さが,ボサノバ,強いていえばジョアン・ジルベルトの音の中に散りばめられていた。そう,極端にいいえば,いずれ太陽の膨張で消え去る運命にあるこの地球で,地球の人類が作り出した,何をも包括する音楽、それがボサノバなのではないだろうか,いわんや,超未来の人類が、太陽に地球が呑み込まれる瞬間にトリステなんか聴いているなんていうのも、不思議にマッチしてしてしまう音楽、これはボサノバ以外無いであろう。卑近のボサノバであっても,例えばイラクでの戦闘シーンに、現場の音をかき消してボサノバを流したら,逆にものすごくインパクトのある映像が撮れるのではないか。満員電車の風景にデサフィナードなど流せば,シニカルをとおりこした,何らかの残酷さとともに,どこか客観的でシラケた効果が出ることは必須である。例えば,爆弾テロがあった場所に映像とともにボサノバを流せば、人類の,意識そのものが,大きく展開するのではないだろうか。人類がちょこまかと己の利益や思惑で行ったり来たりしている。僕を含めて。だが,21世紀の映像にこそ,ボサノバは必要なサウンドであると思う。御大75才、来年は来てくれるのだろうか。

某月某日
昨日,携帯の会社を改め,新しく某社の機種を手に入れた。機種変更に関しては,今まで使っていた携帯電話にいろいろと問題があったから応じたのだが、それを変更するまでの行程は詳しく書かないのがよかろう。一言そえれば,機種変更に於いて、多大なすったもんだがあったとだけ記しておこう。今頭にきていることは,機種変更、その間のすったもんだ,店員の対応等の問題よりも,新しく手にした携帯の機種の内容にある。僕が一番げっそりきたのは,その携帯電話自身の内容の幼稚さである。とにかく、誰かが日本人を愚民化,もしくは文化度ゼロに追いやろうとしているとしか思えないような機能がたくさんついている。色もデザインもひどいという言葉をとおりこしたメールの背景画や、メールの文字に付随するチーハク的絵文字。漫画やゲームなど、携帯一機には多すぎだろうと思われる下衆なサービス。無知なガキから、通信料、通話料をむさぼり取ろうという見え見えな多くの仕掛け。仕事に関連しなければ絶対もたないこのような機械。ガキの仕掛けにはつばくろのように,一方向に目を背けるばかりだが,やはり中には大切な情報を集積したアプリケーションがあり,いやでもガキ専用の項目を無視できない状態となるときがある。。機械に弱い私は,意に反してそのガキ地域をまちがってボタンを押してしまう時があり,非常にイライラする。着信音にしても、こちらの神経をイライラさせる電子音のものが多い。こういう音でないと,渋谷の騒音の中では聞こえないのであろうが,このこと自体,もう悲劇的なことである。あのチャカチャカした音を二重に聞き慣れた耳は,一体その先どういう音を求めるのだろうか。または,こういうことにこだわる僕が,神経質すぎるのか。どこに基準を置いていいか分からなくなってくる。ちなみに僕は,絵文字というものが大嫌いである。メールと言っても,これは手紙の一種なのだから,すべて文章で表せばいいじゃないか。こんなことを言う僕はもうジジイなのか。誰か、頼むから,大人用の携帯を作ってください。

某月某日
一時間前に,EWEの主催するJAZZ TODAYにおいて,BOZOで演奏して帰ってきたのだが,演奏があまりにも刺激的で,脳のシナプスが飛び交っているようで,全然眠くならない。逆に,すぐ寝られるようだったら、演奏は無難にやり過ごしたという、ある意味内容がよくなかったことを示唆しているのかもしれない。ある種の職業病だともいえるが,ドラムの音、ベース,サックスのフレーズを,一音ももらず聞いて反応し,脳内も,普通の状態ではあるまい。面白いことに,わざと周りの音とは関係ないプレイをすることがある。そういう時,ドラムやベースが音楽の流れの一点に置いて,瞬間的にピタリとあう瞬間がある。これはプレイヤーに於ける最大の喜びである。と、脳を酷使して指先じゃんじゃん使った後,温かいミルクを呑んで行儀よく就寝とはとてもじゃないが,無理である。悪いことに家事などなにも手につかない。家の中を行ったり来たりしているのみである。大勢のお客様の前にいた数時間前とは、当然ながら違う人間になっている。雑念だらけの,その雑念さえ答えを導くことなく堂々巡りしているような,そんな状態だ。そしてあるとき瞬間的に眠気が襲う。昨夜は午前4時過ぎで,朝-9時に目覚めてしまったが,脳内はあまり快調とはいえない。まあ,毎度のことだが。

某月某日
いつまでも家にこもってネガティブなことを考えていてもしょうがないので,今日は無理して外出することにした。だいたい,東京自体が騒音の渦なのだが,そんなことをいっていてはいる場所がなくなってしまうので、まず土地勘のある新宿へ行った。やはり騒音の渦だが,高校時代から来ている場所なので,どこがうるさいかだいたい見当がつき,そのスジの通りは歩かないことにして,名目ともにふらついた。途中で,パンツ(ズボンだよ)と靴を買って、気分転換をはかることにする。外見が違えば,脳の状態もそれなりに変化すると思ったからだ。まあ,今日買ったものいだし、これからそれらを着たり掃いたりしないと気分の変化が分からないので、まず買い物をしたという充実感をもつことにした。消費によって快楽を得るのはキャピタリズムの基本だが,難しいことは考えずに,僕もその上に乗っかって、楽しい思いをしようとしたまでだ。だが、やはり、買い物とは際限ないものであり,いい演奏ができた直後の快感には,当たり前だが劣る所がある。まあ、同じ快感を買い物で得ようというのが根本的な間違えだと思うが。とりあえず、家にこもって悶々としているのでないということでよいと思うしかない。家に帰ってジョアン・ジルベルトのCDを聞いている。どんな状況でも,どんな精神状態でも,ボサノバは最高だ。

某月某日
下記に書いたとおり,明け方目が覚めてからいまだ眠れない。体は疲れ,寝たいという欲求があるのも確かだが,いかんせん眠くはならない。ただ頭が重いのみ。こういうときはうつ状態になると相場は決まっている。頭の中で響く声は,俺はすかたん,バカ,アホ、能無し,生きてる資格もない動物。あかんたれ、愚民、と言ったようなことばかりである。自然,なにもする気がなく,頭を抱えて寝ているだけ。その姿勢までも,僕のうつ状態を悪化させる。世の中に必要でない人はいない,という言葉もよく聞くが,その言っている人は,世の中に必要とされている場合が多い。そんな御託真っ正面から受け取るものか。ふん、あほらしい。無能の人の僕は,世の中にコミットせず,死ぬまで生きるしかないんだろうなあと思う。ああ不条理だ。

某月某日
最近明け方に目が覚めてしまうので往生している。早起きは三文の徳らしいが,今の時代三文もらってもエビアンも買えまい。三文探して午前4時にうろついたりすれば,おまわりさんに誰何されるに決まってる。徳をつむと言っても,明け方僕が家の前の道にほうきをかけていたりすれば,ああ、M氏も狂ったなと思われるのが関の山であろう。と言って,これが一番困ることだが,練習したり,家事をやるというモードでもない。ああ,また目が覚めちゃった,という冴えた頭での煩悶がはじまるだけである。こういう時間帯はよけいなことばかり考えてしまうもので,その考えていることはすべてドンズマリだ。再度寝ようと思ってもこれも何故かできない。かといってこのような日記を書いていることが正しいとも思えない。別に正しいことを探しているわけではないけれど。これ以上何か書くことが何の意味も持たぬことに気づきだしたので,今日はここまで。

某月某日
最近,また悪い浪費癖が顔を出し,腕時計を買ってしまった。今まで愛用してきたBAUME&MERCIERに不満があるわけではないのだが,ふと立ち寄った新宿の時計店で目移りがしてしまった。ドイツのTUTIMAというところが作っている腕時計に一発でまいってしまった。この時計は軍用として開発されたもので、近代ではNATO軍も使っていたという優れものだ。しかし,腕につけてみるとやたらと重い。ふと隣のショーケースを見ると,また別のかっこよさの時計があるので腕につけてみたら,ピタリときた。同じくドイツ製のSINNというところが作っているもので,時計というより,見た目がコックピットの計測器に近く,TUTIMAを買うのをやめにして,SINN MODEL103を購入。フランク・ミューラーのような遊びはないが,黒革バンドの端正な文字盤が気に入った。これなら選ぶ服にも困るまい。ベゼルのないタイプなので,一見クロノグラフにも見えない。また僕の浮気性が出てしまった。時間とは妙なものであって,哲学者から天文学者まで,その概念をああでもないこうでもないいと議論して、この21世紀があるわけだが,大げさにいえば,腕時計とは,一瞬一瞬オダブツになる僕の肉体を、逆に計測している機械である。そして機械といっても自動巻なので,限りなくマニュアルに近い。オダブツになるその時までの計測は,気に入った腕時計とともに、ありたいものだ。クオーツなどで数字で示されると,何か味気ない。自動巻であるから,もちろん定期的に正しい時間に合わせる必要があるが,正確な時刻から少しずれてたってしょうがないじゃないか。人間は千分の一秒単位では生きてはいまい。同時に,ちょっとした散財も、少し心の刺激となりうる。悪い浪費癖が再び鎌首をあげてこない前に、また現実にもどってコツコツと自分の音楽を作るのみである。また、上記の二種類の時計に詳しい方で、情報をもっている方は,ご一報されたし。僕はただ感覚と気分によって時計を寄り好んでいるのみ。なぜかROLEXなどにはいささかの興味もなし。

