妙に頭が冴えた感じ

某月某日
充実感いっぱいで寝たのにもかわらず、体の随所がゴキゴキした感じで、ひじょうにだるい朝の目覚め。風邪かと思い、近くの町医者に行く。薬をもらい、微熱もあるため、一日安静にしていようと思うのだが、雑事がぼくを追い立てて、なかなか休むことができず。夜になって睡眠導入剤を飲んでも何の効き目もなし。体に耐性ができてしまったのかもしれぬ。週に二回は襲ってくる不眠症。逆にどんなに外で活発に体を動かせた後でも、眠れない時は眠れない。じゃあ、その間に掃除、雑用、練習、何でもすればいいではないかと言われる事が多いが、これがまた、体と脳がそういう方向に動かないように不眠症というものは出来ているようで、ただまんじりともせず、床やら天上を眺めて、ああでもないこうでもないといった余計な想念を払い除け、秋の風の強い晩に光る星々のような心持ちには、どうしたらなれるのかなアなどと考えつつ、タバコを吸いながら、家の中をいったりきたり徘徊するのみ。前にも書いたように、ならばなぜ、その時間を利用して、企画をたてたり、練習したりできないのかと思われる方もいるだろう。いかんせん、体も脳も疲れきっているのである。だが眠れない。ただひとつできそうでできないこと、それが睡眠で、頭も体も疲れているのに、妙に頭が冴えた感じになる時もあり、始末に困る。

某月某日
やっと体が休まったと思ったら、音楽的に重要で、更にエキサイティングで、来年の我が活動の活路を予感させるに充分な仕事が週末に二日連続してあり、そのために体調はまたもとに戻り、意識はどんよりとして、終日神経のおさまる時無しといった状態になってしまった。最初の活路を予感させる仕事は、菊地成孔氏との横浜エアジンでのデゥオである。ベースがいないということ事態、普段使わぬ何がしかの神経をふる回転させる必要が有るのに、それにもまして、菊地氏の選ぶ曲が、ビリー.ストレイホーン、チャールズ・ミンガスといった、幾何学的美とも言える作曲作品なのだから半端ではない。ドラムやベースのダイナミクスを気にしなくても良いという側面があるにはあるが、その普段鳴っている音を架空のものとして脳内や黒人のいうところのソウルの部分で鳴っているつもりとして、つまり創造して、しかもそこにお互いの接点にあまりにも大きなずれが生じてもいけない。なんせ二人だけなのだから。親密度を高めることに成功すれば、四人でやるよりその親密度が増すのに対して、お互いの接点が噛み合わなければ、お祭りの夜店で朝の牛乳を一気飲みしているような、生ぬるい甘口の日本酒を、冷めたピザをつまみにチビチビ飲んでいるような、そんな感じの不快感のみが残されるだけである。それらはお互いに避けたいし、気が合うと思うからデュオで共演するのだし、元々お客さんがそんな冷めピザ日本酒甘口なサウンドを求めているはずがない。だからはずせないところは絶対はずせない。だからはずさなかった。菊地氏も要所要所は見事にはずさず、さすがであった。またその菊地氏による饒舌性と客との言葉による駆け引きには、小悪魔的絶妙さがあり、まったくぼくは置いてきぼりをくってしまう。まあ、あれだけ人前でしゃべるのがうまいものに対しては、嫉妬とか、チクショウとか、そんないやな気分になる暇も成し。前にも書いたことではあるが、ぼくがこなした、またはこなしているサイドマンのバンドで、しゃべりが格段にうまい人がなぜだか多い。綾戸智絵さんしかりである。菊地氏との芸風やしゃべる内容はまったく異質ではあったが、この二人、やはりただ者ではなく、マルチなタレントを持ち、世に認められ、多くのファンを持っているというところも共通している。