辞書で調べると、自由契約で働く作家、写真家などだって。自由契約?自由であれば契約はいらないのではないかな。ちなみにlanceのみを調べると槍の意味らしい。槍なんてボストンでもNYでも使わなかったし買わなかったから、知らない単語でありました。自由な槍、誰が考えたのかなこの言葉。
なんでいきなりフリーランスだ何だいっているかと申しますと、最近朝4時半くらいに目が覚めるのです。歳とると早朝に目が覚める様に成るとは聞いていましたが、五十代後半にして12時半過ぎに眠剤のんで寝た後この時間に目が醒めているようであれば、万が一、億が一七十代まで生きちゃってホンモノのジジイになったら眠剤ボリボリ齧って夜9時くらいに寝て午前一時頃目が覚めて、ヨメが横で寝てるなんて、地獄だろうなあ。どうやって死のうかしか頭に浮かばないでしょう。ふつうは。どっか身体痛くなってるだろうし、良く行く病院の医者は、八十過ぎてバリバリ働く為に運動の仕方を教ましょう、とかいいますが、冗談じゃネエ。だいたい七十歳も過ぎて明るい希望と未来に向かって、なんて考えてるジジイはどこか脳がオカシイか天才かのどっちかですよ。どうやって病院滞在日数、医療費を最小限にし、まわりに迷惑をかけずにくたばるか、そこの最後の哲学的ソフトランディングを考えるのがジジイの努めでしょ。そんな朝一時に目が覚めて横でヨメがグーグー寝てたら、そーっとベッドから這い出してカウチに寝転がって、その時アタマに去来する事柄は、どうくたばるか、しかまともな人であれば考えられないでしょう。さあ、これからいいナオンがんがんナンパしてやりまくるぞ、なんてジジイ危険だよな、逆に。これからがんがん儲けて派手に遊ぶぞう、なんて考えてるジジイは相当な俗物。
ああ、いつまで続くんだろうこの人生、明日死んでも一年後死んでも、まあ、宇宙的な目とまでは言わない。大気圏で充分だ。そのくらいの高さから地上をナガムれば、大した違いなどありはしない。それ以外の存在意義に関する根本的発想がジジイに残ってるのだろうか。とにかく、どうあれくたばるしかもう既に選びようがない状況で、死にたくねえダ、ああじゃラコウじゃら医者とか家族の前で醜態だけはさらしたくない。まあ周りにそういう人がいなければごねることもできないんだろうけどね。医者もそこんとこ分かってもらえないかな。つまり、イイクスリがありますよ、なんて言いつつ、強力なモルヒネを注射してくれるとか。そして、あ、と心臓が止まる。いいねえ。粋な死に方だ。どちらにせよむごたらしくは無い。
人の命は地球より重いと言った昭和のバカな政治家がいたが、これから地球の人口が80億だ90億だ言ってるンだから、何十億京トンをこの地球様が我々クズ人間を支えなければ成らないわけで、所詮無理だし、倫理的に命は重量ではないでしょう。オランダ、ベルギーも含まれたかな、医師に先は長くない、痛みにもだえ苦しむこと必定の病と判断された患者は、眠るように死ねる注射を打ってこの世に自らの意志でおさらばできるシステムを導入したわけで、これが本当に人権というものが分かっている国家、組織、市民、市井の人、一人一人個人が真の意味で尊重される社会だからこそできる技だろうと思います。十代二十代でくたばるのはむごいが、ある程度歳を重ねて、子供孫に借金を残さず、また逆に一文無しになってしまったら、合法的死を選ぶシステムがあってしかるべきだと思うな。これは法的にも自らの意志ならば殺人には当たらないと思う。耶蘇教の人々は反対するんだろうけど、オレが本当に困ったとき、一番冷たいアドヴァイスをしたのは耶蘇教のカタタチだったな。貴方は神様に生かされている。祈りなさい、だって。バカいってんじゃねえ。念仏唱えてメシ喰えるか。オレは神様の携帯番号が知りたい。聞きたいことが沢山あるからね。
ヘヴィースモーカーの牧師をアメリカで見たときは笑った。自殺を禁ずるあっちの坊主が緩慢なる自殺を自ら実行しているんだから。だいたい人命がそこまで「大切」なら、一言で神様があーじゃコーじゃいってる奴がその理由を示してくれないかな。そして世界中の武器、核爆弾、地雷、戦車、戦闘機、機関銃とか戦争、殺人、全部無くなるような教義ひねり出してみなって。現実はそうじゃ無いんだから。そんで酒もタバコもこの世から全部無くして、寿命というものを全うしなければならない根本理由を説明して欲しいです。誰か分かりませんが。そういう彼、カノジョには耳を貸してもいい。あくまでも聞くのみで言われたことは実行しないかも知れないけどね。
とにかくニホンもこのシステムを導入すれば良いんじゃないかな。どうあれGDP世界三位で年間三万人以上自殺してるってどうなの。後片付けのこと考えたら、○×総合病院、落命科、絶死科、必死科、どういう命名でもいいんだけど、病院医者も絶命機関を設置すれば良いのに。その人の念書とサイン、後々残された家族が困らない遺書があることが条件で、それがそろえばすっと注射してもらってふっと気がとおくなったら、ハイおしまい。そういう所があれば、そういう科目が病院にあるというだけで逆に救われる人もいるのではないかと思う。病院関係者の方々へ、これ儲かると思うよ。やんなよ、儲けることだけの世の中でしょう?
