書かなくなった本当の理由

某月某日
いつごろからこの欄で、日記を書かなくなったのかと思う。ずいぶん前のようだ。自分自身で深く考えても、書かなくなった本当の理由は見つからない。以前は、今の時期より忙しい時にも日記を書いていたから、多忙という理由はあてはまらない。長期入院していたわけでもない。いずれにせよその間に、季節は変わり、仕事の内容も微妙な変化をみせ、今この時に至っている。この文章を書きながら、長らく日記を書かなかった理由を、キーパンチしながら考えている。思えば、人前で演奏するという行為自体があまり上品ではないという感覚が僕にはある。畢竟、不特定多数の人々に、まだ本格的価値判断がなされていない電脳ネットで文章を書くということが、どういう効果をもたらすかという恐怖ににた感覚があったからだと今思いついた。上品でないのは、演奏する時で十分ではないかという気分もある。しかも、この欄で本気で僕の思想、世界観を書きだしたら、たぶん誰かに殺されるという、あいまいな観念が無意識のうちにはたらいていたのかもしれない。浮き世のしきたり臭く書くと、ただで不特定多数の人間に誤解をもたらしたり、ただで書いてなんらかの問題にまきこまれるのがいやだという気もあったかなとも思う。盟友菊地成孔氏の日記を読んで、さすがに知名度と人気の順列はわきまえてはいるものの、なんとくだらんことでこの電気代を払っているのかと思ったことも、日記を書かなくなった一因だとも思う。この欄は、実際演奏の宣伝と、その感想について書くだけでいいとは分かっていても、なんとなくそれだけではすませたくない。しかし、それ以上のネタは、不特定多数の人々の目にとまることは避けたいという、なんとも微妙な心理状態に今あることが、この日記の欄の延滞につながっているのだとつくづく思う。矛盾が矛盾を育てているような理由だが、以上のごとく、しばらく日記の欄をほっぽりだしていた。そのことが、良いのか悪いのか、効果的なのか無駄なのが、いまだに考えあぐねている。といった理由において、明日から連日書くかもしれず、また長い延滞を知るかもしれず、自分でもよく分からない。ひとつ言えることは、電脳ネットをどう有効に扱うか、というなんらかのディシプリンを、自分の中に持たなければならないということだろう。便利なのか不便なのか、そこが一番の分かれ目だと思う。

某月某日
5月6日に大阪に行きます。大阪梅田JEUGIAで、「TOUCHES&VELVETS」のプロモーションのため演奏します。翌日大阪ブルーノートに出演する菊地成孔氏も出演します。演奏場所がJEUGIAと聴いた時、大阪にも十字屋があったのかと思うほどの大阪オンチですので、演奏だけはオンチにならずやってのけたいと思っております。詳しくはスケジュールの欄を。

