某月某日
東京の雪も、たまには風情があってよろしい。転んで怪我した人がこの文章を読んだらいい気分はしないであろうが、自然界がその自然を自然に装うのだから、ある意味ダイナミックでもある。またこんなことを書くと、大雪に苦しむ北国の人に怒られそうだが。その雪が残りかたく固まった路傍を避けて、恵比寿ガーデンシネマへウッディ・アレンの映画「ENITHING ELSE」を見に行った。邦題は、僕のニューヨークライフという。やはりうーんと唸らされた作品であった。アメリカのショウビジネスの底の深さには毎回感嘆とする。都会的粋なウイット、そしてどこか人生を傍観せざるを得ないという、ウッディ・アレンの映像と視点。今回のその傍観感覚は青春物語としてストーリーが組み立てられているが、傍観の苦味はやはりすこぶるビターでであった。ほとんどのウッディー・アレンの映画を見ているが、一番好きなのはやはり「MANHATTAN」だろう。あの頃の視点から一貫しているこのビターな味を映像でなぞること自体が快感になってしまった。年一作程という生産量もちょうど良い。しかし同時に、アメリカ人に生まれなくて本当によかったと思う節もある。あそこまで言葉、言葉、会話、会話が無いと、人と人とのコミュニケーションに支障があるのだろうか。身ぶり手ぶりを交えてである。アメリカに住んでいたこともある僕だが、あそこまで大げさに何かを表現しなければコミュニケーションに支障をきたすということであれば、やはり、ニューヨークっ子でさえ、江戸時代の日本人の「粋」にはかなわないのではないだろうか。これは負け惜しみかな。例えば、「よっ、待ってました、いわずと知れたことを言うのは不粋ってえもんだあね、ひとつあっしにまかしといておくんなせえ。」の一言ですむものを、今回の映画の登場人物は、永遠にその瞬間瞬間思ったことを相手にぶつけ、しゃべり続ける。まあ、LA製のFOUR LETTER WORDばかりの、ドンパチカーチェイス物より、今回のような映画の方が好きだけれども。誰かウッディー・アレンの映画の粋さ加減と江戸っ子のそれとの対比、という論文でも書いてくれないだろうか。と、高踏遊民のようなことばかり書いてしまったが、現在、新しいCDの曲順を決めるので大変である。演奏より大変だと言ってもやぶさかでない。プロデューサーである菊地君と、時間をかけて根を詰めたやり取りをしていて、生みの苦しみと喜びを同時に味わっているところだ。発売は5月あたりだろうか。この情報はまた追って日記に書きたしたいと思っている。
某月某日
朝、ふらっと起きる。本当にふらっとする感じで。しばらく経ってから沐浴。アメリカの生活が長かったのか、冬でも朝シャワーを浴びるのみ。風呂にはなぜか入らない。後、近くのCAFEにて朝食のような昼食のような食事。産經新聞を読む。相変わらずテロのこと、金成日の中国訪問だの、本の書評など読みながら食事を終える。こんなことをこんな風に書いてしまっては、批判はあるかもしれないが、僕には国際問題、株のこと、経済政治のこと、ひとつとして自らが変えられないことに改めて気付く。日本ははたして独立国家なのか。後、岸田秀著、「唯幻論物語」を少し読んでからピアノの練習にはいる。この本は、小谷野敦著「すばらしき愚民社会」でやり玉に挙がっていたので、逆に読む気になった。坂口安吾は今年中に読み終わればよい。(前の日記に記した通り、坂口安吾全集を買ってしまった。)いわんや、今年中でなくても、じっくり読んで損の無い本、芸術である。ピアノを練習などと、日記にあからさまにその状態を書くことこれ即ち、カッコウの悪いことである。普段遊びほうけ、ぶらぶらしているようにしか見えない輩が、一旦ピアノを弾くとなるとピカ一であるというのが理想ではないか。僕も日記上ではそう書きたいものだが、いかんせんそうは行かぬ。午後からこもって練習。内容は秘密、というか文章で表しきれない。葛藤、黙考を繰り返しつつ、フィジカルな拷問トレーニングをこなす。これを夜10時ぐらいまで続けると、とにかく外に出たくなる。なじみの居酒屋にて、ポン酒四合飲酒。ざまあみやがれってんだあという気分と共に帰宅。今日も、世界中で餓えている子共を救えなかった。ジャワ島大地震の基金に2円入れた。お笑い下さるな。僕に何ができるのか。明日は我が身ではないか。部屋の空気を入れ替える。何も無い一日であったが、何かある一日でもあった。僕のまわりで世界は動いており、僕はそのことと関係したりしなかったりする。人の世は基本的にFUCKである。しかしその中にも、FUCKでないものを探し出したいという欲求はいまだ枯れてはいない。たぶん明日もふらっと起きるのであろう、否、そう願いたい。