それに比べてぼくときたら、次の日のピットインでのお客さんに対するしゃべりでは、メンバー招介以外支離滅裂で、最初のセットの最後でTWO SETめを終わりますと言ってしまったり、別段あがっているわけでもないのだが、気がついたら話が横道にそれていたり、だいたい演奏中はなぜか言語中枢に血液が充分まわっていないような気がしてならぬ。サックスやヴォ-カルは、演奏中にも口唇自体を使うから、こなれているということも推測できるのだが。世の中には、バカもおりこうさんも、優しい人も、おっかない人も、危険な人も、安全な人もいるわけで、そういう人達に向かってニュートラルな話題をふるということはほとんど不可能な気がする。そこに政治理念や宗教が挟まればもっとお手上げだ。だから、ああどうしようと思って曲間にしゃべっているのが残念ながらぼくの姿のようだ。今演奏した曲は云々、次はこの曲を演奏します。といった説明調でも、何だかこれだったら無い方がましのような気もして、がんじがらめの疑心暗鬼に陥ってしまう。しかし、しゃべりとは対照的に、翌日ピットインでのGO THEREの演奏は、音楽も含めてひじょうに充実したものとなった。来年への活路がしっかり見出せる内容の空間を、音では演出できた確信がある。これしかないのである。ぼくには、扇状の札束を瞬時に数える能力もなければ、便意をもよおさずして、東横線を渋谷から桜木町まで運転する神経も持ち合わせていないし、オフィスと呼ばれる蛍光灯のギラギラした中で一日中机に座ってはいられない。自律神経、副交感神経などなどが、妙な具合に絡まってショートし、今以上に始末におえない人間になるのは目に見えている。ピットインから帰還後、冷蔵庫がからのため、近くのローソンで、適当に見繕って喰って寝た。食いものはダメでも、充実感はいっぱいである。

某月某日
津上研太BOZOの九州ツアーから帰った後、秋葉原のGOOD MANでGO THERE !,横浜エアジンで井上淑彦QUARTETと仕事が続き、本日やっと体を休めることができた。疲れが澱のように溜まっており、これはもう、風呂に入ろうが大酒を飲もうが、時が経つにつれ回復を待つしかない。と言いつつ、本日は、床屋に行った後、約午後4時半頃から酒を飲みだし、だらだらと夜遅くまで飲んでいて、自分が自分自身を好きとか嫌いとか、そういう観点がわからないぐらいの酔いかたを維持しつつ、久しぶりに友人宅でテレビなどを見る。ぼくにも投票用紙が配られるこの国を、すばらしき民主的国家と見るか、惰性で機械が年令とデータによって配った紙ッピラをもって投票させられたのか、定かではないなあと思いながら投票結果などを閲覧。これ以上の個人的な考えは、公共の場では割愛。食料の供給が滞ったりすれば、投票率は100%となろう。 ○ BOZO 津上研太(SAX)水谷浩章(B)外山明(DS)九州ツアー日記詳しい九州ツアーの日記を書こうと思っていたが、短くまとめる事にした。気力がない。某日羽田から飛行機にて宮崎まで飛ぶ。パスポートを携帯せずに飛行機に乗るのは、何だか落着かない。宮崎空港に降り立ってすぐ、陽のひかりの強さ、空気の清浄さに感嘆とす。建物や、全ての物がはっきりと見える。お決まりのビジネスホテルに荷物をおろした後、宮崎「LIFE TIME」にて演奏。メンバーはBOZO,津上研太(SAX)水谷浩章(B)外山明(DS)、それにマネージャーのO氏。違った環境での、違った客筋に向かっての演奏は、このバンドにさらなる力強さのようなものを与えた様子。席はほぼ満杯。酸いも甘いもかみわけた店のオーナー、K氏の心尽くしも加味し、コンサートは大盛況。初日ながら、長時間の打ち上げとなり、新鮮な食べ物をいただく。翌朝、熊本に移動。今夜は演奏がないので、宮崎に詳しい外山氏の案内で、海岸沿いをドライブし、きれいな砂浜へつれていってもらった。