某月某日
生まれて初めて沖縄に行ってきました。与世山澄子さんという伝説のジャズボーカリストと共演するためです。まだ行ったことのない土地への、甘酸っぱい想念は、出発が近付くにつれ盛り上がりました。青い海、青い空、純白の砂浜。しかし沖縄に着いてみると、そういった甘酸っぱさはどこかに消えてなくなってしまいました。まあ、仕事できているのだからしょうがないのですが。案の定、ホテルとレコーディングが行なわれた与世山さんの店、「インタリュード」を行き来するのみと成りました。東京側のメンバーは、南博(ピアノ)菊地成孔(テナー・サックス) 安ヶ川大樹(ベース)ZAK(録音&ミックス)パードン木村(プロデュース)という、個性豊かな布陣です。沖縄に対する最初の甘酸っぱさが消えたのは、那覇空港から我々の宿泊地である国際プラザホテルへの道すがらの光景でした。マイクロバスに乗り、空港を出発したのですが、最初は昔の横浜本牧にいるのかと見間違うような風景でした。そのあとの行程は、なんだか第一京浜を思わせる風情で、まるで羽田を出発した飛行機が、ぐるっと回って羽田に再度着陸したんじゃないかという錯覚に襲われました。そしてあっという間に国際通り。これは那覇の原宿的な場所で、我々はそのど真ん中に宿をとったわけです。四泊五日の旅でしたが、通常の観光客が朝起きて、観光をして、泡盛を飲んで寝るというスタンスは、レコーディング初日から我々には無縁でした。レコーディングの場所、与世山さんが経営する「インタリュード」のセッションはピアノの調律が終わる午後7時頃から開始され、終わるのが午前2時半あたり。自然と、お天道様との相性は悪くなります。録音場所がスタジオでない、すなわち、皆が疲れ果てるまで良いテイクを求めることができる。反面、終わりの見えない時間が陶然と流れていくと言った調子です。畢竟、初日から四泊五日と言う概念は、沖縄滞在中、ぼくの体の中には存在しませんでした。しかし、これだけゆったりとした環境にて音楽に淫することのできる機会もまた稀なことでした。と言うわけで、この日記には、何月何日に何をやったときっちりと書くのが難しい。もう既に、沖縄での記憶が団子状に成ってしまっているからです。と書きつつも一度だけ、菊地君につれられて市場で食事をしました。一階の魚屋で自らが食べる魚、エビ、蟹類を選んで、それを二階の食堂で、作りたてを食べるというものでした。この時ばかりは、少し観光気分にひたれました。魚はあげてあるものが多く、これは中国に近いからではないかと思いました。7時過ぎに「インタリュード」に毎晩向かいます。与世山さんは、非常に親切な女性で、この島の誰もが持っている優しさと、マイペースに物事を行うゆったりとした時間が、彼女の体からにじみ出ていました。純粋な少女のような声で歌詞を大切に歌を歌います。何か聖なるものを感じる歌声でした。この方は、小学校六年生から、米軍キャンプにて、テネシーワルツを歌っていたということです。これはもうベテランとか、そういう言葉で表すことさえ気恥ずかしい、一種の威厳をもその歌声から聞取ることとができました。歌なのに、不思議と語っているようにも聞こえるその音楽の奥深さは、何か現代に失われてしまった時間や間をしっかりと持っているような気がしました。一日目にセッションでは、彼女のゆったりとした鷹揚さについていけず少し焦りました。しかし、その合わなさの根源が二日目には飲み込めるようになりました。要するにこちらの土地の人のように優しく鷹揚に彼女と対すれば良いということです。東京のような、ちょこまかした、やけに忙しい雰囲気をこちら側が排除し、ただただ彼女の時間の流れに身を任せることにしました。ということで、二日目のセッションから、お互いが歩み寄り、だんだん音楽の密度が双方溶け合う様に成ってきました。そんな中から、僕は与世山さんから多くのことを学びました。超一級のボーカリストと仕事をするということは、こちらにも絶妙のセンスを要求されるということです。僕は、沖縄流マインドに成りきったつもりで、毎晩2時半頃まで、彼女の歌と絡み合ったのでした。スタジオでないというメリットは、ゆったりと時間が取れるということですが、逆に、表の通りを車が走ろうものなら、その車の音が途絶えるまで、ピアノの前で待機していなければ成らない。車の音がとだえるまで、鍵盤にそっと手をのせて、スタンバイしている。車の音はいつ途切れるやも知れない。しかしこちらも演奏する前の緊張感を持続させなければ成らない。そんな夜が四回続きました。演奏が終わればへとへとで、ホテルで体を横たえる。気付けば次の日の午後です。飯を喰って国際通りをぶらぶらしていると、仕事の時間と成る。沖縄的景色には、触れることができませんでしたが、沖縄的時間の流れは、与世山さんの歌の流れから感じることができた。負け惜しみではありませんが、景勝の地に行くよりも、さらに深く沖縄的な時間の流れを体感した僕は、もっとも沖縄という場所に近かったのではないかと思われます。素敵な時間でした。録音スタッフも、演奏する側も、皆同じ気持ちに成っていたと思います。この歌声を、最高の音質で、最高の演奏で録音したい。広いとはいえない「インタリュード」店内には、それら男達の願いと、それに答えようとする少女のような与世山さんが、がっちりと一体に成り、お互いのコンセンサスがぶつかりあう良いテンションが生み出されていました。最後の録音が終了し、なんと与世山さんが料理したおいしい料理で打ち上がりました。不覚にも、僕はその宴会の途中で眠ってしまい、起こされたのは、ホテルに帰り、パッキングするだけの時間しか残っていない時刻だったので、あわくってホテルでパッキングしていると、ちょうど窓から、強烈な日光が差し込んできました。沖縄到着以来、ずっと曇りだったのです。晴れた日に帰らねば成らぬとは。少しへろへろで那覇空港に到着し、早朝の便で東京に帰ってきました。東京は相変わらず、時間の流れが速く、たかだか四日間の滞在にしても、僕の心をささくれだたせるには十分な人の量と、空気の隙間の狭さを感じました。このCD,8月頃発売予定です。タイトルは今のところ「インタリュード」(仮)。自分自身、沖縄でのタイム感覚が、どう演奏に影響しているのか、完成が待ちどうしくてなりません。

