コペンハーゲン

某月某日
コペンハーゲン・ジャズフェスティヴァルで演奏し、同時に彼の地でデンマーク人とCD製作のため、スタジオセッションをしてきた。今回は演奏のみならず、PRODUCERとしての使命もある。EWEからこの企画を相談の上実現する事になったのだ。よって演奏のみならず、レコーディングもすみやかに終わらせなければならない。初めてこの日記を読む方用に少し説明を加えるが、僕はデンマーク人のジャズセプてットのメンバーであるのだ。CDも日本で録音したものが発売されている。(詳しくは http://www.ewe.co.jp/artists/detail.php?id=32)毎年日本とデンマークをお互いが行き来して、今回は僕が彼の地に行く順番となった次第。15日間、ジェットコースターに随時乗っているような日々であった。時間は前後するが、デンマークにいる間に起きた出来事を記したいと思う。飛行機は苦手である。あのせまい空間に大勢の人間が乗っていて、飲んだり喰ったり排せつしたり、時にはげっぷ、屁、ひどい時にはゲロ、人いきれ、体臭、すべてどこに行くのだろうか。フライトアテンダントとは別に、プロの芸者を乗せたらどうか。三味線を弾いたり、踊ったり。つまり機内で最高級の宴会をひらくのだ。成田行きの飛行機には、そういう余興があるほうが、飛行機会社は儲かるんじゃないだろうか。ついでに幇間もいたりして、「よ、にくいヨ旦那、こんなに飛行機が揺れてんのに顔色ひとつ変えず泰然とビールなどすすっていらっしゃる。前からただもんじゃアねえとは思っていたんでげすが、こっちの見込みどおりだ。ひとつこちとらも飛行機の羽根の上でひと踊りッていきたいところだが、どうにもこうにも外にでられねんでさあ。困ったもんだね、飛行機なんて、あれ、綿菓子かと思っったらあらあ雲だよ。」なんて言っているうちに現地到着ってもんが粋ってもんだ。機械に囲まれて、イスに縛り付けられて、タバコも吸えず、今モスクワの北を飛んでるとかアナウンスされても、だからどうだっていうのか。ゴルバチョフのヴォルガの舟歌でもコサック姿で見聞きできるんならまた別だが。飛行機が飛ぶ前に、タバコを吸うなと言うアナウンスがあって、その後前の座席の背もたれにあるビデオでも吸うな、というださい映像がながれる。トイレに行くと、「SMOKING IS STRICTLY FORBIDDEN」などと灰皿の上に書いてある。飛行機会社は、そんなにタバコを吸われる事が怖いのだろうか。タバコの火がもとで、飛行中機内が火事になり、墜落したという事実は何回あるんだ。以前はスモーキングシートがあったではないか。煙りの嫌いな人の為の、エアーカーテンとか、そういうテクノロジーを駆使して少し高めの料金にしたらどうか。俺ならたかくともそっちの席に乗るな。その方が飛行機会社はまたまた儲かるんじゃないのかなあ。逆に、エコノミークラスの下のクラスってもんが有ってもいいと思う。はっきりと四等切符として、切符の値段は五分の一とか。そのかわり吊り革につかまったまま、ぐうの音も言わないと念書にあらかじめサインし、水だけもらって食事なしだったら俺は四等で外国に行くね。それと大して変わらないもの、エコノミーなんて。誰がこんな中途半端な名前考えたのだろうか。一昔前の日本人ビジネスマンがエコノミックアニマルと言われていた頃、そのビジネスマンでいっぱいだったから付いた名前なんじゃないかとか余計な事を考えていたらコペンハーゲンに着いた。