まったくもって海も雲も、申し分ないほどの豊かさで、砂浜に目を落としてよく見ると、たくさんの、そして色々な種類の貝殻が、くだけて砂浜となっている。こんなに素敵な場所は、東京近辺であれば、伊豆の裏の方に行かねばなるまい。湘南とはまったく違った景観に、我を忘れて波の音を聞いていた。ものすごいサラウンド方式によるステレオサウンドがあらゆる方向から聴こえてくる。ここに2~3時間も居れば、不眠症など事もなくなおるような気が本能的にする場所である。波の音は太くて重量感があるのだが、それが砕けて波とちる瞬間は、なんとも爽やかな音に変わる。そういう繰り返しが、右前方、左の奥の方、など、あらゆるところから不定期的にに聴こえてくるのだから、単純な意味において不思議である。一昔前の人は、一生涯の間、この音を聞きながら生きたのだろうから、なんともうらやましい。さて、宮崎をあとにして、人吉というところで地元の温泉に入り、熊本の繁華街のど真ん中にあるホテルにて荷物をおろした。まず街を散策。全てを知る事は短い滞在中不可能ではあるが、人々の動き、たちふるまいなど、どうものんびりと見える。これはひじょうにうらやましき事で、つまり繁華街のつくりは東京とさして変わらないのに、人々の動きが東京とはまったく異なる。環境に影響されないだけのなにかしらの長い歴史と文化があるからこそのものであろう。繁華街の一角にある「TWO FIVE」という翌日演奏する店に顔をだし、店のオーナーに挨拶をする。首の座った見事な顔だちの御仁で、ぼくも好感をもった。店のつくりもなかなかオシャレである。まわりには、男の欲望を刺激するあらゆる種類の店が乱立しているが、情報がないほど悲しい事はない。一気にホテルに引き上げその日はそのまま就寝。翌日、熊本城見学などに出かける。いままで色々なところに行って演奏してきたが、こういう観光などできる時間のあるスケジュールのツアーはめずらしい。姫路に行った時には、姫路城を車の中から3秒やそこらおがんで次の演奏場所に移動した記憶もある。今回の熊本城巡り、もしかしたらはじめての城めぐりかもしれない。城そのものより、全体のデザインと、城壁そのものに驚嘆す。二階屋の並ぶ当時としては、この城の存在は、さも巨大なものであったのだろう。熊本城を出て、夏目漱石内坪井旧居に行く。見事なる日本家屋。その時間訪問者はぼく一人であった。なんたる幸運。熊本城と違い、余計なBGMや団体客なども居らず、時間をかけてその空間を楽しむ事ができた。ここに漱石が暮らしていたのだと思うだけで自然と笑みがこぼれる。長年読んできた著者の、それもめったに訪れる事のない空間。静かな家だった。少しその空間で頭をぼんやりさせた後、すかさずホテルに引き返し休憩の後シャワーなど浴び気分を転換。ネオンギラギラの空間をクラブまで歩いて行き演奏開始。クラブ「two five」では、ドラムが真後ろにあるセッティングとなる。外山氏の叩き出すあらゆる種類のリズムが、体を震わせるぐらい近い。モニターなどを通さずとも空気を振動させて伝わる彼のリズムに興奮し、こちらもそれに瞬時に反応し、そこにベースも絡まって、研太氏もおおいに発奮。宮崎のときと同じく、初めて演奏する場所での、初めての客筋に向かっての演奏、これがプラスに作用さえすれば、東京のクラブで演奏している時とはまったく違う音楽の展開が見られる。同じ日本とは言え、右も左もよくわからない場所での演奏は、我々を一丸にし、いい意味でのスタイリッシュな、いい意味で頑固な、そしていい意味でのエンターテイメント性を同時にサウンドの中にこめるとができる事を知った。初めての客筋がよく演奏を聞いてくれているのが演奏者にも伝わる。こうなったらあとは、このよい状態をずっと保ちつつ演奏を続ければ、成功である。演奏後、店のオーナーW氏から、好きなだけ飲んで遊んでいって下さいと言われた。