某月某日
さて、どこから日記を書き足せばいいのかわからないぐらい、色々な事柄が、11月末までに、数珠つなぎに起きて、まずそれを順を追って整理せねばならない。11月の第四週に、我がGO THEREのメンバーと共に、甲府、名古屋と短いツアーに出かけた。ツアーに出かける前日の夜から微熱を発し、これはぼくにとって大変に珍しいことで、だから逆に微熱であっても、熱を出し慣れていないので、なんだか大事のような気がして、しかも短いとはいえ明日からは演奏旅行である。意気消沈。不思議と風邪の症状である、喉の痛み、咳鼻水などは出ず、ただ体がだるいのと、関節が痛むのみ。要するに疲労しているのだろう。微熱でも、調子が悪いと、頭の中の発想も悪いことばかり考えてしまって、悪循環である。翌朝、甲府に向かい出発。集合場所のピットインに行く。バンドリーダーだから、皆の様子に気を配らねばならない。しかしこちらも微熱を発しているので、本調子でない。あまりよくないすべり出し。とにかく移動しなければならぬ。体調がどうあれ今晩は最高の演奏を甲府のクラブ「KIPS」で披露しなければならない。そうでないとこの僕の存在意義自体がなくなる。甲府のホテルに到着後、演奏開始。演奏で汗が出て体が軽くなる。風邪や体調不良は演奏によって治るということか。お客さんが楽しそうに我々の演奏を聞いている。この瞬間が一番良いモーメントである。とにかくアンコールをいただくまで演奏し、軽い打ち上げ。甲府には、元ピットインのマネージャーであられたT氏がおられる。僕がピットインの朝の部や昼の部に出ていた頃、夜の部に君臨しておられた、我々ミュージシャンの虎風荘寮長のような方である。そのT氏がサウンドチェックから終演まで我々GO THEREに張り付き、色々と面倒を見て下さった。何とありがたい。体の事がどうとか言っていられない。しかも、リーダーがショボッとしていると、ほかのメンバーにもその雰囲気が伝わってしまう。水谷浩章(b)芳垣安洋(ds)竹野昌邦(sax),それぞれが我がグループのみならず、各々のグループや、色々なシーンで、多角的に活躍する百戦錬磨の頼もしい面々であるから、グループの屋台骨が、僕の体調によって崩れ去るということはないにしても、リーダーが元気であって悪いことはひとつもない。この夜はホテルでの入浴は避け、熱いタオルで体を拭き就寝。
某月某日
甲府から名古屋に移動。我がGO THEREの面々、まったく頼もしいメンバー達である。水谷氏は、度外れた精神力と体力を有し、演奏中も含め、全ての行動において、要所要所一番大切なところを外さない知性と洞察力を持ったべーシストである。竹野氏は、その豪快な性格で、いつもグループをもり立ててくれる。しかしその豪快な行動に反して、サックスの音色はひじょうに美しく繊細で、特にソプラノサックスの音色は、彼の独壇場であろう。僕はいつも彼のソプラノの音をイメージしながら作曲をしているくらいだ。彼は、水谷氏、芳垣氏も同じく、ツアーの経験がぼく以上にあるので、移動中のぼくは、まったくたよりない存在となってしまう。移動はほとんど自動車で行われるが、毎日仕事で運転している水谷氏と竹野氏のドライヴィングテクニックは、相当なものであり、ぼくはほとんど運転席には座らない。全ておまかせ状態だ。そこに、ふっと見ると強面でもある芳垣氏が加わる。グループ内ではアニキと慕われている。慕われるに充分な底なしのやさしさをアニキは持っている。当然の事ながら、音楽の事は非常に詳しく、しかもマニア的でない観点から、その音楽の一番よい核のような部分を、瞬時に感知し、それを自らの演奏に即順応させることができる、やはり知性と洞察力を持った人物である。