某月某日
静謐な一日だった。そもそももう夏の太陽とひかりと雲とは言いきれぬ色彩が空全体を彩って、雲が風に吹かれて二重にも三重にもなってバラバラな方角に進んでゆく。各々最新のモードのような色彩と形状で、目を離したくなくなるような素敵な青空の中を、それらの雲がただよっている。湿度は低いし、風の音がまた微妙な一日で、夜半になるにつれ少し強めに吹いてきた。朝昼兼用のもり蕎麦をかっこんだら、後は散歩と練習の繰り返しである。誰にも会わず、黙々と、体を動かし、練習をしていると、途端に暗闇せまり、虫の声が大きくなってくる。ずっと鍵盤の前に座っていることは苦痛ではない。にもかかわらず、これほどに御しにくい楽器もめずらしいと思いながら、自分との葛藤は続く。蕎麦一杯で半分空腹がよく、眠くもならず、ただただ色々と弾いてみる。教本、理論書など、巷にいくらでも売っている。その巷の書をどう扱うかがひとつのポイントではあろう。しかしこれは、だからといって、僕の音楽を聴いてくれた人に何らかの、言葉はベタだが感動なり、何がしかの表現を伝え得るとはかぎらない。聴衆も無し、第三者のいない練習という行為、以上をもってして、本番にどれだけ役立つか見当がつかぬ。まあ逆に言って、こんなことでこの浮き世の風にかろうじて吹き飛ばされずにいられるのだから、恩徳というものかもしれぬ。などと秋の夜長にぼーっとしていたら、急遽我が盟友であるデンマーク人、KASPER TRANBERG(COR)が来日するとの知らせが入った。さるデンマークのデザイン会社主催のパーティーなどで演奏するため、EWEから発売中の彼のCD「MORTIMER HOUSE」の面々と東京都内だけでコンサートを開くという。もちろん僕も参加する予定だ。途端に忙しくなってきてしまった。詳細は次回の日記にて。
某月某日
薄暗く、何やらどんよりとした世相のせいか、日々これ多少うれしいことがあったとて、時間がたつにつれ、その喜びの感覚が薄れてゆく早さが、何となく定かでない。未来への不安に対するうすぼんやりとした感じ。まあ、薄ぼんやりとでもしていなければ、たちまちあらゆる神経症の原因が我々の廻りにうじゃうじゃあるのだから、これは世相から反影した人間の本能的な防御策なのかもしれない。今年もまた薄ぼんやりと暮れてゆくのかと憂鬱な気分でいたところに阪神タイガースの優勝を、我が家のスクリーンで目の当たりにした。嬉しかった。快挙である。18年ぶりである。このうすぼんやりしたいやな空気を一瞬でもぬぐいさった彼らの功績は大きいと思う。僕自身東京生まれの東京育ちではあるが、僕の親父が京都の出身で、物心つく頃から、阪神ファンになるべく育てられたというよりも、培養されたという言葉のほうがしっくりくる。テレビの野球放送の勝ち負けに、家庭内の明暗が左右されるのだから。阪神対巨人の試合などで、大きく阪神がリードしている時など、父は御満悦で、それはそれで良いのだが、それが阪神の内野手のへまなどで逆転されたりしたらもう大変。酒の入った親父の罵声が、当時住んでいた長家のような公団住宅の200m四方に聞こえるのではないかという大きな声で、阪神いったりいー!たかがまり投げやー!と怒鳴るのだからたまらない。家族皆ことの成りゆきを見守るしかない。こちらにその怒りのとばっちりがこないことを祈りつつ。ひろし~よーみとけや、ここで三振とらなンだら、こいつアホやで、と親父がいってるそばからその投手は致命的ヒットに矢折れたりする。だんだん親父の顔がどす黒くなってくる。怒りと酒との相乗効果。こういう家庭であったので、無意識下という意味でも、トラウマという意味でも、阪神が好調だと、僕自身精神の均衡が保たれる。家庭というものが、子供に対していかに大きな影響を持っているかという、くだらない査証である。川に身を投げたり、阪神グッズを身にまとっての大騒ぎは、僕の本当の阪神好きとは少し違って、僕の場合は、心の中で静かにムフフとほくそ笑む種類のひねたファンである。気分的に何か物事に対してすっきりとした気分を味わえたのは僥倖。しかし、この阪神優勝ということだけでは、僕のうすぼんやり感は残念ながら止まない。こういうの日々に、如何様に意味付けすれば、充実した精神というものが去来するのだろう。追記:もし僕のピアノの音が好きで、同時にジャイアンツその他の球団のファンの方がこの日記を見たら、たぶん御立腹なさるだろうと思います。