某月某日
湿気のない世界。思ったより早く、体がこの環境に慣れるなという本能的な思い。何度も来ているにもかかわらず、新鮮に見えるコペンハーゲンの街並。日がさしているのにすごい雨がふったりして、デンマーク人自身も困惑している。彼らにとって三ヵ月の短い夏の意味は大きい。その他の季節は薄ら寒い曇り空の世界だからだ。今回は友人のト-ステンの家に泊まる事となっている。彼はミュージシャンでもあり文筆家でもあり、コペンハーゲンではちょっとした有名人だ。なぜかホテルの最上階に住んでいる。住んでいる建物が、後からホテルとなり、彼が移転を拒否したのか、ホテルであったところに、彼が無理やり住みついたのかは定かでない。僕には関係ない事だ。階下がホテルという事は利便性に於いて普通のアパートより優る。レセプションに行っててタクシーを呼んでくれといえば即座に呼んでくれるのだし、急遽の事体にも対処が早いと見た。いずれにせよ自分の部屋は確保された。

某月某日
時差ぼけをかかえながら、翌日深夜から演奏。壮麗なキャスパー・トランバーグのビッグバンド的企画に参加した。基本的なメンバーは、日本のEWEから発売されているキャスパーのリーダーアルバム「MORTIMER HOUSE」のメンバー、JACOB DINNESEN(SAX)、ANDERS MOGENSEN(DS)、 NILS DAVIDSEN(B)、MADS HYHNE(TB)という、日本に何度もツアーに来ているお馴染みのメンバーだ。フェスティバルなので、あらゆるデンマークのプレーヤーが、町中のどこそこをいったり来たりしている。彼らとて同じ事で、リハーサルもまばらである。最初からいたメンバーが途中から他の仕事のためにいなくなる。どこかで演奏してきた者が途中から我々のリハーサルに参加する。同じような理由で、途中からリハーサルに参加し、途中から抜けて行く者もある。結果、全員が揃った時がひとときもないという変わったリハーサルとなった。キャスパーは、その事を最初から百も承知で、そこにいない人間がなにをするかについて、そこにいる人間に言葉で説明したり、たまたまブラスセクションが全員集まった時だけ、ベース、ドラム抜きで音合わせをしたりしている。全てを目撃していたのは、他に仕事のない僕とクリス・スピード、フィンランド人のミコ・インネマンだけだった。クリスもミコも、今晩の企画で。キャスパーが海外から呼び寄せた人達である。フィンランド人といっしょに演奏するのは今回が初めてだ。聴いた事のない音色の、聴いた事のないトーンの、落着いた中に有る野獣性のような、不思議な感覚を持っている。ミコはシャイなんだか大胆なんだかよく分からないけれど、好感の持てるミュージシャンで、ゆっくりと話す英語の内容も、非常に知的に充実したものであり、デンマーク人とはまた違ったスカンジナヴィアの側面を見た気がした。クリスとは、僕が企画した日本ツアーでジム.ブラックというすばらしいドラマーといっしょにアメリカから呼んでいっしょに演奏した仲だ。5年前ぐらいの話だが。クリスはあいも変わらずアメリカ人であったが、そのプレイは鬼気迫るものがあり、数年前の記憶しかない僕には、彼がどれだけどういう状況で鍛えられてきたか、気の遠くなるようなインプロヴィぜーションを客席に提示した。すごかった。特に彼のクラリネット演奏は秀逸で、まるで、極彩色の蝶々が、沢山空を舞っているようなサウンドを出す。