ブログ(続き)

交通事故の後で止まっていたブログをさすがに再開せねばならなく思い、またも文章を書く羽目になっているのですが、まあ、事故の被害者も、現場検証から、詳しい調書まで交通課の警察に協力せねばならず、またその内容が細かくて難儀をしました。更に、右手打撲、右足骨折の怪我を負い、入院は避けられたものの、医者にはあまり歩くなとの命令を下され、去年の一番暑い8月の最中、じっと家にこもっておりました。また、その医療費を国が負担してくれるということで手続きをしたのですが、信じられない量の書式に細かく事故の状況と怪我の程度を書き込まなければならず、あまり人を憎まない私も、今回ばかりはひき逃げ犯をとっ捕まえ、見ぐるみ剥いでやろうと思ったほどでした。

まあこれらのことも去年の10月頃に全て手続きは済み、おかげさまで今では演奏したり曲を書いたり、教えたりと、まあ一般人にとっては異常な日常が戻ってきたのでした。怪我の功名と言いますか、事故の後から練習方法や、音楽のアプローチに関して考える時間があったので、随分と事故前とは楽器に対するアプローチも、演奏の仕方も変わりました。これは今までの演奏活動の総括的意味合いもあると思います。そうでも思っていないとひき逃げ犯を私自身の手で取っ捕まえ、貯金家財産親戚の資産全てを一生貢がせる事に集中してしまうので、まあ良しとしましょう。

教える方法もだいぶ変わってきました。自慢するわけではなく、物理的に代官山のこの地に移り住んでからもう四半世紀が過ぎました。その間に百億人くらいの(気分的に)生徒を教えましたが、最初の頃は、熱心が過ぎて、その生徒の許容範囲を超える様な事を無理強いしていたと今から考えると気がつきますが、昨今はレッスンと言っても、風呂屋にい行く様なもんで、いい湯加減が一番ちょうど良いのかなあと思う次第です。こちらがカチンカチンの風呂には良いっているからと言って、生徒さんも無理やり熱湯にぶち込むわけにはいきませんから。

このWEBSITEも3代目で、最初は1996年あたりに、生徒さんの旦那さんがコンピュータグラフィックデザイナーで、その当時、私はLAPTOPのラも知らなかったのですが、これからはホームページの時代が来るってえんで、その時代なりのものその旦那さんお協力を通してこさえたわけですが、何しろ今から考えたらものすごく運がよく、あの時代ホームページ制作に百万円くらいかかる時代でした。それから幾歳月、何代かのWEB SITE HISTORYを経て今のこの漢字二文字が飛び出すビックりのものに落ちついたわけですが、どういう経緯で知りあったのか、このwebデザイナーはブラジル人で、このブログや、ライブのお知らせ、それに載せる写真お扱い方を英語で説明してくれるので、私にとってちょっとキザですが英語の方が、簡潔で扱い方が分かり易い。

では何故いままでブログをほっといたのかと言われれば、まあね、不精なんですよ。あははは

 

 

 

 

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