MORTIMER HOUSE

某月某日
多忙により長い間日記をさぼる。その間、キャスパー・トランバーグ(COR)セプテット「MORTIMER HO0USE」がEWEから発売となった。内容もさることながら、CDのデザインも秀逸。9月末には、EWEのSHOW CASEに合わせてツアーを企画している。その最後の準備に今大変忙しい。かえす刀で今週から井上淑彦QUARTET,ギラ・ジルカとの演奏などが重なってしかも不眠である。津上研太BOZOも、ジャケットのデザインの段階まできた。7月のチラシの準備もしなければならない。8月の新たなるクアルテットのレコーディングの曲作りも着手せねばならない時期でもある。こんなの日記じゃないなあ。ただやらなければならぬことがらを羅列しているだけ。お粗末様でした。

某月某日
雨模様。連休も終わり世の中が動き出したのでぼくも起き上がって仕事を始める。連休が始まると、家の近所も人の波で、どこかへ行く気など最初から失せてしまった。年明けからほとんど休んでいないので、簡単に家の掃除などをしたあと、ただただ体を休めた。食材なども少し買いに行ったが、あとは何もしない。連休の中日少し二日酔いとなった。こういう時は例によって読書をするのである。小便する以外寝床からでず、買い置きの本も無かったので、本棚から適当にみつくろったものを何冊かまくらもとに並べ、適当に読みあさる。これが二日酔いにはいちばんの特効薬である。薬を飲もうがもがこうが、二日酔いはそんなことではびくともしない。ただひたすら何かを読んで気をまぎらわすのがぼくの流儀。文章を読むことによって、脳が肉体の苦痛を受信するキャパシティーを自然に減らすのだ。嵐山光三郎著「文人悪食」、これは非常に面白い。夏目漱石から三島由紀夫などなどの文豪の隠れた面を、食べ物を通して追ってゆくという内容である。作家というものはバンドマンよりクルクルパーである。池波正太郎の料理の本は知っていたが、皆それぞれ食に対する流儀がしっかりとあり、特にぼくの好きな萩原朔太郎の好物などがわかっておかしい。三輪明宏著「紫の履歴書」「人生ノート」なども愛読書で、失礼ながら二日酔いのこういう状態の時にはうってつけの怪しい内容だ。三輪氏の本を読むまで、ぼくはあの方について何も知らなかった。あまりにも本の内容が面白いので、あとからCDなど聴いた。日本にもこういう方がいるというのは心強い。岡本太郎氏と同じく大好きな人である。若いころの写真を見ると、同性愛でなくとも吸いこまれるような美貌の持ち主で、しかもぼくと誕生日が同じなのである。あまり重い内容の書物をえらばないのも、二日酔いの状態には大切なことで、あまり難しい内容のものをえらんでしまうと、今度は脳事体が二日酔いのようになってしまう。

某月某日
連休直前までピアノを教える。後EWEの担当者と、キャスパーの日本ツアーに関する打ち合わせ。少し約束の時間まで間があったので本屋にいった。とある本がすっと目に入ったので衝動買いした。鍵盤奏者竹久源造著「新しい人は新しい音楽をやる」アルク出版だ。河合隼雄との対談というのが目に止まったので買ったのだけれど、またこの本がものすごく良い。エッセイ、対談、自己のCDへの文章、などが収められているのだが、なんという筆のたつ、しかも表現力豊かな人かと目を見張った。目からウロコのみならず、まつげも目くそもぽろぽろと落ちるような竹久氏の慧眼と審美眼に敬服。話題はバッハからリー・コニッツ、グレン・グ-ルドまで及んでいて、ひさしぶりに胸のすく音楽書を読んだ気分だ。EWE の担当者と新宿で落ち合ったあと、タワーレコードにて早速竹久氏のCD「鍵盤音楽の領域 VOL5」を買って、家で聴いた。ピアノの元祖であるチェンバロ演奏で、曲によっては左手でドローンな音(が-ッとクラスターのようなことをやるという意)などを演奏しており、非常に面白い。ピアノの前段階であるフォルテピアノという金属を使っていない楽器の演奏なども他のCDで聴けるようだ。この休みはゆっくり読書がしたいと思っていたのでまさに吉兆。氏の他のCDも探してみるつもり。

某月某日
典型的な休日であった。まず床屋に行き、近くの定食屋にて飯を喰う。まわりをブラッとして家に帰り何もしないでいようと思ったら、成り行き上、いろいろなところに電話をかけなくてはならなくなってきて、ずっと電話の子機をあごの下にはさんでいることとなる。後、脳を休める為テレビを見たが、休めるどころか、目を覆いたくなるような民度の低い事件やスキャンダルだらけで逆にイライラしてきたのでスイッチを切る。散歩する気力も残っておらず、どこかに遊びに行く気分でもなし。明日からゴールデンウイークで、またどうせどこもかしこも人だらけとなるのであろう。自由業の役得はこういう時にこそ人ごみを避けられるという点にある。少しは東京から人口が少なくなることを祈る。毎年、お世話になっているマーケットやレストラン等この時期閉まって不自由するが、なんとか静かに暮らすつもり。

某月某日
4月は本当に忙しい一ヶ月であった。昨日までで演奏の仕事は終わり。5月は第2週から演奏を始める。いくらピアノを弾くことが好きでも、しばらくのインターミッションが必要な状況だったのでちょうどよい。今日明日と演奏もティーチングもなし。手付かずでいたキャスパーのツアーの件を各方面にわたって電話をかけ、話を先にすすめることに専念する。午後、盟友菊地成孔氏と初対面のライターにしてサックス奏者の大谷氏と家のそばで会う。なにやら菊地君、音楽史と理論講座をミックスしたようなものを企画しているらしい。近所のレストランにてバークリー時代の話を少しする。講議する上で、もう少しバークリーの話しを聴きたいとのこと。菊地氏と一緒にいるとまことに気分良し。頭の回転が早い男が好きである。菊地君は存在事体がダントツに魅力的だ。こういう人間こそ音楽をやるべきなのである。他に世間とコネクトする手段が皆目わからないぼくから見ると、人前で演奏以外の事もちゃんとした形にできる彼の才能をうらやましく思う。各々音楽に対するコネクトのしかた、音楽に対する手法とかかわり方は異なるが、本能的に菊地君もぼくも根が同じところにあるような気がする。ということで、多少の意見の食い違い、考え方の違いがあっても、それらはお互いのなかで許容範囲を超えないのである。まあ双方の決定的な違いと言えば、菊地君にはポップスに対する鋭いイマジネーションがあるのにたいして、ぼくにはその感覚がまるで無いということだけ。うらやましい限りだ。講議は12回ほど続けるという。彼のウエッブにその詳細が既に文章化されていた。忙しいので全てを読んでいないが、まことに細かく面白い視点から音楽を捉えている。時間があればぼくも聴講したいぐらいだ。菊地君と別れたあとは、ツアーの段取りの続きである。みるみるうちに夜となり、一日が終わった。やはり休めなかった。

