COPENHAGEN THRIVING

序奏

2006年6月末
目も耳も塞ぎたくなるような事件が続発している。この国は本当に大丈夫なのか。親が子供を殺し、子供が親の家に火をつけたり、きっとみな湿気のせいで頭がどうかしてるんだろう。蕎麦屋に行って、ちょうどニュースの時間だったりすると、イヤな予感がしたりする。案の定蕎麦喰ってる横で、「幼児の腐乱死体が見つかりました。」なんて平然としゃべっている。アナウンサーっていうのは、あんな事ばかり毎日しゃべっていて、よく頭おかしくならないな。とにかく食欲はがた落ちだ。なんなんだよいったい、国教もなく、文化も薄れてしまったわが国には、歯止めというものがないらしい。日本は本当の意味で豊かなのか。
ぼくも湿気に非常に弱い方で、放火をするまでいかずとも、日々世の中が三次元であることを忘れたかのような日々を送っていた。演奏の仕事が立て込み、最後の週には雑用が残った。実は今年も、コペンハーゲンジャズフェスティバルに出演のため、6月30日から7月17日までデンマークに行くのである。 たった半月日本を脱出するのに、雑用の用件は数知れず、短パンとサンダルで動き回って汗をかき、夜ちょっと冷えてもそのまま作業していたら、6月24日くらいから微熱が出て、雑用をこなすのもままならなくなった。しょうがないので寝ていたら、日にちはあっという間に過ぎ、月末が近付いてきた。よりにもよって、この時期になぜ熱を出さなければならないのかと嘆いたが、どうしようもない。内科でもらった抗生物質もなぜか効かず、寝床で悶々とした。今回のコペンハーゲンにおける僕のミッションはこうだ。新しいCDを製作するためのレコーディングと、そのグループでコペンハーゲンにあるジャズハウスというクラブで演奏するというものだ。簡単に経緯を説明すると、アメリカの音楽学校で知り合ったデンマーク人のトランぺッター、キャスパー・トランバーグともう既に十年来、お互いの国に呼んだり呼ばれたりして、双方のプロジェクトをだんだんと発展させてきた。10年かかってやっと、EWEがキャスパーにある主題の元にCDを作らないかという企画を提案した。作曲家、武満徹氏の音楽へのオマージュとして、キャスパーが構想を練り、作曲するというのが主題で、今回のフェスティバルでは「TAKEMITSU2006」というコンサートタイトルまで決まっている。よってスケジュールは慎重に計画されたものとなった。以下がキャスパーからのメ-ルの抜粋だ。

JUNE 30th : Arrive in CPH
JULY 1st : Tutti rehearsel. 1000-1700 hrs
JULY 2nd : Tutti rehearsel. 1000-1700 hrs
JULY 3.+4.+5. : Recordingsession 1000-1700 hrs
JULY 6. : Repair/Overbubs. Not tutti !!
JULY 7. : Concert in Copenhagen Jazzhouse at 2130 hrs.

熱なんか出している場合じゃないのに出てしまうこの体。私の焦りも皆さんご理解いただけるだろう。とにかく成田まで行きゃあ何とかなる。29日には医者に行って点滴を受け、その後体温計は見ないで成田へ行った。とにかく飛行機に乗るのだ。 とにかく飛行機に乗ったら、飛行機嫌いの癖になぜかほっとした。ここまでは雑用は追ってこないし、こなし様がない。誰からも電話はかかってこないし、ブッキングもできない。となれば、機内食を喰って寝るまでだ。すっと体の力が抜けた。熱も下がるのではないか。