某月某日
今晩はほろ酔い気分で,なぜか日記を書くことにする。ずっと雨模様だったお天気がだんだんと太陽が顔を出すようになり,ひじょうに喜ばしい。僕は,日本的いじめと湿気の関係を、どなたか教育者がデータを取るべきであると思う。古来から、台風,低気圧に見舞われてきたこのエビ反りの島国には,独特な習慣ができてしかるべきであろう。それが我々の祖先の作り出した絵や建築,気質までもを決定してきたのではないか。しかし,「陰湿」と言う単語を,英語になおせと言われても,僕の中には「GLOOMY」という単語しか浮かんでこない。「GLOOMY」という単語で,我々の国の陰湿さを表現するのは,不可能なのではないか。僕は透明感あふれる音楽がやりたいのだ。日本の陰湿さを吹き飛ばすような,きれいな音,それもある意味で最も日本的な。やはり,生まれる場所と国を間違えたかな。

某月某日
9月16日発売のCD,「ELEGY」EWCD0107,定価2500円でいまプロモーション中です。ご購入された方の感想など聞きたいものです。ライナーノートに書きそびれましたが,これは今まである日本のジャズへのアンティテーゼでもあります。アジア人は,日本を含めお祭り騒ぎが好きなようです。そして,そのことを満足させる為の音楽が,あまりにも多すぎます。僕はこの作品で,盛り上がらないことをまず念頭において制作しました。盛り上がるという言葉の正反対の抑うつ状態である自分の本性を音に託したつもりです。アジア人は、日本人を含め,お祭りが好きです。居酒屋などで一緒に呑んでいる相手の言葉が聞き取れないぐらいの周りの騒音に対して,僕はいつもめげていました。これでCDのライナーで書けなかったことを披露しましたが,これは僕にとって,本心です。

某月某日
毎日びしょびしょした雨模様で,やっと夏の湿気が抜けたかと思ったら,また寒いのか暑いのか分からない季節が来て,往生している。こういう季節には,なぜヨーロッパ人に生まれなかったのだと,心の中でじたんだを踏む。こういう、低気圧だか高気圧だか,秋雨前線がだあたらこうたらの天気予報も,僕の心を暗くし,抑うつ状態に陥るようになる。。作曲も練習もあったものではない。ただひたすら乾燥した空気を望むのみだ。こういうときには,意外と食事が大切なことは本能的に知っているので,今晩は、インチキンスープを作ることにする。少しレシピを紹介すると,まず、鳥の手羽,胸肉、カネのゆるす限り大量に買う。あとは、セロリ,タマネギ、人参、ジャガイモ、ブーケガルニ,ニンニク。まず鳥の肉をパックからだして、鳥の手羽を,包丁とトンカチでばんばんくだき、何等分かにする。胸肉はお好きな大きさに適当に分ける。後,鶏肉どもを器に入れて,一回洗浄。これで無駄なアクや,血の気をとる。水をきったら、コショウと塩で下ごしらえ。その間に,タマネギ一個とセロリ一本ををみじん切り。鍋にバターを投入。焦げないうちにニンニク一個をスライスしたものをいためる。きつね色になる前に,肉を投入。皮の部分を少し焦がすように強火で焼く。後,タマネギとパセリを投入し炒める。タマネギが透明になってきたら、水を注ぐ。これは、作りたい分の水をそそぐが良い。ただ、水道水ではなく,ミネラルウオーターを使う。この部分に少し贅沢しないと,味がテキメンに変わることは,筆者経験ずみ。水をひたすぐらいい入れ,決して茹でることなく,コトコトと弱火にて二時間煮る。間合いを見てアクをとる。その後,人参とジャガイモを一口大に切って,サラダ油で炒める。ここに塩と砂糖。いい香りがたったら、それらをスープの鍋に投入。後,マギーブイヨン一個と、鶏ガラスープを大きめなスプーン二杯。ここがインチキンスープの真骨頂である。本当は,鶏ガラから作るのが道理だけれども、それをやっていると半日かかる。最後に塩コショウを入れ味付け。手羽先がグダグダとなり,二時間煮込めば骨も柔らかい。あえて他になにも用意せず,スープのみをひたすら喰う。その内に,この湿気た世界をはね返すような,じっとりとした汗をかいてくる。僕などは,バスタオルで全身を拭きながら喰う。この季節がしのぎにくい方々、お試しあれ。

某月某日
なんだか今晩は寝そびれたようになって、自分で不眠症だということを自覚すると、なんだかいけない気がして午前5時頃まで起きていたのであるが、天変地異の響き空は曇ったピンク色となって、雷まで鳴っている。ああこれが地球終末の絵柄かと思っていたら、雷も雷雨も一時的ものだった。なにがなんだかおっかなくてしゃあしない。天よ、我々を罰すするには、まだまだ早すぎます。9月16発売の新譜、「ELEGY」の発売まで待ってください。

某月某日
やっとこの歳になって、スタンダードを、アレンジもせず演奏したいと感じられるようになってきた。どうした風の吹き回しなのだろう。特別アレンジもせず、その場でイントロ、エンディングを決めてゆくという簡単な方法だ。もちろん、演奏する前には、コード進行を少しいじったりするが、アレンジという領域まではいかない。前会、中目黒の楽屋もこの方式で演奏した。メンバーにも満足しているという事は、言わずもがなだが、何か本当の意味でのジャズ的ハプンイングを起こそうと思えば、あらかじめ前もって決めごとを作らない方がいいのではないかと考えるようになってきた。また、考え方は変わっていくことはあるであろうが、次の横浜でのトリオの仕事は、このセンで演奏しようと思っている。どうなることやら。

某月某日
と書きながら、9/4、中目黒、楽屋に於いて、トリオで演奏します。当日宣伝してるバカさ加減は承知の上ですが、食べ物もおいしいので、ぜひおいで下さい。

某月某日
暑くて何も書けない。特に湿気に弱いので、夏休みというより、体が強制終了してしまう。9月から大切な演奏が目白押しなのに、なかなかその練習にも着手できない。セロトニンとノルアドレナリンが脳内で不足しているのであろう。明日は代官山UNITに於いて菊地と演奏である。このUNITという場所、地下に向かう階段が、意外に深く、楽屋は地下三階ぐらいの所にあり、まだまだ下に階段は進んでいる。下手をすれば、東横線代官山から中目黒の路線より深いかもしれない。畢竟おっかなくって僕は楽屋にあまりいない。なんらかの逼迫感があるからだ。もしかしたら、閉所恐怖症なのかもしれない。お客さんはステージまでの深さだから、どうか聴きにきてください。