某月某日
今週末の1月15日(日)、鎌倉にあるクラブ「DAPNE」でボーカリストのギラ・ジルカと演奏する。DAPNEはもともとパン屋さんらしく、料理もうまい。店の雰囲気も、スイスのコテージ風で、鎌倉の隠れ家という言葉に匹敵するいかした場所だ。お時間がある方はぜひ聴きにきてください。さて宣伝はさておき、去年末から家の電化製品がぶっこわれまくって往生ししている。まず電話が壊れ、洗濯機が壊れ、安くない出費にて新品を購入。年末故、経済的にあっぷあっぷになってしまった。しかしそれで話は終わらない。新年そうそうエアーコンディショナーが壊れた。リモコンの運転/停止ボタンを押してもうんともすんともいわない。手動でスイッチを入れても途中で止まってしまう。しょうがないので修理の人に来てもらった。まずリモコンがいかれたといったら、修理のおじさん、リモコンのボタンをぐっと強く押した。スイッチが入った。つまりリモコンが古くなっていて、相当力を入れなければ運転/停止ボタンが作動しないというただそれだけの理由であった。一応エアーコンディショナーの中も点検してみたが、特に悪いところはないようで、リモコンのボタンを強く押すということのみに、修理代、出張費あわせてウン千円支払わねばならなかった。何たる不条理な。ボタンを強く押すということのみに支払わねばならなかった料金は、決して安くはない。どうせ壊れるならもっとダイナミックに壊れてくれれば良いものを。そういえば新年早々メガネも壊れた。どうしようもない。また悪いことに、「日本の古本屋」というサイトを見つけた。衝動的に坂口安吾全集を買ってしまった。インターネットは恐ろしい。目の前のボタンを押すだけでどんどん散財する。今度壊れるものは何か。僕の頭は修理できないので、たぶんコンピューターの番だと思っている。
某月某日
今晩は、なぜ酒を飲むのかということを考えながら、酒を飲んでいる。正月この方、夜半からトロトロと酒を飲む習慣がついてしまって、ここに適当なツマミと落語のCDを聞くことができれば、後は何も必要ない。こんなことを書くこと即ち、正しい正月ばなれができない証で、別に誰にも迷惑はかけていないが、少なくとも日本国家のために成っているともいえまい。困ったものだ。
某月某日
下の段には、あけましておめでとうなどと書いてはあるが、刻一刻時間は先に進み、また日常世界の軌道へ、僕自身だんだん近付いてゆくような気がしている。正月は寝正月だと書いたが、同時にたくさん落語のCDも聞いていて楽しかった。僕は春風亭柳朝のファンだが、やはり、志ん生、圓生にも敬意をはらいながら聞く。小今亭志ん生の本「びんぼう自慢」を読んだ後、彼の話しを聞くのも、アジがあってよろしい。日本人に生まれてきて良かったと思えるのは、落語を聞いている30分前後の時間である。あとは、電話すれば即座にドアまでテンプラ蕎麦、寿司などが出現するというところぐらいだろう。
某月某日
あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願い致します。
某月某日
と書いても、今日はすでに1月5日であり、この日付けから察しがつくと思うが、文字どおり、寝正月で三が日を過ごした。何もしないということはかえって難しいが、それを実践した三が日であった。この日記も書き込むのに相当な時間がたっており、今年からはなんとか書く機会を増やそうと思うところである。いずれにせよ、今年ぼくがかかわる音楽のプランについて簡単に述べたいと思う。今年の春には「TOUCHES&VELVETS」の第二弾のピアノトリオ+ストリングスのアルバムがリリース予定である。同時に、デンマークの盟友、キャスパー・トランバーグとの三枚目のアルバムもリリース予定だ。今年夏はまたコペンハーゲンに行ってジャズフェスティバルでの演奏も決まっている。今年のメインテーマはこのあたりにありそうだ。元来正月の時期をどうおくるか、苦手なたちである。こちらが仕事をしたいと思っても、関係各所は休みとなる。サラリーマンではないから、自主的に休みの時期を設けなくてはならない。新年仕事始めもまた然り。