ま、オレはそこらへんの所を、逆縁にだけは成らないように、つまり親孝行してないからこれだけは約束するから惚けるなとオフクロに言い聞かせているのですが、息子として親より先に死なないだけで勘弁してくれという意味です。その後に、ある程度、自らの生き死にをうまくコントロールしたいんだが、やはり運の良い死に方と悪い死に方があるなあ。どんないい人でも悪い人でも、そこのバランスは選べないみたいで、本当に不条理だな。なんで生まれてくるんだろう。
しかもどっかの医者みたいに百歳過ぎて現役とか、そんな大人が増えれば増えるほど若いもんがワリ喰って仕事もそれこさ希望もなく世の中彷徨わなくちゃ成らなくなるんだから、かといってジジイのホームレスも扱いに困るから、ウマいことソフトランディング考えないとなあ、と思っている五十代後半です。無神論者云々も、たとえばヨーロッパのように、社会の礎、人間関係、全てがキリスト教によって出来上がった歴史背景を持った世界に生まれ育つからこそ、それを逆にキッパリと拒否できる、つまり私は神は信じませんとはっきり表明できるわけで、ニホンみたいに、ハローウインは真似るは(アレは何だか悪魔教のマネでしょ)クリスマスにカノジョとテルホ行ってコンドーム一個じゃ足らないとか、正月に、似合いもしない着物着ておめでとうとか言って明治神宮の人混みに揉まれてまで、わざわざ少額ながら身銭投げ込んだり、こんなワケ分からない国で無神論という概念自体が成り立つはずはないし、あとは山本七平氏の「空気の研究」その他の著書を読めば、オレら気付かないうちにニホン教信者なんだからさ、日本語喋っている時点で、この島国の人の脳の機能は他の全世界の人と仕組が違うことも証明されていて(日本人の脳、という本を皆で読もう)もうこれで充分でしょう。
そんで四時半に起きてションベンしたあとやる事無いから仕事のメールとか、いろいろアイデアメモったり、TO DOリストなんてワケ分かんないもんは使わないけど、やらなきゃ成らないことノートに書き込んでいるので、そこに目を通して、その事柄が一歩先にすすんだら、たとえば、HAVE TO MAIL →MAILED→GOT ANSWERなんて書かないと同時にたくさんの事やってるから、忘れちゃうんだなあ細かいことを。だからメモをいちいち書いているんだけど、ヨケイな、つまりいずれくたばるとか、生老病死とか、或る意味クソの役にも立たないのに生きているという事実自体を忘れるコトができるんだよなあ。やること、があると。人間はそれ以外、ちょっと猿より変に自意識の強い哺乳類ってだけな気がしてしょうがない。すばらしい芸術も、人類の歴史に散見されるけれど、90%以上は戦争、殺戮、人種差別、肉体的精神的痛み、苦しみとの戦いのみで我々の歴史はできていて、そこに気付かずスゴく明るい人って感性がナニも無いんじゃないかなあ。
あ、天才とキチガイは別ね。
仏教も欲を捨てろっていうけど、仏陀は自分の悟りを他人に教えたいという欲があるわけだから、何だかよく分からない。
まあね、音楽をなんでやってるいるのかと深く自己の内面を問い続ければ、究極的に答えに窮するけれど、たとえば、絶頂期のマイルス・デイヴィスに10兆円あげるから演奏するの止めて、って言える奴がいたとして、マイルスに言ったら、奴はどうしたろうか。止めるかな。10兆円あれば、宝くじ当選者の七割が人生ボロカスになるというけど、南仏に別荘買って、本当に作りたい音楽をじっくり作るというのもありかなあとも思うし。別にもうお客が来る来ないとか、ツアー中、ガス代が意外にかかるナこのばかレンタカーとかそういう発想は少なくとも無くなるわけだ。