PARIS 35

第2章ーコブラー
その晩アランの車で再びサンドニへ。控え室にて、演奏開前にコブラ以外のメンバーが揃った。ハンパリは修理の終わった楽器をためつすがめつ眺めてニヤニヤしている。ハンパリに何を言ってもだめだと思い直し、まずピエールと話し始めた。「アランは何であんなに英語がわからないの?」「彼はもともとシャイで口数が少ないんだ。でも彼は英語も分かるんだ。」こんなことを話しだしたのも、彼らがコブラとどういう関係で、ギャラのことに関してどう思っているのか、それを聞く切り口として話しかけたまでだった。コブラはいずれギャラを渡すと言っている。君らの意見が聞きたい云々、ピエールに聞いてみた。「いったいギャラはいくらなんだい」「一週間ここで演奏して、4200フランだと聞いた」「それはバンド全員のギャラということ?」「いや、一人一人の額だ」
とにかく、僕は何て迂闊だったのだろう。外国だからこそ、こういうことを大切に話し合っていなかった僕がいけなかったのだ。パリに来て、どこか浮かれてしまっていたのだろう、最初はただただ仕事がもらえるだけで嬉かった。とにかく今晩も、コブラの状態がどうあれ、スタンバイしてコブラを待つことにしようと意志は決まっていた。だが、待てど暮らせどコブラは姿を現さない。「ムッシュ!」近くのバーテンダーから声がかかった。ボーッと座ってないで何かやれということだろう。実際アランがベースを弾き始めたので、適当にスタンダードを弾くことになった。リーダーのいないバンドはどこか締まらない。いくらハンパリが超絶技巧を繰り出しても、客の方も我々の演奏をさほど気にしている様子は無かった。それどころか、客のお喋りや雄叫びなどで、共演者の音が聴こえない状況が続く羽目となってしまった。これでは銀座のナイトクラブと同じではないか。
コブラはセカンドセットの後半にふらっと姿を見せた。皆がコブラを見つめる中、彼は我々の真ん前でゆっくりとサックスを組み立て、おもむろに吹き始めた。その音は、たちまち客の注目を浴びるに充分なサウンドが含まれていた。二日目にして、初めて客のアテンションを引きつけることができたのである。嬉しさと共に、真面目にやっているこっちが更にバカみたいに思えた。しかし、コブラは制御不能の黒い音楽の化身となっていた。マイナーでもメージャーでもない独特な彼のオリジナル曲は、時にはクラブの地をはうようなサウンドから、天井に突き抜けるような飛翔を僕らにも見せつけながら、演奏は進んでいった。しかし、エンディングは昨夜と同じ状態でまた終わってしまった。コブラが急にふらふらになってきて、曲の途中であるにも関わらず、すっと姿を消してしまった。僕らは何となく演奏を終え、コブラの後を追った。どうせあの楽屋にいるに決まっている。皆で階段を上がり、楽屋の扉を開けてみると、薄暗い電灯の下で、ジャンがまたゲンナマを勘定していた。「ヘイ、ジャン、コブラはどこだ?」僕が英語で話しかけると「エイ、イロ、またトワレットでドゥラカムしてるぜ」と僕の顔を見ずに言った。「そのテーブルの上にあるワイン、飲んでいいかな」「シルヴープレ」
アラン、ピエールとハンパリ四人でワインを飲みながら、コブラが現れるのを待った。だが、いつまでたってもコブラが楽屋に現れないので、ピエールにささやた。「いくらなんでも楽器を置いて帰るようなことはしないだろう。コブラの楽器はまだステージの上だ。あっちに行ってみようか」四人でまたぞろぞろとステージの方に階段を下りて行くと、いつのまにかコブラがカウンターで酒を飲んでいた。いつもの薄笑いはその顔に浮かんでいない。全ての顔の筋肉が弛緩したような、そんなコブラを見るのは初めてだった。ただその眼球だけは血走り、爛々と輝いている。ピエールがコブラに口火を切った。アランもそれに混ざる。フランス語で三人が何か言い争っているようだったが、僕には意味が分からない。みそっかすになりたくなかったので、彼ら三人の間に体を割り込ませた。「ヘイ、何の話しをしてるんだ?