某月某日
またしばらく日記を書かなかった。日記というものは、毎日書くから「日記」という字があてはまるのだろうから、はたしてこの欄は日記ではないと言えなくもない。まあ、少しでも日記の体裁を繕うため、前回書いた日記から特筆すべきことを二三書き込もうと思う。今年のクリスマス時期に公開される某映画の音楽製作に加わり、ピアノを演奏した。この映画の内容、その他は、制作者の側からあまり書くなと言われているので、これ以上ここに記することは出来ないが、僕のピアノの音が、重要な位置をしめていることが確かである。クリスマス時期まで、しばらくお待ち下さい。いずれにせよ、僕のピアノの音が、全国の映画館で鳴り響くことは、僥倖である。その後、胃腸にくる風邪をひき、めったに風邪をひかないので、逆に身の処し方、処置の仕方が分からず、しかも普段低体温なので、少しでも微熱が出ると、普通の人以上にドタバタする仕儀となり、往生した。そういう日に限って演奏の仕事が夜あったりする。お粥と、ビタインゼリーを吸いながら、クラブに到着。演奏中汗が吹き出し、それが功をなしてか、風邪の症状はおさまってしまった。良いことではあるが、何かの因果を感じた。なぜなら、ちょっと手前味噌だけれども、その夜の演奏は評判が良かった。辞書で因果という項目を見てみると、「今ある事物が以前の何らかの事物の結果であり、また将来の何らかの事物の原因であること。」とある。近い将来、何が原因で、何がこの身に起ころうというのであろうか。風をなんとか退けた後、津上研太ひきいるBOZOのセカンドアルバムの製作に参加した。スタジオでの演奏中、よくも悪くも色々な音楽的ハプニングが続出。それらのことを逆手に取って、良いTAKEが各曲いくつかレコーディングされた。発売予定は今秋半ば。そしていつも通り、と言うか予定どおりのような気もするけれども、深夜になっても眠れない。時々起こる不定愁訴。不定愁訴と仲良くする術を最近身につけたので、前よりは精神的に楽である。不定愁訴と仲良くする術と書くと、難しいことをしているように感じる方もいらっしゃるかもしれないが、とにかく、不定愁訴な自分が本来の自分と思い込んでしまえば、それで良いのである。不定愁訴な状態が、本来の自分ならば、その状態以上に元気な時はめっけもんと思えば言い訳だから。自分の意志でコントロールできないからこそ不定なのであって、不定愁訴さえ取り込んでしまえば、それは不定愁訴ではなくただの愁訴と成る。これが僕の論法だ。まあ、どっちにしても楽しいことではないけれども。今の時代において、元気にはつらつと、輝かしい未来を信じ、日夜ばく進している人というのは、どこかおかしいのではないか、というのも、逆にいえば、僕の精神の安寧をもたらす効果になっている。かろうじて読書が僕の精神を安定させてくれることに、感謝したい。その多くの作家たちの逡巡を含めて。

某月某日
MOTUOM BLUEの演奏二日間を終えて、また仕事のない日々がいくらか続く。庭先には、春の訪れとも思える小さな鳥達が、木々の間を、まるで自然界の幾何学を会得したような調子で、あらぬ方向に飛び去り、我が庭先の木々にも寄り添うようにしてたたずんで、何かしらきれいな声で歌ったかとおもうと、またさっとあらぬ方向へ消え失せてしまう。春の訪れの前兆なのだろうか。よくもまあこの東京に、カラス以外の鳥が生息しているものだと思う。こうまで書くと、まるで隠居の文学のようだが、これから一年、また西東へと忙しい日々を送りそうな企画が目白押しではあるのですが、今は少し仕事上中だるみ状態ではある。しかし人間には休みというものも必要で、僕も例外ではない。今日は静かに、冬の一日を、じっと暮らす所存です。意識的に、仕事関係のことはしない。掃除も洗濯もしない。ただ時の移ろいに身を任せ、食事は全て店屋物。目は半眼にしてじっと窓の外を見ているのみ。冬の空は気温に反して、なんだか暖かみを感じさせる時さえあり、雲間から太陽が顔を出すと、あと少しで春の訪れを告げそうなその光の中に、何やら人心をほっとさせる何かが含まれているような気がします。前に書いたように、今年も何が起こるか分からない企画が毎月のようにあるはずで、そのつど、NEWSの欄にてお知らせを出しますので、どうか注目してして下さい。