ぼくにとってはもったいないくらいの、満艦飾の面々である。だから微熱がどうのなどと言ってはいられないのだが。本日は名古屋のクラブ「JAZZ IN LOVELY」での演奏である。あらゆるスターがこの店を愛し、巣立っていった歴史ある演奏場所で、ここでも下手なことをすることは許されないのである。名古屋のホテルに到着後少し休憩、シャワーを浴びてしまう。今回のツアーは二回だけの演奏で今晩が最後だから、演奏後体がどうなろうとどうでもよろしい。まず風邪なのか疲労なのかわからねど、汗を流すこととした。これが裏目に出て、体にさらなる悪寒が走り、気分的にも絶不調の域にはいってきてしまった。しかし、そ知らぬ顔でサウンドチェックをこなし、またホテルにてしばしの休憩。この休憩時間から演奏時間までのぼくのホテルの部屋で何が起こったかについては、ここでは割愛する。人間、どんなに根性と気合いを持ち合わせていても、絶対勝てない二種類の発作がある。その二種類の発作を演奏時間までに鎮めなければならない。しかし、鎮めなければと言う発想があまりにも先行すると、心理的に焦りというもうひとつの厄介な精神状態を招く。気持ちを演奏に向けて前へ前へ押し進めようという精神状態は由としても、それが焦りとか、微熱による最悪な状態を想像する段階になってしまうと、どこも見栄えが同じに出来ているビジネスホテルの一室で、悶々と時を過ごすはめに陥る。とにかく、現地集合なので、ホテルから歩いて10分ほどの距離にあるラヴリ-に向かおうとするとふらふらっとした。これもぼくにとっては珍しことで、綺麗なおネイサンが目前に現れないかぎり、普通はこういう状態にはならない。タクシーをとめる。一方通行が多いので歩いた方が早い場所に、少し遅れて到着す。開演8時ということだったが、15分ほど時間を押しての演奏とのこと、ラヴリ-のマネージャーから言い渡される。何でも12件の予約がはいっており、ぼくが遅れてラヴリ-に入った時点で、客席は満杯であった。何たる僥倖。しかしこのぼくときたら、荷物や譜面をいれたリュックサックの中身をいきなり床に落としてしまったり、とにかくやること成すことに一貫性を欠いていた。これではいかんなあと思いつつ演奏時間となる。調子が悪くてもピアノの前に座ると、ぼくの体の奥底から、何か得体のしれない意欲とエナジーのようなものがふつふつと湧いてくる。我々の演奏に対し、お客さんはものすごい集中度で聞き入ってくれている。それっと勢いよく次々に曲を演奏し、無事最初のセットが終了。店内を見渡すと、何と、ジャズ界では知らぬものなしの、あの綾戸智絵をメジャーに押し上げた人物、U氏が見にきていた。嬉しいことに、盛んに演奏を誉めて下さった。こうなれば、体調がどうとか言ってはいられない。二回目のセットの最後には、リズム隊の前で無茶苦茶な踊りを披露しながらメンバー紹介をすると言う暴挙にまでいたって、全ての事が無事終了。二回目のセットの途中で帰るけど気を悪くせんでくれと言っていた大御所U氏も、最後まで聞いてくれたのだった。嬉しかった。さあもう後は体調が如何にぼろぼろでも帰るのみである。演奏後、水谷氏、アニキと一緒に、以前世話になったクラブ、TOKUZO に遊びに行く。しかし体力もここで尽きた感じになり、午前1時ぐらいにぼくだけ退散。ホテルにて、シャワーで頭を洗ってやけくそで就寝。
某月某日
