某月某日
やっと体がこの暑さに慣れてきた。魂が行方知らずになってしまう瞬間がまだ少しは残っているが。今週はライブが立て込むので、気を張ってしかもリラックスしなければいけない。老舗という言葉に対する概論は三者三様であろうが、明日、8月10日に演奏するジャズクラブ、横浜エアジンは、誰もが、どこかで、少なくとも、ジャズの老舗として認めざるをえない歴史と貢献を、我々音楽の世界の人間に与えてきた、貴重な場所であることは確かだ。出演メンバーは、井上淑彦SPECIAL QUARTETである。他のメンバーは、ベースに水谷浩章、ドラムスに田鹿雅裕である。文句なしだ。井上氏はご存じの通り、自らのレギュラークアルテットを持っている。このスペシャルの方は、僕が井上氏と演奏がしたいが為、グループを組んでいるといっても過言ではない。井上氏の優しさは滋味となって体からあふれている。それがサックスの音に影響をおよぼさぬ筈がない。優しさの中には、荒々しさも、ダンディズムも、孤独も、懊悩も、全てが包括されているけれど、その全てを、自分の音楽とともに一度乗り越えた一人の男が、粛然とサックスを吹いている。僕はこれがジャズという音楽のひとつの魅力であると思う、と同時に、サックスという楽器が、ジャズという音楽に使われた主な理由ではないかとも思ってもいる。上記したような感情を、時には同時に、時には個別に表現することが可能な楽器であるからだ。井上氏はサックスそのものであり、サックスも、井上氏そのものである。レンチャンにて11日には、新橋にあるジャズクラブ、SOMEDAYでも演奏する。当然のことながら、場所が変われば、演奏も変わる。楽器の鳴り方が違ってくるし、観客とプレイヤーの物理的距離も異なる。そのことを計算に入れたり入れなかったりして、我々はその場その瞬間を最大限かっこいいものにしようと演奏する。これが我々のミッションである。12日は、我がグループ、GO THERE !での新宿PIT INN公演である。思わず公演という字を選んでしまって、何か大仰な言葉だなと思い、辞書を見てみたら、「公演:多数の観客の前で、演芸、音楽などを演ずること」とあった。そう、公演とここに書いた以上、我々は、「多数の観客の前で」音楽を演じなければならない。分かってると思うけれど、演芸は無しだよ。先月の半分を、コペンハーゲンで過ごし(詳しくは過去の日記参照)、新しい曲を一曲書いたので、それを初演するつもりである。メンバーは言わずと知れた、ベース、水谷浩章、サックス、竹野昌邦、ドラムス、芳垣安洋である。このグループはすでに五年近く同じメンバーで活動しており、自分ながらそういう長いスタンスでグループのリーダーをつとめるのは生まれて初めてであるから、これからどうなるかは誰にも分からない。まあ、そんなこと言出したら、世の中一寸先は闇である。自分のグループだからといってこれを庇護するつもりもないが、演奏を聴いていただければ一目瞭然ならぬ、一聴瞭然であることがある。それはまだこのグループがさまよっている状態にあることである。言い換えればドリフタ-ズである。あ、少し演芸に話が近くなったかな。いずれにせよ、少なくともこれは僕にとっていい徴候である。同じ曲を何度やっても、同じアプローチはとらない。メンバー全員、演奏中のその瞬間に、一番面白そうなことを探し、また突発事項が起きないか、てぐすねひいて待っている状態が、演奏中に横溢していると思う。僕はもう全てを彼らに任せて、好き勝手をやっているだけである。幸せだなあと思う。皆のおかげである。新曲は、コペンハーゲンの清涼なる空気の中で発想を得たものであるから、このどろどろの湿気と熱帯夜の東京に、それがどう響くか分からないが、とにかく演奏してみるつもりだ。その楽曲が、その場にフィットしないと言うことさえも、面白くしてしまえばいいのであるから、余り心配はしていない。さて13日は、再度、井上親分のグループで、横浜のJAZZ ISというクラブにて演奏する。このクラブには、ものすごく性能の良いアンプとスピーカーが有って、普通の家では聴けないものすごく良い音のジャズが聞ける。巨匠の前達の音々が、まるで目の前で演奏しているような臨場感と共に。自分が演奏しに行っているのに、ほかの音に聞き惚れてどうするんだと言う原始的怒りの声がお客さんから聞こえてきそうだが、事実なのでしょうがない。良く知っている名版などでも、聞こえない音と言うものが、今まで沢山有ったのだなあと思わせるほど、JAZZ ISの幕間に聞こえる音楽は、レヴェルが高い。井上氏はここの臨場感と、音の鳴り方が好きなようで、よく僕も仕事に誘ってもらうのである。またエアジンとは違った意味で、魅力ある空間である。しかし、似通っていることもひとつある。場所が横浜ということだ。横浜の空気にはなぜかジャズが自然とフィットする。港町というところは、良い意味で危険をはらんでいるのだろう。