この夜の演奏場所はSTENGADE という場所にあるクラブで、(ステンゲ-アと発音する)夜になると外は寒いくらいなのだが、一旦家屋に入ると熱気で汗だくとなる。つまりどっと客が押しかけた。立錐の余地もないほどの立ち見状態で、ステージの上は天井からぶら下がっている照明機器によって蒸らされている。皆汗だくだ。全員で通しでリハーサルをしていないが、曲によって、全員が加わらないもののほうが数多く、つまりキャスパーはその事も頭に入れて一番効果的な時間の使い方をしていたという事だ。一曲目から立ち見の客がワ-ッと声援を挙げて飛んだり跳ねたり大変な事になってきて、演奏はその声援の相乗効果で分厚く、激しく、フリーキーな、キャスパーワールドを形成していった。僕のソロにも客が騒いでくれて、時差ぼけの頭でもやはり来て良かったなと思った。皆汗で蒸れた体で楽屋に戻る。楽屋には冷蔵庫が置いてあり、デンマーク産で有名なカールスバーグ、ツボルグを筆頭に、いろいろ見た事のないビールでいっぱいになっていた。それを皆で水のように飲む。いかに汗をかこうが、空気が乾いているので、いくら飲んでも足りません、ていう顔をみんなしている。ビールの次はハバナクラブでデンマーク、アメリカ、フィンランド、そして日本のミュージシャンがハイエナのごとくビールを飲み干してゆく。テーブルの上は一瞬にしてビ-ルの空き瓶でいっぱいになり、酔ってテーブルの角にぶつかる奴などいると、テーブルの上のビンがガチャンがチャンと床に落ちる。誰も気にしない。第二回目の乾杯をすれば良いのだ。時差ぼけで、今ここにいる時間は深夜だが、腹時計はまだ朝の僕も、この激しいお互いを讃えあう為の乾杯の儀式の中からは抜けだせない。デンマーク語で乾杯のことをスコール!という。これは英語のSCALP(頭皮)という言葉の語源的らしい。話によれば、ヴァいキングの時代、敵の頭をまっぷたつにして、中の脳みそを書き出し、そこに酒を注いでスコール!とやっていたのだそうだ。さすがその末裔達。飲む量が半端でない。良く考えるとこのビール代はタダである。店側がかってに飲めと、冷蔵庫をビールで満杯にしたのだろう。国情の違いは初日のビール盛大にタダ飲みというところからはじまった。デンマークでは午後9時頃にならないと空が暗くならない。時差ぼけ、天候の違い、深夜の仕事、初日からのばか騒ぎで、先行きはだいたい読めた。とにかく這ってでもレコーディングを終わらせ、帰りの日は定刻に空港までたどり着かないといけない。(レコーディングは滞在中最終日に予定)当り前まえの話のようだが、どうもこの初日の様子からすると、それさえも難しそうだ。三々五々皆帰るモードになり外に出たら、深夜だという事もあり、相当寒かった。着るものに困りそうだ。夏の物しか持ってこなかったから。気温は15度前後。相変わらず湿気なし。何かジャケットのようなものを買わねば。気温は日本の半分であろう。月某日某翌日の夕方、レコーディングのミーティング方々ディナーに招待するとキャスパーから連絡あり。トーステンと共に出かける。もちろん二人で沢山のビールを買込んで彼の家に行く。キャスパーはすでに二人の娘の父親となっていた。奥さんはアフリカ系だがデンマークで教育を受けた、まったくのヨーロピアンである。オーヴンでやいたチキンと、リゾットが供された。食べたすぐ後で、時差ぼけでどうにもならず、早めに退散。打ち合わせどころではなかった。しかしト-ステンの家に帰ると、さっきの眠気はどこえやら。結局明け方まで悶々とする。