これは、野球好きとか、阪神命とか、そういう命題ではなく、あの縦じまのユニフォームを見ると、京都の親戚との思い出、、過去の父親との追憶ががーんと僕を阪神フリークにしてしまうのです。ですから、逆にいえば、浜中おさむが怪我で今シーズン出場できなかったとか、誰々の打率は何割だとか、そういうデータはまったく頭の中になく、阪神が好調であれば精神状態も好調というまことにシンプルなファンです。道頓堀から飛び込んだり、応援で死人が出るほどの野球チームのカッコよさは充分認識しています。ですが、僕はそこには加味していません。でも今期の優勝は心の底から底から嬉しいことにも間違いがない。どちらを本当のファンと言うかは、江戸川乱歩の少年シリーズではないけれど、読者諸兄にまかせようとおもいます。
某月某日
新曲を演奏するために費やしたエナジーは相当なものであった、まあ、演奏自体はメンバーの音楽性と芸達者な部分に支えられ、昨夜のピットインに於いての演奏は無事終了した。燃え尽き症候群の自分が、また新たなる境地を切り開こうともがきにもがいた後の結果は、これからもこの音楽をいけてるように演奏することができるという確信であった。しかし、燃え尽き症候群の後にまた微々たるエナジーを絞り出したので、何日かは人との会話が成り立たないほど疲弊す。そういう日は黙々と家事に勤しむ。本当は、気分転換にでもNYでふらふらしてきま~すてなことが書けた方が、格好が良いのだろうがそうは行かない。床を拭いて、ワックスをかけ、トイレ風呂などもピカピカにして、出前のおかめ蕎麦をすすり、冬支度の為の押し入れの整理と、家の中で修繕しなければならないものを探すとけっこうな数となり、東急ハンズなどに出かけ、必要なものを買い、帰宅後修繕にかかった後、必要な服を買いに出る。幸いsecond handのものと新品のパンツが見つかり、(パンツってズボンの事です)予算以内だったのでビールを飲み、時計を見たらもう夜9時頃であった。本日は雑用仕掛人として、家のまわりをぐるぐると歩いた。家事をやっていても、買い物をしていても、不思議なことに音楽の事は一瞬たりとも頭から離れない。実際練習の時のようにピアノの前に座っていなくとも、ふっと見た台風後の空の風景や、風の音、そして急に冷え込んだ今日の気度が、僕に何か新しいイメージをもたらしたことは確かである。こもって練習ばっかりしていると、こういう情緒的な事はあまり身の回りで動かない。この二つの事がバランスよく進行すれば、今以上に練度の高いサウンドが作れるのだが。一日休みといっても、なんだカンダ雑用があると、日が暮れるのが早い。そしてまたも外食。友人らと新しくできた近所の居酒屋で焼酎を飲む。染みるんだねエこれがねえエ、胃の腑に落ちる前に気化してんジャねエかって感じのスイ飲で、まあ、明日の演奏の事もあるから、とにかくここらでということで友人達とも解散。普段よりは運動量が多かったはずなのに、またも眠れず。岸田秀著「日本人はなぜかくも卑屈になったか」を読み出したら、ヤバいヤバい、面白過ぎてこれは徹夜になりかねんと放り投げて沈思黙考。今それが終了の後にこのような文書をかいているのである。今日の日記はあまり面白く書けなかった。
某月某日
菊地成孔氏と大泉学園にあるクラブ、IN F で再びデュオで演奏す。前回エアジンで演奏しているので、予定調和という言葉からちょっとそれたところにある安心感のようなものがあり、二人の息もぴたりと合った演奏となった。満員御礼で、クラブにもお客さんにも感謝したいと思う。曲目も前回エアジンの時とさして変わらず、ビリー・ストレイホーン、マイルス・デーヴィスの名曲などをちりばめて続けざまに演奏。曲間にお馴染みの菊地氏による絶妙なトーク、その場の空間がいい意味でのどこか音楽学校の講座風になったりと、とにかくお客さんを我々の世界へ充分に引きこむことができたようだ。ただ話のネタが、お互いが使っている薬に関することに成ると、このことに関して、どこまでが冗談で、どこまでが真剣に語るベきものか判断がつかず、僕の方は何とか答えを曖昧にしていたが、この世の中、色々と病んでいる方が多いと聞くし、遠回しな薬ジョークも、わかる人にはわかるものなのだろう、会場からクスクスと笑いがもれていた。僕はなかなか神経質なところはあるが、まだ幸いにして、電車に乗れないとか、過呼吸症候群などになった事は無い。