練習2

早朝起きた時一番頭が冴えているし体力的んも充実しているので、散歩の前にピアノの練習をしている。かれこれ子供の時から始めて何年練習しているのだろうか。年数を考えるのも嫌になる。例えば25年練習すればもう習得できるとかいうある意味での映画で言うFINEが有ればどんなに精神的に開放されるだろうか。20年で終わらないのは歳を追うごとに肉体的条件が変化するからであって、私がアメリカの音楽学校に行っていた時の様に、今の年例で10時間練習してからセッションもして、あとで酒を飲みに行って朝方部屋でぶったおれるが、朝6字から空いていたプラクティスルームには、なぜか毎日ちゃんと行っていて、へばる事もなかった。今同じ事をせよと言われても無理だし、多分体が壊れる。何とか己が体と折り合いをつけてやっていくしかなくなってきた。しかし同じ事を生徒さんの側から考えてみよう。生徒さんにも一番教えたら見につく時間というものがあるのではないか。例えばA氏は午後三時が一番学びに適している時間帯だとか。しかし生徒さんもお勤めをしていたり、それぞれ事情があるので、中なかそこはうまく時間を組めないだろう。しかしこちらは本業なので、朝の時間が一番良い様だ。午後はその勢いで作曲に当てる事ができれば完璧だが、するとお天気の良い日もあまり日を浴びる事もできず、運動不足にもなってくる。完璧に完璧なる1日を過ごすのは無理だ。否、そういう日があっても長くは続くまい。無理は長続きしない。さいわいというのも変だが、コチトラ自由業で雑用の数ならエベレストのゴミ位上に有るから、そんな完璧な日はなか中すごせない。しかしそちらが本当は本行なのだが。ど地らにせよ朝練は指の為にも続けるつもり。さいわい練習する事がない、という状態には死ぬまで落ち入らないであろう。

 

 

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