最大の賛辞と受けとめた。我々にとっては、憲法9条よりありがたいお言葉をたまわったが、ぼくだけ退散。アーケードの路上にて、お兄さん、マッサージどう?わたし台湾式のすごい技知ってる。気持ちいいね、などという勧誘を振り払い、ホテルに帰って就寝。翌日、阿蘇にある「山頭火」という阿蘇神社の近くのクラブで演奏の為、昼過ぎに出発。行程の景色がきれいであるとは聞いていたが、車内で今回のマネージャーO氏としゃべっている間に今晩宿泊するホテルに到着してしまった。荷物をおろし、かえす刀でクラブ「山頭火」にむかう。まず店のオーナーに挨拶す。25世紀の仙人のような方で、とても優しそうな目をしておられる。サウンドチェックに時間がかかった。この店自体、古い家屋を改造してできたもので、どういうバランスで、どういう配置で、どこに各々のモニターを置き、どのくらいのダイナミクスが許容範囲かという事を、少しづつ試して、又ホテルに戻る。お客さんが入ると、サウンドチェックした時の状態よりも、音が沈んで聞こえる事のほうが多い。思ったとおり、お客さんの入った後では、ステージ内の音のヴァランス、聞こえ方が少し変わってきているようだ。九州では一曲めをはじめやすい。我々は我々で、演奏の音楽的意味でのヴォルウテージを上げ、お客さんはお客さんで、酒にうまい食いものを注文してヴォルテ-ジを上げ、双方が飽和状態となっったあたりで演奏は終演。力を出し切って、ワインなど飲んでいた我々バンドのテーブルに、見も麗しい皿に乗って出てきたものが馬刺し。今まで見た中でダントツに新鮮なやつ。それをあっというまにBOZOのハイエナ軍団が一気に食べつくしてしまった。女連れでもないのに、我々このように精をつけてどうするつもりなのか、と思うほど、馬肉の栄養素が体内に吸収される原始的快楽に地酒が出れば、もう後はどうにでもなれってエ感じで夜も深け、馬肉の後に出る揚げだし豆腐などにも舌鼓を打ち、ホテルに帰還。いずれにせよ東京に居たのでは体感できない事ばかりである。翌朝、津上研太氏と二人で福岡、博多に移動。他の二人は東京に仕事があるとかで一旦帰る事となった。博多までの行程で、うまく仕事がつながらなかったので、我々二人は福岡で3~4日時を過ごさねばならない。こういう事は起こり得るもので、特に誰かを非難するわけにはいくまい。一瞬先は闇である。とにかく、久しぶりにぼくが車を運転しつつ阿蘇から福岡へ向かう。しばらく車を運転していなかったので、最近のの車の性能のよさに吃驚してしまう。アメリカから帰ってきてからこの方、いすゞジェミニにのって仕事をしていた。もちろんマニュアルである。妹が早稲田の自動車部と言う事もあり、その妹のシブイ選択によって、そのジェミニを借りて運転していたのであった。タイヤもハンドルも全てレカロでキメて、目立たないながら、良い車であった。ドライヴィングの醍醐味自体を楽しむ事ができた。今回のツアーで借りた車は、レンタカーのトヨタで、車名は失念したが、とにかくだ、ハンドルから何から全てがやさしーくやさしーくできていて、スラスラと勝手に真直ぐ走る。しかも、ナヴィゲーションシステムも搭載されており、これも初体験であった。目的地の電話番号などを入力すると、何とスケの甘ったるい人工音声が右だ左だ車線に気をつけろだの言う。ここまで至れり尽せりだと、ドライヴする事自体の楽しみや、人間のカンみたいなものが、全てにぶっちまうんじゃないかと思ったのであった。しかし、今回はドライヴを楽しみに九州に来たのではなく、道に迷う事なく目的地に決められた時間に到着する事が優先されるツアーである。あっという間に博多、福岡に到着。地元の人に言わせれば、川をはさんでこの双方の呼び名が変わるという。