某月某日
今日は暑くて何もかけない。

某月某日
大阪に仕事で行った。「情熱大陸 SPECIAL LIVE SUMMER TIME? BONANZA’06」というイベントで、与世山澄子さんと共演するためだ。ベーシストはビューティフルなミュージシャン、水谷浩章。誘ってくれた事務所からの詳しい内容も読まないまま、只々新幹線朝6時50分発に乗り遅れないようにすると心に留め置くことで精いっぱいの、帰国後の生活だった。こういう仕事は、事務所の人などが、まわりの世話をしてくれるので、守るのは時間だけだとも言い換えられる。新幹線、変わりましたね。僕の子供のころは、ビュッフェという車両が真ん中に挟まっていて、父親と、そこでぬるいカレーライスを食べながら、過ぎ行く風景に、速いなあという思いと、学校で新幹線に乗ったことをどう自慢するかということを考えていたことをふと思い出した。このように、新幹線に乗ること自体がイベントだったのに、時代が過ぎれば、イベントに行くために新幹線に乗っている。新幹線のデザインも大きく変わり、のぞみ号などは、靴べらをくわえた鴨のような流線型であり、電車という言葉からかけ離れた居住いだ。大阪着、毎日放送が主催するこのイベント、関係者がもう駅に車で迎えに来ており、準尾万端で楽屋入り。ここから、僕らがどういう条件でどういう仕事をするかということが、おぼろげに分かってきた。重複するが、与世山澄子さんと一緒にレコーディングしたCD,「INTERLUDE」を製作したTUFF BEATからのオファーで、今回の仕事を得たわけだが、TUFF?BEATから送られてきた時間表なり、ぜんぜん目を通していなかった。忙しいのと暑さのためのぼけで、心の中で、6時50分東京駅、6時50分東京駅と唱えているだけで精一杯だったのだ。楽屋入りするや否や、これは大規模なイベントだなと、遅まきながら気付いた次第である。TARO HAKASE ,ANGELA AKI,ORENGE PEKOE,GOSPE★RATS ,CHITOSE?HAJIME etc,(敬称略のためローマ字表記、実際出演者にわたされたうちわにもローマ字表記)。出演者を記すだけでも規模が想像できる。そしてなんと、楽屋になっている建物の部屋から、ぼくの尊敬する芸術家、岡本太郎氏の太陽の塔がよく見える。そう、ここは万国博覧会記念公園だったのだ。10時半からのサウンドチェックを終えて、楽屋に戻る。演奏は4時半から。長い時間楽屋で待たされることとなる。楽屋には、横におなれるソファーなどあいにくないので、昼寝する気にもならない。こうなったら眼前にすっくと建つ、太陽の塔を凝視するしかないではないか。見つめるうちに、両側に生えている腕のような部分、見方を変えれば、三日月を縦に、胴体にずぶっと刺したと視ることもできる。太陽の塔の写真は、本などで多数見たが、やはり現物の迫力は、万博以来失われていない。胴体にあるだんご鼻の顔、天辺にそびえる金色の、ある種鳥獣的な爛漫さ。彫刻自体の高さを、メートルで示すことがばかばかしくなる存在感。などと窓の外を見ていたら雨が降ってきた。今日は野外公演、これからどうなるのか。と思っていたら、我々が出演する一時間程前に雨がやんだ。3時45分、舞台裏にあるテントでできた楽屋に移る。先ほど降った雨が、太陽の熱気で地面からゆらゆらと立ちのぼりはじめて、歩くと足下がビヨンビヨンしているような錯覚にとらわれる。地面は別に泥濘ではないにも拘らず、体内の循環をつかさどるどこかの神経が麻痺してゆくような感覚。後、ホテルの部屋でテレビの天気予想を見たら、大阪方面38℃とあった。畢竟テント張りのステージ裏の楽屋は、40℃くらいあったのではないか。与世山さんは、上品な布地でできた濃い紫色の衣装を凛として着こなし、この状況で出番を待っておられる。ぼくもステージ衣装用に、スーツを持って行ったのだが、これは与世山さんがこの姿である以上、着ざるをえない。演奏開始。観客1万5千人強。この暑さに加えスポットライトが当った。与世山さんはどういう条件でも与世山さんであり、真夏の炎天下、ぼくがCD、「INTERLUDE」に書いた如く、エンジェルとなって、何かに取り憑かれたように、聴衆の時間軸をねじ曲げるような熱唱をする。ぼくも汗にぬれながら、一心不乱に付いて行く。そのうち、憑いて行く、と書き表わした方が良いような状態となる。ステキで楽しいそのサウンド。また、あの暑さの中で、演奏を聞いてくれたお客さんにも感謝したい。演奏終了後、舞台裏のテントの楽屋に戻り、スーツの上着を脱いだら、シャツが汗で肥大していた。しかし,与世山さんと演奏することは、どんな条件下であろうと、ぼくにとっては幸せの限りであり、このチャンスを創ってくれた多くの人たちにお礼が述べたかった。大阪中心部にあるホテルに帰り、ひと休みした後、ビッグタイマーらと打ち上げに参加。CDで共演して以来、与世山さんとゆっくり話す機会がなかったので、彼女に、いろんな音楽や、演奏のことでゆっくりしゃべる時間があった。それもまた至福のモーメントで、バークリーでは教えてくれない、しかし、ミュージシャンとしてもっとも重要な核心の部分を、チャーミングな会話から教わった。教わったと書いたが、学校で授業中教わったという意味での教わるではなく、ぼくの歳までミュージシャンをしているものには的確な、そしてシャープな物語の数々。あまり敬服してしまっては、共演時にリラックスできないとは知りつつも、やはり背筋を伸ばして聞くべき内容であったのだ。打ち上げ後、水谷君と、大阪の夜のパトロールへ出かける。何回か、思いもよらぬ事故に遭遇し、土地カンのないところをうろうろしてホテルに帰る。翌朝、大阪駅から帰途。窓の外をじっと眺める。街、街、住宅地、住宅地、郊外のマンション、すぽっといきなり廻りの家々から飛び出すように建てられたマンション、工場、工場、田んぼ、田んぼ、畑、畑、川、川、山、山。工場、工場、何となく良く分からない場所、という我が国の構成のされ方。それらの建物に重なるようにある山々、これはまるで、箱庭的だな、とふと思った。まあ、大阪→東京のあいだの眺めだけだけれども。峻厳な山々も無く、かといって他民族間で争いが起こるような雰囲気も無い。砂漠も無く荒野も無く、しかし個性に欠けた、暗黙の批准という言葉が空気を支配しているような、きわめて盆栽的なわが国。善し悪しは別として、現実的な眺めがそうあるわけなのだが、このままで本当にいいのだろうか。東京駅着。大阪より涼しい。帰宅して午後就寝。疲れていたのだ。