しかし、新年そうそう午前二時からピットインにて年越しライブの演奏をした後、昼夜が完全に逆転し、正月から外が薄暗くなってから起きるような生活パターンになってしまった。これではドラキュラかゾンビの如くであるが、このサイクルを打ち壊しそうなハプニングが生活の中で起こりそうもないので、たぶん今年一年はこういう仕儀なのだと自分勝手に思いlこんでいる。太陽から見放された男である。昼夜逆転の時空の中で、仕事初めのきっかけをつかまなければならない。まあ、昨年末に次期アルバムのレコーディングが無事済んでいるので、この企画のプロデューサーである菊地成孔氏と、自然一月はこのことで忙しくなると思われるが。次期アルバムのことは、またこの日記の欄でもお知らせしようと思っている。乞うご期待。
某月某日
新宿PIT INN での3DAYSが終わり、人心地つこうと思っていたら、ピアノを教える約束をしていた人が普段より多くやってきたので、それにも対処していたら疲れきり、ある意味エアポケットの中に入ってしまった。二日ほど読書をして体を休め、新たに12月に向けての準備が始まる。話が飛ぶようだが、今公開中の映画、「大停電の夜に」が松竹、東急系列で全国ロードショウ中だ。そして何を隠そう、この映画で重要な部分でピアノを弾いているのは誰あろうぼく自身だ。まだ映画を見ていない人に配慮して書けば、というのも、ストーリーそのものをあからさまに書くと興ざめであるので、ぼくがソロピアノを弾いている部分だけを紹介しよう。まず子共の生まれるシーン。妊婦を担いでトンネルの中から出てくるシーン。ローソクに火を灯すシーンなどでぼくのソロピアノが場面を盛り上げている。少し舞台裏を明かせば、これらの各シーンは、スタジオにおいて、これらのシーンの抜粋を見て、即興で演奏したものであり、新しいタイプの仕事だったので楽しかった。今までの邦画のイメージを大きくしのぐ、素敵なできばえと成っている。興味のある方は、是非御観覧あれ。もちろんサウンドトラックはEWEから発売されている。詳しくは、EWEのサイト、http://www.ewe.co.jp/titles/detail.php?tid=656を参照して下さい。ビクター・ヤングの名曲、「MY FOOLISH HEART」も演奏しています。全ての人に素敵なクリスマスが訪れますように。また「TOUCHES&VELVETS」の第二段のレコーディングが決定した。次回作は、来年の春にリリースされる予定。もちろんピアノトリオプラス、ストリングスというコンセプトは、前回の作品と同じで、プロデューサーは、同じく菊地成孔氏です。詳細はまた追って情報をこのサイトに掲載します。
某月某日
毎日家にたてこもる形で多忙である。「TOUCHES&VELVETS」の次回作の作曲、及び、新宿ピットイン11月の3DAYSに於ける作曲、構成で頭がいっぱいだ。畢竟、家事雑事をこなす能力は落ち、脳みそが音楽のことばかり考えているので、ある意味世捨て人のようである。世間の動きにも疎い。久しぶりにインターネットでニュースを見たら、コント55号の萩本欽一が,何か難しいことをしゃべっているなあと思ったら、何やらその方は村上さんといって、阪神をどうにかするらしい。まったくぼくには関係ないことだが。ピットインのスケジュールに3DAYSに関して短い文章を書いてくれと頼まれた。以下その文章をここにも掲載する。「3DAYSをまかされることとなった。人間一寸先は闇である。特に我々ミュージシャンなど、1ミクロン先が漆黒なのだから、この文章を書いている現在の9月に、11月の事を説明するのは難しい。あえて今の下馬評を発表するとすれば、17日は、ギラと共に、80年代ポップスをアレンジし、ピットインの高級ナイトクラブ化を図る。18日には、新生トリオによって南博自己解体化を図る。18日のGO THEREの演奏は、過去の曲にさかのぼって、自分が勝手に決めつけているヒット曲アーカイブ化を図る。11月末まで、地震よ、くるな。」手短な紹介ではあるが、あえてこの日記の欄で書き足すとすれば、ピットインに於いてボーカルと演奏するということは、特別なことと捉えざるをえない。その演出の難しさをひしひしと感じてもいる。ピットインはご存じの通り、椅子が全てステージに向いている。ここでナイトクラブ的な雰囲気を出すには、ある意味チャレンジングな何かがないと面白くないことは解っている。まあ、もうその下準備はできていて、是非皆様、聞きにいらして下さい。面白くなりますよ。