読書は辞めない

某月某日
一週間近く何もせず過ごした。ここ一年ほどまとまって休んだことはない。休みをとる期間をもうけることも大変だったので、その間遊びに行く準備をする暇などさらになく、ただただ家で本を読んで過ごしていた。4日ほどたって、夜12時を過ぎると自然に眠くなるようになってきた。ここ何年か、この時間帯は演奏直後なのであり、脳内の回転が一番早いころだったのだが、それが少し修正されたような気分。さらに二日ほどたつと、夜になるとさっと眠れるようになって、やはり不眠症のもとは演奏とストレスかななどと考えているうち、気が抜けてしまったのか、風邪をひいた。ここ何年も風邪はひかなかったし、ほかの病で熱をだしたこともあまりない体に、微熱と喉の痛みが発症し、ひさしぶりに臥せった。熱をだすこと自体になれていないので、どうしてよいのか分からぬが、とりあえず、家の中でも厚着をして、首にタオルを巻き、対決前の力石徹のような格好をして、さらに読書を続けた。朝起きて、シリアルに牛乳をかけて食べ、昼は店屋物、夜は適当に冷蔵庫の残りで末日的食事をこしらえ、ジッとしていたら、外界とコンタクトをとらねばならない日がきた。我がバンド、GO THERE !の雑誌取材で、駒沢公園にて撮影および取材をする日が来たのだった。雑誌の名前は、後日トピックスの欄にお知らせをだすつもりだが、所定の場所、駒沢公園に行ってみると、時差ぼけのメンバーが、もうすでに集まっていた。水谷、芳垣は、昨日までの大友良英NEW JAZZ QUINTETによるシカゴ公演から帰ったばかりで眠そうである。竹野だけがいつもどうり元気そう。ぼくとしてはリーダーとして、カメラマンのU嬢にもこちらが風邪であるということを知られたくはなく、平然と言われるがままにポーズをとっていたが、からだの芯から来るだるさと微熱、風邪薬によるぼんやりした脳みそでの撮影に、腰が悪寒でブルっと震えた。できあがりが楽しみだ。今回のCDのタイトルは、「celestial inside」とした。celestialは、天上の、天界のという意味であり、この世のものではない、ぼくのイメージする天界の音をCDの中にしまいこむというつもりで名付けた。その後インタビュウー、風邪薬のためか、合理的な解答を質問者に対して提示できないもどかしさを意識しつつ、それでも一生懸命にしゃべった。せっかく長く休んだのに、風邪とはいえ体調をくずすとは、損な性格である。撮影終了後、早速家にかえり、ワインを燗してちびちび飲み、体をあたため、少しまた横になる。そのあと、昨日作ったすき焼もどきの残りに、ソーメンを入れて茹で、腹の足しにし、時計を見たら10月最後の日となっていた。喉の痛みは引いたのだが、微熱と倦怠感がとれない。と言いつつ、着膨れしながらも読書はやめない。いまは、金子光晴の「西ひがし」「金花黒薔薇艸紙」「自伝、詩人」「絶望の精神史」「人間の悲劇」などの詩、論評を読んで、精神が深く脳膜の奥に沈潜。これほどの感性と、デカダンな魅力をそなえた日本人が過去にいたことに感激すると共に、自分の襟をただす思い。金子光晴は、詩人という枠に捕われない、一人の思想家と考えてもよいだろう。思想書にありがちな、ガチガチした文章は、この人の書くものにはなく、詩的表現を用いた思想解明の手管手練は、ぼくの情緒にひじょうに合うのである。まあしかし、ものの例え、作中の現象を問えば、時代が違うからしてすべての文章が現代にフィットするとは思えないけれども、根本的な問題点、人間のことに言及している部分は、いまなお色褪せておらず、教えられることが多い作家だ。40才を過ぎてからこの人に触れたことを感謝したい。30代では分からなかったことが多かったと思う。良書は一生の糧となりうる。

某月某日
デンマーク人が帰った直後から、コンピューターの様子がおかしくなりはじめて、最終的には、CD-ROMがコンピューターの中から取りだせなくなってしまった。取りだせないとなると、画面上普段してきた事柄が一つも行えなくなって、説明書を読んだけれども、自分の問題がどの箇所にあてはまるのか、見当がつかぬ。Macサーヴィスセンターなるところへ電話してみると、なかなかこれが大変な作業で、担当者に通じるまで、大変な手続きをふまなければならなかった。しかも、ものすごく長い時間待たされた果てに、その担当者なる見ず知らずの人が電話口にあらわれて、CD-ROMが出てこないというと、爪楊枝で入り口の右端を押してみろという。これだけのことを聞くために、クレディットカードの番号を聞かれ、5千なんぼの金がかかるということである。しきりに爪楊枝を入り口の右端でつついても、CD-ROMは出てこない。しょうがないので、修理にだすことにした。さいわい、いちばん長い保障に入っていたので、発送の時点から無料である。静かなる日々が舞い戻ってきた。コンピューターなどなくても平然と暮らせる。ただ、海外、特にデンマークからのメールを密にチェックしないと仕事に差し障りが出るので、友人宅などで、むりをいってなんとかメールチェックを何度か行った。今年はもうすでに働きすぎの感があり、6月、7月にかけてのツアーと、夏のレコーディングとピットインの3DAYS,日にちとして換算すればたいした日数ではないにもかかわらず、準備期間、アイデアなどを練る暇、それを実現するための労力を換算すると、我ながら大変な量であり、脳みそが疲れきって、コンーピューターがいなくなったことをいいことに、ちょうど演奏の仕事も、ピアノを教える日々もなく、怠惰な日々を過ごすことにした。とにかく臥せって読書三昧。読書は毒書であり、始めたらきりがなく、読んだ内容をその場でスラスラ頭の中に残らず忘れてゆくのに反比例し、字面を追うこと自体が快楽で、文章を読んでいるというそのこと自体を瞬間瞬間受け入れて日々を過ごした。便所と簡単な食事しか起居しない。ぐうたらを通りこして、頭の中の盲点が寒々としてくるくらいジッとしていることによって、やっと夜半になって眠くなってくることができた。普段のぼくの仕事は宵の口から始り、ふつうの人々のいうところの夜半に終わる。眠れるのは、明け方近くだったらラッキーな方である。それがやっと、ここ何日かでひとまわり地球の自転と自分が合致してきたわけである。そう思っていたら、ある日修理が終わったコンピューターが宅配便にて戻ってきた。大仰なダンボールの箱に入って。台所の包丁で切り裂き開けてみると、何やらくねくねした発泡スチロールに見覚えのある自分のコンピューターがはさまっている。この発泡スチロール、捨てる手間が大変だった。包丁で切り裂こうと思えば何やら床に細かい屑が落ち、だからといって、東京都指定のゴミ袋には、原形のままでは入らぬ。いずれにせよ、大いなる無駄である。かといって、部屋の中に前衛オブジェを飾る余裕もないので、屋外でそのスチロールを切り裂き、ゴミ置き場へ持ってゆく。でかいダンボールも細かくしてゴミ置き場へ。ちょっとしたコンピューターの不都合で、これだけの無駄をだすとは夢想だにしなかった。しかも、爪楊枝でつっつくという、なんとも原始的なアイデアに五千何ぼすでに支払っている。便利なんだか不便なんだかよく分からない。