「COPENHAGEN THRIVING」6月30日
いつも飛行機に乗って感じるあれやこれやの妄想も湧き出ては来なくて、(このことに関しては、前回のコペンハーゲン行きの日記を参照されたい。)とにかく何か食べて、風邪薬のんで、睡眠導入剤のんでねてしまった。これが良く作用したのか、コペンハーゲンの空港に降り立った僕は、体の中が透けて見えてるのではないかと思われる程、軽やかになっていた。ざまあみやがれこの調子で行きゃいいんだ。僕の体の腹部の横には、実はギア-が付いている。長年の演奏活動で生えてきたものだ。空港に降り立った時点でこのギアーを、トップに噛ませた。さあなんでも来い。コペンハーゲンの中心部にチボリ公園という遊園地がある。大人も楽しめる趣向になっていて、中には、二つの大きなコンサートホールもある。日本でいえば、千代田区霞町にドリームランドがある感じだ。僕のホテルはその真横にあった。部屋の窓をあけると、ゴーカートに乗っている人の悲鳴が聞こえてくる。デンマークの本格的な夏は2週間だ。その間にフェスティバルも行われる。クラブはもとより、ピアノなどないカフェでも、ギター、ドラム、サックスなどのトリオが演奏される。それが、8月8日から街中で一週間続く。季節的にいえば、僕はおいしいとこ取りをしているようなものだ。夜キャスパーと会う。送られてきた譜面を楽器無しで把握するためである。この曲はこんなテンポ、この曲はピアノフューチャーと、事細かに説明してくれる。彼の音楽からは、このプロジェクトに対する熱い思いが伝わってくる。譜面が東京に送られてきた頃、僕は微熱でだるく、あまり練習できなかったのであるが、あまりにも緻密なアンサンブルに、明日からハードなリハーサルが始まるのは、身に見える程よく分かった。チボリ公園の横は市庁舎であり、高い塔に時計が付いていて、適時鐘が鳴る。ホテルの夜は時差ぼけで、たまに鳴るこの鐘の音に聞き入った。4階の窓から下を見ると、自動車が夜の方から流れ、反対側の夜の方に吸い込まれてゆく。ヨーロッパを良く知るものとは誰のことか。教会やこの市庁舎の鐘の音に歴史を感じる人ではないだろうか。コペンハーゲンの街が、どういう形でか将来、街並などが変わろうとも、鐘の音に耳をそばだたせれば、一日を無事終わらせた人達を慰めたたえる。この鐘の音がある限り、安泰なような気がしてくる。

7月1日
午前10時からのリハーサル。さすがに譜面が難しいとみんなが思っているようで、時間どおり皆集合した。
メンバーは、

Kasper Tranberg : cornet, trp, fl. Horn
Carl Husum : trumpets (classical soloist)
Mads Hyhne : trombone
Jakob Munck : tuba/bass trombone
Jakob Dinesen : tenorsax
Peter Fuglsang : alto/clarinet/flute
Thorsten Hoeg : turntable/alto
Daisuke Suzuki : guitars
Hiroshi Minami : piano
Nils Davidsen : bass
Anders Mogensen : drums
Peter Jensen : Arr.

以上のとおりだ。
北欧の人たちの苗字は難しい。僕も正しく発音できないし、カタカナ表記が不可能な名前もあり、どうぞ皆さん好きに読んでください。ファーストネームなら読めるでしょう。リハーサルでのキャスパーは必死だった。彼が熱意とアイデアを持って作曲した音楽は、アレンジャーの手で、さらに複雑な様相を呈していた。ピアノではどうしても肉体的に無理な音の流れの箇所もある。あまっさえ、他のサックスなどのパートの人達も、ああでもないこうでもないと手探り状態だった。しかし、ちょうど30分程すると、音の輪郭がはっきり聴こえてきて、ピアノは何をしなければ成らないかもよく分かってきた。手練の面々、時差ぼけなんて悠長な言い訳はいえない。元々日本で寝たり起きたりしていたから、どこが体内時計の決めどころか分からない。ある意味いい徴候である。リハーサルのあいだ眠くならなければいいのだ。とにかく、初日のリハーサルで全曲目を通した。おかげで構成は分かった。キャスパーの作戦通りなんだろう。素晴らしいサウンドが生まれつつあった。

7月2日
また10時からのリハーサル。やっと時差ぼけに慣れたので、体調のコントロールがしやすい。今日から、ギタリスト、鈴木大介氏、EWEのA&R,T氏も日本から合流。ギターが加わったことで、さらに音楽の輪郭がはっきりしてきた。この日のリハーサルでは、昨日とは比べ物に成らないはっきりとした方向性と音楽性が示され、これで明日もう一度リハーサルすればレコーディングは大丈夫だという雰囲気に成ってきた。キャスパーも人心地ついた思いだったろう。リハーサルは、デンマーク国営ラジオのスタジオで行われていて、コペンハーゲンジャズハウスでの演奏は、ラジオ番組となって、放送されるのだそうだ。フェスティバルでは、色々なところで演奏するのだが、やはり、ジャズハウスはその中心的存在であり、キャスパーが如何に努力して仕事をまとめあげたかがよく分かる。最後に全曲を通してリハーサルを終える。明日からレコーディングだ。