某月某日
「花と水」ツアー
菊地成孔氏とツアーするのは,8年か9年ぶりだと思いつつ,羽田空港へ。菊地氏,マネージャーの長沼氏と落ち合い飛行機に乗る。「花と水」ツアーの始まりだ。昨晩良く寝られなかったゆえ,僕にとっては珍しく、機内でうとうととしていたら,福岡についてしまった。あっという間という前に,あっと発音する前に到着してしまったと言い直した方が正しいほど、最近の交通網、飛行機を含めての発達には、身体よりも,精神的についていけない。便利になるということは,旅の旅情をこの世から無くす算段としか思えない。ビジネスにはうってつけなのであろうが,それでもやはり,何かが足りない気にさせられる。以前福岡には何度かツアーで演奏をしているが,ビルボードから来た迎えの車の外の景色は,なぜか文京区の裏の辺りの街並のように見えた。土地勘が無いということ自体を楽しんでいたら,程なくして午後二時半頃、福岡ビルボードに到着。これも予想外に駅、ビルボードの道程が短かった。遊びに来てるのではないので,効率よく物事が運ぶことは,必要なことではあるが,何かしら一抹の寂しさを感じた。デュオの仕事ゆえ,サウンドチェックも簡単に済み、ビルボードにて饗された食事を食べて,一旦ホテルで休憩することにす。かなりクオリティーの高いホテルで少し驚いた。こういうツアーの寝どころは、ビジネスホテルと相場が決まっているものだが。ホテルの部屋でテレビを見ることとす。どの番組も豚インフルエンザ一色であった。医学的知識などこれっぱちも持ち合わせていないが,要するに,自然界から人間に対しての間引きなのだろう。演奏開始15分前にホテルのロビーに集合。ビルボードの迎車が待機している。至れり尽くせりである。楽屋で着替えていたら,演奏時間となる。ピアノはスタインウエイ。おお,我が女神よ。こんなコンディションの良いピアノを弾くのは何ヶ月ぶりだろうか。さながらイングリット・バーグマンのようなピアノであった。なので,弾くというよりも,愛でるというスタンスで演奏した。菊地氏も演奏,MC共に絶好調。客席もほぼ満席で,演奏が進むにつれ、聴衆も熱を帯びてくる。デュオという形態ゆえ,一曲内の全てのモーメントがそうあるわけではないが,ピアノ一台で一人三役という瞬間も少なからずある。この三役とはつまり,ベース,リズムキープ、元々のピアノの役割といった事柄であるが。ピアノがスタインウエイなので,何を演奏してもサウンドが上品に仕上がるので,あまりうきうきと演奏すると,菊地氏の伴奏という大切な要素を無視することになるし,かといって,ピアニストが,伴奏というスタンス一辺倒で演奏したところで,デュオの面白みは出ぬ。そういう案配をうまく入れ替えながら、一人三役を交え,入れ替えの2セット,あっという間に終わってしまった。断っておくが、いつも上記のような、つまり一人三役を常時頭の中で考慮しながら演奏しているわけでもない。勝手に手が動く,時にはサックスを無視してディスコードギリギリの音を出すことも,演奏中、多々含まれる。ホテルで着替えた後、早稲田のジャズ研時代の友人の店に行く。ツアー直前,その店主Y氏から連絡があり,福岡に来るのなら是比立ち寄って欲しいと連絡があったからだ。寝るのには少し早かったので,菊地氏も誘う。その名も「ON THE ROCK」。中央区大名にある。素晴らしいレコードプレーヤーにて良い音楽を聴きながら,しかも落ちついた雰囲気を味わえる店で,店内のデザインは斬新なのに,何か懐かしさを感じるしっとりとしたバーだ。この店のハイボールがまたふるっていて,ただウイスキーを炭酸で割るのではなく,オレンジピールにてうまいこと香りづけされている。のどごし良し。近所にあれば、通いたい店の一軒にすぐさま頭の中に登録されるべき場所だったが,いかんせん、仕事が終わったあと福岡まで呑みに行くわけにもいかぬ。残念至極。福岡在住の方は,是比一度顔を出してみてください。翌朝,ビルボードの迎えの車にて博多駅に。今まで散々バンドリーダーとして,ツアーをしてきた身にとって,今回のツアーは非常にウエルオーガナイズドされたものであった。僕はただ,菊地氏やマネージャーの長沼氏について歩いていればよいのだから。ラクチンなことこの上ない。新幹線にて福岡から次の演奏場所である岡山へ。これもあっという間についてしまった。そしてまたしても、岡山駅前には迎えの車が待機している。あっという間にその晩の演奏場所、「ルネスホール」に到着。デュオの仕事ゆえ,楽器セッティングの時間が必要ないので、到着後すぐにサウンドチェック。天上高く、自然なリヴァーブが我々の出す音に加味されて,とても演奏するには良い環境。関係者に聞くところによると,この場所,昔は銀行だったそうで,多分戦前の造りと思われる。どおりで通常のホールより天井が高い筈だ。廻廊を歩くと,壁やドアなど,いぶし銀のような重厚さと歴史を感じさせるものがそのまま使われており,そういえば、よくヨーロッパにツアーに行ったとき,こんな場所でよく演奏したな,と、ちょっとした脳内ディスプレースメントを起すような感覚を楽しく味わわせてもらった。演奏は,福岡と同じく好調で,しかもまたピアノはスタインウエイ。普段スタインウエイをなかなか弾けない身としては、毎晩イングリット・バーグマンと囁き声をかわしているような陶酔感を味わうことができ,嬉しくてたまらなかった。菊地氏の,絶妙なMCの効能もあろうが、聴衆は,皆こちらの音に極度なまでに集中していることが,ステージの上で痛いほどよく分かるような,そんな演奏に終始した。演奏終了後,「サウダーデな夜に」というイカした店にて、関係者,お客さんの一部など集まり,楽しい時間を過ごした。特にその晩饗された特上な花見弁当のような食事には大いに満足した。岡山でも,駅→演奏場所→打ち上げ、という、ツアーに於ける三角地帯のみを見聞きしただけであるが,岡山という場所,なぜか時はゆっくりと過ぎ行き,空気感も人間に優しいような,そんな街に思われた。故郷を持たぬ僕でさえ、そういう安心感を得られるような土地柄だったゆえ,その日の晩は,大いにくつろがせてもらった。ありがたい限りである。翌朝,昼過ぎに岡山駅に,またしても迎えの車にて向う。交通機関の発達は,旅の旅情を削ぐと書いたが,もっとゆっくりと話がしたかったり,親交を深めたかったりする人達と,すぐお別れせねばならないという、旅情のみならず,人間関係をも変えてしまうことをあらためて感じた。まあ、こちらは岡山に遊びに来ているのではなく,ツアー中ということもあって,移動はなるべく負担のかからぬ,しかも合理的なことに超したことは無いのだけれど。やはりどこか心の中にひっかかるものが残る。しかも,これから先,交通機関は、もっと速く,もっと便利にをモットーに,日本全国を丸め込んでいくに違いなく,そうなれば,各都市やその地域に於けるサブカルチャーのようなものは、いったいどうなってしまうのだろうか。大阪にも,あっという間に着いた。またしても駅前から迎えの車にて「ザ・フェニックスホール」に向う。このホール,どうも大半はクラシックの演奏に使われているようで,モニター、スピーカなどを使わぬ,完全生音状態での演奏となる。そしてまたもや、ここにも見目麗しきスタインウエイが鎮座ましましていた。おお、イングリット,君は僕の後をついて歩いて来てくれているんだね,などと、妄想をとおりこした狂気に近い歓喜と共にサウンドチェック。まあ、そのピアノの音といったらあなた,ドミソと弾いただけで倍音がピアノの弦から美しい金粉が舞い上がるごとく,高いホールの天井に、吸い込まれるがごとく反射する。もうテンションの入ったコードさえ弾くのもイヤになるような経験は稀だ。普段弾いているクラブのピアノとは,雲泥の差である。たまにはイングリット,君と毎日逢瀬をかさねるのも、年に数日は許されるよな。なあ、イングリット,また今晩も君を愛でてあげよう。そして演奏開始。楽器がいいもんだから少しはしゃぎすぎたかと思われるくらいの演奏をしてしまった。ピアノのサウンドの良さは、当然のことここ数日菊地氏の耳にも変革をもたらしており,良い意味で演奏が意外な局面を迎えたり,この晩の演奏は,非常にスリリングであった。終演後,サイン会となる。今回のツアーに於いて、我々のCD「花と水」は勿論のこと,拙書「鍵盤上のU.S.A.」(小学館)、文庫化された菊地成孔著「スペインの宇宙食」などを各地で売り歩いていたわけだが,大阪でのサイン会の人数が,ありがたいことに,一番大勢で、しかも、客層が,若い人から子供さん,上品なマダム風熟年女性と多伎にわたる。一冊々々、一枚々々に丁重にサインをした。後,楽屋で着替える。終演が午後8時半頃ということもあり,そのまま大阪から新幹線に乗り東京に帰るというのが今回のツアー日程だ。ここでも,関係者との人間的交わりその他,持つ時間は無かった。さっさと新大阪駅に向い,それら関係者との挨拶もそこそこに、新幹線に飛び乗る。新大阪,東京間は,今回の移動では一番時間がかかった。といっても,僕の記憶の中にある、子供の頃盛んに利用した、東京,京都間の移動時間と比べるべくも無いが。僕の子供の頃の新幹線は,やはり速い乗り物には違いは無かったが,旅をしている,という実感を満喫するに充分な、逆の意味で気持ちの余裕のようなもを楽しんでいたように思える。当時は,ビュッフェという車両が新幹線の真ん中に存在し,親父とぬるいカレーライスを食べた思い出は,消せるものではない。しかし,今はどうだ。こんなことを考えながら,喫煙ルームに行き一服。もう夜だったゆえ、外の景色はあまり見えなかったが,街の灯りなどが車窓を過ぎ去る速さは,やはり尋常ではない。喫煙ルームがある連結車両のような空間も,何やらデザインが,昔のSF小説に出てくる宇宙船の内部のようだ。いったい今の新幹線は,どんな素材でできているのかと,喫煙ルームの壁をこつこつと叩いてみた。プラスティックのようなそうでないような,僕には与り知らぬ新素材であることは確かなようだった。これは堅牢な造りなのか,それとも,速度を増すため,軽い素材をあえて用いているのか,要するに僕には分からなかったということだ。最近の新幹線は靴べらのような顔をしているが、これだけの物質を,たとえ線路の上だとはいえども,これだけのスピードで移動させるには,難しい物理や数学や電子機器などに精通した人々が,ああでもないこうでもないと造り上げた賜物であることは確かだ。さて、これから、新幹線を含めて,交通網というものが,どういう変容を遂げていくのやら。今回のツアーで,音楽の次に感慨深くなったのはそのことであった。久しぶりにある一定の時間,菊地氏と並んで座り,おしゃべりをした。この時間は、僕にとって,菊地氏と出会った頃からの,至福の時間の一つである。ただ単に話の合う友人、という枠を超えて,文筆家の先輩として,また興味の対象が音楽だけではないという共通項を含めて,我々は,新幹線が東京に到着するまで語り合った。本のこと,文学,哲学,フロイト、ゴッホ,上品なるシモネタ,人生の箴言,ここには書けないこと,世界状勢,等等々々。話題は尽きること無く,多伎に渡り,時には脱線し,正論と曲解入り乱れ、その乱れの中からまた面白い話が双方尽きること無く沸きいでて,気がついたら新横浜であった。恵比寿方面に帰る僕は、品川で下車。勿論のこと,席を立つ前に,マネージャーの長沼氏,A&RのA氏に、お世話になりました、云々必要な挨拶を済ませる。家に帰ってドアを開けたら,住まい自体が僕に向って,掃除してくれ~、と、べそをかいている声が聞こえるような気がした。すまないね。掃除は明日するよ。

某月某日
ロックミュージシャンの忌野清志郎氏が亡くなられた。特段ファンであったわけではないにも関わらず、なぜかミュージシャンの死というものは,特別な哀しみが僕の心の中につきまとう。まだやりたいことが沢山あっただろうに。ぶつけどころのない悔しさもひとしおであったろうに。頭の中に浮かんでいる新しいサウンドを実現したかったろうに。やりきれない思いだ。これから先,僕が死ぬ順番が回ってくるまでに,こういう不条理感を、何度味わえばいいのやら。ひたすら,哀しい。