某月某日
半年以上準備をしてきたデンマーク人とのツアーが今日から始まる。今年EWEから発売になったCD,KASPER・TRANBERG「MORTIMER HOUSE 」の、発売記念ツアーを一週間ばかり計画したのだ。途中から、デンマーク大使館も協力してくれることとなり、話が飛躍的に前に進んだことは、明記に値することだろう。参考のため、公演企画書をここに掲載する。 公演企画書   公演名:KASPER TRANBERG “ THE YAKUZA ZHUFFLE” “MORTIMER HOUSE”アルバム発売記念ツアー   アーティスト名 KASPER TRANBERG(COR,LEADER) キャスパー・トランバーグ   JACOBDIENESEN(TS) /HIROSHI MINAMI(P)  ヤコブ・ディーネセン 南    博    NILS DAVIDSEN(B) / MARDS HYNE (TR) / ANDERS    MOGENSEN(DS) /  ニルス・デヴィッドセン マース・ヒューネ  アナス・モーゲンセン  主旨  1997年、”THE YAKUZA ZHUFFLE”は、コルネット奏者キャスパー・  トランバーグによって結成された。既にこのユニットにおいて3枚の  CDがレコーディングされ、その発売にからめて、コペンハーゲン・  ジャズフェスティバル、横浜ジャズプロムナード等をメインに、主に  デンマーク、日本の各地を4年間にわたり演奏している。  これらの活動が2001年から、日本、デンマークの文化的音楽交流に  発展し、2001年横浜ジャズプロムナードに於いて、マース・ヴィ  ンディング・ピアノトリオ、上記”THE YAKUZA ZHUFFLE”,デンマー  ク・国営ラジオオーケストラ等が演奏。2002年にはデンマークで催  された、”WINTER JAZZ FESTIVAL 2002″に南 博クアルテットが  参加,デンマーク各地をツアーした。双方のプロジェクトにおいて、  大勢の聴衆が音楽、文化交流そのものに関心を持ったばかりでなく、  キャスパーと日本のCDレーベル、イーストワークス・エンターテイメ  ントの間に、CD製作の契約も成立し、キャスパー自身の楽曲で構成  された”MORTIMER HOUSE”も、2002年4月21日発売予定である。  キャスパーの音楽は、あらゆるジャンルの要素を取り込んだユニーク  なもので、その中にポップな音が混じりあっており、あらゆるジャン  ルのリスナーにアピールできるものとなっている。  昨晩は恥ずかしながら、遠足に行く前日の幼稚園児よろしくよく眠れなかった。ふだんからしてよく眠れないのであるから、本当によく眠れなかったのである。彼らの来日は今回が初めてではないため、空港までむかえには行かない。一番安い交通手段であるリムジンにのり、恵比須近辺のホテルまで来るよう指事を出しておいた。夕方薄暗くなってからホテル前で彼らと再会。もうすでにホテル前の歩道をうろうろと徘徊しており、目につくもの、耳に入るものに眉をひそめたり、瞠目したりしている。これからが僕の正念場で、つまり、ピアニストとして彼らのバンドに参加するというメインの仕事意外に、通訳、ツアーコーディネーター、マネージャー、ローディー、その他諸々、はてはポンピキまがいの芸当まで必要とされる日々が始まったということだ。皆とひさしぶりの再会にかたい包容をかわす。長旅に疲れているはずなのに、みな寿司を喰いに行きたいという。恐ろしいばかりの食欲と好奇心は以前とかわらず。さっそく恵比須近辺の知った寿司やに電話をかけ席数を確保。まず最初にやったことがそもそもポンピキまがいである。みなでぼくの馴染みの寿司やになだれ込む。他に客はなし。せまい店である。デンマーク式の乾杯をビールですませ、まずはみなに握りの中を注文し、様子を見ることとする。最初からお好みで注文しては破産である。僕は彼らと行動を共にすることが、心のそこから好きで、しかも楽しいことではあるのだが、彼らの食魔ぶりと飲みっぷりにいい気になってついてゆくと、こちらのからだがもたない。自然、どこか自分を客観視する態度を身につけてしまうこととなった。案の定彼らは、轟々といった呈で生ビールを何杯も飲み終えた後、熱燗の日本酒に切り替え、その頃にはもうすでに、握り一人前など跡形もなく、寿司ネタを指さして大騒ぎである。ああ、それはアバロン、サーモン、シー・アーチンと説明しても、どうしても英語名の分からぬネタがある。主人に英語のメニューはないかと聞けばないという。これらみなうまいから、とにかく喰えとヴァイキング達に言い渡す。僕もプロの通訳ではなく、寿司の味を楽しみたいのである。先が思いやられると思いつつ、遠き国からわざわざ演奏にきてくれた友の顔をまじかに見て、嬉しくもあり頼もしくもあり。僕が最初にコペンハーゲンに行ったのは、もうすでに4年程前のことであり、今回と同じような状況で、演奏後、深夜レストランになだれ込んだことがあった。僕が現地に行く場合は一人きりの日本人で、あとはデンマーク人である。あたりまえだが。軽食にと思ってたのんだサーモンのその量は、軽食とはいえないもので、これでもかというほどのおてんこ盛りであった。処女の内膜のような色合いのサーモンのスライスが、およそ日本の感性では考えられない方式で何枚も重ねられており、美しいもりつけではあるが、内心見ただけで辟易としてしまう種類のもので、全部は食べきれなかった。これが軽食である。少なくとも、ふつうの日本人とくらべても、ぼくは健啖家どころかぜい弱な部類にはいる。その他現地の地酒、アクアビットという強い酒を、皆と同じぺースで飲んでしまい、カウンターから立ち上がれなくなるまで泥酔するという失態までやらかした。その悪魔の酒は、翌朝はなんの二日酔いの徴候を体に残さないのだが、午後を過ぎるとなぜか昨晩と同じ種類の酔いが猛然と再び体内を循環しはじめ、そのざる酔いの後味の悪さに、その日の夜行われるコンサートイでただピアノの前に座っているという状態をしてから自重している。まあそれにくらべ、この5人のメンバーの食に対するする奔放さと、後先も考えずの飲みっぷりに、再度感心した次第。大方の寿司ネタをみなで試したあと、さすがに時差ぼけが表に出てきたか、解散の時間となる。初日から嵐のような夜であった。