この日リハーサルが終わった後、キャスパーとともに街にくり出した。キャスパーも気分転換がしたかったに違いない。まあそれと、遠くからやってきた日本人のサービスのつもりもあったのかもしれない。コペンハーゲン湾をひとまわりする遊覧船に乗ろうと言いだした。キャスパーはこんな船に乗って退屈じゃないのかなと思ったが、我々の神経は、リハーサルによって未だピリピリとしており、ゆったりとした時間を過ごすのに、海を見る事は悪い提案ではなかった。アメリカ時代のルームメートでフランス人のジェロームという友人がいた。彼はパリ生まれのパリ育ちだったが、一度もエッフェル塔に登ったことがないといっていた。キャスパーにとっても遊覧船なんて、観光客が乗るものだという思いもなきにしもあらずではなかったろうか。逆にいえば、それだけ彼も疲れていたといえよう。その日は北欧では珍しくものすごく暑い日で、港巡りは確かに快適だった。僕も既に10回程コペンハーゲンに来ているが、遊覧船に乗ろうなんて思ったことはなかった。デンマークに行く時、いつもコンタックスのカメラを持参していたが、今回はソニーのデジタルカメラを持って行った。運河巡りの行程で、ぼくは写真を何枚か撮った。本当の観光客になってしまった。試しに太陽に向かってシャッターをきった。画面には光り輝く真っ白な物体が、四方に光線をほとばしらせて写っていた。この技は、通常のカメラではできない。ぼくもリハーサルのことを忘れて、ただ波に漂う遊覧船の中で、太陽の光を浴び、なんだか生きていることが楽しくなるような時を過ごした。キャスパーのアイデア勝ちだ。

後、明日のために休むということで、キャスパーは家に帰った。僕ら日本人三人も、夕食を一緒に取る約束をし、各々ホテルの部屋に帰った。ホテルの部屋に入ってびっくりした。部屋が蒸し風呂状態であったのだ。湿気もある。わざわざ北欧まで来てこのざまはなんだ。しかも部屋にはエアーコンディショナーはない。二週間の夏のためにクーラーなんか設置しないんだろう。まず窓をあける。ホテルの立地条件が悪かった。夕方の日の光が直接部屋に差し込んでいる。日の当っているベッドは暑く蒸れていた。僕は日の光の当っていないベッドのスペースに、静かに横になった。暑さのため、シャワーを浴びるのさえ億劫であった。時々チボリ公園から歓声と悲鳴が聞こえる。こういう状態の時、時間は止まる。時差ぼけに慣れたとはいえ、慣れただけで、時差ぼけであることには変わりはない。部屋は蒸し風呂。リハーサルの疲れも残っている。しかし夕食は鈴木氏とT氏と食べなければならない。その方がこっちの時間と体がリンクするからだ。だから爆睡もできない。テレビをつけた。日本のようなおどろおどろしいニュースはやっていない代わりに、何を言っているのか分からない。BBCを見ることにした。イスラエルとヒズボラの事に相当時間を裂いている。言葉は英語だが、なぜか遠くでしゃべっているように聞こえる。不定期的なチボリの歓声や悲鳴も遠くから聞こえてくる。6月29日以来、熱は計っていないが、風邪は大丈夫なのだろうか。無意識の奥底に体が落ちて行くような気分になってくる。暑くて気分は悪いのだが、それを超したところになぜかフワフワとした官能が体を包んでいるような感じだ。だからといって、すぐ女が欲しいわけでもない。自分自身が感じている官能を大切にしたいからだ。悲鳴、歓声、BBCのアナウンサーの低い声、まだ頭の中に鳴っているリハーサルでのサウンド。それらが別々に、ある時は大きく聴こえ、ある時は小さく聴こえ、耳に神経を集中すると、これら今聞こえている音以外の何かが聴こえてくるような気さえしてくる。蒸し風呂の中での一時。