二日目のトリオについても、新しい顔合わせだけに、アレンジをどの範囲までするかということが大きな焦点となろう。これも面白くなりますよ。3日目のGO THERE!では、以上に書いた如く、いままでの新旧まぜあわせたレパートリーでのぞむつもりである。今のメンバーが、過去の曲をやったとしても、そこにはもう、膨大な時間が経過しているという事実が間に挟まるわけだから、過去の、という表現が感じられないような演奏ができるに決まっている。もうすでに形は整っている。後は天災が来ない限り、この三日間は盛り上がるであろう。今から自分でも楽しみだ。さらに、冒頭に書いたように、御好評いただきました「TOUCHES&VELVETS」の第二段も画策中である。前回と同じく、プロデューサーは菊地成孔氏であり、綿密なるアイデアの交換によって、また新たなる音楽が出来上がりつつある。これにもご期待下さい。無意味に居職の生活をしているのではありませんから。うむ、だんだん空が白んできた。今回はこれにて。続編 駆け出しの頃当時僕がピアノを弾いていた銀座の○○○クラブという店は,その界隈でも一番料金が高く,女の子の質もダントツに高いことで有名であった。客筋も、テレビ雑誌で有名な方々が毎晩のようにやって来て,かなり華やかな活気を呈していた。僕はそこで,ピカピカひかる黒塗りのグランドピアノで,カントリーアンドウエスタンからナットキングコールまで,バンマスの気が向くままくり出されるメロディーにその場で伴奏をつけ,必死の思いで生きていた。金をためて外国へ留学してやろうと内心たくらんでいた。月頭に成ると,バンマスのスーツの内ポケットからキャッシュでギャラが支払われた。給料というものは,本当の意味で我慢料だということを,その頃悟った。バイトではけっして味わえないことだった。グランドピアノの上には,大きな白い花瓶がのっており,そこには,名も知らぬ,色々な種類の花が,天井に向けて扇状にいけてあり,その花達がスポットライトに照らし出されてきらきらしていた。鍵盤から顔を上げると,いつもその花々が目に入った。なぜか分からないが,何だかとても哀しかった。リ-ジェントのホステスでT子という女の子がいた。キレイどころが集まっていたリージェントでも目立つ子だった。目が大きくて,一見お嬢さん風のいでたちをしていた。T子のファンも多く,彼女のまわりはいつも華やかだった。一見ホステス風で無くても,少し酒が入り,テーブルの客共々盛り上がってくると,彼女の言動はやはりザギンのステホスそのものに変身した。彼女は他のホステスよりも,テーブルからテーブルへ,クルクルと動き回り,彼女は他のホステスよりも,僕が曲を弾き終わると拍手をした。「センセ-,ピアノうまいんだ-,あたし子供の頃ちょっと習ってたんだけど,チェルニ-の練習曲ぐらいでめげちゃってー。続けとけばよかったな-。」素の顔でのそういう彼女と,客と対応している時のホステス然としている彼女とのギャップが,さらに彼女を魅力的にしていた。とにかく,どこかちょっと,他のホステスとは風情が違っていた。銀座界隈でピアノを弾く時,一つだけ守らなければならないことがあると,バンマスに諭されたことがある。銀座を初めてまだ日も浅い頃だ。つまり,お店の女の子とのおつき合いは厳禁。ウエイターとホステスがデキルというのはよくある話だが,ばれれば銀座界隈から所払い。当然店もクビ。女の子がその筋の方と懇意であればただではすまない。「ミナミちゃん,悪いことはイワネエ,遊ぶんだったら金もって,どっかほかんとこでやってくれよな。」冗談をいってるような表情でバンマスにいわれた。でもその目はまじだった。掛け持ちの仕事というのは,実際時間との戦いだ。8時29分に,例えばナイトクラブAから飛び出す。8時30分にはナイトクラブBのピアノの前に座っていなくてはならない。また,8時59分にBを飛び出して,9時きっかりにAに戻るのだ。それを8時から午前1時まで,月曜日から金曜日まで続けていた。小便するひまも無かった。○○○クラブは××ホテル横のビルの2階にあり,エレベーターが運よく1階に止まっていればそれに駆け込んで二階にあがる。エレベーターがどこか上の階に行って使えない時は,横の階段をかけのぼる。エレベーターがまっている時の方が少なかった。エレベーターを使うのは,お客さんや我々ミュージシャンだけではない。○○○クラブからお客様が帰る時,何人かのホステスが必ずビルの1階の踊り場までお見送りをしていた。