某月某日
一夜あけた。今日から本番である。出だしから日本食を喰いまくり、日本酒を飲みまくった彼らの体調や如何に。杞憂であった。ホテルのロビーで待ち合わせた彼らの血色は見事なほどで、晴れ晴れとした印象さえ受ける。おべんちゃらで日本食につきあっているのではない。彼らは心底、寿司、蕎麦、その他の食べ物が好きなのであり、厳しい態度のヴェジタリアンがいるアメリカ人のグループよりなんぼか扱いが楽である。しかし、行動を共にすることによって、彼らのペースに知らず知らずの内にまきこまれると、こちらの胃腸が悲鳴をあげることとなる。さて、今回のツアーは一週間という短い期間であり、今日この初日が一番忙しいスケジュールと言える。まず彼らを恵比須から池袋へと先導し、池袋のタワーレコードにてインストアライブを敢行。速攻であと片付けをし、銀座ソニービル8FのソミドホールにてEWE主催のショウケースに出演するという算段。午後の早い内からタワーにて演奏。ピアノがないためEWEの用意したエレクトリックピアノを弾く。手ごたえよし。当夜ソミドでやる曲のリハーサルもかねてしまう。曲を追いつつ彼らとのからみ方を思いだす。何しろふだん気軽に一緒にはできない距離にお互い住んでいるのだから致し方ない。しかし、だからこその面白い展開も演奏中にあり。この感じを夜の演奏にいかすことの了解がデンマーク人と僕の間で、音楽を通して交換される。地下鉄に乗り銀座へ急行しサウンドチェック。今回のEWEのショウケースのメニューの中でも、我がバンドはひときは異質であると思う。日本でも有数の主流派グループや、今を時めく綾戸智絵氏などなど。並みいる評論家もデンマークジャズというカテゴリーはある意味?マークの物体でしかなかろう。枠外である自分自身が小気味よい。それだけでも我々は予定調和の産物ではない。実際我々のサウンドはECM的でも、破壊的ドイツのフリージャズの形態とも異質なものであり、しかもショウケース初日の一番目の出番。サウンドチェックを終え、楽屋に待機する時点から彼らビールを飲みはじめる。ビール缶がそそくさと、しかも凄いスピードでテーブルの上に並んでゆく。日時と場所お構い無しの彼らの物凄いパワーが、閉息した楽屋の中に充満して、危険だが楽しい充実感が空気の中に溢れ出る。演奏が始まると、サウンドシステムのなかったタワーレコードの売り場での演奏とはうって変わって、空気が対角線上にばらまかれるような演奏がステージ上で繰り広げられた。このサウンドの奥行きは、しばらく体験していない上質なものだ。ドラム、ベース、トロンボーン、サックス、コルネットなど、各々凛として存在していると同時に、いざアンサンブルとなると、その凛とした音の柱がギリシャの建築物のように、数学的美を構築するがごとく出そろって、一気にバンド全体のビートを前に前に押し出してゆく。その中でピアノを弾いている僕の至上の喜びもまた格別であり、うねる空気の中で、演奏は何度もピークをむかえる。演奏を終え楽屋にかえると、対バンの我がバンドのべーシスト、水谷氏の持参した焼酎の差し入れが。今宵もまたただではすまぬ気分。この乱痴気騒ぎに巻き込まれぬよう廊下をうろうろして、今度は我がバンド「GO THERE !」の演奏。モニターその他に慣れていたので、演奏は好調。彼らデンマーク勢も舞台そででジッと演奏を聞いている。全て終了し楽屋に戻ると、すでに焼酎のびんはあらかた中身が無くなっており、次の出番の石井彰トリオの面々の目も点になっている。はやめに退散した方が良いと判断し、我がバンドの竹野の車とタクシーに分乗し、とにかく恵比須方面へと移動。深夜4時までやっている近所のびっくり寿司へとなだれ込む。僕を含め全員カウンターに一列となる。ここには英語のメニューが充実しており、一つ僕のやることが無くなった。開放感からばくばく寿司を喰う。連日寿司を喰うなぞ普段はしないことだが、この際よけいなことを考える暇はなし。彼らも片言の日本語を駆使し、ふつうの日本人が絶対頼まないような、刺身おてんこ盛り風呂桶仕様のようなメニューをじゃんじゃん注文している。勘定が思いやられるが、もう知ったことではない。何やらサーモンをガスバーナーでさっとあぶる調理法をキャスパーがいたく気に入り、それを注文してやる。外人用の目くらまし料理かと思いきや、なかなかいける。夜は深けるが、彼らデンマーク勢、一向にホテルに帰る気は無いようす。ビール、酒、焼酎を順番に飲み下しつつ、あらゆる寿司ネタに今晩もターゲットをあわせ、飲めや歌えの大騒ぎ。僕の体は今後もつのだろうか。

某月某日
本日新宿ピットインに於いて演奏。恵比須から彼らを引率し新宿へ。やりなれた場所だけに彼らのサウンドの切れ味の良さが非常に際立つ。昨日各々の音の存在感を凛としたという言葉で言い表わしたのだが、今日のピットインの演奏では、そこに音楽の多面体的奥行きが加味され、深みのある演奏が、テンポ感に関わらず、揺るぎなく表出される。互いの楽器の距離感は非常にはっきりしているのであるが、いざここ一番と全員でテーマその他の決め所をあわせる時など、そのサウンドの奥行き感がどっしりと音楽の裏に構えていて、早いテンポの曲なども、安心してその奥行きに身をまかすことができる。そして楽器を扱うテクニックの上質な部分を駆使した思いがけないユーモアの感覚。普段の生活からもそうであるが、彼らデンマーク人の中に流れる心的時間の流れのようなものが、非常にリラックスし落ち着いたものに感じられる。もちろんそういう感性は音楽の中にも反映されるのであろう。日本とは比べようもないが、あらゆる社会保障によってせこせこ生きる必要の無いということはうらやましいことである。一年に一度、彼らを日本に呼んでツアーを初めてはや5回目であるが、音楽全体の進歩自体、目を見張るものあり。終演後、我がバンドのべーシスト水谷、竹野らとピットインで軽く打ち上げ。前回のデンマークツアーで、みな仲良くなっている。ぼくはドラムセットを一旦家に運び込まなければならないので、水谷、竹野にヴァイキング軍団を任せ、先に家に帰る。去年ピットインで演奏した後行った蕎麦やが、彼らのお気に入りで、そこの「TOWER SOBA」つまり、ざる七段のことなのだが、新宿二町目にある蕎麦やのK亭まで水谷に引率を頼んだ。その蕎麦やでもかなりの「宴」が催されたそうで、この不況下、彼らデンマーク人に飲み食いされた飲食店はラッキーである。とにかくよく飲む。デンマーク語で乾杯を「SKAL」という。スコールと発音するのだが、これは英語の頭蓋骨という単語の語源であるという。昔彼らヴァイキングの先祖が、戦争で勝利の祝杯をあげる時、たおした敵の頭を半分にそぎ落として、その頭蓋骨に酒をそそぎ乾杯したことが語源となっているという。まあなんて残酷なと思うやも知れぬが、日本の戦国時代も、敵将の首をとるのが勝利のあかしであり、腹切りなどという儀式もあったわけだから、どっちもどっちであろう。違いといえば、もともと日本人の80%が農民であり、酔ってつぶれてそこいらでごろ寝してもさしたる生命の危険が無かったことに対し、昔のデンマークでは多分、ヴァイキングとして海戦を続けるうえで、酒に弱い者は自然に淘汰されたのではないだろうか。宴会のあとの夜襲など、酒の弱い者は抵抗する余裕さえなかったであろう。人種的にも、アルコールを分解するなんたらいう肝臓の酵素の量が違うように思われる。何れにせよ、逞しいということは、頼もしいということであり、こちらもツアーのスケジュールその他さえ心を配っていればいいわけで、ある意味楽である。まあ、楽といっても、一歩東京を離れると、駅、道の表示等ローマ字で書かれているものが少なく、やはりヨーロッパの福祉の行き届いた国からきた連中には、文化的に奇異に見えるものが多く、各々集団行動にも慣れていず、ちょっと目をはなすとすぐその場でバラバラになる傾向が強い。時間通りにあるポイントまで彼らを運んでゆく、しかも安全に、というのも、ぼくの大切な仕事であって、修学旅行の引率の先生の哀しみがよくわかるようになった。ぼくも修学旅行では悪さをしたくちだから、因果応報である。

某月某日
今日から地方への演奏に赴く。最初の目的地は名古屋である。一番大きいワゴン車をレンタカー屋で借りて、一路東名を西に向かってひた走る。今晩の演奏場所は名古屋のクラブ、JAZZ IN LOVELYである。サウンドチェックの後、ホテルにてひと休み。みな名古屋でも寿司、蕎麦、とんかつなど、過去日本ツアーの折食べたことのあるうまいものの場所をぼくに聞きただす。名古屋は詳しくないので、適当に皆をあしらっていると、宿泊先のホテルの横に偶然とんかつ屋があった。値段と注文のしかたを一通り教えひとり部屋へ入り休憩。まさに酒とバラの日々ならぬ酒と音楽と食い物の日々である。演奏時間前に全員現地集合。演奏は前日ピットインの演奏をはるかに越えるラディカルさに満ちており、デート目的のカップルなどの反応も、最初の心配をよそに、もう口説きそっちのけで声援をおくっているといった状態になる。デンマーク人ども、よほどLOVELYというクラブが気に入ったらしく、演奏後も居座り、ビールから始まって、焼酎、お客様からの差し入れられたテキーラ、などなど、ぐんぐん飲んで、出されたまかないの夕食に喰らいつき、女の子のいるバーに行きたいと生命力がまことに横溢としている。演奏でくたくたになった我が身をひきずるように、居残って飲んでいる現地のお客さまに名古屋の風俗関係の情報を集める。面白気な店は12時をさかいに閉店するとのこと。これもポンピキのすることである。デンマーク勢にこの旨伝えると、意外に、あっそうてな感じで飲み続けておる。酔った勢いで基本的にわけのわからぬことを言って、故郷から遠く離れているという実体を忘れ去りたいという心理の一角が、このような言動となっているのは確かで、ぼくも、デンマークのツアーに参加した時など、現地の風俗店でなくとも、何かしらの憂さ晴らしがしたいと思ったことは一回や二回ではない。彼らの気持ちがよくわかる。閉店まで飲み続けるというメンバーを置いて先にホテルに帰り就寝。長い一日。