医者の出す薬もギャンブルみたいなもので、その人の体質、その他諸々の条件が一致した後、症状が快方に向かようである。しかも複数の錠剤をまぜて飲むことがあるので、どれが有効か、そうで無いかの見きわめも大変難しいような気がする。レコーディングの後、いわゆる燃え尽きシンドロームの状態となり、あれよあれよという間に、今月19日(金)新宿ピットインで演奏することとなった。いまはその準備の真っ最中で、精神衛生上、良かったり良くなかったりで、結局のところ、自分で判断はつけられない。いずれにせよ、新曲三曲を演奏するつもり。こう御期待。
某月某日
体力の消耗は、なかなか体の中から抜けず、我ながら苦笑を禁じ得ない。もう歳だなどと思う前に、あれだけの演奏とその準備に費やせば、致し方ございません、と自分を納得させ、しばらく何もせずに休んでいようと思い、ここ何日か、散歩の他には外にもでず、家の中でジッとしている。一回だけ、ヴァ-ジンシネマにて「ターミネーター3」を見に行ったが、特に何の感想もなし。ドカーン!バキューン!ズドーン!グワシャン!という効果音で暑気払いをと思ったのだが、アメリカの女は逞しくて強くて、アメリカの映画制作者は核というものに対してあまり本当の怖さを知らないのではないかと思っただけだった。核を扱うにも、キューブリックの「博士の異常な愛情」ほどのブラックなユーモアになら、納得できるけれども。しばらくは人前で演奏する機会もなく、雑用は生きているあいだつきまとうものであるが、そういうことからも意識的に目を外し、さて何をしようかと思った途端、いつも暗然とした気分になる。趣味は無し、読書もさえも、今回は疲れて集中できず、そう、ほんとに暗然とした気分でカウチに寝そべってタバコを吸って、店屋物を喰って、日暮れの街を少し散歩して一日が終わる。ぴあなど買って読んでみると、このメガロポリス東京では、多種多様な催しが、毎日行われており、たまには美術館でも行ってみようかと、そのページを開くと、
その情報の多さに、行く場所を選びだす段階でもう疲れてしまって、外出する意志さえ萎えてしまう。これは現在問題になっている引きこもりの始まりなのだろうか。一人でいると、難しいことをとことん考えたり、その手の本を買ってきて、それだけでは飽き足らず、同じ種類の本をまたどっさり買ってきて、明け方まで読みふけり、昼夜逆転し、あげくの果ては不眠症と成る。というのが、こういう何か大事をやりとげたあとの、今までの過ごし方だった。夏目漱石の家を筆頭に、坂口安吾、金子光晴、壇一雄など文章を書く方々は、よくお互いの家にいきなり訪れたり、何かの会を催したり、一匹オオカミ同士ではあれ、なかなか交流が盛んだったことが、それら小説家や詩人のエッセイなどを読んでいるとよくわかる。まあ昭和の戦前戦後の話だし、今とは時代が違うといえばそれまでだが、何となくうらやましくもある。とは言え、まわりに人がおらず、ただ独りまんじりともでずに時を過ごしていること自体、ある意味で贅沢なのかもしれない。
某月某日
昨日、レコーディングが終了。今は,前の日記に書いた蝉の抜け殻みたいな状態で、体が透けそうな気がするほど消耗した。大げさだと思われるかもしれぬが、脳内がロンパリみたいな気がしていることは確かである。こういう日記を書くこと、不特定多数の人に自分の心情を吐露していること、況んや、人前で何やかんや演奏したりしていること自体、疚しいことはなはだしいと、一時期そう思いつめてしまっていた。そういう事情で、しばらく日記をここに書き込むことをやめていたのだった。その当時の僕であれば、レコーディングの事などを書き込むこと自体、何だか、著しく、そしてはなはだしく、無意味で疚しく自分自身の気分が悪くなるものであったろう。しかし、そんな気分を一発で粉々にする経験をしたのである。そのことによって、自分がそういう鬱々とした状態に追い込まれていた原因であった音楽そのもにも、日記を書くことも、疚しさを感じなくなったのだった。それは今回のレコーディングセッションがきっかけである。そんなすごいレコーディングセッションが、僕の前に立ちはだかっていたのだ。前回の日記にも書いたことだが、プロデューサーは我が盟友である菊地成孔氏、共演者は最近EWEで綾戸智絵さんなどとの共演で有名な、DEEP-RUMBAのリズムコア的存在、オラシオ・へルナンデス、ベースは,今月のMt FUJIJAZZ FESTIVALに綾戸さんと出演したカルリ-トス.