短いツアーだったが、印象的な出来事が多かったことも確かである。翌朝、ホテルのロビーに水谷氏とだけ集合。他の二人は、朝早く別の仕事のため新幹線に乗って、すでに東京に向かっている。ロビーに現れた水谷氏、昨晩の鯨飲のためか、人相まで変わってロビーに現れる。聞くところによると、朝の9時まで飲んでいたとのこと。であるからして、今の状態は二日酔いではなく、まだ酒に酔った状態だとのこと。昨晩早々に退散したのは正解であったとしみじみと思う。とにかく、ラヴリ-に置きっぱあなしになっている、ベースその他の楽器を水谷氏の自動車に搬入して帰途の準備。二日酔いでなくまだ酔っていると言う水谷氏の自己申告により、ぼくが運転そして東京を目指すこととなる。帰路、水谷氏は助手席で大いびきをかいて爆睡。豪快な男らしい人物だ。ぼくにはまねできない。とにかく、富士山が見えるあたりから、ぼく自身もだんだん運転に疲れてきたが、合方が爆睡しているので、休憩もとらぬまま一路東京に向かいハンドイルを握る。もうこうなったら、体調がどうの、微熱がどうの言っていられない。無駄な時間を過ごすと言うこと自体、無駄にいただいたギャラを消費することを意味する。東京についた頃には、不思議と体調も元に戻っていた。短いが内容の充実したツアーであった。
某月某日
名古屋から帰った後、二日連続でピアノを教え、11月の最後の週となる。なぜかこの週は、大切な仕事が毎日のようにあり、少し緊張ぎみ。24日月曜日には、鎌倉ダフネでヴォ-カルのギラジルカと演奏。翌日火曜日には、大泉学園IN F .にて山田譲(SAX)太田恵資(VLN)との三人で異例のセッション。山田氏とは、ボストン時代以後初めての会合となった。翌26日は、菊地成孔氏のリーダーアルバムのためのレコーディング。我がGO THEREの面子に加え、色々な人が出入りして、スタジオ内は騒然となっていた。スタジオは新大久保にあり、久しぶりであの界隈を目にしたのだった。菊地氏到着後、早速作業の開始。GO THEREのメンバーとぼくは、菊地氏の指示によって、テンポがバラバラのアンサンブルをしたり、ぼくはぼくでソロピアノを弾いたりで、多彩な内容を予感させる。そして本当に久しぶりに、スタジオにあったスタインウエイを弾いた。おお、スタインウエイ。同じピアノと名が付くものでも、他のものと比べ、やはり別嬪さんである。教養も知性もないどうしようもないスベタと放蕩の限りをつくしていたやさぐれが、ある日、どういう成りゆきか、原節子とデートをすることになった、という、これぐらいの差がこの楽器にはあって、自分に今、この楽器に対して何ができるのか、何ができないのかが最初のうちは、不明瞭になってしまう。しかし、この困惑は逆にいえば、ピアニスト冥利に尽きるというもので、こういうタッチでこういう音が出るのじゃないかな、とサラッと弾くと、そのとおりに楽器が鳴ってくれる。この楽器と一緒であれば、長丁場のレコーディングも気が楽だ。更に、今回のレコーディングを新しい方向性へと導く意味でも、今回、綾戸智絵さんのツアーに参加している、DEEP RUMBAでもおなじみのヨスバーニ・テリーがこの菊地氏のリーダーアルバムに参加したことであろう。菊地氏の用意した素材、つまりリズムパターンと芳垣氏とのコンガ類とのコラヴォレーションで、ヨスバーニはすばらしいプレイを披露した。こんなもの聞いたこいとも見たこともないよっていうようなことを彼はやってのけた。これは後日ピットインにてオラシオ・エルナンデス、ロビー・アミーン、プラス、ジョン・ビーズリ-トリオで彼が演奏したものをはるかに凌駕したものだった。フレージングのリズムは変幻自在。音色は最高で、滑らかなレガートさの中に彼本来の猛々しさが少し顔を見せるが、一瞬にしてプロデゥーサー菊地氏の求めるイメージを汲み取り感知する。トータルで音楽的な観点からも吹きすぐることなく、ヴァランスのとれた演奏となった。菊地氏のリーダーアルバムのひとつのポイントを彼が作るあげたことは誰も否めない事実となるであろう。