皆で嬌声を上げ,手をふって,「またきてねー!」とやるためだ。ある日僕は,いつものごとく小走りで○○○クラブに向かっていた。走りながらユニフォームを着替えることもしばしばあった。○○○クラブのあるビルの前まで来ると,運よくエレベーターが1階に止まっており,ドアが開いていて,中には誰も居なかった。エレベーターの中に滑り込み,ネクタイの曲がりぐあいを直しつつ2階のボタンを押した。ふう,今回は階段を駆け上がらずにすむ。ドアがしまり始める。すると向こうから人陰が手を降りながら近ずいて来るのが見えた。T子だった。「せんせー,まってー。」反射的にドアを開けてまっていると,彼女が滑り込んで来た。ドアがしまる。エレベーターの青みがかった蛍光灯の明りに,変に上気した彼女の顔が浮かんでいた。女の人のこんな表情を見るのは,生まれて初めてだった。じっと目を見つめられた。いい気持ちだった。実際並んで立ってみると,店の中で見るより彼女は小柄だった。エレベーターの中には鏡がはってあり,そこに彼女と僕の姿が写っていた。小柄とは言え,今まできづかなかったが,彼女のスタイルは抜群にいい。ちらっとその鏡に目をやると,彼女のムチャクチャ形のいい足が,もう少しで僕の体を挟みそうだった。周りの空気が濃密になったような錯覚を起こした。彼女と二人っきりに成るのはもちろん,これが初めてだ。彼女は,少し唇を押しつぶしたような表情で,上目ずかいにじっと僕の目を覗き込む。「せんせー,わたしいつも,センセ-のピアノすてきだと思ってたんだ-。」すっと手が伸びて,ユニフォームであるダブルのスーツの胸ポケットに紙片を滑り込ませる。その手つきたるや,どんなマジシャンでもかなわない。あっという間の出来ごとだった。実際全てのことがあっという間の出来ごとだった。たかだかエレベーターが1階から2階まで上がる間の瞬間である。しかし驚くべきことは,ドアが開く頃,彼女は僕と向き合っていなかった。ちゃんと店の方に顔を向けていて,ドアが開くや否や,彼女は店の中に,実際見事な身のこなしで滑り込んで行った。ドアを開けて待っていた僕のエレベーターに滑り込んで来た時の同じリズム感がそこにはあった。エレベーターを出た2階の踊り場には,バンマスと同僚のべーシストが,出番を待って立っていた。死ぬほどドキッとした。今あったことを表情で悟られまいと思い,思わず視線をそらせた。彼らは店の中の,チェンジのピアノの人の方を見ている。助かったかな?店の中からは,気の抜けたピアノのアルページオが,我々のいる階段近くの踊り場まで流れてくる。否応なく,毎晩聞いている音だ。「アノウ,まだ時間かかりそうですか?」「あいつヨウ,何時だと思ってンだよ,とうに時間過ぎてるだろう,急いで来たこっちの身にもなれよなあ」「あのバンマス」「なんだよ?」「小便してきていいっすか」「すぐ戻ってこいよ」トイレに駆け込んだ僕は,中に誰も居ないことを確かめてから,胸ポケットの紙片をそっと取り出す。クラブのロゴの入ったメモ用紙に,「こんど電話してね。T子」と走り書きがしてあり,下に電話番号が書いてあった。いそいで○○○クラブのロゴ入りの紙をスーツの内ポケットの奥の方に捩じ込んだ。急に銀座の,○○○クラブの,変にごてごてしたトイレのシャンデリアが,ものすごく高級で明るい,何というか全てが幸福で明るく,活気に満ちて見えた。鼻歌が出そうに成るのを押さえつつ,ピアノを弾くべくトイレを出た。20年以上前の話駆け出しの頃 六本木のバーに,今はもう誰か忘れたが,人の紹介でピアノを弾く仕事を頼まれた。僕は19歳ぐらいだった。カラオケスナックと,バーの中間みたいなその空間は,そのての場所を見たことも無いその頃の僕にとって,全く妙な感じのする場所だった。後年銀座のナイトクラブ,それもバブル花やかしき頃,三年掛け持ちでピアノを弾き,あの手の商売の裏の裏を目のあたりにしようとは,夢にも思わなかった頃のことだ。その頃僕は,まだ初心者の域をでていなくて,小岩のハリウッドチェーンという場末のキャバレーで習い覚えた,簡単なコード進行が読める程度であった。半分クラシックピアノにも未練がある頃で,ガ-シュインのピアノ曲,三つのプレリュードなどもさらっていた。六本木での仕事という言葉のひびき自体,下町のギャバレーで演奏していた身にとっては,その頃は何か,一段上に上がったような,何かちょっと自分自身成功したような,体のどこかをくすぐるようなうれしさがあった。