某月某日
ガッチャマンも、ウルトラマンの隊員達もそうだが、人間が5人揃うとなぜ、ハンサム、肥った奴、全体のまとめ役的雰囲気の奴、二枚目半、チビが揃うのだろうか。キャスパーのバンドは6人編成だが、ハンサムなのはサックスのヤコブ、肥っているのがキャスパー、なぜか日本アニメの従来のしきたりをやぶり、彼が隊長格だが、二枚目半はベースのニルスであり、まとめ役はドラムのアナス。もちろんチビは僕である。居ないのは女性隊員のみ。彼の地に行くと逆ガリバー状態となる。だからショッピングなど楽しめない。服でも靴でも何でもかんでも、かっこいいと思ったものは、すべてサイズが合わぬ。向こうのMサイズはこちらのLサイズであり、レストランに入ってもそれは同じで、乏しいデンマーク語の知識でなんとか注文をすませた後、優に日本で3人分は有るかというものすごい量が出てくる。しかし食べ物に関しては、彼の地で3日も経つと、食えるようになってしまう。しかしそれに比例して体は大きくならぬ。自然ウインドウショッピングの達人となる。偶然入ったコペンハーゲン中心部に有る中華料理屋の前で、演奏がはじまった。目前の広場に野外ステージが設けられていて、ベースのニルスが、サックスプレイヤーのジョン・チカイなどと演奏している。何日経っても天候すぐれず、日が差したかと思ったら、さっと大雨が降ったり、毎日その連続で、良いサマーシーズンとは言えない。この日も雨が降ったりやんだりで、野外コンサートを聞いている人々は、傘をさしたりつぼめたり、中にはびしょぬれの人もいる。中華屋は屋内だから、自然高みの見物となってしまった。海外にいてこういうタイミングの良い時はめったにないので、内心ほくそ笑んだ。後、やはり中心部にすてきなカフェを発見、すてきなウエイトレスもいる。異国にてこのようにくつろげる場所を探し当てる事は重要で、いつでも立ち寄れるよう、オープンとクローズの時間を聞く。毎日が演奏、レコーディングの打ち合わせ、その他諸々のことで多忙ではあったが、東京では経験できない事が多数あった。コペンハーゲンは一国の首都であるが、中心部からバスで三つめの停留所にあたる距離のト-ステンの家で、朝4時ぐらいになると様々な鳥の声が聞こえる。東京ではカラスの声しか聞こえない。コペンハーゲンが自然に近い都市なのか、東京が異常に自然から遠いのか。おそらく後者だ。時差ぼけでまんじりともせず、ベッドに横になっていると、北欧独特の、暗くなりきらない、空の裏側も透けて見えそうなブルーの空に、星が瞬いていて、それが少しだけ明るくなってくると、まず何かしらの種類の鳥がピーと鳴き始める。それを合図のように、段々空が騒がしくなる。鳥の声は美しい。なぜだろうか、多分悲壮なる何かが鳥の歌の中に込められているからだろう。我々には決して理解できない感情を、同類に伝えるべく鳴いているに違いない。生きる術を全力で同類へ。それが人間の耳にはきれいに聞こえる。という事は、人間とは、とんでもなく残虐な、どうしようもなくシニカルな、どうにもならないほど冷徹な、まとめていえばはなはだ下品な心の持ち主と言えるのではないか。僕は自分自身人間だという事が、鳥の声を聞いていて恥ずかしかった。だってきれいに聞こえるから。きれいという事は恐ろしい事なのかもしれない。そこで我々にできる事は、多分音楽しか残されていないのではないか。鳥達へのせめてもの信号。残虐でシニカルで、どうしようもなく冷徹で下品な人間のせめてもの救いは、きざなようだが少なくとも、言語ではあるまい。すばらしい月夜の晩もあった。深夜ト-ステンの家に帰ると、トーステンは演奏中とみえて不在で、彼の広いリヴィングルームに暗闇の中歩み入った。目が少し慣れてくると、そこは真の暗闇でない事に気付き、ふと窓の外に目をやると、そこには満月が瞬いていた。ヨーロッパの屋根の向こうに。これも深夜の出来事である。冷蔵庫からビールを取り出し、ただ満月をまんじりともせずずっと眺めていた。コペンハーゲンで風流を気どってもしょうがないけれど、あまりにもその月は美しかった。僕は視線を固定して、じっと月を見ていた。窓の枠、トーステンの住んでいるホテルの屋根の線、それらは動かないけれど、月は少しづつ少しづつ左から右へと動いている事が見て取れた。もしかしてこの世の中は、ものすごく微妙なる重力のもとに成り立っているのではないかと本能的に思った。忙しい東京の暮らしの中では見い出す事の出来ぬ、また時差ぼけがあってこその一人の贅沢な時間だった。月を眺めるのに料金はいらぬ。(旅日記、不定期的に更新予定。)