ヨスバーニが、スタジオにいる全員の賛美の声の中帰った後、現れたのは、カヒミ・カリイ姫であった。長くパリに在住していたヴォーカリストで、前に一曲だけ、彼女のアルバムに参加したことがあるから、初対面ではないにしても、その彼女の発する雰囲気は、いままで居たヨスバーニのものとは対極的で、つやつやした良質なフェミニン空気をスタジオにまき散らせていた。自らが歌う曲のオケづくりにプロデゥーサー席に鎮座する菊地氏の横にちょこなんと腰をおろし、我々の動向をうかがっている様子。菊地氏の作曲したアップビートのヴォサノヴァの曲を、我がGO THEREの面々とI氏という若いギタリストの手によって、まず完成させなければならぬ。しかし例によって、その場の雰囲気でわたされた譜面の内容、くり返し、各々の楽器の役割などが、菊地氏の指示にしたがって変幻自在し、わたされた譜面は、書き込みでぐしゃぐしゃになって行く。スタジオブースと録音をする側の部屋の隔たりをつないでいるのは、マイクの声の受け渡しのみで、菊地氏の音声でしか、彼の本当の意図をくみ取るのが難しい状況でもある。3takeほど録音し、プロデューサーのOKが出たので無事終了。僕の出番はここまでである。午後1時すぎから11時半までの長丁場であった。家に帰ってみたら、口がきけないくらい体が疲弊していることに気付いた。飯を食うにも口を開けたり噛んだりするのも面倒臭いほど。眠気も襲ってくる。これは僥倖である。何しろレコーディングの後は一番不眠症に陥りやすいからだ。いずれにせよ、とてつもなくユニークなリーダーアルバムができあがることだろう。
某月某日
翌日目覚めたら、何と10時間も寝ていたことが分かった。10時間も寝たことなんて、小学生だった時以来ないんじゃないか。体の疲れはおおかたとれたと見えて、体が軽い。その分なぜか、家にある電気のコードに足をからませて倒れそうになったり、テーブルの角に足先をぶつけたり、つまり寝過ぎてふらついているのである。寝過ぎる、という状態をしばらく経験していなかったので、自分の体が今どういう状態になっているかも良くわからない。頭も妙にはたらかず、これだったら寝不足や不眠の時と、大して変わらない。とにかくタバコを吸う。今日はピットインにて、オラシオ・エルナンデス、ロビー・アミーン、カルロス・デル・プエルト、プラス、ジョン・ビーズリー、ヨスバー二・テリーなどが演奏する。僕はそこへゲストで1曲だけ出演することとなっている。 (詳しくは http://www.ewe.co.jp/topics/index.php?id=45)オラシオとカルロスと僕とでは、既にぼくの次回作となるトリオのレコーディングはすんでいる。ヨスバー二とも、昨日の菊地氏とのレコーディングの際、二言三言ことばを交わして、なんだかとってもいいやつだなという印象を受けている。ジョン・ビーズリ-とは、3日ほど前、つまりIN Fに演奏に行く前、新宿厚生年金ホールで綾戸さんのコンサートのリハーサルの間をぬって会っていたのであった。この日彼らは、ピットインで演奏する曲目のリハーサルも兼ねていた。そこに僕も短時間お邪魔をして、一緒にやる曲をちょっと演奏してみたりした。一曲といっても、ゲストだからといっても、大切なことには変わりはない。にもかかわらず、僕のやる曲の譜面はないとのこと。お願いしてジョンに曲間のキメの部分のみ譜面にしてもらったが、このパートがいつ出るかわからない。ジョンの指示はこうである。適当にファンクのリズムのコンピングをしていて、最初の方はなんにも弾くな。わたしたパートを挟む時は俺が合図を出す。このパートが終わった後は、ヒロシ、お前のソロだ。ソロが終わったらまたこのパートを挟むかもしれない。