某月某日
前回の日記にも記したとおり、いまだ哲学者、池田晶子氏の文章に考えさせられるところあり、長く日記を中断した。氏は毎日新聞社刊「考える日々」2刊の中でこう述べている。日本の「エッセイ」は「身辺雑記」となりがちなことに対し、本来のエッセイとは「試論」であり、思考と言葉さえあれば、特に書くネタを探す必要はないと。慧眼である。もともと我々ミュージシャンの日記の欄は、ライブのお知らせとかその活動内容を、時にはおもしろおかしく書いたり宣伝したりするものであるが、不特定多数の人が読むということを念頭におけば、やはり言葉というものを、もう少し大切にしなければいけないのではないかと、はたと考えこんでしまった。今までのぼくの文章は、それこさ「身辺雑記」であり、またそれを書き記すことに、何の疑問ももっていなかった。多少今までの文章を肯定、または居直る風にとらえることができる考えの隙間は、ぼくは文筆業ではないということである。池田晶子氏は、もちろん哲学者であるが、自らを、文筆業と称している。これに免じて、自分自身の言葉に、少し甘やかしを含めても良かろうと思い、また書き出した次第だ。そう、前述したとおり、宣伝をまずします。新しいCDの発売日が決まりました。9月10日、タイトルはまだ未定。前回の「TOUCHES&VELVET」の続編の要素を持ちながら、雰囲気は全然違うとだけ記しておきましょう。詳細はまた日記によってお知らせします。うむ、このぐらいの文章ならば、自分の言葉に責任が持てるな。ではもう少し書いてみようかな。宣伝を続ける。7月には、再度ビコペンハーゲンジャズフェスティバルに、デンマークのトランぺッター、キャスパー・トランバーグのグループにて出演する。その前後に、EWEの協力を得て、我々の三枚目のCDを録音する算段となっている。このことも、また日記において詳細をお伝えしよう。新しいCDのジャケットのデザインをどうするか、今EWEの担当者と話し合いをしているが、ぼくが見つけて来た某写真家の作品に、これだ!という写真を発見し、今その担当者が、著作権のことに関して奔走している。ジャケットの出来も乞うご期待である。さあ、次回から、少し池田晶子コムプレックスを脱して、また日記を不定期ながら書いてゆくこととしよう。
某月某日
また長く日記の更新が遅れた。それにはいろんな理由があるが、主な理由として、哲学者、池田晶子氏の一連の本に入れあげていたということがもっとも大きな理由だ。池田氏はいう。言葉はロゴス(理念)ではならなければならないと。氏の本を読み続ける程、ぼくの中の言葉の意味が曖昧になってしまった。ぼくは哲学者ではないから、そこまで考えなくていいのかもしれないが、いまだ気軽に文章を書くという気にはなれないのも事実である。自分なりに納得するまで、あまり文章は書くまいと思っている。いずれまた自分の中で文章というものに納得できた時点で、この日記を再開したいと思う。しばしお待ちを。
某月某日
さて、今晩も眠れそうにない。時間は午前二時半。デューク・エリントンは夜中じゅう曲を書いていて、昼はねていたそうだ。ぼくも時どき真夜中に曲を書いたりするが、毎晩てわけでもない。真夜中に起きていて何もできな時の方が多い。元もと一人暮しなのだから、なんだかんだと干渉する人はいないのだが、それでも夜中ともなれば、自然と思考は内向的となり、禅でいうところの、妄想はいずるに任せよ、去るに任せよといった状態となりがちだ。この人生というやつ、これからどうなってゆくのであろう。いずれにせよ、終わるまではつきあわねばならぬようだ。自分が自分でつきあえそうな人生を過ごして行かねばならない。文章では一言でこう記すことができるが、実際それを選択しながら生きるとなると、膨大なエネルギーが必要なのは必須で、さて、それをどこから捻出するか。夜中に起きて手すさびで、妙な日記を書いていたって、どうにもならないことだけは分かっているんだが。昨日の天気のせいも有りあまりテキパキとは動けない。珍しく、東京の空が、北欧の空のような色をしていた。なぜかカラスの数も少なかったような気がする。寒いのがいやなのではなくて、寒いということが自体が面倒くさくなってきた。だからといって春を待ちわびる心境ではない。花鳥風月の月だけがぼくの慰めで、花、鳥、風は東京に住んでいると、なかなか体感できるものではない。少なくともぼくのまわりでは。そうそう、自己宣伝を忘れてはいけない。今月10日にデンマークのトランペッター、キャスパー・トランバーグとのCDをEWEからリリースした。タイトルは「SOCIAL AID AND PLEASURE CLUB OF COPENHAGEN」EWCD0090, ? http://www.ewe.co.jp/titles/detail.php?tid=685詳しくは、フリーぺーパーの「JAZZ DODAY」を見てください。音楽的にものすごいことが起こってますよ。また、今週末にはピアノトリオ+ストリングスの第二段目の弦楽器のレコーディングも控えている。まあ、ものごとは、何となく先に動いているというわけだ。
某月某日
いつもこの日記の冒頭に、某月某日と書き込んでいるが、さしたる意味はない。日時がはっきりしていたとしても、生きているという連鎖の中では、その日が何日であり、何年であるかは、あまり用をなさないと思うからだ。少なくとも僕の感覚でいえば、連鎖の中のある一断面を、フィクションであるかノンフィクションであるかのあいまいな線で、いろいろ書いているわけだから。日記はその日起こった事実を書き、そこに筆者の感想を入れるというのが正しい書き方なのだろうが、現実に起こったことを、完璧に、一分の隙もなく書き表わすというのは、少なくとも僕にとっては無理な話である。そして、僕の気持ちの根底にあるものは、いったいこの国はこれからどうなってしまうんだろう、という不安定さが今まで書いてきたこの日記を支えている。どちらかといえば、これは負の思考であって、あまり物事を、明るく、希望に満ちて、というスタンスはとっていない。だからこの日記に関しても、二日に分けて書いているといった仕儀で、思い浮かんでくる言葉は、その間々々に湧き出たものであり、トータルとしての文章を考えれば、何となくまとまっていればいいと思っている。