デル・プエルトである。この僕を含めた三人で菊地氏のアイデアによる、ちょっと見た目は普通だけど、良く見るとこれは何かすごい事が起きてるんじゃないかという音楽を創作することが今回の主旨である。スタジオで二人で演奏する前に、このキューバ出身の共演者とは赤坂の某飲み屋で会っていた。しかし、スタジオに入るまで、互いに演奏するのは初めてである。オラシオ、カルリ-トス共々、生の演奏、CDなどでは聴いてはいたのだが。今までは、例えば我がGO THERE など、何度かクラブなどで演奏し、どこがどうなっても何とでも成るわいというところまでグループ自体を形作ってからレコーディングに臨んでいた。しかし、今回は本当の意味での初顔合わせであった。スタジオでドラマーのオラシオの顔をみた瞬間、ああ、これはうまく行くなっと思った。何故だかわからない。ただ、彼の男気、優しさ、気持ちの広さがスタジオにも僕の心にも染み渡っていたがごとくだった。ベーシストのカルリ-トスも、これは女に持てそうだなと思わせるスイートな奴で、すぐに友達になってしまった。プロデューサー菊地氏を待つあいだ、短いながらリハーサルをする。ヘッドフォーンから彼らのサウンドが脳内に解けて流れ込んできた。聞こえてきたって書くよりこういうふうに表現した方がリアルだからあえてそう書く。涼し気なサウンドで、意外に控えめ、オレがオレがという嫌らしさもみじんもない。瞬時に曲の雰囲気を掴んで、それを何気なく僕に提示してくれる。音が透明で涼しい。特にオラシオのシンバルやブラシの音の中には、やさしいやさしい海の波のような要素が含まれているような気がした。決して暑苦しくはないけれども、パーッと輝いている太陽みたいな空気感。録音がはじまってもその感じは持続した。おいおい、いいサウンドをお互い創ってどこか見たこともないようなところに一緒にいこうぜ、って言ってるようなベースとドラムの音だった。ここに彼らと一緒にいるだけで嬉しかった。泣き言をここで書いてもしょうがないけれど、今まで音楽をやってきてファックなことも何度か有った。でもピアノを演奏してきて良かったなと思えるモーメントであった。オラシオのドラムはそれだけものすごかった。各曲1か2TAKEで何の問題もなく全曲を終了。オラシオとカルリ-トスと抱き合った。俺達は一晩でバンドになったんだって言う気がした。彼らは世界レヴェルのプレイヤーだから、毎回共演者にそう思いこませるだけの何かが有るのは確かだけれど、それ以上のsomething elseが音楽にあった。音楽はそういう点、ある意味で非情で正直であるのですぐにわかる。曲目はいずれ、このレコーディングの企画が先に進んだ後明らかにしたいと思う。相手がキューバ人だからといって、全てラテンな曲をやっているのではない。オラシオはNY,カルリ-トスはLA在住である。
某月某日
作曲だ、アレンジだ、練習だ、家事だ、洗濯だ、掃除だ、気温は高し空は青。以前、めったに見ないテレビを見ていたら、ゲストとして作詞家のなかにし礼氏が出ておられた。別の出演者が、どうやってこんなにたくさんの良い作詞を創作する事ができるのですか、となかにし氏に問うた。氏は一言、「絞り出すんですよ」と答えた。番組なんか吹っ飛ぶような真にせまった天才のお答えであった。胸を打たれた。天才でない僕も、レコーディングが迫るにしたがい、身を絞っているのだが、マルセル・マルソーのパントマイムの「淋しさ」とかいう題名の格好みたいのをしているだけで、別段目が爛々となるようなアイデアはそうそう絞りでない。このまま自らをしぼりあげても、爪楊枝程の役にもたたぬ。まわりの人に迷惑がかかるのみ。話は前後するが、菊地成孔氏プロデュ-スで、新しくCDを出す事となり、レコーディングは今月末である。内容、共演者その他諸々は今のところ企業秘密である、が、前回のエアジンの菊地氏とのデュオの時、彼がその秘密をしゃべっていた。あの日あの時エアジンにいなかった人にはまだ秘密なのである。その秘密の内容が、いままでにない企画と斬新さ、菊地氏ならではのスイートなユーモアにも満ちたもので彩られている。これはこれミュージシャン冥利に尽きるのだが、アイデアだって時には尽きてしまうのである。四苦八苦していると、以前見に行ったマグリットの展覧会のパンフレットがふと目についた。なんとなく目を通していると、こんな言葉があったのだった。「~アイデアに悩まされていてはダメなのです。大切なのはイメージだけなのですから。~」この前後の言葉をすべてここに掲示するとなんらかの問題が生じそうなので避けるけれども、目の醒める思いがしたことは確かなのだった。表現できるできないの問題を除けば、万人これイメージは持ち合わせているはずで、この僕にだってイメージはあるのである。もう少しだ。