某月某日
昨日に続き本日もクアルテットで演奏した。1月にデンマークへツアーに行ってから初めての日本での演奏。昨日は鎌倉のダフネというクラブ。今晩は新宿ピットインだった。8月に新たなるレコーディングをひかえているので、新曲を三曲ばかり演奏した。どれもデンマークツアー中に楽想を得たもの。1月の北欧は、太陽光線の乏しい日が多かったのだが、日本と同じ島国であるため、フェリーで海峡をわたったり、悲しいかな日本ではそうとう東京から遠く離れないと触れられない美しい自然環境など、曲のアイデアを得る環境と時間はふんだんにあった。三曲ともピットインにて演奏前に簡単にリハーサルし、あとは本番にて様子を見ることとする。これもメンバーを信頼していないとできないことだが、あまりリハーサルで曲の内容を決め過ぎても、後々演奏回数に反比例して新鮮味にかける徴候があるのも確かで、ちょうどレコーディング時に、各々のメンバーが最高のイマジネーションをもってして演奏できる具合とその時間の距離をはかるのも、リーダーの役目と思っている。今晩新曲演奏は初日であったので、その距離とヴァランスのはかり具合はまだ不明だが、よい手ごたえだけは感じられたのでほっとしている。鎌倉と新宿のクラブは、いってみれば対極的な演奏条件を我々に二日間提示したことになるのだ。ダフネは基本的にレストランバーであり、演奏の音量をある程度おさざるをえない、それを見事に采配し、絶妙のグルーブ感を表出させたのがアニキこと芳垣安洋氏である。店の大きさも天井の高さも響きも異なるクラブでの演奏において、ドラマーのダイナミクス感覚が音楽のすべてを構築し、そして音楽そのものを担うのである。アニキのドラマーとしての感性は完璧であった。天井の低いダフネでは静かながら迫力満点のドラミング。ピットインでは冒険心あふれるのびのびとしたプレイを展開してくれた。リーダーとして嬉しいかぎりである。ピットインにはEWEでの担当者T氏などがわざわざ聞きに来てくれた。次回のレコーディングの話などを演奏後にする。「GO THERE !」のLP盤が出ることが決定し、その製作にあたる人物もピットインにみに来てくれて、色々とまわりの状況がおもしろくなってきていることを実感。早く自分のピアノの音をレコード針を通して聴いてみたい。

某月某日
雨の日は美しい。何年も母国を離れていたわけではないにもかかわらず、春の雨は妙に郷愁をそそる。冬場も忙しかったので、時間の感覚が去年から長く感じていたのかも知れない。歳をとると一日一日を短く感じるそうだから、吉兆かもしれない。とにかく、今日一日静かな雨の日。

某月某日
朝から多忙。雑用が山のようにある。考えてみれば主婦業に加え、マネージメント、プロディース、演奏作曲練習などしているのだから、やること多くてあたりまえか。8月には次回のクアルテットのレコーディングも決定した。おかげさまで前回の「GO THERE !」の評判がよく、立続けに出すことになったのだった。まだ未定ではあるが、盟友である菊地成孔氏に何曲か楽曲提供及び演奏を頼もうと思っている。5月22日にはデンマークの盟友キャスパー・トランバーグ(CORNET)率いるクインテットのCDが同じくEWEから発売予定だ。ジャケット、ライナー等の件でEWEの担当者と密に連絡を取る。バンマスは海の向こうだ。いくらメールがあるからといっても、自然ぼくがしなければ成らないことが多くなる。ジャケットはキャスパーの画家の父親の書いた幻想的な絵が使われることとなる。ライナーは、ぼくもデンマークに行くようになって友人になった、作家でサックス奏者のトーステン・ヒューによるもの。ジャケットもさる事ながら演奏内容もざっくりとおもしろい。コペンハーゲンの夏の夜を想起させる楽曲が多い。デンマークの音楽関係者もひじょうにこのCDには期待をしていて、今後の文化交流の助けになればと思う。新調したスピーカーにて津上研太(SAX)BOZOのミキシングの終わったDATを聴きながら、コンピューターなどで手紙を書いたり、なんだかんだやっていたら暗くなってしまった。練習の時間を取らねば。といいつつ夕方以降ピアノを教える。前にも書いたが、戦争状態の国もこの地球上にはあるのだ。新聞によると、ガスも電気も止まったままで一日パン一枚で生活しているという。今日一日またよしとしなければなるまい。

某月某日
午前中にて雑用をすます。午後は何もしないと決めて、ぼうっと過ごす。と言いつつ、次回のクアルテットのレコーディングの内容などを考えてしまう。外国人から見た、休むのが下手な日本人の典型的体質を、ぼくももっているのかも知れない。家にいると、何やらやることがたくさんありそうな気がしてきて休めない。つまり貧乏性なのだろうが、自分を急き立てて散歩に出る。見たい映画など色々と行動的になって、自分自身の目を肥やしたりするのが、本当の意味でのポシティヴな休日の過ごし方だろうが、繁華街を通過することを想像しただけで自然足がそちらの方向には向かなくなってしまう。ずぼらなのだ。指輪物語も見たい。美術館にも行きたい。色々としたいことはあるのだが、今までの仕事量で脳みそがくたびれているので、その脳への刺激を極力減らすというのも休むうちと,自分のずぼらさ加減に自分自身いいわけをしてそこいらをほっつき歩く。夕方家に戻ると、春の夜の香がした。何となくそんな空気が、ちゃんとしめて出た窓のすき間から漂っているような気がしたのだ。すべての窓を開け放し空気をいれかえる。何もないはずの一日であったのだが、夕方から夜にかけて写真撮影のあることを思い出す。友人のフォトグラファーが、個展をひらく為ぼくのような仕事をしている人間を何人か、その住んでいる街を背景に写真を取るというコンセプト。何を着て行こうか考えねばならないが、脳が休みのモードに入っているので、なかなか思い付かぬ。そわそわしているうちに、女性カメラマンが登場。即興でグレイのスーツに黒いシャツを内側に着たもので決まる.まずは中目黒の方面に二人でぶらぶら歩いて行く。撮影しながらからいろいろな質問を受ける。あなたにとってパラダイスとは何か、とか、東京は好きですか、とか、ここでずっと音楽をして行くつもりなのか、とかとかとか。こういう質問に答えている顔を撮るの何かしら意味があってやっているのかと思いきや、そんな毎数は撮られなかった。目黒川ぞいにて何回か。桜は散って天気も曇り。ぼくの撮影にはもってこいのシチュエーションではないか。そのまま白金にある某行きつけのバーにて撮影続行。一応よいものがあればこちらのプロモーションにも使わせてもらいたいと思っているのでできあがりが楽しみ。屋内だというのに、レインコートをはおって撮影。せっかく夏のスーツを着ているのに。