要するに音楽やってたって、或る時代に凄く受けた音楽も百年後には誰も覚えてなかったり、リヴァイバルもなし、全ての人が忘れ去るというものと、その音楽家が死んで50年後100年後にもの凄く再評価され脚光を浴びる場合もあるし、そのどちらにもひっかからずに、タダそこらでバンドマンとして、まあ好きなことやって死ねて良かったね、で終わる人が大半なんだから、まあそういう意味で、究極的な答えに窮するわけです。それで、ここで芸術に関わっているくせに10兆が云々、やはりカネのことしかオマエはアタマに無いのかあ、とかいう方は、進んでオレのスポンサー、パトローネスになって下さいね。逆に芸術に出費する喜びを教えて差し上げます。
また、無名より有名の方が得な時もあるけれど、有名だからってイイ音楽やってるかというとそうで無い場合も多々あるし、無名でも、あ、という感動的音を出す音楽家も極わずかながら私は聴いたことがあります。
で、なんでこんな文章を書いているかというと、これら脳内に浮き出る言葉をコウして外に書き出してないと本当に狂いそうになってくるからで、既にもう狂っていることは分かっていますが、あれだけ好きだった酒煙草を止めて脳が50時代後半にして中坊と同じ状態に逆戻りしてしまったのです。この状態を私は自ら、Natural High schoolと呼んでいて、Junior highから、こんどNatural High Schoolに自ら入学入脳するのでやんす。そして次には、学費のかからぬ,Natural Highversity に入学し、卒業と同時にコロっと死ねたら本望です。人様にこの様な文章をさらす意味を問われれば、貴方はなぜ生きているのかという実存内容証明書を私に送付後、訊ねて下さいね。
さて、ジャズやってるからって狂ってるというのは偏見です。もう時効だしウイキに出てたからコピーして載せます。こいつクラシックのくせにパーカーよりデタラメだ。
ニコラ=シャルル・ボクサ
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ボクサ、1842年
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ロベール・ニコラ=シャルル・ボクサ(Robert Nicolas-Charles Bochsa, 1789年8月9日 – 1856年1月6日)は、19世紀フランスの作曲家・ハープ奏者。波瀾万丈の生涯を送り、世界各地を転々とした。
生涯[編集]
1789年にモンメディで生まれる。神童ハープ奏者として活躍した後、1813年にナポレオン1世の宮廷楽団のハープ奏者に任命され、オペラの作曲に着手する。しかしながら1817年、通貨偽造や結婚詐欺(または重婚)、文書偽造への連坐により、告訴を免れるためにイングランドに逃亡。欠席裁判によって懲役刑が課された。
フランス法から無事に逃れてロンドンに上陸、1821年に王立音楽アカデミー開設に協力して学長を務めるが、1826年に前歴が発覚したため、辞職せざるを得なくなる。その後はロンドン王立劇場の音楽監督に就任している。
1839年に再びスキャンダルに関与、今度はオペラ作曲家ヘンリー・ビショップの夫人でオペラ歌手アンナ・リヴィエラと駆け落ちして、海外に逃亡したのである。ふたりは(フランス以外の)ヨーロッパやアメリカ合衆国で演奏活動を行い、1855年12月にゴールドラッシュに沸くシドニーに上陸した。しかし、オーストラリアでは1回しか演奏旅行を行うことができなかった。シドニーでボクサが急死したからである。アンナ・ビショップはシドニーのキャンパーダウン墓地に、彫刻をあしらったボクサの墓碑銘を贈っている。
ガイキチですな。
10/21 2017