某月某日
本日の演奏場所は岐阜県笠原町。そこにstudio Fというホールがあり、当地で開業医をなさっているDR.Fが経営している。名古屋から2時間弱の距離。くねくねと田舎の道を行く。昨夜さすがに飲み過ぎたらしく、デンマーク勢のほとんどがげっそりした顔をしており、特にトロンバーンのマースなど、火星を全力疾走した直後のような顔色をしている。道すがらの薬局にて、キャべジンを買い与えてわたす。演奏までには地球人になってもらわねばこちらが困る。DR.Fは温厚な優しい紳士であり、我々人種混合わけのわからぬ白黄色混成バンドを快く受け入れて下さった。諸事待遇は申し分なし。しかも、お客さまを90人以上集めてくださっていた。感謝感激。そのむねデンマーク人らに伝えると、むくむくと蘇生しだし、控え室にて楽器をあたためるやら何やら、急に底力を見せ始めた。控え室に用意されたサンドイッチなどもバクバクと口にはこび演奏の準備に余念がない。さあゆくぞ。いざステージにあがれば、大勢の人々の注視の的であり、演奏前からすごい熱気である。これはただではすまされまい。デンマーク勢もものすごい熱演をくりひろげ、グイグイと観客をひきつけてゆく。ピアノの状態が絶妙で、たびたび秋吉敏子さんのソロピアノコンサートが開かれているというのも納得がゆく。CDもたくさん売れて、車で十分ほど離れたイタリアンレストランにて打ち上げ。デンマーク勢、お目当ての日本食にありつけないと知りつつ喰うわ飲むわの大騒ぎ。短い行程であったが今日がツアーの最終日。皆しこたま飲み食いした後お開きとなりホテルに帰還。

某月某日
東京に帰る日である。帰った後、EWEの担当者T氏と、バンドのリーダーであるキャスパーとぼくがミーティングがある意外、他のメンバーはフリーだ。みな渋谷で電化製品およびCDをお土産に買いたがっている。薄くもった富士山を見て騒いだ意外、帰りの東名高速ではさしたる出来事もなく無事恵比須に帰還。今日はトロンボーンのマースの誕生日である。またまた寿司が喰いたいという全員の意見で、席数の多いびっくり寿司へみなでなだれ込む。この恵比須のびっくり寿司、入り口が22世紀のソープランドのようないでたちで、店内は、ブラックレインやブレードランナーに出てきそうな、疑似ジャパネスクの様相を呈しており、デンマーク勢いたくお気に入りの場所となった。英語のメニューも充実しており、しかも写真付きだ。こちらの労力も半減する。誕生日ということもあり、全員がやたらめったらあらゆるものを注文し、その後、自分の注文した品を忘れてしまい、各自目の前に置かれた皿にとにかくかじりつき、酒、焼酎、ビールをチャンポンで飲み下し、ウエイトレスは行ったりきたり。大変な騒ぎとなる。ぼくも疲れていたので、適当に飲み食いしていたのだが、みるみるうちに高価な品々、生牡蠣だの時価のなんたらだのが運ばれてきて、もうおれはどうなっても知らんということにした。どうせワリカンだから、持ってる者が多めに払えばよい。いざ勘定が足りないということであれば、デンマーク大使館に電話してやれ。最終日ということで、こちらも胃腸を気づかう必要もなく、彼らと共にデンマーク式の誕生日の祝いの歌を歌い、肩を組んで大騒ぎしていたら、その後のことが記憶のうえでおぼろげになり、気付いたら自室のベッドでマグロのようになっていたのだった。明朝は責任上、彼らを出迎えたところと同じホテルのリムジン乗り場まで見送らねばならぬ。

某月某日
慌ただしく、短い間のツアーではあったが、仕事のうえでも先に進むべき方向性が、昨日のT氏とのミーティングイでも明らかになり、ピットイン、ソミド,LOVELY,DTUDIO Fでの演奏も大好評であり、苦労してすべて自分で取り仕切ったプロジェクトが終わった充実感で、多少二日酔いながら、足取り軽く、ホテル前のリムジン乗り場へ、彼らを見送りに出る。言葉はいらない、おれの目を見ろ的クールなハグのあと、彼らはふらふらとリムジンに乗り、あらぬ方向に視線をさまよわせている。きっと彼らも寂しさをどうあらわしてよいのかわからないのであろう。リムジンが出発し、手をふり別れる。昨日のEWEの担当者、T氏とのミーティングでは、ヨーロッパツアーに向けての現実案と、双方の持つコネクションを利用しての販売ルート拡大の意見がかわされた。前途有望であるなあ、と思いつつ、重い足を引きずり、自室に戻り、その場で熟睡。いかにこのぼくが不眠症であったとしても、この時だけはぱたりと眠れた。彼らをまた、別の形で日本に呼ぼうと思っていいる。

某月某日
昨日まで、来週から行われるデンマーク人の盟友、キャスパー・トランバーグ達とのツアーの準備に明け暮れていた。あとは彼らが成田に到着するのを待つのみである。ダイレクトメールにて、ツアーの情報をe-mailによって友人などに送付したところ、お叱りを受けた。添付書類をいっしょに送るのはマナー違反であること。字体も書式を変えずに送らなければならないこと、など、よく演奏を見に来てくれる一人から親切な注意で知った次第。この日記の読者の方で、添付書類をウイルスと思ってあわてたり、取り込むのに時間がかかって頭にきたかたがおられれば、この場を借りておわびをしたいと思います。知らぬこととは言え、御迷惑をかけてしまい、すみませんでした。次回からは、詳しいものにDMの雛形のようなものをつくってもらい、それを使ってお知らせするようにします。

某月某日
多忙ながらテレビを見てしまう。世の中不条理である。こんなことは中学生の頃から知っていたはずなのに、あらためてそう思うようなできごとがおきている。この世は不条理で理不尽で、正義というものは物事の筋でなく、財力と権力とけんかの強さで決まるようだ。正義という定義事体の基準を定めるのもむずかしい。これが正義だとふりかざす人間がいちばん始末に困る場合が多々あるから。ぼくが子供の頃、まわりの大人達は、子供に対してこのような無常なるものを、突然ダイレクトに諭すようなことはしなかった。それは何を意味するかというと、まずぼくの生い立ちはラッキーだったということだろう。第二に、そういう生な発言を子供にしない大人が、少なくともまわりに居たということでもある。もっと大きく考えると、平和ぼけの状態でこの国で今まで生きてこられただけの事なのかもしらん。世の中にあるこれらネガティヴな現実を、子供に対してダイレクトにさとす親など少数であろう。そういう親は、相当なるペシミストか、シニカルであるということを心情とした者達だろうが、たまさかこういうテレビでのニュースを見ていると、子供らもそれらの情報源から、ペシミストにならざるをえない状況なんじゃないだろうか。親などが、子供の健やかな成長を願いつつ、人生のポジティブな側面を言って聞かせても、あまり信ぴょう性はなさそうだ。子供は敏感であるから。話し合えば解決するという理念をかかげるのが、一応の民主主義。しかし、話し合いが通じない人がこの世いるということは、昨今の事件を見ていれば自明の理。いわんや民主主義においてをや。話し合いで解決せずとも、その先にある我々の大切な時間とその展望が、いまの世相では、指し示される例もきわめて少ない。悲しいかなそれから先にあるものは、諦観などという生やさしい概念をとおり越した、虚無感しか残るものはないんじゃないか。我々には音楽が必要である。