某月某日
昨日の疲れを引きずってまた朝遅く起床。晴天ではあるが体はあいかわらずだるい。近くのグロッセリ-ストアにてお気に入りのサンドイッチで昼食。不思議なことに、うまいだけでなくここのサンドイッチは外国の味がする。近辺に大使館などが多いという立地条件も含め、ヨーロッパ系の人々の出入りが多いからだろうか。店の入り口には簡易テーブルなどが置かれており、簡単にすわって食べることができる。妙なバックグラウンドミュージックがないので落ち着く。有線でジャズが流れているところは場合によっては居心地が悪い。こちらは耳を含めて休みたいと思って金を払うのにもかかわらず、聴きたくもない音楽をなぜ流すのだろうか。そういう店が多すぎる。演歌も苦手である。日本人の心といううたい文句は出所が怪しいと思う。明治時代に演歌などあったのだろうか。午後は目一杯ピアノを教える。ティーチング終了が9時。皆忙しい合間をぬってわざわざ習いに来てくれるのでこちらも気は抜かない。よって教え終わるとやはり疲れる。明日は久しぶりの休日である。休日とはいえ、銀行、郵便局、その他行かなくてはならないところが多々あり、あまり休めない。 2002年の春がきた。世界では戦争をしているところもあり、経済が崩壊してデモばかりしている国もある。なんにせよ今日ぼくは、東京で平和に一日を送ることが出来た。ありがたい。

某月某日
連日の疲れを引きずり起床。昼間に目覚める。ひじょうにだるい。季節の変わり目と、連日のレコーディングだのミキシングだの、デンマーク人のコルネット奏者、キャスパーとの10 月ツアーの準備、家事雑事などやることがおてんこもりで休むヒマ無し。無理に起きて冷蔵庫をあける。食材はそろっているものの、調理する気力無し。近くの定食屋にてむつ味噌焼き定食をむりやり喰って午後からピアノを教える。夕方6時に急いで着がえて横浜エアジンにて津上研汰BOZOにて演奏。何度も何度もスタジオで同じ曲を聴いていたので、メンバー各々曲がからだに染み付いていて、ものすごくよい演奏となった。ピアノを教えて後何も飲み食いする時間がなかったので帰りの電車の中で血糖値が下がり、ふらふらしてきた。ふだんからテレビの美味しいもの特集の番組を見つつ、日本人は飽食を通り越して無軌道な餓鬼地獄への道をまっ逆さまに歩んでいるとひとり頭をたれていたのだが、今晩に限っては、しゃぶしゃぶ、寿司、焼肉、もつ鍋、などなどのメニューが頭の中を走馬灯のようによぎる。ちゃんと食べているのだが、それ以上にエナジーを消費しているらしく、からだが自然にこれらの食を求めて止まない。しかし週末はどこへいってもわいわいガヤガヤうるさいので、家にかえってコンビーフの缶詰めとキャベツを炒め即席の夕食とすることにした。疲れている。

某月某日
超絶ウルトラ危険で狂気な、そして信じられないようなロマンスに満ちあふれた夢を見てはたと明け方に目覚める。こういうことがよくある。この夢は文章にできない。書くと相当ヤバイ内要となろう。今日というか、昨日もミキシングの続きをする。その後ピアノを教え、やっと夜ゆっくりとする時間があった。ぼーっとテレビなどを見ながらめしを喰い、少し呑んで就寝した。順当な市民の手続きをふんだにもかかわらず、脳みそがまだ変に疲労していたのか、妙な時間に目覚めてしまった。昨日、といってももう一昨日になってしまったが、これらミキシングの日々の合間をぬって井上淑彦氏(SAX)と六本木のアルフィーにて演奏。ピアノのチューニングも良く、音響もばっちりで、なんだかすごい演奏をしてしまった。バンドが一体となり、もうどうにでもしてくれってな状態が曲間に何度も見えかくれし、演奏後はすっきり爽やかという、理想的な状態が何度もあった。全て井上氏のすばらしい音楽のおかげである。さてと、こんな時間にばっちりと目覚めた時はどうすればよいのか。何度もこういうことがあり、いつも自分自身が手持ち無沙汰。練習したり仕事雑用は不思議とこういう時手につかぬ。

某月某日
本日は津上研太BOZOのミキシングの日である。ミキシングとは、演奏した各々の楽器のバランスや音色などを皆でああでもないこうでもないと言いながら、イメージしている音に近づける作業と言い換えてもいいだろう。当然津上氏が今回リーダーであるから、彼が最終決定をくだすのだが。水谷氏のレコーディング機材その他に対する知識はんぱでなく、彼が専門的言語において、我々の意志をサポートしてくれることが大きな助けとなる。ぼくはいつもレコーディングエンジニアのH氏に対して、超絶ウルトラ抽象的概念的主観論を日本語でないような日本語で表現するので、H氏はいつも頭を抱えてしまう。そういう場合、水谷氏が二言三言適格なテクニカルタームを用い、ぼくの言わんとしていることを助けてくれる。すかさず外山氏が、リズム、サウンド全般に対し絶妙なアドバイスをすることにより、演奏した内容が鋭くヴバランスのとれたものとなって行く。こういう行程を、演奏した曲を何度も聴きながら続けるのである。またまた気付いたら午前2時になってしまった。タクシーにて東銀座から帰宅。頭の中は疲労のためか石のようになった感じ。

某月某日
さて、津上研太BOZOの2回目の録音だ。先日やりのこした曲を一気に演奏。時間があまったので初日に録音した曲の中からいくつかを再度演奏しなおす。津上氏、初リーダーアルバム製作ということで気合いも気力も集中力も半端じゃない。べつにメンバーに妙なプレッシャーを与えるようないやな気迫ではないが、それならオレだってこんなこともしちゃうから一緒にイイもの作ろうぜといった気分にさせるバイブレーションを出している。必須これはよいリーダーの条件でもある。良い男だ。津上氏のキャラクターは、日本ジャズ界には珍しく陽性なところにあり、自然彼の作曲作品やプレイも陰にこもったものではなくなる。しかしぼくがその後ろで演奏したりソロをとったりすると、その持ち味を少しシブい領域にもって行き過ぎる傾向があって、少し心配していたのだが、プレイバックを聴いてみると、外山(DS)、水谷(B)両氏のひじょうに優れたサポートにより、サウンドが絶妙のバランスをとっていることが分かる。ほっとした。このふたり、なにがなんでもとてもすばらしい。ぼくはただ、雲の絨毯の上で好き勝手をしているだけのような状態。この二日めのレコーディングセッションも深夜までおよび、全員くたくたになり帰宅。明日はミキシングに入る。

某月某日
実は三月中にルパン三世の音楽のアレンジと演奏をしていたのであった。初期ルパン、峰不二子がいちばんセクシーだったころのアニメーションの音楽を作曲した山下毅雄氏の息子にあたる音楽プロデューサーにして作曲家の山下透氏の誘いにのってやったのだった。おなじみの「あし~~もとに~~、からみ~~つく~~」のデンディングテーマから、聞き覚えのあるメロディーを手を変え品を変えアレンジした。ボサノヴァあり、モーダル風のアプローチあり、バロック調のものもあり。同じテーマを、しかもサビなどもなく、「ルパン三世~~」を連呼するだけのモチーフもあり、変化をつけるのに苦労した。今回のこの仕事は、サブリミナルな部分でメロディー事体に親しんでいることが助けになったのではないかと思う。なぜかって、ぼくが中学生のころ、毎週かかさずこの番組を見ていたからだ。毎週無意識のうちに、何度も何度もこれらのメロディーを聴いていたことが、発想の根幹にあった。レコーディングメンバーは竹野昌邦(SAX)安カ川大樹(B)田鹿雅裕(DS)、ぼくがよく一緒に演奏しているおなじみのメンバーだ。加えて、ボストン時代からの友人であるエレクトリックベースの原武も参加した。曲によって、ミンガス風、コルトレーン風とサウンドのカレードスコープ状態にし、これでもかっていう感じの演奏だ。発売はVAPレコードから5 月の予定。詳しくはまたこのウエッブで報告するつもり。乞う御期待。