某月某日
今日も日本晴れ。青空というものがまだ東京にある。智恵子抄の智恵子さんはそうは思わなかったのだろうが。昼からマスタリングのため、東銀座にあるスタジオに行く。心にどかヘルを被せ、耳はヨイトマケとなり、何度も自分の演奏を聞く。主観的に自分の演奏を聞いてしまえば、作業自体無意味であるが、自分で演奏したものであらばこそ、なかなか客観的態度はとれない。どうあれ客観的に聞き分けて、エンジニアの方々に、短い言葉で指示を出さねばならぬ。自分のイメージを機械を通して実現するのは、こちらに機械の知識がない為、どうしても発言が主観的になるがこその客観的態度が重要なのだ。自然、ふだん音楽を聞く耳とは違った耳と心が必用となってくる。何度も聞き込むので、以上のような表現となった。何はともあれ無事終了。次期新作のタイトルも決定した。「TOUCHES & VELVETS」。このタイトルから彷佛させるに能わぬ音なし。後は発売を待つのみ。10月初旬か9月末というEWEのお達しがあった。詳しくはまたニュースの欄で報告することとしよう。

某月某日
今晩、というかもう明け方だがまた眠れず。梅雨入りである。気鬱になりやすい天気のはじまりでもある。エルヴィン・ジョーンズ、レイ.チャールズ、スティーブ.レイシーが相次いで死んじまって,この世からソウルが欠け落ちるようだ。個人的知り合いでもないし、葬儀は海の向こうであろうから、参列することは出来ないが、無信教ながらうつむく。うつむいていたら、晴れの日が続き、梅雨はどこへやらという毎日となり、それはそれで調子が狂う。季節の変わり目は地球規模なのか、彼の三人も変わり目に逝った。明日は、9月に発売予定の音が完成する日である。マスタリングという最終段階のことをする。曲順、曲間などを決める作業が主だ。製作に一年近くかかってしまった。これも、全ての行程に於いて細心の注意を払ってここまでもってきたからこそのやむを得ぬ延滞。ということで、自然に、しかも同時に内容の濃いものとなる。濃いと書くと少しおおげさだが、つまり丁寧に作り込んだということだ。新しい船舶の船出に、その船尾をシャンパンで叩くのが発売日とすれば、明日は艦船の最期のヴォルトを締める作業である。

某月某日
今日の日付けだけ、僕の手帳のカレンダーの欄が一段下になっている。何の書き込みもない。5月は、休みがなかった。今日は五月の中で最初で最期のお休みの日だ。窓をあけると、心地よい風が吹いていた。隣の敷地にある木々が心地よい音をたてている。どこかで芝を刈っているのか工事をしているのか、ある種の機械音がずっと低音で鳴り響いている。その音はどうもGの音のように聴こえ、その通奏低音の上に、木々の葉がさらさらと風にざわめく音が乗っかっている。心地よいのやら悪いのやら良く分からない。空気の入れ替えがすめば、残念ながら窓は閉ざすこととなるだろう。5月はいろいろと違ったことを、たくさんこなしたので、その後片付けのような雑用が、三々五々ちらばるように残っている。こういった雑用は、無理にでも忘れてしまいたいものであるが、逆に言うと、休日という時間を利用してこなさなければならない種類のもでもある。本当に上手いこと、残骸のような雑用が、ちょうどきっかり、五月最期の日に残ったような形となった。雑用の本質は、いますぐにでも手をうたないとまわりの人に迷惑がかかる、と言った種類のものではないが、溜まってくると、相対的に色々な人や事柄、自分の仕事に影響をおよぼすといったものである。だから、雑用が溜まりそうだと思った時は、即行動に出ないと、本当に溜まってしまうのである。始末に困る。雑用魔の三角地帯である文房具屋、郵便局、銀行への道筋とそこに行く目的をはたすのに必要なものを携行し、外に出る。ポストに何やら届いている。雑用をすることによって生まれでる別の種類の雑用、雑用をこなそうと勇んで外に出た時ポストの中に垣間見る、雑用の種となりそうな封書類。頭の中は雑用だらけだが、青い空を見上げると、大きな雲が悠然と流れて行く。宮崎駿のアニメーションのバックによく出てくる風景を思い出した。昨日は遅くまで僕の最新作であるCDのトリオの音にストリングスをダヴィングする作業をした。といっても、僕は編曲家のN氏の譜面を見ながら、ああでもないこうでもないと、注文をつけるだけの役割であったが。しかし、久しぶりに聴くクラシックの弦の音色の荘厳さに陶然とす。弦楽器奏者のプロ魂を見せつけられた思いで、すばらし録音がいくつも上がった。スタジオの外に出てみると、こちらが中心になってスタジオで演奏、録音する時とはまた違った疲労感があることを知った。その余韻を味わう閑もなく、あっちこっち歩いていたら、5月中の疲れがどっとでた。今日はこれにて午後から休憩。