コブラ、ギャラはいつ支払われる?」僕の英語をかき消すように、また彼ら三人は怒鳴ったり長々と演説のようなお喋りを繰り返したりしている。ここでお手上げはいやだなと思っていたら、カウンターの奥から、これまたジャン・ギャヴァンの親戚のようなバーテンダーが僕に目配せした。いまは黙っていろという合図にそれは見えた。カウンターの上にトンとウイスキーのダブルを置き、また目配せで、こっちに来いと合図した。僕は三人から少し離れた場所に腰掛け、そのウイスキーをぐっと一息で飲み干した。バーテンダーがにやっとして、また同じものをカウンターの上に置く。「ジャポネ?」「ウイ」「ケスクヴ・パルレ・フランセ?(フランス語喋れるのか?)」「ノン、パルレ・イングレーゼ」(いや、英語だけだ)バーテンダーは両手を開いてお手上げだというジェスチャーをしてから、いまは何も喋るな、という意味だったのだろう、口元に人差し指をそっと触れるような仕草をし、僕をじっと見つめた。その目には、慈愛と優しさに加え、同時に、こういう商売の長い人が持つ独特な威厳が一緒になって光っていた。僕はなぜか男気を見せようというバカな気を起こし、三杯目のダブルを注文した。件のバーテンダーは「プフッ」と言いつつ三杯目をまたトンとカウンターに置く。人生の師匠はどこにいるか分からない。そう思いながらちびちび飲んでいたら、ピエールがやっと状況を説明しだした。「エイ、ヒロ、コブラは最終日に必ずギャラを払うと言ってるぜ。一人、4200フランだ。これはコブラを抜かした額だ」「コブラと話せるか?」「奴はぶっ飛んでるぜ」「かまわない」
「ヘイ、コブラ。話しはついたようだな。最初からこのことははっきりさせるべきだった」コブラは、ものすごくフラフラだった。話しかけたことを後悔した。「エイ、イロ、俺のことが信用できないみたいだな。いいか!オマエはアメリカの音楽学校のスチューデントだ。オレはオマエのサウンドが気に入ってバンドに入れてやったにすぎない。だがオマエは基本的に学生だ。それがいやなら学校をヤメろ!音楽なんて学校で学ぶもんじゃない。オマエの心は揺れている。パリに残るかアメリカに帰るか。そんな中途半端な奴にギャラの話しで文句を言われる筋合いはない。そういう半端な所もサウンドにでるんだよ!オマエは良くやっている。だが学生ということは、オマエはプロじゃない。そんな奴にギャラに関して文句を言われるのは頭に来る。俺がパリでどういう存在かも知らないクセしてこのジャポネ野郎が!」
悔しいが、言われた通りだった。僕の中途半端な立場を思いっきり指摘し、翻弄させるに充分な意見だった。僕は二の句が継げなかった。だがこれも、コブラの一つの作戦にも思われた。いずれにせよ、これは自分自身の問題だ。しかもギャラは仕事が終われば払うと言っている。一旦ここでコブラを信用するしかあるまい。コブラは、僕の返事など聞くつもりもないといった感じで楽器を片付け、僕らに何も言わずクラブを出て行ってしまった。「ピエール、奴の言うことは信用できるのか。前に彼と演奏したことはあるのか」「ああ、あるよ、、、まあ今夜はお開きとしよう」ピエールが口を濁した。アランはいつも通りのポーカーフェースでワインを飲んでいる。「アラン、スタション、ミッシェル・ビゾ、OK?」「ウエー、ダコーッ」ジャン・ギャバンの叔父バーテンダーが、目配せで、もう一杯飲んでいけよというそぶりを見せた。ノルことにした。
その晩、どうやってアパルトメントまで戻ったか憶えていない。久々に相当酔ったなと思いつつベロニクの部屋へと続く階段を一つ一つ踏みしめるように上がっていった。ミシッ、ミシッと木造の階段がしなう。その音を聞きつけてか、ベロニクがドアを開けて飛び出してきた。「イロ!ずっと待っていたのよ!」マイルス・デイヴィスのセヴン・ステップ・トゥ・ヘヴンがいきなり頭の中で鳴りだした。チャッチャッチャッチャッチャーチャーチャ!その後僕は、前後不覚に陥り、あとは何も憶えていない。
(続く)