某月某日
眠れない夜。今晩は横浜のクラブ「JAZZ IS 」にて、井上淑彦氏(SAX)のグループで演奏。なぜだか全てのサウンドが決まりまくり、なぜだか演奏は留まるところを知らず、なぜだか全てが思うがままに行ってしまった一夜。帰宅し、少量の食事をし、さて寝るという段になっても、脳みその回転が止まらない。好きな本を読む気もしない、大好きなマグリットの画集を見てもあまりピンと来ない。立っても座っても落ち着かない。タバコを吸っても意味がない。明日に向かって建設的計画を立てようにも、アイデアが浮かばない。その方面の脳が動かない。深酒は悪循環であることは、もう何回も失敗をしているので、なるべくそのことは考えないようにしているのが精いっぱいである。居ても立ってもいられないというわけでもないが、他の仕事をしようと思っても手につかない。ぼんやりしているようで、色々な想念が、何の脈絡もなく浮かんでは消える。その浮かんでは消えるという状態にも疲れているのに、それが止まない。相対的にあまり居心地の良い状態ではない。いずれは眠れるだろうという楽観的考えを持つ余裕もない。音楽も聴きたくない。何もしたくないが、ぼーっと起きていることだけというのもいやだ。何かが落ち着かない。疲労しているのかしてないのかさえ良く分からない。こんな状態で、キーボードを打っていること自体マイナスな筈なのに、何か書くということだけはかろうじて負担にならない。秋の夜長にはまだ遠い。

某月某日
本日は嵐のような天気であった。雪が降るという予想に反して、叩き付けるような強い雨粒が、終日窓の外を乱舞していた。かのような天気の中、外に出るのが億劫であったので、日がな一日練習していた。夜を迎えるにあたって、鬱勃たる気分になる要素は、今日一日の中に詰まっており、こういう日を何度もやり過ごしてきたから、夜、どういう結果を迎えるかということは先刻承知であった。だから覚悟して家にこもっていた。日がな一日と言ったって、昼過ぎから始めた練習は、やはり夜10時過ぎまでは、神経が保たない。さあこれからが本当の意味での自分との戦いの時間である。指を動かすということは、相当脳に刺激を与えているようで、練習を終えたからとて、体は休まるどころか、真空のような状態となる。こういう時こそ自分自身が自分自身を用心しなければならない瞬間なのだが、どうしても余計なことばかりを考えてしまう。いったい僕には、この世の中に存在する意義や意味があるのだろうか、などという、答えがないと分かっていることをズーンと考え込んだりしてしまう。気分転換にニュース番組などを見ても、世の中ろくなことは起こっていない。後はスポーツだが、全く興味がないので感想は書けない。なぜニュース番組は、事件、政治経済、討論その他の後にすぐスポーツとなるのだろうか。その間に少し、音楽のことに限らなくても良い、何らかのアートに関する時間を、短くてもはさむべきではないか。という具合に、ニュースを見ても鬱勃たる状態は、さらにその深みを増すので、好きな本を読むことにする。しかし、僕の好きな作家というのが、世の中の真をついていたり、鬱勃たる作家が、鬱勃たる情念で、その鬱勃たる思いを吐き出しているものが好きなので、これまた鬱勃たる自分に、良い効果はもたらす筈はない。かといって読むのをやめることも出来ない。それらの作家の本の体裁は、エンターテイメントであるからである。読後感の脳みそは、なんだかいやな感じで雨の音を聞いたりしている。ニュースを見ていると、いま一番地球にとってもっとも必要なことは、この世の全ての人間が、次の瞬間一人もいなくなることなのではいかという、壮大にしてとんでもない思惟が頭をよぎったりする。この世から、全ての自我が無くなる。まったくもって自然な世界ではないか。健全なんて言う立ち腐れた言葉より、無になるということは、すばらしいことではないか。まあ、こんなことをぐるぐる考えていても、ピアノが弾けるという第一点のみにおいて世の中に引っ掛かっている僕だから,難しいことは、その筋の専門家にまかすしかあるまい。というのが、今のところ僕の思考の限界点で、この時点でのコンプロマイズである。しかし、あるとき、この限界点を超えたならば、僕はいったい何を考えどういう行動を起こすだろうか。自分のことが気が気でならない。まあ、いずれはこういうだるい苦悩も、永遠には続かないという救いはあるにしても。