某月某日

某月某日
と書いても、今回だけはその秘匿性は意味を成さぬであろう。2004年5月24日新宿ピットインに於いてHoracio”El Negro”Hernandez(DS),Carlos Del Puerto(B)と共に、トリオで演奏した。重複するが、前の日記に書いたとおり、今回このメンバーでCDを製作するための演奏は終了している。その上に、豪華にもストリングスを被せるという趣向だ。しかし、プロデゥーサーである菊地成孔氏の意向で、全体を30分前後のもにしようということだったので、急遽決まったピットインでの演奏には、曲数がたらない。これはこちらが演奏日まで曲を選り抜き、アレンジをするものはアレンジし、当日演奏前に行われるリハーサル、二時間足らずの間に全てをまとめあげる、ということを意味する。あらかじめ、資料の譜面やテープなどを、EWEを通して彼らにわたしておいたのだが、いざリハーサルの時間になると、ホテルに忘れてきたとか、あっけらかんとしてい

某月某日
今日も日本晴れ。青空というものがまだ東京にある。智恵子抄の智恵子さんはそうは思わなかったのだろうが。昼からマスタリングのため、東銀座にあるスタジオに行く。心にどかヘルを被せ、耳はヨイトマケとなり、何度も自分の演奏を聞く。主観的に自分の演奏を聞いてしまえば、作業自体無意味であるが、自分で演奏したものであらばこそ、なかなか客観的態度はとれない。どうあれ客観的に聞き分けて、エンジニアの方々に、短い言葉で指示を出さねばならぬ。自分のイメージを機械を通して実現するのは、こちらに機械の知識がない為、どうしても発言が主観的になるがこその客観的態度が重要なのだ。自然、ふだん音楽を聞く耳とは違った耳と心が必用となってくる。何度も聞き込むので、以上のような表現となった。何はともあれ無事終了。次期新作のタイトルも決定した。「TOUCHES & VELVETS」。このタイトルから彷佛させるに能わぬ音なし。後は発売を待つのみ。10月初旬か9月末というEWEのお達しがあった。詳しくはまたニュースの欄で報告することとしよう。

某月某日
今晩、というかもう明け方だがまた眠れず。梅雨入りである。気鬱になりやすい天気のはじまりでもある。エルヴィン・ジョーンズ、レイ.チャールズ、スティーブ.レイシーが相次いで死んじまって,この世からソウルが欠け落ちるようだ。個人的知り合いでもないし、葬儀は海の向こうであろうから、参列することは出来ないが、無信教ながらうつむく。うつむいていたら、晴れの日が続き、梅雨はどこへやらという毎日となり、それはそれで調子が狂う。季節の変わり目は地球規模なのか、彼の三人も変わり目に逝った。明日は、9月に発売予定の音が完成する日である。マスタリングという最終段階のことをする。曲順、曲間などを決める作業が主だ。製作に一年近くかかってしまった。これも、全ての行程に於いて細心の注意を払ってここまでもってきたからこそのやむを得ぬ延滞。ということで、自然に、しかも同時に内容の濃いものとなる。濃いと書くと少しおおげさだが、つまり丁寧に作り込んだということだ。新しい船舶の船出に、その船尾をシャンパンで叩くのが発売日とすれば、明日は艦船の最期のヴォルトを締める作業である。

