7月ブログ 続き

暑い。websiteのスケジュールやブログなんてまともに書く気ににもなれない。私が普通の勤め人だったら、ジャズライブ?音楽?芸術?何だそれ?そんなことの前に寝かせてくれ。くたびれた。疲れた、でしょう。これもまともに職のある方々の発想で、生きて行くのに精一杯のおしんのような少女がエラとアニタ・オデイの違いを真剣に論じる暇などありはしないだろうし、あれば有ったでソレはそれでどこか異常です。まあ、或る意味自分で決めた道ではあるのですが。というのも、子供なんか欲しくもないからつくらなかったのでガキの面倒を見る必要も無いし、とにかく私は小学生の頃から何もしたくは無かったのです。ちょっとした夢や希望を持った時期もありますが、海外に行き、その道の達人を肌身で感じた後、どこかしらけてしまい、まあいいや、ジャズっぽいこと、皆がしなさそうなことを演奏して、飢え死ぬ前にくたばることができれば、しめたモノです。

酒煙草を辞めると、仕事の無い夜は家に居てもしょうがないのですが、巷の飲み屋の選別に困る。まず居酒屋は、BGMを含め客の喋りというか怒鳴り声がうるさくて行く気にならない。少し気の利いたバーは必ずサッカーや野球を大きなテレビで映していて、スポーツオンチの私は廻りから変にみられる。見られても良いのですが、「入ったー!同点!」なんてアナウンサーが騒いでいるとやはりうるさくてしょうがない。だいたいどのチームが勝とうが負けようが私の精神的充足、なぜ人間に生まれたのか,とか、後死ぬまでに何をしたら良いのかという思考の、徹底的な邪魔になる。どこが勝とうが負けようが私の生活、精神的在り方にはまったく感知しないものであり、一芸にものすごく秀でている者がテレビに映っているのでしょうが、いくらカネもらってやってるの?庶民はそこで、もらいすぎだ!とか、あんなに儲けやがってとか考えず、唯々無邪気に喜怒哀楽を顔に出しているのが私には不思議でしょうがない。

どうしてヨーロッパのカフェやバーのような、こんなご時世だからこそ、政治、経済、芸術を論じる場が無いのであろうか。そしてそういう場において討論で無く、議論をするという術を身に付けることが今の我々ニホンジンの急務ではないのですかね。サッカーで点が入ったとか、盗塁に失敗したとか、そうでは無くもっと形而上的な事柄を論じられる場があまりにも少ない。悲しいですね。

時々不思議に思うのですが、ニホンジンの自我の在り方は一体どういう成り立ちをしているのでしょうか。個人主義や、一人のニホンジンという括りの前にある人間であるという自覚、誇りと同時に存在する諦観、それらのものがない交ぜになった自我というものの在り方。そういうことを夜の星でも眺めながら、スポーツや芸能ネタを抜いてゆっくりと語り合えるバーやカフェ、場所、仲間が欲しいですね。それが本当の豊かさではないのでしょうか。おまけに私は不眠症です。精神的に苦しむだけのみに生まれてきたのでしょう。何たることだ。

逆に考えて、私が野球選手だったら、最初の打席にたつチャンスがめぐってきたら、ゴロでも何でも撃って絶対三塁の方にダッシュするね。完全なバカだけど、野球史には永遠に残るし、誰も私のことを長い間忘れないだろう。三塁に走るのは少しの勇気のみで血のにじむような訓練はいらないはずである。引退後三塁ゴロのナンチャンなんて解説者の道も拓けるかも知れない。何で皆一塁に走るんだろう。アイデアねえなあ。

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