某月某日
9時に起床。ピアノで少しウオームアップ。今日は津上研太BOZOのレコーディングの日である。我がトリオ「3×1」「SONGS」クアルテットの「GO THERE!」などを録音した東銀座にあるスタジオに向かう。少し早めに出向き、津上氏の友人のフォトグラファーと、銀座四丁目近辺にてメンバーとおちあって、ジャケットやCDの中身に使う写真撮影。歩行者天国を利用し、いろいろなところで撮影す。歩行者天国というシステム事体、ひじょうに昭和の時代的産物に見えた。ということで状況は新鮮味に欠けるが、写真はよいものが撮れたのであった。件のフォトグラファー、デジタルカメラでも撮影したので、スタジオにていくつかノート型コンピューターで見ることが出来た。いろいろなシチュエーションで撮影したのだけれど、ひとつ銀座の路上にねっころがって撮ったものが、斬新でおもしろかった。採用されるかどうかは分からないが。2時ぐらいからサウンドチェックを終えレコーディング開始。クラブで演奏するサイズとは違う行き方で津上氏のオリジナルを演奏して行く。一曲一曲コンパクトにまとめ、曲数を増やしたいとのこと。時刻が10時をまわるころには、8曲ほどとり終えていた。おおかた一枚のCDをつくる時間に充分な時間を使ってしまった。やる気が先行したのか。外山(DS)水谷(B)の鉄壁な絨毯の上で、ぼくはただ好き勝手に、やりたいことをやりたいようにやっていたら、時刻が12時をまわった。10時間ほどスタジオにいたことになる。上々のできだ。帰りは津上夫妻とタクシーにて銀座から恵比寿方面へ。道が異常にすいている。戒厳令のような東京の日曜日。

某月某日
今日は春の最先端のような一日。夜何人かにピアノを教える。昼は少し奮発し近くの寿司やのランチにありつく。最近雑誌などで寿司通になる方法などを説くものがあるが、勉強して行くところでもあるまい。寿司やは家の近くに限る。さくっと行ってさくっと帰る。これができないと行く気がしない。とにかくちびちび酒をのみ、だらだらできない寿司やなど、あまり行く気がしない。神楽坂、銀座に何件か知っているが、そういう離れたところの寿司やには、特別な何かがある時しか行かない。とにかく、寿司を喰ったら、夜飯は和食が喰いたくなった。自分で調理する。筍をオーブンであぶり、こげめが付いたところに醤油2、みりん、日本酒各々1の割合いのたれをはけで塗り、もう一度あぶる。シンプルでうまい。焼酎のあてに最適。干し椎茸とそのだし汁に、醤油、みりん、日本酒を加え米を炊く。これも半分つまみとして焼酎を呑む。ベランダに面した窓をあけて静かにこれらの和食を前にして呑むことにした。夜風の向こうで草木がいきいきとして見える。季節が変わりはじめている。風がそよそよ、今年の夏も暑かろう。四月も仕事量と、それに比例して出入りが多い。こんなのんびりした夜もしばらくなかろう。寿司やのあとに、マーケットにいって食材は買い込んだ。春キャベツなど。これをコンビーフの缶詰めと炒めたり、カツオだしで味付けし、パスタとからませると美味しい。料理といえども、うまいもの屋でうまいものを喰った味を、短時間に簡単に再現することに腐心しているものだから、要するにインチキなのである。しかし、いざ凝りだすと、食材の料や種類、調理器具の種類を含めて膨大な量となり、時間もかかる。何れはこういうものを全て買い揃え、じっくりと調理したいというある意味いちばん贅沢な願望もあるのだが、いつ実現するやも知れぬ。揚げ物と魚をさばく事は、時間と金がいくらできてもしたくない。両方ともあとかたずけに時間がかかりそうだからである。調理しつつ、呑みつつ、洗いものもできる料理が理想で、ほろ酔い、満腹、台所ピカピカが美しいフィニート。要するに貧乏性か。

某月某日
風の強い日。鎌倉のダフネというクラブにおいてトリオの演奏。横須賀線に乗る。最近は普通車でも二階建ての車両などありちょっとした旅行気分を味わえる。北鎌倉に幼馴染みの親友が住んでいて、子供のころからよく遊びにいっていた。そのころの車両も直角のかたいシートでなかなか味があったものだが、いまはもう解体されてしまったのだろうか。最近は山手線のようなシートの電車も走っており、これに当たると旅気分も疎外される。本日は運がよかったのか。鎌倉近辺は大好きな場所である。日本中どこへいっても、主な都市の駅前には、カラオケ、サラ金、パチンコ屋、チェーンの居酒屋しかなくなってしまった。世相を反映しているのか、日本人が心底文化に対してどーでもよくなってしまったのかなんなんだか。特に悲しいのは京都駅のまわりである。ぼくが知っている京都は、もう少し情緒的であった。話がそれてしまったが、鎌倉駅の前はまだ昔のとおり。ひじょうに落ち着く。風が強い日であったから空気が清浄。小町通りも過度に華美とならず、歩きやすい。昔のとおり。この通りは車が無いのがよい。何かの雑誌で読んだのだが、作家、ミュージシャンなど、東京を離れ、鎌倉に住む人が多くなったそうだ。昔から作家の住まうのに適した場所である。東京と比べ、たぶん夜の時間の流れ方が違うのであろう。小町通りを歩いていてさえ、東京には無い静けさがある。いい感じ。ダフネは小町通りの横町をちょっと奥にはいったところにあり、よい雰囲気の場所である。食べ物も美味しい。幼馴染みの家族や親戚の方々がよく見に来てくれる。お天気が心配ではあったが、ほどほどに客が入る。演奏は好調。好調、というニュアンスにもいくつかの種類や状態があるものだが、本日鎌倉での「好調」は、その場の空気と小旅行気分、思い出深い街での演奏という条件が相まって、無理のない、自然に演奏を楽しめるものであった。外山、安カ川両氏とも、惚れ惚れするような演奏をする。その幼馴染みの親友の家には、おもに夏休みを利用して、1週間ばかり泊まり込みで遊びにいったりしていたのだった。ずっと東京生まれで東京育ちであったから、鎌倉の自然を前にして遊びくるった。小学校4年のころか。親友の家は山の斜面に建っており、お母さんが暮らしの手帳社に勤めている関係で、内装もひじょうにモダンで、中2階などある家の中でも、当時のぼくは探検気分を味わえた。もちろん外でも、洞くつ探検、虫取り、山登りと、団地っ子のぼくには楽しいことばかりであった。お寺なども再短距離にあって、歴史的なことは何も知らないくせに、親友の家族につれられてまわった。夜には小町通りなどにもくり出し、楽しい時を過ごしたものだ。こんなぐあいに、毎年恒例行事のように、夏休みになると鎌倉を訪れていたので、ひじょうにこの土地にはなじみがあるのである。まさか自分が将来この土地で演奏するようになるとは夢にも思わなかった。ダフネでの演奏は、いつも夜11 時すぎまで続く。畢竟終電に飛び乗らないと帰れない時間となる。演奏直後はからだが動かない。しかし無理をして腰をあげ、深夜の小町通りを小走りに鎌倉駅へ。誰もいない小町通り。駅にも人陰はほとんどなし。感傷にひたる間もなく、横須賀線には見えない横須賀線に飛び乗り東京方面へ。電車の車種が変わっても、鎌倉は変わらないでいてほしいものである。