九州に来たのは久しぶりで、しかも土地カンもないので、ここの地名を今この日記でどう表記するか少し迷っている。あまり福岡ラーメンとはいわないところを見ると、博多が繁華街で、福岡がビジネス街なのかと勝手に解釈し、この地名を言い分ける事とす。その日は車で福岡の薄暗い地域にあるお決まりのビジネスホテルに宿泊。蛍光灯の明かりが苦手なぼくに、蛍光灯の明かりしか無い部屋にぶちあたった。暗くなっても薄暗い中部屋で過ごすのもしんどいので、研太氏と共に、洗濯をする事となる。洗う方は難無く終わったのだが、乾燥機がいつまで経っても廻り続け、1時間以上経っても中の洗濯物は生乾きで往生した。部屋に居るより、ロビー横のテレビのある簡易応接間みたいなところの方がくつろげるという、なんともやりきれない状態である。研太氏とともに、そこにある簡易応接セットのソファーにぐにゃりと腰をおろし、永遠に洗濯物が乾くのを待つ間、急に今までの疲労感が体のそこから沸き起こってきて、二人とも口元ダラアリ半眼状態となる。前にも書いたとおり、いくつかのキャンセルが出て、福岡で4日間過ごさねばならない。観光すればいいではないかと思っていたが、いざ到着してみると、その気もおきず、ホテルから一番近いラーメンやへ行き、夜は夜で、一番近い繁華街、確か天神だったかでマネージャーのO氏、研太氏としこたま酒をのみ、蛍光灯をつけずにすむ状態に自らの体をごまかし、就寝。翌朝、ホテル移動の為ロビーに集合。これから何度か博多福岡滞在中ホテルを変わらねばならぬ難民の身である。その日のホテルは昨日のものより数段上で、とにかく蛍光灯の明かりがない部屋に入れたので安心。本日は、福岡のラブFMなるラジオ番組に出演の予定。BOZOの宣伝の為である。それまでマネージャーのO氏、研太氏と三人でぶらぶらする。仕事もせず、雑用もなく、演奏もしなくてよくて、ピアノも教えなくてよくて、右も左もよくわからない土地で、ただ午後までぼーっとしているというのは久しぶりなことだった。色々と考えねばならぬ事はあるはずなのだが、脳が機能しなくなってきて、ああ、今日は晴れてよかったなあ、傘もってないもんなあなんて事しか頭に浮かばない。体を動かすと持ち金も減る。これは資本主義社会の根幹である。喉が乾けば自動販売機にコインを入れねばならず、だいいち歩いていると腹が減ってくる。何かを食べた後はタバコが吸いたくなる。という事で小銭といえどもバカにはできない。みるみる内に持ち金が減る。とあるカフェに行き着き、三人でそこを動かない事とした。何か頼んで飲み食いすれば、身の置き場も確保できるというのが、もうひとつのカフェの機能であるという事を初めて体感。キャナルシティーなるおしゃれな総合ビルのような場所の中にそのカフェはあり、ただただ道行く人をぼーっと見ているなど、一日だけ隠居した気分。夕方、ホテルからタクシーに乗ってラブFMのスタジオのあるデパートに向かう。ミュージシャンであるという事自体、すでに曜日の感覚が希薄なのに、ツアーに出て、同じ土地で何もしないでいる時間が長ければ長いほど、今日が何曜日の何日かがわからなくなりやすい。今回のツアーのこの瞬間、タクシーで移動中のぼくは、そのことを痛感した。タクシーに乗って、マネージャーのo氏につれられるまま、ただタクシーの後部座席に生き物として座っているのである。今までのツアーは、ほとんど自分で計画をたて組んできたので、行き先、到着時間など、自分の頭の中に刻み込まれていたものだが、今回はマネ-ジャーつきなので、だんだんとぼくの意識はもうろうとなってきた。痛感と書くぐらいだから、どこかが痛くなってもよさそうなのだが、曜日、日にち、時間、今居る場所、全てはっきりしなくなっても痛くもかゆくもない。ホテルでもらった博多福岡の地図を見て、今どの方面に向かっているのか地図を広げようとしたが、手はポケットの中の地図にのびない。