某月某日
ピットインでのBOZO、吉祥寺SOMETIME,そして横浜エアジンでの井上淑彦QUARTETの演奏が三日間続いているうちに、本格的に暑くなりはじめ、阪神はやはり連敗し、全国でわけのわからない殺しなどがあり、世界では自爆テロが続き、こうやって演奏して毎日生きてるだけみっけもんなのかも知らぬ。レコーディングがまじかに迫り、譜面を書き練習してからクラブなどで演奏すると、一日が終わりには、脳内にはもう、セニトリンだのノルアドレナリンだのドーパミンだのなんだのカケラも残っておらず、床に這いつくばって、低い位置から部屋の中を見渡したりする。虫の焦点と世界。日中外の空気を吸うために、炎天下にタバコなどたずさえ出てみると、蝉がないている。ミーンミーンが通常4回。何度かに一遍はミーンが6回続く時もあり。蝉はすごい。自分が蝉と言う存在であるという意識もなく、ただ鳴いている。こっちは、こういうふうにしたらカッコよく聞こえるかなとか、ここのコードをなおしてこことここを繋げりャあもっと曲自体がまとまるなとか、日がな一日やっているのである。自分は自我のガリガリ亡者である。蝉より劣る。否、蝉よりなどと書く事自体おこがましく、疚しい。元々蝉の方が自然であり、ただ季節が来たから鳴き、たぶん死という概念もなく力つきたら木からポロッと落ちて終わりである。なんとシンプルな。蝉がたくさん鳴いている木陰に立っていると、蝉のなき声がうるさいのに何故か静かな空間にいるような気がしてくるのはなぜなのか。
某月某日
ひさしぶりに、菊地成孔子氏と横浜のエアジンにてデュオで演奏。我が家でリハーサルをしてから桜木町へと向かう。小雨降るなか傘をさし、よたよたと目的地にたどり着くと、そこはもう超満員であった。うれしい限り。トイレ裏の階段が急きょ楽屋代わりとなり、タイル張りの床に腰をおろし、最後の打ち合わせをす。菊地氏の用意してくる曲、しかもデゥオでの演奏でこれだけの味濃いレパートワ-は、何やらあまりにもジャズ演奏としてストレートで、それはそれ嬉しくもあるのだが、さて、これらの天才のメロディーを、どう自分なりにサウンドさせるか、と腕を組まざるを得ない。「SOPHPSTICATED LADY」「CHELSEA BRIDGE」「PRELUDE TO A KISS」「ISSAFAN」等々、デューク・エリントン、ビリー・ストレイホーンの名曲ぞろいで、才能のある人が作ったものには、素直に全身で乗っかってかかるというのが得策ではないかと瞬時に思い立ち、リハーサルでああでもないこうでもないと考えた事はいっさい切り捨てる事とす。ビリー・ストレイホーンは天国を垣間見てしまった男である。これはアーティスト、特に作曲家としては至極ラッキーな事ではあるが、彼が、一般社会の人間として生活する段においては、ひじょうに厳しくきついものであったであろう。何しろこの世は地獄の要素で満ちているのであるから。だからこそ彼は美しいメロディーを、天上界からの音を身をよじって引き寄せ、音符に書き込む行為を意識のあるあいだ中していたに違いない。作者が死んでいるとは言え、否だからこそ、その天上界の音を自分なりに表出せねば、これこそ地獄の二乗である。菊地氏はといえば、飄々としていて、こちらが真剣になにやら思いを巡らせているのとは対照的な態度。しかしこの演奏前の緊張感の違いはあるものの、お互いの中に、ストレイホーンのメロディーは、天国の調べなのだという合意が暗黙のうちにあるのが察知できる。演奏するという事自体、これはある意味、自分をペテンにかけねばならぬ行為である時がある。誤解をさけるために書き加えるが、聴いている側をペテンにかけようというのではない。つまり、ピアノの椅子までたどり着くまでは、ある意味非情なる現実主義的でなければならぬ。