実際六本木の街は,小岩,松戸のキャバレー街よりも,相当華やかに僕の目にうつった。僕がピアノを弾く事ことになる店は,できたてのビルの中にある,できたての店で,カウンターもイスも,お酒のグラスも何もかも,全て新しくピカピカしていた。「君,ミナミちゃン,ねえ,待ってたんだよ,よろしくね,この店サア,俺もバーテン長いの。やっと自分の店もったていウ感じ。ウン,がんばっちゃうよ-オレ。あのさあ,お客のリクエストが無い時は好きなの弾いてていいんだけどサア,リクエストきたら,ねえ,やっぱし伴奏しなきゃあ,ね,演歌でも何でも。それがプロって言うモンでショ。バンドの方々ってさあ,ジャズやりたいんだよねえ。でもそれだけじゃねえ。最初にピアノ弾きたいって来た人,演歌は出来ませんて言うからさあ。ことわっちゃったんだよね。バカいってんじゃないよう、ホントにい。」マスターは50がらみの痩せぎすな男で,妙に蝶ネクタイとビロウドのチョッキが似合う体型に,ものすごくエラの張った顔がドンと肩の上に乗っているような男だった。ひっきりなしにタバコを吸い,えらく沢山の氷の入った水割りグラスをぺろぺろ舐めている。髪型は,これでもかと言う感じで油がついていて,ヘアースタイルそのものが,小岩に来ていた売れない演歌歌手みたいだった。扁平な鼻に,妙に垂れ下がった目尻がこちらをなめるように見る男で,職業柄,長年自分の本心を隠していたが為に,とうとう自分でも何を感じているかわかんなくなってしまったような目の色をしていた。会ってすぐさま,唐突にこう切り出すマスターに,僕は何も言えなかった。こういう人種とどう話ていいかなんて,その頃の僕に知る由もない。ただ言えることは,その店に僕を紹介した人が言った,「ミナミちゃんねえ,あそこは演歌やらなくていいからさあ,すきなの弾いてていい店紹介するからさあ。」という内容とはずいぶん違うなあと言うことだった。演歌弾かなきゃいけないのかア。「ミナミちゃんねえ,お客がいない時は,好きなもの飲んでいいからねえ。」その頃の僕は,究極的に初心だったので,イエイエけっこうです,演奏中呑むなんてそんな,という感じて呑むことはことはったが,実際,冷たそうな水割りと,タバコをひっきりなしに吸うその店のオーナーは,仕事前から呑みはじめていた。店に雇われた女の子達が出勤してきて,一瞬和やかな雰囲気になったかなと思ったら,客がどやどやと入ってきた。オーナーはカウンターの向こうに走り込み,僕はピアノの前に座る。何を弾こうかな。その当時そんなにレパートリーも無いくせして,わざともったいぶって新調の上着の丈を気にしつつ弾き始めた。しばらくのあいだは何ごとも無く過ぎて行った。客達は僕に無理なリクエストをするでも無し,店のオーナーも酒作りで忙しそうで,これは楽な仕事かも知れないと,一瞬気持ちがゆるんだ矢先だった。客の一人が,しかもそうとう酔っぱらったオヤジが,ピアノを弾いている僕の方にふらふらと近づいてきた。「ねえねえセンセー,伴奏してくれないかなあー。」客は「思えば遠くへ来たモンだ」を歌いたいという。通称「アカホン」と呼ばれている歌謡曲,演歌集の譜面をめくる。「せんセ-ね,音楽のことよくわかんないから,どのキーで歌っていいかわからないの。適当に伴奏付けてよ。」客はマイクを掴むとおもむろに歌いだした。イントロ無視,メロディも音程というものがないただのガナリ声のようで,キーも探せなければ,この手の曲を一人で伴奏することにも慣れていなかった僕は,どんな素人目に見ても,全然なってない演奏をしてしまった。店の中は演奏前と同じ状態だったが,ホステスのおね-ちゃん達の視線の方がなぜかきつかった。ホステスとこういうバーのピアノ弾きの関係は微妙である。お互い雇われている身で,お客の要求におこたえするというスタンスは同じだが,精神的な意味で,店側からの束縛という意味において,ホステスさん達の背負っているものは,僕などと比較に成らない。変な伴奏をされた客をいなすのは彼女らの役割である。客は酔っているとはいえ,思いっきり歌えなかったストレスを抱えて,ピアノのそばから去る。憮然とした表情だ。客が口を開く前に,ホステスがその瞬間をすくいあげるようにしゃべりだす。「センセイ,今日初めて来たのよ-,このお店に。まだ若いんだしさあ,応援してあげましょうよう。」ホステスという人種は,本当に何というか,考える前に口が動く人種であり,まあそれでその場のぼくは救われたのだが,何か釈然としない空気が店の中を漂い始めた。