某月某日
東京ブルーノートにブラッド・メルドートリオを見に行く。忙しいあいまをぬって時間をあけたのだった。かなりヤバイ演奏であった。たぶん彼はなんらかの方法によって、もうすでに常世の国を垣間見てしまったのであると確信した。薬物か、瞑想か、はたまた生まれつきそういう精神の持ち主なのか、彼にはもう死後の世界がじゅうぶん分かっている、そんな演奏だった。30才前後で、もうすでにあちらの世界を見つめることができ、それを自らの肉体を通してこの世に垣間見せるという技を身につけるとは。ある意味聴いていて苦しかった。いかに才能があるとはいえ、そこまでの事を体現するには、ぼくのような者でははかり知れない苦しさとリスクを払ってきたに違いない。彼の音楽は異常にバランス感覚に優れている。あんなバランス感覚はこの世のものとは思えない。しかし彼の審美眼と感性はそれを知っている。ぼくなんかがキタネ~ナ~ぐらいにしか思わないことも、彼にとってはハゲオヤジのゲロをまじかに見るより辛く感じられるに違いない。同じ悩みを抱えている第三者など、そう簡単に見つかるとも思えない、絶対的な孤独。彼はよく哲学書を読んでいるそうだ。ライナーノートにも自らの話を哲学的な語法で書いたりしている。しかし、彼の好みのタイプの女性とはいったいどういう人なんだろうか。ぼくは同性愛ではないので分からないけれども、あんなバラードを弾かれては、キャーステキと思う前に、ほとんどの女の人はおっかなくなって近寄れなくなっちゃうんじゃないだろうか。まあ、相対的に見て人類とは面白い存在である。スズキムネオもブラッドも同じ人間なんだから。

某月某日
再度機械に関することで恐縮だが、なんとADSLというすごい機能を導入した。新調したコンピューターにI-TUNESというソフトが入っていて、それを通して世界中のFM放送が聴けることをある日発見したのだった。ジャズのみならずクラシックなどなど自由自在に聴くことができる。しかし、アナログ回線では、音がとぎれてしまう。友人にADSLにすればとぎれないと教わってはいた。またあの複雑怪奇な手続きをふまねばならぬと思うと、最初は躊躇した。しかしとぎれとぎれに聴こえてくる良い音楽を聴いていると、焦れったくなってきた。気分は共産圏のジャズミュージシャンが西側のラジオ放送を密かに聴いているような感じである。もうすでに机の上はターミネーターのゲロ状態だからと思ったら、逆にふんぎりがついた。ええい、ADSLでもLSDでも矢でも鉄砲でももってきやがれ!スターターキットなるCD-ROMを入手し、申し込んで2~3日したらその申し込みが受理されたという封書が届いた。さらに10日ばかりたった後、メガビックギアーなる機械が送付されてきた。苦手な説明書を解説図を参考にまさぐるように作業を始めた。まず電話線との間に電話線を二股にするものを装着。今度はコンピューターに、説明書の指示に従っていろいろな数字を入れてゆく。この作業がもっとも苦手である。進んでゆくうちに案の定問題が発生。「ご利用の案内」に記載されているメールアドレスを入れろと説明書にはある。最初、説明書にそういう欄があるのかと1ページ1ページその言葉を丹念に探した。みつからない。メガビックギアーの入っている箱に何やら手紙が何枚か入っていて、「ご利用の案内」は後日また新たにそちらに送付するとあった。なぜ一緒に送ってくれないんだ?しかも、メガビックギアーとコンピューターを接続するのには、LANコードという太めのコードも必要らしい。二股コードは箱の中に一緒に入っていたのに。なんでRAN コードも入れといてくんないんだよ。またお目めチカチカ量販店に行かねばならぬ。これって、寿司の出前をとって、寿司やの小僧がおまちース、○○寿司デースなんかいって、ごくろうさんて寿司代払って食卓にもってきて、ふたを開けたら、握りずしのシャリの部分のみが整然と寿司おけの中に並んでいて、上にのるネタは後日出前しま~スっていう説明書が入っていたのと同じことなんじゃねえのカヨウ。これが実際寿司やだったら、○○寿司さんよう、おたくいったいなに考えてんだヨウの一言が電話でいえるのに、今回の事は、機械の知識がろくろく無いくせにこういうことに手を出すぼくがバカだという引け目が半分あって、イライラをどこに散らせば良いか、もう何かいやな気分。さらに日が過ぎて後日、LANコードと届いていたご利用の案内で作業を再会。作業開始から後半まではよどみなく進む。しかしあるページではたと動きがとまってしまった。説明書のコンピューター画面の絵と、実際に写し出されているコンピューターの基本設定の仕組みが違っていたのである。これには手も足もでない。幸い午後5時頃であった為、付録についてきた紙にあったテクニカルサポートなるところへ電話をする。どうせ長時間待たされるんだろうなあと覚悟していたら、意外とすぐに担当者がでてくれた。こちらの画面も見えないのに、ニ三言こちらの状況を説明したら、その担当者は、ささっとこちらがするべきことを答えてくれた。すごいなんてもんじゃない。どうなってんだろう。機械に詳しいことが即、何も知らんやつに指示を出すのがうまいとは言い切れないだろうに。画面の相違をクリアーした。お礼を言おうとしたら、その担当者、ちゃんとADSLにつながるまで、電話で指導すると言う。なんと親切な。最上級の礼と、恐縮している旨相手に伝えながら、作業再会。担当の方のおかげであとはすいすいと進み、じゃ~んと新しい機能をもったコンピューターに生まれ変わった。とにかく、なんでもかんでもものすごく早い。担当者に重々礼をいって電話を切り、即 i-tunesのラジオプログラムのジャズの箇所を選ぶ。ざっとでてきたプログラムは30種類ぐらいだろうか。RADIO BERLINというのが最初に目についたのでそこをクリック。今度はよどみなく音楽が聞こえる。音声もハッキリ。テレビ用に使っていたミニコンポのスピーカーをコンピューターに接続済み。かなり良い音で音楽が部屋に満ちてきた。コンピューターのヘッドホンのジャックからアンプをつなげ、それをスピーカーに予めつなげておいたのだ。この作業も実は大変な労力がいったのだが。曲間に聞こえるドイツ語が部屋の雰囲気をなんだかいい感じにしてくれる。ミーハーな発想だけど、キンキン声の日本のテレビ番組より、声の質が落ちついていてよい。FMの番組はご存じのとおり、いろいろな構成があるのだが、このベルリンからの放送は、アルバムから1曲を抜粋してかける方式だ。次の曲は全く時代もコンセプトも違うプレイヤーの演奏であったりする。何がでてくるか分からない面白さと、選曲の趣味の良さに、一瞬ほろっとした気分になる。ここまで来るのに感じたイライラ感も、瞬時にすっ飛ぶような面白い音楽が次から次へと放送されてくる。日本時間が午後6時やきっかり7時になったりすると、短いニュース番組が、コンピューターを通して流れてくる。なんか妙にオツでげすな。しかししゃべりはその時間帯だけで、あとは曲紹介が入ったり入らなかったり。しかも多分24時間いつでも聴けるのではないだろうか。料金も月定額で使い放題である。やったやった、やっと心落ち着く音楽を退屈せずに聴く方便を手に入れた。だけどどういう仕組みをもってして電話線で電波を流すんだかさっぱり分からない、けれどもそんなこたあどうでもいいんだ。クラシックの欄にも、ベートーベン専用のFM曲などあり、少しずついろいろな局を呼んでみようと思う。こんな機能が隠れていたとは、買った当初ぜんぜん気付かなかった。こうやってナンダカンダ音楽のためにいろいろな状況で機械とつきあいが長くなれば、ぼくの機械オンチも、機械はちょっと苦手、ぐらいのレヴェルに昇格するかも知れぬ。