しかし一端ピアノの前に腰をおろした後は、対照的に非情なる観念論者に成らねばならぬ。相手の音をよく聴くという部分では、ただただ観念論的なだけでは相手の音をよく聴くということがおろそかに成りがちであるが、共演者も同じ境地にいれば、これは不思議とお互いの音が共鳴しあうので、問題は起きない。より良い意味で観念と観念がぶつかり合える。なんだか難しい事を書いてしまったようだが、つまりだ、演奏によって、これら名曲が指し示している天上の世界にどれだけ飛んでいけるか、近付けるかという事がいいたいのである。もちろん聴いて下さっているお客さんと共に。という観点からすれば、今回の演奏、マサイ族にもヒケをとらない跳躍力があったと思う。こういう良い演奏をした後は、不思議と体が軽く、あまりドンヨリとした疲労感は感じない。エアジンのマスターU氏も今回の企画痛く気に入った様子。11月にまた同じメンバーで演奏する事が決定した。帰りの電車も菊地氏と方向はいっしょで、何やらこむずかしい精神分析の事や、プライヴェートな部分での悩みなどを話しながら帰る。各駅最終電車はあっという間に多摩川を越え都下へ。話は尽きぬが、どうも次回の菊地氏がプロデュースするぼくのCDの打ち合わせの話題はついぞ出なかった。一番大切な事なのにと気付いた頃は、お互いそういう事はまた元気な時にやろうやという目線が両者の間に交わされた。お互い御意のままに。充実した夏の世であった。
某月某日
二日目のMOTION BLUE YOKOHAMAでの仕事である。今日は昨日と違い、十分なサウンドチックをし、その合間に三曲の新曲を試す。最近僕は、曲の構成より、ソロの部分でのハプニング性を重視したいと思うようになって、テーマは譜面に一度目を通せば、さっと行くようなものばかり。後はメンバー同士アイデアを出し合い、よりよい進行と、ソロの順番を何となく決めて、そこに兄貴のドラムがうまく噛めば、その後は、本番でやってみて、曲全体の流れの風通しの良さを確認できればそれでよし。その曲は、飽きずに何年か我がGO THEREのレパートリーのひとつとして存在する事ともなる。ピアノが良いので全てがさくッとうまく行き、演奏時間まで控え室にて逼塞す。控え室とはいっても、昔キャバレーをやっていた時代に押し込められていた家ダニの巣のような場所でなく、心地よい空間である。コーヒーの入れ替えも不定期的に来てくれる。今番の演奏のできは、自分でいうのもなんだが秀逸であった。ピアノが良いのでトリオの曲も2曲演奏した。「SCRAPPLE FROM THE APPLE」「B MINOR waltz」。何んだか今回の日記は、正しいイミュージシャンのライブ報告となってしまった模様。まあ、これがミュージシャンのサイトの日記の王道というもの。たまにはいいか。
某月某日
MOTION BLUE YOKOHAMAにて、我がGO THEREのメンバーと演奏。色々な条件で演奏してきた我々だが、ここほど演奏のしやすい所も少ない。なにしろまず、ピアノは極上物だ。そうなんだよ、この瞬間に、このイメージで、この音色が出ればどんなに良い事か、と余計なカタルシスを普段溜め込んでいるせいで、脳内のセロトニンが疲弊してしまうのだ。しかしMBのピアノは、これらすべての僕の想念を軽々しく現実の音として奏でてしまう一品で、そうなってくると、今まで練習したり感じてた事は正しかったんだなどと、僕の人生にはあまりない観念と現実との一致が体験できる。本当は、こういった心配なしに、つまりこういう事ができるという事を前提にして、いつも演奏を始めたい。きれいな音楽を作りたい。この初日の日曜日、野外のコンサートが台風の影響で延期になり、我々の演奏時間と重なってしまった。MBのある赤れんが倉庫のすぐ横で野外フェスティバルなどやっており、爆音が店の中まで響き渡っている。店側のマネージャーと相談の上、こちらの演奏を夜9時から遅らせて始めるという事となる。サウンドチェックなどやってる暇などなく、どんどん演奏を始める。それはそれで、その場の状態でベストを尽くすしかなく、僕も含めメンバー以下自分のやりやすいベストの状態でないにもかかわらず、よいサウンドが瞬間瞬間表出する。メンバー共々さすがである。頼もしい限り。各テーブルにはキャンドルライトがともっており、ヨーロッパのクラブで演奏しているようで気分良し。二日連続の演奏であるので、明日が楽しみだ。
某月某日