夜は約束通り、皆で夕食を食べに行く。といってもビールを飲むことが主な目的だが。蒸し風呂で搾り取られた水分の代わりに、ビールが体を満たしてゆく。こんな遠いところまで来て、もちろんいい音楽を創造するのが目的だが、でもやはり、俺はここでいったい何やってるんだろうという想念が、ビールを飲むごとに、もやもやと立ち上ってくる。さすがに陽が沈んだ後は、乾燥した清さを含んだ空気が我々のまわりで、微風となって漂っている。ビールを飲んでも、日本の酔い方とはまた別な酔いが体を軽くしてくれる。夜10時になっても、日本でいえば夕方のような空の色にも相当体がだまされている。ちなみに、午前3時半ぐらいからこちらでは空が明るくなってくる。時計を見ないと時間の分からないこの状況で、我々の中でまた時間が止まってしまった。空気が清冽なので、笑い声もよく響く。声がよく響くから高い声でしゃべらなくていいことに気がついた。日本の居酒屋や、テレビの音が高音部でキンキン聞こえるのは、空気のせいかなとふと思う。BBCのアナウンサーの声も日本のアナウンサーの倍低く感じた。もちろん、これは相対的な考えであって、僕はアメリカ人の女性の喉を細くして鼻から息が抜けるような声が嫌いである。このレストランは、建物の中庭を上手く利用したもので、そのせいか落ち着いてしまって、かなりの時間いたような気がする。気がするというのは、空の色がずっと夕方なので、時間的流れがまだ良く読めないからだ。
7月3日 本日も10時に集まり、レコーディングだ。プレイヤーが皆、リハーサルでは意図的にか、やらなかった音楽的冒険を繰り広げる。皆手練だ。自然と僕のプレイも変化を見せる。リハーサルでは出なかったアイデアがどんどん出てきて、それがキャスパーの統率のもと、どんどんレコーディングされてゆく。4日もレコーディングの日として押さえてあるのだが、今日一日で、全ての曲を録音してしまった。後は細かいアイデアを明日録音するということになり、レコーディングは昼過ぎに終わってしまった。上出来だ。だが、昼過ぎに終わってしまうと、蒸し風呂のホテルの部屋に帰らなければならなくなってしまう。市内を散策することとした。もう何遍もコペンハーゲンに来ているので、知っている場所や道はあるのだが、まだ迷うこともある。否、心の底では迷いたいのだ。東京のように、ここの角を曲がればこういうものがあると分かっていることは便利だが、迷うことによって発見するものは、大抵僕の喜びとなる。迷えば迷う程、この街は面白い。散策の後、明日のレコーディングのことを考えてこの日は早くホテルに帰り寝てしまった。

7月4日
また朝10時集合。もう全ての曲を取り終えているので、皆の間に余裕が感じられる。全曲また通してレコーディングする。昨日のものとどちらかいいTAKEを採用するという段取りだ。不思議なもので、同じ曲をやっても、昨日とは全然違う雰囲気の出来になったりする。キャスパーも興奮してきて、ちかちかと光り輝くようなアイデアをどんどん出してくる。猛烈な勢いで音楽がそれ自身走り出したような感じだ。こちらも不思議と、スタジオの中にいる間だけ、時差ぼけの症状は出なかった。否、そんなことを言っている隙も感じている時間もなかったのだ。だからレコーディング後、スタジオを出ると、さすがに目が寄ってしまう。朝10時集合ということだけが、僕の中での規律になりつつあり、それだからこそ、緊張感も失わなかった。明日もレコーディングを控えているが、曲は全曲取ったし、休みなのかと思っていたら、そうではなかった。キャスパーは、何曲かの曲に対し、即興でピアノイントロをつけてほしいと言い出した。いいアイデアだが、明日になってみないと、こちらにもそれがどういう形になるか、皆目見当が付かない。
とにかくこの日も2日に行ったレストランでビールを飲みながら、日が暮れるのをゆっくり待った。明日はアイデア一発の勝負の日だからこそ、ゆっくりしたかった。依然空の色は、まるでマグリットの絵のような、深い青さをたたえていて、その明るさは変わらない。日暮れを待つという発想が間違いであったことに改めて気付きながらゆったりとした時間を過ごした。

7月5日
今日も10時入り。キャスパーが言うには、ある曲の、それも複数の曲にそれらの曲のモチーフを上手く活かしながら、長いイントロ、エンディングを付けて欲しいということだった。どのくらい長くても、どのくらい音の間が空いてもいいということだ。実はこういう事が、譜面をよく読むより難しい。センスのみで決めなければならないから。しかし、東京の雑踏を遠く離れて、夜半にはコバルトブルーの清冽な空の下で何日か過ごしたせいか、自分でも驚くようなゆったりした演奏が何度か出来たのだった。キャスパーも満面に笑みを浮かべ、ナーイス、ナーイスを連発。これでデンマークまで来た甲斐があったってもんだ。事実上、これでレコーディングは全て終了。6日はオーバーダブの日として押さえられていたが、キャスパーの中で、音楽が色々な方向に鳴り響いているようで、少し間をあけてから編集作業に入りたいということとなった。何とまあ、余裕のある国なのかしら。