某月某日
多忙である。GO THERE !第二弾CDのマスタリングは終えたが、リミックスの方はまだ最終段階の作業が残っている。加えて来週には北欧より演奏仲間が成田に降り立つので、その行程の最終確認をせねばならぬ。秋の夜長は読書といきたいが、悠長なことをいっているヒマはなし。近日中には第二弾のタイトルを発表の予定。読書はできないけれど、虫嫌いのぼくも、テラスから聞こえる虫の声にはそこはかとない落ち着きをおぼえる。深夜前、全てを一段落して飲みに出かける。人間の脳のキャパシティーも底なしではあるまい。許容量が限られているはずで、ぼくの場合、この週はどう考えても、たらいで相撲取りが行水しているような様相を呈している。たらいはへこめば買い替えられるが、出来の善し悪しにかかわらず、ぼくの脳みそはどこにも売っていないのである。//先日電話の子機が充電しなくなり、商売道具でもあるので、やむなく渋谷の量販店へいった。以前この日記にも書いたとおり、ぼくは蛍光灯と電子音が大嫌いである。よって電気器具の量販店はなるべくならいきたくはない。が、意を決して某店に突入。足早に電話売り場へといってみると、なんと、その売り場にある各電話器から違ったメロディーが。店内ループ放送とたくさんの違ったメロディーを同時に聞かされると、ぼくの場合、購買意欲までに影響をおよぼす。とにかくやたらめったら各電話器のボタンを押しまくり、電子音をとめる。よく見れば、どれもこれも薄銀色や薄ピンク色の、なにやらおもちゃっぽいデザインのものしかない。しかも、液晶ディスプレイには、ペンギンが何匹か踊っているものまである。あまりカッコつけたことをいいたくないけれど、これはあまりにも。何れにせよ自分の部屋には置きたくないシロモノばかり。店員の説明もよく聞こえないし、ほうほうの態で量販店から脱出。そのあと紆余曲折あって、まあなんとか、新しい電話器を購入。家に帰って段ボール箱を開けてみると、なにやら複雑な組み立て図がでてきた。まず子機に充電池をいれてみた。液晶ディスプレイに「デンチギレデス」という文字が浮かんだ。びっくりした。いま電池をいれたところだろう。これはぼくにとって、すごくインパクトのある言葉だ。電池のパワーで電池切れを示す言葉を映し出すのである。こんな最果てのユーモアはなかなかお目にかかれない。というか、ぼくにはもう、こういう器具の成り立ちそのものがもう理解できぬ。後々子機には電源からのチャージが必要と分かっても、電池をいれたとたん「デンチギレデス」というしくみは、なにか不条理な感じである。

某月某日
早朝からすっきりとした目覚め。年に何回あるか分からない至福の瞬間。朝食にシリアルを食べ、銀行などに行き、あとは小泉首相訪朝のニュースをちらちらテレビを見ながら、外出の準備をす。前回同じ場所で録音したGO THERE ! 第二弾の(タイトル未定)マスタリングをするべく東銀座のスタジオへ行くためだ。節約のため、冷蔵庫の余りものにてブランチをこさえる。マヨネーズ、ケチャップ、コショウ、というアイテムがそろえば、パンンのほかに何かあれば、カフェ飯を模したものが何となく出来上がる。妙な雨がふるなかスタジオへ。本日は曲順を決め、曲間も慎重に聞きながら長短を吟味しつつ最終決定をくだす。すべてさくさくと作業は進み、マスタリングにかかった時間は5時間ほど。出来上がった瞬間にぼくはなぜか飛び上がってしまい、マスタリングルームにいるエンジニアの方を驚かせてしまった、補佐役としてきてくれていたEWEのI君と、次週から始まるEWEのショウケースの段取りの打ち合わせも、細かいところまで話ができる時間が持てた。すべて終了後、文房具を買うために、銀座ITO屋という文房具店に行く。雨、まだ小雨ながらじとじとして天候は不快なれど、ぼくにとっての大きな仕事が終わったという安堵のためか、帰りの地下鉄の中から心身共にリラックス。ぼくにとってはめずらしい徴候。

某月某日
さすがに、昨夜はなんとか睡眠を得た。いままでが暑すぎた。少し頭も普通に動くようになってきた。なにしろ11月末には2枚のCDが発売予定である。録音が終わったからといって全て終了ではない。曲順など考えねばならない。ジャケットのデザイン、撮影も含まれる。そしてマスタリングだ。これは曲間の秒数を決めたり、最終的に音のバランスをとる作業で、地味ながら大切な最終行程。おまけに週末にはデンマーク人達が大挙押し寄せる。(ツアーの情報 http://www.kenta.wall.to/minami/kasper/)おまけに電話の子機が充電不可能となり、携帯電話にて方々に電話を書けなければならない事体に。家にいるにもかかわらず、料金的にも悲鳴をあげたいような心持ち。我が未来のマネージャーはいま何処。待っていろよ、必ず探し当てますからな。と言いつつ早アメリカから帰国して10年、何も状況は変わってはいない。午後、三軒茶屋のクラブ、グレープフルーツムーンにて、GO THERE !のメンバーにて演奏。これは以前この日記でもふれたCRJ(http://web.sfc.keio.ac.jp/~t99941yy/crj/event/index.html)という各大学の有志が結成した団体のクラブギグで、半年ほど前、我が「GO THERE !」が、彼らのwebにてインストゥルメントながら上位入賞したのをきっかけに、今回のお誘いがあったのだった。会場に行くと、ホールは満杯で、楽器セッティングにも時間がかかるほどであった。いざ演奏を始め、ふとむこう50cm先の若い客を見ると、みな棒立ちでおとなしいが、目がらんらん。中には腰や足をすばやくクネックネッとするものもいて、演奏が彼らに染みわたっているのだと確信して安心。ぼくが彼らの年代の頃は、必ず大袈裟に踊りだして将棋倒しをまねく奴とか、ステージにぐんぐん近づいてくる奴とかいたような気がするが、たぶん最近の大学生はマナーが良いのだろう。彼らのような年代に聞いてもらうべくつくったCDであるからこそ、こちらも嬉しさのあまり演奏は爆裂。最後にはアンコールまであり、最初から酸欠状態のホールは熱き声援と息吹によって、演奏は沸騰点まで達した。すべて終了後、CRJの主なメンバーとともに打ち上げへとついていった。この年代の人たちと飲むことなどあまりない。さしぶりに居酒屋にて2時までさわいで帰宅。