俺の方を注意深く見ておけ。キューを出したり出さなかったりするから。ユーノー !という、説明になっているのかなっていないのかわからない説明を受けてはいた。10時間やすませた脳みそをフル回転させ、まずはウオームアップから練習にはいる。ピットインに行くのは午後五時以降だ。やっと今日の準備ができるということだ。譜面がないし、渡されたCDにも入っていない曲なので、曲自体の練習はできない。一曲だけというのも、やりにくい感はある。時間はあれよあれよと過ぎ去って、5時半すぎにピットインに行ってみたら、まだ機材類を組み立てている最中であった。色々とどたばたし、なんとか開演直前に一度だけキメのパートをあわせるというだけのリハーサルが出来た。川嶋哲朗氏もサックスでゲスト出演だ。彼の方は僕とは逆で、譜面のある曲を演奏するようだが、彼のリハーサルを聞く限り、何だかむちゃくちゃ複雑なテーマをヨスバー二と吹いている。譜面があればイイってことでもない。なんて思っていたら、あれよあれよと開演時間になり、たくさんの人がなだれ込んできて、立ち見まで出る大盛況となった。僕は居場所がなかったので、入り口近辺で演奏を聞いていたのだが、最初はジョンのトリオからはじまって、ヨスバー二が加わりクワルテットとなり、アコウスティックなジャズを演奏。後半に川嶋氏もゲストで参加。知的なフレーズからだんだん盛り上がりを見せ、最後のテーマまで自分の音楽を表現し得た力量は、さすがイーストワークスの筆頭若頭である。休憩を挟んで後、二部の後半に僕もゲストとして参加。僕はピアノを弾き、ジョンはキーボ-ドを担当。最初は弾くなと言われていたので、じっとジョンの方を見ていたら、彼は演奏に集中しているようで、あまりこっちを見ない。あっと気がついたら例のキメを皆が演奏している。乗り損ねたが、後半を弾いた。ヨスバー二が楽器を口から離したので、僕のソロかと思い、まず何か弾いて、相手の音を聞いて、って言うのをくり返そうと思ったら、まあ、最初の何コーラスかはそういう状態だったのだが、この世界一のツインドラムによる変幻自在のリズムの最中で気持ちが良くなってきてしまい、後半は弾きすぎた感があり。川嶋氏が筆頭若頭なら、ぼくはちんぴらの鉄砲玉といったところか。たくさん弾いてしまっったと思っているにもかかわらず、不完全燃焼な感じでステージをおりた。短い間だったが、彼らのサウンドが体の隅々までしみ込んだ。ビート感は力強いのに、サウンドは絹のような繊細さを持ち、決してドカスカ余計なことを叩かない。バンドに何が起ころうとも、それをがっちり受け止める無限大の余裕がその間をぬっていて、僕は見事にそれにほだされ、翻弄され、のせられたのだった。この感覚は忘れられない。終演後、ピットインの向いにある居酒屋の打ち上げに参加。そこには、ロビー、オラシオ、ジョンなどが参加したのだが、お互い歯に衣を着せない反省会をおっぱじめた。キューバンスパニッシュと、スパニッシュ訛りの英語で、お互いが言いたい放題音楽について語っている。この真摯な態度に度胆を抜かれた。あれだけすばらしい演奏をしつつも、まだ上を見ているということである。個人的な感想をいえば、僕はオラシオの人間性と音楽、ドラミングに、強力なシンパシーを感じており、それは、前回スタジオでいきなり初顔合わせで録音したトリオの演奏の時に感じていたことだが、今回のゲスト出演による短い時間の中での共演で、その親近感は決定的なものとなった。嬉しい限りである。彼らはジャズのことをアメリカンミュージックと呼ぶ。健康的な発想だ。たとえそれが半分ジョークだとしても。何れにせよ明日も仕事なので僕は早々の引き上げることとした。意義ある一日だった。