その客はしばらく大騒ぎをしながら飲んだくれ,一時おいてからまたピアノの側にふらりと近ずいて来ると,ピアノの上においてある「アカホン」を,自らめくりはじめた。オヤジの選んだ曲は「銀座の恋の物語」であり,ホステスの中の一人がデユエットに加わる。そうこうする内に夜はふけて行き,閉店の時間となった。終電ギリギリの時間だ。帰り支度をしていると,店のオーナーに呼ばれた。「ミナミちゃんさあ,もっとちゃんとやってくんなきゃ困るよう。一生懸命なのは分かるんだよ。だけどね,演奏してる内容がお店にそぐわないわけよ,分かる?お客さんの伴奏をする時はもっと愛想良くしなきゃ,二コッとしたりサア,分かるでしょ。」ぼくは終電に間に合うことだけが心配で,かれの小言は頭の上を通り抜けて行く。結局,松戸,小岩でひどい目にあって,やっと六本木の方まで抜けてきて,要するに内容はおんなじなんだ。町の景観はずいぶんましかもしれないけど,やってる事は,下町とかわんない。やっと小岩や松戸のキャバレーから抜けだせたのになあ。僕はなぜか,小学校の頃から学校の成績が悪くて,最初は落ち込んだものだが,成績が悪いことで,挫折感なるものを味わったことが無かった。しかしその日の夜は,何というか,茫漠とした寂しさと挫折感が,胸のあたりで固まりに成っているようだった。付属の音楽学校から,大学に行く道を自ら断って,半分家出状態で,大きな夢を持って世の中にでたはずだった。これから一生演歌の伴奏するのかなあ。いやだな~。帰りの電車の中で,窓に写った自分の顔を見て,どうしようかなと,自問自答した。思ったより,先は長そうだった。20年以上前の話。
某月某日
過日、JR某駅を歩いていた。雑用を数件こなす必要があった。汗だくでもあり、なんとか雑用を早くすませ、すぐ家に帰りたかった。すべての雑用をこなす、つまり、郵便局、銀行などは、ミュージシャンの活動時間とは違い、しかも手続きの面倒くさいものもいくつかある。暑い日中にいかに効率良くこれらの場所をまわるか、家を出る時は何となく頭の中に点と線を結ぶ地図のようなものがあったのだが、外に出たとたん、暑さのために頭がぼーっとしてきて、そのなんとはなしの取り決めも宙に浮いてしまった。そういう状況の中でJR某駅の前を歩いていたら、なんと女性から声をかけられた。「あの、南さんですよね。」ぼくは暑さと取り留めのない雑用の最中で、ぼんやりと彼女に答えた。「そうです。」「私この前、新宿のバーで、南さんにハッピーバースデーを弾いてもらったAです。」ああ、あのときの。暑い中記憶がよみがえってきた。そういえば弾いたな。「どうもありがとうございました。また弾いて下さいね。」「弾きたいけれども女性は歳をとらない方がいいんじゃないですか。また聞きにきてくれて、その時が君の誕生日なら、喜んで弾きますよ。」と言うのがやっとだった。社交的とは言えまい。しかしどこかしら、心の中で少しうれしかった。彼女は軽く会釈をして駅の雑踏の中に消えていった。ミュージシャン冥利に尽きる。一瞬暑さを忘れることができた。
某月某日
このWEB SITEのニュースの欄に、MEMBER 与世山澄子(VO)南 博(VO)という誤った情報を書き込んでしまった。一週間ばかりの間だろうか。申し訳ありませんでした。僕を個人的に知っているファンや仲間ならば、ああ、また機械オンチの南がバカやってる、ですむでしょうが、本欄を初めて見た方、僕を個人的に知らない方には改めて訂正します。私は8/10にTUFF BEATから発売されるCD,「INTERLUDE」では歌を歌っておりません。ピアノを弾いています。もし僕が与世山さんと歌でDUOをしたら、これは犯罪と同等です。天鳴り響き、地は裂けて、僕は地獄へと地割れの中へ吸い込まれてしまうでしょう。よく見積もっても、毎回試聴者にこちらから100万円払いながら我慢して聴いて頂くという、逆転資本主義的行動が必要と予測されます。もう一度言います。僕がお金をとって歌うという事は犯罪です。逆にいえば、もし歌を歌えたならば、ピアノなど弾きません。体ひとつで資本のかからないVOCALというのは、まことに僕のあこがれの職種で、調律の狂ったピアノを強制的に、仕事と成り立たす線で弾かなければならないという苦労が、まずありません。もう一度いいます。僕はピアニストです。ご容赦下さい。スペースシャトルだってすぐに飛ばないんですから。