某月某日
昨夜は、渋谷のJZ BLADというクラブで、ギラ・ジルカ、井上淑彦(SAX)、田鹿雅裕(DS)、安カ川大樹(b)とこのぼくというユニットで演奏。非常にオシャレな場所で、天上高く落ち着ける。ギラと井上氏のカラミがたまらない。カラミといっても音楽的な意味でですが、長いステージの中にはたくさんの面白いできごともあり、あっという間に演奏が終わった感じ。これはいい演奏ができた時の徴候でもある。帰り際に何杯かひっかけ帰宅。軽く食事をして寝る体勢を整えても、眠気なし。しかたなく週刊朝日など読んだら逆効果かなあと思ってもやはり読んでしまったりしたら、また脳みそが刺激されて目がらんらん。これをビシャス・サークルという。明け方まで半分二日酔いな感じで眠れず、ふとカーテンのすき間から空を見上げると、都内ではめずらしく美しい東雲時。有酸素運動だかなんだかシャラクサイけど、散歩に出ることにした。近くの公園が目標。朝早いだけあって空気がきれいと思いきや、大きな通りに出てみると、走りはじめた車の排気ガスと清冽な空気の差が激しく、逆に煙たいようないやな感じ。しかし空は晴れ渡り、朝焼けが雲に反射し、ポール・デルボーの絵の背景のよう。公園に近付くと、たくさんのお年寄りがいらっしゃる。各自柔軟体操をしたり、軽くジョギングなどしていらっしゃる。生酔いで、不眠のオレがこんなところにまぎれても良いのか。これは散歩ではなく、ただの徘徊であると、お年寄りをしり目に、逆に価値観を反転して居直り、挨拶してくるお年寄りの方々におはようございますと頭を下げる。まったく様になっておらん。薄く汗ばむほどの距離を散歩ならぬ徘徊し、帰宅後シャワーを浴び、寝床に入るが頭の中にたくさんのフラッシュバックのようなものが見え目が閉じられない。難儀である。結局今日一日仕事の能率は上がらなかった。午後から何人かピアノを教えて、今月末にやってくるデンマークのグループ、キャスパー.トランバーグ・セプテットの日程、レンタカーのことなど頭の中でシュミレートしていたらまた頭が冴えてきてしまった。ビシャス・サークルである。その他12月のブッキングなどの準備もしなければならぬ。新しいCDのデザイン、曲順も二枚のCDのものを来週までに決めなければ成らぬ。そういうこととは別に、直に脳みそを音楽や創作のみに切り替える時のエネルギーが、これまたいちばん大変である。たとえば、宅急便などの不在表がドアに挟まっているだけで、もうぼくの脳みそのキャパシティは、一気に許容範囲を超えてしまうのだった。

某月某日
東銀座のスタジオにて、菊地成孔氏のミキシングに立ち会う。前作の我がクアルテット、GO THERE !のリミックス盤が出る予定である。菊地氏はその中の一曲を作業中で、スタジオ内は菊地ワールドとなっていた。ぼくのピアノの音が、どんどん加工され二重にも三重にもなっていって、リズムもベースもループしたり飛び上がったりねじれこんだり、切り裂いて塗られて剥がされてとものすごいことが起こっている。この作業とは別に、次回作のGO TEHERE!第二弾(まだタイトル未定)の菊地氏作曲の三曲、ミキシングの合間に聞く。これも聞いてみてひっくり返った。双方、ご臨終の時にたぶん聞こえてくるであろう天からの呼びかけのようなサウンドである。テクノロジーが人間のイメージを際限なくこの世のものとして音にする方便を可能にしてしまった。逆に、そのテクノロジーの根本をイメージするのも人間の技である。悲しいかなテクノロジーは戦争が起こると発展するという。最近の戦争はゲームと変わらん。ゲームおたくがUSマリーンに呼び出されるような時代になるかもしれぬ。スタジオにはたくさんの機械類がひしめきあっており、ぼくにはそれらが何の用途で使われるものかがぜんぜん分からない。特に日本の場合、機械の名称をすぐ短縮して符丁のようにしてよぶから、もっと分からなくなってしまう。こういう場所に超然としてしかも長時間作業を続けている方々は本当にすごいと思う。/11月にはこの第二弾とリミックス盤が同時発売の予定だ。リミックスの方は、レコード盤も作る予定である。これからもジャケットの決定などで忙しい。

某月某日
昨夜は、鎌倉のクラブ、ダフネで井上淑彦氏のグループで演奏。その前午後から4人ほどピアノを教える。みないい生徒なのだが、演奏前から疲れてしまった。速攻で準備し鎌倉へ。なぜだかひじょうに眠い。演奏の内容はといえば、前半がオリジナル、後半がスタンダードというメニュー。オリジナルの演奏も良かったが、後半のスタンダードにおける井上氏のアプローチはすごかった。特に最後に演奏したブルースは、ぼくがボストンにいたころ演奏していた黒人街のクラブ、ウオーリーズでの日々を思い起こさせるものであった。お客さんも凍り付いたように井上氏のサックスの音に耳を傾けていた。すばらしい夜だった。嬉しくなったので、帰りの電車は鎌倉から品川までグリーン車に乗ってしまった。さすがに居心地良し。川崎近辺の工業地帯や、集合住宅的なマンションの明かりなど、うら寂しく車窓の向こうでちかちかとしていて、ぼくの乗った車両には誰も居なかった。ダフネでもらったピザのにおいがかすかに漂っている。場違いな香り。品川駅手前でふと反対側を見ると、山手線が立ち往生している。雨のせいか。品川駅で降りて急いでタクシー乗り場に直行。自分の判断が正しいか正しくないかは別として、もう疲れたから、今日は交通費大盤振る舞いで帰ってやれ。終電一本前ということもあり、タクシー乗り場には、さほど人は並んでおらず、10分ほど待って山手通の上を走る。運転手に明日の天気を聞くと、何かぼそぼそしゃべり出すが聞きとれない。これも客をいなす運転手なりのテクニックとみた。帰宅後、おみやのピザをかじり夕食の変わりとす。冷蔵庫はから。クダラナイテレビ番組をちらちらみて眠くなるのを待つが、いっこうにその気配なし。体は疲れているのだが、目を閉じると、グオーッといった感じで底なし暗闇渦巻き空間に引き込まれるような感覚に襲われ、目をつぶるのが恐い。かといっていつものように読書をする気力もなし。最近家の近くに朝5時までやっているレストランバーができた。便利ではあるが、危険でもある。これからそこへ行ってマティーニなどひっかければ、なんとか眠れるのであろうが、翌朝のことを考えると、さすがに少し気が引ける。夜暗いあいだ眠らなければならないという概念事体を自分の中で否定することとする。部屋でじっと目がりんりんらんらんしているというだけで、夜中に友人に電話をかけまくるとか、奇声を発するとか、別段人に迷惑になることはしていない。ただ部屋で存在する物体となることとした。物体はたまに小便をしたりするが、あとは物体故、時間とか、観念というものも感じてないのである。物体は、まんじりともせず、ソファに腰掛けあらぬ方向を凝視して、物体として存在することにつとめる。が、しかし、この作戦も一時間ほどでほころびが出る。やはり物体には成りきれない。ナンダカンダで午前4時になった。明日もピアノを教えるのである。ぼくの意識とともに時間もとまらない。