某月某日
日記にあるとおり、最近とみに忙しく、日々いろいろなことを少しずつ積み重ねてゆく毎日。ミュージシャンなんて肩書きの裏ではかなり格好の悪い事ごとを黙々とこなしていたのだ。そんなある日ひじょうに嬉しい知らせがはいった。先日我がクアルテットのCD,GO THERE !の宣伝をさせていただく為、渋谷FMというラジオに生出演した。そこのスタッフの一人が、COLLAGE RADIO JAPANというサイトでぼくのGO THERE!が現在ヒットチャート4位にはいっていると教えてくれた。さっそく家に帰り見てみると, (CRJ,http://www.sfc.keio.ac.jp/~t99941yy/crj/)たしかに現在9位である。我がCD のタイトルを一目して非常に嬉しい気分となる。うれしいな、うれしいな。何が嬉しいって、このサイトは、東京の各大学の有志があらゆるジャンルの音楽を聴き、その中から自分達がこれだと思ったものを選ぶというシステムになっているらしい。ジャズ雑誌ではないのだ。ポップスやその他いろいろなジャンルの音楽からの選出である。ぼくは、いわゆる今の若者達、音楽が好きな人たちにメッセージを届けたいと思ってGO THEREで演奏したのだった。そして届くべきところに届いているようなのだ。このサイトはいろいろなFM曲と提携しているようではあるが、ある意味非営利団体のようであるし、別にぼくにごますったりする必要もない。業界ポリティクスからも無縁であるはず。うれしいな、うれしいな。焼肉喰ったり、極上の生雲丹をあてにして、冷えた天狗舞吟醸を呑むより元気が出る。ちょっと今回の日記は自画自賛が過ぎたかな。まあたまには、こういった内容の文章もお許し願いたい。興味のある方は上記のアドレスにGO THERE !

某月某日
某月某日の明日も某月某日。いわんや正確な期日を書いたとて、月日がたてばしばらく前のできごとや起こったことなどぼんやりしてしまう。脳の中で経験したできごとやそれに附随する感情も、薄れていってしまう。某が

某月某日
、某所において某氏と会い、某女にかんして某某かの情報を得た。みたいな状態になってしまうんだろうなあ。こう考えるとすべてのことが茫洋となる。精神の鳥瞰図という感じもする考え方だけど、某国には亡国の危険性があって、それだけはぼ~っと他人事を決めこんではいられない妙な世の中になってきた。前の日記にも書いたとおり、今年中に行われるイヴェント性のたかい仕事の準備に日がな追われて過ごした。気が付けば外は薄暗くなっており、晴れ渡った空に目を向けスッとした気分に成れるような、そんな短い時間さえつくることができない一日だった。ツアーを取るべく電話をかけまくり、資料の整理と同時に、最近買ったスキャナーでちらしを作ることに挑戦。うまく行かず。あらゆるボタンを押しまくっていいセンまで行くのだが、最後の写真を文章を書いたものの上にのっけようとすると、その文章ソフトが写真をぺっと吐き出してしまう。誰か詳しい人に、基本操作を習わねばならないだろいう。三回とも自炊。調理中にクラブへ送る手紙を書き、喰いながら封筒に住所を書く。味などしない。そんなこんなで日が暮れて、練習や作曲をする気力が残っていなかったので、夕飯は少し豪華なパスタを作った。冷蔵庫の中にある食材のバランスを考えることに、最初は苦痛を感じていたが、最近は逆に、色々と買い過ぎず、不足させずによいバランスを日々とること事体に妙な快感を覚えるようになった。音楽の事だけ考えたいんだけど、今日はマーケェットの安売りの日だとか、ついつい考えてしまって注意散漫。ロッシーニなどのオペラの作曲家は特に美食家が多く、じっさい美味しいものを食べると、脳内のどこだったかが活性化されるらしい。旨いものを喰うことは、あながち無駄では無さそうなのだが。なんにせよ、夕飯を食べたあとはもうお休みモード。テレビなどを見て過ごす。都内にオシャレなレストラン等を持つ会社のドキュメンタリーをやっていた。何でもこの会社、働きが良ければ20代後半で1000万円もの給料がとれるようになるという。毎週従業員が集まって各々に採点を付けあい、多数決をもって自分や相手の時給の上げ下げにかかわってゆく。自然できるものには高給がまっており、できない人は、社員からアルバイトに降格してしまったりする。来店の客にも絶対の服従とマニュアル化された対応で、ものすごい勢で店中を駆け回る。恐れ入った。職種は違えど、ぼくも一応、お客さんを相手にする、お客さんを大切にするということは無関係ではない。我々ミュージシャンも客有ってのものである。しかしぼくはあそこまで、自分を無にするか殺すかしてお客さんというものには対峙できない。しかし似た様な事をやらなければ、世のペイオフとやらは、銀行のシステム以外にもやってくるのではないだろうか。などなど考えていたら深夜となり、不眠症前のいや~な感じが体にたまっていることを自覚す。目がさえたので、今日あったことを何の考えもなしに、このように文章にして羅列する。読み返すとこりャ本当に茫茫たる一日だ。

某月某日
、茫茫たる一日。

某月某日
本日晴天。春の気配がますます空を彩る。少し強い風が吹いた。昨夜めずらしく熟睡したので、体がかるい。体がかるいと脳みそまでかるい。ふだんあまりにもいろいろなことを考えねばならぬので、今日は脳みそも休めることとする。やるこたあいっぱいあるんだけどなあ。春になってくると何やらウスぼんやりした時が無意識のうちに流れることが多くなって、特に小学生のころがそうだった。勉強どころではない。ただただあらぬ夢想に身をまかせていただけ。登校できただけでも奇跡に近いといったありさま。いまこの夢想癖が脳内の80%以上を占めると、日常生活のレベルに支障が出るので押さえに押さえている。しかし季節感には体が自然に反応してしまうのも事実である。午後からピアノを教える。生徒によって服装が冬っぽかったり春っぽかったりで何やらおかしい。なんて、人の事は笑えぬ。ぼくもこの時期は何を着るか悩む。じっさい夜になると薄ら寒い。今年もデンマーク人のコルネット奏者、キャスパーを日本に呼んでツアーをするつもりだ。準備をしなくては。4月 21日は昨年一緒にレコーディングしたCDもEWEから発売予定である。夏にはクアルテットのCDのレコーディングも計画されている。4月には津上研太BOZOのレコーディングもある。夢想癖だなどと言ってはおれぬ状態だ。しかし脳みそが100%実務的なミュージシャンと言うのも困ったもので、少なくともそんな人のバラード演奏ぼくは聴きたくもない。いい曲も書けまい。春はバランスをおかしくする季節なのだが、今のぼくにはそのバランスが最大限要求されているのである。今日は、良い感じの春一番が吹いていたような気がする。