どうでもいいのである。自分の存在自体がどうでもよい、という感覚。しかしこの感覚は、不思議と、怠惰、やる気なし、愚鈍、間抜け、アンポンタン、アホ、という状態でも更にない。自然と身についたツアー中という神経のギアーは、ちゃんと3速ぐらいに入っているし、タクシーの窓の外に展開する人波や見なれぬ街の風景から、本能的に何かの情報を得てはいる。しかし時間的感覚だけが妙にブレているといった状態。快適でも不快でもないが、楽しくも悲しくもない。完全に分裂ぎみの精神の状態。にもかかわらず、ラジオの本番がはじまれば、研太氏とふつうにしゃべり、DJの質問にジョークを交えて答えている自分とはいったいどういう生き物なのか。この生き物は、ラジオの収録後、マネージャーのO氏、研太氏の前から姿を消し、街を放浪しはじめる。彷徨いはじめる。神経のギアーはツアー中に入ったままぶらついていると、どんどん自分自身がなくなってきて、もっと無くそうと思い立ち、もっと彷徨っているうちに、不思議とホテルの前に歩き出た。駒が出たと思った。そのまま部屋に帰り就寝。資本主義にさからい、その日の晩は歩いているだけで、一銭も金を使わなかった。翌朝、まだ精神的には生き物ぎみで目覚める。ホテルとは不思議な空間である。ベッドは家のものよりサイズが大きいので快適だが、入室すると、必ず掛け布団が枕側を除いた三方、かたくかたく敷き布団だかマットレスの内側に縛り付けるようにベッドとの間に挟んである。なぜこういう事をするのか。掛け布団を剥がすのも、なかなか力がいる。ホテルが良くなれば良くなるほど、その縛りはかたいような気もする。なぜふつうに敷き布団の上にかけておかないのか。たとえば友人の家に泊まりに行き、自分の寝るふとんがホテルと同じ状態であったなら、これは意地悪な行為と思われても仕方ないと思う。もうひとつ、全てが洋式のつくりなのに、なぜ寝巻きだけが浴衣みたいな、丹前みたいな、よくわからないキモノなのだろうか。簡易パジャマのようなものは、そんなに用意したり洗濯したりし辛いものなのだろうか。ぼくの場合、寝る前にちゃんと結んだ帯は、朝起きると必ずほどけており、帯だけが胸に絡まっていて、そのキモノ状の浴衣は背中の方で丸まっているという状態がほとんどだ。起き抜けに自分の姿を鏡にうつすと、完全に惚けた明治時代の浮浪者のような格好になっている。これで帯を引きずりながら道を歩けば、完全なる人格喪失者である。生き物として起床した自分自身が、更にこのような姿となり、それを自分自身が鏡にうつして見てしまうと、思わず、おう、と自分に挨拶したくなった。と、くだらん事を考えている暇は、今日はない。今日は、研太氏のお姉様が博多郊外に住んでおられるので、そこで軽く演奏を、という事になっている。仕事が吹き飛んでも何とかするところがカタギでない我々の甲斐性というものだ。研太氏と二人で地下鉄に乗り、郊外へ出た。そのお姉様、近所の知り合いや、息子さんが通う学校の同級の親達を自宅に招き、キーボードをどこかから借りて、弟の為に、サックスとのデュオで、サロンコンサートを企画してくれたのであった。昨晩ラジオの収録以後、ぼくは姿を消していたので、詳細は郊外の地下鉄の駅まで車で迎えに来てくれたお姉様から聞いた次第。ここで単なる生き物であったぼくが少しずつ人間になりはじめた。そのキーボードとはいったいどんなものなのだろう。もしカシオトーンのような、鍵盤の小振りなものであれば、ぼくは巨人の惑星の巨人側になってしまう。小さい鍵盤を、うまく操れるかどうか。こういう発想は、人に何かを演奏する→よい音楽をクリエートしたい→自分が演奏する事になるキーボードの形状及びコンディションをきにする→とにかく新しい事態に対してベストを尽くす、といった順番で脳がはたらき始める。