某月某日
新年三が日を過ぎたら、仕事始めのことを日記に書こうと思っていたのだが、タイムフライズの言葉の通り、もうすでにいくつかの演奏の仕事をこなしてしまったし、今年一年の先行きを何とはなしに計画立てている時期と成ってしまった。新年は、ぼくがCDを出しているイーストワークスエンターテイメントへの年賀により始まった。ついこの間のような気もするが、もうすでに1月半ばである。だからといって、時がいつも思いっきり早く自分のまわりを通り過ぎて行くかというと、そうでもない。時間が長く感じられる時も無数にあるわけで、そういう要素を含みながらのタイムフライズの日々である。熱いラーメンは熱いうちに喰わねばまずくなるし、気長に待った方がうまく行くこともいくつかある。これは日々日常全般を含めた僕の感想だが、なぜかこのフラジャリティに反するものが一つある。それはお金のことである。以前の日記にも触れた通り、12月はなぜか出費が増えるということを記した。しかし、今年はどうしたわけか、この一月でさえ、もうすでに、なぜか出費がかさんでいる。このことに関して、時間に関するフラジャリティには、生活の中に緩急を求めることができるが、お金に関してはそうはいかないらしい。どうも今年はそういう巡りをかいくぐる年なのかもしれない。ギャンブル、株、その他諸々のことに何の縁もない僕であるが、将来の布石に、将来のためにと使うお金ばかりがふところから流出して、へその位置にあったズボンが骨盤まで下がってしまったような気がする日々が続いている。いったいいつまで自分の布石のために身銭を切らねばならぬのだろうか。骨盤までさがったズボンをずりあげながら、散歩をしていると、また不運にも幸運にも、新しい古本屋を見つけてしまい、さがしていた本がそこに売っていたりしてしまう。ズボンが骨盤より下がれば、これは自分だけの問題でなく、社会現象的に制帽をかぶった人にしょっぴかれるという事態にあいなるが、それを承知のうえで、またなけなしの金で古本などを買ってしまう。死んだ作家をその人が死んだ後に惚れ込むほど、はかなく悲しげなことはあるまい。新作を待つという期待感を持てぬからだ。しかし、古本屋には、たとえそれが新作でなくとも、見も知らなかった贔屓の作家の埋もれた一冊を見つけることができるという効能がある。これは逆に言って、新作を待つよりもうれしいことであるのかもしれない。当然出るべく新作を待つ期待感より、思いもかけぬ旧作である新作を手にする喜びには、新作をあたりまえに手にする以上の喜びがある。しかし、そういう旧作の新作を見つけた時にかぎって、ズボンが骨盤のまわりを囲んでいる時なのだから、うれしいやらやるせないやら。なんだかんだ考えたって、どうせ体はその本に吸い寄せられ、ページをめくりにんまりとし、気が付いたら金を払って買ってしまうのは目に見えている。いま僕の贔屓の作家は、ある詩人なのだけれど、この人の詩は、自らの身を削り、多感だからこそニヒリスティックに世渡りせずにはいられなかった人のもので、共感するところが大いにあり、目下熟読中。ずり落ちそうなズボンを両手で押さえつつ読んでも後悔しない内容の本が手に入った。まあここで、生活の中の時間の緩急と、お金とのウ゛ァランスがとれればもっとも理想的なのだが。なかなかそうは問屋が卸さないようだ。