某月某日
毎週、週刊朝日と文春は欠かさず読んでいる。世間知らずなミュージシャンに、ある程度の一般教養をもたらすという意味でおもしろいし重宝な雑誌だ。ゴシップ等の話題は話半分に読んでいるけれど。売る為とはいえ、肝の冷えるようなタイトルが毎回目をひく。こういった雑誌のタイトルは大袈裟だとしても、この国の経済的貧窮はこのままで本当に大丈夫なのだろうか。何やらハイパーインフレその他のことが毎週の話題にのぼり、しかも一生懸命読んでいるこのぼくには半分しか理解できない。分かることは、各界の専門家が侃々諤々の論争をくりひろげていて、各々みな違うことを言い合っているということだけだ。要するに専門家だってどうしていいのかわからないのであろう。もともと答えが出るような種類の問題でないのかも知れぬ。いずれにせよ、これらの記事の行間から学ぶべきことは多少ある。インフレになると要するに今の貨幣価値が下がり、例えば一生懸命貯蓄した預金額がタダ同前になってしまうらしい。これは例えば、太宰治の斜陽とかの戦後の没落貴族などが被ったむちゃくちゃな価値変換と同じなのだろうか。敗戦というものはかなり強烈な価値変換であったろうから。しかし今現在、戦後とは違えど、ぼんやりと過ごしていて良いわけもない。かといってこれから経済のことを勉強するわけにも行かず、毎回途方に暮れる。心配の種になるような蓄財などないが、経済のことに限らず、何かがおきて一番影響を受けるのは、自分のような藻屑のような存在であることだけはたしかだ。もうこうなったら理屈抜きに、ある種の本能的な危機回避能力のようなものにみがきをかけるのみだ。理屈ではいえないから文章にもうまく書けないけど、要するに本能だ。これにみがきをかけて近未来の崩壊に備えるしかあるまい。専門家が手も足もでないのだから。

某月某日
春の気配。なぜだかしらねど花粉症の症状はほとんどなし。これも日本戦後の無茶な政策の典型的な弊害かと思っていたら、NYにも花粉症はあるそうだ。近所を歩いていても、X星人のような出で立ちの人々とよくすれちがう。分厚いサングラスに大きなマスク。あれでは銀行に行けないのではないか。妙な疑惑をかけられる。ぼくはほこりアレルギーの気があるので、いつそれが転換するやもしれず。ぼくがX星人に変身するのも時間の問題であろう。2日ばかり何もせず休養し、その中日には近所のいきつけのおでん屋にて焼酎を痛飲。今日からがまた仕事のはじまり。横浜にあるJAZZ ISというクラブで井上淑彦氏と演奏。井上氏、この頃さらにすばらしさを増しているように思う。愛するサックスを演奏することが楽しくてたまらずといった風情だ。自信に満ちた音とそのまわりのスペースには、とてもよい雰囲気が醸し出される。そこにぼくが参加していること事体、ひじょうに幸せである。JAZZ ISには立派なステレオ及びスピーカーが完備しており、特にスピーカーは大形のJBLである。以前自分のサウンドシステムをグレードアップした件をこの日記に書いたが、やはり大形のスピーカーにはおよばない。音の安定感が違う。お客さん達がガヤガヤしゃべっていても、ちゃんと良い音として店の隅々まで聞こえてくる。しかしそのスピーカー、小型冷蔵庫ほどの大きさであり、一般家庭におけるシロモノでなし。マスターにお願いして、チャーリー・パーカーとガレスピーのCDを聞かせてもらう。超有名な一枚である。よいシステムで聞き入ると、ぜんぜん記憶にある音と違うのだ。ガレスピーの音、あたりまえだけど、ものすごく美しい。テーマをユニゾンで吹く両人のメロディーの起伏とそのリズムの呑みかたがカッコよくてカッコよくて。演奏の合間にもまた良い音楽をきけて今日は良い一日だ、などとけらけら笑って店の中で過ごしていたら、終電の時間が近い。東横線に飛び乗る。終電の一本前、元住吉止りという中途半端なやつにとりあえず乗車。酔っ払いや、風体の怪しいもの(あんまりひとのこと言えないけど)ばッかりが乗っていて、何げにまわりに気を配る。いまこの国で何がおきてもおかしくない。ぼくは人の顔を見る時、ジッと相手の目を見るくせがあって、くせというか、それが正常な人と人とのコンタクトだと思うのだが、そういうくせは深夜電車の中では有効でなはいからサングラスをかけている。しかしなんだか最近、これも自分のことを棚にあげて言うのだが、変な目つきにぼんやりした顔つきの若者が増えたような気がしてしょうがない。しかも元住吉という駅、なんか鉄骨を折り曲げて溶接したような味もそっケもないつくりで、よけい気分が殺伐としてしまった。アールデコ風の駅など無理なのは分かっているけれど、もうちょっとこの駅なんとかならないのかなア。色もねずみ色である。楽しい夜だったからこそ、帰りにちょっと悲しくなった。

某月某日
大人数の生徒を半日ぶっとうしで教え、とても疲弊す。自炊もままならず、ひさしぶりにテレビ画面を目の前にちらつかせ、脳内の活動を休止させることにつとめる。以前日記に書いたことだが、新しいスピーカーが来たので以前使っていたミニコンポのスピーカーをテレビの音声用とした。ニュースなどひじょうにクリアーに聞こえる。難点はスズキムネオなどのとっぴょうしもない声が耳もとでクリアーに聞こえてしまうことである。こんなものは音声が良くなくても良いのだが。某チャンネルで日本のポップスベストテンのような番組をやっていたので久しぶりにこの手の番組を見ることにする。脳内を休めるために見始めたテレビだが、この番組を見始めてそうはいかなくなってきてしまった。音声の質が上がったため、非常にクリアーに、ふだんあまり見聞きしないバンドやその曲を連続して聴いた。聴いていてびっくりした。良い曲、良いメロディーなども有り、アレンジなどもかっこいいものも有る。しかし、ぼくが驚いたのはそれら日本のポップスの音質そのものだった。今までどうってことないテレビ用スピーカーでそれらの音楽番組もみていたので気付かなかった。サウンド全体が妙にガサガサした感じで、特に高音域が多く、耳がキンキンする。せっかく良いメロディなのに、その音質がなんだか非常にがさつな感じだから、聴いていて疲れてしまう。こういう感想を書くこと事体、ぼく自身じじいになって、ただのジャズフリークのオヤジとなってしまった証なのだろうか。しかしはたと気付いた。このガサガサした高音域を強調したサウンドは、渋谷、新宿などの街角に溢れているではないか。もう一つ同じ質の音を発するものがある。それは携帯電話の着信音で、あれもまた非常に耳に付く、高音域を強調した、なんだか滑らかさに欠けたガサガサした音を発する。しかも非常に目立つ種類のものだ。電子音すべてに目くじらをたてるつもりはないけれど、やはり日本人の耳事体が良くも悪くも変化している証なのかもしれない。なぜって皆こういう音が好きなんだろうから。街のヴァイブレーションが即音楽のサウンドになっているということは、その時代をダイレクトに映す音楽である査証でもある。しかしぼくとしては少し複雑な心境だ。何度も言うけど、アレンジそのもの、音楽のアイデアやコンセプト、メロディーや歌詞にはひじょうにおもしろいものがたくさんあった。問題はその音質だ。少なくともぼくはこの種の音を長時間聴くことができない。幸か不幸か。今CDというものを買う人の層は十代後半から20代後半の域がいちばん多かろう。それらの人たちがこういう音質を好む、または当たり前と思っているということは、ぼくにとっては大きな大きな問題なのだ。つまりこちらがいくら念を入れて演奏しても、届かないものは届かないのだから。こういう高音域の音に慣れた耳にはぼくの音は聞こえないのではないかと少し不安になってしまった。いずれにせよ彼ら20代全般のミュージシャン達は、多くのファンを持ち、武道館で演奏し、全国の名だたるホールをツアーしている。稼ぎもぼくの比ではない。CD売り上げも50万枚とかざらである。この事実も非常に大切なことで、しっかりと自分の頭に叩き込んでおかなければならないことであろう。そうこう考えるうちに、テレビを見てリラックスする筈が、また余計なことを考えることとなってしまった。