再度日記を書く気になった梅雨明けの夜である。東京電力には申し訳ないが、部屋の中は空調にてかなり温度を低くしている。日中の雑事、練習などによってかいた汗はもう一滴も出したくないからである。ミュージシャンなんて、さぞかし気楽な生活をしているのだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれぬ。が、以外にそうでもなく、況んや生きているだけでも大変だと言う観点から見れば、皆同じであるかもしれぬ。今日は朝から仕事の調整やらですぐ昼飯時となり、パンをかじりつつ右手で傘の上の土瓶をまわしつつ左手でワープロを打つようなウルトラZな午後を過ごし、さすがに暗くなるにしたがって疲弊す。ピアノを少し教え少々実入りがあったので、焼き鳥を喰うこととす。ラーメン、蕎麦、寿司などは庶民の食べ物であるべきで、気軽に飲んでさくッと喰ってヘイごめんよと帰るのが理想だ。焼き鳥屋もその範疇であるべきだ。近所に行ったことのない一件の焼き鳥屋があり、ふだんから気になっていたので入ってみた。まず変な演歌の有線などを流していないのでほっと一息。メニューを見ると、有楽町駅下の焼き鳥街の1.8倍の値段がずらり。それでもうまければと、鶏レバー焼きと葱まに焼酎サワーにお新香をたのむ。なにしろ妙な有線の音楽がないということが、まず僕の合格ポイントであり、チビチビ焼酎サワーをなめていると、一品目が出てきた。サイチイである。つまり各焼き鳥のネタが小さい。僕のカンも鈍ったものである。最初の一品を見てこりゃダメだと思った。味はそこそこであるが、なにしろ、この焼き鳥、ミクロの決死圏から登場したのかと見間違うほど小さくて、チビ飲みサワーで麻痺した脳みそも、どうやって早く帰ろうかなあモードにきりかわってしまった。こうなってくると、オーダ-したものを早めにたいらげ、絶妙のタイミングを見計らって、この店を後にすることだけを計算するのみである。勘定をすっと払いすかさず行きつけの焼き鳥屋に直行。最初からこうすればよかったのである。まあ、こんなもんだ。と思いつつ行きつけの店でレバーなどを堪能し、帰宅後また雑事をこなす。初回の店の出費は学校で習わない事として心にとめ、深夜また次回のコンサートの準備をたらたらとする。世はままならぬ。
某月某日
長いあいだ日記を書く事から遠ざかっていた。音楽のこと、生きている意味などを考えていたのだった。それなりの逡巡があり、苦悩があり、それらを経て後、思考の深淵の奥底までたどり着いたと思ったら、それその奥底にあった答えが、まったく意味をなさぬものであったり、パラドキシカルな要素を含んでいたりと、一向に考えがまとまらず、文章を書く気力も失せ、このように長いあいだ日記が更新できなかった。以前どこか前の日記に書いたように、こういうミュージシャンの日記というものは、例えばの話、どこそこへ行って演奏しました。いやあ、皆すばらしい、お客さんもご機嫌でイエイなんてな事を書いているのがいちばん無難なのであろうが、どうもそれだけでは僕の場合、物足りなくなってしまう。と言いつつも、昨夜の演奏を簡単に報告する事としよう。やはりどうも僕の考えている事は矛盾だらけのようだ。鎌倉ダフネと言うクラブにおいて、ギラ.ジルカ、水谷浩章、芳垣安洋という異色のカップリングで演奏した。御存じピアノ、ドラム、ベースは我がGO THEREのメンバーであり、GO THEREでは、僕のオリジナルしかやらないので、昨夜は、芳垣兄貴と「ONE NOTE SAMBA」やら「MISTY」などのスタンダードを演奏する機会はそうざらにはなく、さらに、いわゆるウタバンなど3年以上やッていないなどと謙遜する兄貴のプレーに、惚れ惚れとしてしまったこともあって、楽しい一夜であった。いわゆる予定調和のジャズドラマーという規格にはまらぬ面白いアイデアが、絶妙のタイミングで歌とからみあい、そこに水谷のベースが、「いい感じ」な事をすいすいと当てはめて近年稀に見る満足度の高いパフォーマンスとなった。まあ、こういう演奏ができる日ばっかりであれば、よけいな事も考えないのですむのだが。
某月某日