某月某日
前回は尾籠な話に終始してしまったが、よく考えれば、あのような家の中における些事を事細かに伝える必要もなかったと、いま少し反省している。便器が壊れようとも、屋根に穴があこうとも、今お知らせしなければならないのは、拙書第二作「鍵盤上のU.S.A.」(小学館刊)のことであろう。おかげさまで、僕の周辺では評判よく、知り合いの書店の人に聞いても、買う人多いという。ありがたい限りである。音楽のジャンル、その他のことをまたいで、海外に観光客ではない状態で住み着くということは、一種の試練である。江藤淳氏の「アメリかと私」を筆頭に、明治以来、または戦後以来のお偉方の異国留学体験の本、または文章は引きも切らない。だが、斯様な文人、ひいては、日本の文壇をリードするインテリゲンチャの留学記はさておき、僕のような、官費で留学したとか、財団がお金を出して将来を託したとか、そういう範疇に入っていない留学記は数少ないのではないのだろうか。それだけに、現地での行動はおろかで、型にはまらず、日本国自体から金を工面されていないとういうだけの自由で、それだけに厳しく、官費留学した日本のインテリとは少し違う経験と行動をとらねばならなかったあの頃の僕を考えると、万感の思いがある。言ってみれば、僕のスポンサーは、その時代、つまりバブルというハチャメチャな騒動の中でつかみ取った現金であり、本には書かなかったが、半額出た奨学金によって、僕のアメリカ生活は支えられていた。ここで,本には書かなかった些事を少し披露しよう。食に関してである。実は,留学して一年ほど経って、ボストンのチャイナタウンが料理の材料を買い求めるマーケットを発見した。これは画期的なことであった。そこでごぼうなど買って、中華丼を調理していたのだから、アメリカ滞在二年目にして、食料事情は格段に良くなった。否,無理矢理よくする必要があったというべきか。これは拙書にも触れたが、アメリカの食べ物は、グルマンでない僕にも、格段に不味く感じたし、重複するが、チャイナタウンの店が買い出しに行くマーケットを口コミで知ったことは、僕や僕のルームメートに、大きな食の変革をもたらした。まずそのマーケット、決して清潔ではない。魚売り場では、積み上げられた鮮魚の上にはハエがたかっていたし、食料を物色中、何か変なものを踏んだなと思って足下を見ると、それが鮮血を流した豚のガンクビであったり、肉を購入する時点で、英語が通じなかったりと、数々の難点があった。しかし、それに見合うものがそのマーケットには山積みにされていた。まず、なぜかインスタントラーメンの出前一丁が、タイ輸出用なのであろう,謎の文字のパッケージで売られていた。オカモチを持った少年のイラストは変わらぬゆえ,中身も同じだろうとお想い,大量に購入した。確か一パック30セント前後ではなかったかという記憶がある。これに、胡麻油で炒めた豚肉とモヤシをのっければ,そこらのアメ食よりは相当マシな喰いものに変身した。胡麻油と記したが,そう,そのマーケットには,オイスターソースや,その他僕の知らない調味料が大量に揃っていた。海老の絵のあるラベルのソース,その他、ソース類は多岐に渡り,それぞれ単価が安いので,そのマーケット行くごとに数を揃え,さながら,僕のアパートメントの台所は,最終的に,中華料理屋みたいになっていったのである。なんの料理本もなかったが,肉,ニンニク,野菜、これらを胡麻油で強火で炒め,それらの謎のソースをふりかけ,用意しておいた片栗粉を溶かしたものをその食材に流し込めば,要するに何だか一品できあがった。中華丼もどき。焼きそばもどき。などなど。しかも,アメ食は不味いが,肉そのものは日本に比べて安い。特に挽肉など,日本の比ではない。そこをうまく利用して,挽肉,タマネギ、謎の中華ソース類を駆使して,ジャージャー麺などもよく調理した。多くできすぎた時は,ヨーロッパから来ている友人に振る舞ったり,翌朝,ご飯にかけて食べたりもした。そのマーケットには,冷凍餃子も売られており,重宝した。とにかく全て安い。カリフォルニア米など,一俵20ドルぐらいであった。ニホン人のルームメート三人で,これで三ヶ月は優にもつ。乾燥麺も,安いものが手に入り,その中華マーケットを発見して以来,外食の頻度が減り,食費も相当安く上げることができるようになった。今回の本に書かなかったことも、この他多岐に渡る。

某月某日
今回の話はかなり尾籠だ。長時間ピアノを教え、さすがに疲弊したので、コンビニエンスの焼酎の安酒を買いに行った。すると、そこのコンビニエンス、ティッシュとトイレットペーパーを安く売っていたので同時に購入。酒瓶と共に大きなプラスティックバッグに入れてもらう。家に帰り、小便がしたかったので、まずトイレに直行、ようをたしてから、件のティッシュとトイレットペーパーを便所の棚に置いていたらいきなりガシャンという音がした。よく見たら、便器の手前の部分がほとんど欠けてなくなっている。犯人は僕が買った安物の焼酎の小瓶であることがすぐ分かった。ティッシュなどを棚に置いているうちに、瓶がプラスティックバッグからこぼれ出て、便器に直撃したのだろう。ようをたした後だったので、やむを得ず試しに水を流してみると、トイレの床中が水びたしとなった。この世が不条理で成り立っていることは百も承知だが、こういう難儀もその不条理のうちかと思わざるをえず。まずトイレの床を、ぼろぼろになったTシャツにて拭く。まあ、便所掃除の手間が省けたと思って拭いていないと、脳内のあらぬところから怒りが沸き起こりそうになったので、掃除、掃除と念頭で唱えつつまずトイレの床はピカピカにした。さてこれからどうするか。とにかく、テレビで見覚えのある苦羅死案に電話をしてみたら、小一時間で修理にくるという。便器の製造番号を教えろというから、トイレの床に這いつくばるようにして、その番号とやらをやっと見つける。よく考えてみて、なぜ僕がこんなことをしなければいけないのかという怒りがまた沸き起こってきたが、この世は不条理、不条理とお題目を念じながら、苦羅死案の到着を待つ。なぜか、こういう時に限って小便がまたしたくなる。庭に放尿。だいたい酒など買ってこなければ良かったのだ。酒を呑んだって、結局この便器に小便として流れてしまう。ただ今回は酒瓶が割れず、便器が割れたということである。呑んだっていずれ小便になってしまうものを受けとめる器具が不調なのだ。などと、一人押し問答をしていたら、早速、苦羅死案到着。我が家のトイレを一目見るなり、便器交換が必要とのこと。工事費合わせて6万円ぐらいかかるという。心的不条理のみならず、経済的不条理に直面した思い。6万円だって!焼酎小瓶何本買える額なんだよ。高級寿司店に何回行ける値段なんだよ。元い。これから先壊れた便器にて用はたせない。本日日曜日の夜ゆえ手持ちの金がない。コンビニエンスでお金をおろそうとしたら、時間外とあり、時既に遅し。しょうがないので、かくしていたへそくりをがさごそ取り出して計算してみる。ギリギリ6万円あった。苦羅死案の修理のおじさんに、6万円ぽっきりしかないから、何とかなりますかと聞けば、何とかなるという返事。小一時間後、料金を払い、改めて僕の家のトイレを観察。今までとは見間違うばかりのピカピカな空間となっていた。まず、便器自体が、何かしらのモダンアートの彫刻のように輝いている。しばらくは便所掃除にも手が抜けるとほくそ笑んだ。しかし、6万円の突然の出費は、あらゆる意味でかなりのダメージである。しかし、僕もアンドロイドではないので、排泄をヤメるわけにはいかない。排泄は禁煙とは違うのだから。ともかくも、月初めの6万円の思わぬ出費は痛い。トイレット博士ではないが、こういう経験をし、如何に便器というものが、偉大で、必要不可欠で、住むということにあたってまず最初に必要なものだということを、あらためて認識した次第。