某月某日
仕事の成りゆき上、自らが簡単なフライアー、及び写真入り企画書などを製作せざるをえなくなってきた。またしても新しい機械を買わねばならぬ。今度はスキャナーを購入。するとこのコンピュータには差し込みが一個しかないことにきづいた。また新たにチカチカ量販店に突入して、コンピューターのふたまたソケットみたいのを下さい、といったら見事通じた。その二股の機械はなんたらという名称があったがもう忘れた。家に帰り二股の箱をあけてみると、なんとアダプターが入っていた。何で二股にするだけで電力が必要なのかわからぬ。仕方なく卓上のアウトレットに差し込む。コンピュータの電源、スキャナーとプリンターの電源、照明の電源その他で机の上が、ターミネーターのもげた腕みたいになってしまった。または、宇宙人の光線銃による攻撃を受けた、地球防衛軍の船内のパネルが吹っ飛んだ後みたいな感じ。もう卓上にはものがおけぬ。オブジェみたい。こういう状態は掃除が大変なのである。最初はひじょうにシンプルだった家の中がどんどん電化製品のケーブルでとぐろをまいている。こうなったら壁中に差し込み口を付けるしかないではないか。ぼくは電気のコードがからまると、頭の中もからんでしまって、一度、アダプター類を入れていたビニール袋の中が、マザーコンピューターの脳みそみたいになっていたので、袋ごと捨ててしまったことがある。もういいかげん家電は増やしたくないんだけどなあ。電気会社の搾取によって、少しづつ少しづついろいろなものを買いたして行かねばならない。もういいかげんいやになってきた。こういうケーブル類を掃除するするのも家電であり、家電を動かすにはアウトレットが必要で、こんどは掃除機を掃除する掃除機など発売するのではないだろうな。ケーブルとアウトレットと、ごちゃごちゃとした配線の無限地獄。ぼくの脳はもうショートしている。

某月某日
機械の文句ばかり書いていたら、7年ほど前買ったミニコンポのCDプレイヤーが針とびを始めた。聴きづらいったらない。CDプレイヤーなんて、放っといても半永久的に動くものかと思っていた。電器店に問い合わせると、レンズをきれいにしなければ成らないが、7年も経ったら買い替えた方がいいとのこと。またあの蛍光灯チカチカ雑音グルグルの電子空間に気合いを入れて行かなければならない。ということでまたまた渋谷の量販店へ。おめめチカチカ耳ガンガン。オーディオ売り場にいったら何やらやたらたくさん種類があって、最近はテレビと一体になっているものも多く、それらが一斉に違うCDやヴィデオの音を流しており、ドカーンズカンバキューンジャーン、ドンタカピコピコウ~~ア~~とこれらの音が同時に鳴っていた。長居は無用。しかし店員の声またしてもよく聞こえず。予算に見合った中でいちばん良い音がでそうなものを探したいのだが、まだ壊れていないカセットプレイヤー、DATのプレイヤーとつなげたいのだがと、必死に伝える。今回は一生懸命説明を聴いたのだがなにがなんだか分からない。せめても目星をつけたCDプレイヤーのサイズを巻き尺ではかる。こちらもまずその機械のサイズを最初に重視せねばならない。置き場には限りがある。ほうほうのていで量販店を脱出。深呼吸をす。渋谷のど真ん中で深呼吸するバカもいないだろうが、店内よりは空気がまし。家に帰って色々とサイズをはかったりするが、いまいちピンとこない。ここでひらめいた。大学時代からの友人で某音楽関係の会社に勤めるU 氏に事情を説明してみよう。彼は本当によいものを見定める審美眼の持ち主である。仕事柄、彼はオーディオに対する知識も深い。さっそく電話をする。なに?ミニコンポ?ダメダメそんなの、これとこれとこれがいいよ、色合いもあうから、家に使わずに転がっているヤマハのスピーカー、NS-10 PROを格安でゆずってあげよう、というのが彼の答えだった。またまた無駄足を踏んでしまった。最初から彼にお伺いをたてておけば万事うまくいったのに。ヤマハのこのスピーカー、スタジオなどで必ず目にするものだ。そのぐらいぼくにでも分かる。さすがU氏、いいものを教えてくれる。プレイヤーはBOSEのなんたらいう機種。コンパクトな割りには、大きいスピーカも鳴らせるアンプを内蔵している。さっそくBOSE のこの機種を購入し、スピーカーの到着を待つ。このBOSE、さすがにすごい。いままで使ってきたミニコンポのスピーカーでも、ぜんぜん違う音がでてきた。プレイヤーを変えるとこんなにも違うものなのか。各音のバランスの間の空間みたいなものも耳で捕らえることができる。つまりせせこましく聞こえない。しかしなあ、やはり音楽そのものも、資本主義的世界の中に取り込まれてしまっているのだなあ。カネを出せばいい音が出るということか。まあ、あたりまえだけど。最初この場所に引っ越してきた時は、ラジカセですべての用をたしていた。聞こえりャいいやってもんだ。しかしレコーディングを頻繁に行うようになり、DATやMDをスタジオでもらうようになって、ミニコンポをやむなく買った。ラジカセよりは音がよかった。10年近くかかって少しずつグレードアップしたことになる。//そして今日ヤマハのスピーカーが届いてその音の良さにびっくり。ボサノヴァのCDをかけてみると、いままで聞こえなかったパーカッションの歯切れの良い音までちゃんと聞こえてくる。いままで聴きそこねていたのかと思うと、複雑な心境だ。機械からの恩恵とそれを扱うこちら側との微妙な関係。詳しい人はいいけれど、ぼくなどいつも右往左往してしまう。これで21世紀これから先生き残れるのだろうか。

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