某月某日
ぼんやりとした感覚で、夏が薄れてゆくような今日この頃だ。今年の夏は暑かったと言うより、あぶられたという言い方の方が妥当に思う。消耗も激しかったが、充実した8月であった。日々音楽のことしか頭にないのがミュージシャンの性であり、気が付いたら普通の人が大切にしているあれやこれやを全て犠牲にしてしまった後だったりする。それらの事柄もまとめてうまくさばけるミュージシャンも居ないこともない。ただ僕にはそれができそうもない。脳のキャパシティーには限りがある。たぶん僕のそれは人より小さいのであろう。少しだけ暑さがピークを越してくると、いままで使われていなかった脳の部分が少しづつ開いてきたような感覚になる。暑さのため、本能的に休止状態にあったのだろう。実際、少し涼しくなったというだけで、日々の生活から音楽、練習したり音楽のことを考えたりすること事体の回転が、真夏の日々より効率的である。とは言え、そこはかとない倦怠感はいまだに残っている。明日は、盟友菊地成孔氏と吉祥寺マンダラでジャズの曲を中心としたデュオ演奏をする。昨日、忙しい合間をぬって彼が家にリハーサルに来た。リハーサルといえば聞こえはいいが、実際音を出したのは20分かそこらであり、後は今回共同で製作した次のCDをどう売ってゆくか、またその先のお互いの展望について話し合った。その後だんだんくだけてきて、国際情勢からグルメの話まで、多々の話題が何の脈絡もなく我が居間を占拠した。まあ、言ってみれば、少し涼しくなった後だからこそあれだけの話題と会話が出てきたわけで、真夏日だったらとにかくぐたっとお互い無言ですごしたのではないだろうか。何れにせよ、菊地氏の審美眼とセンスの良さには毎回感心する。二人のキャラクターは決定的に違ったものなのに、どこかお互い心の奥深くで、同質のパラダイスを夢想しているのかもしれぬ。これが思想的なものだと、ある意味人間関係の基本として、危険な領域にはまる恐れがないではないが、こと音楽にかけては、そういう危険性がないところが、我々の職業の面白いところであり、馬鹿馬鹿しいところであり、愛おしい側面である。夜中までいろいろと議論をしてひじょうに楽しかった。明日のデュオが過ぎると、土曜日には、鎌倉にあるクラブ、ダフネで井上淑彦氏との演奏がある。オシャレなクラブで、ジャズクラブでございといった嫌味のない空間で、食べ物も美味しい。お客さんにとっては、井上氏のサックスを聞きながら飲み食いできるのだから、かなり贅沢な空間だと思う。文化都市鎌倉という立地条件も、良い音楽に一役かっている。僕もその一端を担うつもり。週末の午後は同時にピアノを教える予定でもある。ぼーっとしていられるのも今日までで、明日からまたエンジン全開、一匹狼の世渡りの再開である。日本の行く末も、日本人の行く末も、この頃の天気と同じくはっきりせぬ今日この頃だけれど、美輪明宏の言うとおり、クールな頭脳と暖かいハートを持ってして、何ごとにも対処したい。

某月某日
倦怠感、疲れというものは、突然襲ってくるものと、じわじわと体に効いてくるものと、二種類あるようであり、最近は後者のじわじわ感により、午前中は体がやくにたたない。勤人はみなどうやってこの状況を乗り切り、朝はやくおきて電車に乗っているのだろうか。ぼくはまったく勤人には向いていないが、子供が餓死しようと、家が傾こうと、絶対毎朝早く起きられないだろうなと思う。まあ、子供も家庭も持っていないので、その立場にならないと断言できないかもしれないけれども。一昔前の文人をふくめ、そんなに偉くない人々も、戦前はみな軽井沢などに小さな別荘をもっており、避暑にいったそうだ。うらやましい。人が休んでいる時に何がしかをしてみせるのが我がツトメとはいえ、夜中までピアノを弾いていると明け方まで眠れぬ。みな運動をせよというが、家事雑事も手に着かぬ状態でジムなどいけるのか。仕事が忙しいとそういう諸事がひじょうにおろそかとなる。掃除洗濯も良い運動になるには違いない。しかしぼくの場合それがストレス発散には成り得ない。逆に、はやく家政婦さんでもお手伝いでも何でもいいから雇えるだけ稼ぎたいと思うのみである。ジムなどに行く人は、家の中がさぞかしきれいで、洗濯物もたまっていない人なのだろう。あとは金持ちか。おっと、愚痴をこぼしてしまったかな。運動不足といわれようがなんだろうが、こう暑いと外に出る気もせぬ。演奏その他ティ-チングがない日でも、することは山ほどある。いまそのプライオリティーがいちばん高いものに、新しいGO THERE !CDのタイトルを考えねばならぬ。これは曲を書くより大変な作業となる。曲を作るということは、ぼくにとっていちばんハードな行為なのだから、タイトルを考え出すということの大変さがこの言い回しで逆に理解してもらえるだろう。いくら良い曲でもタイトルがダサイと、全てがオジャンである。目下、CDと、一曲ある名無しの曲に対する新しいタイトルを考え中だ。THE WHOなんて、なんとイカシタネーミングだろうか。この点我が盟友菊池成孔氏のタイトル付けに対するセンスは、賞賛に値する。彼の言語感覚は、非常に明晰にして奥深く、そしてチャーミングである。しかしそれらの要素の奥には、とてつもない、何と言うか四次元的ノーグラヴィティカルな領域があって、彼はその知性とセンスで、この枠の無い無限で底しれぬ内なる空間から言語を引っ張りあげてくるのだ。これも、彼自身作詞をするという点で、驚くにはあたらないが、ぼくから見たら、うらやましいこと甚だしい。彼の参加していたバンド、ティポグラフィカの曲で「重力異常の競馬場」というタイトルがあった。ぼくはこれが大好きで、なんとかこういうセンスを取り込んで自分のものにしたいと体をピョンピョンさせていいアイデアを絞り出そうとしているのだが、滴り落ちるのは無駄な汗のみである。

某月某日
今日は休日。渋谷に映画「チョコレート」原題MONSTER’S BALLを見に行く。最近見た映画は、SF好きもあいまって、スターウオーズ・エピソード2とタイムマシンであった。で、どちらもぼくにしては不作だった。多少の矛盾点は、その圧倒的映像とテンポ間の早さによって薄れる時もあるけれど、このニ本は、まったく別の世界にぼくをつれていってくれるような、映像的、心理的要素はなかった。「チョコレート」は久々のヒットである。音楽も台詞も静謐なのだが、その裏にある人間の心理や葛藤が、いかに生活環境及び文化が違った者が見ても、深く合点の行く悲しい物語として、観衆の心を捉えてやまない。お勧めの一本だ。映画館を出て、良い映画を見た時独特の余韻に身をまかせながら、安酒場でまたハイボールのダブルを二杯飲み、タワーレコードなどを散策。ここでも、新進のアメリカ人ピアニストの新譜を購入。早速帰宅後じっくりと聞く。秀逸なできばえ。今日は、アメリカの芸術を違う角度から堪能できた楽しい日だった。アメリカは歴史が浅いのに、人情の機微にかけては、日本と全くひけをとらない。まあ、音楽、映像とも作り物であることは変わりないが、映像や音楽の深み、その先に横たわる豊さに関しては、まだまだ我々も研究の余地ありである。

某月某日
多忙なる8月が終わろうとしている。ピットイン3DAYS,新しいCDのレコーディングと、自分にとってはかなり大きなイヴェントが同じ月の中に凝縮されると、そのしわ寄せが月末に迫ってきて、休むヒマはない。と言いつつ、昨夜はピアノを教えたあと、お気に入りの場所に飲みに出る。バーである。家から少し遠いけど、まわりが静かな場所にあるので気に入っている。ハイボールを注文する。ウイスキーのソーダ割りである。水割りは好みでない。良い酒はストレートにかぎるが、ソーダと酒と氷の比率が良ければ、ウイスキー本来の味は損なわれず、スイッと飲めるので気に入っている。この店で、系列店の、やはりぼくが柱一本ぐらい建てたのではないかと思うほどよく行くバーのバーテンダーの人が、今日をかぎりにやめるという話を聞いた。早速ハシゴする体勢となる。長年うまい酒を作ってくれたことにお礼をいわなければ。まあ、これは表向きの理由であり、飲み歩くということに対する自分自身の弁解を成立させることができた、というのが裏向きの理由である。ハイボール二杯をスイッと飲んでタクシーにて、さらばバーテンダーの店に直行。ドアを開けると、いつもの歓待。しかしこの雰囲気は今晩限りである。バーテンダーのI氏は年も若く、人当たり良く、いつも控えめであり、一人で飲みたいのか、ちょっとカウンターの奥の女の子をふくめたスタッフとクダラナイ話をしたいのかを見極めるのが上手な青年である。余計な話はせずに、いままで味わってきた居心地の良さを再度満喫しながら、小一時間ほどして、おいとますることとする。I氏とかたい握手。いままでどうもありがとう。このニ件目の店では、グレンレヴィットをダヴルで飲む。グラスの氷が球体のため、アイスキューブの入ったロックより、酒自身を冷やす効果があり、最後まで程よい冷たさが飲み口に残り秀逸。そのニ件目のバーからほろ酔い気分にて徒歩で住まいまで帰る。約15分の距離。8月に演奏した事々がグ-ルグルと頭をよぎる。ひじょうに充実した夜だった。今は9月にひかえる大きなイヴェント、デンマークのコルネット奏者、キャスパー・トランバーグのツアーの準備にかからなければならない、ちょうどその中間的時期である。2~3日体を休めてふらふらとすごす事とす。また精神的にも肉体的にもハードな日々が待ち受けているのだ。