某月某日
昨晩の春風で、少し暖かくなると思ったら、まだのようである。地球温暖化もどこへやら。都内の桜はもう満開というが、もう少し暖かくないと、そぞろ歩きも難しかろう。新しい自著、CDの発売日も過ぎて、やっと一段落した気分。またそろそろ扶桑社刊「EN-TAXI」の続編を書き始めねばならないが、季刊ゆえ、まだ締め切りは遠い。僕の様にフリーランスで仕事をしていると、やはり、というか当たり前のことだが、仕事に波があり、しかし毎日が上り坂下り坂というわけではなく、さざ波もたたぬ鏡のような水面の日もたまにはあるのである。まあ、雑用その他を考えれば、やることは山ほどあるが、本日は、誰にも会わず、一人で休みたい。話は飛ぶが、J.JAZZ.NETにて僕の特集が始まった。今までの僕の演奏した曲の中から曲を選び、ウエッブを通して聴くことができる。アドレスは、http://www.jjazz.net/,興味のある方はのぞいてみてください。いやさて、のぞくという言い方は正しいのだろうか。世の中ここまで機械が発達すると、それに付随して、専門用語を除いても、その扱いを正しく第三者に説明するのに、どういう言葉を選べば良いのか、時々うろたえる。覗きという語感が、今の御時世、どこかの高校教師が、女学生の着替えを覗いたとか、あまり良い意味に使われなくなったような気がしてならない。では、無難な言葉はと考えてみたが見つからぬ。とにかく、上記のアドレスをクリックしてくださいと書けば良いのか。何だか味気ないなあ。いずれにせよ、特集の選曲は、けだるい午後に、じっと聴き入るにはもってこいの曲ばかりなので、覗くかクリックするか、操作、あるいはチェックしてみてください。5月6日あたりまで掲載?放送?予定です。某月某月12時を過ぎて4月1日となり、拙書「鍵盤上のU.S.A」の発売日を迎えた。この本に関しての宣伝は、以前のこの日記で、またはこのウエッブのNEWSの欄に書いたり載せたりしたから、もうこれ以上の宣伝文句はない。バブル全盛の銀座から抜け出して、アメリカのボストンへ留学ならぬ逃避行を敢行した、当時の僕のことを、時にはこと細かく、時には大ざっぱに、アメリカにいた時の時間の流れを巧みに操作し、書いた文章が、今回発売される「鍵盤上のU.S.A」という形で世に出ることとなった。書店によっては、一作目の状況を思い起こしてみると、4月1日発売だからといって、すぐに入荷していないところも少なからず有りそうである。残念ながら、売り切れることはないであろうから、読みたい方は、今週中に手に入ると思っている方が無難なのかもしれない。前作よりもページ数は多くなってしまった。まだまだ書き足りないことも幾許かあるが、今回書ききれなかった話などは、4月11日(土)、青山ブックセンターにおける菊地成孔×南博 トークショーにて、話す機会もあるかもしれない。詳しくは、http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200904/usa2009411.html上記のアドレスを参照されたし。雑談ながら、この頃ににはもう少し、お天気、気温ともに春めいていることを望む。何れにせよ、何を着て皆様の前に登場していいのか、つまり4月頭の気候では冬物でも無し、春物でも無しという天候が続いていることは確かで、11日には何とか、春めいた気候になっていることを望むのみである。皆様のご来場をお待ちしております。

某月某日
日記を書いたら眠ろうとしたが、なぜか脳内麻薬の分泌が思わしくなく、久しぶりの朝の太陽光線を見てしまい、僕の脳内にかろうじて居座っているセロトニンが微弱にも動き出したようで、自然と徹夜をした朝のような状態になってしまった。情緒不安定は、僕のお家芸だが、ここまでくると、本当に御しがたし。もうこうなったら地球の自転と我が生活基準を乖離して、何も異常はないと思い込んだ生活をすることに、無理矢理自分を仕向けることにする。睡眠導入剤も服用しない。地球の自転と我が活動が乖離しているのだから、夜になったら寝られる、寝られないということも、一切考えないこととすれば、逆に気が楽になるのではないか。本日は、他人と会う約束もなく、夕方ヘボ用で新宿に行かねばならぬが、それとて、こちらが金を払った商品を受け取りに行くという程度のことなので、まあ、どうにでもなる。しかしいったい、健康とは何だろうか。中学の保健体育の時間に、健康の三大要素を教わった記憶がある。肉体的、精神的、社会的に順調な人が健康人であるというような内容だったと思うが、よく深く考えれば、この三つの要素に当てはまる人は、逆に、この不条理で、不公平で、矛盾だらけで、ペシミスティックなこの浮き世の中では、不健康なのではあるまいか。このような三つの要素が全て順調な人など、ほとんど存在し得ぬ奇態な何かしらなのではないか。更にいえば、この三つの要素を無理矢理肯定する社会というものは、畢竟ヒットラーユーゲントのようなファシズムの、何らかが完璧に隠蔽された社会でしか実現しないのではないか。民主主義だの自由経済だの資本主義の世の中だのああだこうだ言ったって、所詮は人それぞれ。体育の教科書の定義が丸ごと当てはまる人こそマイノリティではないのか。特に、精神的にという意味において、どこまでがマトモで、どこまでが狂っていると、いったい誰が判断できるのだろうか。如実に、無差別殺人を犯す輩をのぞいて、今の我が国において、何かしら精神的統一を図る宗教なり思想なりが存在するとは、到底思えない。噺家の表現を借りれば、日本銀行発行の絵はがきを、数多く持った者の勝ちというのが、まあ、単純にいって、世界基準ではあるのだろうが。ああ、やるせない。全てにおいて、何をか言わんやである。だがしかし、ただはっきりとしていることは、一人一人の人間の生命力は均一ではなく、若くしてクタバル者、不摂生をしても長生きをする者、つまり生命力だけは、健康であれ不健康であれ均一ではないということだけが、不確かな事実なのだろう。生老病死は誰もが免れぬ生の成り行きとしても。まあ、生きてるだけで大変なんだから、その上仕事だ家族だ収入だということになれば、疲れるのはあたりまえ。なんてね、世の中のモンクばっかり書き連ねてもなにもなるまい。さあ、明日は、菊地成孔氏と制作した新譜「花と水」の発売日である。この音楽が、普段音楽などをあまり聴かぬニホン人の感性に、なにかしらの瑞々しさをもたらすことを願ってやまない。

某月某日
今回こそ、ウエッブサイトとしての本領発揮です。つまり正式拙書の宣伝です。南博・著『鍵盤上のU.S.A. -ジャズピアニスト・エレジー アメリカ編』小学館2009年4月1日発売定価1995円(本体価格1900円)四六判 簡易フランス装322頁一つの恋愛に勝る音楽理論が、この世に存在するのだろうか。銀座で稼いだ金を首からぶら下げて、青年は「ジャズ・カントリー」に旅立った。言葉、文化、食べ物、差別。タフでハードなアメリカの日々。そして、すばらしい仲間との出会いと情熱的な恋。大好評を得たデビュー・エッセイ『白鍵と黒鍵の間に』に続く、内省と感傷と爆笑と希望に満ちた、ジャズ青年のビルドゥングス・ロマン。一人の杖をついた黒人のおばあさんが、よろよろと僕の方に近づいてきてこう言った。「あなたのさっきのブルースのソロ、最高ダッタわよ。」彼女は僕に両手を差し伸べてきたので、自然と僕も彼女の両手を握る格好となる。彼女がぎゅっと僕の手を握る。その瞬間、僕は目からとめどもなく涙がこぼれ落ちている自分に気付いた。そうだ、僕はこの瞬間を求めて、アメリカまでやって来たんじゃないのか。(本書「黒人街の神風マザーファッカー」より)ちなみに、4月1日発売が、APRIL FOOLだとしても、発売に関しては、嘘はありません。

某月某日
一度過労で倒れたので、自炊を復活させることにした。中目黒の東急ストアが、この近辺では品数多く、値段も安い。しかも夜11時までけなげに開店している。今晩のお惣菜の材料以外に、サバイバル用のさんまの缶詰、インスタントラーメン、永谷園のお茶漬けなども買い足す。頭の中で、家に有る米の量と、凍らせているパンの量などを酌量し、同時に賞味期限も考える。忙しいとこれらのことが頭の中に入らないので自炊ができない。料理中は、落語のCDしか聴かない。音楽のCDを聴くと、包丁を持った手が止まってしまう。噺家の日本語は、料理のテンポに拍車をかけ、料理しつつ洗い物をするという基本的なこともスルスルと進むのが不思議だ。料理中は不思議な心境で、特にスープのアクを丁寧に取っている時が一番気分が落ちつく。なぜだろうか。弱火で焦らずスープを煮込みつつ、少しずつアクをとりながら円生などを聴いている時が今のところ僕の至福の時間である。多忙の間は、どうしても店屋物に頼らざるをえず、やはりそういうものばかり食べていると、基礎体力のみならず、思考回路もぼやけてくる。そのぼやけた頭の中でも、僕が常用している蕎麦屋と中華屋があって、この二店の出前のしかたがあまりにも違うので不思議に思うことがある。蕎麦屋の方は、店の方にも何度か出向いたことがあるところで、これといって特色があるわけではない。特に親子丼の卵の調理は、もう少し何とかならないかと思うほど柔らかみに欠け、ビーフカレーセットのカレーの味が、かろうじて蕎麦屋のカレーの味であることが、色々と出前を注文するうちに分かった。蕎麦屋のカレーというものは、まったくもって特殊なもので、特に僕がいつも出前を頼む蕎麦屋のカレーは、カレーのルーの中のタマネギがやたらとでかく、ベースになっている味が、カツオダシ風で、まあ、喰える代物だ。とにかくこの蕎麦屋、天候、時間帯によって、電話注文した後の到着時間にムラがある。雷雨の時など、びしょぬれで五目蕎麦など届けてくれるのだが、いかんせん、蕎麦が若干冷えており、蕎麦自体もツユを吸ってのびていることが多い。翻って件の中華屋は、店に食べにいったことはない。しかしなぜだか、注文をして最長15分以内で出前を届けてくれる。気候、時間に関わらず、必ず15分以内に来る。この違いはどこから来るのか。地理的にいえば、中華そば屋のほうが、日本蕎麦屋より遠いところにあるにも関わらずである。しかも、担々麺など、挽肉と野菜が山盛りであり、麺の量も近くの日本蕎麦屋より多い。畢竟、多忙な時は、最近など、中華屋のダイアルを回すことが自然と多くなる。野菜不足の僕にとって、得難い中華の出前ではあるが、やはり、体が弱っている時は、自炊に勝るものはない。昨夜は、トマト味をベースにした黒豆入りのリゾットを調理し、深々と夜がふける中、ゆっくりと食べた。独り住まい故、会話をするものもなく、それだからこそ、旨いものをこしらえないと、気分転換にもならぬ。結局のところ、出前も自炊も大きく見れば大差が無いように思えるが、やはり、野菜をふんだんに使った自炊の方が、思考力、体調、翌朝の目覚めに良いようだ。次は、夜中の通販番組でやっている、野菜カッター及びジューサーを手に入れるつもり。これがあれば、僕も一応ピアニストなので、包丁で指を怪我する頻度も少なくなろうというものである。総じて、酒はいくら酔っても小便で出てしまうが、食べ物に対しては、これからもう少し気を使うつもりでいる。まあ、件の中華屋の担々麺が15分以内に来るという心的セキュリティーの上に成り立った、とてももろい自炊だが。