日記が処理できたと思ったら、こんどはコンピューター本体に問題が生じた。日付けをいくらなおしても1904年になってしまう。年号と日付けをあわせて、何度も起動しなおしてもだめで、頭を抱えた。コンピューターの方からは、早く日付けをなおしなさい、システムがダメージを受けるとの警告なんだかメモなんだか、黄色い枠組みがぱっと画面に送られてきて、恐ろしくてスイッチをオンにすることができなくなった。以前、挿入したCDRが出てこなくなった時、○×なんたらサーヴィスというところに電話して助けを求めた。1分少々の受け答えで5000円相当の金を取られて辟易とした。同じ気分は味わいたくない。このコンピューターを買った会社に電話して、なんとかただで情報を得るということにした。電話に出た件の店員だか何だかが、それはコンピューターの電池切れのせいですと答えた。こんな科学の粋を集積したコンピューターに電池が内蔵されているなんて夢にも思わなかった。基本的に、いちども説明書も読まずに、見よう見まね、あらゆるボタンを押しまくって強引に、しかも心のそこから好きになれない機械をむりやり使っている僕自身に問題の根源がある。しかしセコイ話ながら、機械オンチの足下を見て、5000円取るなンたらサーヴィスも気に入らぬ。とにかく、今回はただで情報を得ることができた。こんどは○×本社のフリーサーヴィスに電話し、住まいから一番近い修理屋を問いただした。場所は渋谷だという。とにかく持ってこいとのこと。てっきり僕は、このコンピューターの本体をあずけてすぐ帰れるという判断のもとにその修理屋を訪れたのだが、話はそう簡単ではなかった。何やらあずけるまでも膨大な時間がかかる場所であった。まず、まずリストに名前を書き込み待たなければならない。どうも僕は、成り立ちが昭和の人間で、コンピューターの修理屋も、電器屋が派生したものと勘違いしていたらしい。街のアーケードにある電器屋だっら、その場に電化製品をあずけて、修理が終われば電話がかかってくるまで待つだけでよい。しかし平成の世はそうは行かぬ。その修理屋は、電器屋とは似ても似つかぬ異様な場所であった。対応している僕より顔色の悪いおじさんが数名、緩慢な動きで、客をあしらうカウンターと、奥の部品置き場のようなところを行ったり来たりしている。約二名、そのカウンターで、実際コンピューターの中を分解修理していたりする。何人だれがどういう問題で来店しようがおかまいなしの態度である。こちらも機械オンチなので、なにも言えない。電池交換らしい問題のみでその修理屋の、蛍光灯ばりばりの、無味乾燥な場所に一時間近く待たされた。思ったとおり、問題は電池の交換だけであり、よく見ると、シロウトでも電池とわかるものが複雑な基盤の中にあって、なんだこれだったら俺にもできそうだったじゃないかと、ひじょうに損した気持ちになった。おまけに、電池交換のみで、法外な値段を取られてしまった。カッコをつけた物言いになるかもしれないが、僕はデンマークのミュージシャンと交流があり、彼らとのメール交換はいまや欠かせないものとなっている。文房具屋に行ってレターセットを買い、ヨーロッパに手紙を書き、郵便局にそれを持って行く手筈を考えると、メールというものは至極便利に見える。ファックスも、なんらかの理由で、海外に発信する場合、3ページ目から、届いてんだか届いてないんだかわからない状態になってしまうことが多い。よってメール交換というものが、時間的、経済的にいちばん優れていると思い、無理していままで使ってきたのだが、世の中ままならない。思わぬ理由でやはり出費を強いられるのである。もうこうなったら、ラヴェンダーの匂いでも嗅いで、エスパーとなって、超能力をやしなうしかあるまい。(このネタは古いかもしれない)惨澹たる一日だった。
某月某日
日記を更新できず、日記の欄が空白になったり、重複したりとへまばかりしてしまった。MINA-SITEの管理人に頼み、今までの文章を♯5にまとめることとした。どうも、文字が多すぎて、WEBの中にぜんぶ移し変えることができなくなってしまったのが原因のようだ。サイバースペース内の文字に、重さがあるとは知らなかった。文章のセンテンスが積み重なって、その重みにサイバースペースが耐えきれなくなってしまったような印象を受けた。画面に浮き出る字をちょっとつまみ上げてみて、一文字の重さをはかりたい誘惑にかられるが、それができないことぐらい、いくら機械オンチのこのぼくでさえ知っていることである。古い日記はすべて電子の引出しの中にしまわれた。この引出しも、いずれは重さに耐えられなくなるのだろうか。