某月某日
今日の日付けだけ、僕の手帳のカレンダーの欄が一段下になっている。何の書き込みもない。5月は、休みがなかった。今日は五月の中で最初で最期のお休みの日だ。窓をあけると、心地よい風が吹いていた。隣の敷地にある木々が心地よい音をたてている。どこかで芝を刈っているのか工事をしているのか、ある種の機械音がずっと低音で鳴り響いている。その音はどうもGの音のように聴こえ、その通奏低音の上に、木々の葉がさらさらと風にざわめく音が乗っかっている。心地よいのやら悪いのやら良く分からない。空気の入れ替えがすめば、残念ながら窓は閉ざすこととなるだろう。5月はいろいろと違ったことを、たくさんこなしたので、その後片付けのような雑用が、三々五々ちらばるように残っている。こういった雑用は、無理にでも忘れてしまいたいものであるが、逆に言うと、休日という時間を利用してこなさなければならない種類のもでもある。本当に上手いこと、残骸のような雑用が、ちょうどきっかり、五月最期の日に残ったような形となった。雑用の本質は、いますぐにでも手をうたないとまわりの人に迷惑がかかる、と言った種類のものではないが、溜まってくると、相対的に色々な人や事柄、自分の仕事に影響をおよぼすといったものである。だから、雑用が溜まりそうだと思った時は、即行動に出ないと、本当に溜まってしまうのである。始末に困る。雑用魔の三角地帯である文房具屋、郵便局、銀行への道筋とそこに行く目的をはたすのに必要なものを携行し、外に出る。ポストに何やら届いている。雑用をすることによって生まれでる別の種類の雑用、雑用をこなそうと勇んで外に出た時ポストの中に垣間見る、雑用の種となりそうな封書類。頭の中は雑用だらけだが、青い空を見上げると、大きな雲が悠然と流れて行く。宮崎駿のアニメーションのバックによく出てくる風景を思い出した。昨日は遅くまで僕の最新作であるCDのトリオの音にストリングスをダヴィングする作業をした。といっても、僕は編曲家のN氏の譜面を見ながら、ああでもないこうでもないと、注文をつけるだけの役割であったが。しかし、久しぶりに聴くクラシックの弦の音色の荘厳さに陶然とす。弦楽器奏者のプロ魂を見せつけられた思いで、すばらし録音がいくつも上がった。スタジオの外に出てみると、こちらが中心になってスタジオで演奏、録音する時とはまた違った疲労感があることを知った。その余韻を味わう閑もなく、あっちこっち歩いていたら、5月中の疲れがどっとでた。今日はこれにて午後から休憩。