休みの日にしか日記を書けないのは、これはもう日記ではありません。日記は毎日書いてこそその意味合いや滋味が読者に伝わるものなのですから。それでも前回の日記から(日記ではないと自からがいいながら、日記と記すこのバカさかげんよ。まあよろしいとして下さい。世の中にはこれに比較にならないくらいの不条理とそれを諦観せざるを得ない事象がいっぱいあるのですから。)起こった事を書き記そう。7月の第一週、コペンハーゲンに行って演奏してきた。コペンハーゲン ジャズ フェスティバルにデンマーク人のトランぺッター、KASPER TRANBERGと共演のためだ。日中の気温25°、空は午後10時になっても、青く晴れわたり、気温も15°となる。風が吹くと汗が乾いてしまうような乾燥度。日々すばらしかった。もともとデンマークにデンマーク人として生まれたものが、誇りを持ってCOPENHAGENという街の美観をつつがなく保存していることが分かる。僕のようなエイリアンにとっても、この美観を壊すものに怒りをおぼえるであろう。コペンハーゲンと東京を比較する事自体が無理な相談である。僕の理想は、山口晃画伯が描くところの東京圓が僕が考える東京の理想図であり、戦禍さえなければ、このデカダンな東京が、よりいっそう面白い建物に囲まれて画伯の絵のような状態を呈していたかもしれない。残念だ。おっと話がそれた。演奏は、コペンハーゲンにあるグラスハレン(鏡のホールといったような意味)という場所で行われた。皆さんご存じのKASPER TRANBERG率いるグループでの演奏だ。このグループでは、2003年にレコーディングを東京で行い、「MORTIMER HOUSE」というタイトルで、EWEからCDを出している。詳しくは EWEのサイトhttp://www.ewe.co.jp/titles/detail.php?tid=118 を参考にされたし。このグラスハレンというホールで演奏することは、このフェスティバルの中でも栄えあることだ。毎年、世界のビッグネームがこの舞台で演奏する。今回は、超巨匠のドラマー、ロイ・へインズ(84歳、マジかよ)・グループの前座的演奏であったが、舞台に立つだけでもワクワクするような場所で、何かしらここで演奏したミュージシャンのソウルのようなものが漂うっているような、そんな舞台だった。演奏も上出来で、かなり危険なアプローチがバンドの中を行き交い、それを起爆剤にして我々はその瞬間の先々を、手探りで、あるいは無意識的な体の反応によって、その起爆剤の中の火薬の分量を増やし、ここだという一点に向かって放出する。デンマーク人を主とした客席がその舞台での反応に吸い込まれていくのがよく分かる。そんな演奏であった。今年の10月、このグループでの、二枚目のCDがEWEからリリースされる。タイトルは「SOCIAL AID AND PREASURE CLUB OF COPENHAGEN」今回の新譜にはベーシックなセプテットに加え、ギター、バスクラリネット、フルートを擁した重厚なるブラスアンサンブルを聴くことができる、かなりヒップなサウンドだ。ご期待下さい。そしてまあ、いつもの手続きで東京に帰って来たわけだ。飛行機に乗ってすぐ睡眠導入剤をのんだので、幸い行き帰りとも、機内の印象はあまり今回の旅には付加していない。飛行機は嫌いだ。もっともこの歳になっても、いまだファーストクラスさえ体感していないので、一概に嫌いと言い捨てるのも危険かもしれないが。返す刀で代官山YUNITで菊地成孔率いる「南米のエリザベス・テーラー」Pepe Tormento Azucararと演奏。6日に帰ってきて7日の演奏で、時差ぼけを心配したんだけれど、あまりそれを体感することなく演奏できた。たぶん、東京の生活自体が時差ぼけなのであり、あちらコペンでも、夜の活動が主体となっていたので、ぼけ×ぼけ=空虚という、もう自分で自分が分からなくなったことさえ忘れた自分がいることも分からない自分、という状態になってしまったのであろう。その後もいくつかの演奏をこなし、作曲してアレンジして、という生活が続いているのだが、あ、そうそう、津上研太率いるBOZOのCDが、おなじくEWEから今秋発売です。今年はサイドマンとしてのCDが3枚出るぞ。いやあ、長い間だったなあ、アメリカから帰ってきて10年ぐらいたつけど。まあ、これから先はぼやきになるので文章を自粛。明日はまた陽がのぼる。