2016/09/14

PARIS 34

第2章—コブラー
次の日の午後、ひどい二日酔いで目が覚めた。ベロニクはいなかった。学校にでも教えにいったのだろう。季節は段々春になってきているというのに、外はまだ薄ら寒かった。ベロニクの部屋にも隙間風が入る。まあ、隣りの物置に寝ていた時よりは天と地の差ではあったのだが。しばらく部屋でぼーっとしていたら、急に電話が鳴った。瞬間的にコブラだなと思った。僕の直感は当たっていた。「エイ、イロ、ボンジュール」。その声には、あのいつものニカニカ顔からは想像を絶する、深く低い声が受話器から伝わってきた。と同時に、こちらに何らかの恐れを感じさせる威圧感さえあった。「ボンジュール、コブラ、今日はブラザーとは言わないんだな」きっと機嫌が悪いのだろう。この直感も当たっていた。「イロ、おまえジャンからカネをくすねたってほんとうか」「盗んでなんかいないよ。ジャンにギャラをくれと言ったんだ。そうしたら、いくらか払ってくれた」「いくらよこした」「電車賃程度だ」大した金額では無かったが、僕は本能的に金額をはっきりと言わなかった。「エニウエイ、いずれにせよだ、このコブラを通さないで金銭のやり取りはするな。分かったな」「なぜですか」「このコブラがリーダーだからだ。ギャラは後日払うと言っただろう」「何日にいくら払うか決めてもらえますか」「イロ、詳しいことは今晩演奏の時に説明する。同じ場所で同じ時間に集合だ。分かったな」これ以上、電話で、しかも第二外国語同士がする話しではないと思ったので、ただ一言OKと言って電話を切ろうとした。「ウエイト!イロ、場所が遠いからアランに迎えに行かせる。もう奴にはそう伝えてある。あのオールド・プジョーでな」電話は向こうから切られた。なぜコブラは僕に気を使うのだろう。まあいい、今晩はまたあのすったもんだの延長であることは確かだ。
また電話が鳴った。今度はハンパリだと思って受話器に飛びついた。「ヘイ、ハンパリ!?」「ヘイ、ハンパリでなくて悪かったな。オレだ。コブラだ。お前らデキてるんじゃないのか。まあいい。今晩の集合時間は分かっているだろうな」「分かっているよ、なあ、コブラ」「おまえは、アメリークの音楽学校のスチューデントだとかなんだとか、言っていたな、、」その後、受話器からノイズが聞こえてきたので、ちょっと話したいことを思い出し、相手が受話器を切らないように、大声で怒鳴りつけるように彼の名は呼んだが返事は無かった。「コブラ!ヘイ、アーユーゼア?」コブラは受話器を切らずに、どこかに置いたのだろう。妙なノイズが聞こえてきたが、僕は受話器のその奥の音を、自らの鼓膜を張りつめてるようにして、聴き集めようとしていた。コブラがサックスを吹き出した。「あっ、パーカーだ、あっソニー・スティット、あっ、この音は?ロリンズ、コルトレーンだ、、」コブラの吹くフレーズやサウンドには、全てのジャズを自らのものにした自信と、俺はこんな状態じゃ、絶対満足しないぞ、という小気味良い反抗的な音が、音の端々から、受話器を通して洩れ聞えた。コブラ、お前はわざと僕にこれを聴かせたくて電話を二度もかけてきたのか。とにかく、大袈裟に言えば、ジャムセッンででかい顔をして、パリに住む黒人アルトサックス奏者の仲では傑出した存在であるコブラは、やはり化け物だった。全てのサックス奏者のコピーの中から、彼は自分のサウンドを追求している。コブラは彼なりのやり方で、僕にある種の解答を示したことになる。そういうことか。お前は立派なリーダーだよ。僕はそっと受話器を置いた。
僕は物事を、もの凄く客観的に分析するという癖がある。だがその僕の癖さえも、突然消し去るようなサウンドの持ち主と、僕はパリで出会ってしまったのだ。コブラにきちっとしたステージを与えれば、もの凄く音楽的なハプニングが待っているのじゃないか。しかし僕の能力では、コブラをパリでプロデュースすることなど、その時点では不可能であった。まずフランス語が喋れない。だが、このままでいいとも思えなかった。
(続く)