某月某日
去年から、買ったままうっちゃっていた本のページをめくる、というのが、本式に正しい正月の行いではないだろうか。松岡正剛著「遊行の博物学」という本を去年からほっぽってあったので読み出した。正月の単調さをもてあますことの無きよう用意されたごとき書物である。こんなことを言っては著者に失礼かとも思うが、一行一行考えさせられる知識や内容が、ページをめくるごとに現れでて、僕の知りたかったこと、知らなかったことがずいぶん書いてある本でもある。たとえば、文化の対称性という項目には、平城京の朝は、水時計によって時間が示され、奈良朝の生活は、夜明けの一時間ほど前から始まっていたとある。このように、朝に仕事をすることから、朝廷、王朝とかいう”朝型”の名称が生まれたと書いてある。なるほどと、膝をたたきたくなるような内容。こういう歴史の授業を中学時代にうけていれば、成績の方も、どうにかなったのではないかと思うほどの快さ。いずれにせよ、支配者は、大勢の人間を朝早くからこき使うことができたということであろう。現代と変わらぬではないか。僕などこのシステムから逃げ出したいがゆえに、夜型の仕事を選ぶ人間になってしまったような気もするが。この本は、世が静かなうちに読み終える予定である。再びジッポーのライターをなくした。しょうがないので、今度は、新宿のとある喫煙具を売っている店に行き、新しいデザインのものを購入した。新宿はたいした人混みで、破魔矢などを持ったカップルが大勢うようよしていた。紀伊国屋書店の地下で食事をす。ここに並ぶ食堂は、全部安くなかなかいける。なぜかこの地下道だけ僕の大学時代からあまり値段が変わらぬ。ナポリタン大盛りで700円以下である。ナポリタンといえど、ケチャップの味ではない、が、ベーコンとタマネギ、ソーセージの輪切りなどが入っている。いずれにせよ、すかしたイタリアンレストランより秀逸である。なんだかんだ言ったって、ワインの知識も、イタリア料理に関する知識にしても、いまだぼくにとっては曖昧なもので、子供の頃から食べ慣れているナポリタンが、スパゲッティーミートソースと並ぶ、定宿のような味なのだ。粉チーズをいくらかけようがおかまいなし。蕎麦のようにすすりこんだって誰一人としていやな顔をする客もなし。この場所は貴重だ。アメリカでの生活を含め、財布、金、貴重品の類をなくしたことも、落としたこともない。なぜかジッポーだけが身に付かぬ。あれは去年の暮、EWEのT氏とミーティングをし、そのまま何軒かハシゴをして、途中からなぜかEWE子飼いのキューバ勢と合流することとなり、軽く酩酊しながら飲みなおし、タクシーに乗り帰還後、タバコを吸おうと思い、あらゆるポケットをごそごそと探したが、ライターだけ消えていることに気付き、ああ、またなくしたんだと思いつつそのままその日は寝てしまった。翌日の夜、覚えている限りの立ちまわり先に電話をかけたが、どこも、そういう落とし物はないという返事であった。初めて、なくしたということの現実に直面した気分で悲しかった。日本に帰ってきてからこのかた、三度ほど私のジッポーは行方知れずとなっている。今回新しく購入したものも、いつまで僕の身のそばで灯をともしてくれることか。いずれにせよ、100円ライターで灯をつけるタバコの味は、やはり100円の味がし、綺麗な女性がつけてくれるタバコには、また独特な味わいがあり、僕のほんの少しの贅沢を、できれば一日でも続けられるようにしたいものだ。たかがタバコ、されどタバコ。

某月某日
新年早々、新宿ピットインにおいて、芳垣安洋(DS)水谷浩章(B)と三人でトリオで演奏した。幸い、年末にはあまり仕事が無かったので、この仕事に向けて十分な準備をすることができた。ピットンから話があった段階でスタンダードをプレイすると申し出た。ある意味で自分に対する挑戦であった。三者三様のアビリティーを惜し気もなく演奏の中に盛り込み、同時に、スタンダードチューンの枠組みを大切にするという試みが、僕の狙いであった。日本の音楽にありがちな、おどろおどろしい湿気た音の要素も排除したかったし、途中から不自然にフリージャズとなる展開も避けたかった。同時に、舶来の音のみで音楽をするのも何か気が引けるところがあった。これらの要素を同時に考えあわせれば、演奏内容のチョイスは自然狭まるような印象を受けるかもしれないが、僕はそうは思わなかった。何かが起きる、もっと違う方向があるはずだというイメージがあった。華々しい試行錯誤の末、曲順を決め、簡単なアレンジメントを決めて、セッションでありセッションでないような道行きを曲間の随所に埋め込んで本番の場面を想像した。新宿に向かうべく山手線に乗る。頭の中で自分がある程度組み立てたアレンジメントを反すうしているうちに、JR原宿駅と代々木駅の中間で新年を迎えた。なぜか殺伐たる瞬間でもあった。カウントダウンとか、2005年になったという感慨も、何もわかないうちに新宿駅に着き、ピットインに向かった。思ったっ通り、思った通りに行かず、それが狙いであったので、演奏していて非常に楽しかった。音楽の成り立ち、進行その他が、ぜんぜん僕の想像していたものと違った方向に向いていったからである。同時に、僕の心の中の企みは充足したのだった。思ってもいなかったことをすることを思っていたからである。正月早々絵に書いた餅が、本物の餅になって、頭の上にぼたぼたおっこってくるようなエキサイティングな内容だった。無意識に自分自身を裏切ることの楽しさを満喫できたとも言い換えられる演奏。新年早々ピアノの鳴りは絶好調であった。今年も綺麗なピアノを弾きます。ご期待下さい。

