今日は本当に天気がよく、朝から晩まで楽器に向かう時間をひねり出せない予定ばかりの日であったが、外に出るには絶好のお天気で、本日のメインはポーランド大使館に赴き、来年ポーランド人のミュージシャンを呼ぶための打ち合わせをすることが主な事項という、お日様と青空とヨーロッパの混交にて、気分うきうき。清々しい都下の、空気の澄んだ本当に良い秋の一日。これは文章で表すより映像の方が、このサイトを見ている方々、皆楽しんで頂けると思い、映像を載せます。
まずは午前中、ポーランド大使館文化担当者に会うにあたっての情報収集、その情報によってアタマの中に絵図を描く。文化担当者のポーランド人、アタマがポーッとするほど日本語が上手く、メールの文章も断トツに上品な敬語を使っており、しかも外国語を学んだ人独特の嫌らしさがない
ここで担当者と渡り合うには何らかの作戦を練らねばならない。詳細は秘密にするが、外に出てみ
ると、紺碧の空。この季節の代官山、恵比寿はとても気持ちが良い。24年ほど前に引っ越した当時はただ単なる渋谷の外れで、渋谷の次の駅で栄えていたのは品川駅であったが、光陰矢のごとし、すっかり景色が変わってしまった。いまの恵比寿駅前はガチャガチャしてひどすぎる。変な雑誌が、大人のオシャレスポット、恵比寿中目黒とか、ちょっと雑誌のページをめくると、絶対オレは行かない店ばかりがのっていて、まあ良いんだけど、騒がしくしないでね。住んでる人もたくさんいますから。
しかし変わってしまったなあ。このあたり。だが今日は台風で余計な汚れが吹き飛ばされた東京の空が中々ステキであり、これから赴くポーランド大使館での私なりにアタマでこさえた絵図も、更にはっきりとしたかたちを作ってゆくようで不思議である。この高層ビル、代官山アドレスも元は同潤会アパートのような文化住宅であり、それがいつだったか取り壊されて、私の住環境ががらりと変わってしまった。
とにかく恵比寿駅方面に歩く。東京の土地の上に軽井沢の空がのったがごとくの快晴で、恐ろしいほど美しい雲が散見された。
恵比寿駅からポーランド大使館に向かう道すがら、太陽が直に私を照らす。オレはカミュだ。
じりじりとした太陽光線が私のアタマの中の絵図が縮小してしまうような感覚が心地よかった。しかしその絵図自体が本当に上の写真のような太陽光線でなくなってしまえば、ただの子供の使いになってしまう。
心してかからねば、来年の音楽活動の希望でもある。少なくとも来年までは生きようと思えることは逃したくはない。
恵比寿駅に行く途中、友人のアメリカ人トーマスと久しぶりに出会う。もうビールなどを若い日本人女性をナンパしながら昼飲みしている。まあ、基本的に、風来坊の似たもの同士だ。
恵比寿アメリカ橋を真っ直ぐ行った辺りのビルが取り壊されてい、また風景が変わるのであろう。だがおかげで空の青さを堪能できた。ポーランド大使館に差しかかったところで大煙突と太陽が妙な皆既日蝕状態であったので写真に収める。空の青さが南カリフォルニアのようであった。
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ポーランド語でこんにちはを、Dzień dobry(ジェンドブリ)という。ポーランド人はポーランド語で挨拶されるととても喜ぶということを、まあ、どこの国でもそうだろうけれど、情報を得ていたので、大使館に約束の時間20分前に到着、早速インターフォンを押し、ジェンドブリと挨拶すると、ビーといって扉が開いた。玄関の番人が満面の笑顔で迎えてくれた。アメリカ大使館に行くと、こういう入り口に海兵隊が立っていて、入り口で訪問者を睨んでる。そしてナニやら紙に名前と書けとかうるさい。こことはなんたる違いであろうか。
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そしてこれが、入り口内部の客間である。大使館とは、その土地内は、たとえばこの上の三枚の写真の空間はポーランド国である。ヨーロッパ、センス良いなあ。ボクは灰汁抜けないものがイヤなので、ここはひじょうに心地イイ。文化担当者とは流石に写真は撮れなかったが、私の描いた絵図と、話した内容、得た情報やベネフィットは八勝六敗、まあ、色川武大氏的に言うと上出来の、しかも私が、日本語堪能ポーランド人と楽しく会話をしすぎて、かなりの長居をしてしまった。マンガとかあいう子供向けのもののみならず、歴史的のポーランドは親日国であることを様々な話から察することができた。なんでニホン政府は芸術の分野にヨーロッパの国々のようにお金出さないのだろうか。GDP世界三位ってなんだ?
まあ、掃除夫で大使館に雇ってもらって、ここ住めないかな。ホールにはスゴいグランドピアノもある。
アメリカ橋方面から恵比寿経由で家の近くまで歩いて帰る。こういうのセルフィーって言うのですか。SELF FEEオレの値段はイクラだ?
自動販売機で水を買い、代官山駅前でそこらに適当に腰をかけ一休み。秋が身体に染み渡る。なんて言ってるとすぐ冬支度だ。スマとフォーンを少し見たがニュースは見ない。どうせ選挙結果などゴミクズだろう。
文化担当者に名刺を渡した時点で、ちょうど名刺がなくなる。文具買い換えなければならず、、スニーカーぶっ壊れて、世話になった人にメシを奢らざるを得ないという経済危機中に、こういう事は連続して起きてしまう。ケセラ〜セラ
まあ、駅前で一休みした後
渋谷に名刺を刷りに行く。今回は前回とデザインを変えることとす。名刺なんて興味を持たない人は見ないし使わないし、オレにホントに興味がある人は名刺など必要なく仕事仲間になったり、何かの集まりの時の、ワケ分かんない役職確認するときだけ有効なカードなんだけど、自由な槍でもカードは作れる。ないより有った方が良いし。
最近とみに、これが渋谷かよ、と思うこと多し。雑居ビルにまだスナックなど残ってるが、こういう建物も、いずれはぶちこわし、未来型の、おきまりの、ガラス張りの味も素っ気も無い、国民みんな健康で〜すみたいなビルが建つ事となろう。池袋とどこが違うのか。双方違いがあって、東京という都市としての面白みが出るのではないのだろうか。どんなに街をキレイにし、整備したって吹きだまりはできる。全員優等生のクラスなんて有り得ない。同じ事で、全員が卒業後に変な同じスーツ着て会社員になるわけではないし、街に中にいても行き場のない奴は出てくる。うろうろしてると、ちょっと坊や、なんて最初は優しい感じの小父さんに声をかけられ、気が付いたらその人の運転手なんかしてて、対暴法なんて法律作っても地下に潜るだけだ。そうじゃなきゃ、ホントの平壌みたいに、というか平壌なんてアンダーグラウンドだらけだと思うけどね。悪いが渋谷はもう見限った。用事がない限りもうさよならだ。 渋谷から我が町方面に戻り、酒はもう飲まないから、駅出口すぐのBAL HARAでジンジャーエール飲んで、外を眺める。もう日は暮れている。なぜ億ション買える奴が灯りに蛍光灯使ってんだろう。間接照明とか、キャンドルとか、工夫せいよ。私がご幼少の頃お過ごし遊ばした公団団地と変わらないじゃないの。
何考えてんだ。では皆様ごきげんよう。