某月某日
前回の文章を書いた後、再度書き換えの指令あり、または他の文章を書く仕事が加わり、その合間を縫ってピアノを教えていたら心身共に衰弱し、久しぶりに倒れました。倒れたといっても、重病ではないのですが、つまりは過労ということなのか、起き上がれなくなってしまいまして、ここ二三日でやっと回復してきました。何と情けない。情けないといえばこの国の実情もそうであるようです。僕は我が国をこの国と書く人は好きではないのですが、そんな僕でもこの国、と自国を放り出したようなものの言い方をしても、何ら気にならないほど、この国は今ダメの最高峰にあるような気がしてならない。ここで政治ネタを本気で書き出せば、多分明日には命が無くなっていると思いますので、詳しくは述べませんが。それにしても、いかに一国の首相といえども、支持率と年俸を歩合制にすれば良いのではないでしょうか。ライブハウスの歩合制のようなものです。支持率が下がれば、その分年俸から何%か引かれる。支持率にしても、そうなれば意外に簡単なのではないでしょうか。何億という単位では、この国の体たらくには焼け石に水でしょうが、総裁自ら身銭を切って予算の足し前にするとか。家屋を売っぱらうとかすれば、国民も少しは溜飲が下がるってモノじゃないんですかね。ああ、書いちゃった。まあ、要するにこの国はGDP世界第二位といいながら、要するに「我が国」は、実は貧乏クセえ国で、更に言えば、塩野七生さんの本を読むまでもなく、儲かった国にしか文化芸術は栄えない。ローマ帝国、ハプスブルグ家、例を挙げたらきりがない。こんな「我が国」でピアノ弾いて生活してるなんて、或る種の奇跡なんでしょう。派遣切りにあった人が、炊き出しでメシを食っている映像が映ったかと思えば、チャンネルを変えると、ギャル曽根が信じられないような量の食い物をがつがつ喰っていたりして、シニカルでユーモアのある不条理というものの考え方もあったのかと、つくずく思う次第です。そういう殺伐とした世の中に潤いを与えるものが芸術だと思っていたのですが、もうこうなったら、今の「我が国」には、芸術もへったくれも享受する豊かさなど、どんどん減っていくのでしょう。大正末期に生まれて、昭和16~17年あたりで兵隊にとられ、インパール作戦なんかに投入された英霊達のことを思えば、昭和35年に生まれて良かったと、少しは自分の身の幸福を思わなければいけないことは百も承知の上ですが。米兵がイラクで今までに7000人ぐらい戦死しているようですが、日本の自殺者は年間3万人をくだらないという。戦争よりタチが悪いじゃないか。何だかさっぱりよくわからない。我が国には、国内にいったい何枚の一万円札があるのでしょうか。国民総資産が2千6兆円ぐらいらしいのですが、この額は、全て現金で揃ってるのでしょうか。再びなんだかさっぱり分からない。定額給付金にしても、渋谷区役所に取りに行くのであれば、電車賃かかるんだけどな。これも経済効率の一環なのかしら。どうせなら、時間を決めて、例えば明治通りの渋谷、原宿間を選挙カーの上から万札ばらまくから、日本臣民よ、是比お集りを、としたほうが面白そうだ。警備の警官も職務を忘れ、群衆と共に万札に群がり、現場は滅茶苦茶。公平も不公平もない。網を持って待ち構える者。他人をぶん殴ってでも万札を拾う意欲のある者。それらが渾然一体となって、世紀の拝金ショーでもぶちあげたらどうか。全国でも同じような催しを行い、ニホン人の拝金主義にさらに不気味な狐火でも付けたらいい。いずれにせよ、今のシステムでは、どうせ国民の隅々まで正規の手続きでは行き渡らないんだから。などと、あらぬ妄想を膨らましてるヒマではありませんでした。前回に宣伝したように、このメタクソなご時勢にも関わらず、3月25日には、菊地成孔氏とのデュオ「花と水」(ewe)それを追うがごとくの勢いで、4月1日弟二段の拙書「鍵盤上のU,S,A」(小学館)、各々発売となります。「花と水」に関しては、菊地氏のWEB SITEでライナーが読めますから、コンセプトに関しての話はここでは割愛。さて、本の方ですが、ご想像のとおり、サブタイトルが「ジャズピアニスト・エレジー・アメリカ編」であり、僕の留学体験及びアメリカという国で僕がつらつら考えたことなどが今回の本の主眼です。皆様、楽しみに待っていてください。

某月某日
三月末に発売となるEN-TAXI(扶桑社)の連載弟二稿の締め切りを終えたと思ったら、4月一日に発売予定の本、小学館刊「鍵盤上のUSA」の校正をすることとなり、数日間、なにげにミュージシャンらしくない生活を送ってしまった。いずれにせよ、このウエッブにて、またこれらの本や文章が刊行される時に宣伝するつもりですので、よろしくお願いします。まあ、文章というものに関わることと、音楽活動が一緒になると、自炊は自滅せざるを得ず、とかく外食に頼ることとなる。この不況時に外食のみなど許されない筈だが、しょうがない。しかも、僕の住んでいる中目黒、恵比寿近辺の変わり方の早さと言ったら、もうどうしようもない。きのう有った店が、いきなり無くなっているというのも稀ではなく、往生している。友人に、この近辺を案内してよと言われても、僕の記憶力以外の日本経済の差し出がましさで、見覚えのある風景や店がどんどん消えてはなくなるのだから、下手に友人を招くことも躊躇される。いったいこれから、都市景観とともに、このエリアはどうなっていくのだろうか。とにかくこれからのこちらからの音楽、文章の発信の期日を明確にします。2月25日発売;KASPER TRANBERG ?「DREAM AND BLUES FOR TAKEMITSU」EWCD01243月25日発売;EWEから、菊地成孔、南博DUO「水と花」EWCD 01594月1日 小学館から、上記したとおり、「鍵盤上のU.S.A」発売。追って詳細を報告します。

某月某日
昨日の夜中まで、三日間をかけて、菊地成孔氏とのデュオのアルバム、「花と水」のレコーディングを敢行。デゥオならではの身軽さと難しさを体感しつつ、スタンダードを含めた曲が百科桜蘭。発売は3月末とのこと。おお、民よ、聴かれよこのCD,静謐な雰囲気の中に、しっかりと、ジャズと音楽と、菊地氏の息吹、僕の魂のこもったピアノの音が響いておるぞよ。更にまた、僕のデンマークの盟友、トランペット、コルネット奏者のキャスパー・トランバーグとの新譜がeweより2月25日発売となる。タイトルは、KASPER TRANBERG 「DREAMS AND BLUES FOR TORUTAKEMITSU」。タイトルが示すとおり、作曲家、武満徹氏へのオマージュという形になっている。しかし、恐るべしデンマークのジャズメン達、コペンハーゲンでの録音から幾歳月、出来上がりを聴いてみて、いまだに音楽が恐ろしく新鮮だ。曲によって、スモールコンボからビッグバンドに至るまで、曲想も様々。ジャケットの写真は僕が選んだ。デザインもなかなかの出来だ。乞うご期待。