某月某日
過日、少し早めの大掃除をはじめたら、夜中の三時過ぎまでかかってしまった。いかにロマンティックなピアノを弾こうとも、日常生活から自分を切り離すことは出来ない。況んや、綺麗な環境でないと、良い曲も浮かばない。これは凡才の限界を示しているのかもしれない。坂口安吾の小説の口絵の写真など見ると、見事に散らかった日本間に、一人安吾が原稿用紙に対峙しているものをよく見る。この手の写真をよく見ると、散らかり方が見事だ。戦後すぐの状況を鑑みても、こういう風に散らかすにはある一種の才能が必要であろう。僕にはその才がない。こういう日は不思議と来客もなく、また電話の本数も少なく、ただ黙々と、普段住んでいる空間を磨きあげる。色々な掃除用具を買ってきてはみたが、やはりぞうきんがけというものが一番効力を発揮するようで、特にスティームクリーナー等、やはり落ちない汚れは落ちない。丹念に掃除するということが、やがては大きな効果をもたらすことを知る。しかし、いかにぞうきんがけが万能であろうとも、風呂場の掃除はある種の科学洗剤に頼るところが大きい。壁に根を張るカビ等の汚れは、腕力と根気ではどうにもならない。科学洗剤を使いながら妙な発想を繰り返してみたくなる。科学洗剤とともに落ちた汚れは下水管を通り、紆余曲折の後、いずれは海に到達する。その条件の元で魚は育ち、日本酒でいっぱいやりながら食べる刺身には、遠い、僕の大掃除の記憶が味にしみついるのではないか、云々。かといって、あまりにもこのことに対して神経質になると、掃除自体の効率は下がる。科学洗剤を使うところは思いっきり使い、ぞうきんがけが有効なところはぞうきんをかけて、黙々と働く。夜になって腹が減ったのでおかめ蕎麦を出前にて注文し、丁重に手を洗いすすり込む。蕎麦を喰ったことによって出た汗をタオルで拭きながら煙草など吸っていると、年末の雰囲気がでてきた。おかめ蕎麦はかまぼこがたくさん入っているので好きだ。あれは日本製ハムであろう。体を動かしていると、つゆの塩分が体に沁みるかのようだ。農作業はわざとゆっくり体を動かすという。あまりテキパキと体を動かしていると、昼過ぎにはくたびれてしまうらしい。それに習って、ゆっくりと掃除をしていたら、あれよあれよという間に午前12時を過ぎてしまった。これから先は、一軒家ではないので、なるべく音をたてないように隠密年末大掃除モードにきりかえなければならない。やれることが狭まると、逆にやることが見えてくる。夜中のカラスの声を聞きながら、思わぬところにたまった汚れやゴミを丹念に掃除をしてゆく。普段自分がいる場所、僕の仕事は居職の面もあるので、丹念に掃除しなければならぬところは、自然と毎日気付いている場所であり、そういう所を綺麗にしてしまうと、まわりももっと綺麗にしないとバランスがとれなくなってきて、いくら時間があっても足りなくなってきてしまう。一日中無言である。音楽もかけない。一応ケリをつけ、見違える様になった室内を見回しながら一杯のむ。今日は28日だから、たぶん、大晦日にはまた簡単な掃除をしなければならなくなるであろう。東京は、他の都市に比べ、ホコリの多い街に思える。これを恨みに思っては、東京の生活は成り立たない。

某月某日
本日は、菊地成孔氏とEWEの高見一樹氏とのミーティングがあった。最初に落ち合う場所は、新宿風林会館のパリジェンヌである。久しぶりに多種多様な→の方々を真直で見た。銀座のナイトクラブでピアノを弾いていた頃のことを色々と思い出した。「TOUCHES&VELVETS」の第二弾についての相談と、今度菊地氏と双頭プロデュースすることになったとある映画音楽の話、「TOUCHES&VELVETS」の興行の件について話は始終し、後、場所を変えて、近間にある某中華料理屋で、三人で忘年会状態となった。忘年会というもの自体、僕はあまり好まないけれど、それも飲む相手によるのである。紹興酒が進むにつれ、言わなくても良いことをべらべらしゃべり出したのは、お恥ずかしながら僕自身であり、この国難の時期、わが国はどう行動すべきか、何を一番大切にすべきかと言うことを、辛い中華鍋を前にべらべらしゃべりまくり、文化人の誰と誰がエセ左翼で、誰と誰が本者だとかいったたぐいのことまで、独断と偏見でしゃべり続け、件の二人はその持論に笑い転げるので、さらにまた下らん講釈に熱が入り、ああでもないこうでもないと言っているうちに、あっという間に3時間ほど経ってしまった。我ながら不覚である。答えの出ないことに時間を費やすほど無駄なこと無しと普段思っているくせに、アルコールが脳内に回るとそのことを忘れる。しかも、ばりばりの中国人がやっている中華料理屋の中において、中国原潜の不法侵入について熱く語っている俺はいったいなんなのだ。よく食い物に毒を盛られなかったものだ。たぶんもっとタチの悪い客が多い店なのだろう。そうでなかったら、今頃豚の骨といっしょに、ポリバケツの中で「海ゆかば」などを絶叫し、制服のお兄さんたちに連れ去られているところだ。しかし、相手が相手だけあり、座は和やかで、議論紛糾することなく、よたよたと店を後にした。一番大切な仕事の話をほっぽらかして、ナマな憂国論などぶちあげるとは、根本的に真面目なんだか不真面目なんだか自分でもよく分からない。なんだかんだ文句を言おうと、中華料理屋の味は絶品であった。