7月6日
ということでこの日は休みとなった。そして、もう既に、この日特別何も起こらなかったせいか、どう一日を過ごしたかあまり覚えていない。撮ってきた写真を見ると、この日に撮った写真が意外と多い。ほとんどが、コペンハーゲンのちょっとした街角を切り取るように撮影したもので、軽くて便利なデジタルカメラを持って、多分市街をうろうろしていたんだろう。鈴木氏はホテルで練習すると言って一緒に来なかった。身近に楽器がある人がうらやましい。

7月7日
さあ今日は、コペンハーゲンのジャズの老舗、ジャズハウスでのコンサートだ。レコーディングも上手く行き、後は人前で演奏するのみで、今回の音楽が、聴衆に受けないはずはないという手応えもある。
ただひとつだけ、細かいことかもしれないが、僕の胸にひっかかっていることがあった。トランぺッターのカールのことだった。最初にキャスパーに紹介された時、ちゃんと名前を覚えたつもりだったのに、2日目のリハーサルの朝、僕は彼にハロー、ヤコブ、と言ってしまったのだった。日本にも度々連れてきている顔なじみのヤコブや、マ-ス、アナス、ニルスの名前は間違うべきもないが、カールは今回のプロジェクトで初めて顔を会わす人だった。元々クラシックのトランぺッターで、あまりジャズミュージシャン同士の会話も成り立たず、話題もなかったのであまりしゃべらなかったのも災いしたのかもしれぬ。本人は知的で、ユーモアもある素晴らしいトランぺッターだということは、最初のリハーサルから分かっていたが、なにしろこちらも音楽に夢中で、ついつい間違いをおかしてしまったのだ。本人もいい気分ではなかっただろう。
しかしデンマーク人に限らず、欧米の人々は、なぜ名前を覚えるのが上手いのだろうか。僕など、年に一回コペンハーゲンに行くたびに、ヘイ、ヒロシと、顔見知りから声をかけられる。年に一度しか会う機会がないにもかかわらずだ。自分のことを卑下することは好きではないし、日本人をどうこう言うつもりもないが、なぜ僕は、人の名前の覚えが悪く、しかも会話中の顔の表情が堅いのか。カールには悪いことをしてしまった。だから、ジャズハウスの楽屋であった時には、笑顔で大きな声で、ヘイ、カールと大きな声で言おうと決めていたのだ。 そんなこんなで午後6時楽屋着。着替えはじめたら、カールが入ってきた。僕は決心したとおり、大きな声でカールの名を呼んだ。彼が近寄ってきたので軽くハグした。カールは僕の背中を指の先でとんとんとたたいた。なんと気が効いた対応だろうか。もう間違えるなよ、気にしてないよ、気をつけろよ、な、というようなメッセージが、背中から伝わってくる思いだった。みんな大人である。 サウンドチェックにはなんの問題もなくすみ、演奏時間がきた。総勢12名。満艦飾である。それぞれお互いのパートをクールにこなしつつ音楽は進む。総勢一丸となって音楽をときはなつ時もある。聴衆は僕らの予想を遥かに超えてエキサイティングしている。大成功だ。
演奏中のことは上手く書けない。僕の中で時間がある意味で止まっているからだ。楽器を演奏しているのだから、時間とは大いに関係していると思われるかもしれないが、ある一瞬が実は結構長い間だったり、ソロが長過ぎたかなと思って後で聞いてみると意外に簡素だったりで、これは実際演奏しているところを聴いて判断してもらうしかない。
演奏の後は、皆全ての緊張から解放されてか、皆でわいわい騒ぎながらビールを飲んだ。10年近く、キャスパーと協力して、各々の国をツアーして、企画を練ったりもして、やっとここまでこぎ着けたという感慨も少し有った。この「TAKEMITU2006」は、ジャズフェスティバルのこけら落としでもあり、キャスパーも重責を担っていたのであろうが、この時とばかり浮かれている。その様子を見て、彼がこのプロジェクトにどれだけのエネルギーをそそいだかが分かるような気がした。友人はデパートでは売っていないのだ。

(以下続く)
Last Updated on Sunday, 29 April 2012 03:58

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