某月某日
まあここは、政治のことは抜かして、バラク・オバマの演説ファンであると言っておこう。あくまでも、これは彼の、英語の演説によるという意味だ。政治的なことは書かない。バラク・オバマの演説は面白い。あの切れ味のいい言葉のセンテンスの切れ味。長いフレーズにも、短いフレーズにも、必ず聴こえてくるオバマアクセント。口角の上下が微妙に、そして一種ジャズに通じるfunkyな瞬間さえ見せるあの口の動き。ああ、もったいない。なにかの縁でオバマが日本にやってきて、噺家になったら、もう相当な名人にまっただろうなあ。もちろん芸名は馬楽亭小浜。あのクールな語り口で「芝浜」かなんかやったら、日本的人情話とは違う、もっと深いところにある人間の情を、いまの落語からは違う角度から表現できたりなんかして。羽織着物も、あのスタイルなら似合う気がするし、どうせだったら、噺のなかに、政界の話題なんか取り入れても、世界的に受ける落語を噺てくれないかな。与太郎は、もちろんブッシュ。難題を突きつけられると、隠居のパパブッシュに泣き寝入りする。海苔屋のおかんこババアは、ブッシュ母。火消しの大将はパウエルで、大家さんはグリーンスパン。花魁の総元締のやりてばばあはヒラリー・クリントン。ビル・クリントンはタダの遊び人。ヤクザの親分はフセイン。それに対抗するヤクザの親分ラムズフェルド、いつでもカチコミかけまっせいと息巻いている。そのバランスを取っているのがコンドリーサ・ライス。横丁の博学な女儒学者的存在。どうやら偉人らしいという噂あり。これだけメンバーが揃えば、噺の一つや二つ、出来上がりそうである。鳴りものは、やはりアメリカ国家か。横業なシャミの後に馬楽亭小浜が登場。きっちりと客席にお辞儀をしたあと、「え~、なんて~ますかね。アメリカで始めての黒人大統領になっちまった。時代は変わったとはいえねええ、大変な問題がたくさんありまして、ま、実行あるのみなんですが。今晩は、その~、鰍沢なんか話しようかと思いまして。」噺の中間点は略す。「あれ、花魁、妙にヒゲが濃いと思ったら、アラブ人ではないですか。」「お分かりかい、一度ソ連に攻められてできた傷さ。」「ということは花魁、お前さんは。」「瓶羅典と呼ばれているのよ。」「ひえ~!」「あんたに呑ませたさっきの卵酒、実は毒入りさ。」馬楽亭小浜は這々の体で脱出をはかるも、ロケットランチャー、機関銃などで後からうたれる。南妙法蓮華経とは、馬楽亭は言わないだろうが、雪の斜面を滑るように逃げる。後からは、ロケットランチャー、機関銃の猛攻撃、ジーザスクライスト、南妙法蓮華経と唱えていると、CIA直属の特殊部隊が馬楽亭を救いにくる。「大統領、いけませんや、いくら話しあいで解決するたって、あんなところに行ってはいけませんぜ。」「もっともだ。」な~ンテね。こんな新作落語誰かやってくれないかなあ。

某月某日
足の痛みもだいぶおさまってきた。冬のけがはなぜか長引くような気がする。まあ、けがが足だったからよいようなものの、指だったら全ての行程が停止すること必須。こうなったら、少し話題が古めなれど、金井克子氏のように、両足に一億の保険をかけるしかないか。月いくら払うんだろうな。不思議と、美脚という言葉はあれど、美指という言葉は見当たらぬ。語呂が悪いせいなのだろうか。拙書「白鍵と黒鍵の間に」(小学館刊)に書いたとおり、バブルの時期銀座でピアノを弾いていた。ホステスのお客に対する褒め言葉というものは、その状況に対して千差万別であることは、あたりまえとしても、「まあ、あなたの指ってとってもステキ!」などとホステスがのたまう時は、その他その客に褒めるところがないのが相場であった。顔や体格、その他の美醜を褒められた方がいいに決まっているが、指はなぜか最後の褒め場であって、横でピアノを弾いている僕にさえ、それらの成り行きが分かったものである。えへん、閑話休題。今回の日記の欄には、本来の能、つまり自分の音楽状況の宣伝をする筈だったのだが、余計なことをまた書いてしまった。さあ、宣伝だ。まず、松風鉱一氏(SAX,FLUTE,etc)のライブレコーディングに参加しました。ベースは吉野弘志氏、タイトルは仮題ながら、松風鉱一 avant-garde trio,STUDIO WEEから今春発売の予定です。また、EWEからデンマークのコルネット奏者、キャスパー・トランバーグの新譜が2月25日に発売されます。タイトルは、「DREAMS AND BLUES FOR TORUTAKEMITSU」,つまり、キャスパーの武満氏に対するオマージュ的作品で、参加ミュージシャンも、デンマークでこれはというメンツがビッグバンド構成で演奏しています。様々なサウンドコラージュ、純粋なるビッグバンド演奏、その他日本ではあまりない音楽作法にしたがって、武満氏を音楽的に参賀しています。乞うご期待。しかも、2月中に菊地成孔氏と僕とでデュオのアルバムを制作することが決定しております。内容はいまだ打ち合せ中ですが、発売は、3月頭となりそうです。まあ、これだけ音楽的話題があれば、この日記の本来の機能を果たしていることになるでしょう。また、「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)の続編が4月1日に発売予定。タイトルは今のところ、「鍵盤上のU.S.A」エレジー・ジャズピアニスト・ボストン編、というサブタイトル付き。つまり、今度の本は、僕のバークリー時代を活写したもので、前作と合わせ読むと更に面白いと想います。今日の宣伝はここまで。それぞれ話しが進展したら、またこの日記にて報告します。

某月某日
さて、新年と共に、今年も体の動く限り、音楽活動をやろうと思っていた矢先の出来事であった。初仕事となる「晴れたら空に豆まいて」での我がピアノトリオ出演に向おうと家を飛び出した矢先、なぜだか知らねど、何かに足を取られ、2秒ほどの滞空時間をじっくり味わった後、地面にたたきつけられた。何に足が引っかかったのかということも分からず、全身の痛みをこらえて立ち上がってみると、満身創痍とはこのことか。体中が痛む。脇に抱えていた譜面やCDは見事に路上にばらまかれ、見るも無惨な状態に、演奏直前の自分は陥っていた。またこれが交通事故なら、相手の不注意をただし、病院代を出させることも可能なのだろうが、今回は完全なる自爆事故である。その晩の演奏場所は、代官山「空豆」であった為、何とかイザリながら現地に到着し、痛み止めのワインを一二杯。幸い演奏は好評のうちにすぎ、対バンの水谷氏などと共に、恵比寿に行きつけの焼きトン屋などにしけこみ、既にその頃は自分自身がひどくころんで、道路に打ち付けられたということ自体忘れるほど呑み、翌朝。何ということだろう。両足に激痛が。ベットから起き上がってもまっすぐ歩けない。これは整形外科だと思い、即インターネットで近間の場所を調べるも、大都会の片隅に居ながら、なかなかこれだという病院が探せ出せない。足の痛みはひどくなるは、立って正常に歩行できないはで、まずおかめ蕎麦を出前してもらい一瞬の人心地。後、何とか近間に整形外科を見つけるも、とても歩いて行ける状態ではない。家を出て、大通りまで、他の家の庭の柵、階段の手すりなどにつかまりながらタクシーを拾う。運転手さんも、事情を呑み込んでくれて、イヤな顔一つせず、駅反対側の整形外科へ。その時点からなぜか、各所の痛みが増してきて、待合室で横になって目をつぶっていたら、初診の方は、この紙に何か書き込めと係りのものが言う。わざと、重傷、複雑骨折、歩行困難(これはウソではない)と書き込みしばらくしたら、大声で名前を呼ばれたので、しめたと思い診察室に。そこには、咄家、桂三木助そっくりの医者が居て、なんか面白い話しでも二三聴きたい気分にもなったが、足が痛すぎてそれもダメ。レントゲンを撮ったり、色々と調べた結果、骨折は無いなれど、ひどい打ち身、右足首をくじいているとのこと。テーピングをしてその日の治療を終わったが、なにしろ何枚もレントゲンを撮ったためか、料金が一万五千円となってしまった。これは法外なと思いつつ、歩けないんだからしょうがなく、再度タクシーに乗る。その後、駅に近づいた時点で、脳味噌のどこかしらにしまわれていた昔の悪しき習慣が噴出してきた。「運転手さん、駅前で降ろして。」無謀にもイザリ歩きで商店街へ。よっしゃ、今日の診察代、マトメテ倍返しにしてやろうと、3年ぶりぐらいでパチンコ屋に入店。最近の機種は分からぬゆえ、これは場所と雰囲気で台を決めざるを得ぬと周りを見回していると、なんだか冬のソナタで大合唱している中年女性発見。見れば横の席が空いている。新台を入れた後のサーヴィスなどもあるのではないかと、その中年女性より出口に近い窓側の台を占拠し、まず、2~3千円うってみる。釘も確かだし、妙なはじき方をしないので、この台にて、手持ちのカネ全てつぎ込んで、病院代を稼ぐこととす。実際冬のソナタなど大嫌いだけど、この台をイワセてイワセて38°線も超えてやるんじゃ、という気合いで打ち出したら、じゃらじゃら玉が出てきた。何とも哀しくなるような変革の嵐の中、腰を据え、痛みをこらえ、うちまくっていたら、初期投資5千円んで4万五千円まで上りつめたので、こういう時はヤメ時が肝要、と、打ち止めを決意。病院代も稼いだし、夜メシもなにげにマトモなモノが喰えそうな札ビラは財布にあるし、と、肩で風切ろうとしたが、体中が痛くてできない。店のオニイサンに手伝ってもらい、大量のパチンコ玉を換金し終えたら、いきなりそれまで以上に足が痛くなってきて、今晩としては、おとなしく家に帰るしかあるまいと撤退を決意。正月あけから何をしているのだか。

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