某月某日
本日はひさしぶりに、我が家のピアノの調律をした。このピアノを購入してからずっと同じ調律師に頼んでいる。その方が、ピアノの癖や、摩滅の段階が時期を追って分かるのではないかと思い、意識的に他の人に変えることをしなかった。さすがはプロであり、ピアノの音は見違えるように磨きぬかれた。調律する姿を横で見ていて不思議なことを考えた。僕の脳みその調律はできないのであろうか。それは何を基準に、誰がするかというところが、大問題となること必須であろうけれど、弦の張率を安定させるがごとく、脳内も安定した張り具合になれば、この世の中に僕自身として、もっと住みやすくなるのではないか。健康優良児、優性遺伝の轍を踏めば、ナチスや、50年代のアメリカのわけの分からない差別へとつながる。ヒットラーユーゲントの青年たちの目は輝いていた。皆同じ目の輝きである。これは異常だ。薬に頼らず自分の脳内をうまく調律できれば、イライラの原因となる世のあれこれともっと調和して生きてゆくことができるやも知れぬ。一番安易な、そして安易な方法は酒を飲むことで、酩酊すれば、調律の狂いに気が付かぬようになる。しかし根本的な調律の狂いの修正にはおよばないだろう。僕は精神科にかかるほどの、体調的、精神的な問題が今までなかったので、その門をくぐったことはないが、そういう場所に行ったら行ったで、何かしらの病名をつけられるのは必須であろう。山本夏彦氏の随筆の題に、健康人は本を読まないとある。この一言を持ってして、僕は健康ではないということがよく分かる。精神的に健康な人は音楽を必要とするのだろうか。

某月某日
年末が近付くにつれ、世の中もざわざわしてきて、繁華街などの人出も自然と増えてくるようだ。毎年この時期に思うことだが、12月はなぜか持ち金の減るのが早い。特に他の月とかわった行動をしているわけではなく、豪遊などは夢の夢、クリスマスも来週からが山場となる。なのになぜか、月々使う分の持ち金が、他の月と比べ、ひゅーひゅーと我が身から離れてゆく。そういえば最近木枯らしが吹いたなあと感じることがなくなった。異常気象のせいであろうか。木枯らしが吹けば、温かい家庭に焦がれることになり、自然と家路をたどる時間は早まる。畢竟、金の使いどころが減るというのが理であるが、一人暮らしの気軽さ手軽さは、この点、善くも悪くもある。そこいらを意味もなくほっつき歩いたり、衝動的に古本などを買ってしまったり、その本を読みながら一杯どこかで飲みたくなってしまったり、帰りに寝酒を買いに酒屋に寄ってしまったり、こんなことをしていると、木枯らしが吹こうが吹くまいが、財布はどんどん軽くなってしまう。金というのはあれは確かに、札に印刷のある通り日本銀行券であり、既に兌換紙幣でなくなって何年経っているのか知らぬが、皆が一律に、これは一万円だと思うから一万円であるという、ひじょうに確固とした、そしてもろい概念の上に成り立っているような気がする。だからって、ただで一万円ちょうだいといわれても、あげたくないという心理は働くのだから、始末に困る。さらに、お金をあなどると、信用もなくるし、精神的にも貧しくなる。困った代物だ。閑話休題、実は僕にはお金に関して一つ困っていることがある。二千円札の裏の和歌が読めない。例えば、外国から来た友人に、「ヒロシ、コレハナンテ書イテアルンダイ?」なんて聞かれた日にゃ、私は日本人をやめねばならない。自国の札の文字が読めぬということは、ひじょうなる恥なのではないだろうか。インドの札には何種類かの言語が印刷されているようだが、それは理由を説明すればすむことだ。わが国は、日本語で成り立っているのだから。あれ何て読むんだろう。

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