2016/09/11

PARIS 33

第2章ーコブラー
コブラと一緒に楽屋のドアを開ける。リノ・ヴェンチュラもどきは、どこかに電話をかけていた。アランがどこからかワインのボトルをくすねてきた。コブラ、ピエールと共に僕も含めてそのワインのボトルをラッパ飲みしながら人心地つける。気がついたら外は獄寒なのに汗だくだった。
「なあ、コブラ、今晩のギャラはいくらだ、今払ってくれるんだろうな」「ヘイ、ジャポネ、今ジャンに話しをつけるからまっていろ」そういうコブラの目の玉は、アルコール以外のもので焦点が合っていない。ジャンがギャラを払う役目であるとその時知った。すると突然、ハンパリが急に楽屋を飛びだし、トワレットに突進した。いったいここはどこだ?俺はここで何をやっている?
「ヘイ、ブラザ、ギャラは後日払われることに成った」コブラが大きな体をぐらぐらさせながら、ジャンに話しをつけてきたようだ。誰も文句を言わない。「ヘイ、コブラ、あの男がギャラを払う係りじゃないのか。オレは今カネが欲しい。交渉してくれ」「イロ、後日払うと言っただろう」「イヴェントでない限り、ギャラはその日にもらわなければいけないと、オレはそういう世界で生きてきたんだ。ピエールもアランもハンパリもそれでいいのか」誰も何も言わなかった。「確かにオレは学生かもしれない。だけどその前は、東京でプロだったんだ。そこで教わったことは沢山あるが、今晩のような仕事は、今この場でカネを払うのがスジだ。コブラ、払えないんだったら身銭を切ってくれ。だいたい今晩のギャラはいくらなんだ?」一瞬の後、今度はコブラがトイレに直行してしまった。「ピエール、ジャンとかいう奴に言ってくれよ。今晩のギャラを払えって」「それはできないんだ」「どうして」「なあヒロ、今晩はここでお開きにしよう。コブラがあの状態じゃ話しにならない」悔しいがピエールの言う通りかもしれなかった。いくら待ってもコブラがトワレットから戻ってこない。裸電球の下がったテーブルの方をちらりと見ると、凶悪顔の、リノ・ヴェンチュラとジャンが、机の上に沢山のフラン札をのろのろと数えていた。僕は、アルコールの勢いで二人の方に近づいていった。ジャンは英語をしゃべったのを憶えていた。「エクスキューゼモア・ムッシュ、英語は喋れるんでしょ」アンディーの方が顔を上げた。「コブラのことは知ってるんですか」「ウイ」「今晩のギャラを払ってもらえませんか。あなた達、このクラブの関係者でしょ。いくらでもいいから少し金を払ってもらえませんか」そこで初めてヴェンチュラの方が僕の顔を見た。話しかけた後に、僕はなぜ自分がここまで大胆な行動をとることができるのか、ということの方に意識が集中してしまっていた。自然と言葉が途切れる。東京のギャングは上層部になればなるほど、いきなり無茶はしないことは分かっていた。しかし、さっきの髭のオヤジに対するジャンの扱いが、頭にこびりついていた。「コブラには気をつけろと言ったろ」「ああ」「カネは渡せない」僕はアランとピエールの方に振り返り、彼らの目をじっと見た。君たちの方が勿論のこと、フランス語が堪能なんだし、ここで助け舟を出すのがバンド仲間というものではないのか。しかし、二人とも微動だにせず、じっと僕を凝視している。要するに使えない奴らだということだ。「コブラがトイレから出てこない。バンドのギャラなんてどうでもいい。だが僕だけでも今夜の演奏料が欲しい。そういう風に今までやってきたんだ。いくらでもいい。ギャラを払って欲しい」「ヘイ、ジャポネ、名前は何だ?」ジャンが札束を数えながらわざと僕を無視するかの用に聞いた。「イロシ」「いくら欲しいんだ?」「コブラにギャラの多寡を聞き損ねた。いくらでもいい。僕にいくらか払ってくれ」ジャンは百フラン札を八枚僕のポケットにねじこんだ。「イロシ、明日もここで演奏することが条件だ」「要望は嬉しい限りだが、僕の演奏したフェンダーローデスはコブラのものだ。コブラからは何も聞いていない」「今すぐ帰んな、後の話しはカカをし終えたコブラと相談する」
少ないギャラをピエールとアランとで分けて、ミッシェル・ビゾ駅あたりまでアランに送ってもらった。アパートに帰ってみると、ベロニクはへべれけになっていた。もう酔っぱらいはたくさんだと思いつつ、自分もひどく酔っていることに気付き、なぜだか天を仰いだ。全てがいたたまれなかった。もうちょっとちゃんと仕事がしたかった。今晩のあれは何だ。演奏の初めも終わりもだらしなく、バンドリーダーはてんでリーダーらしくない。音楽的なことで辛い思いをするのは初めから覚悟の上だ。しかし今晩のあれはいったいなんだ。「ベロニク、いま帰った」「ウララー、コブラはギャラを払わなかったでしょ」「どうして分かるのかな」「あいつはそういう男よ」「僕は店側と交渉して、他のメンバーの交通費程度を店側から少しの額だが払ってもらった」「何ですって」「だからコブラからじゃなく、店側からいくらかもらったんだ」「あんた、ああいう店の連中のこと知ってるの」「「ギャングだろ」「あんた頭がおかしいわ!二度とそんなことしないでちょうだい」「まあいい。終わったことだ。ワインある?」「ふん、へべれけなクセして」「ベロニクだってまだ飲みたいんだろ」「このいけ好かないジャポネが!」彼女の言うことを無視して、ベロニクの用意したワインをまた飲み出した。
(続く)

2016/09/10