某月某日

某月某日
と書いても、今回だけはその秘匿性は意味を成さぬであろう。2004年5月24日新宿ピットインに於いてHoracio”El Negro”Hernandez(DS),Carlos Del Puerto(B)と共に、トリオで演奏した。重複するが、前の日記に書いたとおり、今回このメンバーでCDを製作するための演奏は終了している。その上に、豪華にもストリングスを被せるという趣向だ。しかし、プロデゥーサーである菊地成孔氏の意向で、全体を30分前後のもにしようということだったので、急遽決まったピットインでの演奏には、曲数がたらない。これはこちらが演奏日まで曲を選り抜き、アレンジをするものはアレンジし、当日演奏前に行われるリハーサル、二時間足らずの間に全てをまとめあげる、ということを意味する。あらかじめ、資料の譜面やテープなどを、EWEを通して彼らにわたしておいたのだが、いざリハーサルの時間になると、ホテルに忘れてきたとか、あっけらかんとしている。先にわたした譜面等に目を通していないことは明らかだ。ぼくの持参した譜面をEWEの担当の人に再度コピーをお願いしてリハーサルを再会することとす。オラシオは、そのリハーサルスタジオのドラムの音が気に入らないらしく、2~3曲演奏するうちに、レストランに行きたいとか、腹がヘッタと気もそぞろになってきてしまい、とにかくかく曲の概要と内容を相手に伝える以上の事は、あきらめて、リハーサルは短時間で撤収。後はピットインに於いてのサウンドチェックをしながらのリハーサルに頼るしかないという状況となった。ピットインでのリハーサルは、音のバランスその他、リハ-サルスタジオより格段に優ることはいうまでもなし。やっと三人のトリオの音としての輪郭が見えてきた。はっきりと。しかし、オラシオ、カルロス共に、さっき伝えたはずの各曲の概要も、なんだか勝手に形を変えて演奏している。要するに、聞こえてきた音に反応しあってお互い楽しくやればいいじゃないのというスタンスだ。「ドンヲーリ-ヒロチ-、イッツOK!」これはオラシオの口癖である。ああ-心配しないよ、オラシオ、心配してる閑なんて、どっちにしたってもうないじゃないか。客入れ時間となり、サウンドチェックにおまけのようなリハーサルを終了。カルロス、オラシオ、共々好きな酒を呑んだりしておる。とにかくこのぼくは、今回のこの仕事を、今年の上半期のメインに位置付けていた。世界レヴェルと自分がどこまで渡り合えるか知りたかった。もちろんお客さんの方でもめったに見られないこのコンビネーションに興味を抱くだろう。しかし、いざ演奏がはじまってみると、選り抜いた曲とその構成、またその曲順などという準備段階に逡巡したことなどあっという間に吹っ飛ばされるような演奏がはじまった。一言でいって演奏していること自体快楽であった。麻薬である。オラシオのドラムプレイは、グルーブしてるだのノッテルだのといった表現を超越して、ステージや、ピットインの内部全体に、彼の音が飛翔しているという感じだった。どこまでもふところが深く、ぼくが何をしようとも、あらゆる方便でそれを最高の音に瞬間的に飛ばせてしまうのだ。一番音楽のかっこいいと思えるツボへと。カルロスも、唯我独尊で好きなようにひいているようだが、ちゃんとその飛翔の瞬間にはオラシオのボトムを支えている。ぼくは二人に愛を感じた。音楽への愛。共演者に対する愛。ぼくも二人を愛してしまった。演目が変われど、このスタンスは変わらない。僕の体のまわりには、オラシオ独特の柔らかーいビートが大きな円を描いてまわっている。円だから、どこからなぞっても、その起動から外れることはない。その円を構成しているオラシオのサウンドには、総てオラシオの登録商標が貼ってあるがごとく、それはオラシオ独自のものでもある。ずっとこのまま演奏していたかった。快楽というより快楽(けらく)とう語感に近い親密度が増してきて、ぼくは本当に本望だった。だからこのまま心臓が止まってもいいと思った。彼らのやさしさ、音楽に対する姿勢とその深み、総てが全部僕の体の中に、一瞬にして流れ込んでしまった。オラシオの方をちらっと見ると、そこにはニコニコした八手観音が座しており、一種悪魔的迫力で、おい、次はナンダと問いかけてくるような感じであった。カルロスは最初から最期までマイペースであるが、決して大切な瞬間を逃さぬ野性のカンを有した、やはり悪魔的な何物かであった。自分自身、彼らにもみくちゃにされているという意識はなかった。ただ、いつもより格段と、自分のピアノの音が冴えて聴こえたのは確かである。意外な自分の内なる発見であった。お客さんもこれまでに書いた状態を一瞬一瞬目の当たりにし、客席が波打つようになっているのがわかった。ここまで音楽というものはパワーがあるものなだということを体感した。最初のセットが終わって楽屋に行くと、酒のコップを手にしたオラシオが顔をのぞかせて、僕に向かってにやりとし、「ユーテークア、キリング、キリングソ-ロ、ヒロチ-、イッツキリングマーン、ウイ-シュッドメーク ア レコード アゲイン、キリング、キリング、ソ-ロ!!」としきりに言い寄ってくるので、僕はすっかり嬉しくなってしまった。セカンドセットは、一回めに比べ、またそこに熱い炎がボウと燃えたような状態が加味された。その状態が最高潮に達して演奏終了。僕の中にはオラシオの円型のビートがもう入ってしまった。言葉では上手く言えないが、この感覚は僕が死なない限り消えない。次にオラシオと演奏する時は、すぐこの円型のフィーリングが僕の中から飛び出してくるだろう。僕は最高のサイクルをオラシオからもらった。嬉しくてしかたない。兎に角、後厄ぬけの大きな仕事は絶好調の内に終わった。

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