これは単なる丹前のお化けから人間への変身を意味する。お姉様の家には、ゆったりと広いリヴィングルームがあり、そこにはすでに、茶菓子などを前に談笑するマダム達が寄り集まっていた。その前には立派なキーボードが。宿敵巨人の惑星にならずにすんだ。早速いくつかの音をためし、エレクトリックピアノの音を選びだし、サックスと少し音合わせの後演奏開始。午後のサロンコンサート。マダム達はまんじりともせず、我々の演奏に聞き入ってくれている。ここで更にぼくは、元の人間である南博、43才、血液型Aに戻ったのだった。演奏しないと人間に成れない。妖怪人間のようだ。二回に分けて演奏し、マダム達を釘付けにしてしまった。もっていったCDも、ほとんどのマダム達が買ってくれた。更に投げ銭方式で、幾許かのお金までもらった。しかもお姉様自ら料理したスパゲッティなども御馳走になり、1・5秒ほど、はなれ瞽女の気分。久しぶりに会った研太氏とそのお姉様、尽きぬ話に花がさき、マダム達が三々五々帰った後も、お二人とも楽し気な様子。ぼくはコーヒーをすすりながら、久しぶりの家庭的雰囲気の中で一息ついたのだった。その日の晩は、我々も三々五々何となく解散し、ぼくもまた何となくホテルのまわりを放浪し、就寝。さて、そして、やっと、翌朝、クラブで演奏する日が来た。ホテルのロビーには、東京に帰って仕事を終えた水谷、外山両氏がいる。神経のツアーモードを3速から4速にギアチェンジし、クラブ「ニューコンボ」に皆で向かう。こうこなくっちゃならねえと思いながら勇んでクラブに突入し、夜8時から演奏開始。件のマダム達と研太のお姉様も演奏を聞きに来て下さった。これだ、あれだ、それだ、なんだ、どこだ、これか !というようなコミュニケーションがスムーズにバンド内で行き交って、絶妙なるアンサンブルとなる。よい演奏をすると、当然ながら良い気分となり、それがお客さんにも伝わって、時間の流れが止まったようになる。ツアー最後の曲を終わり終演。長いような短いような、満たされたようなそうで無いような、ナヴィゲ-ションの人工スケの声にも聞き飽きたような、そんな気分の中、皆で打ち上げ。翌朝、ホテルを出て空港に向かう。寄り道はしたけどね。その場所と内容は、我々しか知らない。空港に行ったら、飛行機が遅れているという事態に直面したが、マネージャーO氏のはからいで、別便に乗る事ができた。機内でビールをたのんだら、五百円とられた。暴利である。この飛行機のチケット代が一万円ならば、ビール20本と同じ。小便で動くエンジンを開発すれば、ビール会社、環境保護、酒好きの乗客にはもってこいである。いかんせん、飛行機会社はもうからない。だから五百円なのか。高尾山のコーラが二百円なのと同じと考えて、二本飲んだ。ビールを飲んでマイレ-ジをためる事ができる、という企画を誰かがたてるべきだ。これなら、全ての関係者に利潤が行き渡るはず。などと考えていたら、すぐに羽田に到着。コペンハーゲンやNYも、このくらいの時間で飛べないものかなと思う。無理だろうな。今世紀中は。というか、来世紀が有ると断言できるものは誰も居ないだろう。コペンハーゲンに一時間で到着するような世界が出現すれば、九州ツアーは、ツアーとして成り立たなくなり、山手線で新宿ピットインに行くような感覚で、LIFE TIME, TWO FIVE、山頭火、ニューコンボなどに演奏に行けるようになる。という事は、我々の稀少価値も下がり、全国区的に娯楽が増える結果となるから、やはりコペンハーゲン、NYは13時間ほどかかって行くのが正解のようだ。少なくとも、羽田を国際空港にするのが先であろう。

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