某月某日
腕を四本同時に違う作業に使えたとて、到底終わらないぐらいの雑用が身の回りにあり、朝方から家の中をあっちいってこっちいってと動き回っていたら、昼過ぎには疲れ果ててしまった。おまけに、ぶり返した暑さと湿気のせいで、脳内に膜が張ったような気分になり、能率が瞬時に低下。銀行だの郵便局だの医者だの買い物だのまわって帰って来たら、自炊する気力が失せた。再度弁当屋に行きダッシュで帰り、テレビを見ながら安価な昼食。みのもんたの番組をやっている。毎回毎回からだにいい食べ物を紹介している。良い食べ物を毎日定期的に作って食べるということは、思いのほか大変なことである。さらに、この番組でえた数々の知識を毎日実現しようとしたりなんかすると、精神衰弱になってしまいそうだ。本末転倒だ。いや、神経衰弱によく効く食べ物を用意すればいいのか。午後横浜エアジンに演奏に行く。ちょっと繁華街までお買い物した帰り風の主婦が20%、ちょっと早めに会社が終わってほっとしつつ週刊誌のOL不倫記事をへの字の口で見ているサラリーマンのオジサン30%、ちょっと見は中学生だがたぶん高校1年ぐらいのニイちゃんが20%、ちょっと見はやはり普通だけど、良く見ると完全にまわりの社会から隔絶しつつ携帯メールを打つ女子学生20%、残りの10%は、暑いのに長そでのシャツを着て、チョッキをはおり、頭髪は後ろで結んで頬骨の高い顔がゆらゆらしている、なんだか動物園にある秘密のバーのバーテンダーみたいな人。年令不詳で野球帽をかぶり、決して視線が一点に定まらない落ち着かない男、そしてぼく、を乗せた東横線は一路桜木町をめざす。今夜はぼくのブッキングミスでドラマーがいない。水谷浩章(B)井上淑彦(SAX)でのドラムレストリオにて演奏。皆がいつも以上にリラックスした体勢で楽器にのぞむと、エロティックでエレガンスなサウンドがタ-ラタラタラとまわりの空気を濡らしはじめて、演奏者自身もどっぷりと体でその雰囲気を満喫しつつ、さらにその上に、自らの手で、キュートな要素も盛り込んじゃったりして。いやあ、楽しい楽しい。演奏終わってクールダウンの後、また電車に乗る。今度は、社長になった夢を見ているに違いない、シートの上でふんぞり返っていびきをかいている会社員一人。デートの帰りで遅くなっちゃって心細いんだけど、初めての経験でもじもじしてて、でも若いからこのまま家には帰らずどっかで暴発する淫靡な危険性をはらんだカップル二人、それとぼく、ほか97%はがら空きという電車で家に帰った。読書の後就寝の予定。

某月某日
やはり、心情的にも無意識下でも、昨日のミキシングが、ある意味この8月のビッグイヴェントの最終日であったことを感じていたのだろう。他の月とくらべ、通常より多いクラブでの演奏に加え、レコーディング、ピットイン3DAYSと突っ走ってきた。昨夜はそのせいか、スタジオ終了後に短時間で焼酎を水谷と痛飲。量は飲まなかったのだが、基本的にからだ事体が疲れていたのであろう。久しぶりの二日酔い状態で目覚める。こういう時は、プロジェクター仕様のテレビでも見て、ただただ時の過ぎ行くままに身を横にしているしかない。今晩は六本木ALFIEにて演奏だ。それまでにはしゃんとならなければいけない。さて午後も暗くなってきて出発の時間、何も食べずに演奏に取りかかるのはしんどいので、インスタントのお粥、梅干し、卵豆腐などをゆっくり食べ、ヴィタミン剤を嚥下。カバンには宇宙食の30秒チャージの銀の袋をつっこむ。準備万端。六本木へ。最近のBOZO、いい感じこなれてきて、三者三様ならぬ四者四様が、曲の中の面白いつぼ、それも新しいところを探ったり探り当てたりを同時進行で演奏に反映させるところまできている。オモシロイったらない。この段階に行くことができるバンドは、まああと少しで、また次のステップへの殻が破けるということを、ぼくは何度も見ているから、そういう意味でもわくわくする。そして、ぼくがこのバンドのメンバーであることは、ひじょうに嬉しいことだ。まだ少し二日酔いぎみという、まことに不真面目なコンディションであったにもかかわらず、ぼくはこの日のこの演奏を充分楽しんだのであった。0某00月某日一昨日、東銀座のスタジオにて GO TEHER !第二弾のミキシングを行う。午後にみな三々五々集まって最新作のできばえを聞きつつ、音色、各々の楽器のバランスを決める。諸事さくさくと進み、夜中過ぎに万事終了。近くのコンヴィにエンスで買ってきた安物の焼酎にて乾杯。録音がすんだ夜も終わった終わったと言いつつ飲んでいるのだから、まあ、ことあるごとに飲んでいるとうことだ。節目節目には、お浄めが必要と自分を納得させ、ほとんどストレートの焼酎をぐびりぐびりと、おもに水谷と酌み交わす。こういう時の酒の味もまた格別で、ほろ酔い加減で帰りのタクシーから見る銀座、青山近辺の街並が、人っ子一人いないせいもあって、なにやら昭和の東京の影を見ている気分。人々が街を歩いており、ネオンや看板が明るいと、街が様変わりしてしまったことが良く分かるのだが。薄暗い、そしてなじみの街角を疾走するタクシーの外の景色には、ぼくの中にある郷愁を掻き立てるのに充分な雰囲気と色合いがあり、疲れきった体にはなにかしらの慰めとなった。さて、帰宅後1秒でパンツ一丁になり、ミックスしたDATを再度聞きはじめる。おちついた環境でじっと最後まで通して聞いてみると、これは相当ダークな雰囲気のCDになるなという予感がしてきたのであった。菊地成孔氏による3つのオリジナル曲といっしょに聞いてみなければ、(菊地のミックスは後日行われる。)確かなことはいえないのだけれど、菊地氏の曲がどういうものに変化するにしても、この新作は少なくとも前回よりはダークに違いない。芸術は、常識を疑うことから始めよ、とは良く聞くことばである。この新作の録音の打診があったあと、とにかく前作とは違う、イケイケドンドンな曲ばかりにするのだけはやめようと思っていた。透明感もそこにはちゃんと存在するようなダークネス、さあこの雰囲気が、菊地氏のオリジナルが含まれることによって、またどう変化するか、プロでューサーでもあるぼくにしても、いまのところ見当がつかない。出来上がりがひじょうに楽しみだ。

某月某日
日記の容量が重くなり、上にある♯の中にまとめることとした。古い順から1,2,3となっている。次回から心機一転。

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